「様」付けで呼んでしまう俳優のひとり、ヒュー・グラント。
 わたしたちの世代ならば、彼を「英国の貴公子」と認識しているはず。そんなタイトルの写真集も出ていたし。
 昔は「貴公子」、今はシワくちゃなおじさん。
 だけどヒュー様は、それでもやっぱりチャーミング。
 ってことで、ヒュー様の『トゥー・ウィークス・ノーティス』を見てきました。

 監督・脚本マーク・ローレンス、出演ヒュー・グラント、サンドラ・ブロック。

 正義に生きるお堅い弁護士のサンドラ・ブロックは、いつも身を挺して大企業と戦ってきた。なのに、彼女をスカウトしてきたのが、大企業の御曹司ヒュー・グラント。企業の犬になるなんて!と憤慨もしたけれど、故郷コニーアイランドの公民館の取り壊しをやめることと、会社の慈善事業関係を任せてもらう条件で、顧問弁護士を引き受ける。
 優秀な彼女はその腕を遺憾なく発揮し……てはいたけれど。なまじ彼女が優秀なために、ボスのヒューはべったり依存。着ていく服の相談から離婚調停まで、生活のすべてにサンドラがいなくてはやっていけない始末。
 ついにキレたサンドラは、「2週間後に辞める」と言い渡した……。

 「別れ」が決まってから、恋に気づく男女のラブ・ストーリー。

 いやあ、ヒュー様もサンドラ・ブロックもかわいいこと。どちらもきつい美形顔の役者なのに、キュートに見えるよ。
 ロマンティックよりも、愉快な面の方が強いロマンスだなー。笑いがいっぱい。
 つーか、ヤケ食いで下痢をして、トイレに担ぎ込まれるヒロインってどうよ(笑)。しかも、恋の相手に荷物運び(姫抱っこにあらず)されるときた。
 びんぼーな一般人が大富豪と恋愛、なわけだけど、この力任せな笑いの部分がプラスの作用を持ってるんだよね。「共感」がないと、観客は「嫉妬」に走る。ハンサムで優しい王子様と恋愛するヒロインに「反感」を持つ。……それじゃダメ。「共感」させるにはなにが必要か。
 ヒロインのリアリティ。それに尽きる。
 この物語のヒロインは、その家庭から描くことで、ちゃんと姿が見える。この両親に育てられ、この信念を持って生きているのだから、そりゃ不器用だろう(笑)、と。いつも全力疾走できりきり舞いして貧乏くじを引いている姿に、共感できるってもん。
 まー、多少力業すぎる気がしないでもないが。大味なのはアメリカ映画の特徴みたいなもんだし。

 恋愛映画として、たのしんで見ました。
 どきどきして、せつなくって、てのを味わいたくて行くのよ。ちゃんとそれを味わえたからいいわ。
 ただ、書き込みが甘いっっ、とは思ったぞ。もっともっと、せつなく盛り上げることができただろう、クライマックス。ラストが弱いんだよ〜〜。
 男の方の心理も描いてくれよ。どんでん返しのためにわざと伏せたのかもしれないが、そこは伏せるよりもあざとく書き込んだ方がいいよー。

 クライマックスの爽快感は、『ブリジット・ジョーンズの日記』の方があったな。

 それにしても、ヒュー様がプリチーだわ……。
 サンドラ・ブロックが脱がないかわり、ヒュー様の脱ぎっぷりがよくて笑える。なんでアンタそんなに太股だのふくらはぎだの剥き出しにしてんの?(笑)
 これほど短パン(トランクス含む)の似合う40男ってどうよ?(笑)
 ヒュー様のすばらしさは、体毛の少なさにもあるわねえ。太股がきれいなのはいいことだ。そしてなにより、胸毛のないつるつる胸! さすがだ貴公子!!

 強い女と優柔不断男の恋。
 時代を表しているってことなのかしら。
 女は強くて自立した(でも不器用な)ヒロインに共感し、男はやさしくて自分でなにも決められないけど世間的には勝者のダーリンキャラに共感するのか? 
 アタシもあんなふーに、ハンサムでやさしい男を尻に引き、でもつらいときは癒されたい、ってか。
 オレもあんなふーに、知的美人に叱られたり甘やかされたりしてえ、ってか。
 恋のドリームも時代によって変わるわね。
 ……「王子様幻想」は普遍だけどさ。

 あ、この映画は最後まで座席に坐っていましょう。
 クレジットが全部流れたあとで、写真が一枚見られるよ。ふたりの出会うきっかけとなった、コニーアイランド開発計画の、結果が。

 ぜんぜん関係ないんだけど、わたしゃ「コニーアイランド」と聞くと「ぷっ」と笑ってしまうんですよ。ええ、『ホップ・スコッチ』以来ね。
 どうしてもあの駄作と、なんの脈絡もなく意味もなく、そして存在意義すらなかった迷シーン「コニーアイランド」とルーシーが忘れられなくてね。
 どうしてくれるんだ、太田哲則。  

 
 愛を信じる心が、今、奇跡を呼ぶ。−−てなあおりのついた映画『コーリング』。
 監督トム・シャドヤック、出演ケビン・コスナー、スザンナ・トンプソン、キャシー・ベイツ。

 WHITEちゃんに誘われたの。
「試写会で1度見たんだけど、なんか、思ってたのとぜんぜんちがってたから。……もう一度見たいんだけど、緑野も一緒に見る?」
 思ってたのとチガウ、って、恋愛映画でしょ? ちらしを見てもそんな感じだけど?
「いや、たしかに恋愛なんだけど……」
 語尾不鮮明。
 つーことで、百聞は一見にしかず。自分で見てみましょう、もちろんレディースデーに。

 ……たしかに、思ってたのとは、ぜんぜんちがった。
 大違いだよ、まったく。

 てゆーか、こわかったんですけどっ(笑)。

 ケビン・コスナーとスザンナ・トンプソンはラヴラヴ夫婦。しかし、遠い国でスザンナが事故死してしまった。
 それ以来、ケビンの周囲で異変がつづく。臨死体験をした子どもや昏睡状態になった子どもが、面識のないはずのスザンナの伝言を口にしたり、自宅ではラップ現象が起こったり、人の気配がしたり、モノが一瞬で移動していたり。
 心霊現象フルコース! ケビンはこれを、亡き妻からのメッセージだと信じ、理解しようと奔走する。
 繰り返し残される、謎の記号。歪んだ十字架。虹。……周囲から狂人扱いされようと、ケビンは愛する妻のために爆走する!
 そしてついに、彼女の死んだ国まで駆けつけ、遺体を探そうとするが……。

 たしかに、恋愛映画だよ……まちがってはいないよ……しかし、正しくもないだろ……?

 ホラー映画じゃないのか、これ?
 亡き妻の幽霊、めちゃこわいんですけど?(笑)

 どう見ても「愛するがゆえのメッセージ」には見えなかった。
 死んだ妻が、生きている夫を「取り殺そう」としているよーにしか、見えなかったよ。

 おいおいケビン、このままじゃあんたマジ殺されるって! すでに社会的には死にかかってんじゃん、霊の存在を信じて奔走しているせいで。
 みんな俺の気のせいだ、死んだ妻のメッセージなんてありえない、人生やり直すんだ、と引っ越しを決意して荷造りをはじめたら、邪魔されたじゃん。それって……「逃がさないわよ、アタシを忘れて第二の人生なんか許さない、アナタもこっちへいらっしゃい……」て意味だろっ?! こ、こわっ。

 てなふーに。

 最後まで見ると、たしかに、いちおー、愛の物語で、感動的なオチに持っていくんだけど。
 いくらオチがアレでも、そこまでのアプローチがものすげえホラーなんですが……。
 ここまでホラーな演出しておいて、「愛の奇跡」か……。うーむ……。

 とってもどっちつかずな、消化不良な印象。

 それにしてもケビン・コスナー、トシ取ったね……。

          ☆

 今日はワゴンさんときんどーさんと、ランチバイキング。
 リーガ・グランド・ホテルのランチバイキングは、めちゃ安ですよ。
 税込み1200円。
 品揃えと味はそこそこ。値段分はたのしめます。
 そのあとは店を変えて、えんえんえんえん、お喋り。

 それからひとりで1時間半ほど時間を潰して、WHITEちゃんと映画に行ったわけですが。

 ひとりで三番街をうろついておったのですが、そこでかねてから探していたガチャガチャを見つけてしまいました。
 ガチャガチャ、とわたしたちは呼んでいますが、バンダイの商品名は「ガチャポン」ですかね。
 硬貨を入れてハンドルを回すと、カプセルに入ったおもちゃが出てくる子ども向けの自動販売機。
 それの、「フロッグ・スタイル」という商品を集めてるのよ。
 まあわたしは、コレクターとしては三流以下の身なので、見つけたら適度に買う、だけで、フルコンプなど目指しておりません。おかげで、4月発売の第1弾は、5種類しか持ってないし。
 今日見つけたのは、第2弾でした。
 第1弾、集めそこなっちゃったなあ。フルコンプは無理でも、欲しいのがまだいくつかあったのに。と思いつつ、硬貨を入れてハンドルを回す。
 出てきたカプセルを開け、商品と付属のリーフを取り出す。リーフには「次のシリーズは8月発売予定」とある。
 てことは、今ある第2弾も、2ヶ月の命?!
 ……そう思うとつい、がんばって買ってしまいました……バカ……。
 7種類GET。ダブりなし。いい仕事だ。
 なかでも、「ANGEL FROG」と「DEVIL FROG」をGETできたのがうれしい。それと、「PHONE FROG」。……ああ、かわいいー。

 ビッグ・ジュール用のテディベアも買ったしな(笑)。

 長くて価値のある1日。……かな?

 
 ここは世界の果て。
 わたしの存在は小さい。

 わたしはそれを知っている。

 ここは世界の一部。
 わたしは世界とつながっている。

 わたしはそれを知っている。

 広大なネット社会で、この日記の存在など無にも等しい。わたしがここでなにかを言ったところで、地球は変わらず回り続ける。
 だけど、ここがいちおーネットの一部である以上、リアル界の日記帳とはちがい、誰が見るかもわからないパブリックな場所であることも、知っている。

 それがむずかしいところだよなあ。

 映画のネタバレって、どこまで書いていいのよ?

 いや、今までもさんざん好き勝手書いてきたけどさ。それでもいちおー、どの場合もオチまでしっかり書くような真似は避けてきたのよ。
 わたしなんかが世間に影響力を持たないのは知っているけど、万が一にもここは、公の場なんだってことで。

 フランス映画『愛してる、愛してない…』。
 監督レティシア・コロンバニ、出演オドレイ・トトゥ。

 この映画のこと、どう語ればいいの?
 ネタバレせずには書けない映画だよーっ。

 機会があったら、映画館に行って、ポスターを見てください。
 タイトルが『愛してる、愛してない…』で、ヒロインが『アメリ』のオドレイ・トトゥ。赤をポイントにしたかわいいデザイン、ハートがキュートな、ほんとに女の子好みのかわいいポスターよ。
 わたしパンフレットもちらしも持ってないんで、ポスターに印刷されていたコピーをここに書けないのだけど、これがまた、なんともかわいいコピーなのよ。
 ああ、ガーリッシュでオシャレな恋愛映画なんだな、って。かわいくて、ほんのりせつないのかな、って。
 ちょっと見てみたくなること請け合いの、素敵なポスターよ。

 それだけの予備知識で見に行きましたのよ。わたし、恋愛映画大好きなんだもん。

 物語は、薔薇の花からはじまる。
 一面の、薔薇。
 一面の、赤。

 いろんな種類のいろんな色の薔薇。そこにいる、おしゃれでキュートな女の子、オドレイ・トトゥ。
 彼女は一生懸命、薔薇を選んでいる。花屋の中だ。
 恋人に贈るのよ。
 彼女のカレシはドクター。薔薇一輪、はふたりの思い出のアイテム。今日は彼の誕生日だから、思い出の花を贈るの。
 とにかく、オドレイがかわいい。この映画の、そしてオドレイのポイントとなる色が赤なのね。彼女はいつも赤いモノを着ているし、画面のそこかしこに赤が効果的に使われている。なんともオシャレな画面。
 オドレイは画学生。どうやら才能もあるらしく、将来有望。カレシともラブラブだし、毎日が赤いハート。
 問題があるとしたら、カレシが既婚者だということぐらい。奥さんとは離婚間近らしいけど……ほんとにそううまくいくのかな。
 ……案の定、奥さんの妊娠が発覚、カレシは離婚に消極的になった。オドレイとのデートをすっぽかしたり、旅行をすっぽかしたり……。
 それでもオドレイは一途にカレシを愛し続ける。一途に、一途に……。見ていてちょっと、こわいくらい。
 彼女の恋の行方は??

 ……映画の感想は、ひとことで言うと「こわっ」でした。
 なにがどうこわいかは、見た人にだけわかる。
 いやあ、マジ悲鳴あげる人がいたよ、映画館。びっくりした(笑)。

 ポスターも予告編も、とにかく映画の内容には触れていない。見てのお楽しみなんだよなあ。
 だからわたしもWHITEちゃんも、こんな話だとは思わずに、かわいいラブロマンスを見るつもりで行ったんだもん。

 『アメリ』のときはどーか知らんが、今回のオドレイは、友人だった光田さんという子に似ていておどろいた。(02年8月29日/9月2日参照・笑)
 顔が似てる気がする……ってつまり、光田さんはほんと美人だったのよね……そのうえ……なんか……似てるの、顔だけじゃない……? こ、こわっ。
 映画を見ながら、光田さんのことを思い出しまくりましたよ。そーゆーところも、こわかったなあ。

 なにはともあれ、おもしろかった。
 一見の価値あり。
 プロットが緻密で、映画ならではの仕掛けアリ。
 この話を小説にするのはむずかしいと思うよ。映像ならではのトリックがあるからね。

 ……光田さん、元気かなあ。

 
 ときおり、なにかスコン、と、胸の中に入ってくることがある。
 なにがどう、どこがどう、と説明はできないけれど、「入って」くる。

 スピッツの『愛のことば』がそれだ。
 なにがどうと説明できないが、この歌は、ダメなんだ。
 聴くと、泣く。
 なんでかわからない。
 好きな曲はいくらでもあるし、もっといい歌だっていくらでもあると思う。
 だが、この歌は特別だ。
 入ってくるんだ。

 それと同じ現象は、ときおり起こる。
 オギー作品とかに高確率で起こるな。
 入る。
 なにかが。
 説明できないままに、涙が出る。

 『めぐりあう時間たち』も、そーゆー映画だった。
 まいったねー、「入った」よ。涙が止まらない。

 監督スティーヴン・ダルドリー、出演メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン。

 3つの時代、3人の女たちのある1日の物語。
 1923年、作家ヴァージニア・ウルフは『ダロウェイ夫人』を執筆中。その日の午後には姉とその子どもたちを迎えてパーティをする予定。
 1951年、ふつーの主婦ローラ・ブラウンは小説の『ダロウェイ夫人』を読んでいる。今日は夫の誕生日パーティをする予定だ。
 2001年、編集者のクラリッサは友人の詩人の受賞記念パーティをする予定。詩人は彼女に「ダロウェイ夫人」という渾名を付けていた……。

 3つの時代と3人のヒロインたちの人生が、穏やかに、でもどこか緊張して、流れていく。
 そう、緊張。
 ずーっと、なんだか、こわかった。

 物語の冒頭でひとりの女が自殺するのだけど、彼女の遺書がこの作品のカラーをわたしに突きつけたせいかもしれない。
 愛に満ちた遺書だった。
 愛と、感謝と、意志があった。
 痛かった。

 クライマックス近くでもうひとり、やはり自殺するのだけれど、その死に際しての言葉もまた、愛に満ちていた。
 愛と、感謝と、意志と。

 痛い……のかな。
 少しちがう気もする。

 ここがこうだから感動したとか、愛について考えさせられたとか、そーゆーことではない。

 わたしは、深い海の水面に浮かんでいるんだ。海がとてつもなく深いことを知りながら、わたしはあえて水面に浮かんでいる。
 波がわたしを揺らし、どこかへ運ぶ。
 わたしは目を閉じ、それに任せている。

 そーゆー感じだった。

 プロットが緻密な作品が好きなだけに、この映画は好きだぞ。そーゆー意味でも。
 ラストで解ける謎には、膝を打ったもの。そうか、それであれはああだったんだ……と。

 リピーター割引があるのが、わかる。
 この映画は、もう一度出会いたくなる映画だ。

 
 『ロード・オブ・ザ・リング』をまだ見ていない、と言ったらオレンジに叱られた。
「あれほどしょっちゅう映画を見ていながら、『指輪』を見ていないなんて!」と。

 なんで見てないかって?
 答えはひとつ。

 ……長いんだもん。

 簡単には見に行けないよー。丸1日空けないとイカンじゃないかー。

 つーことで、よーやく腹くくって見に行きました。

 んで、感想。

 長かった……。

 『ロード・オブ・ザ・リング/二つの塔』、監督ピーター・ジャクソン、出演イライジャ・ウッド、イアン・マッケラン、ヴィゴ・モーテンセン。

 3つに別れてしまった旅の仲間たち。えーと、本筋は指輪を持ったホビットのフロドと、その従者のサムよね。彼らは当初の目的である、「こんな指輪あっちゃイカン、捨てに行くぞ!」の旅をしている。彼らのパーティには指輪の前の持ち主のゴラムが加わり、さらに前回お亡くなりになったボロミアの弟ファラミアに出会ってすったもんだ。
 前回さらわれたホビット2匹は、自力脱出、迷い込んだ森で木の人と出会って彼らと行動。
 人間アラゴルン、エルフのレゴラス、ドワーフのギムリはクラスチェンジしたガンダルフと再会、合流してサルマン様にターゲットにされている人間の国ローハンに到着。そこで大戦争。

 オレンジの影響で、サルマン様は「様」付けなのよ。つーか、サルマン様がスクリーン登場するなり吹き出しかけたわ。オレンジはサルマン様を偏愛してるからなあ……(笑)。

 それにしても長かった……。

 真ん中ぐらいで「つづく」にしてくれてもよかったわ。わたし的には。で、全5部作でも6部作でもかまわないんだけど。つーか、テレビドラマで見たかったなあ。毎週30分とかで。1年くらいかけて。60分半年でもいいが。
 もちろん、スクリーンでなきゃ意味のない映像だとわかっているんだけどね。
 ただ、これだけのドラマを駆け足でやっちゃうのはもったいない気がするのよ。いくらでも膨らますことができるだろうし、書き込むこともできると思うから。

 なんにせよ、素直に映像をたのしんだ。
 映画はいいなあ。と。

 わたし、原作をまったく知らないので、予備知識なぞ持っておりません。
 読む予定もありません。
 いや、原作にはいろいろとトラウマがあってね。語ると長いし読む方もウザいだけだろーから書かないが。
 きっと一生読まない。なんせトラウマ(笑)。

 映画であることの意味、を噛みしめた。

 あの長い長い戦闘シーンを見ながら。

 いや、ほんと長かったんだわ、戦闘シーン。真っ向から戦争でね。城攻めでね。攻めてきているのが人間じゃないってことをのぞけば、正しく時代考証された「当時の戦争の再現」映像だったんだと思うよ。たぶん、たのしくこだわって再現したんだろーな。
 これは「映像」でなきゃダメだろ、と思う。
 この内容をいちばん的確に、わかりやすく、たのしく、ドラマチックに表現できるのは「映像」だろ、と思った。

 わたし、フィクションにおいては、固有ジョブが好きなのね。必殺技、と言ってもいいかもしれない。
 つまり、そのジャンルが持つ、ジャンル固有の表現。代用の利かない力。
 よくあるじゃん、「マンガにすればいいのに」と思えるような小説、「アニメならゆるせるかな」と思えるようなマンガ、「それだけ全部台詞で説明するなら、小説にすれば?」と思えるようなテレビドラマ、「映画が作りたいならはじめから映画作れば?」と言いたくなるようなゲーム……。
 なんのために、そのジャンルでその作品を作っているの? と、疑問になるよーなものは、嫌い。代用がきくなんて、ばかばかしい。

 せっかく映画なんだから、「映画でなければ意味がない」だけのものを見せてくれ。

 ……とゆー点において、とても興味深く、たのしみました。
 さっきテレビドラマで見たかった、と言ったのとは、ちがうハートで言ってます(笑)。

 わたしは正直なとこ、1作目はそれほど感銘を受けなかったので、今回よーやくちゃんとたのしかった、と思いましたのことよ。
 たしかに1作目もボロミアとか萌えはあったけど、それほど心には響かなかったのね。ふつーに萌え、って程度。
 ちゃんと萌えるには、いろいろ見ている側で補完しなきゃならなかったし、補完して萌えるほど、作品自体に魅力を感じなかった。
 まー、あきらかに「登場人物紹介」で終わっちゃったから、仕方ないのかもしれんが。

 今回、よーやく、たのしかった。
 わくわく見ました。

 いやあ、アラゴルン、かっこいー。ギムリかわいー(笑)。んでもって、レゴラス大活躍、かっこいいわ美しいわ、ものすげえ。
 ヒーローたちのヒーローらしい活躍っぷりに、ときめきましたわ。それこそ、ファンタジー映画の醍醐味ってもん。
 主人公?のフロドとサムの一歩一歩重い足跡を残すよーな旅っぷりにも、感動です。
 落ち込んでいるときに、顔を上げて前に進むために、見るべき映画ですな。……そうでなきゃ、エンタメじゃねえ。

 しかし……長かった……(笑)。

 
 ごめんなさい、わたしはここにいるべきではありません。

 ……とゆー気がして仕方なかった。
 映画『8Mile』。

 予告編を見る限りはおもしろそうだった。
 つーかあの予告、いいのか? 映画本編を見る必要もないくらい、起承転結全部見せてくれてるんだけど。
 ま、ストーリーなんてお約束通りだから、予告でオチまで教えてくれているからといって、どうということはないのかな。
 青春映画たるもの、マンネリ上等、ワンパタ上等、ってことよね。

 ずいぶん前から予告ばかり見ていたので、てっきりとっくに公開しているんだと思ってたよ。来週から公開なんだね。

 監督カーティス・ハンソン、出演エミネム、キム・ベイシンガー、ブリタニー・マーフィ。

 予告であおりまくってくれている通り、フリーターをしながらスターを夢見る青年の青春映画。
 鬱屈した日常。夢はあるけれど思うようにはいかず、現実に足を絡められて泥まみれ。気のいい仲間たち、美少女と出会い、恋、そして、やってくる成功への足がかり。人生を変えるのは今、そして、自分自身。……てか。
 正しく青春映画。ストーリーだけなら5万回は見た。
 主人公の姿に、自分を重ねる若者も多いだろう。
 
 しかし。
 問題は、この使い古された物語がネタにしているのが、「ラップ」だってことだ。

 わ、わかりましぇん。

 わたし、英語、ぜんぜんだめなの。
 まーったくわからないの。
 だから、この映画もぜーんぜんわからなかったの。

 主人公くんたちは、ラップで戦うのよ。剣で決闘するように、「言葉」で戦うの。それに勝てば名誉なのよ。それこそ、騎士が剣で名誉を勝ち取るように。

 「ラップ」というのが、そーゆーもんだとは聞きかじっていたし、日本でもそーゆーバトルをしている場所と人たちがいることも、聞きかじってはいた。
 だから相変わらず予備知識なしで見はじめて、「ああ、ラップ・バトルなのか」と納得はしたけどさ。

 なんせ、「言葉」だから。
 英語がわからないと、なにもわからないのよ。

 字幕は出るけど、出るから余計混乱する。
 字幕を読むだけじゃ、どうしてそんなことになるのかわからないの。

 バトルだから、1対1で戦うの。マイクを持って、相手を「言葉」で叩きのめす。

 たとえば、「あかさたな、はまやらわ!」と対戦相手が歌う。観客、大喜び。
 ……はぁ?
 それに対し、エミネムくんが「隣の客はよく柿食う客だ」と歌い返す。観客、狂喜乱舞。
 ……はぁ?
 この勝負、エミネムくんの勝ち!!
 ……はぁぁぁあ?!

 って、感じ。

 彼らのあやつる「言葉」はきっと、韻を踏んで何重もの隠喩やら装飾やらをまとい、そこに生きる者たちならば「うまい!」と感心するような即時性のある仕掛けを限りなく詰め込んだものなんでしょう。
 それを、相手の言葉を受けて即興で返すわけだから、観客も感動するのでしょう。

 でもな。
 それらは字幕にはまったく表現されないのよ。
 不可能ですわ。

 どんなにすばらしい「言葉」も、字幕では「隣の客はよく柿食う客だ」にしかならないのよ。
 「隣の客はよく柿食う客だ」で、スクリーンの中の人たちが大感動するのを見て、外にいるわたしはどんどん冷めていったよ……。

 ごめんなさい。
 わたしがここにいるのが、まちがいです。

 目に見えないパンチで戦うエスパーたちを、ただぼーっと眺めていたよーな。
 観客たちみんなには見えているのに、わたしにだけ見えない……疎外感……。

 ストーリーは5万回見たよーな、陳腐な青春映画。明るく軽くするかわりに、暗く重く、どこか救われない雰囲気なんか漂わせて。あ、日本映画によくある感じだ。文芸作品を目指しました、ってやつな。
 ストーリーがありきたりな分、差別化している部分はこの「ラップ映画」だってこと。
 だが、その差別化部分が理解不能ってのが、つらい……。

 ホールにいた人々は、たのしめたのかしら。
 わたしと同じように、エスパーさんたちの戦いをぼーぜんと眺めていた人たちは、どれくらいいたのかな?

 若い人たちは、エミネムくんの映画だってだけで、OKなのかな。
 それとも、あの「隣の客はよく柿食う客だ」きゃーきゃー、素敵ー!! という展開に、ちゃんとついていけたのかしら。
 わしゃばばあだからわからん……。

 いい映画なのかどうかすら、評価不能。
 日本語でないとわかんないす……。

 いや、主題歌はよかったし、全編機嫌良く音楽は聴いていたけどさ。
 ……音楽だけ聴きに行ったのか、わたし……?

  
 おどろいたことがひとつ。

「『魔界転生』映画化だって」
 と言ったわたしに、弟が、
「ええっ、山田風太郎のアレを?」
 と返してきたことだ。

「山田風太郎……? ふつー、沢田研二の、とか言わないか?」
「沢田研二? なに?」
「だって、前に沢田研二でやってるでしょ?」
「なにを?」
「映画。『魔界転生』」
「ええっ?!」

 弟は、元祖『魔界転生』の映画を知りませんでした……。

「なんで知らないのよ、アンタそのころもう、小学生だったじゃない。高学年だったじゃない。あのころの角川映画っつったら、キャッチコピーだけで一世を風靡してたでしょうが」
「キャッチコピー?」
「『エロイムエッサイム、エロイムエッサイム、我は求め訴えたり』……って、志村けんもさんざんパロってたじゃない!」
「知らんわ。それより『魔界転生』って言ったら、山田風太郎だろう!!」
「なんでそこで原作者なのよ?」
「アレを映画化するなんて言ったら、ふつーおどろくって。山田風太郎だぞ? バカ活劇小説だぞ?」
「てゆーかアンタ、つまりそれ、読んでるってことよね?」
「まあ、あれはあれでなー」
 にやり。それなりにたのしんで読んだらしい。
「前のは天草四郎が沢田研二だったんだけど、リメイク版は窪塚洋介。柳生十兵衛が佐藤浩市」
「ほお」
「それだけでも見に行く気満々だけど、そのうえ、宮本武蔵が長塚京三様なのよーっ」
 俳優にはいろいろあるが、「様」付けで読んでしまう俳優は数少ない。長塚京三様は、長塚京三「様」なのだ。
「ふーん。まあ、イメージはあるか」
「あと、加藤雅也とか、濃くていい男が出るし。CG気合い入りまくりの愉快な大作になるみたいよ」
 と言うわたしに、弟は薄く笑いながら言う。
「『魔界転生』はなー。“もしも歴代の剣豪が柳生十兵衛と戦ったら?”っていう妄想ではじまった、架空戦記ばりのアホ小説だからなー。……アレを映画化するなら、そりゃ特撮になるだろーな」

 アホ小説? ……そーなんですか?
 わたし、原作知らないし。興味の範囲外。時代小説読むなら、司馬遼とか読むし。
 弟は史学科卒の歴史オタクで時代劇大好き男なんだけど、彼に言わせると「山田風太郎」という名を言うときは「ぷっ(笑)」というニュアンスが入るらしい。バカにしているだけ、ではなく、愛情もこめて。

 それにしても……前作を知らないなんて。
 同世代の人間なら、誰でも知ってると思ってたよ。
 沢田研二主演の『魔界転生』。映画自体は見たことなくても、存在ぐらいは知ってて当たり前だと思っていた。
 つーか、原作ファンなら映画化ぐらい知っておけよ。

 
 とゆー、長い前降りですが、見に行きました、『魔界転生』。

 前作を云々言っておきながら、実はわたし、前作はよく知らないのです。
 テレビでやっているのをちらりと見たことがある程度。

 つーか。

 沢田研二と真田広之のキスシーンしか、おぼえてないんですよ。

 当時はたしか、自分のテレビを持っていなくてね。
 祖父母と一緒に茶の間で見るにはそぐわなかったのよ……。
 時代劇だから、ってことで、なんとかチャンネル権は獲得できたものの、きちんと見ることはできなかったような。
 暗くてエロかった記憶があるので、保護者と一緒に見るのはきつかったのでしょう。
 

 原作は知らないし、前作もよくおぼえていない。
 沢田研二の妖艶さ、真田広之とのキスシーン、千葉真一の暑苦しさ、ぐらいしかおぼえてない。
 窪塚くんが天草四郎ってことは、窪塚くん、ダレとチューすんだ? と思ったくらい、モノ知らずでした。

 真田広之の役は、リメイク版では存在しないのね……。
 あとから知ったよ。
 

 さて。
 そんなわたしが、WHITEちゃんと並んで鑑賞しました、リメイク版『魔界転生』。

 いちばん痛切に思ったことは。

「エロくない」

 でした。

 こんなもんなのか?
 ちっともエロくなかった。
 前作には、なんともいえん「隠微さ」「妖艶さ」があったと思ったし、また、わたしは勝手にそれを期待していた。
 日本物、時代劇っていうのは、一歩まちがえるととてつもなく暗く美しい世界になるよね。黒地に金、の世界観っていうか。蒔絵の持つ美しさっていうか。
 『陰影礼賛』じゃないけど、白く美しい生クリームにはない、和菓子の暗い美しさっていうかさ、光より影に美を求める習性ゆえのこだわりっていうか。
 日本物ゆえの、時代劇ゆえのエロさと美しさを、わたしは期待していたのよ。
 それがまったくなかった。

 美しく色っぽくしようと努力はしているようだが、そもそもツボがちがうとしか言いようがない。
 耽美、というものをまったく理解しない、健全な人が健全なアタマで、理屈だけでエロスを表現してみました、みたいな?

 つまらん……。
 おかげで、窪塚天草四郎は、中途半端に途方に暮れる。
 窪塚くん自身の力で、妙な透明感はある。でも、演出と彼の透明感は別の方向に引き裂かれていて、不安定でどっちつかず。
 かみあっていないもどかしさ。

 「色気のなさ」が全編に漂うので、せっかく復活した魔界人たちも、存在感が薄い。スポーツのように戦い、滅んでいく。
 もっとどろどろしててもいいんじゃないのか? 魂を悪魔に売ってでも、蘇りたい未練があったんだろう?
 未練とか執着とか欲望とかは、「色気」と同意語なんだなと確認。色気に欠けるままだと、ただ「かっこいい殺陣」を見せるためだけに現れた子ども向け特撮ヒーローになってしまう。

 もちろん、映像はきれいで迫力もある。殺陣もかっこいいですとも。
 各役者たちも、かっこいいです。コスプレが美しいです。豪華な俳優陣を「わかるわかる」ってなイメージでキャスティング。ぱっと見には素敵です。

 佐藤浩市、いい男だなあ。
 いつも総受なこの男が、骨太な戦士を演じております。最初のうちはいつもの受男だけど、物語が進むに従って、どんどん研ぎ澄まされて男前になっていく。
 窪塚洋介、最初のシーンがいちばん美しいっす。生前の天草四郎。透明な美しさ。たしかにこの少年なら「神の声」を語っても信じられるわ。てな。前髪が素敵。「もう、神など求めぬ」……彼の絶望が素敵。
 長塚京三様、ごま塩頭、いいです。
 今彼は微妙に太っていて、かつての美しさがかなりマイナスになっています。男はなー、これくらいの年齢がいちばんきついんだよなー、って感じ。加齢臭ぷんぷんってか。
 それが白髪になることで、一気にロマンスグレーですよ、京三様!! いっそそれくらいトシ食ってくれた方が、わたし的にはOKです。武蔵コスプレ、素敵よー。
 加藤雅也、相変わらず男前。男に惚れる男、を演じてこその君の濃さ。『天国の階段』に引きつづき、佐藤浩市命の役ですか(笑)。柳生十兵衛と戦いたさに魔界から戻ってきましたか(笑)。出番が少なくて残念です。
 濃いと言えばこの人、杉本哲太。この人も時代劇の方が男前だよなあ。顔も芸風も濃すぎるからかなあ。

 しかし、わたしとWHITEちゃんの共通意見としては。

「オジー、男前だったね」
「うん、オジーがすごくかっこよくなってた」

 映画を見終わって、最初に言ったのがコレさ。
 オジー……古田新太。宝蔵院胤舜役。
 役によってほんと別人だね。

「なんか、痩せてなかった?」
「痩せてたよー。じゃあ次の『キャッツアイ』の映画ではまた太るんかな?」
「太ってなきゃオジーじゃないよー。オジーといえば“垂れたおっぱい”でしょ? 白いランニングシャツ越しに、大きなおっぱいがこう、垂れさがってたじゃん」

 わたしたちはひょっとして、古田新太ファンなんでしょうか。
 あの名作『木更津キャッツアイ』以来、彼へのチェックは他の俳優の比ではありません。

 しかし、窪塚くんより佐藤浩市より、古田新太を語るか……わたしたち……。
 

 それにしてもわたし。
 『デアデビル』と『魔界転生』って、2本立てで見るよーな作品じゃないよ……。
 両方とも、次元が似すぎていて、つづけてみると疲労増大効果あり。


 自己愛が炸裂する小気味よさ。
 映画『シカゴ』を見てきました。

 いやあ、愉快っす。
 出てくる連中、どいつもこいつも極端に自己中。
 どこにも「愛」がない。他人になんか興味がない。あるのは「自己愛」だけ。
 ここまでくると、それが快感。

 ロブ・マーシャル監督、レニー・ゼルウィガー、キャサリン・ゼタ=ジョーンズ、リチャード・ギア主演。

 1920年代シカゴ。スターを夢見るレニー・ゼルウィガー(既婚)は「芸能界に紹介してやるよ」と言う男と不倫。でももちろんそんなのは男の嘘で、だまされていたことを知ったレニーは逆上、男を射殺してしまう。
 レニーが投獄された刑務所には、彼女のあこがれのスター、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがいた。キャサリンもまた殺人犯として投獄されていたのだ。
 キャサリンは敏腕弁護士のリチャード・ギアの手を借りて、殺人犯の囚人でありながらシカゴの人々からスター扱いをされている。ギアならば殺人犯を無罪放免することができるというのだ。
 レニーはギアを雇い、「無罪」を勝ち取りなおかつ「スター」として名を馳せるために彼と共に画策をはじめる。
 レニーの運命はいかに?!

 ミュージカルの方は見たことありません。
 ついでに、ストーリーもなにも知らずに見に行きました。

 おもしろかった。

 ミュージカル部分と映画ならではの部分の融合がセンスいい。
 ミュージカルにはミュージカルの手法ってあるよね。お約束っていうか。そのジャンルが持つ武器。
 それを損なわずに「映画」というジャンルの武器を使って表現してるの。
 うまいわ。

 これは「映画」である。
 だから「映画」として、「映画」でしかできない表現方法を見せてくれなきゃ、「映画」である意味がないと思うのよ。
 それをあざやかにやってくれているから、すてき。
 気持ちいいの。

 ミュージカルの方も見てみたい。
 素直にそう思える。

 今までふつーに喋っていた人が突然歌い出す。
 台詞が歌に、歌が台詞に。
 これ、ミュージカルのお約束。魅力でもある。

 でも、映画でソレはないよね?

 ではどうするか。
 歌の部分はすべて、「ショー」にしてしまう。

 たとえば迫力の女看守が出てくる場面。
 場所は刑務所、ヒロインのレニーも他の囚人たちもみんな囚人服を着てひとつの部屋に集められている。
 そこへ強面の女看守登場。
 彼女は台詞で自分の紹介と主張を述べる。そりゃーもー、おっかなぁい脅迫めいた寛大な台詞だ。
 そこに。
 突然、別のシーンが二重映しになる。
 女看守がセクシーなドレス姿になり、「おっかなぁい脅迫めいた寛大な」歌詞の歌を、ステージで踊りながら歌っちゃうのさ。他の出演者たちに追従されながら、女王然としてショーを行う。
 女王様ショーと女看守の台詞が、シンクロして展開するわけ。

 全編この調子で、「ミュージカル!」になる部分はすべて、突然別のショー・シーンになる。舞台の上の世界になる。キャストと観客が、そのときどきの現実の人々にシンクロするんだ。

 うまい。
 映画をやりながら、ミュージカルしてるよ。
 おしゃれでミステリアスだ。

 ヒロインのレニー・ゼルウィガーはベリキュート。
 バカ。
 を、絵に描いたよーな美人。
 のーみそ空っぽで虚栄心と自己愛が強く、他人のことなんかこれっぽっちも思いやらない。もちろん殺人を悔いることもない。他人を利用し踏みつけにするけれど、自分は爪の先でも傷ついたら泣きわめくタイプの女。
 ……でも、このバカっぷりがもー、小気味いい。
 だって彼女はパワフルだ。
 どんなにバカで恥知らずでも、やりたいようにやり、生きたいように生きる。
 かわいいブルドーザー女。邪魔する奴らはなぎ倒せ。

 もうひとりのヒロイン、キャサリン・ゼタ=ジョーンズがかっこいい。
 こちらは同じ自己中でも、知性がある。自分がなにをしているかわかっていて、悪徳の中を輝きながら生きる女。セクシーでワイルド。
 女性があこがれるのはこのキャサリンの方よね。
 目的のためには手段を選ばない、悪の華。
 どんな境遇からも、自分の腕で這い上がるその強さ。ああ、かっこいいー。

 悪徳弁護士リチャード・ギア。
 ……正直どーしてこの人がこの役をやっているのか、わたし的にはいまいちわからんのですが……。他にもっと適任がいたんじゃなかろーか、とか。
 なにがすごいって、ヒロインと愛が芽生えないこと!!
 この映画、愛がどこにもない。
 ほんとにこの弁護士、自分のためだけに、「売名」と「金」のためだけに弁護という名の「パフォーマンス」を繰り返します。たのしそーに。
 いいなあ、この潔さ。
 どんな美女より自分が愛しいのね。
 クライマックスの法廷シーンの盛り上がりはすごいぞ。

 自己愛のみで突っ走るふたりのヒロイン、自己愛のみで罪を無罪にしてしまう弁護士、簡単に簡単に人を殺す女たち、そしてそれをもてはやすマスコミ、殺人に驚喜する民衆たち。
 …………狂ってる。
 みんなみんな、おかしい。
 だけどそれがたまらなくエネルギッシュで、滑稽で、爽快。
 痛快。

 エンタメなんだ。

 見ていてとっても愉快で、見終わったあとに「よっしゃあ、なんか力がわいてくるぞ」てな感じ。
 ……倫理的にはまちがいまくった映画なんだけど(笑)。

 
 しかし、レニー・ゼルウィガー……。
 胸、えぐれてますがな。
 凹凸のかけらもない胸に、貼り付いたよーな深いカットのセクシードレス……。いいのか、それ?
 顔もプロポーションも、キャサリン・ゼタ=ジョーンズの横では悲しい限り……。

 んでもってまたしても、片桐はいり。
 出てたのね、ルーシー・リュー。
 レニーにしろこの人にしろ、女の魅力は顔ではない、と思い知らされるわ。
 顔はどうであれ、雰囲気で「美女」の域まで持っていくもんなあ。

 とてもたのしく見たんだけど。
 超絶簡単に気に入らない相手を射殺する女たちの姿に、先日見た『ボウリング・フォー・コロンパイン』が苦々しく思い出されたりな。

 
 水曜日は映画の日。忙しくて見られなかった、見たい映画が溜まってる。

 つーことで、見損ねたままだった映画と、旬な映画と2本連続で見てきました。

 上映期間ももうすぐ終わり、という、「今ごろそんなの見たの?」と言われそうな『戦場のピアニスト』。
 封切りからもう2ヶ月ほど経ってるよねー。アカデミー賞のおかけで期間延長、なんとか見に行くことができたよ。そーでもなけりゃ、一生見られなかったろうなー。(基本的にわたしは、映画は映画館でしか見ない。見損ねたら最後なんだわ)

 どーしても見たかったので、がんばって見に行きましたが……。
 べつに、見損ねたら見損ねたで、それでよかったな。
 とゆー感想でした……。

 第2次世界大戦時、ユダヤ人ピアニストの主人公の、苦難の物語。
 そりゃーもー、苦難につぐ苦難の日々。
 人間として市民として当たり前の権利がどんどん剥奪され、無差別の暴力と死にさらされ、家族を殺され、ひとりでボロボロになって隠れ住み……。
 ついにドイツ兵に発見されたが、ピアニストだと告げるとセーフ、見逃してくれました。
 実話を元にした作品。

 うーん……。
 ただたんに、わたしの好みではなかった、ということかな。

 ほんと、たんに、おもしろくなかったんだわ。

 でもさぁ、こういう映画を「おもしろくなかった」って言うと、「知的レベルが低い」とか「反倫理的な人間」みたいなイメージがあるような気がするなー。
 だって感動大作だもんなあ。

 日本で言うなら、原爆をテーマに扱った太平洋戦争映画とかさ。ヒロイン(日本映画ならヒロインだろう!)がどれほど苦労して生きたか、どれだけ戦争が悲惨であるか、をえんえん語った作品(しかもドキュメントとか、ほんとうにあった話)を悪く言ったらまずいよね、みたいな感じ?

 リアルに理性的に「時代」を描写しているんだろう。
 そこある残酷さも恐怖も過ちも、すべて真実なんだろう。
 ……でもわたしには、おもしろくなかった。
 わたしはドキュメントや自伝が見たいのではなく、映画……エンターテイメントが見たかったんだ。

 演出次第で、いくらでもおもしろくなったと思うんだけどなあ。

 きっとはじめから目指したモノがチガウのよね。
 ドキュメントで自伝なんだよね。
 事実を冷静にありのままに描いてあるんだもの、エンタメみたいに「感動させよう!」なんてあざとい仕掛けは必要ないんだよね。

 スタンスがちがう、ツボがちがう。
 よくわかりました。
 よくわかったんだけど……もったいないなー、なんて、エンタメ嗜好のわたしはつくづく思ったのよ。
 このネタ、ものすげえエンタメに製造可能なのに。
 泣かせられるし、感動させられるし、美談だし、スリルだしサスペンスなのよ?
 もったいない。
 もっともっと、一般受けするものにできたのに。
 史実を元に、純文学を書くかエンタメを書くか。
 そのちがいなのよ。
 なんか大真面目に純文学でさ。格調は高いかもしれんが、大衆が楽しめるものじゃない。文部省推薦、ってロゴを付けて、高校生が教師の命令で鑑賞するよーな作品になった。
 エンタメとして作っていたら、命令ではなく自発的に見に来ただろうにね、高校生。テーマは変えずに、もっとたくさんの「純文を理解しない人たち」にも見てもらえただろうに。……ま、かわりに「純文しか認めない人たち」にはそっぽ向かれたかもしれんが。

 つーことで、わたし的にはおもしろくなかったです。『戦場のピアニスト』。

 そしてもう一本。
 大阪で封切られてから、どれくらい経ったかな?
 梅田まで見に行くのがめんどーなので、地元……つーか、自転車で見に行けるハコにやってくるまで待っていました。
 『ボウリング・フォー・コロンパイン』。

 なにがおどろいたって、観客の少なさ。

 映画館、がらがらでやんの。
 ええっ?!
 だってこのハコ、このタイトルが上演されて最初の水曜日なんだよ? なんでこんなに誰もいないの? 女性はこの映画、興味ないのか?
 こんなにがらがらの映画館で映画を見るのはいつぶりだ……? 水曜日しか映画を見ない人間なもんで、いつもそれなりに混んでいるもんなのよ。そう、『五条霊戦記』以来のがらがらぶりだわ。(『五条霊戦記』はとっても愉快なおすすめ映画っす!笑)

 アカデミー賞取ったのになあ。
 しかも授賞式で、監督・脚本・主演のマイケル・ムーアのパフォーマンスで物議を醸し出したのになあ。
 それでも、こんなにがらがらなのか……。

 コロンパイン、というのは、アメリカにある高校の名前。
 そう、生徒が銃を乱射して多数の教師や生徒を死傷させた、あの事件があった高校。
 なぜコロンパイン事件は起きたのか?
 というテーマで、アメリカの銃社会に疑問を提示するドキュメント映画。

 ドキュメント映画を見るのははじめてです。

 学校とかで強制的に見せられることはあっても、自分では見たことなかったなあ。
 そのせいかな、ドキュメントってどーも、おもしろくない、退屈、というイメージがあって。

 はじめて見たわけだけど。

 うまい……。

 とてもうまいっす。この作り方。

 ただ事実を列挙していくだけじゃ、つまんないんだよね。
 自伝とかストーリーや時系列の決まったモノなら、『プロジェクトX』的に作ることはできるけど、こーゆー「はばひろく現実の事象を拾い集め、そこからテーマを浮き彫りにする」タイプのものを、どうまとめ、演出するか。
 ふつーに事実だけ書いてたんじゃ、退屈。新聞記事のスクラップ帳になる。かといって、誇張や嘘は使えない。
 では、どう見せれば観客を退屈させず、テーマを描けるのか。

 その手法を見せてもらいました、って感じ。

 コラージュの仕方が秀逸。
 素材は新聞記事でしかないのに、それを色紙や布やリボンでデコレートし、構成を考えてレイアウト、眺めるだけでたのしい絵本のようにした……みたいな。

 アイディアと構成力に脱帽。かな。

 テーマについては……すみません、わたし、実感できません。
 現実にそこに生きていないわたしには、「傍観者」としての見方しかできないのよ。「あー、アメリカ人ってばよー」みたいな。
 普遍的なものはわかるけれど、この映画はあくまでも「アメリカの、アメリカ人としての」立ち位置にいる。そこに立っていないわたしには、所詮絵に描いた餅っす。

 興味深く、勉強にはなるが、おもしろくはなかったよ。……おもしろい、てな観点で見るもんでもないのか。

 ……夜にWHITEちゃんがうちにやってきたので、『コロンパイン』を見たことを話しました。
 梅田の劇場で上演されたときは連日満員立ち見の整理券発行だったそうな。WHITEちゃんは「これだから大阪人は……」と言っていた。「アカデミー賞効果」はいまいましい、と。
「封切館でもない田舎の映画館では、誰もあんな映画は見ないんでしょうよ」
 ……そーゆーもんなのか。梅田に行かなくてよかったよ。

 にしても、『戦場のピアニスト』と『ボウリング・フォー・コロンパイン』……2本立てで見るよーなタイトルじゃない……疲れた……。

 
 悩みの種はひとり娘。
 せっかくわたしに似て美人なのに、ちっとも女の子らしくしない。
 男の子にもおしゃれにも興味なし。男の子みたいな格好しかしないの。そして、よりによってサッカーに夢中。
 今日も同じ女子サッカーチームの友だちが遊びにきている。
 ケンカでもしたのかしら。なんだか雰囲気が悪かったけれど……。
「あなたは私を裏切ったのよ!!」
 娘の叫び声。
 お茶とお菓子を運ぼうとしたわたしは、ドアの外で凍り付く。
 娘とその友人の少女が激しく口論している。
 その内容は……。
 ああ、神様!!

 友人じゃない。
 あの少女は、娘の恋人だわ!!

          ☆

 ご機嫌な映画を見ました。
 『ベッカムに恋して』。

 バーミンダ・ナーグラ、キーラ・ナイトレイ主演。

 女の子のサッカー映画。
 ……と言えば、想像するよね? その想像まんまの映画。

 主人公のジェスはサッカーに夢中な女の子。部屋はあこがれのベッカムの写真だらけ。彼女は毎日、男の子にまざってボールを蹴っていた。
 インド系イギリス人の彼女の家庭は厳格。「女の子は女の子らしく!」が基本。両親はジェスがサッカーをすることに大反対。
 ある日ジェスはジュールズという少女に、女子サッカーチームに誘われた。女の子にもサッカーリーグがある! そのことを知ったジェスは家族に内緒でチームに入る。
 チームは勝ち続け、ジェスにはサッカー選手としての輝かしい未来が予想される。
 ……が。サッカーチームに入っていることが、両親にバレてしまった! 当然ジェスはサッカーを禁止され……。

 「女の子は女の子らしく」という概念。「女は家庭に入るのがいちばんの幸福」という概念。「おっぱいが邪魔でプレイできないだろ?」と笑う男たち。
 それらをはねのけて、自分で人生を切り開いていく女の子たちの青春映画。
 友情と恋と夢と家族愛。

 女の子のサッカー映画、と聞いて想像するまんまの映画。

 そう、まんまだからいいのよ。
 見ていて気持ちいい。お約束のテーマとストーリーを真っ向勝負。

 ヒロインのジェスがインド系だってのがいい。
 現代のふつーの家庭の女の子が、「サッカーなんてはしたないものは禁止!」って言われても「はぁ?」って感じだよね。ふつーにスポーツじゃん、って。家族の反対が、大して障害にならないよね。
 でも、なんといっても彼女はインド系。規律の厳しさが、わたしたちとはチガウ。
 家族の反対が、とても大きな障害なの。そりゃ、この家庭環境でサッカー選手になろうなんて、ものすごい反骨心だよ、と思わせる。
 現代で「身分違いの恋」をやってもそれほど盛り上がらないけど、明治時代とかヨーロッパの貴族社会とかでやると盛り上がるのと同じ。
 障害が障害として、正しく機能。

 インド系イギリス人の生活なんて、まったく知らなかったから、それを見るだけでも興味深かった。
 ほんとにインド人なんだ……家も服もふつーに現代なのに。生活はイギリス、でも習慣はインド。なんて頑な。日本とはチガウ。

 女の子と家族、女の子と社会の戦いの物語。
 ジェスとジュールズ、ふたりの少女はそれぞれ両親にサッカーを反対されている。
 インド人とイギリス人ってことで、反対の度合いがチガウけれど。
 インド人のジェスは完全反対、イギリス人のジュールズは反対はされるけれど、されるだけで、彼女は自分のしたいようにすることができる。
 この対比もいい感じ。
 立場はまったく同じなのに、障害の大きさがチガウの。それが民族のちがい。
 インド娘とイギリス娘の家庭が、きちんと描いてある。
 ……自由度のちがいはあるものの、家族や社会に理解されずに、自分の道を貫くのはつらいよね。
 だから応援したくなる。
 がんばれ、女の子。
 自分の人生を、自分の意志で決めるんだ。

 女の子と家族の関係が、とてもいいの。
 対立を描くわけだから、主人公の女の子側ばかりを描いてもダメ。障害となる家族側も、ちゃんと描かないと。
 いいファミリーなんだ。
 ジェスもジュールズも、いい子だってのが納得できる。このファミリーに愛されて育ったんだから、そりゃいい子たちだろうよ。

 そしてもうひとつのお約束、恋と友情。
 ジェスとジュールズは、同じ男性を好きになる。
 チームのコーチで、ハンサムでやさしく厳しい好青年。
 さあ、男が絡めば友情は危機だ。
 ジェスとジュールズは絶交!!
 ……まったく、女の子ってば、公私の区別つかないからなあ。恋とサッカーは別もんだろうに……恋でモメると、サッカー的にも大変さ。

 これらの出来事は、すべて気持ちのいい大団円になだれ込む。
 そりゃーもー、お約束通りに。
 期待通りに。

 
 この映画の気持ちいいところは、すべてが「お約束通り」であることだ。
 お約束の気持ちよさを優先して、気分の悪くなるよーな部分は描かない。

 たとえば、家族に内緒でチームに入ったジェスは、金銭的なことはどーなっているのか? とか。
 日本のサッカーマンガでこのパターンならまず、主人公はチームの月謝に苦労するね。ユニフォーム代、シューズ代はもとより、スタンドの使用料、コーチの給料とか、月謝として徴収されるよねえ? 高校生の女の子が、学校に通いながらどう捻出するんだ?
 でもそんな部分は描かない。ジェスは問題なく毎日練習して腕を上げていく。

 たとえば、ジェスとチームメイトの軋轢。
 スカウトで入ってきた、「家族には秘密」のストライカー。家庭都合で試合に出たり出なかったり。
 ふつー、嫌われるって。ジェスが入ったことで、レギュラーからはずされた子とかがいるはずだ。あとから来たジェスより、もとからいる子を大事にしないか、他のチームメイト?
 でもそんな部分は描かない。ジェスは問題なくチームメイトに迎えられ、毎日たのしく練習して腕を上げていく。

 ジェスがはじめから抱える「障害」はあくまでも「家族」だけにまとめる。
 そしてこれは、「家族愛」でハッピーエンドに。
 次に、ストーリーが進むことで生じる「問題」が、恋と友情の板挟み。他のチームメイトとかは一切描かない。ジェスとの関わりは、ジュールズのみ。
 そしてこれも、「友情」で美しくハッピーエンドに。

 「お約束」の実行のために、他のことを切り捨てる潔さが秀逸。

 だから見ていてとても気持ちいい。
 期待通りの快感に酔える。

 あと、爆笑を誘っていたのが、ジュールズのママ。
 浅慮な価値観に凝り固まっている、かわいい女性。
 コーチをめぐってケンカするジェスとジュールズの会話を立ち聞きして……「痴話喧嘩」だと誤解。
 娘がレズだなんて!! と、いちいち過剰反応。
 ママが出てくるたびに、場内爆笑。

 ジェス側も、ジュールズと仲良くしているところを小うるさいおばさんに目撃され「男の子と道端でキスしてるなんて!」と誤解されて大変なことになったり。

 ジュールズがとにかく、美形だから。
 ボーイッシュで傲慢。引き締まったカラダもかっこいい。
 ……男の子にまちがえられたり、レズの男役だと思われたり。大変だな(笑)。ふつーに恋してる女の子なのに。

 クライマックスの結婚式のシーンがいいよ。
 カラフル!!
 インドの結婚式って大変だ。
 踊れ踊れ。
 幸福を祝って踊れ。
 インド女性として、同族に祝福されて結婚する姉と、それらすべてと相反することになる、サッカーの決勝戦で戦う妹の、対照的な……でもそれぞれがもっともしあわせなシーンが交差して描かれる。

 
 たのしい映画だった。
 エンディングはNG集みたいになってるの。かわいいー。
 スタッフもキャストも、サリーを着たおばーちゃんも、ころころしたおばさんも、みんなみんな踊り出す。
 かわいいー。

 原題は「ベッカムのようにボールを曲げろ」という意味らしい。
 ベッカムがボールを曲げるように、自分の人生を自分の力で曲げろ、という、エールに満ちたタイトル。
 すべてが直球勝負だ(笑)。
 大好き。


 そこは一面の花畑だ。
 ワンピース姿の少女が微笑みながら走っている。
「うふふ、捕まえてごらんなさぁい♪」
 白いシャツの少年が、彼女を追いかけている。
「こいつぅ」
 ふたりは花畑の中を笑いながら走る。
「うふふ」
「あはは」

 高橋留美子の絵でお願いします。

 わたしはタイトルを見た瞬間、こーゆー図を想像した。
 絵に描いたよーなバカップルが、頭にお花を生やして花畑を駆け回る図。

 『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』。

 「捕まえてごらんなさぁい♪」
 ……わたしの乏しい英語力と、偏向がちな想像力が、そんな図を描いたのだ。

 レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス主演。

 見終わっておどろいたことは、わたしの想像が、あながちまちがいでもなかったことだ。

「捕まえてごらんなさぁい♪」
 逃げるレオ様。
「こいつぅ」
 追いかけるトム。
「うふふ」
「あはは」
 ああ、お花畑。

 ……こんな話だったなんて。

 レオ様は16才の高校生。
 すごいぞレオ様、現役高校生役だ。君こそ本物のとっちゃん坊や。高校生だと言われたらすんなり信じてしまうよ。
 両親の離婚が大ショックだった彼は、もう一度幸福だったあのころを取り戻したい一心で詐欺を繰り返し、大金を稼ぐ。
 小切手詐欺だ。
 高校生が持ち込んだ小切手を、銀行は相手にしてくれない。そこでレオ様は、「みんなが無条件に信用する職業」に扮することを思いつく。
 パイロット、医者、弁護士。
 彼は年齢不詳の顔を武器に(笑)、次々と名と職業を変え、大金を手にする。
 そんな彼を追うのが、FBIのトム・ハンクスだ。
 レオとハンクスは知略の限りを尽くして戦うが……。

 追う者と追われる者。
 そこには究極のエロスがある。

 と、つねづね思っているわけよ。
 だからとっても期待して見に行きました。

 ……期待以上っす。

 ラヴラヴでしたがな、レオ様とハンクス!(笑)
 まさかハッピーエンドだとは思わなかったよ。
 ふつー追う者と追われる者が犯罪者と刑事の場合、ハッピーエンドは存在しないもんなんだが。
 なんてこったい、ハッピーエンドだよ。

 詐欺師モノって、愉快だよね。
 スリルとサスペンス。
 窮地を知恵と度胸でひっくり返す、それがじつに気持ちいい。
 しかもレオ様の場合、みじめ路線あわれ路線に走るのではなく、とことんゴージャスにひっくり返すので、見ていて爽快だ。

 だけど、そんな天才詐欺師の持つ、かなしさ。
 嘘だけで生きる彼には、心のよりどころがない。

 昔、彼の家は裕福で、美しい母とダンディな父がいた。両親はとてつもなく愛し合っていた。幸福な両親のもとで、彼もまた幸福だった。

 だが、今の彼にはなにもない。
 以前のように裕福になれば、母が帰ってきてくれるのではないかと思った。
 借金に追われる父を救いたい。昔のように、ダンディでいてほしい。
 そう思っていたのに。

 なにもないレオ様が持っているモノ。
 それは、自分を追い続けている、あの捜査官だけだ。

 クリスマスイヴの夜。
 孤独な少年は、電話を掛ける。
 同じ空の下、自分を追い続けているだろう男のもとへ。

 …………ラヴラヴです。
 どどどどどうしましょう。ラヴラヴですよ、こいつら!!

 敵同士のはずが、いつの間にか最愛の人に。
 この世でたったひとり、わかりあえる相手に。

 トム・ハンクスがやもめ男だというのも、ポイント高いです。
 10年も前に離婚していて、娘にはろくに会ってもらえずにいるヘタレパパ。
 それでも今もなお、結婚指輪をはずせずにいるヘタレ夫。
 捜査官としては優秀でも、よき家庭人にはなれなかったんだね。
 そんな男が、天才詐欺師の幼い慟哭に気づき、救おうとするんだ。……せつないね。

 気持ちのいい映画でした。

 あ、日付は1日ズレたまま。9日の日記ナリ。

 
 『007』初体験。

 1日ズレておりますが、6日の日曜日の日記です。
 本日は映画『007 ダイ・アナザー・デイ』鑑賞。

 じつはわたし、『007』を見たことがないのです!!

 もちろん、ネタとしては知ってます。
 そしてテレビの洋画劇場ででは何度か見たことがあります。
 されど、劇場でちゃんと見るのははじめて。

 初体験なの。

 それを言うとWHITEちゃんはウケておりました。
 彼女は父親につれられて、子どものころから『007』に親しんできたらしい。シリーズのほとんどを映画館で見ている、という。
 つ、強者……。

 わたしは子どものころ、「映画」という文化を知らずに育った。両親が映画を見ない人たちだったから。
 少ないおこずかいでアニメ映画を見るのがやっとで、とても洋画にまで手が回らなかったよ。

 大人になったら、自分で見る映画を選ぶので、とーぜん『007』は選外となった。
 基本的にわたし、アクション映画には興味がないのよ。
 ストーリー全部同じなんだもん。
 とってつけたよーなヒーローとヒロインの恋も、どーでもいー。
 見ている間はたのしいけど、映画館を出た瞬間に内容を思い出せなくなるとわかっているものに、1000円は払えないわ(映画は1000円だと決めつけている)。

 そして、『007』初体験。
 WHITEちゃんがGETしたタダ券で、いざ未知の世界へ。

 デンジャラス!!

 デンジャラスです!!

 水着姿の男が、濡れたカラダで砂浜にうつぶせに寝ころびました。
 そして、立ち上がったら、どうなっているでしょう。
 カラダの前半分全部に、砂がびっしりついてしまいますね。

 ええ。
 そーゆーデンジャラスさでした。
 ジェームス・ボンド役のピアース・ブロスナン。

 体毛濃すぎっ。

 胸毛というか、腹毛というか、そのままパンツの中につづいているとゆーか。
 ギャランドゥ。

 涼やかなハンサム顔とは正反対の、毛深さ。オゥノオッ!!

 今作を見るのが2回目だというWHITEちゃんが、作品を語る前に「ボンドがギャランドゥでね……」と苦くつぶやいていたわけだよ……ほんと、ハンパじゃねえ。

 QUESTION
 毛深い男は好きですか?

 ANSWER
 苦手です。

 カレシ選ぶとき、体毛の濃さがマイナスポイントになります。すね毛はわりと好きなんだが、もも毛はヤ、とか、ケツ毛はどのへんまで許容、とか、いろいろあります。

 緑野家の男たちは、全員体毛が薄いです。
 それがきっと、インプリンティングされてるんだと思う。意識以前の部分に。
 祖父も父も弟も、眉や髪の毛は濃いけれど、体毛は薄い。つるつる。
 とくに弟。
 ……すね毛、ねーんだもんよ。
 わたしが夏にすねのむだ毛処理をしていると、「大変だな」とか言って嘲笑いやがるっ。姉よりすね毛がないってどーゆーことよっ?!
 もっとも弟は、すね毛がなさ過ぎて、夏でも短パンが穿けないそうです。さすがにみっともないらしい。ふん。

「この間リーマンもののBL読んだんだけどさー、受にヒゲが生えてないとかいうのよっ? 信じられる? 20代半ばなのによ。これだからアホアホって!」
 と、お怒りの友人に注進申し上げたことが。
「あのー、うちの弟、ヒゲがまともに生えたの30になってからだよ?」
 と。
 20代半ばのころは、つるつるほっぺでしたとも。今もまだ、ヒゲはぽつぽつで、十分つるつる。
 全国のやほひ書きのみなさん、こんな男も実在するから、30才のほっぺたつるつる受もOKですよっ!!(笑)

 と、なんの話だ。

 えーと、ボンドのギャランドゥ。
 その毛はどこの毛ですか? 胸ですか腹ですか。
 つーかつながってる以上、あそこの毛でもありますよね……?
 てなかなしみ。
 デンジャラァァァス!!

 ストーリーはよくおぼえていません。
 つーか、あまりにドラマ部分がないのにおどろいた。
 ひたすらアクション。とにかくアクション。
 いつまでやるんだろう、と思うくらいに、えんえんアクション。

「あのジェームス・ボンドがしょっぱなからいきなり敵に監禁されてるのよっ?! これは『007』史上はじめてのことなのよ!」
 とWHITEちゃんは言うけれど。

 せっかく監禁っていうから期待したのに、拷問係、女じゃん……。
 なんかたのしそうだぞ、ジェームス・ボンド。

 まともに見るのがはじめてなのに、全編デジャヴが。
 過去に見た『007』とかぶるのね。
 なんかこのシーン知ってる……がいっぱい。

「だってお約束だもの」
 と、WHITEちゃん。
「変えちゃいけないのよ。永遠に同じことをするの」
 『水戸黄門』と同じか。
 それはそれで、意味のあることだ。

 そういやワゴンさんが言っていた。
「あたしはなにか考えたり、暗くなったりする映画はいやなの。なにも考えずに見て、すかっとするものが好き。頭を使わないでたのしめる映画が見たい」
 彼女が今見たい映画は、『007』と『タキシード』だった。
 うん。
 そういう映画は大切だ。
 ……ただ、わたしの趣味じゃないというだけのことで。

 『007』初体験。
 ありがとう、いい経験になったわ。
 とってもたのしかった。
 見ている間はわくわくと、愉快に過ごすことができました。

 そしてわたし、きっともう二度とこのシリーズは見ないでしょう(笑)。

 
 さて、映画『ワンピース』の話のつづきである。

 4作目にしてはじめての「映画」で、まっとーに「物語」として創られていて。

 いちばん、心からうれしかったこと。

 「友情」の押し売りがないこと。

 3作目だっけか2作目だっけか。映画館で一度見ただけなんで、よくはおぼえていないんだが。
 ワンピの映画を見て辟易したのは、なにかっちゃー「友情」「友情」言うことだったのね。

 はっきり言って、気持ち悪かったのさ。

 ……わかってるよ。たかが50分とかの枠で、テレビ版より派手なモノを創らなきゃならないんだ、テーマを表現する余裕なんかないってことは。
 余裕がないから、「よーし、いちばん保護者ウケするテーマは、台詞で言っちゃえ!」とゆーのは、わかるんだ。
 キャラをたてて、ストーリー展開させて、そのなかで表現するより、台詞で「オレは仲間を信じる」「信じ合うのが真の友情だ」とか言っちゃえば、1000分の1くらいの労力ですむもんな。30分かけて表現するより、30秒で言っちまえ! てことだろうよ。
 でもわたしには、それがものすごーく、気持ち悪かった。

 ワンピって、こんなマンガだったっけ……?

 友情大安売り。
 べたべたべたべた、まるでひとりで生きられないから群れているよーな、「友情」「仲間」という名の依存関係。ルフィは「友情教」の教祖様ですか?

 ルフィをはじめとするキャラたちの「かっこよさ」は、「自立」していることだと思っていたんだが……。
 みんな自分の都合で一緒にいて、好き勝手な方向を向いている。ひとりでも生きられるけど、「今」「自分の意志」で、「ここ」にいる。
 そーゆー奴らの群れだと思っていたんだが。

 映画のワンピでは、みんな気持ちの悪い依存関係に沈んでいた。

 仕方がないことはわかってるんだけどな。
 ただ、かなしかったのよ。
 「映画」がテレビ版よりさらに「低年齢化」していることが。
 大衆化、ってのは、ほんとつにキツイわなぁ。

 それがこ今回の『デッドエンドの冒険』では。
 ちゃーんと、原作のテイストになっていたんだ。
 「友情」とゆー、見た目だけきれいな台詞でお茶を濁してなかった。
 ルフィは勝手に突っ走っているし、他の連中はそれを止めないし、命がけで助けようともしない。ひとりずつが自分のすることをし、静観したりツッコミ入れたりして、あっけらかんとしている。
 信じているから、なにもしない。「友情」とか言って邪魔をしない。
 台詞ではなく、「行動」で、彼らの信頼関係を表現している。
 それがね、気持ちよかったのよ、わたしには。
 ……ああわたし、ほんとにつらかったのね、過去の3作。涙。

 あと、テーマパーク風の作りに、こだわりを感じた。
 冒頭やレースの序盤部分などで、わたしが連想したのは、「テーマパークのアトラクション」だ。
 椅子に坐ってシートベルト閉めて手すりを握って、コースターが動き出す。あの高揚感。次々と目の前に現れるパノラマ。あのたのしさ。
 絶対、意識して作ってるよねえ? 3D感覚で背景が流れていくアレは。
 ルフィと一緒にわくわくしたよ、冒険のはじまりに。
 正しきバーチャルリアリティ、追体験。座席のままでひとときだけの冒険行。
 前半までは、とってもたのしゅーございました。

 後半っちゅーか、半ばあたりで少々首を傾げておりましたが。
 シュライヤって奴、なんすか?
 なんかこいつ、ワンピの世界観に微妙に合ってない気がしたんだが。

 だって……かっこよすぎ(笑)。

 最初から最後まで美形でシリアスなんて、変だよ??
 美形の復讐鬼なんてなー。
 途中でシュライヤ主役みたいになっちゃって、首傾げたよー。

 そりゃわたしは美形は好きだけどな。美しくてかっこいい男が、過去を背負ってクールでニヒルにキメてくれたらうれしいけどさ。
 ただ、これは『ワンピース』だから。
 どんなに王子様でもサンジの眉が渦を巻いているよーに、どんなに男前でもゾロが腹巻きをしているよーに、どこかツッコミどころがあるのが『ワンピース』。
 なのにシュライヤ、完全無欠の美形キャラっす。
 ……変だ。

 腐女子サービスですか、これって。
 シュライヤはやりすぎだよ、制作者さん。やおひのためだけのキャラは興ざめっす。
 べつに、美形である必要ないもんな。ゲタみたいな顔だとしても、彼の「かっこよさ」や「強さ」は表現できたはず。つーか、それこそが『ワンピース』。

 シュライヤの出番を少なくしていたら、もっと短くできたぞ、この映画。その分、麦わら海賊団の活躍を描けたんじゃないか?
 シュライヤの露出の多さで、バランスが悪くなっている気がした。

 ……かっこいいんだけどなあ、シュライヤ。
 せっかくのかっこいいキャラが「世界観に合わない」あたり、ワンピってのも因果なアニメだなあ(笑)。

 とりあえず腐女子のたしなみとして、「シュライヤは受か攻か。相手は誰か」を考えましたけれど。

 シュライヤがやりすぎでバランス悪いのをのぞけば、終始たのしみました。ほんとアトラクション気分。
 悪の権化を、ルフィがぶっ倒すのを、爽快に眺めました。ああ、エンタメはこうでなきゃなー。
 ルフィは悪い奴を殴るのに、「正義」を振りかざさないのよ。義憤である、と言って自分を正当化せずに、ただ「オレが殴りたいから殴る」と言う。それが気持ちいい。
 カリスマ攻。
 総攻。
 小さいけどかわいいけど、完全無欠の攻様(笑)。

 ところで絵はあれでいいんですか?
 わたし、スクリーンで見るにはつらいレベルだと思ったんですが。
 絵だけで言えば、前作の方がよくなかった?

 帰ってからなにかホモが読みたいなと思って(笑)、ネットの海に漕ぎ出してみたんですが……。
 ルフィ攻って少ないよね……。
 そしてさらに、ル攻ってなんでそう、鬼畜モノになるんですか?
 そりゃルフィは男前で自己中でバカだけど、だからってそんな、鬼畜男にせんでも……。緊縛強姦流血なんでもこいですか……。
 もしくは、だだっ子ガキ攻。
 うーん。むずかしいキャラだよね、ルフィって。
 男前で自然なルフィオさんが読みたいわ。あ、わたしルゾロです。サンジ命のWHITEちゃんとは微妙に嗜好がズレてます(笑)。

          ☆

 じつはよーやく、今ごろになって確定申告しました。はー、やれやれ。
 そしてよーやく病院にも行きました。とっくに薬が切れていて、かなりキツい日々でした(笑)。

 
「愛しているなら、電話に出て……」

 今度は呪いの携帯電話です。韓国発のホラー映画『ボイス』を見てきました!
 韓国では『スターウォーズ2』よりも人気だったとか。

 ……ははは。
 ツッコミどころ満載。見事な誘い受っぷりっちゅーかね。

 こわくないです。

 ツッコミに気を取られていたら、こわがる暇がなかったっていうか。
 改めて感じたのは、「言葉」の重要性。
 呪われた携帯電話から謎のノイズが聞こえるんだが、それが日本語しか理解できないわたしには、ほんとにただの「雑音」でしかないのよ。これがもし、わたしに理解できる「言葉」がノイズまじりに聞こえてきたら、もっとこわかったろうなあ。

 ヒロインはジャーナリスト。ストーカーに追われていた彼女は、携帯電話の番号を変える。それがなんと、呪われた番号だった! 以前その番号を使っていた人間は、みんな不可解な死を遂げている。
 ヒロインは呪われた携帯番号の謎を追うが……。

 全体的に思ったのは、えらく大味だなあ、ということ。
 物語の進み方が、なんとも大雑把。先にレールが敷かれていて、その通りに進むために多少無理があっても話をそっちへ強引に持っていく感じ。……それが見ているわたしには、ツッコミを入れたいところになる。
 とくにオチに関するあたりは……盛大にツッコミ入れたよ、わたしゃ。

 最大の疑問は、韓国では家の内装ってのは、個人が自力でやるものなのか?
 裕福な若奥様は、左官ができるものなのか?

 いやあ……おどろいたよー。
 わたし、部屋の壁紙を貼ったことはあるけど、レンガとコンクリートで壁を作った経験はないからさぁ。「やれ」って言われても、途方に暮れたと思うよ。
 韓国の女性はたしなみとして、誰もがコンクリを捏ねられるのかなぁ。
 あったりまえにコンクリートをこねこねしている姿を見せられると、盛大にツッコミ入れちゃったよ……。
 それとも、わたしが見落としていただけで、彼女は左官をやっていた過去があるのか??
 とりあえず、現代にポーをやられてもこまるなぁって感じっす……。

 ヒロインとその親友の女優さんたち、きれいでした。
 ても、親友の旦那さんは、いまいちでした。おかげでいろいろ、説得力に欠けました、わたし的に。
 親友の娘さんは、もっといまいちでした。でも、演技賞モノ。この子の顔がいちばんこわかった……。

 でも、最高にこわかったのは、なんといってもポスターです。はい。

          ☆

 本日のプチショック。
 心斎橋のお気に入りのパスタ屋さんがなくなっていた……。
 うまくて安くてオシャレで、知る人ぞ知るいい店だったのに。

 
 本日は『卒業』を見てきました。
 主演、内山理名・堤真一。

 この映画は……。
 こまったもんだなー。

 この映画は、あらかじめあることを知っているかいないかで、見方が大きくちがうと思う。
 知っていれば、ある程度たのしく見られるかもしれない。
 知らなければ、……かなり、やばい。

 だがそれって、どうよ?

 わたしはその「姿勢」に首を傾げる。
 映画を見る、という行為には、「前もって情報を得ておく」のが必須なのか? まったくの白紙の状態で見るのはいけないことなのか?

 わたしはあらゆる創造物を、予備知識なしで味わうことにしている。白紙の状態でたのしめてこそのエンタメだと思っている。
 小説であれマンガであれゲームであれ、ドラマであれ映画であれ芝居であれ……その作品中に描かれていることだけがすべてだ。他のところでなされている解説なんぞ、意味はないと思っている。
 たとえば、あとがきで小説の内容を解説したり補足していたりしても、それは認めない。なんであとがきで書くんだ、本編で書けよ。小説内だけで理解できないようなものを書くなよ。と、思う。
 この『卒業』という映画に関してもそうだ。映画中に描かれていたことしか、認めたくはない。

 だから、首を傾げる。
 これは……どうよ?

 なんとも不器用な心理学講師の堤真一の前に、キュートな女子大生内山理名が現れる。彼女は堤に積極的にアプローチ。堤先生はたじたじ。

 これは、よくある話。
 男向けのマンガ等であきるほど見た。男はなにもしていないのに、美少女が一方的に熱烈モーション、てやつな。男が不器用で優柔不断、善良なお人好しであることがお約束。強引に迫られても、断れないのな。そしてそのうちほだされて……てな。
 堤真一は優柔不断なやさしい男をやらせたらピカイチ、ハマるハマる。内山理名もちょっと無神経な強引美少女をやらせたら説得力高し。
 これはもうキャスティングを見た瞬間からの、お約束。予想内のこと。
 問題は。
 この「押しかけ女房系ヒロイン」理名のアプローチ方法だ。

 彼女は、堤先生のアパートの向かいに部屋を借り、そこから毎日双眼鏡を使って先生の生活を観察している。

 ……戦慄。
 「先生、お帰り」とか、ひとりごとを言いながら、双眼鏡をのぞいてるのよ?
 や、やばっ。

 しぶる先生を半ば脅迫してデートに誘い出した理名。帰りに先生が落とした「家の鍵」「なんかのカード」「預金通帳」を拾う。
 それらが大切なものだってことは、誰にでもわかるよね。なのに理名は、先生を追いかけてそれを渡してあげない。先生が探し回る姿を眺めている。

 こ、こわっ。

 「家の鍵」と「カード」は返してあげるけれど、「預金通帳」は返してあげない。拾ったことも教えない。

 それって犯罪……。

 またも半ば脅迫して先生をデートに連れ出した理名。公園や書店、美術館などをめぐる。それらの場所はみな堤先生も好んでよく行く場所だった。
 理名は言う。「あたし、そこでバイトしてたから、先生のことも見かけて知ってたよ」
 ……堤先生の出入りするスポットを探し、わざわざそこでアルバイトを繰り返していた模様。

 監視……?

 とにかく、理名の行動は常軌を逸している。
 こわい。ひたすら、こわい。
 なにか画策しているらしい彼女がよく無言のアップになるのだが、その顔がまた、こわい。

 これって、ストーカーもの……?

 理名ちゃんがかわいらしい女子大生だから許されてるらしいが、やっていることは犯罪だ。
 こわい。
 こわすぎる……。

 酔った堤先生を連れて、理名はついに先生の部屋に入ることに成功。正体なく酔いつぶれた先生をベッドへ運ぶ。
 眠る先生を見下ろす理名。

 ヤ、ヤるんですか?
 ヤっちまうんですかっ?!

 理名も同じベッドに入る。そして眠る堤先生の腕を取り、勝手に腕枕にしてしまう。なんか乙女ちっくなことをつぶやいて。

 こわい……。

 とにかく、理名の行動がすごすぎる。
 変だ。
 やっていることはホラーなのに、演出は「せつないでしょー、泣いていいのよー」という、とってもメロウな感じで統一されている。

 ここまで変質的な行動を取るヒロインが正当化されるためには、なにが必要か。
 恋する少女の純情、ですむ問題じゃない。このままじゃ理名は異常者だ。

 そこで、消去法で答えを出す。

 理名は、堤先生の実の娘である。

 これだ。これしかない。生き別れの娘だから、父のことが知りたくて調べ回っていた。監視していた。気づいてほしくてメッセージを送っていた。
 これならかろうじて許せる。ネコババした預金通帳も、堤が自分のために作っていた通帳だと、口座名を見た瞬間にわかったからつい、取ってしまったんだと納得できる。

 ……ええ、それが真相でした。
 理名は、堤の娘。

 そう、そもそもこの映画、制作発表されたときに明言されていました、「堤真一と内山理名が親子役をやる」と。
 わたしもWHITEちゃんとふたりして、「堤真一ってそんなトシだっけ?」と話したおぼえがある。

 たしかに、「堤真一と内山理名が親子役をやる」というのは最初から明言されていたよ。理名が、気づいてくれない父堤をせつなく見つめる話だと。

 だがな。
 それは、製作発表のことだろ。
 ホムペやその他宣伝媒体で言っていることだろ。

 作品中には、名言してないじゃん!!

 最後のオチの部分まで伏せられてんじゃん。
 理名はミステリアスな美少女って扱いしかされてないじゃん。

 理名が娘だっていうことをオチの部分まで伏せるとしたら、この作品はあまりにホラーだよ。理名の行動、変だもん。年の離れた先生に恋している電波女子大生の話でしかないもん。押しかけ厨の世界がそこに、って感じだよ。
 理名をキチガイとして描きたくない、せつない美少女として描きたいなら、最初にふたりが親子であることを作品中で名言しろよー。

 変だよ。

 作品がミステリの手法で描かれてるのよ。
 伏線が張り巡らされていて、クライマックスで真相解明。
 論理ミステリだから、叙情と相容れない。
 せつなくなるはずのヒロインの行動が、電波なストーカーになっている。

 監督、『13階段』の人なのね……。
 なんかまちがってるよ、アンタ……。

 内山理名という女優を選んだのもまずかったね。ヒロインと作品と、どっちが先に企画があったのか知らないけど。
 彼女、無言の演技できないもん……。黙っていると、ホラーにしかならない。せつなくならないよ……。

 堤真一はほんとにすばらしい誘い受男。すてきなダーリンが見つかるといいね、って感じ。
 いや、個人的に堤さんは攻でいてほしいんだけどな……わたし好みのヘタレ攻。

 堤先生とその恋人夏川結衣の関係には、とてもせつなく「恋愛映画」としてたのしむことができました。
 だから余計、理名のストーカーぶりがこわかった……恋人同士を引き裂くのか?と。

 
 レクター博士に、どんなイメージがありますか?

 よーやく見に行きました、『レッド・ドラゴン』。エドワード・ノートン、アンソニー・ホプキンス主演。

 連続猟奇殺人事件を追うFBI捜査官ウィル・グレアムは、病院の精神科に幽閉されている殺人鬼ハンニバル・レクター博士に意見を求めることになった。「噛みつき魔」という渾名で呼ばれる今回の事件の犯人に、レクター博士に近い異常性を感じたためだ。
 「人喰いハンニバル」を逮捕したのが、他でもないグレアムだ。レクター博士とグレアムは宿敵同士なわけですな。檻の内と外で繰り広げられる心理戦、なにも持たない囚人のはずのレクター博士は、何故かすべてを見通しているような言葉を発する。つーかレクター、「噛みつき魔」とタブロイドを通じて文通していたりと、まったくもって油断がならない。
 「噛みつき魔」はレクターの大ファンで、すさまじい愛情で彼の情報を集めている。ちなみに「噛みつき魔」という渾名が気に入らず、「レッド・ドラゴン」という名を自ら現場に残したりもしている。
 噛みつき魔改め「レッド・ドラゴン」が敵、レッド・ドラゴンにシンパシーを感じ協力したりしながらもグレアムに助言したり、グレアムをもてあそぶのがたのしくて仕方ないらしいレクター博士が敵でありながら味方(またその逆)、そしてわれらがヒーロー、視点であり探偵役であるグレアム捜査官。
 男たちの熱ぅい、三つどもえの戦い。

 グレアム役のエドワード・ノートンはOKです。繊細そうな二枚目。よっしゃあっ、って感じ。
 レッド・ドラゴン役もまあ、あんな感じ。

 でもさ。
 レクター博士って、どうよ?

 わかってるよ。
 アンソニー・ホプキンスがすばらしいことは。
 『羊たちの沈黙』の彼の演技がものすごいからこそ、このシリーズがシリーズとして、ここまで存在するんだということは。
 ホプキンスこそが作品の「顔」であり、彼あってのことだという事実は。

 でもさ。
 ……わたしは、不満なんだ。
 だって、イメージちがうんだもん。

 レクター博士は、あんなんじゃないぃぃぃいっ。

 原作だけを考えてください。レクター博士ってのは、どんな姿をしていると思いますか?

 ハゲ頭のじじいですか?

 わたしやWHITEちゃんにとってレクターは、「美形」なのよ……。
 年齢はもちろん壮年には達しているけれど、あくまでも「美形」なのよ。
 彼の行動には美学があり、その知性は人間の倫理や常識を超えたところにあるのよ。
 そしてそれは、「美しく」なければならないのよ。

 アンソニー・ホプキンスがすばらしい俳優であることとは、別の話なんだよ。

 『サイコメトラーEiji』に出てくる、もろ「レクター博士」な天才殺人鬼(名前忘れた)、彼こそがわたし的には「原作のレクター博士」ですよ……。
 あ、『サイコメトラーEiji』ってたしか、ドラマもあったね。ジャニタレのプロモーション目的の。アレとは関係ない、原作の話ね。(原作は萌えがいっぱいです・笑)

 とくこの『レッド・ドラゴン』では、レクター博士のじじいっぷりに違和感があった。
 だって、シリーズの「最初の話」なんだよ? 映画第1弾の『羊たちの沈黙』より昔の話なんだよ?
 なのに、『羊たち…』よりはるかにじじいのレクターなんて……。
 『レッド・ドラゴン』はある意味、レクターとグレアムの恋愛モノなのにぃ。グレアムが美形なのはとーぜんとして、レクターもなんとかしてくれぇ……というのが本音だ。
 グレアムは「レクターを逮捕した男」。犯罪者の心理を「想像」することによって、逮捕する捜査官。つまり、他の誰より「犯罪者に近い」ものをその心に秘めている。
 グレアム自身は、ふつーに善良な良き社会人で良き家庭人なんだけど。そんな彼が、「レクター」を精神のどこかに飼っている……。だからこそレクターを逮捕することができたし、またレクターも彼に一目置いている。
 こちら側とあちら側の戦い。正常と異常の戦い。
 ふたりの天才の戦い。
 ……だからこそ、最高にスリリングで、エロティック。
 『羊たちの沈黙』『ハンニバル』で、女性捜査官クラリスが、そのままグレアムの位置にいるように。ふつーなら、男と女で表現する類いのものを、『レッド・ドラゴン』では男同士でやっているのさ。
 だからいいのにぃ。

 アンソニー・ホプキンス……。
 レクターとグレアムは、同世代でいてほしいのよ、せめて。レクターが年上なのはわかるが、ダブルスコアだとテーマが変わってくるじゃん。老練なじじいと、若造の戦いじゃないでしょ? 同じ場所に立つ男たちの戦いでしょ?

 それだけが、かなしいのです。

 映画はたのしかったです。はい。
 レッド・ドラゴン側をほとんど描いている余裕がなかったのはわかるし、最低限の表現でうまくまとめていると思う。
 びっくり系のサスペンスも適度に作用していました。へたに血まみれにしないあたりがセンスいいよね。
 クライマックスの盛り上がりも、たのしかったよ。

 エドワード・ノートンがイメージぴったりの繊細ないい男であるだけに、アンソニー・ホプキンスの醜いじじいぶりがかなしい……せめて彼が美老人ならばまだ……。

 ま、腐女子のたわごとだけどな。
 世間の評価は知らないんで。

  
 『ビロウ』ふたたび。

 誘われるままに、もう一度映画『ビロウ』を見に行きました。
 ミステリだから、犯人がわかったあとで見てみるのも味があるかな、と。
 たしかに犯人は犯人らしい態度を取っています。こんなにぴりぴりしていたのは、犯人だったからなのね、とか。
 でも、新たな発見などは特になし。
 おどろいたのは、「けっこう覚えている」こと。
 ミステリ……とゆーか、ジャンル的にはホラーな映画なので、幽霊が出るシーンがいっぱいあるんだけど、その幽霊の出るタイミングを、おぼえてるんだわ。あ、ここで出る、と思ったところで出る。たしかここでこうくるよな、と思った通りにくる。
 けっこー覚えてるもんなんだわ。幽霊。
 つーか、あまりにべたべただったからなー、『ビロウ』。出るぞ出るぞ、なところでばかり出るからさー。

 にしても、客少なかった……。

 WHITEちゃん、他にふたり友人を誘い、ふたりともに振られて、最終的にわたしを誘ったらしい。……だってわたし、もう見てるもんな、『ビロウ』。
 その断られたふたりは、ふたりとも『ビロウ』の存在を知らなかったそうな。タイトルすら聞いたことのない映画に誘われても、そりゃ腰はあがらんだろう……。つーか、普段映画を見慣れていない人って、映画を見ること自体大層なんだよね。
 わたしもワゴンさんやきんどーさんに『ビロウ』って映画を見たよ、と言ってみたけど、ふたりとも「聞いたこともない」って言ってたし。
 そんなにマイナーだったのか、『ビロウ』。三番街シネマが封切館だったから、そこそこメジャーだと思うんだけど。

 ホワイトデーの金曜の夜だ、映画館はカップルだらけ。
 女ふたりはわたしたちだけか?(笑)
 『ビロウ』は閑古鳥だったが、映画館自体は若者であふれていたよ。マルチプレックス・シアターなので、ロビーには人がうじゃうじゃ。

 OLのWHITEちゃんがやってくるまでの間、わたしはひとりでお買い物。
 ……また鞄を買ってしまいました……。
 どーしてこうわたし、鞄が好きかな。いつもいつも鞄を買ってしまう。
 夏の有明で持つ鞄はコレです。たっぷりお買い物できるだろー鞄です。
 ……って、毎シーズン買ってるよーな……。
 鞄というアイテムのいちばんの問題点は、「置く場所にこまる」ということなんだよなあ。かさばるからなあ。

 WHITEちゃんに言わせるとわたし今、「ブタな気分」なんだそうです。
 どうも「ブタ」が好きでしょーがないらしい。
 『呪怨』を見に行ったときだっけか、わたし、使いもしないシャープペンの替芯を買ってしまったのよね。高校生以下ならともかく、大人はシャープペンなんか使いませんて。
 それでも買ってしまったのは、おまけのブタのマスコットが欲しかったから。
 ……かわいかったんだわ、それがまた。
 替芯もまあ、わたしゃあと50年は生きる予定だから、半世紀もあれば使い切ることもあるかもしれないしな。
 てなことがあっただけに、WHITEちゃんに言われたのよ。「緑野さん今、『ブタな気分』なのね」って。
 ……ええ。今日買った鞄も、「ブタ柄」なのよ。
drug store’sの小物はわたしには猫にマタタビなのよ。(小物だけっす。drug store’sの服は、見る分には愉快でいいけど、着たいとは思わない。でぶに見えるよね、あのデザイン……。小柄で華奢な人がだぶっと着るにはかわいいだろうけど)

 そうか、ブタな気分か……。何故今になってブタなんだろ……。まさか、自分の姿を投影している……?!(おがくず風呂に行ったとき1.2kg太っていたことにショックを受けた・笑)

 
 ああ、よーやく映画を見に行ける……!

 つーことで、『ノー・グッド・シングス』。
 サミュエル・L・ジャクソン、ミラ・ジョヴォヴィッチ主演。

 映画の内容以前に、浜村淳だわ、問題は。

 浜村淳のトーク付きだったので、いやな予感はしていたが。

「犯罪映画なんですがね、この犯人たちの計画がどこで失敗するか、ハラハラドキドキして見てください」

 ……失敗するんかよ……。

「サミュエル・L・ジャクソンが刑事なんですがね、最初っから最後まで縛られてるんですよ」

 ……最初から最後までかい……。

「映画の内容については語りません。まず見てください」と言ってコレだよ……。

 犯罪サスペンス映画の解説をして、その計画が成功するか失敗するかは、いちばん言ってはならんことじゃないのか?
 いや、わたしもここで言ってるけどさ。
 ここで映画のタイトルを上げたところで、この日記を読んでいるわずかなヒトがこの映画を見に行くかどうかわからんが、これからこの映画を見るために集まった1000人の人間の前でプロが言うってのは、どうよ?
 ねえ、どうよ??

 見る前から、テンション萎え。

 刑事のサミュエルは、隣人に頼まれ、休暇を利用して家出娘の捜索をする。
 んで、たまたま聞き込みに行った家が、犯罪グループのアジトだったからさあ大変。
 犯罪グループのみなさんは「刑事が俺たちを逮捕しに来た!」つーんで、サミュエルを監禁してしまう。いくら「お前たちなんか知らない、俺は家出娘を捜していたんだ」と言っても信じてくれない。
 さて、このグループにはミラという美女がいた。彼女はリーダーの情婦で、獲物の誘惑係。獲物をたぶらかし、仲間の男にも秋波を送り、もちろんサミュエル刑事にも……。
 裏切りと騙しあいの犯罪計画。生き残るのは誰か。

 クライム・サスペンス、っちゅーことで、もっと頭のいい話を想像していました。
 綿密な計画と大胆な行動、胸をすくアクション……とかな。

 こんなにアホばっか出てくる話だったとわ……。

 えーと。
 犯罪グループ、バカばかりでした。
 頭脳犯罪はまず、できそうにない。行き当たりばったりのチンピラの寄せ集め。
 アタマが悪いので、いつもケンカばかり。
 かろうじてリーダーひとりアタマがいいらしいが、こんなアホウばかりを仲間にしているあたりで、お里が知れます。ついでに人望もないらしい。なんせこんなアホウばかり以下略。

 ミラ・ジョヴォヴィッチですな。
 彼女の悪女ぶり以外に、意味はありません。

 犯罪グループ、ミラ以外ただのアホウなんだもん。
 そしてミラも、べつにアタマよくない。
 あさはかなお色気美女。
 アタマよかったら、もっと格上の男をつかまえてるはずだ。
 アンタが捕まえてくる男、みんなアホウばっかじゃん……。

 なんつーか、見ているのがキツい映画でした。
 ミラとサミュエルが出てなかったら、日本に入ってきてないだろよ……。
 サミュエルおじさんはしぶい演技してるんだけどねええ。

 それで家出娘はどうなったのさ?
 伏線じゃなかったの? なんのフォローもナシ?
 なんかプロットが杜撰な気がして、つまんない……。

 タイトルは日本語にすると「ちっともええことがない」だそうな。
 ……まさにそんな話だったよ……。

 最近の洋画はタイトルがつまらないと思ってたら、それってアメリカの映画会社の意向なんだって? 浜村淳曰く。
 邦題を認めないんだって。原題で押し通してくるんだって。
 だからこんな『ノー・グッド・シングス』? なに? ノー・グッド、だから「よくない」だよねえ? なんつー、わたし程度のアタマの人間がなんとなーく思うよーなタイトルで、そのまま日本公開しちゃうんだわ。
 そーゆーとこってアメリカらしいよな……自分とこがいちばんだと思ってんだろーなー。日本には、日本の言葉があり、日本人に売れるタイトルとかも、存在してるんだけどなー。考えないんだろーな、そーゆーこと。

 んでもって、高橋英樹のテレカが当たりました。
 たった10人しか当たらないっつーに。
 当たってしまった……。

 高橋英樹……。

 しかもテレカ……。

 い、いらねー……。

 
 本日は映画『ビロウ』を見ました。

 ものすんげー頭の大きな人が2・3列前に坐っていて、字幕が半分見えませんでした(笑)。
 字幕ってなんで下に出るんだろう、とちょっと本気で考えてみたり。
 その人は横幅もすごくて、両隣にはみ出してるのが、後ろからでもよくわかったのね。男の人で、べつに太ってるって感じでもなかった。体格がいいちょい太めな人ってとこ。
 しかし、わたしがどんなに背筋を伸ばして対抗しても、かなわなかった。……ので、字幕を半分あきらめた。
 どんなに背の高い人なんだろう、と思って帰りにこっそり身長を調べましたさ。
 ヅカを観に行ったときにも、よくやるんだよね。ひとよりでかいこのわたしの視界を遮るくらい座高がある人ってのは、いったいどんな身長なんだ? と。……ヅカでは大抵、わたしよりはるかに小柄な人で、「いったいどんな坐り方をしたらあんな座高になるんだ?」ってケースばかりだが。
 自分がでかいことを知っているわたしは、左右の人の肩の位置を確認し、同じくらいの高さになるように気を付けて坐ったりもするんだがねえ。
 今回の男性は、わたしと同じくらいの身長でした。
 ……男の人は、頭大きいからなあ。

 んでもって、『ビロウ』。
 「潜水艦サスペンス」という、新しいジャンルだそーです。
 第二次世界大戦中の、米軍潜水艦が舞台。敵である独軍に撃沈された英国病院船の生存者3名を救助したら、そのうちのひとりは若く美しい女性オリヴィア・ウィリアムズだった。
 当時、潜水艦に女性は御法度、不吉だっつー話になる。しかも、艦内には次々と奇妙な出来事が起こる。見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたり。
 独軍と戦争しながら、艦内では幽霊騒動。内も外も大変!な中、クルーたちはどんどんどんどん死んでいく。
 潜水艦に女を乗せたために起こった超常現象なのか? 死んだ艦長の謎とは? 聞こえる死者の声は、なにを訴えている?

 WHITEちゃんは「こわかった」と言っていた。
 異を唱えると彼女がムキになるので言えなかったが、じつはわたし、ぜんぜんこわくなかったんだわ。
 いやあ、やっぱアメリカ人の「恐怖」っての、わたしにはあまり理解できないわー。
 びっくり系ばっかなんだもん。静音のあと突然大きな音をたててみたりとかな。突然ドアが開いたりとかな。
 びっくりはするけど、べつにこわくないよ。

 でも、おもしろかった。
 ホラー(幽霊もの)だと思って見たらがっかりするけど、サスペンスとしてなら、たのしかったよ。

 だって、ストーリーがあるもん!!

 ちゃんとプロットがあってね、伏線があって、最後にどんでん返しっちゅーか、謎解きがあるの。
 ああ、いいなあ。気持ちいいよ、これ。
 正しく作られている感じが好感。

 『呪怨』がひどかったからなあ。

 こわかったのはたしかに『呪怨』だけど、おもしろかったのは『ビロウ』だよ。

 サスペンスっちゅーかこれ、ミステリと言ってもいい話だと思うのな。
 人が死ぬ事件が起こって、ヒロインがそれを解決するわけだから。
 はじめは断片しか見えない真実が、組み上がったときの快感!は、ミステリの謎解きの快感だと思う。
 幽霊も、ちゃんと理にかなってるし(笑)。

 ただ、わたしは視点の散漫さが気になった。
 誰が主役なのかわからないよー。
 ヒロインを「不吉な女」として、サスペンスを盛り上げる道具にしたかったのはわかる。
 そして真犯人が誰かを、ぼかしたかったのもわかる。
 でもなー、視点がばらばらだから、サスペンスが盛り上がらないんだわ。
 完全に、オリヴィア・ウィリアムズを主役にしちまえよー。
 病院船で看護士として働く彼女、から描くのさ。そこへ、独軍の攻撃。パニック。そして撃沈。救助された先は米軍潜水艦。女は不吉だ、と疫病神扱いされる彼女。艦長代理との対立、超常現象、艦長の死の謎……。
 ヒロインものにすればいいのさ。オリヴィアが幽霊と殺人事件の謎を解くのさ! そしたら観客も彼女に感情移入するから、幽霊ももっとこわいよ。
 「不吉な女」というミステリアスな設定を使いたいなら、私がこの艦に来たから、超常現象が起こっているというの? とオリヴィア自身にも悩ませればいいのよ。どーせ元の描き方でも、彼女が魔女ではなく、「善」だとわかりきってるんだから。「彼女はほんとーは魔女かもっ?!」って観客に思わせたかったんだろーけど、それは見事に失敗、っーか、欲張りすぎ!にしか見えなかったって。

 もったいないなあ。
 すてきな潜水艦ミステリなのに。
 殺人事件なのにさー、視点バラバラで観客の公正な目を攪乱し、犯人をぼやかせてるんだよ。うまく描ききってりゃ拍手だが、たんに視点統一に失敗した下手くそな小説みたいなできあがりになってるよー。

 
 どれほどたのしみにしていたことでしょう……ホラー映画、『呪怨』。

 日にちがさらにずれてますが、気にせずに。
 2月5日水曜日、映画をはしごしました。『ケミカル51』をひとりで見たあと、WHITEちゃんと合流して『呪怨』を見た。

 わたし、ついにこの映画の予告編は見られなかったの。予告編目当てに、わざわざ忙しいなか『8人の女たち』を見に行ったのにさ。『呪怨』はカットされててさ。
 だから、ちらしとHPしか見ていない状態。HPの予告編はソフトの関係で再生不可だったし。
 でも予告を見たWHITEちゃんが「チビりそーなほどこわかった」と言うので、期待していたの。
 和製ホラー好きの弟も一緒に見に行くはずだったんだが、きゃつめは仕事で来られず。で、わたしとWHITEちゃんのふたりだけで見るはめに。

 えーと。
 たしかにそのー、こわかったです。
 角川ホラー映画よりは、ずっとこわい。『弟切草』だとか『狗神』だとか『死国』だとか、あのへんのお笑い系に比べれば、よっぽどホラーだったよ。
 ただし。
 映画としては……どうよ、これ?

 主演はいちおー、奥菜恵。福祉ボランティアをしている彼女は、老人介護のために一軒の家を訪ねる。そこで彼女は、いるはずのない子どもの姿と、女の影を見る……。
 その家に住んでいるはずの若夫婦は、寝たきりの母親を残して消えていた。引っ越してきたばかりのその一家は、まず妻が呪い殺され、追うように夫も取り憑かれて死んだ。残された寝たきりの母親の介護にやってきた奥菜恵の前で、その母親も殺される。
 死んだ夫婦の妹、伊東美咲もまた、自宅のマンションで呪い殺されていた。
 唯一生き残った奥菜恵は、刑事から「その家」にまつわる話を聞く。今回の若夫婦と母親が引っ越してくる前にも、そこに住む者は同じように変死を遂げているのだと。
 そもそも「その家」では、数年前に主人が妻を殺したのち変死、6歳の息子は行方不明になる事件が起こっていた。それ以来、不吉な出来事が続いているのだ……。

 ぶっちゃけた話をするならば、自縛霊なんだよね。
 最初に殺された、妻と息子の霊が、未だに漂ってるの。家に取り憑いていて、そこに新たに引っ越してきた人、関わった人を、のべつまくなしに呪い殺す。
 住んでる人だけじゃない、つーのがえげつない。
 一歩でも足を踏み入れたらOUT。ついてくるんだもん。自縛霊のくせに。
 伊東美咲なんか、勤め先の会社にまでついてこられちゃってさー。気の毒に、なんの関係もない会社の警備員が呪い殺されてたよ。
 で、もちろん、伊東美咲本人も、せっかく自分のマンションに戻ったのに。こわいから布団にもぐって「なにも見ない」ってやってたのに。
 ……布団のなかから、ぬっと出てくるし……。

 奥菜恵は、「その家」に行ってから何年も経って、もう大丈夫だろー、てなころにやっぱり呪い殺されるし。

 こわいんだよ。
 ひとつひとつのシチュエーションは、「これでもかっ」てくらい、こわい。
 息子の方の霊は、それほどでもないが、やっぱママ霊はこわいよ。髪の長い若い女の幽霊だよ。んでもって、貞子式の這いずり方するのよ。こわいって。
 でもなー。

 ものすごーく、ストレスの溜まる映画だった。

 たしかにわたしは、こわい映画が見たくて行ったんだ。
 だから、こわがらせてもらったから、それで目的は達しているんだけどさ。
 でもなー。これは「映画」なわけだからなー。「こわい」だけじゃ、「つまんない」よ。

 おどろいたことにこの映画、「ストーリーがなかった」の。
 いやあ、びっくりしたよー。こんなんアリなんかい。

 舞台は幽霊の出る一軒の家。
 で、まずボランティア女子大生がそこに入り、呪われる。
 次。主役替わって、その家に越してきた若夫婦が呪われる過程が描かれる。
 次。主役替わって、若夫婦の様子を見にやってきた妹が、呪われる。
 次。主役替わって、昔その家で起こった事件を担当した元刑事が呪われる。
 次。主役替わって、その元刑事の娘が呪われる。
 ……って、えんえんえんえん、主役替わって、その家に関係した人々が呪い殺される様が、描き続けられるの。
 他にはなにもなし。
 ただ、毎回毎回、新しい人が家に関わって、呪われて、霊に追い立てられて、最後は殺されるの。

 なんじゃこれは。

 ストーリーが、ない。
 シチュエーションの繰り返し。

 たしかに、こわいよ。どのパターンもめちゃこわいけど。
 でも……それだけっての、どうよ?

 見ながら、ストレス溜まりまくり。
 で、どうなのよ。昔あった殺人事件はどーゆー事件だったの? なんで妻は殺されたの。行方不明の息子はどーなったの? ここまで関係者(刑事含む)が変死しまくってて、なんで周囲は変に思わないの?
 誰か、現状を打破してくれよ。永久ループで、なんの意味があるの?
 現実にはそれはアリかもしれんが、映画だよ、これ。ストーリーはどこに?

 切実に「超能力者よ現れろ」と祈ってしまった。
 超能力だとか霊能力だとかで、戦ってくれる戦士でも現れてくれなきゃ、つまんないよー。
 探偵でもいいよ。殺人事件を解決して、どっかで遺棄されているだろう死体でもみつけてくれよ。
 結局、最後は霊に殺されてくれてもかまわないからさー。なにかしら、「こちら側から」霊に関わってくれよ。「向こう側から」一方的に呪われて殺されておしまい、をエンドレスで見せられたら、つまんないよ。あきるよ。

 たった1時間半の映画だったんだが、ものすごーく長かった気がした。
 同じことをえんえんえんえん見せられつづけてたからさー。

 みょーに疲れた。
 そして、ものすごくこわかったけど、なんにも残らない映画だった。

 ストーリーの重要性を再確認したよ。
 どんなにこわいシーンだけをえんえん見せられたって、それが「物語」として機能していない場合は、せっかくのこわさがリアルに魂に刻まれないんだわ。
 まず、ストーリーだ。
 そのうえで、こわいシーンだ。

 この映画は、とにかくこわいシーンを撮りたいハートで作られたんだろーな。
 ストーリーなんかどーでもよくて、とにかくこわい映画が作りたかったんだろう。
 たしかに、やりたいことが明確で、意図して作られただけあってものすごくこわくて、「やりたいこと」だけを抜き出して考えるなら成功している。
 でも、「映画」として考えた場合……こわくないよ。
 『リング』や『女優霊』のことは「こわい映画だよ」って人に言えるけど、『呪怨』のことは……ちょっと言えない……。

 画面はものすごくこわいけど、物語はこわくない映画。

 と、言うしかないな。
 そして、目でこわがったものって、心でこわがったわけじゃないから、残らないんだよね。すぐに忘れる。わたしひとり暮らしだけど、映画を思い出して夜中にぞっとする、なんてこと、『呪怨』に関してはまったくありませんでした。
 だって、心はこわくなかったもん。

 「物語」をナメてるよなあ。
 この映画は。

 パート2の公開が決定しているそうだが、ストーリーがないのなら、もう見に行かなくていいや。たかだか1時間半で、もうあきちゃったよ。

 
 奥菜恵は、顔立ちがはっきりしているぶん、ホラー向きですかね。恐怖の表情は、くっきりはっきり系の美女に限ります。
 しかしこの子、スタイル悪いよねえ。
 昔一度だけ生で見たことあるんだけど、そのとき等身の低さにおどろいたのよ。
 ほら、普段ヅカばっか見てるからさあ。わたし、「美形」は顔じゃなくスタイルだと思ってるクチなのよね。
 芸能人なら7等身は欲しいのよ。6等身以下なら、そのへんにいくらでも転がってるじゃん。
 奥菜恵ちゃんは、6等身ぎりぎり……下手すると5等身半なんだよなあ。だから全身が映るとキツイ。
 伊東美咲ちゃんとのツーショットを期待したんだが、一度もなかった。やっぱそのへん考えてんのかな。伊東美咲ちゃんは、8等身近くあるよね(笑)。

 
 ……トド様ファンがスタイルを語っちゃイカンとは思うけどさ……。あの人、あのものすげえヒール履いて、よーやく6等身だもんな……。つーと素足だと……ゲフンゲフン。


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