2月29日、うるう年のおまけの日。
 1日多くてラッキーな日。

 体調不良で1日寝ていた日。

 飲まず食わずで終わった日。
 あー、いっそ痩せていますように。
 帰ってきて、日記サイトがどうなったのか、見てみれば。

 過去ログ、消えてるよ……。

 こまったもんだわ、リニューアル。
 文字数の関係だろうね。長文はラストが途中でぶった切られている。

 いちおー、オチには気を遣って書いてきたのに、そのオチの部分が消失かあ。がっくり。

 んじゃ、消えた部分だけ書き足せないかと思ったけれど、過去の日付には挿入できないのね。現在の日付なら複数書くことができても。

 まあ、過去は所詮過去。
 今さら過去日記を読む人もいないだろーから、消えてても支障はないんだが。
 半端に切れてるのが問題かなあ。いっそ全部消した方がいいのか。
 やれやれ。

 とりあえず、過去日記の消え具合を確認しがてら、去年分のテーマ分けをしてみた。
 映画の感想ばっか書いてるよーな気がしたが、ちゃんとわたし、ヅカの話してんじゃん!
 1年の3分の1はヅカ日記だった。
 そして映画、去年だけで70本以上見てるんだね……。よく見たもんだ。5日に1本の計算だな。

 今年はぜんぜんダメだねー。映画、ちっとも見てないわ。
 もう少しあたたかくなったら、いつもの映画館に通うことにしよう。

 ポスペの調子は最悪のまま。
 メールは届いたり、届かなかったり。

 かめたさん、そのうち冬コミの本送るから、待っててね。

 
 日記は「新バージョン」とやらへ書いてます。

 HPについてのなんの知識も興味もない人間なので、いろいろ面倒ナリよ。

 色を変えたりなんだりはどーでもいいから、事故なく毎日書けるよーにしてくれよ……。

 追記。

 http://diary.note.ne.jp/d/22804

 新バージョン日記へのアドレス。
「牡丹と薔薇はぁ、どちらがきぃれーいぃぃ」

 ふと口ずさんだわたしの横で、WHITEちゃんが「ぐはあっっ」とウケている。

 星組の並びの帰り道。

 あら。
 この歌が通じるってことは、アナタも見てるんですか、あのドラマ。

 前にも、

「僕が泣いーているのはぁ、とてもくやしいからです〜」

 と、なんとなく口ずさんだら、やはりWHITEちゃんが横でひとり、ウケていたっけ。

 主題歌というのは、共通言語として有効よね。

 あれ。
 「牡丹と薔薇」は、主題歌じゃないか。

 
 佐々木丸美をご存じですか?

 わたしの文章に多大な影響を与えた作家は、太宰治と夢枕貘と、佐々木丸美だったりする。

 太宰と夢枕はともかくとして、佐々木丸美はマズイだろ!
 と、大人になった今は思う。

 だけど、高校生のときは佐々木丸美のパクリのような文章を書いて、悦に入っていた。
 そりゃあもう、必死に真似をしていたよ。
 当時でさえ、佐々木丸美って文章下手ぢゃねーか? と思ってはいたが、それでもなお、真似をせずにはいられなかった。
 技巧じゃなく、スピリットなんだよね、文章って。
 多少読みにくくても、視点が乱れていても、ずるくても、佐々木丸美の文章が好きだった。

 今現在はもう、完全に抜けたと思うんだけど。
 わたしの文章に佐々木丸美的なところは残っていないと思うんだけど……どうかなあ?
 やたら韻を踏んだりリピートするところは、やはり佐々木丸美?
 あそこまでポエムかましてないと思うんだが。

 佐々木丸美がどの程度世間から認知されている作家なのか、わからない。
 とりあえずWHITEちゃんは知らなかった。
 同じ高校だったのに。でもって、高校の図書室にあったのに。わたしは図書室で借りて、佐々木丸美と出会ったのに。

 佐々木丸美は……ジャンルでいうと、何作家になるのかな? ミステリ? 恋愛? ファンタジー?
 いちおー、ミステリ作家じゃないかと思っている。かなり微妙だが。
 彼女の作品の大半は、殺人事件が起こり、それを推理することになるから。……一応。
 ただ、ふつーのミステリとして読んだら、かなりちゃぶ台返しなトリックと結末に唖然とすることになる。力業というか、なんというか。
 真のミステリ読みの人たちからは、どういった評価を受けていたのでしょうね。当時はネットなんてもんがないので、さっぱりわかりませんが。

 大人になってから思ったことは、佐々木丸美はカテゴリエラーな作家だったんじゃないかということ。
 発表先、まちがえていたよーな気がする。
 講談社のハードカバーではなく、少女向けライトノベルで出していたら、もっと人気出たんじゃないかな。

 佐々木丸美の小説は、主人公が10代の少女である。
 しかも、薄幸の少女だ。
 孤児だったり、家庭に恵まれていなかったり。
 そして幼いときに、運命の人と出会う。ハンサムで知的で上品な王子様だ。年齢は必ず、ヒロインよりも10歳以上年上。6歳くらいのヒロインと、高校生くらいの王子様が出会うのが王道。いわば『キャンディ・キャンディ』ですな。
 時は流れ、美しい少女に成長したヒロインと、大人の男になった王子様との恋愛物語が改めてスタートする。
 しかも物語はただの甘甘ではなく、謀略と愛憎が絡み合った人間サスペンスだ。美しく不幸な女たちが愛に傷つき、破滅していく。自殺と殺人と発狂はデフォルト。絶対誰か死ぬし殺されるし発狂する。
 暗躍する、魅力的な美青年たち。「巨大企業」という王国で、男たちは戦士となり血で血を洗う戦いをつづける。
 女たちはそんな戦士たちを愛し、守り、ときに手を血で染める。
 ヒロインの愛した男も狡猾な戦士のひとりであり、決して一筋縄ではいかない。やさしい紳士であると同時に、冷酷な大人だったりもする。
 これらのとんでもねーハードな物語が、17歳の少女のリリカルな一人称でつづられる。

 作品は全部、リンクしている。
 1冊読んだだけでは、なにがなんだかわからない。
 シリーズだなんてどこにも書いてないが、ひとつの世界観によって構成されている。
 発行年順に読まないと、ネタバレがあったりもする。誰が誰を殺したのか、動機と犯人がバレちゃうんだよね。

 根幹にあるのが、輪廻転生と宿命の恋人たち。
 不老不死?をめぐる謎。
 ふたつの巨大企業の戦いと、お家騒動。
 仏教観とサイコ・ミステリ。

 人物相関図と年表、作ったもんなあ。高校生のとき。
 何家のだれそれが誰とつながっていて、どんな関係にあって、誰がどこで死んで、誰が途中で名前が変わっていて、誰が誰の生まれ変わりで……と。
 夢中だった。

 こんな物語をいつかつづりたいと、切望した。

 これ、ラノベだったらもっとみんな、読んでくれたんじゃないかなあ。
 文体が不親切だけど、内容はかなりラノベだと思う。
 美少女と美青年と美女がぼろぼろ出てくるし。てゆーか、男たち美しすぎ。顔立ちだけではなく、生き方が。現代日本を舞台にしていて、ここまでハードに生きなくてもいいだろう、ってくらい、ヒーローしている。
 美しいマンガ絵のイラストがあれば、小説好きの女の子たちはいくらでもついていっただろうに。高校生のときのわたしのように。
 女の子は、生きるの死ぬといった恋愛モノは大好きよ。
 そして、かっこいい男がたくさん出てくる話は、大好きよ。

 なまじ、ハードカバー本だったからなあ。
 『館』シリーズとか、ミステリみたいな装丁つけられて、紀伊国屋のミステリの棚に並んでいたりしたからなあ。
 大人の男の人が読んで、おもしろい本だったとは思えん……。

 と、何故今こんな話をするかというと。
 冬コミで佐々木丸美本買ったからさ。でもって、年末年始と忙しすぎて、今ごろ戦利品の本を読んでいたりするからさ。

 もう絶版なんだよね、佐々木丸美の本。作者が復刊を望んでいないらしいね。
 佐々木丸美ファンはきっと、わたしと同年代かそれ以上の年齢なんだろうね。

 子どもだったわたしは、佐々木丸美の書くヒーローはできすぎていて、嫌いだった。大人すぎて、いやだった。
 たぶん今も、吹原さんとか嫌いだと思うぞ(笑)。
 いちばんのお気に入りが、いちばん影の薄い真一さんだったし。
 彼女の書く物語はいつも同じパターン、薄幸の少女が大人の男と恋に落ちる。ヒロインの性格も、王子様の性格も、根っこはみんな同じ。
 王子様の性格はわたし好みじゃなかったけれど、その壮大なロマンにときめいた。
 暗い過去と重い宿命と、絡まり合った謎にわくわくした。

 少女が、ひとを愛する、その心の動きに魅了された。

 残酷で痛い、そしてロマンティックな愛の物語。

「**ちゃんみたいに、めちゃくちゃに愛して、愛を完成させてしまえばいいのよ」

「あなたが好き、と言うことは、自分が好き、と言っているのと同じことだ。そんな恥ずかしいことを言うのはやめなさい」

 とか、ずっとずっとおぼえている台詞がある。
(記憶だけで書いているので、完全に正しいかはわからないが)

 めちゃくちゃに愛して……はたしか、愛ゆえに発狂した女のことを、ヒロインが話していたはず。
 愛ゆえに狂った女のことを、「愛の完成」と言っていた。

 そんな恥ずかしいことを言うのは……はたしか、王子様がヒロインに対して言った台詞。王子様はとにかくクールだったからなあ。

 
 忘れられない物語。
 途中で終わってしまっている……んだよね?
 『伝説』シリーズの3作目は出ていない、よね?

 結末がないまま消えてしまった作家だから、余計に消えることなくわたしのなかに残り続けている。
 あの、独特の文体ごと。

 しかし、あの文体はマズイだろ。
 影響を受けてはイカン。
 特徴ありすぎる。

 昔、佐々木丸美の亜流みたいな文章を書いていた過去があるだけに、こわくて佐々木丸美作品を読み返せない(笑)。
 だって読んだらしばらくまた、文体が伝染する。
 絶対、する。
 それくらい強烈。

 こわいこわい。

 
 いい時代になったなあ、と思うのは、名刺を2種類作らずに済むこと。

 以前わたしは、仕事用とプライベート用と2種類名刺を作っていた。凝り性なもんだから、名前だけ換えたモノではなく、デザインごと別に作っていた。
 作っているときはそれなりにたのしいのだが、管理はめんどーだった(笑)。

 プライベートで使用したいときに、仕事用の名刺しかないときは、恥ずかしくて渡すことができなかった。
 だって、緑野です、と名乗ったあとで、チガウ名前の名刺なんか渡したら、アヤしいっつの。

 しかし、時代は変わった。

 今わたしは、堂々と仕事用名刺をプライベートでも使うことができる。

「すみません、ハンドルネームの名刺なんですけど、いいですかぁ?」

 これで通用するんだもんよ!!
 いい時代になったもんだ。
 本名とは別の、しかもなんかきらきらした「名字+名前」の名刺を渡しても、変に思われない!

 ……いい加減、プライベート名刺、作り直せよ自分、とは思いつつ……めんどーでな……。仕事用で代用しているのよ……。

「大変だな、偽名をいくつも使っている人間は」
 と、弟。

 偽名って言うな、偽名って!!

 そーだなあ、「緑野こあら」でも名刺作ろうかなあ。……って、配る相手いないけど(この日記は内緒のはずだ・笑)。

 
 リンコさんが友だちを連れてくる。

 忘年会の日、わたしは改めてメールを読み直した。
 場所は音ちゃんの新居。長年のマスオさん同棲にピリオドを打ち、籍を入れふたりで居を構えた音ちゃん夫妻のマンションで、鍋パーティ。
 シンくん夫妻は6時半頃到着予定。
 でもってリンコさんは友だちと一緒に6時くらいに到着予定。
 んじゃわたしも6時くらいに着くように行くわ、とメールを返してはいたけれど。

 リンコさんは、友だちと一緒……?

 その1文を、きれーに読み飛ばしていた。
 友だち?
 わたしたちの集まりに、わざわざ連れてくる友だち?

 音ちゃん、リンコさん、シンくんは、10年来の遊び友だち。イベント好きでマメなシンくんの采配のもと、若いころはよく遊びに行っていた。
 週に一度のテニス(カケラも上達しなかったよ、あたしゃ)、そのあとの飲み会。何ヶ月かに一度は20人からの人数でのボーリング大会、何台もの車に別れての遠出の行楽、なんかやたらと行っていたゲーセン、カラオケ……etc. 夏には恒例の花火大会。数万円分の打ち上げ花火を、淀川で打ち上げた(あーゆー花火が個人で買えるモノだとはそれまで知らなかった)。

 わたしたちのイベントには、暗黙のルールがあった。
 それは「パートナーがいる場合は連れてくる」である。
 イベントはあくまでも仲間内のもの。そこに第三者を参加させる場合は、パートナーに限る。
 つまり、彼氏や彼女は連れてきていいってこった。

 だから、シンくんの奥さんと最初に会ったのは、何年も前のボーリング大会や花火大会でだ。音ちゃんの旦那に最初に会ったのは……いつだっけ? とにかく、パートナーができたら、速やかに報告せよ。てなもん。

 仲間たちはひとりまたひとりと結婚したりなんだりで縁遠くなり、今つきあいがあるのは音ちゃん、リンコさん、シンくん、Be-Puちゃん、クリスティーナさんぐらいのもの。
 なかでももっとも男らしい外見と性格を持つリンコちゃん(注・女性です)。身長175cmは伊達じゃありません、かっこいいです。本人は「アタシの身長は170cmよ!」とフカシこいてますが、アンタが170だったらアタシは160cmでも通るわよ、ってことで、わたしの友人の中でいちばんでかい女はこのリンコちゃんです。
 そのかっこいいリンコさんが、わたしらのパーティに友だちを連れてくる……?

 ってソレ、彼氏ってこと?
 リンコさんついに、お嫁に行っちゃうの?! 嫁をもらうんじゃなくて?!
 ケータイもパソコンも持たない、メールなんてちゃらちゃらしたもんは許せない、未だにハガキで連絡を取ったりする漢らしいリンコさん。ひとり暮らしのアパートにはテレビだってないぞ、あんなもん見る奴は腑抜けてるのさ、の漢らしいリンコさん。
 明治時代の漢のよーな、頑固で凛々しいリンコさん。
 嫁をもらうことはあっても、嫁に行くことなどないと信じていたのに!!

 仲間たちがそれぞれ恋人を連れてイベントに参加するなか、わたしとリンコさんはいつだってシングル参加、ともに我が道を驀進していた同志じゃないの!!
 わたしを置き去りにして、自分だけカップル参加する気?

 てゆーか、カップル3組のなかに、あたしひとりってこと?!
 ちょっと待て、なんだそりゃ。

 ひとりぼっちは、いーやーだー。

 アタマを抱えたよ。
 いや、どーしよーもないので、さっさと出かけましたが。リンコさんの彼氏なら、なにがなんでも顔を拝みたいし(笑)。

 待ち合わせ場所に迎えに来てくれた音ちゃんに、わたしはなにより先に訊ねたさ。
「ねえねえ、リンコさんが連れてくる人って、カレシ?」
 音ちゃん、威勢良く爆笑。
「それがねえ、その彼……じゃなくてお友だち、急な体調不良で、欠席なんだってー。リンコさんひとり参加だよ」
「お友だち? カレシじゃなくて?」
「カレシならあたしがメールに大々的に書いてるよ。リンコさんがカレシ連れてくる! 必見!って」
 あ、そうなの?

 ほっとする前に、「やっぱりな」と思うわたしをゆるして、リンコちゃん。
 あーたがカレシを連れてくるはずがないと、どうも本気で思っているらしいわたしを許して。

 音ちゃんちにのっそり現れたリンコさんは、相変わらず漢らしい姿で、
「ねえねえリンコさぁん。今日カレシ、来れなくなったんだって?」
 とわたしが聞くと、とてもめんどくさそうに、
「そう、今日カレシは来れなくなって……って、なんでやねん。女の子や、今日一緒に来る予定やったんは」
 と答えてくれた。南大阪出身の彼女は、とってもべったべたな大阪弁を話す。

 ああ、リンコさん。君はいつまでも君のままでいてくれ。
 そのぶっきらぼうな性格も、容赦のない喋り方も、どうかそのままで。
 ついでにその食欲も、そのままで。
「緑野さん遅いから、緑野さんのお茶全部飲んじゃったよ。ポテチ食べながら」
 ってアンタ、これから鍋パーティなのに! ポテチ食ってる場合ですか?!
 プレゼント交換用のプレゼントを忘れたわたしが自宅まで取りに行ってる間に、音ちゃんがわたしのためにわたしのリクエストで用意してくれたお茶は全部リンコさんの腹の中。わあああん。

 そしてもちろん、鍋パーティでいちばん食べたのは、ほかならぬリンコさんです。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

          
 リンコさんが友だちを連れてくる。

 忘年会の日、わたしは改めてメールを読み直した。
 場所は音ちゃんの新居。長年のマスオさん同棲にピリオドを打ち、籍を入れふたりで居を構えた音ちゃん夫妻のマンションで、鍋パーティ。
 シンくん夫妻は6時半頃到着予定。
 でもってリンコさんは友だちと一緒に6時くらいに到着予定。
 んじゃわたしも6時くらいに着くように行くわ、とメールを返してはいたけれど。

 リンコさんは、友だちと一緒……?

 その1文を、きれーに読み飛ばしていた。
 友だち?
 わたしたちの集まりに、わざわざ連れてくる友だち?

 音ちゃん、リンコさん、シンくんは、10年来の遊び友だち。イベント好きでマメなシンくんの采配のもと、若いころはよく遊びに行っていた。
 週に一度のテニス(カケラも上達しなかったよ、あたしゃ)、そのあとの飲み会。何ヶ月かに一度は20人からの人数でのボーリング大会、何台もの車に別れての遠出の行楽、なんかやたらと行っていたゲーセン、カラオケ……etc. 夏には恒例の花火大会。数万円分の打ち上げ花火を、淀川で打ち上げた(あーゆー花火が個人で買えるモノだとはそれまで知らなかった)。

 わたしたちのイベントには、暗黙のルールがあった。
 それは「パートナーがいる場合は連れてくる」である。
 イベントはあくまでも仲間内のもの。そこに第三者を参加させる場合は、パートナーに限る。
 つまり、彼氏や彼女は連れてきていいってこった。

 だから、シンくんの奥さんと最初に会ったのは、何年も前のボーリング大会や花火大会でだ。音ちゃんの旦那に最初に会ったのは……いつだっけ? とにかく、パートナーができたら、速やかに報告せよ。てなもん。

 仲間たちはひとりまたひとりと結婚したりなんだりで縁遠くなり、今つきあいがあるのは音ちゃん、リンコさん、シンくん、Be-Puちゃん、クリスティーナさんぐらいのもの。
 なかでももっとも男らしい外見と性格を持つリンコちゃん(注・女性です)。身長175cmは伊達じゃありません、かっこいいです。本人は「アタシの身長は170cmよ!」とフカシこいてますが、アンタが170だったらアタシは160cmでも通るわよ、ってことで、わたしの友人の中でいちばんでかい女はこのリンコちゃんです。
 そのかっこいいリンコさんが、わたしらのパーティに友だちを連れてくる……?

 ってソレ、彼氏ってこと?
 リンコさんついに、お嫁に行っちゃうの?! 嫁をもらうんじゃなくて?!
 ケータイもパソコンも持たない、メールなんてちゃらちゃらしたもんは許せない、未だにハガキで連絡を取ったりする漢らしいリンコさん。ひとり暮らしのアパートにはテレビだってないぞ、あんなもん見る奴は腑抜けてるのさ、の漢らしいリンコさん。
 明治時代の漢のよーな、頑固で凛々しいリンコさん。
 嫁をもらうことはあっても、嫁に行くことなどないと信じていたのに!!

 仲間たちがそれぞれ恋人を連れてイベントに参加するなか、わたしとリンコさんはいつだってシングル参加、ともに我が道を驀進していた同志じゃないの!!
 わたしを置き去りにして、自分だけカップル参加する気?

 てゆーか、カップル3組のなかに、あたしひとりってこと?!
 ちょっと待て、なんだそりゃ。

 ひとりぼっちは、いーやーだー。

 アタマを抱えたよ。
 いや、どーしよーもないので、さっさと出かけましたが。リンコさんの彼氏なら、なにがなんでも顔を拝みたいし(笑)。

 待ち合わせ場所に迎えに来てくれた音ちゃんに、わたしはなにより先に訊ねたさ。
「ねえねえ、リンコさんが連れてくる人って、カレシ?」
 音ちゃん、威勢良く爆笑。
「それがねえ、その彼……じゃなくてお友だち、急な体調不良で、欠席なんだってー。リンコさんひとり参加だよ」
「お友だち? カレシじゃなくて?」
「カレシならあたしがメールに大々的に書いてるよ。リンコさんがカレシ連れてくる! 必見!って」
 あ、そうなの?

 ほっとする前に、「やっぱりな」と思うわたしをゆるして、リンコちゃん。
 あーたがカレシを連れてくるはずがないと、どうも本気で思っているらしいわたしを許して。

 音ちゃんちにのっそり現れたリンコさんは、相変わらず漢らしい姿で、
「ねえねえリンコさぁん。今日カレシ、来れなくなったんだって?」
 とわたしが聞くと、とてもめんどくさそうに、
「そう、今日カレシは来れなくなって……って、なんでやねん。女の子や、今日一緒に来る予定やったんは」
 と答えてくれた。南大阪出身の彼女は、とってもべったべたな大阪弁を話す。

 ああ、リンコさん。君はいつまでも君のままでいてくれ。
 そのぶっきらぼうな性格も、容赦のない喋り方も、どうかそのままで。
 ついでにその食欲も、そのままで。
「緑野さん遅いから、緑野さんのお茶全部飲んじゃったよ。ポテチ食べながら」
 ってアンタ、これから鍋パーティなのに! ポテチ食ってる場合ですか?!
 プレゼント交換用のプレゼントを忘れたわたしが自宅まで取りに行ってる間に、音ちゃんがわたしのためにわたしのリクエストで用意してくれたお茶は全部リンコさんの腹の中。わあああん。

 そしてもちろん、鍋パーティでいちばん食べたのは、ほかならぬリンコさんです。

 文字数足りないので、次の欄へつづく。

          
 彼の耳には、どう聞こえているのだろうか。

 「1万人の第九」練習もクライマックス。
 佐渡裕先生の特別レッスン日なり。
 なつかしの中之島中央公会堂で、1000人規模で練習をする。

 なんでなつかしかというと、中央公会堂にはその昔、毎週通っていたからだ。
 同人誌即売会があったの。毎週(笑)。
 若いころはすごい情熱で早朝から並んでたなあ。
 今ではもう、地方の小さなイベントには行かなくなった。コミケに遊びに行くだけ。

 改築された中央公会堂は、たたずまいは昔のまま、とても新しくきれいになってました。これは正しい改築だね。大正時代に建てられたというこの美しい西洋建築は、保護するべきだよ。
 地下の喫茶店も、めちゃお洒落になってたし。あの雰囲気で、おいしいケーキセットが税込み700円ですよ。すばらしい。

 そんなこんなで、合同練習。
 第九の練習は好きだし、他の先生もたのしいのだけど、やっぱり佐渡先生はまた少し、ちがうんだ。
 存在にパワーのある人だ。

 ここ数日で、1000人単位の練習会を何回もつづけてやっているはず。
 登場してきたときすでに、彼は疲労の色が濃かった。

 彼の耳には、どう聞こえているのだろう。

 わたしたち素人の歌声は。

 彼は一流のオーケストラや合唱団と仕事をしているはずだ。天才たちと同じ舞台に立つ、彼自身が豊かな才能を持つ人だ。
 そんな人の耳に、わたしたちの歌はどう響いているのだろう。

 たとえばわたしは、文章の下手な人が苦手だ。
 基本からしてできていない、読めない文章を見ると、イライラする。うまい下手とは別に、センスのない文章を見ても、辟易する。
 自分の実力はさておき、他人の粗は気になるんだ。

 佐渡先生から見れば、わたしたちの歌なんて、「てにをは」の使い方もわかっていない読めない文章みたいなもんなんだろうなと思う。
 疲労の濃い彼は、イライラと腕を振る。
 だめだめ、やり直し。そこはそうじゃない。

 何度やったところで、彼が満足するレベルになんか、到達するはずがない。それがわかっているから彼も、不満そうなままレッスンをすすめていく。

 不満なら、素人となんか組まなければいい。
 いくらもらえるのか知らないけど、そんなに必死になって指導なんかしなければいい。仕事なんか、いくらでも選べる立場でしょう?

 わたしは、佐渡先生が「1万人の第九」に初参加した年から、参加している。
 だから最初の年の佐渡先生が、どれほどきらきらしていたかを知っている。
 最初佐渡先生は、期待にきらきらしていた。「1万人で第九を歌う。なんてすばらしいんだ」と。
 やる気も満々。「おれはやるぜ。おれが変えてやるぜ」と意欲に燃えていた。
 2年目までは、まだそんな感じだった。
 しかし、3年目になると。
 佐渡先生は明らかに、落胆していた。
 たぶん、自分が思っていたほどすばらしい世界でもなかったんだろう。「1万人で第九を歌う」ってことは。
 素人合唱団なんてタカがしれているし、そんな連中が1万人も集まったら、収拾がつかなくなるだけだ。へたっぴがよけいへたっぴになるだけだ。
 なげやりだった3年目。1万人の素人になんか目もくれず、自分の友だちをステージに呼んで、自分たちだけたのしそうに演奏していた。
 少し持ち直したのが、4年目。
 1万人の素人には、やはりアマチュアの楽団を。
 関西を中心とした学生たちを集めて、オーケストラを結成した。そして、世界トップクラスの演奏者たちを助っ人として召喚。
 野球で言ったら、高校球児がメジャーリーグの大選手と練習試合をさせてもらうようなもん? 学生たちにとっては、またとない機会だろう。このアイディアはすばらしい。
 1万人の素人合唱団に対しても、前年より力を入れて指導していた。オケがアマだからかな? と思っていたら、音大卒のキティちゃんは言い捨てる。
「助っ人の演奏者たちに対しての面子でしょ」
 なるほど。あまりにレベルが低すぎると、佐渡先生の面子が立たないのか。
 まあなんにせよ、まだマシだったのが4年目。

 そして、今年。
 今年もまた、学生たちと海外からの助っ人でオーケストラを結成するらしい。最初は新しいことにこだわっていたはずの佐渡先生だが、同じことの繰り返しに甘んじている。仕方ないのかもしれない。
 3年目のときの、佐渡先生のやる気のなさを目の当たりにしているので、わたしと友人たちは「来年も佐渡先生かな?」と毎回不安に思っている。いつ指揮者が交代しても、不思議じゃないからな。
 どれだけやっても、所詮わたしたちは素人。音楽で食べていく人じゃない。佐渡先生の納得する合唱ができるはずがない。
 だからこそ、考える。
 彼の耳には、どう聞こえているのだう。
 うんざりしているのかな。どんなに自分が熱意を持って指導しても、箸にも棒にも掛からない出来だから。

 疲労も濃いし、熱意にも欠ける。
 そんな感じではじまった、合同練習。

 それでも。

 それでも、佐渡先生は熱くなる。
 わたしたちになんか期待していないだろうに、指導しているうちに必死になっていく。
 ベートーベンはすばらしいんだ。第九はすばらしいんだ。汗をかき、つばを飛ばしながら熱弁する。指導する。

 ほんとに、好きなんだなあ。

 好きだからこそ、わたしたちの低レベルさがゆるせないし、好きだからこそ、わたしたちにもそれのすばらしさを知ってほしいんだ。
 仕事だというだけなら、お金というだけなら、たぶんもっと、他にやるべきことがあるよね。
 苛立ちながらも「1万人の第九」の指揮をするのは、やっぱり「なにか」あるんだろうな。物理的な損得だけじゃない、なにか。
 それゆえに彼は、熱くなる。

 それゆえにわたしは、やっぱり佐渡裕という人が好きだ。

 苛立ちや不満が、けっこー丸わかりなあたり、アーティストであってふつーの社会人じゃないっぽいところとか、それでもなお、好きなものを好きなままあがいているところとか。
 彼の強いオーラが、伝わってくる。
 たったひとりで、1000人の人を相手にこれだけオーラを出し続けて、1日に何度もこの人数のレッスンをして。
 その並大抵じゃない強さに惹かれる。

 すごい人だよ。

 それに、なんだかんだいっておもしろいしね。佐渡先生のレッスン。
 恒例の肩組み(マーチの部分を歌うとき、男たちは全員で肩を組んで左右に揺れながら歌うんだ。佐渡先生名物)をする姿を眺めながら、ああ1年経ったんだなあ、と実感した。
 
 『マトリックス』に縁がない……。

 じつは、『マト・リロ』は見てないんだよね。
 わたしは映画は映画館で見たものしかカウントしないので、家でテレビだのビデオだので見たものは「映画を見た」とは思っていない。だもんで『マトリックス』の2本目、『マトリックス・リローデッド』は「見た」うちに入れてない。
 2本目はうっかり見そびれちゃったけど、気を取り直して3本目は見に行こうかと思っていたのに。

 またしても、行けなかった。

 朝、目覚ましが鳴る前に目が覚めた。
 あまりの、気分の悪さに。

 わたしは頭痛持ちなので、頭痛自体はめずらしくない。鎮痛剤片手にのんきに生きている。
 だが時折、理性を失いそうになるほどの激痛に見舞われることがある。寝転がってのたうち回る系のやつね。
 朝起きたら、ひさびさにソレ系だったんだわ。
 いちばんひどいレベルじゃなかったから、まだ正気で、メールを打つことができたのが幸い。ドタキャンです、許してWHITEちゃん。
 胃袋が空だろうととにかく薬。服用基準無視して薬浸けになって、なんとか午後から復活。
 あー、消耗した。

 もちろん、母には叱られまくりましたよ。
「ドタキャンなんて最低なことをしたの? アンタの友だちに同情するわ」
 親の家に行ったのは、だいぶ回復してからだったので、まだマシ。なにを言われても耐えられる。ドタキャンが最低なのは事実だしな。

 いつだったか、あまりの痛みに理性を失い、親の家に逃げ込んだことがあった。やはり早朝だった。ふつーに眠っていたのに、頭痛で目を覚ましたんだ。どうも、寝ているうちに発病するらしいな。
 ひとりで耐えるのが限界で、不安で、家族に助けを求めたんだ。
 うめきながらのたうち回るわたしを見おろして、パジャマ姿の母は言った。
「それでアンタは、どうして欲しいの? 救急車を呼べば満足なの? アタシは今日、友だちと遊びに行く約束してるのに」
 えーと。
「アタシは医者じゃないから、わざわざうちに来て苦しがられてもこまるわ」
 そ、その通りなんですが……。
 そのときから、心に誓っている。どれだけ苦しくても、親の家には行かない、と。治ってからでないと、説教されるのは堪える。
「アンタのせいで、友だちと遊びに行けなくなったわ。ドタキャンするはめになったわ。えらい迷惑よ」
 と、その日1日、責められつづけたしな。べつに遊びに行ってくれてもよかったし、母はそのつもりだったらしいのだが、その友人がわたしを心配して「娘さんについていてあげて」と身を引いてくれたらしい。
 ほんと、母についていてもらっても、あまり意味はないしな。医者じゃないもんな。説教される分、消耗するしな。
 もうどんな激痛に神経がまいっても、親にだけは頼るまい。友だちに電話した方が、助けてくれそうだ。そーいやあのとき薬を買ってきてくれたのは弟で、母は説教するだけでなにもしてはくれなかったしなぁ。
 うちのママはべつに冷たい人ではないんだが、「病気は本人の悪徳が原因」だと信じているし、自分は何十年病気になっていないので、病人に冷たいのだ。くわばらくわばら。ママの前では元気なふりをしていなければ。

 それにしても『マトリックス』。
 運命の神様に「見るな」って言われてるのかしら。
 
 本日は「1万人の第九」通常練習の最終日。
 受付で出席カードにスタンプを押してもらったときに、楽譜を渡された。

 は?
 なんで最終日に、楽譜?

 楽譜は森山直太朗『さくら』の、1万人の合唱バージョン、らしい。
 あ、直太朗は、今年のゲストね。彼が同じステージで『さくら』を歌うのは周知の事実。

「急遽、森山直太朗さんの『さくら』に、1万人でコーラスを入れることになりました。楽譜が刷り上がったのが、つい数時間前です」

 ヲイ。
 なんじゃそりゃあ。

 まあ、最終日に渡されるくらいだから、超簡単な、サルでも歌える類のコーラスなんだろう。

 そして、練習開始。
 …………。

 あ、あれ?
 ものすげー音取りにくいんですが……。

 一通りメロディをなぞったあと、先生が言う。
「……とまあ、こんな音楽になります。無謀ですね」

 はい、無謀です。……って、せんせーが言っちゃうんですか。

「やたら高いし、複雑だし……いきなり歌えといわれて、歌えるわけないんですけど、決まってしまったので、みなさんそれなりにがんばってください」

 歌えなくて当然、てことですか……。
 ははは。

 わたしときんどーさんは、いちいち顔を見合わせる。
「ねえ、歌える、これ?」
「楽譜読めないっつーに」
「気を抜くと直太朗のメロディになっちゃうよ。コーラスのメロディがわかんなくなる」

 去年の平井堅の『大きな古時計』は、楽譜なんかなかったけど、1万人でコーラスを入れた。なんの説明も練習もなくてOKだった。堅ちゃんと同じメロディを勝手に歌ってればよかったんだもの。
 しかし今年の『さくら』は、本気でコーラスアレンジがしてある。
 ソプラノとテナーは、ものすげー高音だ。わたしはアルトだからまだマシだけど、それでもけっこう高いぞ。てか、ソプラノと1音ずつちがうだけとかだと、音感に乏しいわたしははてしなく迷ってしまうんですが。
 まいったなぁ。

 しかし、あとから来たあらっちは言う。
「すっごいきれーなコーラスだったよ? いつから練習してたの?」
 いや、ほんの20分前から。せんせーが1回歌ってくれたのを、みんなでなぞって歌ってただけ。
「そうなの? 遅れて教室に入ったら、知らない曲をすごいきれーにハモって歌ってるから、びっくりしちゃった」
 そうなの? わたしはアルトの音を耳で拾って同じ音を出すことだけに必死になってたから、全体がどんなふうに響いていたかなんて、さっぱりわからないよ。
 そうか、それでもみんな、きれーにハモってたのか。わたし以外の人たちの功績だな。

 コーラスの練習をしながら、わたしが考えていたことは、だ。

 1万人に『さくら』のコーラスを急遽させることなんかにしたら、みんなあわてて練習の参考に、と、CDを買うじゃん。
 1万人が、直太朗のCDを買う。
 ……それって、めちゃおいしいじゃん。
 実際に買うのが半数だとしても、5000人だぞ?
 CDの世界はよくわからないが、出版業界だと1万部の固定客は、大きいぞ? 1万部増刷かかるのが、どれほど大変なことか……!

 わたし、次に機会があったら、「1万人の第九」が深く関係する小説を書く! そして、1万人の固定客を掴むわ!!

 ……なんて、夢見てるヒマがあったら歌の練習しなさいって。

 
 部屋は日に日に狭くなる。

 昔、わたしの部屋は友人たちのたまり場だった。
 ひとつ屋根の下に両親がいない中学生、というのは友人たちにとってものめずらしく、また、気楽だったのだろうと思う。挨拶しなくていいし、学校のことや進路のことや、よその親との世間話に出てきがちなことを、話す必要がはじめからないわけだから。
 わたしの祖父母は1階で過ごしており、わたしの部屋のある2階にはまず関与してこなかった。
 わたしの部屋は、わたしだけの独立した世界だった。
 だからだろう。中学の後半からずーーっと、友人の顔ぶれが変わっても、いつもわたしの部屋がたまり場だった。
「あのころ緑野、プライベートなかったね。ごめんね」
 と、大人になった友人が詫びてくれるくらい、いつも部屋に誰かいた(とくにWHITEちゃんは毎日いたよーな気がする・笑)。

 中学生のころは、わたしのこの部屋に、友人たちが数名泊まることができた。
 3人は床に布団を敷いて寝ていたよな。隣の部屋にも、布団を敷いてさらに何人か寝ていた。

 高校になっても、たぶんまだ、それくらいは大丈夫だった。

 短大になると、えーと……布団を敷くのは無理だからって、こたつの周りに円になって、2、3人が寝ていたよーな? 隣の部屋も改装して、物置を広げちゃったし。足をのばして寝ることは……無理だったような?

 そのあとは……泊まれたっけ??

 部屋は日に日に狭くなる。

 今現在、わたしの部屋に誰か泊まるなんて、絶対無理!!
 足の踏み場もろくにないってのに。

 中学のころからこっち、モノが増え続けているんだ。
 あのころはこんなに大量の電化製品には囲まれていなかった。
 増え続けた本、増え続けたビデオ、増え続けたゲーム。もちろん、服や鞄だって増殖する一方さ。
 隣の部屋には、業務用コピー機がでーんと置いてあるから、それだけでもういっぱいいっぱい。
 部屋は狭くなる一方!!
 友よ、もうあなたたちを泊められるスペースなんて、まったく残ってないわ! たまり場にはなりようがないわ!
 つーか、誰かの部屋にたまってダベるようなトシじゃなくなっちゃったんだけど。

 と、なにを改めて感嘆しているかというと。

『巌流』のポスターを買ったのよ。
 コレクションのためだけなら、大きい方を買うけれど、生憎わたしは使う気満々だ。つまり、部屋に貼るつもりで小さい方を買ったの。
 だって、『血と砂』も2年間くらい部屋に貼ってあったんだもん。CANちゃんがプレゼントしてくれた車内吊りポスターを機嫌良く、壁に貼って眺めていた。
 『血と砂』を貼ってたんだから、『巌流』も貼るわよー、と、発売日に張り切って買ってきたさ。その日は「買った」という事実に満足して終わったけど、そろそろちゃんと壁に貼りましょう、床に置いていたら猫に上に乗られてつぶされちゃうわ、と、貼る予定の壁を見たら。

 そこに、もう壁はなかった。

 洋服掛けになってるさ……。
 ハンガーがたくさんぶらさがって、壁なんか見えなくなってるさ。

 部屋は日に日に狭くなる。

 どうしよう、ポスター貼るとこがないっ!!

 
 バナさんに会った。
 バナさんは、中学の同級生だ。

 信号待ちをしているとき、隣にいる女の人の顔をなんとなく見た。あれ?
「……バナさん?」
「ええっ? うわっ、ひさしぶり」

 最後に会ったのは、いつ?
 高校のとき?

 中学生だったわたしが、いちばん仲が良かったのがバナさんだ。
 演劇部で、彼女が部長、わたしが副部長。体育会系文化部だから、ジャージ姿で柔軟やら発声練習やらやっていた、相棒だ。
 バナさんはひとことで言うと「優等生」って感じの子だった。成績優秀、容姿端麗。理路整然、勤勉実直。リーダー気質でちょっと融通が利かない、でも天然入ってたりする愛すべきキャラクター。
 彼女が三田村邦彦のファンで、トークショーやらなんやら、ふたりで行ったなあ。この間なつかしく思い出していた、新撰組ドラマの『壬生の恋歌』も、ふたりで毎週たのしく見ていたなあ。

「何年ぶり? 今どうしてるの?」
 車がぶんぶん走る道路の脇で、思い出話に花が咲く。

 他のみんなはどうしてるんだろう。
 当時仲が良かったあの子たち。
 我が家は仲間たちのたまり場だった。わたしの狭い狭い部屋に、折り重なるようにして寝ていたねえ。

「で、あなたは今、第九の練習の帰り?」
 バナさんはさらりと言う。
 いや、わたしはヅカの前売りに並んできた帰りで……へ? なんで第九?

「『1万人の第九』、参加してるんでしょ? わたしも去年から参加してるの」
 たしかに参加してるけど、なんであなたが知ってるの?

「だから去年、プログラムで名前みつけたから」

 みつけた? プログラムで?
 ちょっと待て。

「1万人の寄せ書きのなかから、わたしを見つけたってことっ?!」

「ええ。あなたの字、独特だから。あら、緑野さん参加してるんだわ、ってわかった」

 20年会ってないのに、字でわかったんかい!!
 つーか、1万人だよ?! 1万人が寄せ書きしてる、あの米粒みたいな字で、わたしを見つけたってか!!

 プログラム、買ってるんだ。(わたしは買ったことない)
 寄せ書き、わざわざ読むんだ。(わたしは読んだことない)
 ……というツッコミも、同時にわき上がった。

「だってほら、去年が初参加だから」
 うれしくて、記念に買って、記念に熟読したらしい。
 それにしても……なんでわたしの名前を見つけちゃうのよ? 会場では会えないのに。(1万人だから、会えるわけない。他にも参加していることを知っていて、「会えたらいいね」と言いつつ会えない人が何人もいる)

 わたしの字、そんなに独特ですか?
 たしかに、わたしの本名は画数が極端に少なくて、縮小印刷したらそこだけ白く見えるかもしれないけど。
 20年ぶりに友人にばったり会ったこともびっくりだが、それ以上にびっくりだよ……。

 
 さて、問題です。

 あなたは生涯の伴侶になにを求めますか?
 これだけははずせない、という「理想」を3つだけ答えてください。

 2週間ぶりに会った第九トリオで、練習を早引きして入ったレストランにて、こんな話が出ました。

 まー、よくある心理テストらしい。
 出題者はあらっち。わたしときんどーさんは、笑いながらも考える。
 3つ? 3つねえ。

 わたしはとりあえず、「癒されること。ほっとできること」「外見」「話が合うこと」を上げた。
 きんどーさんは「やさしいこと」「外見」「声」。ここで声が入るあたり、フェチねえ(笑)。
 あらっちはなんと言ったかなー。忘れてしまった。
 だがとにかく「金」と言うヤツはひとりもいなかった。みんなこのトシまで独身で、理想が高いのか低いのか。夢を見ているのか現実的なのか。まあ、このトシまで独身なら、金は自分で稼いでるだろうから相手に求めないのかな。

 そこでさらに、問題です。

 あなたが先ほど上げた「理想」まんまの人が「2人」現れました。2人の差異はまったくありません。
 この同じ2人から、どちらかを選ぶ場合、「あとひとつ」なにがある方を選びますか。

 はあ? わかりにくいなあ。
 まったく同じ外見で、同じだけわたしと性格的にぴったり合っていて、一緒にいるとたのしくて話もはずみ、またほっとくつろげる人がふたりいるってこと?
 ここでわたしの頭の中には、ケロちゃんの顔をした背の高い男性が浮かびます。寿美礼ちゃんの顔とどっちにするか悩んだけど、今日はケロちゃん誕生日だし(はっぴーばーすでー、だーりん)、と、よくわかんない理由で決定。いや、純粋に顔だけでいうなら、男の子の顔としては、寿美礼ちゃんの顔がめちゃくちゃ好きなんだが……(女の顔としてはべつに好みじゃないけど、男としたら好きさ)。他に具体的な好みの顔も浮かばないし、ケロでイメージトレーニング。
 涼やかな笑顔を浮かべる、背の高いケロがふたり。どっちも「あいらびゅーん、こあら」と言っている。
 多少、頭痛のする光景だが……まあ、それは置くとして。
 このクローン人間ふたりのうち、どちらかを選ぶ場合、どういう付加価値があれば、どちらかに決めるかってことね?

「ちなみにあたしは、『家を建てられる人』って答えた」
 と、あらっち。
 おお、それはすばらしい答えだ。
「他にもいろいろ答える人がいたよ。ずはり『金』とか、『長男でないこと』とか、『笑いのツボ』とか」
 なるほど、3つの理想を全部満たした上での「あとひとつ」なら、みんな現実的なことになりますなー。

「んー、なんていうか、すいよせられるっていうか、そばにいたらこう、すうっとわかるっていうか」
 きんどーさんは、なにやらわけのわからないことを言っている。
 きんどーさんの「あとひとつ」はかなり感覚的だ。

 解答です。

 問題の「3つの理想」はこの際関係ありません。
 最後に加えた「あとひとつ」こそが、あなたが生涯の伴侶にほんとうの意味で求めていることなのです。

「これを言うとね、みんな大抵納得するよ」
 と、あらっち。いろんな人に質問して回ったようだ。
「あたしの『家を建てられる人』っていうのは、建ててもらうんじゃなくて、あたしもずっと働いていくつもりだし、一緒に力を合わせて家をつくっていくって意味だから」
 答えを聞いたとき、納得したんだって。
「そっかー、なるほどなー。そうだよね、わかる、うん。当たってるよ」
 きんどーさんはひとりで納得している。どうにも感覚的だ。

 さて、わたしの答えた「あとひとつ」は。

 目の前には、ふたりの背の高いケロが「あらびゅーん、こあら」と言って微笑んでいる。
 さあ、どちらのケロを選ぶ?

 わたしが、理想の彼に求める「あとひとつ」。
 それは、

「わたしを愛していること」

 だった。
 わたしのことを、より愛している方を選ぶ、と。

 あら、まあああ。
 答えを聞いてびっくり。
 わたしが「生涯の伴侶に求めるモノ」は、

 愛

 だったのですわーっ。
 ロマンチストぉぉおお!!

 答えを聞いて、爆笑してしまいました。
 求めるモノは、愛。
 いいねえ、緑野こあら、愛を求める人、だよ。外聞が非常によろしい(笑)。

 そして、一見美しい答えだが、その実利己的なことも、とてもツボに入った。

 そう、「愛」といってもだね。
 わたし「が」愛していること、ではなく、わたし「を」愛していること、なあたりが、べりぃなぁいす!!
 そのきれいごとっぷりが、実にわたしらしいです。

 さて、みなさんはいかがですか?

 
 なんか、なつかしい歌をいろいろ検索してみました。

 拒否権のない子どものころに、教師から命令されて歌っていた歌。

 いちばんひどかったのが、中学時代。
 わたしは中学のとき、音楽教育を受けさせてもらえなかった。
 わたしだけでなく、わたしの学年全部。

 もちろん科目に「音楽」はあった。
 あったけど、あれは授業じゃなかった。

 3年間ずーっと、音楽教師の子どもの話を聞かされてたんだよね(教師は持ち上がりだったから、3年間同じ人)。

 楽器も習わなかったし、楽譜の読み方も習わなかったし、レコード鑑賞もなかった。音楽史も作曲家の名前も知らない。
 ただひたすら、来る日も来る日も、せんせーの赤ちゃんの話を聞いていた。

 おかげで、高校に入ってから苦労したよ。
 中学生のときに習っていて当然のことを、なにも知らなかったから。
 中学で購入しているはずの楽器も、クラスでわたしひとりだけ持ってなかったし、触ったこともなかった。
 高校の音楽の先生に、「あなた中学3年間なにやってたの?」と真顔で質問されて、こまったよ。

 同じ中学出身の他の高校に行った友だちに愚痴ったら、
「音楽を選択するからいけないのよ。うちの中学出身の人は、音楽を選択しないものよ」
 と言われてさらにびっくりさ。
 そっか、うちの中学出身者は、高校の選択科目の枠が他の中学の人より少ないのか……当然だよな、教育受けてないもんな。
 ってしかし、うちの高校、音楽は選択じゃなくて必須科目だったんだよ。泣。

 中学時代の音楽の授業では、教科書を開くこともなかった。
 だから教科書に載っている歌はまったく知らない。

 中学3年間の音楽の授業でひたすら歌った歌は、

 『バラライカ』

 だった。

 おかげで、時折ものすごーくこの歌が聴きたくなる。歌いたくなる(笑)。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『バラライカ』。ああ、なつかしい。

 暗い暗い曲調で、生きる苦しみを歌う歌。
 4番まであるけど、3番まではただただ苦しみ。ひたすら苦しみ。とにかく苦しみ。
 呪うような感じで、「バラライカ」と繰り返す。
 4番でようやく、苦しみを乗り越えて生きよう、と歌う。しかし曲調は暗い呪い歌のまま。

 「苦しい仕事に疲れ果てて 帰って寝るだけ」だとか「着た切りすずめの貧乏暮らし 優しい言葉に いつも飢えている」とか、そんな歌だよ?
 これ、中学生に歌わせる意味があるのか?

 3年間、毎時間2回以上歌わされたんだけど?
 授業開始に1回、終わりに1回。声が小さいと、やりなおし。
 歌わされていない間はずーっと、せんせーの赤ちゃんが立ったの坐ったの喋ったのって話。

 今も、ノブヨ先生の呪うよーな暗い歌声が耳に残っているよ……。
 バラライカ、バラライカ……。

 あと忘れられないのが、『ポーリシュカ・ポーレ』。
 教科書に載っている『ポーリシュカ・ポーレ』は日本人が勝手に詩をつけただけの嘘の歌で、ほんとうの歌詞はチガウんだ、と言って、プリントが配られた。
 貧しい民衆が立ち上がって戦う歌だと教えられ、みんなで歌いました……。
 たしか教育実習生が指揮を執っていたと思うけど、その後ろでうなずいていたのが、ノブヨ先生。

 たしかに、教科書に載っていた美しい言葉ばかりの歌詞とはまったくちがい、血なまぐさい戦いを連想させる勇ましい歌だったよ。
 少し前に、アイドルドラマで『ポーリシュカ・ポーレ』が使われていることがあった。友人が「なんでロシア民謡が主題歌なのかしら」と言っていたので、「さあ? 戦いの歌だからじゃないの?」と答えておいたんだが、この認識は世界的に正しいのだろうか?

 なんにせよ、強烈に印象に残っている想い出の1曲であることには、ちがいない。

 ビバ、インターネット。
 ブラボー、インターネット。

 聞くことができたわ、『ポーリシュカ・ポーレ』。ああ、なつかしい。

 生きる苦しみの歌を毎時間歌い、戦う民衆の歌を熱唱する中学生たち。

 ……あー……なんであんなに偏った歌しか歌わせてもらえなかったんだ……。

 でもやっぱり、歌いたいなあ、『バラライカ』。
 カラオケに入ってないかなあ。
 世の中を呪うよーな暗い声で歌うのよー。もの悲しくされど力強く大きな声で歌うのよー。
 ストレス解消にいいかもしれない(笑)。

 
 「ろくまいそー」の謎は、あっけなく解けました。

 と、弟に報告したら、おどろかれたよ。
 わたし、昨日レストランで、弟に聞かせるために実際に歌ったんだけどな。
 そこでまったく謎だったのに、翌日には解けるなんて!

「すごいな、自分で調べたのか?」
 と言う弟に、

「いや、日記に書いたら教えてくれる人がいたの」

 と答えたら、ものすごーく怪訝なカオをされた。

「日記……? そんなとこに書いて、答えが?」

 そうよ。見知らぬ人がわざわざ、メールで教えてくれたのよ。
 弟には、わたしがwebで日記を書いている事実だけを教えてある。URLはもちろん教えてない。こんなにひんぱんに自分が登場しているなんて、夢にも思ってないだろう(笑)。

「ねーちゃんが日記を書いてるのはわかるけど、なんでそんな日記を知らない人が読んでるんだ?」

 有名人の日記とかならわかるけど、ただのその他大勢、一般人の日記を、友人知人以外が読むなんて、時間の無駄だだろう。
 ……と、弟は言う。

 あー、なんでもわたしの日記は、ヅカ関係の単語で検索に引っかかりまくるらしいのよ。
 そのせいじゃないかな。同じ趣味の人の日記なら、わたしだって読むし。

 と説明したら、弟も納得していた。
「これだからヅカファンは……」
 ってナニ? ナニか言いたいことがあるの、弟よ?

 検索といえば、殿さんに、
「ケロ トウコ 受 で検索したら、緑野さんの日記がいちばん上に出てきたのよ、反省しなさい(笑)」
 てな意味のことを言われたよ。
 そんなもんで検索する方もする方だと思うが。
 実際にやってみたら、ほんとにこの日記がいちばん上に来て、のけぞったね……。苦。

 それにしても、ここで日記書いてなかったら、一生抱えていたかもしれない謎が、とーっても簡単に解けてしまったわ……。

 『Rock my soul』、作詞者不詳の黒人霊歌。
 相反する概念が同時に存在する謎かけのような部分は、神様のことでした。
 あー、やはりキリスト様でしたか……。どーりで学校の友だちには通じなかったわけだ……。
 うちの小中学校では、レクリエーションで歌うことのない曲でした。

 Rock my soul in the bosom of Abraham,
 Oh, rock-a my soul
 主よ、我が魂を慰めたまえ
 おぉ、我が魂を

 だそーで。
 意味も元ネタも知らされないまま、口伝だったので、歌詞も踊り方も微妙にチガウ。ま、わたしの記憶がアヤしくなっているせいもあるし。

「中学校のキャンプとか林間学習とか、ひたすら山の歌、歌わされなかったか?」
「歌わされたよ。山男の歌ばっか、何曲も何曲も。あれ、ウメダ先生の趣味だよねえ」
「山を変質的に愛しているヤツが学年主任だったからな……迷惑な」
 3つちがいの姉弟は、当たった教師がほぼ同じだという不幸を抱えている(笑)。
 『雪山に消えたあいつ』とか、中学生が歌ってどうするんだ?

 と、そのまま子どものころレクリエーションで強制的に歌わされた歌、の話になってみたりな(笑)。

 ねえねえ、『雪山に消えたあいつ』って、全国津々浦々、どこの中学生でもキャンプで歌ったの?
 と、聞いてみたりする(笑)。答えは返るかしら?

 ここは広い広い世界の中の、小さな小さな場所。わたしのささやかな箱庭。
 こんな小さなわたしの囲った腕の中の世界で、大きな世界の人々から、答えがもらえたりするんだわ。
 ああ、なんてありがたいのかしら。
 それだけ「ろくまいそー」が有名だったってこと?
 たくさんの人が知っているから、わたしの日記にたどり着く確率が高かったってこと?

 ……つまり。

 ヅカホモ仲間募集中、という呼びかけに、ぜんぜん反応ないのは。

 それだけ、人口が少ないってことなのね……しょぼん。

 
 子どものころ、ガールスカウトに入っていた。
 なんで入っていたか、入っていてどうだったかは置くとして。

 あれからずっと、謎として抱えていることがある。

 今はどうだか知らないが、当時のわたしがいたガールスカウトでは、すべてが「口伝」だった。
 教科書なんてないし、紙に書いてあるものもなかった。
 規則も方法もちょっとしたことも、なにもかも、先輩から耳で聞いておぼえるのだ。
 もしくは、「見て覚えろ」てなもんで、みんながやっているのを見て、聞いて、自発的に自分で学ぶのだ。誰も先に教えてなんかくれない。「先輩から盗め」てなもんだ。
 昔の職人さんとか丁稚奉公とか、そんな感じ? わりと封建社会だった。規律とかいろいろ厳しかったしな。

 そして謎は、「口伝」ゆえに生まれた。

 ガールスカウトはキリスト教が根っこにある。
 わたしが聖書を読んだのも賛美歌を歌ったのも教会に入ったのも、みんなガールスカウトになってからだ。
 神と国家、なんて、八百万の神と同居している日本人の小学生が考えたこともない概念と向き合わさせられたりもした。
 今でも「約束」(誓いの言葉だな。活動のとき必ず声に出して宣誓するんだわ)を空で言えるけど、そこで「神と国」という言葉があることが、当時も理解できずにいたが、根っこにある宗教がちがったせいなんだよなー。

 さて、その異世界文化を根底に持つ団体において、子どもだったわたしはいろんな「歌」を習った。
 賛美歌も多かった。とーぜん、歌詞は現代語ではない。文語体だし、敬いまくった言い回しだから、なにを言っているのかさっぱりわからない。
 それらは「口伝」であったがゆえに、さらに呪文めいてくる。
 文字で書いてあってもきっと、なんのことかわからないだろうに、それを耳で聞いて覚えるんだ。
 さーっぱりだ。
 でもまあ、賛美歌はメロディが美しかったので、わけのわからない呪文を音だけなぞって、なんとなくいい気分にはなっていたっけ。

 賛美歌はすでに「呪文」の域にまで達していた。ので、謎にはならない。だってそもそも全部、わけがわからなかったもの。
 問題は、レクリエーションのときに歌う歌だ。
 これが、中途半端にわからないんだ。

 誰か、『ろくまいそー』という歌を知りませんか?

 キャンプなどで必ず歌ったのだけど、最後まで意味がわからなかった歌。
 そもそも、「ろくまいそー」って、ナニ?

 口伝だから、どんな字を書くのかわからない。
 ひとが歌っているのを聞いて、自分もまねて歌う。
 さすがに「ろくまいそー」と歌われる部分の意味がわからなくて、先輩に聞いたのだが、
「なにって、『ろくまいそー』は『ろくまいそー』よ。そう歌えばいいの」
 としか答えてくれなかった。先輩もたぶん、知らなかったのだ。先輩ったって、同じ小学生さ。理屈なんかなくても生きていける世代。
 なんせ口伝。耳で覚えて、後輩に伝えていく文化。
 元ネタなんか、わかるはずがない。

 『ろくまいそー』は三重奏で、主旋律パートが、

 高くてのぼれない 低くてくぐれない
 広くて泳げない 狭くてすすめない
 おお ろくまいそー

 と、歌う。細部はチガウかもしれんが、とにかく反対の概念が同時に存在するのが「ろくまいそー」というものらしい。
 主旋律を歌うグループは、振り付けがあるので踊らなければならない。

 第2のパートは、

 ろーくまーいそー
 ろーくまーいそー

 と、スローテンポで最初から最後まで同じ歌詞を歌う。

 第3のパートは、

 ろっくまいそっ、ろっくまいそっ

 と、アップテンポで最初から最後まで同じ歌詞を歌う。

 3つのメロディが重なり合ってはじめて、『ろくまいそー』という歌なのだ。

 ……なんなんですか、コレ?

 「ろくまいそー」部分は、もともとは英語かなんかじゃなかったのかな、と、今になって思うんだが。
 だけど口伝だし小学生なので、意味も発音も関係なく「ろくまいそー」と伝えられていった。

 ああ、謎だ。
 なまじ、他の部分がわかるだけに、肝心要の「ろくまいそー」だけわからないのが、気持ち悪いのよ、引っかかるのよ。

 あと、「しらかば林」ではじまる歌。
 これも中途半端に覚えていて、半端に謎で、気持ち悪いの。

 しらかば林ウーラのすみか
 大鹿の群 彷徨う
 (途中失念)……いつか
 うんばらいーやだ うんぱっぱ
 うんばらいーやだ うんぱっぱ

 ウーラってナニ?
 でもって、最後の「うんぱらいーやだ うんぱっぱ」ってナニ?!

 当時、誰に聞いても正しい歌詞なんかわからず、音だけで「うんばらいーやだ うんぱっぱ」って歌えって言われてたんだもん。

 謎。
 ずーっと、謎。
 ガールスカウト活動当時も、そして退団したのちもずーっと謎のまま。

 わたしが一生抱えていく謎なのかしら。

 同時期にボーイスカウト(正確にはカブスカウト)に属していた弟に聞いたんだが、彼もまったく知らないと言う。
 ボーイとガールでは、まったく活動内容がちがったしなあ。当時は子どもの数が多かったからか、ボーイとガールはまったくの別組織別活動だったし。今たまに、男女入り交じっているボーイスカウトらしき人々とか目にして、違和感持つくらいに。

「カブスカウトのおかげで、当時キリスト教にはものすごい苦手意識を植え付けられたよ」
 と、弟は苦笑しつつ言う。
 なんの予備知識もない、神も仏もごった煮感覚のふつーのガキに、突然キリスト様はきつかったらしい。
 公立の小学校に入学したつもりが、実はそこはばりばりのミッション・スクールで、朝から教会で礼拝しなければならない世界だった、てなカルチャーショック。周囲には洗礼名を持った人たちがごろごろ。
 わたしも、アレにはおどろいた……宗教なんてそれまで意識したことなかったからなあ(笑)。

 よっぽど肌に合わなかったのか、弟はすぐに退団してしまったんだ。
 わたしはなんとなーく、ずるずると数年いたけど(洗礼は受けなかったっす)。

 制服はよりによってワンピースにベレー帽でねえ……。
 成長のいいわたしは、制服がすぐに小さくなって大変だったよ。ワンピースはお直ししにくいんだってば。
 膝丈が規則なのに、折り返し部分を全部出してなお、パンツがぎりぎり見えないくらいの超ミニになってしまった制服で、活動してたなー、わたし。

 またしても弟と近所のレストランでメシ食ってたんですが。
 どっからそうなったのか、本日の話題はガールスカウト時代のことだったりしました。

 ああ……。
 「ろくまいそー」って、ナニ〜〜っ?!

  
 ヘコんでおります。

 『太陽の塔特別公開』の抽選に、はずれました……。

 しばらくは引きずって、後ろ向きでいると思います。
 心の底から求めていたって、望んでいたって、世の中は思い通りになんかならないのです。
 ついでに金もないので、運を金で買うこともできないのです。
 無力な自分がすべて悪いのです。

 と、ひねくれて星をにらんでおります。

 花全ツをあきらめて、太陽の塔を観に行く予定だったのに。
 全ツに行けってこと?!

 
 友人諸氏にWHITEちゃんの捜し方を教えよう。

 昨日の伊藤園貸切のとき、座席抽選をするためにWHITEちゃんは一足先に列に並んでいた。
 なんで早くからひとりで並んでいたかというと、朝からムラにいたせい。午前公演のチケットをさばいていたんだって。

 わたしは座席抽選開始時刻の30分前にはムラに到着したんだけど、そのときすでに長蛇の列ができていた。

 長蛇の列で、ひとを捜すのは大変だ。
 しかも、列の人たちはみんな前を向いて並んでいる。最後尾のあるエントランスから入ると、並んでいる人たちの後ろ姿ばかりがつらなっているわけだな。
 このなかからひとりを捜すのは、大変だよね?

 しかもWHITEちゃん、小さいし。
 いつも、人混みに埋没してる。

 わたしなんかはひとよりでかいため、とても見つけやすいらしい。
 梅田の並びのときなんか、Be-Puちゃんは、
「緑野さんを待ち合わせ“場所”にしよう」
 などと失礼なことを真顔で言ってくれたよ。
 わたしは電信柱か? 看板か?

 わたしのことはともかく、小さなWHITEちゃんの捜し方。

 鞄を探そう。

 WHITEちゃんはいつも必ず、同じ鞄を持っている。

 気に入ったモノはとことん使う性格なんだろう。
 一度鞄を買うと、次の鞄を買うまでずーーーーっと、同じ鞄しか使わないのだ。
 もう1年以上、彼女はいついかなるときも同じ鞄しか持っていない。
 どこへ行くときも、なにをするときも同じ鞄だ。
 どんな服でもどんな靴でも、夏でも冬でも、同じ鞄だ。
 旅行のときですら、巨大な旅行鞄とは別に、いつもの鞄を持っていた。
 TPOなど、彼女には存在しない。いつも、同じ鞄だ。

 今の鞄を買う前も、やはりひとつの鞄をなにがなんでも使い続けていた。目的に合わせて替えるということはしない。
 ひとつの鞄が古くなって使いづらくなるなりしてから、新しいモノに買い換える。そして、そのたったひとつを使い続ける。別の鞄を買うまで、替えられることはない。

 だから、鞄を探そう。
 いつもWHITEちゃんが肩からかけている、あの鞄。
 どんなにたくさん人が並んでいても、背中しか見えなくても、関係ない。
 あの大きな鞄を探せばいいのさ。

 最近はコレで、小さなWHITEちゃんもばっちり捜せるよ。
 後ろからでも声をかけられるよ。

 WHITEちゃんの捜し方。
 これで、次の月組の並びでも、簡単にWHITEちゃんが捜せるぞっ。

 でも、わたしが日記で書いていたことは秘密にしてね(笑)。

  
 発見したことがある。
 昨日、電車の女性専用車に乗っていたときのことだ。

 わたしは、つり革につかまって立っていた。
 なにをするでもなく、車内を見回した。

 そのときに、ひらめいたのだ。

 世の中の女性の大半は、つり革に頭をぶつけることがない!!

 がーーーーーん。

 ショックだった。

 その日のわたしにとって、つり革は「顔の横で持つモノ」だった。
 しかし女性専用車では、誰ひとり顔の横でつり革を持っている人間がいなかったのだ!
 みんなみんな、頭の上で持っている!

 頭の上ってことはナニ、みんな、つり革に頭ぶつけないの?!
 あの痛みを知らないの?!

 ジーザス!
 神様、わたしだけなんですか、今この瞬間、つり革が凶器になり得る女は。

 この大発見を、今日弟に話した。

「知ってる? ふつーの女の人はね、つり革に頭をぶつけることがないのよ?」
「つり革は、ぶつかるだろう、ふつう」
「ぶつかるよねえ? 額にクリーンヒットしたときの激痛と、快音。ぶつかったら、目から火花出るよねえ?」
「つり革は危険だ。常識だ」

 弟もあったりまえにつり革の危険性と痛みを知っていた。
 つーか、すべての大人は知っていて当然だと思ってたんだもの。昨日発見をするまで。

 電車によってつり革の高さはチガウから、いつかどこかで、みんな味わっている……よね?

 みんな、つり革の痛みを知ってる?
 
 

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