虹を見た人。@1万人の第九
2004年12月5日 その他 毎年恒例、こーなりゃすでに年中行事だ、の、『1万人の第九』の日でした。
毎年爆睡こいてるあらっちは準備万端、席が決まるなり足元に紙を敷き、そこに持参したスリッパを出した。
「だって、疲れない? 靴履いたままだと」
今年も熟睡するつもり満々だ。
「クラシック音楽はやっぱり、癒しの音楽よね。よく眠れるわ」
「オーケストラの生演奏を子守歌にするなんて、とびきりの贅沢よねえ」
「これで座席がリクライニングだと言うことないんだけど」
どこまで本気かわからない会話をしつつ、今年も素敵にコンサート。
わたしはたしか今年で6回目の参加だけど、なにしろケロちゃんがらみでレッスンに最後の2回続けて参加できなかった。
例年よりさらに練習不足が祟っている感じ。
なのになんでだろ。
すごーく、声の調子がよかった。
あれー? なんか気持ちいいぞー。
機嫌良く歌えちゃうぞ。
や、もちろんわたしは、中学のとき音楽教師に「音痴」だとレッテルを貼られた音楽的才能欠如人間っす、本人が気持ちよくても下手っぴなのは変えようのない事実だが。
音痴は音痴なりに、「なんか気持ちよくない」と「おおっ、今日は調子がいいぞ」ってのがあるんだわ。
不思議なことに今日は、声も気持ちもノリノリだった。
リハではとても自然に笑っていた。
「歓喜の歌」を歌いながら、微笑んでいる。
たのしい。
なんかしんないけど、たのしい。
でもって本番では。
なんでだー。
泣けてきたー。
ラストのハイスピード、ざいとぅむしゅるんげん、が、泣けて歌えないー。なんでだー。
踊り出しそうな声を引き締めて、クライマックス、ふろいでしぇーねるげってるふんけん。
ぜえぜえ。なんかすっげえ消耗してる。
なにがどうじゃないんだけど。
年を経るごとに、合唱席の温度が上がっているのがわかるんだな。
舞台の上から、えらい先生が指示をする、合唱席のわたしたちは黙ってソレに従う。
が、去年あたりから、双方向性になっている。
合唱席から、声が挙がる。舞台にいるせんせーへ、「**は**だから、**してください」と、要望が出る。
場所は城ホールだ。タカラヅカファンなら知っているだろう、大運動会のあったあの広大な空間。あのスタンド席から、アリーナ中央へ向かって、個人が意見を叫ぶんだぜ。
声を聞いたせんせーや、スタッフがそれに応えてすぐさま動くんだ。
「テノールからは**が**で見えません、なんとかしてください」
という声が挙がり、先生たちが困惑していると、
「アルトからはそんなことありません、大丈夫です」
と声が挙がる。
「それよりも**が**でこまります」
と、ソプラノから声が挙がる。
なにがどうじゃないんだけど。
受動態じゃない。みんなが、「参加している」。
コンサートの間、演奏が途切れるたびに、会場内から咳が聞こえるんだよね。
途切れる、つーのは、まさに曲と曲の間、だ。
みんな、演奏中は必死で咳を我慢してるんだ。こんな季節だもん、風邪の人は多かろう。でもオーケストラの演奏中は静まりかえってるの。
そして、曲が終わると途端に咳。ごほんごほん。
なにがどうじゃないんだけど。
咳を飲み込んで、つらいだろーにそれでも音楽に聴き入ってるんだよなあ、とか思うとな。
第4楽章がはじまるなり、合唱席に走る緊張。近づいてくる足音に耳を澄ますような。
打ち鳴らされるティンパニ、照らされるライト、ざっ、と音がする一斉に立ち上がる瞬間。
わたしの席は指揮台のほぼ真正面、限りなくてっぺんに近い通路際。
なにもかも「見える」気がする。
なにがどうじゃないんだけど。
美しいと思うの。この、「すべてのひとが、ひとつになった」光景。
最初に声を出すのは男性陣。
わたしたちの席の真下。
黒スーツに蝶ネクタイのおじさん・おじいさんたちが、一途に指揮者を見つめて最初のフレーズを歌う。
「ふろいで!」
歓喜の歌。
なにがどうじゃないんだけど。
その背中が、声と共に大きく震えることなんかが。
音を、音楽を聴いているわたしと、次の歌詞を確認しているわたし、歌っているわたし、会場内を見回しているわたし、なんか他のことを考えているわたし、が、すべて同時に存在している。
なんか、前のめりに倒れそうだな。
高所恐怖症の人は、つらいんじゃないか、こんな高い位置に立つの。あ、わたしが通路にはみ出て歌ってるせい? だって座席は狭いしな。てか、わたしの身長のせいか? 他の人たちはみんな高い位置まで前の列の背もたれがきているけど、わたしにはなんか、ものすげー低く感じるし。
コケたら最後、一番下まで転げ落ちそうだな。てゆーか、倒れるなよわたし。
なにがどうじゃないんだけど。
自分の背が、いつもより高いような、世界が低いところに広がっているような気がして。
こんなに、視界はクリアーだったかな?
こんなに、なにもかも見えたかな?
指揮者、オーケストラ、ソプラノ、アルト、テノール、バス、ソリスト、観客席、招待席。
会場内が、まるっと全部、見えている。
音が聞こえる。各パートの歌声。
どきどきしてる。
前のめりに転がりそうだぞ。
すげーどきどきしてる。
そして、泣けてきた。
やべえ。
気を引き締めて、最後まで。
音が切れた瞬間の断絶感、そして、拍手までの空白。
拍手。
拍手か。
360度の拍手。
合唱席も観客席も、全員だ。
抱きあう指揮者と演奏者たち。
あー、佐渡せんせ、ふるふるしてるー。ソプラノパートで一緒に歌ったユンソナは、泣いている。
わたしたちは、拍手拍手、ただ拍手。
みんな、声出すんだよなあ。佐渡せんせが退場するときに合唱席の近くに来ると、「おおーっ」て声が挙がるの。
拍手だけじゃなくてさ。
双方向なんだよな。与えて、与えられて、返して、返されて。
なにがどうじゃないんだけど。
なんつーかすげえ、ありがたい空間と、ありがたい時間を得たんじゃないかと、思うんだ。
ティンパニ奏者の人は、3年連続参加のウィーン交響楽団とやらの人。彼は去年のこの『1万人の第九』が終わったときに、佐渡せんせに言ったらしい。
「子どものころ、はじめて虹を見たときのようだ」
と。
わたしはティンパニのこともなにも知らないんだが、音あわせのときって、ティンパニに耳をつけるよーにして調律するものなのかな?
見るたびに、彼は大きなティンパニに、耳をつけるように覆い被さっていた。
「ねえほら見て、ティンパニの人。あんなふうにして、音を合わせるもんなの?」
わたしが聞くと、隣の席のきんどーさんは、
「ああ、あの虹を見た人?」
と、返し、「ほんとだー、あんなふうにして調律するのかなあ」と、同じように無邪気に言った。
虹を見た人。
なんかすごく、ロマンなふたつ名だな(笑)。だってわたしたち、何度紹介されても外国のえらい奏者だという彼らの名前、おぼえられないし。
名前がわからないなら、わたしたちだけで通じる別の名前が必要。
毎年自分の出番までは爆睡しているあらっち。スリッパまで持参のあらっち。
「なんでだろう。今年はずっと起きていたわ」
君も、虹を見たのかな。
<…
毎年爆睡こいてるあらっちは準備万端、席が決まるなり足元に紙を敷き、そこに持参したスリッパを出した。
「だって、疲れない? 靴履いたままだと」
今年も熟睡するつもり満々だ。
「クラシック音楽はやっぱり、癒しの音楽よね。よく眠れるわ」
「オーケストラの生演奏を子守歌にするなんて、とびきりの贅沢よねえ」
「これで座席がリクライニングだと言うことないんだけど」
どこまで本気かわからない会話をしつつ、今年も素敵にコンサート。
わたしはたしか今年で6回目の参加だけど、なにしろケロちゃんがらみでレッスンに最後の2回続けて参加できなかった。
例年よりさらに練習不足が祟っている感じ。
なのになんでだろ。
すごーく、声の調子がよかった。
あれー? なんか気持ちいいぞー。
機嫌良く歌えちゃうぞ。
や、もちろんわたしは、中学のとき音楽教師に「音痴」だとレッテルを貼られた音楽的才能欠如人間っす、本人が気持ちよくても下手っぴなのは変えようのない事実だが。
音痴は音痴なりに、「なんか気持ちよくない」と「おおっ、今日は調子がいいぞ」ってのがあるんだわ。
不思議なことに今日は、声も気持ちもノリノリだった。
リハではとても自然に笑っていた。
「歓喜の歌」を歌いながら、微笑んでいる。
たのしい。
なんかしんないけど、たのしい。
でもって本番では。
なんでだー。
泣けてきたー。
ラストのハイスピード、ざいとぅむしゅるんげん、が、泣けて歌えないー。なんでだー。
踊り出しそうな声を引き締めて、クライマックス、ふろいでしぇーねるげってるふんけん。
ぜえぜえ。なんかすっげえ消耗してる。
なにがどうじゃないんだけど。
年を経るごとに、合唱席の温度が上がっているのがわかるんだな。
舞台の上から、えらい先生が指示をする、合唱席のわたしたちは黙ってソレに従う。
が、去年あたりから、双方向性になっている。
合唱席から、声が挙がる。舞台にいるせんせーへ、「**は**だから、**してください」と、要望が出る。
場所は城ホールだ。タカラヅカファンなら知っているだろう、大運動会のあったあの広大な空間。あのスタンド席から、アリーナ中央へ向かって、個人が意見を叫ぶんだぜ。
声を聞いたせんせーや、スタッフがそれに応えてすぐさま動くんだ。
「テノールからは**が**で見えません、なんとかしてください」
という声が挙がり、先生たちが困惑していると、
「アルトからはそんなことありません、大丈夫です」
と声が挙がる。
「それよりも**が**でこまります」
と、ソプラノから声が挙がる。
なにがどうじゃないんだけど。
受動態じゃない。みんなが、「参加している」。
コンサートの間、演奏が途切れるたびに、会場内から咳が聞こえるんだよね。
途切れる、つーのは、まさに曲と曲の間、だ。
みんな、演奏中は必死で咳を我慢してるんだ。こんな季節だもん、風邪の人は多かろう。でもオーケストラの演奏中は静まりかえってるの。
そして、曲が終わると途端に咳。ごほんごほん。
なにがどうじゃないんだけど。
咳を飲み込んで、つらいだろーにそれでも音楽に聴き入ってるんだよなあ、とか思うとな。
第4楽章がはじまるなり、合唱席に走る緊張。近づいてくる足音に耳を澄ますような。
打ち鳴らされるティンパニ、照らされるライト、ざっ、と音がする一斉に立ち上がる瞬間。
わたしの席は指揮台のほぼ真正面、限りなくてっぺんに近い通路際。
なにもかも「見える」気がする。
なにがどうじゃないんだけど。
美しいと思うの。この、「すべてのひとが、ひとつになった」光景。
最初に声を出すのは男性陣。
わたしたちの席の真下。
黒スーツに蝶ネクタイのおじさん・おじいさんたちが、一途に指揮者を見つめて最初のフレーズを歌う。
「ふろいで!」
歓喜の歌。
なにがどうじゃないんだけど。
その背中が、声と共に大きく震えることなんかが。
音を、音楽を聴いているわたしと、次の歌詞を確認しているわたし、歌っているわたし、会場内を見回しているわたし、なんか他のことを考えているわたし、が、すべて同時に存在している。
なんか、前のめりに倒れそうだな。
高所恐怖症の人は、つらいんじゃないか、こんな高い位置に立つの。あ、わたしが通路にはみ出て歌ってるせい? だって座席は狭いしな。てか、わたしの身長のせいか? 他の人たちはみんな高い位置まで前の列の背もたれがきているけど、わたしにはなんか、ものすげー低く感じるし。
コケたら最後、一番下まで転げ落ちそうだな。てゆーか、倒れるなよわたし。
なにがどうじゃないんだけど。
自分の背が、いつもより高いような、世界が低いところに広がっているような気がして。
こんなに、視界はクリアーだったかな?
こんなに、なにもかも見えたかな?
指揮者、オーケストラ、ソプラノ、アルト、テノール、バス、ソリスト、観客席、招待席。
会場内が、まるっと全部、見えている。
音が聞こえる。各パートの歌声。
どきどきしてる。
前のめりに転がりそうだぞ。
すげーどきどきしてる。
そして、泣けてきた。
やべえ。
気を引き締めて、最後まで。
音が切れた瞬間の断絶感、そして、拍手までの空白。
拍手。
拍手か。
360度の拍手。
合唱席も観客席も、全員だ。
抱きあう指揮者と演奏者たち。
あー、佐渡せんせ、ふるふるしてるー。ソプラノパートで一緒に歌ったユンソナは、泣いている。
わたしたちは、拍手拍手、ただ拍手。
みんな、声出すんだよなあ。佐渡せんせが退場するときに合唱席の近くに来ると、「おおーっ」て声が挙がるの。
拍手だけじゃなくてさ。
双方向なんだよな。与えて、与えられて、返して、返されて。
なにがどうじゃないんだけど。
なんつーかすげえ、ありがたい空間と、ありがたい時間を得たんじゃないかと、思うんだ。
ティンパニ奏者の人は、3年連続参加のウィーン交響楽団とやらの人。彼は去年のこの『1万人の第九』が終わったときに、佐渡せんせに言ったらしい。
「子どものころ、はじめて虹を見たときのようだ」
と。
わたしはティンパニのこともなにも知らないんだが、音あわせのときって、ティンパニに耳をつけるよーにして調律するものなのかな?
見るたびに、彼は大きなティンパニに、耳をつけるように覆い被さっていた。
「ねえほら見て、ティンパニの人。あんなふうにして、音を合わせるもんなの?」
わたしが聞くと、隣の席のきんどーさんは、
「ああ、あの虹を見た人?」
と、返し、「ほんとだー、あんなふうにして調律するのかなあ」と、同じように無邪気に言った。
虹を見た人。
なんかすごく、ロマンなふたつ名だな(笑)。だってわたしたち、何度紹介されても外国のえらい奏者だという彼らの名前、おぼえられないし。
名前がわからないなら、わたしたちだけで通じる別の名前が必要。
毎年自分の出番までは爆睡しているあらっち。スリッパまで持参のあらっち。
「なんでだろう。今年はずっと起きていたわ」
君も、虹を見たのかな。
<…
クラス分けってのは、けっこー教師の自由になるもんなんだな、と思った小学5年生の春。
わたしの通っていた小学校は、2年ごとにクラス替えがあった。新入学のときと3年生のときと5年生のとき。
4年生も半ばを過ぎれば、わたしたち児童の間ではクラス替えの話題がことあるごとに出ていた。4年生といえばもうオトナと同じ社会生活基盤と意識ができている。林間・臨海学習や修学旅行などのある高学年のクラス分けがどうなるかは重要事項だ。女の子はすでに愛だ恋だとやっているだけに、好きな男の子と同じクラスになれるかは人生を分けるくらいの出来事だしな。
わたしも、どーしても同じクラスになりたい子がいた。親友にも打ち明けたことがなかったが、好きな男の子がいたんだ。その子と、同じクラスになりたかった。どーしても、なりたかった。
ついでに、今現在の担任教師も大好きだったので、わたしとしては「アズマくんと同じクラスで、担任がヨシチカ先生」が理想だった。親友と同じクラスになることは、二の次だった。……ひでー女だ(笑)。
4年生の1年間は、わたしにとって最高の時間だった。好きな男の子がいて、その男の子といちばん仲のいい女子はわたしで、大好きな先生がいて、その先生はわたしのことを気に入ってくれていて。クラス替えなんかなく、このまま卒業まで過ごせればいいのに、と、切実に思っていた。
そんなとき、教壇で1枚の紙を見つけた。先生の筆跡で、わたしたちクラス全員の名前が五つのグループに分けられている。
「クラス分け表だ!」
わたしたちは誰ともなしにそう言い出して、大騒ぎになった。
すぐに、やってきた先生にその紙は取り上げられてしまったけれど。先生は「これは、次の理科の実験のグループ分けだ」って言っていたけど。
わたしは、願っていた。希望し、また半分確信していた。
あれって絶対、クラス分け表だ。
だって、わたしとアズマくんが同じグループだったもの。来年はあの通りのクラスになるんだ。なるんだってば! ならなきゃやだ。
……結果。
5年生でわたしはほんとーに、アズマ君と同じクラスになった。ついでに、担任もヨシチカ先生だった。
見回せば、あのときちらりと見た紙に書いてあった通りのメンバーが同じクラスになっている。
やっぱりアレって、クラス分け表だったんじゃん。そう思ったけれど、口には出さなかった。半年も前に一瞬見た紙切れのことなんて、もう誰も口にしてなかったし。
てゆーか。
「言ってはならないこと」な気がした。
だって、同じクラスになった子たちは、わたしやアズマ君も含め、みーんなヨシチカせんせーのお気に入りの児童だったんだもん。
仲のいい子とばかり同じクラスになれたわ、ラッキー。というより、わたしが仲がよかった子って大抵、ヨシチカ先生と仲がよかったんだよな。先生大好きで、彼を囲んできゃーきゃーやっていた。ヨシチカ先生のいちばんのお気に入りはアズマ君で、次がわたしぐらいの順番だった、と思う。アズマ君は性格で先生に気に入られていたし、わたしの場合は、わたし個人以前に、ヨシチカ先生とわたしの親が仲良しだったんだわ。
ヨシチカ先生……思いっきり、私情で受け持ち児童選んでないか……?
まあ、全部でクラスは5つあったわけだから、5分の1の児童をお気に入りで固めたところで、残りは全部知らないよそのクラスだった子たちが来るわけだから、それほど大きな問題ではないのかもしれない。
てゆーか、それぞれの先生たち、みんな同じようにやっていたのかも? わたしたち児童にとってもクラス替えは死活問題だったけど、先生にとってもものすげー大変なことだったと思う。どの児童を受け持つのかは。
自分で選べる5分の1だけでも、気心の知れたお気に入りの児童で固めなきゃ、残りの5分の4のはじめて出会う児童たちに適切なケアができなかったのかも。わたしたちのことは、ある程度放っておいても大丈夫だもんな。
今となっては、そーゆー事情もわかる。
でも当時は、共犯者の気分だったよ、ヨシチカせんせー。
お気に入りの子だけで固めたでしょ、せんせ。あのとき見た紙、あれってクラス分け表だったでしょ。わたし、知ってるんだから。
わたしはせんせを好きだし、なによりアズマ君と同じクラスになれたから、なにも言わないけどね。秘密にしておくけどね。
気分は共犯者。
あれから軽く四半世紀。
学校でいちばんハンサムで人気のあったのっぽのヨシチカ先生は、太りもせずハゲもせず、ハンサムなまま年をとり、長身でロマンスグレーなおじさまになった。
白髪になるのが早かったせいで、それほどの年じゃないだろうに、今じゃすっかりおじーさんって感じ。いくつかの小学校に転勤し、校長までつとめたあと、今は悠々自適な生活。
「ああ、こあら君、合同レッスンには行ったの?」
そして相変わらずうちの親と仲がいいので、ちょくちょく我が家に顔を出す。わたしが生まれる前からのつきあいだもんなあ。
「あー、昨日行きました」
「昨日? 僕も昨日だったんだよ! 会えなかったね」
先生も「1万人の第九」に毎年参加しているもんで、この季節に会うと必ずその話になる。
「わたしは4時の回でしたから」
「えー? 僕はその前の回だったよ」
合同レッスンは10回に分かれてるんですってば。同じ回なわけないっすよ。
「毎年参加しているのに、一度も会えないね。どこのクラスか、パンフレットを見ればわかるけど、こあら君はどこに載っていたの?」
「知りません。パンフレット、買ってないですから」
「ええっ、なんで買わないの?」
「だって高いもん」
「ビデオは?」
「買ったことないです」
「ええっ? ふつー買うでしょ?」
「わたしの周りも誰も買ってないですよー」
「じゃあ見たことないの? 毎年?」
「ないです」
「よし、それじゃ僕が貸してあげるよ。今から取ってくるから」
「え? えーと……ありがとうございます」
でもせんせー、わたしこれからタカラヅカに行くんですよ。今から出かけるから、こんな格好してるんですってば。せんせ、聞いてます?
大好きだった先生は、昔と変わらない笑顔で自転車で疾走していく。すっかり白くなった髪、目尻のシワ。誰よりも背が高かった、遠く大きく見上げていた人なのに、「こあら君、あんまり僕と身長変わらないね」なんて「せんせソレ失礼。むきっ」なことを言ってしまうよーになっちゃった。せんせ、絶対身長縮んだよ。わたしが大きすぎるわけじゃないよ。
大好きだったアズマ君は、転校してしまってそれっきり。今ごろどうしているのかな。ちなみにアズマ君は、わたしよりずーっと背が低かったんだよなあ。おかげでわたしは長い間、身長にコンプレックス持ったままだった。
時は流れて、人は変わって。
「こあら君、お母さんのお手伝いしなきゃダメだよ」
それでもヨシチカ先生は、小学生のわたしに話したのと同じように話す。
どれだけなにが変わろうとも。
ヨシチカ先生はわたしの先生で、密かな共犯者だ。
わたしの通っていた小学校は、2年ごとにクラス替えがあった。新入学のときと3年生のときと5年生のとき。
4年生も半ばを過ぎれば、わたしたち児童の間ではクラス替えの話題がことあるごとに出ていた。4年生といえばもうオトナと同じ社会生活基盤と意識ができている。林間・臨海学習や修学旅行などのある高学年のクラス分けがどうなるかは重要事項だ。女の子はすでに愛だ恋だとやっているだけに、好きな男の子と同じクラスになれるかは人生を分けるくらいの出来事だしな。
わたしも、どーしても同じクラスになりたい子がいた。親友にも打ち明けたことがなかったが、好きな男の子がいたんだ。その子と、同じクラスになりたかった。どーしても、なりたかった。
ついでに、今現在の担任教師も大好きだったので、わたしとしては「アズマくんと同じクラスで、担任がヨシチカ先生」が理想だった。親友と同じクラスになることは、二の次だった。……ひでー女だ(笑)。
4年生の1年間は、わたしにとって最高の時間だった。好きな男の子がいて、その男の子といちばん仲のいい女子はわたしで、大好きな先生がいて、その先生はわたしのことを気に入ってくれていて。クラス替えなんかなく、このまま卒業まで過ごせればいいのに、と、切実に思っていた。
そんなとき、教壇で1枚の紙を見つけた。先生の筆跡で、わたしたちクラス全員の名前が五つのグループに分けられている。
「クラス分け表だ!」
わたしたちは誰ともなしにそう言い出して、大騒ぎになった。
すぐに、やってきた先生にその紙は取り上げられてしまったけれど。先生は「これは、次の理科の実験のグループ分けだ」って言っていたけど。
わたしは、願っていた。希望し、また半分確信していた。
あれって絶対、クラス分け表だ。
だって、わたしとアズマくんが同じグループだったもの。来年はあの通りのクラスになるんだ。なるんだってば! ならなきゃやだ。
……結果。
5年生でわたしはほんとーに、アズマ君と同じクラスになった。ついでに、担任もヨシチカ先生だった。
見回せば、あのときちらりと見た紙に書いてあった通りのメンバーが同じクラスになっている。
やっぱりアレって、クラス分け表だったんじゃん。そう思ったけれど、口には出さなかった。半年も前に一瞬見た紙切れのことなんて、もう誰も口にしてなかったし。
てゆーか。
「言ってはならないこと」な気がした。
だって、同じクラスになった子たちは、わたしやアズマ君も含め、みーんなヨシチカせんせーのお気に入りの児童だったんだもん。
仲のいい子とばかり同じクラスになれたわ、ラッキー。というより、わたしが仲がよかった子って大抵、ヨシチカ先生と仲がよかったんだよな。先生大好きで、彼を囲んできゃーきゃーやっていた。ヨシチカ先生のいちばんのお気に入りはアズマ君で、次がわたしぐらいの順番だった、と思う。アズマ君は性格で先生に気に入られていたし、わたしの場合は、わたし個人以前に、ヨシチカ先生とわたしの親が仲良しだったんだわ。
ヨシチカ先生……思いっきり、私情で受け持ち児童選んでないか……?
まあ、全部でクラスは5つあったわけだから、5分の1の児童をお気に入りで固めたところで、残りは全部知らないよそのクラスだった子たちが来るわけだから、それほど大きな問題ではないのかもしれない。
てゆーか、それぞれの先生たち、みんな同じようにやっていたのかも? わたしたち児童にとってもクラス替えは死活問題だったけど、先生にとってもものすげー大変なことだったと思う。どの児童を受け持つのかは。
自分で選べる5分の1だけでも、気心の知れたお気に入りの児童で固めなきゃ、残りの5分の4のはじめて出会う児童たちに適切なケアができなかったのかも。わたしたちのことは、ある程度放っておいても大丈夫だもんな。
今となっては、そーゆー事情もわかる。
でも当時は、共犯者の気分だったよ、ヨシチカせんせー。
お気に入りの子だけで固めたでしょ、せんせ。あのとき見た紙、あれってクラス分け表だったでしょ。わたし、知ってるんだから。
わたしはせんせを好きだし、なによりアズマ君と同じクラスになれたから、なにも言わないけどね。秘密にしておくけどね。
気分は共犯者。
あれから軽く四半世紀。
学校でいちばんハンサムで人気のあったのっぽのヨシチカ先生は、太りもせずハゲもせず、ハンサムなまま年をとり、長身でロマンスグレーなおじさまになった。
白髪になるのが早かったせいで、それほどの年じゃないだろうに、今じゃすっかりおじーさんって感じ。いくつかの小学校に転勤し、校長までつとめたあと、今は悠々自適な生活。
「ああ、こあら君、合同レッスンには行ったの?」
そして相変わらずうちの親と仲がいいので、ちょくちょく我が家に顔を出す。わたしが生まれる前からのつきあいだもんなあ。
「あー、昨日行きました」
「昨日? 僕も昨日だったんだよ! 会えなかったね」
先生も「1万人の第九」に毎年参加しているもんで、この季節に会うと必ずその話になる。
「わたしは4時の回でしたから」
「えー? 僕はその前の回だったよ」
合同レッスンは10回に分かれてるんですってば。同じ回なわけないっすよ。
「毎年参加しているのに、一度も会えないね。どこのクラスか、パンフレットを見ればわかるけど、こあら君はどこに載っていたの?」
「知りません。パンフレット、買ってないですから」
「ええっ、なんで買わないの?」
「だって高いもん」
「ビデオは?」
「買ったことないです」
「ええっ? ふつー買うでしょ?」
「わたしの周りも誰も買ってないですよー」
「じゃあ見たことないの? 毎年?」
「ないです」
「よし、それじゃ僕が貸してあげるよ。今から取ってくるから」
「え? えーと……ありがとうございます」
でもせんせー、わたしこれからタカラヅカに行くんですよ。今から出かけるから、こんな格好してるんですってば。せんせ、聞いてます?
大好きだった先生は、昔と変わらない笑顔で自転車で疾走していく。すっかり白くなった髪、目尻のシワ。誰よりも背が高かった、遠く大きく見上げていた人なのに、「こあら君、あんまり僕と身長変わらないね」なんて「せんせソレ失礼。むきっ」なことを言ってしまうよーになっちゃった。せんせ、絶対身長縮んだよ。わたしが大きすぎるわけじゃないよ。
大好きだったアズマ君は、転校してしまってそれっきり。今ごろどうしているのかな。ちなみにアズマ君は、わたしよりずーっと背が低かったんだよなあ。おかげでわたしは長い間、身長にコンプレックス持ったままだった。
時は流れて、人は変わって。
「こあら君、お母さんのお手伝いしなきゃダメだよ」
それでもヨシチカ先生は、小学生のわたしに話したのと同じように話す。
どれだけなにが変わろうとも。
ヨシチカ先生はわたしの先生で、密かな共犯者だ。
またひとつ、新しい出会いがあるのね。おめでとう。
2004年11月10日 その他 はなはなマロンさん、ご出産、おめでとう。
わたしと某路線外中堅男役氏がサンドイッチしたお子さんが、無事に誕生したわけですね!
サンドイッチ、つーのはですね、お茶会に参加したときにはなはなさんが「某路線外中堅男役氏におなかを撫でてもらうの!」と言っていたんですわ。
で、実際某氏に撫でてもらったわけですよ。
そして横にいたわたしは。
迷わず、はなはなさんのおなかの上にあった、某氏の手を握ってしまったわけですよ。
はなはなさんのおなかとわたしの手で、某氏の手をサンドイッチ。
「緑野さん、ひどーい!」
と、はなはなさんには悲鳴を上げられてしまいましたが、わたしは勝手に感動していました。
新しい生命のやどったおなかと、某氏の手。
それらをちゃっかり感じてしまった、このわたしの手。
ああ。
すばらしいことですわ。
みんなみんな、しあわせになるために生まれてくる。
感動するために生まれてくる。
はなはなさんとその家族、そして生まれたばかりのお子さんに、たくさんのしあわせと感動がありますように。
はなはなさんがパソコンの前に戻ってこられるのがいつかはわかんないけど。
書くだけ勝手に書いておこう。
息子さんの名前は、左京とかダメっすか?(笑)←由来は、わかる人にだけわかる(笑)。
わたしと某路線外中堅男役氏がサンドイッチしたお子さんが、無事に誕生したわけですね!
サンドイッチ、つーのはですね、お茶会に参加したときにはなはなさんが「某路線外中堅男役氏におなかを撫でてもらうの!」と言っていたんですわ。
で、実際某氏に撫でてもらったわけですよ。
そして横にいたわたしは。
迷わず、はなはなさんのおなかの上にあった、某氏の手を握ってしまったわけですよ。
はなはなさんのおなかとわたしの手で、某氏の手をサンドイッチ。
「緑野さん、ひどーい!」
と、はなはなさんには悲鳴を上げられてしまいましたが、わたしは勝手に感動していました。
新しい生命のやどったおなかと、某氏の手。
それらをちゃっかり感じてしまった、このわたしの手。
ああ。
すばらしいことですわ。
みんなみんな、しあわせになるために生まれてくる。
感動するために生まれてくる。
はなはなさんとその家族、そして生まれたばかりのお子さんに、たくさんのしあわせと感動がありますように。
はなはなさんがパソコンの前に戻ってこられるのがいつかはわかんないけど。
書くだけ勝手に書いておこう。
息子さんの名前は、左京とかダメっすか?(笑)←由来は、わかる人にだけわかる(笑)。
かわいいものを箱詰めしよう。
ふと思い立って、額縁を買った。
折しも東急ハンズは恒例のHANDSメッセ中。
人でいっぱいの店内をあさり、ビビッドな赤い額縁を買った。
20cm×20cmの真四角。厚みはなんと4cm。
絵や写真を入れるのではなく、クラフトに使う額縁だと思う。
そこに、漠然と集めてきたFROG STYLE関係のものを詰めた。
カエル、カエル、カエル。
けろけろけろけろ。
本家ガチャガチャのFROGだけでなく、お菓子のタブレットケースやら、FROG以外のガチャガチャやプライズものなど、なんでもかんでも詰め込んだ。
ゼリービーンズの詰まった瓶みたい。
氾濫した色。
それを閉じこめる硝子と赤い木枠。
かわいいものを箱詰めするのだ。
癒されるために。
ふと思い立って、額縁を買った。
折しも東急ハンズは恒例のHANDSメッセ中。
人でいっぱいの店内をあさり、ビビッドな赤い額縁を買った。
20cm×20cmの真四角。厚みはなんと4cm。
絵や写真を入れるのではなく、クラフトに使う額縁だと思う。
そこに、漠然と集めてきたFROG STYLE関係のものを詰めた。
カエル、カエル、カエル。
けろけろけろけろ。
本家ガチャガチャのFROGだけでなく、お菓子のタブレットケースやら、FROG以外のガチャガチャやプライズものなど、なんでもかんでも詰め込んだ。
ゼリービーンズの詰まった瓶みたい。
氾濫した色。
それを閉じこめる硝子と赤い木枠。
かわいいものを箱詰めするのだ。
癒されるために。
三角定規か、鋭利な刃物のよーなカタチ。
2004年8月4日 その他 わたしの両足の親指は、巻き爪だ。
いつのころからかは、わからない。
生まれつきじゃないか? ってくらい、昔からそうだ。後天的なものらしいから、生まれつきではないのだろうけどさ。
気がついたら、巻き爪だった。
若いころは、「巻き爪」という言葉を知らなかった。
足の親指が痛いけれど、爪が切りにくいけれど、わたしのカラダはこれがふつうなんだと思って、それ以上はなにも考えなかった。
大人になってから、「外反母趾」という言葉を知り、ついでに「巻き爪」という言葉も知った。
そうか、わたしって巻き爪だったんだ! 感心。道理で痛いわけだ。
巻き爪っちゅーのは、爪が微妙に変形して、指の肉を噛む現象。爪は伸びるものだから、肉に突き刺さるわけだな。
自分のカラダが、自分のカラダを傷つける。
爪が刺さって痛いから、いつもわたしは、爪をこまめに短く切っていたさ。
肉の中に巻き込んでいて、爪切りが入らないので、理容師用の先の尖ったハサミを肉と爪の間にねじ込んで、無理矢理切っていたさ。
そうやってこのトシまで生きてきたけれど。
今年ふと、思ったの。
爪が伸びると、肉を噛んで痛い。
でもその痛い部分を通り過ぎれば、どうなるんだろう。
爪がもっともっと伸びたら、今まで肉に当たって痛かったところは通り過ぎちゃうんじゃあ?
今は夏だし、わたしは会社勤めもしていない。一夏中、サンダルで過ごすことだってできる。
靴を履く場合は、痛くて爪は伸ばせなかったけれど、サンダルなら問題ない。
よーし、爪を伸ばしてみよう。
巻き爪の人間が爪を伸ばしたらどーなるのかなっ。わくわく。
そうやって、2ヶ月が経ちました。
べつに毎日爪を観察していたわけではなかったので、ある日ふと、気づいたの。
足の親指の爪は、順調に伸びていた。他の指の爪はまめに切っていたけど、親指だけはアンタッチャブル、そのまま伸ばし続けていた。
その、伸びた親指の爪を見て。
はじめて、「巻き爪」に危機感を持った。
わたしはほんと、知らなかったんだ。
巻き爪の人間が、爪を伸ばしたらどうなるか。
爪が肉に当たって痛いわけだから、伸ばしたら痛いかなー、でもちょっと我慢すれば、痛い部分は通り過ぎるよね? 爪は伸びるもんなんだから。足の指よりも長い爪になれば、もう爪は肉を噛めないわ。
と期待して、痛いときを待った。
しかし、いつまでたっても痛くならなかった。
爪はちゃんと伸びている。なのに、痛くない。
そう。
巻き爪は、伸びないんだ。
巻き爪になっているのは、足の親指のカラダの内側部分だ。外側はふつう。
右足で説明すると、右足の親指の爪は、左側が巻き爪で、右側がふつう。
そしてこの爪は、2ヶ月でななめに伸びた。
肉に食い込んでいる左側は伸びず、右側だけが伸びたんだ。
1枚の爪なのに、左側の成長は止まっており、右側だけが伸び続けている。
三角定規みたいな、斜めの線で爪が伸びてるわけ。
伸ばした2ヶ月分、爪のカタチが変形している。
……さすがに、びびりました。
やばいだろコレ、人として。
とゆーことで、ただいま巻き爪矯正中。そろそろ1週間になるかな。
ちょっぴり痛痒い。いつも足の爪を意識している感じ。
「あら、おNEWのサンダルね」
わたしの足元に注目したWHITEちゃん、
「爪に糸くずがついてるわよ」
と、指で取ってくれようとしたけれど。
やめて。
と、思わず悲鳴(笑)。
ソレ、糸くずじゃなくて矯正用のクッションなの。引っ張られたらやばいからやめて〜〜。
巻き爪について説明したけど、彼女は「アタシは爪はまめに切ってるからわからないわ」という、ピントのずれた返答をしたので、たぶん巻き爪という概念を知らないんだと思う。それは幸せなことだから、それでいいよ。
わたしだって、自分がそうだと知らなかったくらいだし。
さて、わたしは正しい爪をGETできるのか。
健康いちばん、ふつうがいちばん。
いつのころからかは、わからない。
生まれつきじゃないか? ってくらい、昔からそうだ。後天的なものらしいから、生まれつきではないのだろうけどさ。
気がついたら、巻き爪だった。
若いころは、「巻き爪」という言葉を知らなかった。
足の親指が痛いけれど、爪が切りにくいけれど、わたしのカラダはこれがふつうなんだと思って、それ以上はなにも考えなかった。
大人になってから、「外反母趾」という言葉を知り、ついでに「巻き爪」という言葉も知った。
そうか、わたしって巻き爪だったんだ! 感心。道理で痛いわけだ。
巻き爪っちゅーのは、爪が微妙に変形して、指の肉を噛む現象。爪は伸びるものだから、肉に突き刺さるわけだな。
自分のカラダが、自分のカラダを傷つける。
爪が刺さって痛いから、いつもわたしは、爪をこまめに短く切っていたさ。
肉の中に巻き込んでいて、爪切りが入らないので、理容師用の先の尖ったハサミを肉と爪の間にねじ込んで、無理矢理切っていたさ。
そうやってこのトシまで生きてきたけれど。
今年ふと、思ったの。
爪が伸びると、肉を噛んで痛い。
でもその痛い部分を通り過ぎれば、どうなるんだろう。
爪がもっともっと伸びたら、今まで肉に当たって痛かったところは通り過ぎちゃうんじゃあ?
今は夏だし、わたしは会社勤めもしていない。一夏中、サンダルで過ごすことだってできる。
靴を履く場合は、痛くて爪は伸ばせなかったけれど、サンダルなら問題ない。
よーし、爪を伸ばしてみよう。
巻き爪の人間が爪を伸ばしたらどーなるのかなっ。わくわく。
そうやって、2ヶ月が経ちました。
べつに毎日爪を観察していたわけではなかったので、ある日ふと、気づいたの。
足の親指の爪は、順調に伸びていた。他の指の爪はまめに切っていたけど、親指だけはアンタッチャブル、そのまま伸ばし続けていた。
その、伸びた親指の爪を見て。
はじめて、「巻き爪」に危機感を持った。
わたしはほんと、知らなかったんだ。
巻き爪の人間が、爪を伸ばしたらどうなるか。
爪が肉に当たって痛いわけだから、伸ばしたら痛いかなー、でもちょっと我慢すれば、痛い部分は通り過ぎるよね? 爪は伸びるもんなんだから。足の指よりも長い爪になれば、もう爪は肉を噛めないわ。
と期待して、痛いときを待った。
しかし、いつまでたっても痛くならなかった。
爪はちゃんと伸びている。なのに、痛くない。
そう。
巻き爪は、伸びないんだ。
巻き爪になっているのは、足の親指のカラダの内側部分だ。外側はふつう。
右足で説明すると、右足の親指の爪は、左側が巻き爪で、右側がふつう。
そしてこの爪は、2ヶ月でななめに伸びた。
肉に食い込んでいる左側は伸びず、右側だけが伸びたんだ。
1枚の爪なのに、左側の成長は止まっており、右側だけが伸び続けている。
三角定規みたいな、斜めの線で爪が伸びてるわけ。
伸ばした2ヶ月分、爪のカタチが変形している。
……さすがに、びびりました。
やばいだろコレ、人として。
とゆーことで、ただいま巻き爪矯正中。そろそろ1週間になるかな。
ちょっぴり痛痒い。いつも足の爪を意識している感じ。
「あら、おNEWのサンダルね」
わたしの足元に注目したWHITEちゃん、
「爪に糸くずがついてるわよ」
と、指で取ってくれようとしたけれど。
やめて。
と、思わず悲鳴(笑)。
ソレ、糸くずじゃなくて矯正用のクッションなの。引っ張られたらやばいからやめて〜〜。
巻き爪について説明したけど、彼女は「アタシは爪はまめに切ってるからわからないわ」という、ピントのずれた返答をしたので、たぶん巻き爪という概念を知らないんだと思う。それは幸せなことだから、それでいいよ。
わたしだって、自分がそうだと知らなかったくらいだし。
さて、わたしは正しい爪をGETできるのか。
健康いちばん、ふつうがいちばん。
「会いたいの。なんとかして、会えないかしら」
とか言われちゃうと、なんかすっげーうれしいんですが。
ああわたしって、愛されてるわー、とか。
わたしは必要な人間なのねー、とか。
「予定が合わないから、もう会えそうにないね」
とメールしたわたしは、会いたいのは山々だけど、仕方ないな、とあきらめていたのに。
「都合をつけるから、なんとか会えないかしら」
と、さらに熱意のあるメールをもらったら、そりゃうれしいわなあ。
都合か! よし、なんとかしちゃおう!
君に会いに行くぜベイベ!!
……という気持ちになるじゃないか!
いやべつに、ラヴい話でもなんでもなく、たんに同性の友だちとごはん食べるだけの話だったんですが。
お互い時間ないとか言いながら、それでも会ってえんえんお喋りして、別れがたくて遠回りして同じ電車に乗って。
あー、友だちっていいなあ。しみじみ。
とか言われちゃうと、なんかすっげーうれしいんですが。
ああわたしって、愛されてるわー、とか。
わたしは必要な人間なのねー、とか。
「予定が合わないから、もう会えそうにないね」
とメールしたわたしは、会いたいのは山々だけど、仕方ないな、とあきらめていたのに。
「都合をつけるから、なんとか会えないかしら」
と、さらに熱意のあるメールをもらったら、そりゃうれしいわなあ。
都合か! よし、なんとかしちゃおう!
君に会いに行くぜベイベ!!
……という気持ちになるじゃないか!
いやべつに、ラヴい話でもなんでもなく、たんに同性の友だちとごはん食べるだけの話だったんですが。
お互い時間ないとか言いながら、それでも会ってえんえんお喋りして、別れがたくて遠回りして同じ電車に乗って。
あー、友だちっていいなあ。しみじみ。
人生の年表。@音さん結婚式。
2004年7月3日 その他 最近ヅカの話ばっか書いてる気がするが……。
先日は、友人・音さんの結婚式でした。
おめでとーおめでとー。
しあわせになってくれ音さん。てゆーか、なにがあっても力尽くでしあわせになるのが音さんだ。ぜんぜん心配してないけどな(笑)。
結婚式には、その人の人生が現れるなあ、としみじみ思った。
わたしの後ろのテーブルに坐っているのは、どうやら音さんの学生時代の友人たち。中学のころとか、幼なじみとか。
そして、わたしのいるテーブルは、同じ店で働いていたわたしやリンコさん、シンくん(仕事で欠席)の奥さんのくるみちゃん。それから音さんのアナウンス学校時代の友人と、英会話学校時代の恩師と友人。
わたしの前のテーブルにいるのが、音さんと旦那のアメリカ留学時代の友人たち。
うわー、年表だ、コレ。
幼なじみ、学生時代。
それから、モラトリアムだったころ。
DJになる、という目標を持って生きはじめたころ。
夢のために語学留学した時代。
音さんの人生が、出会った人たちで彩られている。
わたしと音さんが出会ったのは、モラトリアムのころだ。
音さんもわたしも、同じ店で働いていた。若さと時間はあるけれど、自分になにができるのかはわかっていなかったころ。
やがて音さんは目標を見つけ、夢のための努力をはじめた。
アナウンスの学校に通い、英会話スクールにも通った。
わたしは毎日のよーに、彼女の勉強の手伝いをしていた。
彼女がアナウンスの台詞を暗記するための相方になったり、解答用紙を見ながら、彼女のでたらめな英語を添削したりした。
毎日、笑いが絶えなかった。
音さんはとにかくパワフルで、失敗もがむしゃらな努力も暗さを一切持たなかった。
とことん陽気で、愉快だった。
DJになる、という彼女の夢を、誰も笑わなかった。
というより、惜しんだ。
「音さん、DJ目指してるの? もったいない!!」
だってラジオのDJって、声だけで姿が見えないんだもん。
音さんは、声や喋り方という聴覚でたのしむだけにとどまらず、視覚的にもとてつもなく愉快な人だった。
とにかく、じっとしていない人で。
ゼスチャーしまくり、踊りまくり。表情は豊かを通り越して百面相、「1分おとなしくしていたら、しゃぶしゃぶをおごってやる」と言われ、おとなしくできなかったくらい、どこまでもにぎやかな人。
だから彼女がアメリカに行くと決まったときは、
「音さん、ついにアメリカにストリートパフォーマーの修業に行くんだって?!」
と、デマがとんだ(笑)。
語学留学だっつーの。DJやるなら英語は必須だから。
そしてわたしたちの関心は、ひとつだった。
「音さんのキャラクタは、世界でも通用するか否か」
答えはYES、われらが音さんはアメリカでも音さんだった。彼女から送られてくる手紙は抱腹絶倒、彼女の卓越したお笑い芸人ぶりはアメリカ人のみならず、各国から集まった留学生たちにも絶大な支持を集めていた。
なんで音さん、芸人目指さなかったのかなあ。
世界とれたと思うんだけどなあ。
わたしの人生で出会った人の中で、もっとも愉快な人が音さんだ。ひとを笑わせる天才。しかも天然。善良で愛くるしい人柄。
まあなにはともあれ。
音さんの人生に乾杯。
「しかし、ドレスだとやっぱすごいねえ、胸」
と、わたしたちはこっそり音さんのボリューム感あふれる胸の話なんかしてたりする。
シンくんが欠席してたおかげで、女ばかりだったもんでな(笑)。
もともと小柄でぽっちゃりさんだった音さんは、アメリカから帰ってきたら、さらにキャラクタを際立たせる姿になっていた。
…………風船に近いよーな、潔い体型になってたのだわ…………。
キモいデブではなく、ころころとかわいいおでぶさん。つやつやのほっぺをつつきたくなるような。ほとんど着ぐるみ怪獣キャラ(笑)。
いつもにこにこ、怒っていても泣いていても、笑っているようにしか見えない顔。超音波のよーなアニメ声。
一度見たら忘れられない姿と言動。つか、キャラ立ち過ぎ。
彼女のいるところには、いつもあたたかい笑い声が満ちる。
そんな音さんの胸は、そりゃーもー、すばらしい大きさでした。胸元の大きく開いたドレスだから、いつもよりさらに強調されている。
ドッジボールがふたつついてるよ……。
「緑野さんだって、立派じゃないですか」
と、くるみちゃんに言われ、かえってわたしは恐縮した。
すみません……コレ、ウソ胸なんです……。下着の威力です……実力ではありません……。
リンコさんはリンコさんで、
「緑野さんソレ、シンの結婚式のときと同じ服だよね」
と、突っ込んでくれるし。
悪かったわねー、一張羅なのよー、他にドレス持ってないのよーっ。
アクセとショールを替えてるんだから、大目に見てよぅ。
陽気で愉快な宴の席でした。
音さんのお父さんにはじめてお会いしたんだが、あまりに音さんそっくりでウケてしまった……。ここまで似ているとわ……遺伝子ってすごい。
音さんの芸人の血は父親譲りなんだわ、と納得。
そしてわたしは、何故かそのお父さんと腕を組んで写真を撮ってもらった。いや、あまりにプリチーなパパだったから……(笑)。
親族出席の披露宴だというのに、新郎側の友人たちはどこまでもマイペースで、裸踊りまで披露してくれた。さすが元ラグビー部だね……体育会系って……(笑)。
でもなー、あまり見たくなかったよ、野郎どもの毛尻なんぞ……。
しかしまあ、こうしてまたひとり、友人が嫁に行ってしまったのだなあ。音さんはとっくの昔にダーリンと一緒に暮らしていて、今さらのお式だったとはいえ。
ねえ、残ったのはわたしとリンコさんだけだよ?
どうする、リンコさん?
先日は、友人・音さんの結婚式でした。
おめでとーおめでとー。
しあわせになってくれ音さん。てゆーか、なにがあっても力尽くでしあわせになるのが音さんだ。ぜんぜん心配してないけどな(笑)。
結婚式には、その人の人生が現れるなあ、としみじみ思った。
わたしの後ろのテーブルに坐っているのは、どうやら音さんの学生時代の友人たち。中学のころとか、幼なじみとか。
そして、わたしのいるテーブルは、同じ店で働いていたわたしやリンコさん、シンくん(仕事で欠席)の奥さんのくるみちゃん。それから音さんのアナウンス学校時代の友人と、英会話学校時代の恩師と友人。
わたしの前のテーブルにいるのが、音さんと旦那のアメリカ留学時代の友人たち。
うわー、年表だ、コレ。
幼なじみ、学生時代。
それから、モラトリアムだったころ。
DJになる、という目標を持って生きはじめたころ。
夢のために語学留学した時代。
音さんの人生が、出会った人たちで彩られている。
わたしと音さんが出会ったのは、モラトリアムのころだ。
音さんもわたしも、同じ店で働いていた。若さと時間はあるけれど、自分になにができるのかはわかっていなかったころ。
やがて音さんは目標を見つけ、夢のための努力をはじめた。
アナウンスの学校に通い、英会話スクールにも通った。
わたしは毎日のよーに、彼女の勉強の手伝いをしていた。
彼女がアナウンスの台詞を暗記するための相方になったり、解答用紙を見ながら、彼女のでたらめな英語を添削したりした。
毎日、笑いが絶えなかった。
音さんはとにかくパワフルで、失敗もがむしゃらな努力も暗さを一切持たなかった。
とことん陽気で、愉快だった。
DJになる、という彼女の夢を、誰も笑わなかった。
というより、惜しんだ。
「音さん、DJ目指してるの? もったいない!!」
だってラジオのDJって、声だけで姿が見えないんだもん。
音さんは、声や喋り方という聴覚でたのしむだけにとどまらず、視覚的にもとてつもなく愉快な人だった。
とにかく、じっとしていない人で。
ゼスチャーしまくり、踊りまくり。表情は豊かを通り越して百面相、「1分おとなしくしていたら、しゃぶしゃぶをおごってやる」と言われ、おとなしくできなかったくらい、どこまでもにぎやかな人。
だから彼女がアメリカに行くと決まったときは、
「音さん、ついにアメリカにストリートパフォーマーの修業に行くんだって?!」
と、デマがとんだ(笑)。
語学留学だっつーの。DJやるなら英語は必須だから。
そしてわたしたちの関心は、ひとつだった。
「音さんのキャラクタは、世界でも通用するか否か」
答えはYES、われらが音さんはアメリカでも音さんだった。彼女から送られてくる手紙は抱腹絶倒、彼女の卓越したお笑い芸人ぶりはアメリカ人のみならず、各国から集まった留学生たちにも絶大な支持を集めていた。
なんで音さん、芸人目指さなかったのかなあ。
世界とれたと思うんだけどなあ。
わたしの人生で出会った人の中で、もっとも愉快な人が音さんだ。ひとを笑わせる天才。しかも天然。善良で愛くるしい人柄。
まあなにはともあれ。
音さんの人生に乾杯。
「しかし、ドレスだとやっぱすごいねえ、胸」
と、わたしたちはこっそり音さんのボリューム感あふれる胸の話なんかしてたりする。
シンくんが欠席してたおかげで、女ばかりだったもんでな(笑)。
もともと小柄でぽっちゃりさんだった音さんは、アメリカから帰ってきたら、さらにキャラクタを際立たせる姿になっていた。
…………風船に近いよーな、潔い体型になってたのだわ…………。
キモいデブではなく、ころころとかわいいおでぶさん。つやつやのほっぺをつつきたくなるような。ほとんど着ぐるみ怪獣キャラ(笑)。
いつもにこにこ、怒っていても泣いていても、笑っているようにしか見えない顔。超音波のよーなアニメ声。
一度見たら忘れられない姿と言動。つか、キャラ立ち過ぎ。
彼女のいるところには、いつもあたたかい笑い声が満ちる。
そんな音さんの胸は、そりゃーもー、すばらしい大きさでした。胸元の大きく開いたドレスだから、いつもよりさらに強調されている。
ドッジボールがふたつついてるよ……。
「緑野さんだって、立派じゃないですか」
と、くるみちゃんに言われ、かえってわたしは恐縮した。
すみません……コレ、ウソ胸なんです……。下着の威力です……実力ではありません……。
リンコさんはリンコさんで、
「緑野さんソレ、シンの結婚式のときと同じ服だよね」
と、突っ込んでくれるし。
悪かったわねー、一張羅なのよー、他にドレス持ってないのよーっ。
アクセとショールを替えてるんだから、大目に見てよぅ。
陽気で愉快な宴の席でした。
音さんのお父さんにはじめてお会いしたんだが、あまりに音さんそっくりでウケてしまった……。ここまで似ているとわ……遺伝子ってすごい。
音さんの芸人の血は父親譲りなんだわ、と納得。
そしてわたしは、何故かそのお父さんと腕を組んで写真を撮ってもらった。いや、あまりにプリチーなパパだったから……(笑)。
親族出席の披露宴だというのに、新郎側の友人たちはどこまでもマイペースで、裸踊りまで披露してくれた。さすが元ラグビー部だね……体育会系って……(笑)。
でもなー、あまり見たくなかったよ、野郎どもの毛尻なんぞ……。
しかしまあ、こうしてまたひとり、友人が嫁に行ってしまったのだなあ。音さんはとっくの昔にダーリンと一緒に暮らしていて、今さらのお式だったとはいえ。
ねえ、残ったのはわたしとリンコさんだけだよ?
どうする、リンコさん?
あの雲よりも高く浮け。
2004年6月13日 その他 彼女になにが起こったのか。
友人のミヤビンスキーとミジンコ(どちらも女性)とランチをすることになった。
ミナミにある、ちょいとオシャレでおいしい和風バイキングのお店。
それはいいんだが、指定された待ち合わせ場所は、「ミナミの三角公園」だった。
三角公園?
あまりになつかしい響きにとまどう。
三角公園なー、もう10年は軽く行ってないわ。
ミナミのアメリカ村、そして三角公園は若者たちの街。わたしの半分くらいの年齢の子どもたちが闊歩しているだろう場所。
そこで待ち合わせだなんて、勇気ある行動だな。
伝達事項の了承と待ち合わせ場所への感想を書いたメールに、ミヤビンスキーから返事が来た。
タイトルは、「あの雲よりも高く浮け」。
> ほほほ!
>
> 私だって、三角公園なんて数年ぶりだわよっ!
> しかも、三角公園に行くには
> アメ村の中を通り抜けていかねばならんので
> 年寄りにとっては、場違い感さらにアップ。
>
> どうせ浮くのなら、徹底的に浮いてやろうと思うので
> 当日はピンクハウスのフリフリ服で参上するわ!
> おののけ若者!
> ひざまずけ、ゴスロリ!
> 年寄りには怖いものなどないのだ、ふはははは!!
……ミ、ミヤビンさん??
まあ冗談だろうと思って深くは考えず、待ち合わせ場所へ行く。
あー、ほんとにひさしぶりだ、アメ村……。若いころから興味のない場所だったが、トシを取るとさらに知らない街感増大だなー。
わたしがアメ村によく足を踏み入れていたのは、友人のペーちゃんがビッグステップの某店で店長やってたころが最後だよ。あれって何年前だ……?
アメ村の雰囲気は記憶にあるものと変わっていなかったが、三角公園は記憶とずいぶん変わっていた。
なんかみょーに小綺麗になってる……。まあいいけど。
ほぼ定刻に到着したわたしは、先に来ていたミジンコと合流。
ミジンコは見事に、周囲と同化していた。 年齢不詳の女だな、こいつも(笑)。
ミジンコとふたりでお喋りしながら、ミヤビンスキーを待つ。
変だなー、時間に正確なミヤビンスキーなのに、約束の時間になっても現れないなんて?
それでも気にせず、お喋りに夢中になっていたわたしたちに、真向かいから女の人がまっすぐ近づいてくる。
「もーっ、ずっと真向かいで待ってたのに、どうして気づいてくれないのよっ」
女の人は、鼻息荒くそう言っている。はいー? 誰ですか、あなた。
誰って……ミヤビンスキーでした。
白い日傘。
上から下まで、ついでにバッグなどの小物もピンクハウスのフリフリ・フリルで統一されたおねーさん。
はあっ?!
ミヤビンちゃんあーた、マジでPH着てきたのっ?!
ミヤビンスキーのピンクハウス好きは有名でした、昔から。
そして、「ピンクハウスは大好きでかわいいと思うけど、アタシには似合わないことがわかってるから、買わないし、着ないわ」と言っていることもまた、有名でした。
「いるならいるって言ってよ、アタシひとりで浮きまくってたじゃない! なんでアンタたち、周囲と同化してるのよっ」
白い日傘のフリフリおねーさんは言います。
わたしやミジンコが周囲と同化していたせいで見つけられなかった、というのは「そりゃすまんかった」ですが、ミヤビンちゃんは周囲から浮きすぎていて誰だかわかんなかったよ……マジで。
てかミヤビンちゃん、あなたほんとに、ミヤビンちゃん?
「ピンクハウスは着ない」と豪語していた、すっぴん眼鏡っこのミヤビンちゃん。服装はいつもシンプル&カジュアル。言動は男前。大阪人は笑いが命、ツッコミするどく口より先に手が出る足が出る。
誰よりも「おとうさん」もしくは「大阪のおっちゃん」という雰囲気に満ちていたミヤビンちゃん。
眼鏡はどうしたの? なんで化粧してるの?
それじゃまるで女の人に見えるよ??
「失礼なっ、アタシはもともと女よ! つか、アタシたちが出会ったのは女子校だったじゃない!」(ビシリとつっこみ張り手付き)
ああそーいや女子校だったね。
でもわたしら、女子校で「おっさん」として出会ったじゃない。
「そうねえ、アタシもアンタもおっさんだったわね、あのころ……って、嫌すぎるわ、女子校でおっさんとして出会うなんてっ」(張り手付き)
どんなにフリフリ着てても、きれーになっていても、言動は変わらず。大阪のおっさんや、アンタ……。
ミヤビンスキーとは長いつきあいですが(「あんまり言うと、アンタの若いころの話を蒸し返すわよ? アタシはアンタの16歳のときを知ってるんだからね?」と脅しやがる)、正直、彼女がこんな顔をしていることを知りませんでした。
だってミヤビンちゃんのトレードマークは「眼鏡」だったんだもん。
それも分厚いフチのついた、大きな眼鏡。
数年前、最高潮に太っていたときなんかは、服装にもぜんぜんかまわなくなり、おばさんトレーナー愛用、年齢よりずーっと老けて見えていた。
「どーせアタシはデブでブスなおばさんだから、なにしたって無駄なのよ。好きな服は遠くであこがれているだけで、着られないのよ」と言っていたヒトが。
この変身ぶりはどうですか、ミヤビンちゃん。
すっかりやせて、きれいになって。
「コンタクトレンズはキライ」と言ってどんなに薦めても挑戦さえしなかったのに。「化粧したって無駄」と言ってかたくなに拒絶していたのに。
堂々と好きな服を着て、「きれい」であることから逃げずにいる。
ミヤビンスキーって、こんな顔してたんだ。知らなかった。
「なんか、一路真輝さんに似てるー」
ミジンコが無邪気に言う。
「ああ、よく言われる」
ミヤビンスキーも鷹揚に応える。
彼女になにが起こったのか。
女である自分に後ろ向きだった彼女は今、女であることを謳歌している。
「昔は、恥ずかしかったのよ。いろんなことが。でも、30過ぎた今はこわいものないわ」
堂々と言うミヤビンスキーは、とてもかっこよかった。
フリフリを着ていても、やっぱり男前。
正確にはピンクハウスではなくカネコイサオだとという(わたしには区別つかん)大人のファンタジー服を着こなし、悠々としているミヤビンちゃん。
君の人生に乾杯。
「でも相変わらず、男も職もないままよ。フッ」
ニヒルに笑う君に乾杯。
友人のミヤビンスキーとミジンコ(どちらも女性)とランチをすることになった。
ミナミにある、ちょいとオシャレでおいしい和風バイキングのお店。
それはいいんだが、指定された待ち合わせ場所は、「ミナミの三角公園」だった。
三角公園?
あまりになつかしい響きにとまどう。
三角公園なー、もう10年は軽く行ってないわ。
ミナミのアメリカ村、そして三角公園は若者たちの街。わたしの半分くらいの年齢の子どもたちが闊歩しているだろう場所。
そこで待ち合わせだなんて、勇気ある行動だな。
伝達事項の了承と待ち合わせ場所への感想を書いたメールに、ミヤビンスキーから返事が来た。
タイトルは、「あの雲よりも高く浮け」。
> ほほほ!
>
> 私だって、三角公園なんて数年ぶりだわよっ!
> しかも、三角公園に行くには
> アメ村の中を通り抜けていかねばならんので
> 年寄りにとっては、場違い感さらにアップ。
>
> どうせ浮くのなら、徹底的に浮いてやろうと思うので
> 当日はピンクハウスのフリフリ服で参上するわ!
> おののけ若者!
> ひざまずけ、ゴスロリ!
> 年寄りには怖いものなどないのだ、ふはははは!!
……ミ、ミヤビンさん??
まあ冗談だろうと思って深くは考えず、待ち合わせ場所へ行く。
あー、ほんとにひさしぶりだ、アメ村……。若いころから興味のない場所だったが、トシを取るとさらに知らない街感増大だなー。
わたしがアメ村によく足を踏み入れていたのは、友人のペーちゃんがビッグステップの某店で店長やってたころが最後だよ。あれって何年前だ……?
アメ村の雰囲気は記憶にあるものと変わっていなかったが、三角公園は記憶とずいぶん変わっていた。
なんかみょーに小綺麗になってる……。まあいいけど。
ほぼ定刻に到着したわたしは、先に来ていたミジンコと合流。
ミジンコは見事に、周囲と同化していた。 年齢不詳の女だな、こいつも(笑)。
ミジンコとふたりでお喋りしながら、ミヤビンスキーを待つ。
変だなー、時間に正確なミヤビンスキーなのに、約束の時間になっても現れないなんて?
それでも気にせず、お喋りに夢中になっていたわたしたちに、真向かいから女の人がまっすぐ近づいてくる。
「もーっ、ずっと真向かいで待ってたのに、どうして気づいてくれないのよっ」
女の人は、鼻息荒くそう言っている。はいー? 誰ですか、あなた。
誰って……ミヤビンスキーでした。
白い日傘。
上から下まで、ついでにバッグなどの小物もピンクハウスのフリフリ・フリルで統一されたおねーさん。
はあっ?!
ミヤビンちゃんあーた、マジでPH着てきたのっ?!
ミヤビンスキーのピンクハウス好きは有名でした、昔から。
そして、「ピンクハウスは大好きでかわいいと思うけど、アタシには似合わないことがわかってるから、買わないし、着ないわ」と言っていることもまた、有名でした。
「いるならいるって言ってよ、アタシひとりで浮きまくってたじゃない! なんでアンタたち、周囲と同化してるのよっ」
白い日傘のフリフリおねーさんは言います。
わたしやミジンコが周囲と同化していたせいで見つけられなかった、というのは「そりゃすまんかった」ですが、ミヤビンちゃんは周囲から浮きすぎていて誰だかわかんなかったよ……マジで。
てかミヤビンちゃん、あなたほんとに、ミヤビンちゃん?
「ピンクハウスは着ない」と豪語していた、すっぴん眼鏡っこのミヤビンちゃん。服装はいつもシンプル&カジュアル。言動は男前。大阪人は笑いが命、ツッコミするどく口より先に手が出る足が出る。
誰よりも「おとうさん」もしくは「大阪のおっちゃん」という雰囲気に満ちていたミヤビンちゃん。
眼鏡はどうしたの? なんで化粧してるの?
それじゃまるで女の人に見えるよ??
「失礼なっ、アタシはもともと女よ! つか、アタシたちが出会ったのは女子校だったじゃない!」(ビシリとつっこみ張り手付き)
ああそーいや女子校だったね。
でもわたしら、女子校で「おっさん」として出会ったじゃない。
「そうねえ、アタシもアンタもおっさんだったわね、あのころ……って、嫌すぎるわ、女子校でおっさんとして出会うなんてっ」(張り手付き)
どんなにフリフリ着てても、きれーになっていても、言動は変わらず。大阪のおっさんや、アンタ……。
ミヤビンスキーとは長いつきあいですが(「あんまり言うと、アンタの若いころの話を蒸し返すわよ? アタシはアンタの16歳のときを知ってるんだからね?」と脅しやがる)、正直、彼女がこんな顔をしていることを知りませんでした。
だってミヤビンちゃんのトレードマークは「眼鏡」だったんだもん。
それも分厚いフチのついた、大きな眼鏡。
数年前、最高潮に太っていたときなんかは、服装にもぜんぜんかまわなくなり、おばさんトレーナー愛用、年齢よりずーっと老けて見えていた。
「どーせアタシはデブでブスなおばさんだから、なにしたって無駄なのよ。好きな服は遠くであこがれているだけで、着られないのよ」と言っていたヒトが。
この変身ぶりはどうですか、ミヤビンちゃん。
すっかりやせて、きれいになって。
「コンタクトレンズはキライ」と言ってどんなに薦めても挑戦さえしなかったのに。「化粧したって無駄」と言ってかたくなに拒絶していたのに。
堂々と好きな服を着て、「きれい」であることから逃げずにいる。
ミヤビンスキーって、こんな顔してたんだ。知らなかった。
「なんか、一路真輝さんに似てるー」
ミジンコが無邪気に言う。
「ああ、よく言われる」
ミヤビンスキーも鷹揚に応える。
彼女になにが起こったのか。
女である自分に後ろ向きだった彼女は今、女であることを謳歌している。
「昔は、恥ずかしかったのよ。いろんなことが。でも、30過ぎた今はこわいものないわ」
堂々と言うミヤビンスキーは、とてもかっこよかった。
フリフリを着ていても、やっぱり男前。
正確にはピンクハウスではなくカネコイサオだとという(わたしには区別つかん)大人のファンタジー服を着こなし、悠々としているミヤビンちゃん。
君の人生に乾杯。
「でも相変わらず、男も職もないままよ。フッ」
ニヒルに笑う君に乾杯。
大したケガでもないが、自分的にはちょっとレア(笑)。
2004年5月9日 その他 今、目の前に「爪」がある。
大きさは、2mm×8mmほど。
わたしの足の、ひとさしゆびの爪だ。
いやあ、びっくりしたよ。
「痛っ」
と思って、足を見たら、ひとさしゆびの爪が半分、はがれていた。
そうだねえ、爪が剥がれたら、血が出るよねえ……。
もともとひとさしゆびの爪って、5mmくらいしかなかったのよ。わたしの足の指、みんな爪小さくて。それが2mmほど剥けちゃいましたー。
びっくり。
でもあと3mmは残ってるから、大丈夫。ちと流血してるけど。
あんまりきれいに剥がれたんで、なんとなく感動。
剥がれた爪をそのまま捨てずに、眺めている。
けっこうカーブが深いな、とか、ものすげー固いんだな、とか。
わたし、指の爪もまめに切っている人間なので、単純にまとまった大きさの「爪」というものがめずらしいだけなのかもしれない(笑)。
つーことで今、足の指がむずがゆ痛いです……。血がコワイ人間なんで、触りたくないし(笑)。
大きさは、2mm×8mmほど。
わたしの足の、ひとさしゆびの爪だ。
いやあ、びっくりしたよ。
「痛っ」
と思って、足を見たら、ひとさしゆびの爪が半分、はがれていた。
そうだねえ、爪が剥がれたら、血が出るよねえ……。
もともとひとさしゆびの爪って、5mmくらいしかなかったのよ。わたしの足の指、みんな爪小さくて。それが2mmほど剥けちゃいましたー。
びっくり。
でもあと3mmは残ってるから、大丈夫。ちと流血してるけど。
あんまりきれいに剥がれたんで、なんとなく感動。
剥がれた爪をそのまま捨てずに、眺めている。
けっこうカーブが深いな、とか、ものすげー固いんだな、とか。
わたし、指の爪もまめに切っている人間なので、単純にまとまった大きさの「爪」というものがめずらしいだけなのかもしれない(笑)。
つーことで今、足の指がむずがゆ痛いです……。血がコワイ人間なんで、触りたくないし(笑)。
漢字と、それに加えてひらがなで名前を書く。
必ず。
初対面の方へのメールでは、必ず。
ひらがなをそえるのは、ひらがなのやわらかさが好きなこともあるけど、ほぼ100%名前の読みをまちがえられるせいでもある。
まちがえられないように、正しい読み方を、わざわざひらがなで書いておくわけだ。
しかし。
どんなにひらがなで、正しい読みを書いても、最後の署名がひらがなであっても、実際に会うときに相手は必ず、まちがった読み方で、わたしの名を呼ぶ。
ははは、100%。
例外なし。
FCにも入っていない、なんのコネもない一般ヅカファンであるわたしは、ネットの掲示板を介してチケットのやりとりをよくするのだけど。
そこで出会う方々は、今のところ100%、わたしの名前をまちがっておぼています。
たとえメール上では正しく表記してくれたとしても(わたしがひらがなで名前を書くもんで、相手もひらがなで書いてくれたりする)、いざ会ってみると。
……まちがってます。泣。
思えば子どものころから、正しく読んでもらえなかったな……。
そしてウチの親が、名前をまちがえられても訂正しない人たちだったので、わたしも訂正しないまま育った。どっちでもいいじゃん、わかれば。……そんな感じ。
親しくつきあう人たちだけが、わたしの名前を正しく発音してくれている。
親しくない人は、まちがった音のまま。
いずれ親しくなれば、周囲の人がわたしをどう呼んでいるか耳に入るだろうから、まちがっておぼえていた人たちも、自然と正しい呼び方になっていく。
だから、大人になった今も、わたしは名前の訂正をいちいちしない。
しないけど、自分からメールなどで名乗るときは、できるだけ正しく呼んでもらえるように、漢字とひらがなを併記する。
そして、100%のまちがえられ率に、感心しているわけだ。
わたしの名前、と書いたが、正確には名前ではなく、名字だ。
名字だから、初対面の人に呼ばれたときに「まちがい」がわかるの。初対面だからこそ、名字で呼ぶわけだから。
例としてあげるなら、
「中島なつみ」という名を、メールでいちいち、
中島なつみ(なかしま・なつみ)
と書いているよーなもん。
わざわざ( )で、読みをそえている。
にも関わらず、実際に会うと、
「なかじまさん」
と、呼ばれてしまうよーなもん。
山崎やえ(やまさき・やえ)
と書いたのに、実際に会うと、
「やまざきさん」
と、呼ばれてしまうよーなもんだ。
ちゃんとひらがなで書いたのに。わたしの名字は、濁点つかないのに。清音なのに。
これはやはり、漢字の方が「強い」ってことなのかな。
いくらひらがなをそえても、一度でも漢字を見ると、その漢字の一般的な読みの方をインプットしてしまう。
……厄年のとき、大枚(わたしにとって・笑)はたいて祈祷してもらったのに、お坊さんが読み上げたわたしの名字は、やはりまちがっていた……ちゃんとふりがなふったのに(てゆーか、ふりがなの欄がわざわざ設けてあったのに)、意味ナシ。まちがった名字で祈祷されても、御利益ない気が……。ねえ、門戸厄神さん(笑)。
受験だろうが、面接だろうが、人生節目だろうが、どんなときでも必ず、名字はまちがえられたまま。
漢字のインパクトは大きい。
声に出して正しい名字を名乗っても、一度漢字を見た人は必ず、まちがった読み方で返してくる。
まちがえられ率、100%。
こうなるともう、かえってたのしみだ。
どこまで記録更新できるかな。
ちゃんと正しい読みを書いているにもかかわらず、まちがった読みでしか、わたしの名を呼んでくれない方々と出会う記録。
漢字のある国に生まれてよかったと思っているよ。
「音」だけがすべてじゃないなんて、愉快だもの。
必ず。
初対面の方へのメールでは、必ず。
ひらがなをそえるのは、ひらがなのやわらかさが好きなこともあるけど、ほぼ100%名前の読みをまちがえられるせいでもある。
まちがえられないように、正しい読み方を、わざわざひらがなで書いておくわけだ。
しかし。
どんなにひらがなで、正しい読みを書いても、最後の署名がひらがなであっても、実際に会うときに相手は必ず、まちがった読み方で、わたしの名を呼ぶ。
ははは、100%。
例外なし。
FCにも入っていない、なんのコネもない一般ヅカファンであるわたしは、ネットの掲示板を介してチケットのやりとりをよくするのだけど。
そこで出会う方々は、今のところ100%、わたしの名前をまちがっておぼています。
たとえメール上では正しく表記してくれたとしても(わたしがひらがなで名前を書くもんで、相手もひらがなで書いてくれたりする)、いざ会ってみると。
……まちがってます。泣。
思えば子どものころから、正しく読んでもらえなかったな……。
そしてウチの親が、名前をまちがえられても訂正しない人たちだったので、わたしも訂正しないまま育った。どっちでもいいじゃん、わかれば。……そんな感じ。
親しくつきあう人たちだけが、わたしの名前を正しく発音してくれている。
親しくない人は、まちがった音のまま。
いずれ親しくなれば、周囲の人がわたしをどう呼んでいるか耳に入るだろうから、まちがっておぼえていた人たちも、自然と正しい呼び方になっていく。
だから、大人になった今も、わたしは名前の訂正をいちいちしない。
しないけど、自分からメールなどで名乗るときは、できるだけ正しく呼んでもらえるように、漢字とひらがなを併記する。
そして、100%のまちがえられ率に、感心しているわけだ。
わたしの名前、と書いたが、正確には名前ではなく、名字だ。
名字だから、初対面の人に呼ばれたときに「まちがい」がわかるの。初対面だからこそ、名字で呼ぶわけだから。
例としてあげるなら、
「中島なつみ」という名を、メールでいちいち、
中島なつみ(なかしま・なつみ)
と書いているよーなもん。
わざわざ( )で、読みをそえている。
にも関わらず、実際に会うと、
「なかじまさん」
と、呼ばれてしまうよーなもん。
山崎やえ(やまさき・やえ)
と書いたのに、実際に会うと、
「やまざきさん」
と、呼ばれてしまうよーなもんだ。
ちゃんとひらがなで書いたのに。わたしの名字は、濁点つかないのに。清音なのに。
これはやはり、漢字の方が「強い」ってことなのかな。
いくらひらがなをそえても、一度でも漢字を見ると、その漢字の一般的な読みの方をインプットしてしまう。
……厄年のとき、大枚(わたしにとって・笑)はたいて祈祷してもらったのに、お坊さんが読み上げたわたしの名字は、やはりまちがっていた……ちゃんとふりがなふったのに(てゆーか、ふりがなの欄がわざわざ設けてあったのに)、意味ナシ。まちがった名字で祈祷されても、御利益ない気が……。ねえ、門戸厄神さん(笑)。
受験だろうが、面接だろうが、人生節目だろうが、どんなときでも必ず、名字はまちがえられたまま。
漢字のインパクトは大きい。
声に出して正しい名字を名乗っても、一度漢字を見た人は必ず、まちがった読み方で返してくる。
まちがえられ率、100%。
こうなるともう、かえってたのしみだ。
どこまで記録更新できるかな。
ちゃんと正しい読みを書いているにもかかわらず、まちがった読みでしか、わたしの名を呼んでくれない方々と出会う記録。
漢字のある国に生まれてよかったと思っているよ。
「音」だけがすべてじゃないなんて、愉快だもの。
エロワードを書くと、男性陣の検索に引っかかるから、できるだけ避けていたんだが……。
先日、Be-Puちゃんとふたりして、ある話題で盛り上がった。
ずばり、「胸の大きさ」についてだ。
わたしもBe-Puちゃんも、胸は大きくない。……小さい、とは書きたくないぞ(笑)。
わたしとBe-Puちゃんは、体格がものすげーチガウ。ほんのアタマひとつ分ほど。彼女はわたしを「でかい女」と呼ぶし、わたしは笑顔で彼女のアタマを撫でる。
一緒にショッピングに行ったときなんか、ワゴンセールのブラウスを、デザインより値段よりまず、わたしが袖の長さをチェックしはじめたのを見て、爆笑しやがった。
「ワタシ、袖の長さなんて気にしたことない! どんなものでもふつーに合うもん!」
だそーだ。悪かったな、あたしゃなによりまず、袖の長さなんだよ。合う服が極端に少なくてな。
結局そのときは、わたしがしぶしぶ買うのをあきらめたブラウスを、彼女が嬉々として購入した。……くそーっ、わたしが人並みの体格の女なら……っ。
てなふうに、体格がちがいすぎるもんで、身体的なことについての話題はほとんどないままつきあっていた。あまりに共通項がないから、無意味なんだもの。
しかしっ。
共通項があった。
わたしたちは、共に胸が大きくなかった。
話、合うわ合うわ。
胸が大きくないために遭遇したいろんな経験が、実感を持って発せられる。理解し合える。
ああ。
友情の深まるひととき(笑)。
話題は貧乳経験談から、「わたしが出会った巨乳の女たち」になる。巨乳列伝。
そのなかでいちばんの発見は。
「巨乳の人ってさ、カラダ洗うとき、胸を持ち上げてその下を洗うんだよ!!」
ということだった。
ああっ。
ソレ知ってる。わたしも目撃した。
巨乳友のダイコと一緒にお風呂に入ったとき、並んでカラダを洗っていたら、ダイコはすっげーあったりまえにハンドボールのよーな乳を持ち上げて、その下を洗っていたよ。その間もずーっと、ふつーにお喋りしながら。
まだ若かったわたしは、「そ、そうなんだ……」と思って眺めたなあ……あまりに自然に持ち上げるもんだから、日常なんだなってことに、納得しつつもびっくりしつつ。いや、考えてみたら、そんなの当然なんだけど。陰になっている部分は、そーやって洗うしかないけど。それにしても。
「びっくりしたよね……」
「うん。『持ち上げる』っていう概念がなかったからさ……すっげーあったりまえに持ち上げられて、衝撃だった」
「つかわたしら、持ち上げる必要、ないし……」
「ははは。片手で隅々までぴかぴかさー」
ひとはみな、自分を中心に考える。
自分が持っているものは知っているが、持たないものには、想像が及ばない。
Be-Puちゃんが、でか女のわたしが服を買うときにどうしているか知らなかったよーに、わたしもJIS規格より少々小柄なBe-Puちゃんの苦労を知らない。
そして貧乳女は、巨乳女の日常を知らない。
彼女たちには、わたしらが想像もつかない苦労があるのだ。
それこそ、カラダを洗うのに持ち上げなければならないように。
ええ、この日記は、胸の大きな女性を貶める意図でなど書いておりません。
いわば、異文化コミュニケーション、出会うまで知らなかった異文化に対しての考察だったのです。
決して届かない憧憬をこめて、わたしたちは語っておりました。
「胸の大きさ、というものを意識したのは、アレがはじめてだった気がする……」
Be-Puちゃんは遠い目をして言う。
「母親と一緒に温泉に行ったとき、母親が胸を持ち上げて、その下を洗っていたのよ……ショックだった……そうか、そうなのか、って」
Be-Puちゃんの出会ってきた女たちの中で、いちばんの巨乳は、彼女のママンだという。
「なんであの母の娘なのに、ワタシは貧乳なの……?」
それならわたしも、告白しましょう。
思春期のころ、わたしも母の胸を見て思ったよ。
ああわたしは大人になっても、胸は大きくならないんだ、と絶望した。……母の胸の大きさを見て。
Be-Puちゃん、豪快に大爆笑。
巨乳母から生まれた貧乳娘と、貧乳母から生まれた貧乳娘は、こーして友情を深めたのでした。
先日、Be-Puちゃんとふたりして、ある話題で盛り上がった。
ずばり、「胸の大きさ」についてだ。
わたしもBe-Puちゃんも、胸は大きくない。……小さい、とは書きたくないぞ(笑)。
わたしとBe-Puちゃんは、体格がものすげーチガウ。ほんのアタマひとつ分ほど。彼女はわたしを「でかい女」と呼ぶし、わたしは笑顔で彼女のアタマを撫でる。
一緒にショッピングに行ったときなんか、ワゴンセールのブラウスを、デザインより値段よりまず、わたしが袖の長さをチェックしはじめたのを見て、爆笑しやがった。
「ワタシ、袖の長さなんて気にしたことない! どんなものでもふつーに合うもん!」
だそーだ。悪かったな、あたしゃなによりまず、袖の長さなんだよ。合う服が極端に少なくてな。
結局そのときは、わたしがしぶしぶ買うのをあきらめたブラウスを、彼女が嬉々として購入した。……くそーっ、わたしが人並みの体格の女なら……っ。
てなふうに、体格がちがいすぎるもんで、身体的なことについての話題はほとんどないままつきあっていた。あまりに共通項がないから、無意味なんだもの。
しかしっ。
共通項があった。
わたしたちは、共に胸が大きくなかった。
話、合うわ合うわ。
胸が大きくないために遭遇したいろんな経験が、実感を持って発せられる。理解し合える。
ああ。
友情の深まるひととき(笑)。
話題は貧乳経験談から、「わたしが出会った巨乳の女たち」になる。巨乳列伝。
そのなかでいちばんの発見は。
「巨乳の人ってさ、カラダ洗うとき、胸を持ち上げてその下を洗うんだよ!!」
ということだった。
ああっ。
ソレ知ってる。わたしも目撃した。
巨乳友のダイコと一緒にお風呂に入ったとき、並んでカラダを洗っていたら、ダイコはすっげーあったりまえにハンドボールのよーな乳を持ち上げて、その下を洗っていたよ。その間もずーっと、ふつーにお喋りしながら。
まだ若かったわたしは、「そ、そうなんだ……」と思って眺めたなあ……あまりに自然に持ち上げるもんだから、日常なんだなってことに、納得しつつもびっくりしつつ。いや、考えてみたら、そんなの当然なんだけど。陰になっている部分は、そーやって洗うしかないけど。それにしても。
「びっくりしたよね……」
「うん。『持ち上げる』っていう概念がなかったからさ……すっげーあったりまえに持ち上げられて、衝撃だった」
「つかわたしら、持ち上げる必要、ないし……」
「ははは。片手で隅々までぴかぴかさー」
ひとはみな、自分を中心に考える。
自分が持っているものは知っているが、持たないものには、想像が及ばない。
Be-Puちゃんが、でか女のわたしが服を買うときにどうしているか知らなかったよーに、わたしもJIS規格より少々小柄なBe-Puちゃんの苦労を知らない。
そして貧乳女は、巨乳女の日常を知らない。
彼女たちには、わたしらが想像もつかない苦労があるのだ。
それこそ、カラダを洗うのに持ち上げなければならないように。
ええ、この日記は、胸の大きな女性を貶める意図でなど書いておりません。
いわば、異文化コミュニケーション、出会うまで知らなかった異文化に対しての考察だったのです。
決して届かない憧憬をこめて、わたしたちは語っておりました。
「胸の大きさ、というものを意識したのは、アレがはじめてだった気がする……」
Be-Puちゃんは遠い目をして言う。
「母親と一緒に温泉に行ったとき、母親が胸を持ち上げて、その下を洗っていたのよ……ショックだった……そうか、そうなのか、って」
Be-Puちゃんの出会ってきた女たちの中で、いちばんの巨乳は、彼女のママンだという。
「なんであの母の娘なのに、ワタシは貧乳なの……?」
それならわたしも、告白しましょう。
思春期のころ、わたしも母の胸を見て思ったよ。
ああわたしは大人になっても、胸は大きくならないんだ、と絶望した。……母の胸の大きさを見て。
Be-Puちゃん、豪快に大爆笑。
巨乳母から生まれた貧乳娘と、貧乳母から生まれた貧乳娘は、こーして友情を深めたのでした。
ティータイムとショッピング。プラス、女は拳で語り合う。
2004年5月5日 その他 ミヤビンスキーさん(女性・妙齢)に、はたかれた。
テレビに出られるんじゃねーか? てくらい、見事な張り手だった。
「この口か? そんな失礼なことをいうのは、この口かっっ?!!」
きゃ〜〜っ、きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。
そう、わたしたちは女ばかりで午後のお茶をたのしんでいた。主婦がいるから、あくまでも「昼下がり」限定だ。お昼ごはんと晩ごはんの支度までの間にティータイム。
話題はさまざま。
そのなかには、
「親戚づきあいって、ほんとに大変よねえ」
というのもあった。
「よくわかんないんたけど、親戚のひとりが、アタシのことをえんえん文句言うのよ」
と、ミヤビンスキー。
「最初はぜんぜん他のことで怒って、ウチの父に愚痴を言っていたはずなのに、愚痴っているうちに、『そういえばお宅のミヤビンスキーちゃん、前にアタシにひどいこと言ったわ』って、突然矛先がアタシに向いたの」
あー、思い出し怒りか。よくあるね、それは。
「でも、アタシがなにを言ったのかは、教えてくれないの。理由は教えず、ただ罵る。あんまりすごいんで、その人との電話を切った途端父が、『ミヤビンスキーおまえ、いったいなにをやったんだ?!』と詰め寄ってきたよ」
しかしどう考えても、そこまで罵られなきゃいかんほどの失言をしたおぼえはない。もししたとしたら、それはきっとものの道理もわかっていないくらい、子どものころだろう。
あー、大変だね、それは〜〜。
ミヤビンスキーは常識的な人なんで、たしかに大人になってからなら、それほど罵られなきゃいかんほどの失言を目上の人にはしないだろう。社交辞令とか礼儀とか、きちんとしてる人だもん。
いつ、どんなことを言ったのか、一切教えずに、ただの罵るってのが、また……。
求めているのは誠意とか謝罪でなく、ただのストレス発散用のサンドバッグなんじゃあ? って感じだねえ。
「まあ、ひとの感じ方はそれぞれだからね。アタシにとってなんでもないことでも、その人には耐えられないようなことがあって、それを知らずにアタシが言ってしまったのかもしれない」
大人なミヤビンスキーはそう言う。
それを聞いて、わたしたちもうんうんと頷く。そーだね、地雷は人によってチガウからねー。うっかり踏んでしまったら、お互いに不幸だよね。
てな話を、したとこだったんだ。
「ええいっ、アンタはなにを聞いてたんだっ。さっきその話をしただろう。あんたにとってなんでもないひとことでも、アタシには地雷なんだよーっ」
ぽかぽかぽか。あうあうあう。
梅田の雑踏での、どつき漫才。
そう、主婦と解散した後、独身女ふたりだけになったわたしとミヤビンスキーは、ふたりで買い物をしようということになっていた。
にわかソーイング趣味に眼覚めたわたしは、阪急百貨店のクラフト・コーナーへ、ミヤビンスキーは、その下のフロアでやっている靴のバーゲンへ。それぞれ相手につきあって一緒に行きましょう、という運びだった。
わたしが口にした、「地雷なひとこと」とは。
「靴のバーゲンに行きたいの。いろんなサイズがあるらしいって聞いたから」
てなことを言ったミヤビンちゃんに、めーっちゃ素で、
「そうね。足が大きいから、大変よね」
と、言ってしまったのだ。
いや、そーでした、地雷中の地雷でした。
「ぬわんだとぉーっ?!」
という、雄叫びと同時に、張り手が側頭部に炸裂してました。そう、彼女は手と口が同時に出る人なのです(笑)。
そして、あとはマンガのよーな連続ポカポカ攻撃へ。
「アンタにとって『背が高い』が言っちゃいけないことなのと同じで、アタシにとって『足がでかい』は言っちゃいけないことなのよーっ」
きゃ〜〜っ。きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。
しばらく大騒ぎしたあとで、
「コントはこのへんでやめよう」
「そーね、やめよう」
と、ふつーに肩並べて買い物に出発しましたが。
他の誰より、激しくボケとツッコミのアクション・リアクションを要求されるのが、ミヤビンスキーだ……ぜいぜい。
何故、大阪の地下街でコントまがいのどつきあいを……いいトシをして……(笑)。
ミヤビンスキーはねえ、身長が165cmしかないのに、足が25cm以上あるのよーっ。
わたしがカラダがでかいせいで、服を買うのに苦労するよーに、ミヤビンちゃんは靴を買うのに苦労しているのよ。
女性用の靴はふつう、24.5cmまでなんだよね。それ以上のサイズは、別カテゴリ。通常の棚ではなく、ラージサイズ(美しくも「モデルサイズ」とかいう名前がつけられている)コーナーにちょこんとまとめられているんだ。小さな靴屋では、そんなコーナーがはじめからなかったりするんだ。
わたしは、カラダはでかいが、幸いなことに足は人並みな大きさなので、大して苦労はしない。ミヤビンスキー、がんばれ。
そうやって、ふたりで行ったバーゲン会場。
派手に広告出しているわりに規模は小さく、お目当てのモデルサイズの靴も、ほんの少ししかなかった。
「緑野は好きに見て回ってて」
と、ミヤビンスキーが言うので、わたしはひとりで他のコーナーを見て回っていた。靴だけでなく、他のファッション雑貨のバーゲンもやっていたから。
一通り見て、ミヤビンスキーがいるモデルサイズ・コーナーへ行くと。
「もういいわ。買いたいの、ないし」
というミヤビンスキーは、そこはかとなく不機嫌。
「ものすごく不愉快だったわ。広告のわりにしょぼくてがっかりしながら、それでもなにかないかと思って真面目に探してみてたら。
後ろを通る女たちが、口をそろえて言うのよ。
『なにコレ、おっき〜〜い』
『こんなの、誰が履くのー?』
『きっと男の人用だよ』
…………むっくぅわ〜〜っ、アタシが男に見えるのかっ? ああ?! 悪かったわね、足がでかくて!」
どうどう。落ち着け落ち着け(笑)。
あたしだって、ブティックで男性用すすめられたことあるよー。女性用がことごとく袖が短くてな……わたしゃ、さりげなく手が長いんじゃ……胴も長いけどな……。
「あー、若い娘さんたちは、きれーでいいのう」
「まったくのう。若い娘さんたちが着る服は、みんなきれーでいいのう」
「しかしばばあにはちと、ついていけん服も多いのう」
「あー、アレとかアレとか、誰が着るんじゃろうのう」
「舞踏会とかかの」
「それって某港で開催される……?」
「げふんげふん」
いいかげんわたしらも、トシ相応の格好しなきゃダメだよなあ、と言いつつ、年齢不詳ファッションの独身女ふたりでウインドウショッピングに明け暮れました。
もちろんなにをしていても、どつき漫才、コントは必須。ミヤビンスキーくんは、そういう人。
テレビに出られるんじゃねーか? てくらい、見事な張り手だった。
「この口か? そんな失礼なことをいうのは、この口かっっ?!!」
きゃ〜〜っ、きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。
そう、わたしたちは女ばかりで午後のお茶をたのしんでいた。主婦がいるから、あくまでも「昼下がり」限定だ。お昼ごはんと晩ごはんの支度までの間にティータイム。
話題はさまざま。
そのなかには、
「親戚づきあいって、ほんとに大変よねえ」
というのもあった。
「よくわかんないんたけど、親戚のひとりが、アタシのことをえんえん文句言うのよ」
と、ミヤビンスキー。
「最初はぜんぜん他のことで怒って、ウチの父に愚痴を言っていたはずなのに、愚痴っているうちに、『そういえばお宅のミヤビンスキーちゃん、前にアタシにひどいこと言ったわ』って、突然矛先がアタシに向いたの」
あー、思い出し怒りか。よくあるね、それは。
「でも、アタシがなにを言ったのかは、教えてくれないの。理由は教えず、ただ罵る。あんまりすごいんで、その人との電話を切った途端父が、『ミヤビンスキーおまえ、いったいなにをやったんだ?!』と詰め寄ってきたよ」
しかしどう考えても、そこまで罵られなきゃいかんほどの失言をしたおぼえはない。もししたとしたら、それはきっとものの道理もわかっていないくらい、子どものころだろう。
あー、大変だね、それは〜〜。
ミヤビンスキーは常識的な人なんで、たしかに大人になってからなら、それほど罵られなきゃいかんほどの失言を目上の人にはしないだろう。社交辞令とか礼儀とか、きちんとしてる人だもん。
いつ、どんなことを言ったのか、一切教えずに、ただの罵るってのが、また……。
求めているのは誠意とか謝罪でなく、ただのストレス発散用のサンドバッグなんじゃあ? って感じだねえ。
「まあ、ひとの感じ方はそれぞれだからね。アタシにとってなんでもないことでも、その人には耐えられないようなことがあって、それを知らずにアタシが言ってしまったのかもしれない」
大人なミヤビンスキーはそう言う。
それを聞いて、わたしたちもうんうんと頷く。そーだね、地雷は人によってチガウからねー。うっかり踏んでしまったら、お互いに不幸だよね。
てな話を、したとこだったんだ。
「ええいっ、アンタはなにを聞いてたんだっ。さっきその話をしただろう。あんたにとってなんでもないひとことでも、アタシには地雷なんだよーっ」
ぽかぽかぽか。あうあうあう。
梅田の雑踏での、どつき漫才。
そう、主婦と解散した後、独身女ふたりだけになったわたしとミヤビンスキーは、ふたりで買い物をしようということになっていた。
にわかソーイング趣味に眼覚めたわたしは、阪急百貨店のクラフト・コーナーへ、ミヤビンスキーは、その下のフロアでやっている靴のバーゲンへ。それぞれ相手につきあって一緒に行きましょう、という運びだった。
わたしが口にした、「地雷なひとこと」とは。
「靴のバーゲンに行きたいの。いろんなサイズがあるらしいって聞いたから」
てなことを言ったミヤビンちゃんに、めーっちゃ素で、
「そうね。足が大きいから、大変よね」
と、言ってしまったのだ。
いや、そーでした、地雷中の地雷でした。
「ぬわんだとぉーっ?!」
という、雄叫びと同時に、張り手が側頭部に炸裂してました。そう、彼女は手と口が同時に出る人なのです(笑)。
そして、あとはマンガのよーな連続ポカポカ攻撃へ。
「アンタにとって『背が高い』が言っちゃいけないことなのと同じで、アタシにとって『足がでかい』は言っちゃいけないことなのよーっ」
きゃ〜〜っ。きゃ〜〜っ、ごめんなさ〜〜いっ。
しばらく大騒ぎしたあとで、
「コントはこのへんでやめよう」
「そーね、やめよう」
と、ふつーに肩並べて買い物に出発しましたが。
他の誰より、激しくボケとツッコミのアクション・リアクションを要求されるのが、ミヤビンスキーだ……ぜいぜい。
何故、大阪の地下街でコントまがいのどつきあいを……いいトシをして……(笑)。
ミヤビンスキーはねえ、身長が165cmしかないのに、足が25cm以上あるのよーっ。
わたしがカラダがでかいせいで、服を買うのに苦労するよーに、ミヤビンちゃんは靴を買うのに苦労しているのよ。
女性用の靴はふつう、24.5cmまでなんだよね。それ以上のサイズは、別カテゴリ。通常の棚ではなく、ラージサイズ(美しくも「モデルサイズ」とかいう名前がつけられている)コーナーにちょこんとまとめられているんだ。小さな靴屋では、そんなコーナーがはじめからなかったりするんだ。
わたしは、カラダはでかいが、幸いなことに足は人並みな大きさなので、大して苦労はしない。ミヤビンスキー、がんばれ。
そうやって、ふたりで行ったバーゲン会場。
派手に広告出しているわりに規模は小さく、お目当てのモデルサイズの靴も、ほんの少ししかなかった。
「緑野は好きに見て回ってて」
と、ミヤビンスキーが言うので、わたしはひとりで他のコーナーを見て回っていた。靴だけでなく、他のファッション雑貨のバーゲンもやっていたから。
一通り見て、ミヤビンスキーがいるモデルサイズ・コーナーへ行くと。
「もういいわ。買いたいの、ないし」
というミヤビンスキーは、そこはかとなく不機嫌。
「ものすごく不愉快だったわ。広告のわりにしょぼくてがっかりしながら、それでもなにかないかと思って真面目に探してみてたら。
後ろを通る女たちが、口をそろえて言うのよ。
『なにコレ、おっき〜〜い』
『こんなの、誰が履くのー?』
『きっと男の人用だよ』
…………むっくぅわ〜〜っ、アタシが男に見えるのかっ? ああ?! 悪かったわね、足がでかくて!」
どうどう。落ち着け落ち着け(笑)。
あたしだって、ブティックで男性用すすめられたことあるよー。女性用がことごとく袖が短くてな……わたしゃ、さりげなく手が長いんじゃ……胴も長いけどな……。
「あー、若い娘さんたちは、きれーでいいのう」
「まったくのう。若い娘さんたちが着る服は、みんなきれーでいいのう」
「しかしばばあにはちと、ついていけん服も多いのう」
「あー、アレとかアレとか、誰が着るんじゃろうのう」
「舞踏会とかかの」
「それって某港で開催される……?」
「げふんげふん」
いいかげんわたしらも、トシ相応の格好しなきゃダメだよなあ、と言いつつ、年齢不詳ファッションの独身女ふたりでウインドウショッピングに明け暮れました。
もちろんなにをしていても、どつき漫才、コントは必須。ミヤビンスキーくんは、そういう人。
記憶の迷宮。出口はどこ?
2004年5月4日 その他 人生は、謎に満ちている。
部屋の中に、聞き慣れない音楽が響いた。
なんだろう、知っている曲だ。
携帯電話の着メロ。
電話の相手は、待ち人のBe-Puちゃんだった。え、今から家を出るの? ……えーと、今ごろはわたしの家に着いてなきゃいけなかったんじゃ……? まあ、いいや。クリスティーナさんには少し待ってもらおう。
電話で話しながらも、頭の隅でさっき聞いた着メロを反芻していた。
えーと、なんだっけ、あの曲。
家まで迎えに来てくれたBe-Puちゃんの車の助手席で、思い至りました。
「そーだ、『エスパー魔美』の“テレポテーション”だっ」
アニメ『エスパー魔美』の主題歌。
どーりで知ってるわけだ。
ただ問題は。
「なんで『エスパー魔美』??」
ハンドルを握るBe-Puちゃんも、悲鳴のよーに言う。
なんででしょう?
なんだってわたしは、Be-Puちゃんからの着メロを、わざわざ『エスパー魔美』にしていたんでしょう。
おぼえてない。
ぜんっぜん、おぼえてない。
携帯電話をトイレに流してクラッシュ、全メモリ消失のBe-Puちゃんは、ずいぶん長い期間、だれにも電話ができなかったらしい。つまり、わたしの携帯に電話をしてくることも、まったくなかった(自宅にはかかってきたけど)。
ほんとにひさしぶりだったんだよね、Be-Puちゃんから携帯に電話が入ったの。
だから、Be-Puちゃん専用の着メロをなにに設定していたかなんて、すっかり忘却の彼方。
『エスパー魔美』だったんだ……。
何故。
「名前がかぶってるとかならまだしも……ぜんぜんかぶってないじゃない」
と、Be-Puちゃん。
はい、まったくその通りです。
「あたしゃ、どんな曲かも知らないよ。そんなマンガ、見たことないし」
と、Be-Puちゃん。
あなたが好きだから設定した、というわけではないわけですねー。
わたしはいったい何故、あなたの着メロを『エスパー魔美』にしたんでしょうねえ。
さーっぱりわかりません。
人生は、謎に満ちている。
クリスティーナさんは、悲鳴を上げた。
「アタシが朝海ひかるを好き? なにそれ。ありえない」
ええっ?!
だってあなた、昔わたしにそう言ったじゃない。
『君に恋してラビリンス』のとき、「花組でみーさん(ガイチのこと)の次に好きなのが、この朝海ひかるって子なの。見てやってね」って。
そのあとにあったTCAで、トド様と踊っている謎の女装男役のことも、「あれは朝海ひかる」ってわたしに教えてくれたじゃない。宙組誕生のときも、なにかとコムちゃんのこと話していたじゃない。ここんとこヅカなんてまったく観に行ってないのに、コムちゃんのお披露目公演だけは観に行っていたじゃない。
会話とシチュエーションをひとつひとつ再現しても、クリスティーナさんは完全否定。
「そんな会話をしたおぼえはない」
えええ?
会話自体、存在しないって?
けっこうな数の話なんですけど?
「アタシが朝海ひかるを好きだったことなんて、アタシの人生でただの一度も存在しない。絶対にあり得ない」
そ、そうなのか……。
てゆーか、そこまで否定しなくても……。
まあ、ただの一度も興味すら持ったことのない人の名前を挙げられて、「あなたこの人のこと、好きなんだよね」と言われたら、びっくりして否定するだろうけど。
クリスティーナさんの否定の仕方はそんな感じだった。最初はわたしの言葉さえ理解できていないふうだったし。それくらい、なんの脈絡もない話だったんだろう。
ひとと記憶のマジック。
人生は、謎に満ちている。
てか、たんにわたしがカンチガイしていることが多いってだけか。
部屋の中に、聞き慣れない音楽が響いた。
なんだろう、知っている曲だ。
携帯電話の着メロ。
電話の相手は、待ち人のBe-Puちゃんだった。え、今から家を出るの? ……えーと、今ごろはわたしの家に着いてなきゃいけなかったんじゃ……? まあ、いいや。クリスティーナさんには少し待ってもらおう。
電話で話しながらも、頭の隅でさっき聞いた着メロを反芻していた。
えーと、なんだっけ、あの曲。
家まで迎えに来てくれたBe-Puちゃんの車の助手席で、思い至りました。
「そーだ、『エスパー魔美』の“テレポテーション”だっ」
アニメ『エスパー魔美』の主題歌。
どーりで知ってるわけだ。
ただ問題は。
「なんで『エスパー魔美』??」
ハンドルを握るBe-Puちゃんも、悲鳴のよーに言う。
なんででしょう?
なんだってわたしは、Be-Puちゃんからの着メロを、わざわざ『エスパー魔美』にしていたんでしょう。
おぼえてない。
ぜんっぜん、おぼえてない。
携帯電話をトイレに流してクラッシュ、全メモリ消失のBe-Puちゃんは、ずいぶん長い期間、だれにも電話ができなかったらしい。つまり、わたしの携帯に電話をしてくることも、まったくなかった(自宅にはかかってきたけど)。
ほんとにひさしぶりだったんだよね、Be-Puちゃんから携帯に電話が入ったの。
だから、Be-Puちゃん専用の着メロをなにに設定していたかなんて、すっかり忘却の彼方。
『エスパー魔美』だったんだ……。
何故。
「名前がかぶってるとかならまだしも……ぜんぜんかぶってないじゃない」
と、Be-Puちゃん。
はい、まったくその通りです。
「あたしゃ、どんな曲かも知らないよ。そんなマンガ、見たことないし」
と、Be-Puちゃん。
あなたが好きだから設定した、というわけではないわけですねー。
わたしはいったい何故、あなたの着メロを『エスパー魔美』にしたんでしょうねえ。
さーっぱりわかりません。
人生は、謎に満ちている。
クリスティーナさんは、悲鳴を上げた。
「アタシが朝海ひかるを好き? なにそれ。ありえない」
ええっ?!
だってあなた、昔わたしにそう言ったじゃない。
『君に恋してラビリンス』のとき、「花組でみーさん(ガイチのこと)の次に好きなのが、この朝海ひかるって子なの。見てやってね」って。
そのあとにあったTCAで、トド様と踊っている謎の女装男役のことも、「あれは朝海ひかる」ってわたしに教えてくれたじゃない。宙組誕生のときも、なにかとコムちゃんのこと話していたじゃない。ここんとこヅカなんてまったく観に行ってないのに、コムちゃんのお披露目公演だけは観に行っていたじゃない。
会話とシチュエーションをひとつひとつ再現しても、クリスティーナさんは完全否定。
「そんな会話をしたおぼえはない」
えええ?
会話自体、存在しないって?
けっこうな数の話なんですけど?
「アタシが朝海ひかるを好きだったことなんて、アタシの人生でただの一度も存在しない。絶対にあり得ない」
そ、そうなのか……。
てゆーか、そこまで否定しなくても……。
まあ、ただの一度も興味すら持ったことのない人の名前を挙げられて、「あなたこの人のこと、好きなんだよね」と言われたら、びっくりして否定するだろうけど。
クリスティーナさんの否定の仕方はそんな感じだった。最初はわたしの言葉さえ理解できていないふうだったし。それくらい、なんの脈絡もない話だったんだろう。
ひとと記憶のマジック。
人生は、謎に満ちている。
てか、たんにわたしがカンチガイしていることが多いってだけか。
アプローチGOGO、フラれてもGOGO。
2004年5月3日 その他 GWに入って、いろんな人にメールを出しました。
普段、筆無精こいてまったく連絡していない人たちにです。
「住所を貸して。懸賞に応募したいの」
きっかけとなる用件はコレです。
某ショップの宝塚歌劇貸切ご招待チケットの懸賞に応募するために、協力者が欲しかったの。わたしとわたしの家族全員の名前では、すでに応募済み。そして、くじ運のまったくない我がファミリーの名前で当選するとはとても思えない。
となれば、友に頼るしかないっ。
ヅカに興味のない友だちに連絡だっ。
ヅカ好きであっても、普段はそれほど観劇していない友だちに連絡だっ。ディープなヅカファン友だちはきっと、自分ですでに応募しているだろうから。
あんまりひさしぶりだから、メルアド紛失している友人もぼろぼろ。
ポスペがクラッシュして、アドレス無くしたままだったんだよな……。がっくり。
それでもなんとか連絡を取った友人たち。
きっかけはたしかに、私欲がらみ。
しかし。
せっかくメールするんだもん。
みんなどうしてるの、元気なの、会いたいわ、お喋りしたいわ。
きっかけがなけりゃ、普段はわざわざ会うことのない人たちだからこそ。
ここぞとばかり、お誘いだ。
「GWはいかがお過ごしですか? もしお暇なら、緑野とお茶でもいかがですか」
たくさん出したのに、デートOKの返事が来たのはひとりだけ。
懸賞のために住所を貸してください、については、みんな快諾してくれてるんだけど、会ってお喋りしましょ、には社交辞令しか返ってこない。
振られ率、高し!! あたし、ぜんぜんモテない?!
ヘコみつつも、メールの返信に明け暮れる。住所使わせてくれてありがとう、もし当たったら、ご招待はペアだから、一緒にヅカに行きませんか、などなど。
しかし、日が経つにつれ、徐々に色よい返事がやってくるよーになった。
みんな、即答できるほどヒマじゃなかったってことよね。うう、ごめん、わたしひとりヒマ人で。
次々と舞い込む、「会いましょうよ、たのしみだわ」の返事。
わーいわーい。
そして、セッティングのためのメール送信に明け暮れる。
ひとりずつとデートは日数的に不可能だから、みんなで一緒に会いましょう。プチ同窓会しましょう。あなたは何日がいい? あなたは? それなら何日にどこそこはいかがですか?
普段幹事とかやらないもんだから、たまにやると手際悪いよな、わたし……。
とゆーことで、なんとなく多忙なGWにごきげんなのです。
日本中のひとたちがたのしそうにしている大型連休だもの、やっぱりひとりでは過ごしたくないよね。
予定が欲しいよね。
猫は今、傍迷惑な抜け毛の季節。
身をすり寄せられても、「うわっ、毛がつくから寄らないで」と避けずにはいられない季節。
だからこそ、より人恋しい季節なのですわ。(そんな理屈……)
普段、筆無精こいてまったく連絡していない人たちにです。
「住所を貸して。懸賞に応募したいの」
きっかけとなる用件はコレです。
某ショップの宝塚歌劇貸切ご招待チケットの懸賞に応募するために、協力者が欲しかったの。わたしとわたしの家族全員の名前では、すでに応募済み。そして、くじ運のまったくない我がファミリーの名前で当選するとはとても思えない。
となれば、友に頼るしかないっ。
ヅカに興味のない友だちに連絡だっ。
ヅカ好きであっても、普段はそれほど観劇していない友だちに連絡だっ。ディープなヅカファン友だちはきっと、自分ですでに応募しているだろうから。
あんまりひさしぶりだから、メルアド紛失している友人もぼろぼろ。
ポスペがクラッシュして、アドレス無くしたままだったんだよな……。がっくり。
それでもなんとか連絡を取った友人たち。
きっかけはたしかに、私欲がらみ。
しかし。
せっかくメールするんだもん。
みんなどうしてるの、元気なの、会いたいわ、お喋りしたいわ。
きっかけがなけりゃ、普段はわざわざ会うことのない人たちだからこそ。
ここぞとばかり、お誘いだ。
「GWはいかがお過ごしですか? もしお暇なら、緑野とお茶でもいかがですか」
たくさん出したのに、デートOKの返事が来たのはひとりだけ。
懸賞のために住所を貸してください、については、みんな快諾してくれてるんだけど、会ってお喋りしましょ、には社交辞令しか返ってこない。
振られ率、高し!! あたし、ぜんぜんモテない?!
ヘコみつつも、メールの返信に明け暮れる。住所使わせてくれてありがとう、もし当たったら、ご招待はペアだから、一緒にヅカに行きませんか、などなど。
しかし、日が経つにつれ、徐々に色よい返事がやってくるよーになった。
みんな、即答できるほどヒマじゃなかったってことよね。うう、ごめん、わたしひとりヒマ人で。
次々と舞い込む、「会いましょうよ、たのしみだわ」の返事。
わーいわーい。
そして、セッティングのためのメール送信に明け暮れる。
ひとりずつとデートは日数的に不可能だから、みんなで一緒に会いましょう。プチ同窓会しましょう。あなたは何日がいい? あなたは? それなら何日にどこそこはいかがですか?
普段幹事とかやらないもんだから、たまにやると手際悪いよな、わたし……。
とゆーことで、なんとなく多忙なGWにごきげんなのです。
日本中のひとたちがたのしそうにしている大型連休だもの、やっぱりひとりでは過ごしたくないよね。
予定が欲しいよね。
猫は今、傍迷惑な抜け毛の季節。
身をすり寄せられても、「うわっ、毛がつくから寄らないで」と避けずにはいられない季節。
だからこそ、より人恋しい季節なのですわ。(そんな理屈……)
あまりに日記を書き込めない日が続いたんで、このことを書くつもりだったのを、ずっと忘れてた。このサイト、不安定だよなぁ。
前に書いた日記はエラー出て全文消えちゃったし。
郵便局のことで、質問。
「自営業の人は、定休日には書留などの配達をしてもらえない」ということを、みなさんはご存じでしたか?
わたしは知らなかったので、2日ほどじたばたしました。
郵便局のHPで、書留等の追跡調査ができます。どこまで届いているか、配達があったかどうかが一般人にも見ることができます。
そこで問題の郵便物は、「月曜日に配達したが、不在だった」「火曜日に再配達予定」とあった。
月曜日、べつに不在でもなんでもなかった。でも、さすがに丸1日家を一度も空けなかったわけじゃないから、たまたま留守をしたタイミングで配達の人が来ちゃったんだろうと解釈した。
ので、「再配達する」と明言されている火曜日に、1日家を空けず、ずーーっと待っていた。
しかし、配達はなかった。
5時まで待って郵便局に問い合わせの電話をした。
そこからが、さあ大変。
問い合わせにつぐ問い合わせ、すったもんだで5時間半。
郵便物を手にすることができたのは、午後10時半でした。
翌日、配達の人から改めて説明を受けた。
「自営業の人には、たとえ自宅と店舗が同一であっても、宛名が個人名であっても、定休日には配達しない。それが郵便局のルール。そもそも配達自体しないのだから、不在票も入れない」
それは知らなかった。
無知だったために、2日も無駄にしちゃったよ。
でもHPではいちおー、「月曜日に配達した」とか「火曜日に再配達」って出てたからさ。
そーゆールールがあるなら、そこにひとこと、「ただし、自宅で開業されている場合、定休日には配達を行いません」と書いておいてくれればいいのに。
てゆーか、どこに書いてあるの?
「どこにも書いてません」
へ?
なんで書かないの?
HPだけじゃなく、郵便局のお知らせとかポスターとか、いくらでも注意書きできるじゃん。
「利用者に知らせることはしていませんが、これが郵便局のルールです」
どうして知らせないの?
「……(無言)……」
自宅で開業している人間は、そこに住んでいるにもかかわらず、他の人より書留を配達してもらえる曜日が少ないわけでしょ? 不在票も入れてもらえないから、そーゆー郵便が最寄りの郵便局まで届いていることさえ知らないわけでしょ? 郵便局のサービスを受けることが、ふつーの人より少ないわけでしょ?
そのこと、ちゃんと教えてくれないと、不便だよー。
「文句は、郵政省に言ってください」
いやあの。
「自宅で開業していると書留を配達してもらえない曜日がある」というルールはわかったよ。わたし個人としては、そのことに不満だけど、「ルール」なら仕方ないと納得するよ。世の中、そーゆーもんだからな。
わたしが今、問題にしているのは、その「ルール」を何故、明示しないのかということさ。
「ルール」なんでしょう? 「郵便局を利用する上での決まり事」なんでしょう?
だったらソレ、最初に教えてくれなきゃ、守ることもできないじゃん。
どうして教えてくれないの?
「利用者に教えることは、勘弁して下さい。それはできません」
ええええっ?!
「それがルールだ、我慢しろ」って言うのに、そんなルールがあることは「内緒」なの?
あの、郵便局全体を変えろとは言わないよ? **郵便局の掲示板に、「お知らせ」ってポスターを貼ってくれるだけでもいいんだけど?
「無理です」
明示できないルールか……。
闇が深そうだな、郵便局。
とりあえず、「知っている人だけが得をする裏情報」として、「自宅で開業している人は、定休日に郵便物を受け取りたい場合はその都度郵便局に電話して配達を頼め」だそうです。
まあそもそも、インターネット上で「郵便追跡」ができるようになったから、わかったことなんだよね。
つまり今までは、「変だな、今日あたり届くはずの郵便が来ないや」と不思議に思いつつもスルーしていたことだから。
月曜日(定休日)に書留などの郵便がないことも、ただの偶然だと思っていて、ずっと知らなかったよ。
そうか、配達自体してもらえてないんだ。お隣には配達しても、我が家はスルーされてたんだ。
ネットのおかげで、知らなかったルールを知ることができたわけだ。
そう。
とりあえず、「利用者に教えることができない、利用者が不便な思いをするルール」があるって事実を知ることができて、よかったです。
前に書いた日記はエラー出て全文消えちゃったし。
郵便局のことで、質問。
「自営業の人は、定休日には書留などの配達をしてもらえない」ということを、みなさんはご存じでしたか?
わたしは知らなかったので、2日ほどじたばたしました。
郵便局のHPで、書留等の追跡調査ができます。どこまで届いているか、配達があったかどうかが一般人にも見ることができます。
そこで問題の郵便物は、「月曜日に配達したが、不在だった」「火曜日に再配達予定」とあった。
月曜日、べつに不在でもなんでもなかった。でも、さすがに丸1日家を一度も空けなかったわけじゃないから、たまたま留守をしたタイミングで配達の人が来ちゃったんだろうと解釈した。
ので、「再配達する」と明言されている火曜日に、1日家を空けず、ずーーっと待っていた。
しかし、配達はなかった。
5時まで待って郵便局に問い合わせの電話をした。
そこからが、さあ大変。
問い合わせにつぐ問い合わせ、すったもんだで5時間半。
郵便物を手にすることができたのは、午後10時半でした。
翌日、配達の人から改めて説明を受けた。
「自営業の人には、たとえ自宅と店舗が同一であっても、宛名が個人名であっても、定休日には配達しない。それが郵便局のルール。そもそも配達自体しないのだから、不在票も入れない」
それは知らなかった。
無知だったために、2日も無駄にしちゃったよ。
でもHPではいちおー、「月曜日に配達した」とか「火曜日に再配達」って出てたからさ。
そーゆールールがあるなら、そこにひとこと、「ただし、自宅で開業されている場合、定休日には配達を行いません」と書いておいてくれればいいのに。
てゆーか、どこに書いてあるの?
「どこにも書いてません」
へ?
なんで書かないの?
HPだけじゃなく、郵便局のお知らせとかポスターとか、いくらでも注意書きできるじゃん。
「利用者に知らせることはしていませんが、これが郵便局のルールです」
どうして知らせないの?
「……(無言)……」
自宅で開業している人間は、そこに住んでいるにもかかわらず、他の人より書留を配達してもらえる曜日が少ないわけでしょ? 不在票も入れてもらえないから、そーゆー郵便が最寄りの郵便局まで届いていることさえ知らないわけでしょ? 郵便局のサービスを受けることが、ふつーの人より少ないわけでしょ?
そのこと、ちゃんと教えてくれないと、不便だよー。
「文句は、郵政省に言ってください」
いやあの。
「自宅で開業していると書留を配達してもらえない曜日がある」というルールはわかったよ。わたし個人としては、そのことに不満だけど、「ルール」なら仕方ないと納得するよ。世の中、そーゆーもんだからな。
わたしが今、問題にしているのは、その「ルール」を何故、明示しないのかということさ。
「ルール」なんでしょう? 「郵便局を利用する上での決まり事」なんでしょう?
だったらソレ、最初に教えてくれなきゃ、守ることもできないじゃん。
どうして教えてくれないの?
「利用者に教えることは、勘弁して下さい。それはできません」
ええええっ?!
「それがルールだ、我慢しろ」って言うのに、そんなルールがあることは「内緒」なの?
あの、郵便局全体を変えろとは言わないよ? **郵便局の掲示板に、「お知らせ」ってポスターを貼ってくれるだけでもいいんだけど?
「無理です」
明示できないルールか……。
闇が深そうだな、郵便局。
とりあえず、「知っている人だけが得をする裏情報」として、「自宅で開業している人は、定休日に郵便物を受け取りたい場合はその都度郵便局に電話して配達を頼め」だそうです。
まあそもそも、インターネット上で「郵便追跡」ができるようになったから、わかったことなんだよね。
つまり今までは、「変だな、今日あたり届くはずの郵便が来ないや」と不思議に思いつつもスルーしていたことだから。
月曜日(定休日)に書留などの郵便がないことも、ただの偶然だと思っていて、ずっと知らなかったよ。
そうか、配達自体してもらえてないんだ。お隣には配達しても、我が家はスルーされてたんだ。
ネットのおかげで、知らなかったルールを知ることができたわけだ。
そう。
とりあえず、「利用者に教えることができない、利用者が不便な思いをするルール」があるって事実を知ることができて、よかったです。
0から再スタート。まあ、気分が変わっていいか。
2004年3月17日 その他 書いた日記がことごとく消え、ちと書く気が失せていた数日(笑)。
なんでこー、エラーばっか出るんだろう、このサイト。
そして今日また、カウンターとんでるし。
何回目だ?
他の人の日記見たけど、べつにとんでないじゃん。
なんでわたしの日記ばっかとぶの?
エラー出て、書いたモノが消えちゃうのもわたしだけ?
わたしが悪いのか、ひょっとして。
なんでこー、エラーばっか出るんだろう、このサイト。
そして今日また、カウンターとんでるし。
何回目だ?
他の人の日記見たけど、べつにとんでないじゃん。
なんでわたしの日記ばっかとぶの?
エラー出て、書いたモノが消えちゃうのもわたしだけ?
わたしが悪いのか、ひょっとして。
打てば響く人(笑)。@お茶碾き器 「ムトウティーファイン」
2004年3月14日 その他
わたしには、かめたさんというメル友がいる。
かめたさんは静岡在住。毎年わたしにおいしいお茶を送ってくれるやさしい人。
やっぱ名産地のお茶はチガウよねっ、とわたしは毎日おいしくお茶をいただいております。
ええ。
わたしは、ものすっげー茶飲みです。
毎日毎日、あびるよーに(笑)飲んでいます。
濃いめのお茶が好きで、出がらしなんてもってのほか。茶葉は1回限りの使い捨て、2度もお湯を注いだりはいたしません。そのかわり1杯目をよーく蒸らして濃くして飲む。
そんなわたしだから、お茶っ葉の使用量のすごいこと。そして、茶殻の多いこと。生ゴミの大部分を占めるのが茶殻であるというこの現実。
さすがにね、なんとかならんもんかと思いましたのよ。
ゴミを捨てながら。
こんなに大量の茶殻を捨てる毎日に疑問。
茶殻の出ない方法を、まじめに考えるべきなんじゃないのか、わたし?
つーことで、かめたさんに相談。
「ねえねえ、お茶っ葉を粉末にする機械ってあったよねえ? あれってどうなんだろ」
そしたら、即答ですよ。
「以前使ったことがあるけど、あまりよくなかったですよ」
と。
答えが返るとは思わなかった。
だって、わたしの周囲の人たちは、わたしが粉末茶のことを話題にしても「なにソレ?また緑野が変なものに興味持ってる」程度でスルーだったのよ?
そーゆー存在があることは知っている。でも興味もないし、これから先も自分にはなんの関係もない。……と決めつけているような反応しか、なかったんだもんよ。
なのに、かめたさんからは、ちゃんと答えが返った。
てゆーか。
使ったことがあるてのがすごい。
いやあ、心強い友人ですよ。緑野、大喜び。お茶のことが相談できる人がいてくれてよかった〜。
かめたさんは打てば響く人なので、わたしが粉末茶に興味があるとメールに書いた直後に、静岡製の粉末茶を送ってくれた。粉末茶としてふつうに販売されているやつね。
聞きかじりとネットでの知識しかないわたしに、まず現物を試してみろ、と。ありがたい。
ほほお、これが粉末茶か。いつも使うビジネスホテルに置いてある1杯分使い切りのヤツしか、使ったことのないわたしには新鮮。
自分でスプーンに適量取って、お湯を注ぐ。
……お茶を飲んでいる気がしない……。
味は、いまいちでした。
うーん……たしかに、カテキン丸ごと摂取とか、茶殻が出ないとか、少しの量でたくさん飲めるから経済的とか、利点はいろいろあるものの、味がコレだとなあ。
ちゃんとしたお茶会社が販売している、プロの製品がコレだとすると、一般家庭で自力で作る粉末茶は当然これ以下の味ってことよね。
かめたさんが、家庭用お茶ミルを過去に使用したことがあり、あまりよい結果を得られなかったので早々にミルを手放してしまった、という経験談もうなずける話だったし。
どうしたもんか。
てなことをやってるうちに、また微妙に時は流れ。
次に、かめたさんから別の粉末茶が送られてきた。
今度のは、某社販売のお茶ミルで、実際に挽かれた品だという。某社に問い合わせた際に、わたしの分まで試飲品をもらってくれたのだ。
おや?
この粉末茶は、前に飲んだ粉末茶より、ずっとおいしかった。
これを、一般家庭で作れるの?
かめたさんも、以前手放したお茶ミルで挽いた粉末茶より、ずっとおいしいと言っていた。
それまで漠然とお茶ミルを調べていたのが、一気に目標が決まる。
某社製のお茶挽き器を手に入れるぞ!!
某社のHPからさっさと定価で買えばいいんだが、びんぼーなもんでつい、少しでも安く手に入れられないかと奔走する(笑)。
ああそして、今月アタマによーやく手に入ったのだよ、某社製お茶挽き器!!
その日は法事で朝からばたばたしていたんだが、お坊さんを見送ったあとに、いそいそと箱から出し、説明書片手に初挑戦。お茶のためならがんばります!
いやあ、この説明書がねー、笑えるくらい不親切でさー。知りたいことはまったく載ってないのよ。客観性に著しく欠けている……。
日本語の添削したくてうずうずしたわ(笑)。
それでも、説明書にない部分を想像で埋めて使用開始。
電動式ですから。スイッチON!
うわっ、でかい音(笑)。きりきりぐおんぐおん、いかにも「挽いてます、すりおろしてます!」って感じ。
隣の部屋に置いておこう……うるさくてテレビが見れない……。
音が止まってから、わくわくと機械を開ける。
おお。
粉末茶ができてます!!
作業を繰り返し、付属の茶筒にできたての粉末茶を入れ、親の家に報告に行く。
見て見て、うちで作った粉末茶だよー。
味は試飲品と同じ印象。たぶん使っている茶葉がチガウから、微妙にチガウんだとは思うけど、わたしごときの舌では区別つかず。
ふつーにおいしい。
「へええ、いいじゃないの。それでコレ、簡単にできるの? アタシがお茶っ葉買ってきたらアンタ、粉にしてくれる?」
と、母。
簡単と言えば簡単。
しかし。
面倒なことは山積みだ(笑)。
いろんな人たちが、「1〜2回使っただけ」でこの機械を手放す気持ちが、よーっくわかった。
お茶に対してそれほど需要だとか情熱のない人が使い続けるには、高い階段だと思うな。この面倒さは。
まず、時間の問題。15分間しか、動かないんだ、この機械。15分間、けっこうな騒音をたてて挽けるのは、とっても少量のお茶だけ。
15分を何度も繰り返して一定量のお茶を挽くことになるわけだが、連続使用は2回まで。15分動かしてできた粉末茶を取り出し、次にお茶っ葉を新たに入れてスイッチオン、さらに15分。……そしたら次は、30分以上は使用禁止ときたもんだ。
小さな茶筒ひとつ分の粉末茶を作るのに、数時間必要。下手したら半日仕事か(笑)。
そしてなによりつらい、使用後の清掃。
機械をいじるのは、古新聞紙の上がのぞましいです。
なんでって、ちょっと触るだけでそのへん緑色の粉だらけになるから(笑)。
機械の中は粉だらけ。
もったいない……なんで粉受け引き出しの中に全部入ってくれないの? ものすごい量の粉が、奔放に機械の中にあふれてる。
説明書によれば、「日常お手入れ」ではちょっくらハケで粉をはらえばよし、みたいなことが書いてあるが、とんでもない。
1回1回、分解して水洗いは必須ですわ。
本体だって、丸洗いしたいくらい、粉だらけで不快。少しでもきれいにしたくて、本体の中を拭き清めるのがもー、時間かかるってばよ。
ここまでして、この機械を使い続けるには、お茶への愛が必要でしょう(笑)。
便利さと不便さを語りながら午後のお茶をすするわたしの前に、郵便が届いた。
あっ、かめたさんからだ。
ころんとした分厚さのある包みを開けると。
そこには、今、わたしが母とふたりで飲んでいるのと同じお茶が!!
ええ、ムトウ ティーファイン同梱のお茶筒ですわよ。できた粉末茶をコレに入れて保管してね(はぁと)な缶ですわよ。
「ティーファイン買いました」
同封のかめたさんの手紙を読むまでもなく、わかりました。
まさか同時期に同じモノを買っているなんて!!(笑)
ああ、同志よ。
語り合える人がいて、うれしいわ。
かめたさんは静岡在住。毎年わたしにおいしいお茶を送ってくれるやさしい人。
やっぱ名産地のお茶はチガウよねっ、とわたしは毎日おいしくお茶をいただいております。
ええ。
わたしは、ものすっげー茶飲みです。
毎日毎日、あびるよーに(笑)飲んでいます。
濃いめのお茶が好きで、出がらしなんてもってのほか。茶葉は1回限りの使い捨て、2度もお湯を注いだりはいたしません。そのかわり1杯目をよーく蒸らして濃くして飲む。
そんなわたしだから、お茶っ葉の使用量のすごいこと。そして、茶殻の多いこと。生ゴミの大部分を占めるのが茶殻であるというこの現実。
さすがにね、なんとかならんもんかと思いましたのよ。
ゴミを捨てながら。
こんなに大量の茶殻を捨てる毎日に疑問。
茶殻の出ない方法を、まじめに考えるべきなんじゃないのか、わたし?
つーことで、かめたさんに相談。
「ねえねえ、お茶っ葉を粉末にする機械ってあったよねえ? あれってどうなんだろ」
そしたら、即答ですよ。
「以前使ったことがあるけど、あまりよくなかったですよ」
と。
答えが返るとは思わなかった。
だって、わたしの周囲の人たちは、わたしが粉末茶のことを話題にしても「なにソレ?また緑野が変なものに興味持ってる」程度でスルーだったのよ?
そーゆー存在があることは知っている。でも興味もないし、これから先も自分にはなんの関係もない。……と決めつけているような反応しか、なかったんだもんよ。
なのに、かめたさんからは、ちゃんと答えが返った。
てゆーか。
使ったことがあるてのがすごい。
いやあ、心強い友人ですよ。緑野、大喜び。お茶のことが相談できる人がいてくれてよかった〜。
かめたさんは打てば響く人なので、わたしが粉末茶に興味があるとメールに書いた直後に、静岡製の粉末茶を送ってくれた。粉末茶としてふつうに販売されているやつね。
聞きかじりとネットでの知識しかないわたしに、まず現物を試してみろ、と。ありがたい。
ほほお、これが粉末茶か。いつも使うビジネスホテルに置いてある1杯分使い切りのヤツしか、使ったことのないわたしには新鮮。
自分でスプーンに適量取って、お湯を注ぐ。
……お茶を飲んでいる気がしない……。
味は、いまいちでした。
うーん……たしかに、カテキン丸ごと摂取とか、茶殻が出ないとか、少しの量でたくさん飲めるから経済的とか、利点はいろいろあるものの、味がコレだとなあ。
ちゃんとしたお茶会社が販売している、プロの製品がコレだとすると、一般家庭で自力で作る粉末茶は当然これ以下の味ってことよね。
かめたさんが、家庭用お茶ミルを過去に使用したことがあり、あまりよい結果を得られなかったので早々にミルを手放してしまった、という経験談もうなずける話だったし。
どうしたもんか。
てなことをやってるうちに、また微妙に時は流れ。
次に、かめたさんから別の粉末茶が送られてきた。
今度のは、某社販売のお茶ミルで、実際に挽かれた品だという。某社に問い合わせた際に、わたしの分まで試飲品をもらってくれたのだ。
おや?
この粉末茶は、前に飲んだ粉末茶より、ずっとおいしかった。
これを、一般家庭で作れるの?
かめたさんも、以前手放したお茶ミルで挽いた粉末茶より、ずっとおいしいと言っていた。
それまで漠然とお茶ミルを調べていたのが、一気に目標が決まる。
某社製のお茶挽き器を手に入れるぞ!!
某社のHPからさっさと定価で買えばいいんだが、びんぼーなもんでつい、少しでも安く手に入れられないかと奔走する(笑)。
ああそして、今月アタマによーやく手に入ったのだよ、某社製お茶挽き器!!
その日は法事で朝からばたばたしていたんだが、お坊さんを見送ったあとに、いそいそと箱から出し、説明書片手に初挑戦。お茶のためならがんばります!
いやあ、この説明書がねー、笑えるくらい不親切でさー。知りたいことはまったく載ってないのよ。客観性に著しく欠けている……。
日本語の添削したくてうずうずしたわ(笑)。
それでも、説明書にない部分を想像で埋めて使用開始。
電動式ですから。スイッチON!
うわっ、でかい音(笑)。きりきりぐおんぐおん、いかにも「挽いてます、すりおろしてます!」って感じ。
隣の部屋に置いておこう……うるさくてテレビが見れない……。
音が止まってから、わくわくと機械を開ける。
おお。
粉末茶ができてます!!
作業を繰り返し、付属の茶筒にできたての粉末茶を入れ、親の家に報告に行く。
見て見て、うちで作った粉末茶だよー。
味は試飲品と同じ印象。たぶん使っている茶葉がチガウから、微妙にチガウんだとは思うけど、わたしごときの舌では区別つかず。
ふつーにおいしい。
「へええ、いいじゃないの。それでコレ、簡単にできるの? アタシがお茶っ葉買ってきたらアンタ、粉にしてくれる?」
と、母。
簡単と言えば簡単。
しかし。
面倒なことは山積みだ(笑)。
いろんな人たちが、「1〜2回使っただけ」でこの機械を手放す気持ちが、よーっくわかった。
お茶に対してそれほど需要だとか情熱のない人が使い続けるには、高い階段だと思うな。この面倒さは。
まず、時間の問題。15分間しか、動かないんだ、この機械。15分間、けっこうな騒音をたてて挽けるのは、とっても少量のお茶だけ。
15分を何度も繰り返して一定量のお茶を挽くことになるわけだが、連続使用は2回まで。15分動かしてできた粉末茶を取り出し、次にお茶っ葉を新たに入れてスイッチオン、さらに15分。……そしたら次は、30分以上は使用禁止ときたもんだ。
小さな茶筒ひとつ分の粉末茶を作るのに、数時間必要。下手したら半日仕事か(笑)。
そしてなによりつらい、使用後の清掃。
機械をいじるのは、古新聞紙の上がのぞましいです。
なんでって、ちょっと触るだけでそのへん緑色の粉だらけになるから(笑)。
機械の中は粉だらけ。
もったいない……なんで粉受け引き出しの中に全部入ってくれないの? ものすごい量の粉が、奔放に機械の中にあふれてる。
説明書によれば、「日常お手入れ」ではちょっくらハケで粉をはらえばよし、みたいなことが書いてあるが、とんでもない。
1回1回、分解して水洗いは必須ですわ。
本体だって、丸洗いしたいくらい、粉だらけで不快。少しでもきれいにしたくて、本体の中を拭き清めるのがもー、時間かかるってばよ。
ここまでして、この機械を使い続けるには、お茶への愛が必要でしょう(笑)。
便利さと不便さを語りながら午後のお茶をすするわたしの前に、郵便が届いた。
あっ、かめたさんからだ。
ころんとした分厚さのある包みを開けると。
そこには、今、わたしが母とふたりで飲んでいるのと同じお茶が!!
ええ、ムトウ ティーファイン同梱のお茶筒ですわよ。できた粉末茶をコレに入れて保管してね(はぁと)な缶ですわよ。
「ティーファイン買いました」
同封のかめたさんの手紙を読むまでもなく、わかりました。
まさか同時期に同じモノを買っているなんて!!(笑)
ああ、同志よ。
語り合える人がいて、うれしいわ。
ハムスターのピンクの指先。
2004年3月8日 その他 みんなでファストフード店に来ていた。
白くて細長いテーブルを囲むように坐る。
「ねえ、新製品だってよ」
ひとりがそう言い、平べったい箱を出してきた。
ちょうど、おまんじゅうの箱のようだ。
フタを開けると、やはりおまんじゅうのように、その新製品だという食べ物がきれいに並んでいた。
それは、白い鼠の死骸だった。
ハムスターかな。みんな同じ角度、同じポーズで丸まったまま箱に詰められている。
ひよこまんじゅうみたい。
これが新製品……。
わたしはまじまじと眺め、ちょい鼻白む。
ごめんわたしコレ、食べられそうにないよ。
だってネズミだし。
毛皮ついてるし、手とか指とかまでちゃんとついてるし。
どっから見てもネズミの死骸、は食べられないよ。
そりゃあかわいく、おまんじゅうみたいに並んでるけどさあ。
てな夢を、昨日見ました。
四角い箱いっぱいにきちんと詰められた、ハムスターの死骸。
何故そんな夢を……。
それから、今日の夢。
そこは外国。遺跡のある古い街。石畳に細長く連なる市のテント。色とりどりの布。
限られた時間で観光しなければならないわたしは、悩んでいる。
このまま目の前にある遺跡を見学しようかしら、それともツレと合流する方が先かしら。
ツレと合流するには、駅前まで戻らなくちゃ。それなら先に買い物を済ませようかな……。
悩むわたしの前に、空からなにか、降ってきた。
それは一匹の、河童だった……。
緑色の、鎧のようなウロコのようなもので覆われたカラダ。濡れている。頭の上には、もちろんお皿。
目だけ人間の目と同じ。白目部分が目立つのは、緑色との対比があざやかだから。
何故、外国に河童が。
つーか、何故、空から降ってくる?
固まるわたしの前で。
河童は殺された。
…………こんな夢を見ているわたしに、誰か夢占いしてやってください。
白くて細長いテーブルを囲むように坐る。
「ねえ、新製品だってよ」
ひとりがそう言い、平べったい箱を出してきた。
ちょうど、おまんじゅうの箱のようだ。
フタを開けると、やはりおまんじゅうのように、その新製品だという食べ物がきれいに並んでいた。
それは、白い鼠の死骸だった。
ハムスターかな。みんな同じ角度、同じポーズで丸まったまま箱に詰められている。
ひよこまんじゅうみたい。
これが新製品……。
わたしはまじまじと眺め、ちょい鼻白む。
ごめんわたしコレ、食べられそうにないよ。
だってネズミだし。
毛皮ついてるし、手とか指とかまでちゃんとついてるし。
どっから見てもネズミの死骸、は食べられないよ。
そりゃあかわいく、おまんじゅうみたいに並んでるけどさあ。
てな夢を、昨日見ました。
四角い箱いっぱいにきちんと詰められた、ハムスターの死骸。
何故そんな夢を……。
それから、今日の夢。
そこは外国。遺跡のある古い街。石畳に細長く連なる市のテント。色とりどりの布。
限られた時間で観光しなければならないわたしは、悩んでいる。
このまま目の前にある遺跡を見学しようかしら、それともツレと合流する方が先かしら。
ツレと合流するには、駅前まで戻らなくちゃ。それなら先に買い物を済ませようかな……。
悩むわたしの前に、空からなにか、降ってきた。
それは一匹の、河童だった……。
緑色の、鎧のようなウロコのようなもので覆われたカラダ。濡れている。頭の上には、もちろんお皿。
目だけ人間の目と同じ。白目部分が目立つのは、緑色との対比があざやかだから。
何故、外国に河童が。
つーか、何故、空から降ってくる?
固まるわたしの前で。
河童は殺された。
…………こんな夢を見ているわたしに、誰か夢占いしてやってください。
なんか最近、映画をあまり見ていない気がする。
なんでだろう、と考えたら、答えは簡単だった。
WHITEちゃんが、誘ってくれなくなったからだ。
一昨年とか、昨年の前半とか、ものすげー勢いでふたりで映画見てたよねえ?
週に3回は会って、一緒にヅカだの映画だの見ていたよーな。
さみしいよー、WHITEちゃん。
……と、ここで言ってみる(笑)。
なんでだろう、と考えたら、答えは簡単だった。
WHITEちゃんが、誘ってくれなくなったからだ。
一昨年とか、昨年の前半とか、ものすげー勢いでふたりで映画見てたよねえ?
週に3回は会って、一緒にヅカだの映画だの見ていたよーな。
さみしいよー、WHITEちゃん。
……と、ここで言ってみる(笑)。
新しい選択肢を。@ビッグイシュー
2004年3月5日 その他 プチショックなことがあり、『ビッグイシュー日本版』を買ってみました。
いや、プチショックと『ビッグイシュー』とはなんの関係もありません。
ただ、なにかふと新しいことをするには、きっかけが必要なわけで。
ああ、ちょっくらかなしいわ、と思っているときに視界に販売員の姿が入り、そーいや前から興味はあったよな、と思い出し、ふらふらと財布を開けておりました。
ふつーに、おつりが出ないように200円ジャスト握って、
「1冊下さい」
と言っただけなんですが。
「ご支援、ありがとうございます!!」
と叫ぶように言われ、最敬礼。
90度のお辞儀を何度も何度も繰り返され、わたしは思わず逃げ出してしまいました……びびびびっくりした。
いやあの、わたしはただ、雑誌を1冊買おうとしただけで、そんなに感謝されるとおじけます。
モノを買って、こんなに感謝されるのはコミケ以外でははじめてだ……。
なにはともあれ、『ビッグイシュー』という雑誌。
ずーっと前に、テレビのニュースで見て、存在だけは知っていた。
ホームレスの自立支援を目的として発行されており、実際にホームレスの人が手ずから販売しているんだってことは。
梅田を歩いていると、自然に目に入る。『ビッグイシュー』という雑誌を持って「発売中です!」と叫び続けているおじさんたち。
でも、目に入るからといって、彼らから謎な雑誌を買おうとはあまり思えなかった。表紙も好みじゃなかったし。
どんな雑誌なのか、見てみたい気はする。そのうち、表紙や特集が好みだったら、買ってみるかな。
その程度の漠然とした思いだったんだ。
うん、ほんと、わかってなかったんだよね、わたし。
昔ニュースでちらりと見た程度だったわけだし。
『ビッグイシュー』の販売員にはちゃんと行動規範が決められていて、ルールに則って販売しているわけだ。
礼儀正しい言葉遣いにびっくりしたのは、わたしが無知なせい。彼らはちゃんと、ルール通りの態度を取っているだけ。
そして、雑誌の定価の半分以上は、そのままその販売者の収入になるそうな。
そりゃ、力一杯お礼も言うわな……彼はただの販売代理人ではなく、店主なわけだから。
知らないことがいっぱいありました。
無知ゆえに、逃げ出すよーに雑誌を受け取って去ってしまいましたのよ……ごめんね。
礼儀には礼儀で返すべきなのにね。
さて、内容ですが。
定価200円の価値は、正直あまりないと思います。
無料で配布されている企業の雑誌みたいな感じ。
特集記事とかがおもしろくないわけじゃなく、なにしろ誌面が少なく雑誌が薄いので、とても表面だけな印象。もう少しちゃんと読みたいのにな、という入口部分で終わっている。
ふつうの定価200円の雑誌なら、入口だけじゃなく、ちゃんと最後まで記事として突っ込んだ内容になっていそうなもんだが。
話題ひとつに2ページしか割けないんだもん、仕方ないよなあ。
それを覚悟の上で「興味の入口を広げてみる」という意味で読むなら、それなりにたのしめる。
なんせ「日本版」なので、少しだけだけど本家ロンドン版の翻訳記事とかがあるんで、ふつーの日本の雑誌にはない記事を読めるわけだから。
さわりしか書かれていない記事を読み、興味を持ったら自分でさらに考えてみればいいわけだ。調べてみればいいわけだ。
たくさんある選択肢をさらに広げる、というたのしみ方はある雑誌だと思った。
わたし個人としては、好みの表紙や見出しが目に付いたら、また買ってみてもいいかな、という感想。
あと、雑誌の代金がそのままダイレクトに販売者の手に入るというなら、好みのおぢさんを見つけて彼から購入するというパターンもアリかもしれませんよ、世のみなさま。(をいをい・笑)
ちなみに、わたしが買ったのは第5号、表紙はメグ・ライアンで彼女のインタビュー掲載、特集は「自分の顔とどうつきあっていますか?」でした。
いや、プチショックと『ビッグイシュー』とはなんの関係もありません。
ただ、なにかふと新しいことをするには、きっかけが必要なわけで。
ああ、ちょっくらかなしいわ、と思っているときに視界に販売員の姿が入り、そーいや前から興味はあったよな、と思い出し、ふらふらと財布を開けておりました。
ふつーに、おつりが出ないように200円ジャスト握って、
「1冊下さい」
と言っただけなんですが。
「ご支援、ありがとうございます!!」
と叫ぶように言われ、最敬礼。
90度のお辞儀を何度も何度も繰り返され、わたしは思わず逃げ出してしまいました……びびびびっくりした。
いやあの、わたしはただ、雑誌を1冊買おうとしただけで、そんなに感謝されるとおじけます。
モノを買って、こんなに感謝されるのはコミケ以外でははじめてだ……。
なにはともあれ、『ビッグイシュー』という雑誌。
ずーっと前に、テレビのニュースで見て、存在だけは知っていた。
ホームレスの自立支援を目的として発行されており、実際にホームレスの人が手ずから販売しているんだってことは。
梅田を歩いていると、自然に目に入る。『ビッグイシュー』という雑誌を持って「発売中です!」と叫び続けているおじさんたち。
でも、目に入るからといって、彼らから謎な雑誌を買おうとはあまり思えなかった。表紙も好みじゃなかったし。
どんな雑誌なのか、見てみたい気はする。そのうち、表紙や特集が好みだったら、買ってみるかな。
その程度の漠然とした思いだったんだ。
うん、ほんと、わかってなかったんだよね、わたし。
昔ニュースでちらりと見た程度だったわけだし。
『ビッグイシュー』の販売員にはちゃんと行動規範が決められていて、ルールに則って販売しているわけだ。
礼儀正しい言葉遣いにびっくりしたのは、わたしが無知なせい。彼らはちゃんと、ルール通りの態度を取っているだけ。
そして、雑誌の定価の半分以上は、そのままその販売者の収入になるそうな。
そりゃ、力一杯お礼も言うわな……彼はただの販売代理人ではなく、店主なわけだから。
知らないことがいっぱいありました。
無知ゆえに、逃げ出すよーに雑誌を受け取って去ってしまいましたのよ……ごめんね。
礼儀には礼儀で返すべきなのにね。
さて、内容ですが。
定価200円の価値は、正直あまりないと思います。
無料で配布されている企業の雑誌みたいな感じ。
特集記事とかがおもしろくないわけじゃなく、なにしろ誌面が少なく雑誌が薄いので、とても表面だけな印象。もう少しちゃんと読みたいのにな、という入口部分で終わっている。
ふつうの定価200円の雑誌なら、入口だけじゃなく、ちゃんと最後まで記事として突っ込んだ内容になっていそうなもんだが。
話題ひとつに2ページしか割けないんだもん、仕方ないよなあ。
それを覚悟の上で「興味の入口を広げてみる」という意味で読むなら、それなりにたのしめる。
なんせ「日本版」なので、少しだけだけど本家ロンドン版の翻訳記事とかがあるんで、ふつーの日本の雑誌にはない記事を読めるわけだから。
さわりしか書かれていない記事を読み、興味を持ったら自分でさらに考えてみればいいわけだ。調べてみればいいわけだ。
たくさんある選択肢をさらに広げる、というたのしみ方はある雑誌だと思った。
わたし個人としては、好みの表紙や見出しが目に付いたら、また買ってみてもいいかな、という感想。
あと、雑誌の代金がそのままダイレクトに販売者の手に入るというなら、好みのおぢさんを見つけて彼から購入するというパターンもアリかもしれませんよ、世のみなさま。(をいをい・笑)
ちなみに、わたしが買ったのは第5号、表紙はメグ・ライアンで彼女のインタビュー掲載、特集は「自分の顔とどうつきあっていますか?」でした。