「見たい映画があるんだけど……」
 と言ったすぐあとで、WHITEちゃんは言い直した。

「言っておくけど、キャストは関係ないわよ?! 出ている人を見て、あたしを変な目で見ないでよっ?!」
 なんでそんな、先に言い訳するの? べつに、誰が出ていたって「こんな映画が見たいの?」って変な目で見たりしないよ。
 と、思いつつも、ぴあの映画ページをめくる。
 WHITEちゃんが指し示したのは、ニコラス・ケイジの写真。

「ニコラス・ケイジ? WHITEちゃんアンタ、こんな映画が見たいの……?」

 はっ。
 いかん、思い切り怪訝な目をしてしまったっ。

「だから言ったのよ、キャストを見て、あたしを変な目で見ないでって!! ニコラス・ケイジが見たいわけじゃないわよ、監督よ!」
 WHITEちゃんは猛烈な勢いで言い訳をする。ニコラス・ケイジファンだなんて思われたら、沽券に関わる、てなもん。
 うん。わたしも、WHITEちゃんがニコラス・ケイジファンだったりしたら、今後のつきあい方にとまどいを感じることになるわ……って、そこまで言うか?!(笑)
 べつに、ニコラス・ケイジが特別嫌いだとかいうわけじゃない。ただ、この人が主役だと、積極的に見る気が失せる、というだけでな。とりあえず、わたしの周囲の人間はみんな同意見。

「『マルコヴィッチの穴』の監督の作品だから、見たいって言ってるのよ!!」

 ……それなら先にソレを言えばいいのに。
 もったいつけた言い方して、自爆しているWHITEちゃん。

 わたしはよく映画を見るが、パンフレットを買うことはほとんどない。なまじよく見るだけに、そうそう買う気にならないんだ。置く場所がないから。
 とくに、洋画のパンフレットは買わない。1年間に洋画を40タイトル見るとして、パンフレットを買うのは1作か2作だ。いや、まったく買わない年もあるな。なまじ試写会で見ちゃうと、パンフ売ってないしな。
 反対に、邦画は年に10タイトル見るとして、3作くらいはパンフ買うなあ。この差は大きいなあ。
 最近買った洋画のパンフ、って、なにがあったっけ?
 パンフを買いたいと思うものに限って試写で見てるから、ほんとに買ってないよなあ。『カンパニーマン』と『ベッカムに恋して』は試写でなければ、パンフを買っていたと思う。
 今、手近にある洋画のパンフは、『偶然の恋人』と『マルコヴィッチの穴』『アザーズ』『めぐりあう時間たち』のみだ。
 『偶然の恋人』はめちゃくちゃツボで、ヲトメ心がうずきまくったわ。ラブロマンスはこーでなくっちゃね! というときめき。ベン・アフレックの揺れる瞳に落ちた(笑)。
 『アザーズ』はゴシック・ホラーの美しさに惚れ込んで。ニコール・キッドマンは美しい。あと、このパンフ、肝心の部分が袋とじだったのよね。買わなきゃ中が読めない作りだったので、つい買ってしまった。
 『めぐりあう時間たち』は不問。この美しくもかなしい、やるせない物語にわたしが響き合った記念の気持ちで買った。
 そして、『マルコヴィッチの穴』は。
 ……買うしかないでしょう? こんな愉快な映画、興味持つじゃないですか、制作者たちに!!
 こんなみょーちくりんな物語を作った人たちは、ナニモノですか? なに考えてんですか? 興味津々。

 その、『マルコヴィッチの穴』の監督と脚本家の新作。
 それなら、たとえ主演がニコラス・ケイジでも見ますとも!!

 つーことで、『アダプテーション』鑑賞。
 監督スパイク・ジョーンズ、脚本チャーリー・カウフマン&ドナルド・カウフマン、出演ニコラス・ケイジ、メリル・ストリープ、クリス・クーパー。

 『マルコヴィッチの穴』で成功を収めた脚本家チャーリー・カウフマン@ニコラス・ケイジは、次の仕事に取りかかる。スーザン・オーリアン@メリル・ストリープのベストセラー『蘭に魅せられた男』の脚本だ。ハリウッド映画らしくない、地味でも真摯な作品にしようと悪戦苦闘。思うように進まない。追いつめられるチャーリー。
 そんな彼の横で、脚本家志望の双子の弟ドナルド@ニコラス・ケイジ2役は、いかにもハリウッド的なばかばかしい愉快な脚本を書いている。
 現実と虚構が入り乱れる物語は、後半になってものすげーことになるが……。

 変な話。

 いや、表面的なストーリーだけ見れば、どーってことのない物語なんだけど。
 深読みしだすと、とんでもない深淵をのぞき込むことになる。

 とりあえず、モノカキが見ると、あちこち痛いです!(笑)

 主人公のチャーリーのダメ男ぶりときたら! 創作に行き詰まり、どんどんダメ道を転げ落ちていく様が、身につまされまくり。
 今どきのあざとい流行りを使わないで、独自の作品を書きたい。……モノカキなら誰でも思うよね? それが主題じゃないのに、売るためだけに意味のないセックスや暴力を書くのはどーよ、てなもんよね? それよりも、もっと日常っていうか、ありふれているかもしれないけれどじーんとする、よい話を書いてみたいと思うじゃない。売れ線狙いじゃなくて、真にすばらしいものを!書いてみたいと主人公チャーリーは思うわけよ。そんなの、わたしだって書いてみたいよ!
 しかし……。
 書けない……るーるーるー。
 セックスも暴力も銃撃戦もカーチェイスもドラッグも家庭崩壊も不倫もないハリウッド映画なんて!! ストーリーも山場もない、だけど感動的な物語なんて!
 書けないよー、るーるーるー。

 どこまで真実? どこまで創作?
 なにが真摯な訴えで、なにが皮肉なの?
 考え出すと、キリがない。

 追いつめられたチャーリーが受講する、シナリオ講座。そこのカリスマ講師が言う。
「モノローグで心の声を解説するな、馬鹿者!」
 ……ははは、正塚先生、聞きましたか? 脚本において、モノローグの多用は最悪だそうですよ。
「ラストさえ感動的なら、客は多少の不満は忘れる」
「すべて日常の出来事には事件の要素がある」
 などなど、カリスマ講師(この人も実在の人物ですか?)は創作のポイントを語ってくれるんだよなあ。
 それがまた、この映画のトリックと皮肉にもなってるんだよなあ。

 さて、わたしは最初から双子の弟ドナルドの存在を疑っていたんだけど、これはどうなのよ?
 ドナルドなんて、現実にはいないと思ってみていたんだけど? 彼はチャーリーのもうひとつの人格じゃないの?
 もちろん、実在の人物らしく描いてあるし、この映画でのポジションはそれであっているんだろうけど。それでもなお、疑うわ。
 ドナルドをチャーリーのもうひとつの人格として見た場合の、この映画の姿を。

 ややこしい物語なので、もう一度見てみたいものだわ。

 だが。

 ニコラス・ケイジ、最悪……。
 醜い……。

 もちろん、そーゆー役なんだから仕方ないけど。
 デブでハゲで汗かきで人の目を見て話せなくてコンプレックスの固まりで、女を見ると妄想しまくりで、「キモッ」の代名詞のようなオタク男の役なんだから、仕方ないんだけど!
 それにしても、気色悪いよー、うわーん。
 この気色悪いデブ男のオ*ニーシーンが何回あったと思うよー。うわーん。

 マルコヴィッチはよかったなあ。とりあえず彼は、色男だ(笑)。

 
 いつもの映画館の、スクリーンの数は10。
 だけど、いつも見たい映画が見られる時間にやっているとは限らない。

 天気が悪いから、今日は映画はやめておくかなー、時間もないしなー。
 と思ってサイトを見れば、ちょうど1時間後に『座頭市』がある。
 窓を開ければ、雲が切れ、青空が少し見えてきていた。
 んじゃ、行くかな。すっぴんに日焼け止めクリームだけ塗り込んで、自転車にまたがる。

 いつもの映画館のいいところは、服装をかまわずにすむところ。
 近所のおばちゃん、の格好のままでうろついていい場所。
 梅田だと、こうはいかないからねえ(笑)。

 つーことで、『座頭市』鑑賞。
 監督・北野武、出演・ビートたけし、浅野忠信、大楠道代、夏川結衣。

 わたしは北野武が嫌い。
 彼の映画は、趣味に合わない。
 それは、過激な暴力表現のせいだ。
 北野映画を見たのはわずか数本。ビデオでも多少見たけれど、これは自分的には「映画を見た」に数えていないので、カウントに入れていない。だから、「見た」のはほんの数本でしかないんだが。
 見るたびに、「やっぱ合わねえ」と思った。
 どうしてそんな表現をするの、演出をするの。生理的に不快。わたしなら、そんな表現はしない。そうしなくても、同じテーマを描くことはできる。
 どの作品を見ても、わたしが不快になる点は同じであり、そのたび監督がその表現を好きでやっていることがよくわかった。
 よーするに、趣味がチガウんだ。その作品のよい悪いとは別、ただの「好き・嫌い」ってやつ。
 わたしは、北野作品が嫌い。
 ついでに、役者としての「ビートたけし」も嫌いだぞっと。監督として才能はあるんだろーが、役者としては大根じゃん。なにやってもビートたけしじゃん。演技しないですむ役以外は、作品の邪魔になる程度の実力しかないじゃん。と、思っている。

 それでも『座頭市』は気になった。
 浅野忠信が好きだということも大きい。浅野くんが時代劇、凄腕の浪人……という設定だけでヨダレもの(笑)。
 そして、時代劇なのにタップダンスありのミュージカル仕立てだということに、興味大。
 日本の時代劇っていうのは、良質のファンタジーになりうる世界観だと思うんだ。それこそ、『指輪物語』系の異世界ファンタジーね。派手に、エキゾチックに、淫靡に、あざやかに。大風呂敷を広げてエンタメに徹することのできる、すばらしい世界。
 そのにおいを感じて、『座頭市』を見に行ったのだわ。

 んで。

 おもしろかった。
 北野映画ではじめて、おもしろいと思えた。

 わたしがそう言うと、WHITEちゃんは、
「北野武の“はじめての”エンタメ作品だからね」
 と、笑って言った。
 そうか、はじめてなのか、北野武。

 悪党親分@岸部一徳の支配する宿場町に、ワケ有りの強者たちが偶然集まってきた。
 盲目の按摩@ビートたけし、浪人@浅野忠信、親の仇を追う芸者姉妹@家由祐子・橘大五郎たちだ。
 浪人は悪党一味の用心棒に就職し、按摩と芸者姉妹、そして町のちんぴら@ガダルカナル・タカは成り行きで悪党一味と敵対、芸者姉妹の仇がどうやらこの町の悪党一味らしく、対決必至。さあ、どうなる?!

 ストーリーは単純明快。役者たちの顔を見た段階で、すべてがわかる。
 悪役は悪役、善人は善人。死ぬのはこいつらで、生き残るのはこの人たち。全部お約束。
 お約束上等、ワンパタ上等、それがとても小気味よい。
 お約束ゆえの安心感と、そのうえで漂う緊張感と適度のスパイス、リズムの良さと笑い。エンタメであるということを理解した作り。
 とくに気持ちいいのはリズムだわ。ここが「異世界」であり、「観客を愉しませるためにある世界」だということを、考えてあるの。
 だから、下手な時代劇が持つ、かったるさとかウザさがない。テンポ良くさくさくすすむ。
 わたし、北野武の過剰な暴力が嫌いなんだけど、なるほど、時代劇だとそれが気にならないわ。異世界ファンタジーだからね。現代で無駄に残酷に人が殺されるのは理解できないけれど、時代劇はOK。だってはじめからそういう世界観だから。命が今より軽かった時代。人殺しの武器をふつーに腰に下げて歩いていた時代。この世界観で、それに沿った倫理が展開されていることに、不快はない。

 お約束のものを描くのは、あとは技術とセンスだよね。
 北野武はつよい人だと思うから、その感性で強く楽しいモノを描いてくれたら、愉快なモノができるよね。
 ヒーロー・座頭市は、とにかく強い。だけど普段はすっとぼけたおっさん。目が見えないから、というよりは、ぬけたふうのおっさんだから強いようには見えない。だけどほんとはめちゃ強い、というギャップが正しく「ヒーロー」でいい。
 対する浪人、浅野忠信はもー、とにかくかっこいい。いついかなるときも、二枚目、色男。見るからにかっこいい色男が、戦うとなお凄惨にかっこいいのだ。萌え〜。見ていて気持ちいい。
 このふたりの「強い漢」たちの決戦には、期待がふくらむさ。
 正しいエンタメの姿がそこに。

 話題のタップダンス・シーンは、感動。
 日本人だから、タップダンスの神髄は理解できないと思うんだけど、そんなこととは別に、感動したよ。

 拍手と足拍子って、人間が出す、もっとも原始的な「音楽」だよね。
 神に捧げる音であり、人間が人間であるゆえに、感情を持つイキモノであるゆえに、つくる音なんだよね。
 音階を持つ楽器による音楽でなく、リズムだけの音楽。
 きっと、人間がいちばん最初につくった音楽は、手拍子と足拍子だけのものだったと思う。
 その、ヒトとしての根元に響くよ。
 タップダンスは。
 なまじ、時代劇だから。
 タップダンスなんていう文化のない、今よりもシンプルな楽器と音楽しかない時代を表現することに、あえてそれを使ってあるわけだから。
 なんというか。

 生きるちからを感じる。

 ラストのタップ・シーンを見ながら、天神祭を思い出したよ。そして、氏神様である近所の小さな神社のお囃子(天神祭を起源とした、同じお囃子なのよ)を、思い出した。
 現代のタップダンスも、神社のお囃子も、まちがいなく根は同じだ。
 人間であること。
 よろこび、かなしみ、しあわせ、ふしあわせ、感情を持つ、そして生きている、人間であること。
 そーゆーものが、現代のタップダンスと、古来からの祭りのシーンの融合に、感じられた。
 わーん、こーゆーの、好きー。
 一緒に踊りたくなるよー。
 どうしてこれは映画なの? 手拍子したくなるんですけど、ヅカのフィナーレみたいに(笑)。

 役者たちは適材適所。キャスティングを見た瞬間に「にやり」とする、まんまの使い方、そして演技。
 ビートたけしも、大根ぶりが邪魔にならない。彼の持ち味のままでやれる役。しかも、座頭市ってば、顔のアップは最後くらいしかないんだよ? いやあ、わかってるねえ、監督。座頭市のアップなんて、誰も見たくないってば。
 つーか、目の見えない座頭市は、顔ではなくカラダ全体で演技をするわけだから、顔を映す必要はないの。それよりも、彼の曲がった背中や、ときに鋭く動く腕や指を映すのが正しいの。

 ただ、わたしの目にはおせい@橘大五郎が「美女」には見えなかった。なんだ、あのブス? ごついなー、でかいなー、プロレスラーか? と思って見てたよ……。でもまあ、雰囲気あるから、ハリウッド女優みたいに、顔ではなく雰囲気で美女なんだろーな、と思って見ていたよ。
 男だと知って納得。だが、16歳だと知ってびっくり(笑)。

 ああ、時代劇…
 『呪怨2』を見ました。
 監督・清水崇、出演・酒井法子、新山千春、堀江慶、市川由衣、葛山信吾。

 前作が「物語」としてあんまりなデキだったため、かえって興味があった。
 あの話を、続編ではどうするつもりなんだろう?
 まさか、2作続けてアレなことをするはずないよね? いくらなんでも、そんなバカなことしないよね?
 という、興味半分、へぼい作品見たいハート半分。

 うわー。

 感想をひとことで言うと。

「この監督は、映画を撮るより、お化け屋敷の監督をした方がいい」

 『1』の感想で書いたことすべてが、まんま『2』の感想です。
 あ、『1』の感想は今年の2月7日の日記ね。

 シチュエーションだけで、ストーリーのない物語なんか、物語じゃない。
 「映画」として成り立ってない。
 お化け屋敷を作るべきだよ。この監督の作品なら、絶対こわいよー。ストーリーもいらないしさ。入場者をシーンごとにびっくりさせればいいんだから。
 映画はもう、いいよ……。

 今回もまた、いつもの自爆霊屋敷に関わった人たちが、全員呪われて死にました。おしまい。

 ストーリー紹介はこれだけっす。
 10数分に1回主人公が変わるので、ほんとーにただ、そのときの主人公が俊雄くんや伽耶子に追いかけられて死んでいくだけ。その繰り返し。
 時系列をわざと乱して、どのエピソードがどのエピソードにつながる、という仕掛けをしている以外はなにもナシ。
 なんせひとり10数分だから、主人公たちの人格も人生もなにも描かれず、ただきゃーきゃー叫んで恐怖に顔をゆがめて死んでいくのさ。
 感情移入もなにもない。

 『1』を見たときに、ストーリーがない「物語」がどれほどつまらないかを目の当たりにして驚いた。
 たしかに目で見てこわいのに、心になにも届かないため、心では恐怖を感じなかった。そーゆーことってあるんだ、と、その体験に瞠目したさ。
 繰り返される無限ループ。
 シチュエーションだけを作り続ける情熱。
 ストーリーを動かすキャラクターの出現を切望した。

 だから『2』をどうするつもりなのか、確かめたかった。
 1本は「シチュエーションだけ」でもいいかもしれない。だが、無限ループをシリーズ化しても意味がないだろう。
 何故なら観客は「あきる」からだ。
 現にわたしは、『1』の後半はすでにあきていた。
 後ろから「わっ」と驚かされればたしかに驚くけど、何度もたてつづけに「わっ」とやられていたら、すぐにあきる。
 人間ならわかりきったこと。
 ではスタッフは、『2』をどうするつもりなのだろうか。『1』と同じと見せかけて、なにか仕掛けをして盛り上げるはずだ。観客の慣れを裏切る新鮮な驚きがあるはずだ。
 と、思ってはいたんだよ。……その反面、まったく変わっていないんじゃないか、とあきらめながらも。

 ええ、変わってなどいなかったさ。

 無限ループ再び。
 同じことを繰り返すのみ。

 『1』よりグレードアップしているのは、後ろから「わっ」と驚かす、その声が大きくなったことぐらいかしらね。
 『1』ではあまり姿を見せなかった(だからこわかった)伽耶子が大盤振る舞いで出まくりです! ……って、コレだけかよ、アップしたことって!! ほんとに「わっ」の声が大きくなった程度のことかよ。

 「同じこと」を繰り返すのは、テクニックが必要だ。監督はたしかに才能のある人でしょう。でもそれは、「物語を作る」才能とは別のもののよーな気がするよ。
 誰か他の、人間や物語を作るふつーの映画監督の、ホラー部分だけをこの清水氏が担当する、とかしたら、たのしいホラー映画が作られるんじゃないかな?

 『呪怨2』を見てみたいと思っている人へ。
 前もって『1』を見たりしなくていいです。前作のビデオシリーズもべつに、見なくていいでしょう。ストーリーはなかった、との証言があるので。
 むしろ、なにも見ないで知らないで見るのがいちばん、たのしめると思います。
 映画館に入ったとき、すでに映画がはじまっていても大丈夫。どっから見ても同じです。好きなところから見てヨシ。

 それと。
 酒井法子、最悪っす(笑)。
 この女優をホラーに出してはいけない。リアリティもなんもあったもんじゃねえ。
 テレビで等身大のかわいい女性を演じていてください。演技が必要な役は、やらせないでください(笑)。懇願。

 
 『HERO』見てきたよ、けっこーツボだった(笑)。
 明日は「1万人の第九」のレッスン初日だね、がんばってね。

 てなメールをWHITEちゃんに送信したわずか数分後に自宅の電話が鳴った。

「『第九』のレッスンって、明日?!」

 WHITEちゃんからだった。
 明日だよ、9/4。ちゃんと前もってメールしてあったでしょ? ひみつ日記帰ってきてたから、読んでるはずだよね?

「たしかに読んだし、確認した。でも、9/4と明日がイコールでつながってなかった」

 うなるWHITEちゃん。明日は明日で用事があったらしい。
 でもなあ、老婆心から言うと、レッスンの初日は出ておいた方がいいと思うよ。わたしなんか、まずドイツ語さっぱりわかんねーから、発音から苦労したし。

「んじゃ緑野、あたしのかわりに試写会行く?」

 WHITEちゃんの予定とは、試写会だったらしい。
 タイトルも聞かずに、とりあえずOKする(笑)。映画ならなんでも見るぞー。

 つーことで、急遽ピンチヒッターで試写会へ。
 試写会場はわたしの家の近く。いつも行っている映画館の半分以下の距離。自転車で映画を見に行けるのって、楽でいいなあ。つーか、これくらいの距離に映画館があればいいのになあ。

 『サハラに舞う羽根』、監督シェカール・カプール、出演ヒース・レジャー、ウェス・ベントリー、ケイト・ハドソン。

 タイトルとチラシしか予備知識なし。
 チラシを見てずっと、恋愛映画だと思っていた。
 愛し合う恋人同士だろう若い男女が額を寄せ合うアップの下に、戦争らしきシーン。コピーは「この羽根に誓って、必ず君のもとへ。」ときたら、そう思っても仕方ないだろう。
 きれいだからチラシは手に入れていたが、裏面の解説には一切目を通していなかった。
 つーかわたし、チラシの解説なんか映画を見たあとぐらいしか読まないし(予備知識ナシで見るのが好きだから)。

 うーん、これは……本国でも「恋愛映画」のふりをした予告や宣伝展開をしていたの?
 それともまたしても、「恋愛映画ってことにしておかないと日本では売れないから、恋愛映画ってことにしておこうぜ」ってこと?
 それくらい、男女の「恋愛」はどーでもいい位置づけでしたが?

 1884年、イギリスは侵略戦争で元気いっぱい。主人公の若き将校ハリー@ヒース・レジャーはそのことに疑問を抱き、軍を除隊する。
 戦争が正義であるこの時代、領地拡大侵略上等!を否定するハリーは親友や恋人から「臆病者」という意味の「白い羽根」を送りつけられる。 
 侵略戦争は嫌だ。でも、愛する者を救うためなら戦える。軍とも国とも無関係に、単身戦場であるアフリカへ渡ったハリーは、仲間たちの部隊を助けるために孤軍奮闘する。

 男男男、とにかく男。
 なんせ、戦争モノですから。
 敵も味方も、男男男。
 ひたすら、男しか出てこねえ。

 男の面子と生き方と、男同士の友情の物語でした。

 ふと周りを見ると、爆睡率高し。
 そーいや「タイタニック以来の恋愛映画」と謳っていた、あの大嘘つき局地的歴史映画『ギャング・オブ・ニューヨーク』もまさにこんな感じだったなあ。みなさん気持ちよさそうに爆睡。
 そりゃそーよね、広告と本編が乖離してたら、つらいわなあ。

 それにしても、『ギャング・オブ・ニューヨーク』と似てるなあ。
・恋愛至上主義のよーな広告(予告編を見たWHITEちゃんも、「恋愛映画だと思っていた」そうだ)。
・じつは男と男の物語。
・戦争シーンがメイン。殺し合いの描写に力入ってます。
・日本人にはあまり馴染みのない他国の歴史大作
・恋愛部分はおまけ。なくてもかまわない。

 ヒロインのエスネ@ケイト・ハドソン(菅野美穂に似てる……めちゃくちゃ似てる……)は、極端な話、いなくてもかまわない役だった。
 たとえば手紙だけとか、存在を匂わすだけでも十分だ。
 主人公のハリーは、自分に「白い羽根」を送ってきた4人の親しい人間たちへ、そして自分自身へ勇気を示す必要があったわけだから、ヒロインは「白い羽根を送った4人のうちの1人」の意味しかないんだよね。
 ヒロインが「4分の1」の重要さじゃあ、恋愛映画になるはずがないよ。
 戦闘と戦友たちとの友情をここまで描くならば、ヒロインと恋愛は縮小してもかまわなかったのに。
 下手にハリーとエスネの恋愛話を入れるより、「同じ女を愛してしまった」親友ジャック@ウェス・ペントリーとの話をもっと深めた方が良かったんじゃないのか?

 とまあ、テーマが絞り切れていない気がして、散漫な印象。
 どうせ友情モノをやるなら、徹底してほしかったさ。
 仲間たちのキャラが薄いよー。目立ってたのはキャスルトン@クリス・マーシャルぐらい? しかもその目立ち方が「ああ、こいつもうすぐ戦死するぞ」と見え見えな目立ち方……。いやわたし、この子の顔はすごく好きなんだけど。
 もっとひとりずつのキャラを立てて、深く掘り下げてくれたら、彼らに軽蔑されたハリーの絶望や、それでも立ち上がってひとりで前へ進む姿に感動できたのになー。
 準主役のジャックにしろ、ちっともかっこよく見えない。あれじゃ親友の不在につけ込んで女を盗む、ただのヤな男だよ……。

 神に導かれハリーを守ると言い張るアフリカの戦士アブー@ジャイモン・ハンスゥは不思議な存在感。
 ハリーの守護天使を自認、ですか、そーですか。
 あまりに唐突だったので「……ホモ?」と首を傾げてしまいましたよ(笑)。
 いちばん感動的かつ、純粋ですばらしい友情は、ハリーとアブーの間に存在しました。
 わたしのよーな腐った人間には「……ホモ?」にしか見えないんですけど。

 試写前のナレーションで「CGを一切使っていない、迫力の戦闘シーンが見物です」とあり、感慨深かったよ。
 そっかー、ひと昔前までは、「CGを使っている」ことが「売り」になったのに、今は逆なんだ……。
 いちばん高いのは、人件費だよね。

 結局この映画は、「友情はすばらしい!」ってことで、幕を閉じました。「アメリカ万歳!」で終わった『ギャング・オブ・ニューヨーク』よりは一般性があると思う。
 英国軍の軍服が好きな人とか、うら若きにーちゃんたちがいちゃいちゃしたり戦争したりしているのが好きな人には、目に楽しい映画かもしれん。
 戦闘機びゅんびゅんより、こーゆー原始的な戦いの方が、わたしは見る分には興味深かった。なんせチャンパラですから。

 主役のヒース・レジャーは、美しい英国紳士のときより、小汚いアフリカの男のときの方が、かっこよかったす。わたしには。

 
 『HERO』を見てきました。
 監督チャン・イーモウ、出演ジェット・リー、トニー・レオン、マギー・チャン。

 最初に『HERO』の予告編を見たのは、なんの試写会でだったかな? ふつーの映画館の予告よりずっと早くに目にした。周囲からもなんの情報もなく、とにかくそのものすげー映像に口が開いた状態。
 これはもう、見るしかないなあ、と思った。

 わたしは当たらなかったので試写会には行けなかったけれど、先に試写を見た友人知人たちから情報が入りはじめる。
 これがもー、全員口をそろえて「駄作!」と叫ぶ。
 唯一、WHITEちゃんだけが苦笑いとともに「所詮中国映画と思って見たら、それなりにたのしめるよ」と言っていた。

 百聞は一見に如かず。
 自分の目で見、心で味わいませう。
 つーことで、残暑のなかいつもの映画館へ自転車をとばす。
 映画は映画館で、芝居は劇場で。本はひとりで。自宅で小さな画面でビデオを見るのでは、その映画や芝居のほんとうの力はわからない。ひととおしゃべりしながらぱらぱらめくっても、その本のほんとうの力はわからない。
 とくに、『HERO』みたいな映画は、映画館で見なきゃ絶対おもしろくないだろー、とわかりきっているので、自転車ぎこぎこ。

 映画館でなきゃ絶対たのしめない、とはじめからわかっている、という前提からして駄作のかほりはしているよ。
 でもそれは、悪いことではないと思うんだ。映画なんだから、映画館を前提に作られていてもいいじゃん、と思う。
 たとえば、携帯電話の待ち受け画像のつもりで作った画像を、大きなモニターに映して「解像度が悪い!」と文句つけても仕方ないよーなものでね。
 映画は映画館で上映されることを前提に作られているのだから、わたしは映画館へ行く。わたしもわたしの書いた仕事用の文章を、正しい状況で読んでから評価して欲しいからな。自分がして欲しいことは、ひとにもしてみるさ、できる範囲で。

 てなことを、えんえん最初に書くのは、「誉める人がいない」映画を、わざわざお金を出して映画館に行って、「駄作! 金返せ!」と言う場合の布石だ。言い訳だ。
 わたしは映画を正しく味わうための努力はしたわ。だから、文句を言ってもいいわよね? と(笑)。

 ここまで言い訳しておいて、覚悟も決めて、見たのよ、『HERO』。

 ストーリーは……ええと……あんまし、なかったよーな……。
 王様と、王様を狙う刺客を退治した男が、向かい合ってお喋りするだけの話。
 ……それだけ、なんだよな。
 ただ、男の語る物語が、一転二転する。
 最初はAと言っていたのが、王に「それはおかしい。ほんとうはBだろう」とつっこまれ、「おしい。じつはB’です」ということになり、でもさらに真実はCだった、てなふーにころころ変わっていくの。
 かなしいのは、真実が最後のCだけであるにもかかわらず、嘘八百のAやBやB’も全部、長い時間をかけて「映画」として作られてしまっていること。それを長々と見せられたあとで「てのは全部嘘」てのを何回もやられると、「じゃあ今までの時間はいったいナニ?!」と詐欺にあったよーな気分に。
 見ながら『MISTY』(制作時は天海祐希主演、フタを開けてみたら豊川悦司主役、だけど現在発売されているDVDには「金城武主演」と印刷してある、みょーな映画。もちろん映画館で見たさ)みたいだなー、とか思ったよ。

 ストーリーはほとんどない、もしくは単純、と言っていいだろう。
 この映画を駄作と言う人は全員、ストーリーを責めている。
 そりゃーまー、わかるさ。

 しかし。

 わたしはこの映画、たのしかったのだわ。

 あららびっくり。
 これだけ覚悟して見たのに、ぜんぜんOK、ふつーにたのしかったわ。
 もちろん、覚悟して見たのがよかった、てのはあるだろうけれど。
 でも、なんの予備知識もなく試写会で見ていても、わたしはけっこー好きだったと思うよ。

 ツボがあるから。

 わたし、「王者の孤独」というテーマが好きなのだわ。
 『王家に捧ぐ歌』で、アムネリスが泣きながらでも、ラダメスを処刑するしかないこととかね。
 数年前にヒットした壮大な中国映画があったよね? もータイトルも覚えてないが。中国皇帝と刺客の話。アレもツボだったのよね。

 暗殺をおそれ、10年間、誰ひとり100歩以内に近づけたことはない、という孤高の王。
 彼の心を理解した者は、100歩以内に入ってきた者は、ただひとり、彼を殺しにやってきた刺客だけだった……。
 刺客はあえて剣をおさめ、王を殺さずに去る。
 3年後、その刺客を討ち取ったという男が、王の前に現れる。男女の痴情のもつれを利用して刺客を討ち取ったという。
 王は言う。あの崇高な刺客が、痴情のもつれごときで死ぬはずがない、と。
 もしもあの刺客が死んだというなら、それは命を懸けて男に使命を託したはずだと。
 使命……すなわち、王の暗殺を。

 王様、それって……刺客が命がけで自分を愛しているはずだと言っているよーなもんですが?(笑)

 ホモネタはおくとして、純粋に「王の孤独」がツボでした。
 この世でただひとりの、魂の親友をその手で処刑しなければならない痛みと、それでも立ちつづける強さと誇りと責任と。

 そして、暴力による支配から、平和のための力の集権へと変わっていくあたり、『王家…』のラストのようですな。
 きれいごとにすぎなくても、わたしはこーゆー展開が好きです。

 好きなタイプの物語が、美しい映像で展開していくのよ。そりゃー、たのしいでしょう。

 映像は、ものすっげーことになってます。
 美しさだけにこだわった、現実無視の潔い作り。
 ストーリーは後付けで、とにかくこの映像を作りたかったんだな、というのがまるわかりの、愉快なほどのものすごさと美しさ。
 あちこち、マジで吹き出しました。
 壮大すぎるとお笑いになるという、見本がそこに。
 今どきマンガでもここまではないよ、というバカバカしさを、本気でやっているあたり、笑いはときに感動の域に達します。

 この映画を嫌いな人の気持ちも、バカにする人の気持ちもよくわかる。
 すべてにおいて、やりすぎてるわ。
 でも、嘘を嘘とわかってヅカで萌えることのできるわたしには、こーゆータイプの虚構はまったくもって問題ナシ、純粋にたのしかった。
 あー、きれーだわー。
 個人的には「赤」のシーンの情念が好きだなー。ツッコミどころは満載だが、いちばん人間の愚かさが出ていて、昼メロを美しく演出するとこーなる、みたいなスタンスが俗物のわたしにはウケた。ヒロインがいちばん妖艶で美しいのもこの「赤」じゃないか?

 主役の無名(ウーミン)@ジェット・リー、たしかにみんなが言う通りのタカシ・オカムラだなー。彼がもっと男前なら、あるいはせめて岡村に似ていなければ、もう少し突発的な笑いの発作も少なくすんだかもしれないんだが。
 飛雪(フェイシュエ)@マギー・チャンがあちこち「フケた常盤貴子」「少し若い浅野温子」に見えてしょーがなかった。わたしは吹き替えで見たんだけど、声が浅野温子に似ていて、余計に愉快だった。美人なのかおばさんなのか、とても微妙だが、それでもたしかに美しい。しかし、化粧は濃い(笑)。
 トニー・レオンは言うまでもなくかっこいいし、王様役の人がまた色気のある男前で、いい感じ。
 そして、これぞ中国映画、の人海戦術。いいなあ、こーでなきゃなー(笑)。

 とにかく、意外なほどたのしかったのよ、『HERO』。
 でもここまで評判が悪いと、大きな声で言えないなあ(笑)。

 
 いやー、壮大にばかばかしい映画だなあ。

 『リーグ・オブ・レジェンド』監督スティーブン・ノリントン、出演ショーン・コネリー、シェーン・ウエスト、ペータ・ウィルソン。

 予告を見た段階で、トンデモ系だとはわかっていたが。

 舞台は19世紀末。
 世界征服をたくらむ悪の秘密組織と戦うため、正義の超人たちでチームが結成された。それが「超常的紳士同盟」だ。
 リーダーは不死身の冒険家アラン・クォーターメイン(『ソロモン王の洞窟』の主人公)@ショーン・コネリー。
 他のメンバーは、科学者のネモ船長(『海底2万マイル』のキャラ)、美貌の吸血鬼ミナ(『ドラキュラ』のヒロイン)、永遠の美を生きるドリアン・グレイ(『ドリアン・グレイの肖像』の主人公)、透明人間ロドニー(『透明人間』の主人公)、マッチョ怪人に変身するジキル博士(『ジキルとハイド』の主人公)、そしてアメリカの諜報員ソーヤー青年(『トム・ソーヤーの冒険』の主人公)ときたもんだ。
 彼らが白亜の潜水艦「ノーチラス号」に乗って、世界を舞台に大暴れ!!
 ぼくらの世界を守れ! 悪の秘密組織を倒せ!!

 いやあ、この映画を大真面目に作ってしまうあたりが、アメリカっちゅー国はすげえとこだなあ、と思うよ(笑)。

 『ルパン三世』の実写版、というのがいちばん近いと思う。

 アメリカの諜報員ソーヤーだもんなあ……トム・ソーヤーがなあ……金髪のかっこいー男の子だよ……成長したんだなあ、トム・ソーヤー。
 ネモ船長はめちゃくちゃかっこいいしなー。強いのなんのって。なんでターバン巻いてるのかわかんないけど。
 ドリアン・グレイときたら、本気でハンサムだしなー。ヒゲがエロいぞー。
 ハイド氏ときたら、まるきり『ハルク』だし。もちろんお金のかかっていない『ハルク』(笑)。ジキル博士のよわよわぶりと、ハイドの化け物ぶりがいい感じ。
 女吸血鬼は美人なのかおばさんなのか、きわどいとこだが(笑)、おっかなくてかっこいい。

 シーンごとをたのしむものであって、ストーリーとか深いことは考えちゃイカンのでしょう。
 ツッコミどころ満載。
 つーか、この人たちがなにをしたくて、なにをしているのか、よくわからなかった。
 ただ、その潔いバカッパワーを愉しんだ。

 ノーチラス号が現れた瞬間に、「もういいよ」と思った。もういい、好きにしてくれ。笑えるからすべて許す、と(笑)。

 ノーチラス号がまた、すごいんだわ。
 ネモ船長がすっげー自慢そうに、「そーど・おぶ・おーしゃん!!」と宣言するんだが、まったくもってその通りの姿なんだよ。
 純白の剣が現れやがんの。
 海を切り裂いて進むんだよー。うひゃー。

 とにかくあちこち、ツボにはまって笑えてしょーがなかった。
 ばかばかしいんだけど、笑えるんだよー。
 ベネツィアの水路を進むノーチラス号って、どうよそれ、どうなのよ〜〜。絶対ありえねえって。

 あと、意味もなく美術は美しいし。
 ビバ19世紀。
 ドリアン・グレイの館とか、ノーチラス号の内部とか、悪の要塞(笑)とか、ものすごく美しいんですけど。
 彼らの貴族的服装も美しいし。
 目に楽しいよなあ。

 それと、まあこれはお約束なんで腐女子ポイントも書いておきましょう。
 ショーン・コネリーの役とソーヤー青年は、相思相愛です。なにかっちゃー、いちゃついてます。
 あと、ネモ船長とジキル&ハイド氏は、たぶんそれだけで物語になるでしょう(笑)。
 ミスターMがよりによってドリアン・グレイを選んだのは、つまりはそういうことなんだと思いました。あのベッドで絶対やってるよねえ。そりゃ、彼の現在の恋人・女吸血鬼のミナも怒り狂うさ。

 一緒に見に行ったWHITEちゃんは、相当ツボに入ったようで、しばらく帰ってこれないくらい、笑ってました。……クールな彼女にしては破格の反応だ。
 ふたりで映画へのツッコミを羅列しながらごはん食べたんだけど、答えが出ないくらい穴だらけの作品だよ。

 んで、わたしたちの共通の感想。

「ショーン・コネリー、仕事選べよ(笑)」

          ☆

 昼間にも映画を見ようと思ってたんだけど、ラインナップ発表を待っていたせいで、見られなかったよ(笑)。
 某板に早々にすっぱ抜いてくれた人、ありがとう。おかげで安心して試写会に行けたわ。

 
 マイケル・ムーア監督の日本未公開ドキュメンタリー『ザ・ビッグ・ワン』の試写会に行って来ました。

 アタマのよくないわたしは、アカデミー賞受賞作『ボウリング・フォー・コロンバイン』も世間での評価ほど、たのしめなかったクチなんですけど。
 なんせわたし、アメリカ人じゃないんで。立ち位置がチガウもんで、完全理解や感情移入にはいろいろハードルがあってねー。努力してハードルを越えたいとも思わなかったし。
 だからまあ、単なる興味本位。俗な人間だから、こーゆータイプの映画を「見た」と言うと、ちょっとアタマよさげに聞こえるかしら、なんてな。
 まー、俗物ぅ(笑)。

 んで、『ザ・ビッグ・ワン』。
 ひとことで言うと、巨大企業告発ドキュメンタリー。
 利潤だけを追求し、社員は使い捨て。弱い人々は泣き寝入り。そーゆー悪の大企業に恒例のアポなし取材で突撃。最大の見所は、VSナイキ社。
 監督・脚本・主演マイケル・ムーア。

 たのしく見ました。
 『ボウリング・フォー・コロンバイン』とちがって、企業モノだから、ちゃんと見ることができましたよ。
 自分に関係ないことでも、自分の生きてきた社会にある価値観をベースにした問題なら、理解できる。
 好みかどうかは別として。

 たのしませるドキュメンタリー、というスタンスはすごい。
 このテンポのよさと、緻密に計算された構成。
 社会問題のドキュメンタリーなんか、ふつーおもしろくないから、見る気にもならないもんだが、そーゆー人たちをもたのしませて、「オレの懐に取り込んでやるぜ!」な気合いをばんばん感じる。
 才能のある人なんだなあ、と思う。
 自分の言いたいことを、自分の顔と名前で堂々と叫び、さらにそれをネタにして、「作品」として昇華する。なんと複合的な才能かしら。
 自分の主義主張を声に出す、ってだけでも、希有な才能のひとつだと思うんだけどな。
 ただ主張するだけでなく、それで他人の共感を呼び、しかもたのしませる。という、エンターテイナーとしての才能。
 そのライヴを映像に治め、編集し、さらに主張をクリアに、エンタメとしての魅力を加え「作品」にする才能。
 これだけ複数の才能を、すべて持っているわけだねえ。

 才能ってのは、正しい場所にたどり着くもんなんだな、とわたしはよく感心する。
 その最たるものが、荻田浩一。
 よくぞこの人、タカラヅカの演出家になったなあ、と。
 無数にあるカルチャーの中で、よりによってヅカの演出家になるなんて。
 ヅカは彼の才能をもっとも発揮できるジャンルのひとつであると思うが、ふつーの青年はここにはたどり着かないだろう。もっとメジャーで、ふつーの若者が知っているジャンルに行くんじゃないか?
 才能は、正しい場所にたどり着く。
 あるべきものは、あるべき場所へ。
 それこそが才能、天から授かった能力なんだと思うよ。

 そーゆーことを思った。
 マイケル・ムーア作品を見ながら。

 しかし、わたしはやはり、ドキュメンタリーは苦手だなあ。
 「真実」の部分と、それを「作品」にするうえでの「演出」の部分を、必死に分析して見ている。……だから、疲れる。
 たくさんある「真実」のうちの、ほんの「一部分」だけを「演出」を加えて見せられているわけだから、それをそのまま信じることができない。
 裏の部分を考える。
 切り捨てられたモノはなにか、作者の思惑はなにか、計算はなにか、騙されないぞ騙されないぞ、そんな気持ちで見てしまう。
 ……ひねくれモノっすか、わたし?
 『プロジェクトX』を泣きながら見るけれど、その反面「で、真実はどうなのよ?」とか思ってるしな。

 「敵」として「悪」として描かれる側の「言い分」を考えてしまう。
 わたしは「絶対悪」を信じられない。
 虐げられる善人たちに涙する反面、加害者たちのそうせざるを得ない事情などに、想像の翼をはばたかせてしまう。
 素直に、悪と戦うマイケル・ムーアに同調できない。
 マイケル・ムーアにシンクロできたら、最高に痛快なんだろうけどなあ。
 どこに行っても人気者で、サイン会やって講演会やって、ファンにきゃーきゃー言われて、そして弱い人たちのために巨悪と戦って、その戦う姿を映画にしてさらに富と名誉を得るわけだからなー(ついでに敵も多く作ってるんだろーけど、それは映画には出てこない)。
 彼を「MY ヒーロー」だと思って見られたら、たのしいだろうなあ。

 おもしろい作品だと思うけど。
 やっぱり苦手だ。
 でも、無視できない。
 苦手だと言いながら、またなにかあったら見てるよーな気がする。
 やっぱ才能あるひとの作品ってのは、好みを超えて惹きつける力があるからなー。

          ☆

 映画のあと、ごはんを食べながらWHITEちゃんとトシの話をしていた。

 いや、うちの父はもう少し若いころ、一回りトシをごまかしていたんだよ。
 一回りだよ? 12歳ごまかして生きていたの。
 もちろん、女たちにちやほやされたくて。
 自分より年下の女たちに「年下の男」として甘やかされるのがたのしかったらしい。……女好きめ。
 父に言わせると、3つとか5つとか半端にごまかすと、干支の話題でボロが出るからよくないんだって。それならいっそ一回りごまかしちゃえば、問題なしってことで。
 そして父は、一回りごまかしてもばれない男だった……。

 んで、うちの弟。
 某店に1日だけ助っ人として借り出されたらしい。その店は社員もネクタイ禁止、カジュアルな服装で接客がルール。
 とゆーことで弟はジーンズにシャツという、まったくの普段着で出勤した。
 その話を、深夜のファミレスでパフェを食いながら(甘いモノが苦手なわたしが何故。……半分は甘党の弟の腹に収まった)聞いたのさ、昨夜。
「……ひょっとして、学生バイトにまちがえられたんじゃないの、アンタ」
 わたしがそう言うと、弟はそれには答えずニヤリと笑い、
「トシを言ったら、店にいた全員に叫ばれた」
 とだけ答えた。
 ……やはり、学生にまちがえられたな、こいつ。今年で33だとは、誰も思うまいよ。
 弟もまちがいなく、一回りトシをごまかして生きていけるヤツだ。父のDNAは正しく受け継がれている。

「あたしもこの間、高校生にまちがえられたけどな」
 と、WHITEちゃん。
 そう、彼女もまた一回りごまかして生きていける女。

 わたしの周りには、年齢不詳の連中が多い。
 わたしが年相応に見える分、彼らの「若さ」とのギャップが痛いぞ(笑)。

「ところでWHITEちゃん」
 わたしはさらに、トシの話をする。

「ケロがまだ20代だって知ってた?」

「え?!」
 固まるWHITEちゃん。
 彼女はぼーぜんとつぶやく。
「あたしより年上だと思ってた……」

 年齢ミラクル(笑)。

 
 萌えです。
 ものすっげー、萌えで愉快な映画を見てしまいました。

 どれくらい愉快かというと、『ギャング・オブ・ニューヨーク』以来です!(笑)

 その映画の名は、『ワイルド・スピードX2』だ!

 走り屋モノだと聞いて、まったく興味がなかった。車なんかどーでもいいもん。しかも、走り屋さんたちの車ってば、わたしの目には「……バカ?」って感じのデコレーションされたものばかりだし。
 予告を見ただけで「一生見なくていいや」てな作品だったのに。

 宣伝のために日本にやってきた主演俳優のポール・ウォーカーを見て、気が変わる。
 だってアンタ、男前じゃないのっ。
 予告で見る限り、薄汚い感じなのに、ふつーにしてたらこんなにハンサムだったの?
 つーことで、現金に興味が湧く(笑)。

 主演が男前。
 走り屋モノ。
 どうやら続編らしい。
 ……これだけの、予備知識。
 あと、試写会場で司会のおねーさんが、「アメリカで、10代の若者にもっとも支持された映画」と言っていたのを聞いて、わりと萎える。わたしゃ、ばばあじゃけん、ガキのよろこぶよーな映画はきっと理解できねーよ、と。

 監督ジョン・シングルトン、出演ポール・ウォーカー、タイリース、エヴァ・メンデス。

 ストーリー自体はなんもわかんねーまま、さあ映画スタート。

 …………?

 なんなの、これ?

 ブライアン@ポール・ウォーカーは元警官で今は凄腕のストリート・レーサー。どうやら警官時代に一悶着あり、それが前作で描かれているらしい。
 現在は違法な走り屋であるブライアンは、警察に逮捕されてしまう。そして、罪を帳消しにしてやるかわりに囮捜査に協力しろと脅迫されちゃうのだ。
 なんでも、大悪人カーター@コール・ハウザーが裏金を運ぶための運転手を探しているという。ブライアンは、幼なじみのローマン@タイリースを相棒に抜擢し、ふたりで囮捜査にGO!

 このブライアンとローマンの再会のシーンが、わたしに首をひねらせた最初だ。
 なんつーんですか……こう、ねとっとしているというか。
 数年ぶりの再会らしいふたり。しかも、なんだか誤解があるらしく、ローマンはブライアンを恨んでいる。
「あんなにひどくオレを裏切っておいて、よくもおめおめと顔を出せたな!」
「それは誤解だ。俺はお前を裏切ったりしてない」
「オレはお前のせいで3年もムショに入れられたんだ! どれだけつらいめに遭ったか……」
 てな殴り合いの激しい会話。

 恋人同士の、痴話ゲンカ?

 にしか、見えないんですけど……。
 ローマン、刑務所でナニがあったの? やっぱりナニ?

 とにかく、必要に迫られてコンビを復活させたブライアンとローマン。ふたりで悪党カーターの館へ。そこでテストを受け、彼らは運び屋として合格する。
 カーターのもとには、女性囮捜査官モニカ@エヴァ・メンデスがいて、ブライアンたちをバックアップすることになってるんだけど。
 女好きのブライアンは、モニカに興味津々。それにいちいちローマンは文句をつけ、皮肉を言う。つーか、モニカと張り合うよーな言動……?

 浮気者のダーリンにやきもちをやくハニー?

 カーターもモニカも、そして警察も心の底から信じてはいないブライアンは、信頼できる走り屋仲間に協力を求める。
 マイアミの走り屋たちを仕切るナイス・ガイに相棒のローマンを紹介し、彼の住む部屋を探してくれと言ったらば。
「一緒に暮らさないのか?」
 と、ナチュラルに返される。

 誰の目から見ても、カップルなんですか?

 運び屋の仕事前夜。危険な勝負だ、仕事中に死ぬかもしれないし、成功したとしてもカーターに消されることぐらいわかってる。警察はあてにならない。
 明日、死ぬかもしれない……その夜に、ブライアンとローマンは語り合う。
「本当に誤解だったんだ。俺はお前を裏切ったりしてない」
「……わかってる。本当はわかってたんだ。オレがドジを踏んだだけさ。だが、お前を恨むことでその事実から逃げていたんだ」

 ら、らぶらぶ?

 そして、仕事当日の朝。
 それぞれのマシンに乗ったふたりは戦いへと赴く。そのときに、ブライアンは言うのさ。
「大丈夫か?」
 マシンの調子のことだと思ったローマン(仕事のことだったかな?)、
「まかせろ!」
 てなことを返すのだが。

 それ、えっちした翌朝に攻が受に向かって言う定番台詞だよね?
「昨日はつい激しくヤってしまったけど、お前、躰は大丈夫か?」
 って意味よね?

 ゆうべアンタら、ヤってたんですかいっ?!
 やっぱり?
 そうとしか思えない雰囲気だったけど!!

 さあて、物語も大詰め、大仕事。カーターを無事に逮捕することができるのかっ?! とことんカーアクション。
 ブライアンとローマンがんばる! マイアミの走り屋たちもがんばる!

 こーゆーハナシだから、オチを言ってもいいだろう?
 ラストはもちろん、大団円だ。
 仕事はすべてうまくいき、ブライアンとローマンは前科を帳消しにされ、一般人としてふつーに生きていくことを許される。

 しかも、ただの大団円じゃない。

 最後は、「プロポーズ」で終わった……。

 一緒に暮らすんかい、お前らっっ。
 女は? 美人捜査官モニカの立場は?! ただブライアンが、ローマンにやきもちをやかせるためにちょっかい出しただけ?

 もー、あちこち笑いこらえるのに大変だった。
 濃密な男同士の物語。
 見ている方が恥ずかしくなるようなバカップルぶり。

 レースものとしても、アクションものとしても、わたしはどーでもいー。
 ブライアンとローマンの「恋愛映画」として、めちゃくちゃたのしんだ。
 つーかコレ、ボーイズラブだよねえ? 定番まんまのストーリーだよねえ?

 ごついムキムキ黒人のローマンが受、てのがイイ感じです(笑)。
 ハンサム白人のブライアンは、ちょいわがままのカッコイイ系攻だしさっ。
 おもしろすぎ。

「アレ、女が見たら絶対たのしーよー。腐女子はなにがあっても行くべきだねっ」
 と語るわたしに、WHITEちゃんは冷たく、
「女はまず見に行かないタイトルだけどね。カーマニアの男しか見ないって」
 と、返してくれたよ。

 わたし、今度は吹き替え版で見たいけどなー。
 マイアミを舞台にした、アクション・ホモ・ロマンス(笑)。

 
 6日のきんどーさんとデートは映画2本立て。
 夕方からは『バトル・ロワイアル2』を見ました。

 わはは。
 すごかったよ、これ。
 ツッコミどころ多すぎて、誘い受もここまできたらお手上げって感じ。

 わたしは映画の『バトロワ1』のファン。
 メディアミックスしまくりのこのタイトル、実際に自分で味わったのは映画と原作小説だけです。

 原作小説はねー、爆笑させていただきました。
 あのときはなー、長坂秀佳と立て続けに読んだもんだから、破壊力すごいのなんのって。長坂おぢさんのセンス劣悪さに笑いながらも疲労し、そのうえ『バトロワ』で同質のセンス皆無っぷりを見せつけられ……爆笑したけど、ものすごーく脱力した。

 長坂おぢさんのすごさは、現代文化を知らないおぢさんであるにも関わらず、聞きかじりのまちがった情報で「ナウでヤングな世界」を展開させること。携帯電話もメールも使ったことないなら、書かなきゃいいのに。まちがった事実を「オレってイケてる♪」と自信満々に書かれるうすら寒さ。
 それと同質のものを感じたんだよな、小説『バトロワ』。
 わたし、『バトロワ』の作者って、長坂おぢさんみたいな若者ぶった年寄りか、あるいは10代の男の子だと思ったの。
 感覚が、少年ジャンプを通り越して「コロコロコミック」だったから。
 それか、わたしが子どものころに見ていたロボットアニメとかの世界。シートベルトひとつない操縦席に坐って、必殺兵器の名前を叫びながらボタン押すような。子どもが真似をしてヒーローごっこをするような。あーゆー年代のセンス。
 少なくとも、現代社会の第一線で仕事したり恋をしたりしている年代ではないよな、って。
 ……作者の年齢を知っておどろいたさ……。

 映画の『バトロワ1』は、原作小説の寒い部分をオシャレに料理してくれていて、「メディアミックスはこうあるべきだよな」と感動した。
 あの長坂おぢさん系のセンスの悪さを、こう昇華させますか……。監督、センスいい人なんだなあ。センスってのは年齢じゃないんだなあ。見習いたいよ。

 その深作欣二監督が死去し、息子が引き継いだという、『バトロワ2』。
 小説を書いた人が映画『2』には関与していないことは、人づてに聞いていた。だからまったくのオリジナル続編なんだよね。

 欣二監督が生きていたら、どうなっていたのかな? 映画制作というものをよくわかっていないわたしには、見当もつかない。

 しかし。

 わたしには、最初から最後まで、わからなかった。
 主人公たちがなにを考えて、なにをしているのか。

 ここまで「?」なままだった映画は、はじめてだー。

 前作の主人公でもあった七原秋也@藤原竜也。
 アンタそれで結局、なにがしたいの? で、なにをしてるの?
 わかんないよー。

 中学生同士を殺し合わせるBR法。そーゆー法律が存在してしまうまちがった社会に対して、BRの生き残り七原秋也は戦いを挑む。
 ここまではわかる。映画『1』のラストがこうだな。
 しかし……それで秋也が映画『2』でやることは、無差別テロときたもんだ。
 え、えっと?
 テロ組織「ワイルドセブン」のリーダーとなった七原秋也のアジトを襲い、彼を抹殺する命令を受けたのが、新しいBR法によって無理矢理戦争をさせられちゃう今回の中学生たち。たくさん出てくるけど、個性薄いので誰が誰やら。
 壮絶な戦いの末、生き残った中学生たちは秋也たちに同調、一緒になって逃げたり戦ったり。
 結局なんの解決もないまま、「主人公生きてんだから、ハッピーエンドだよな?」的ラストへ。

 監督脚本・深作欣二、深作健太。出演・藤原竜也、前田愛、忍成修吾。

 テロの必要性を教えてください。
 ツッコミはいろいろありすぎるんだが、いちばんはコレかなあ。
 なんで高層ビル爆破なの?
 それにはなんの意味があって、どうやってその行為にたどりついたの?
 BR法がひどいのも、社会がまちがっているのもわかってる。
 だからといって、高層ビルを爆破しなければならない理由はどこ?
 それを描いてくれないと、わかんないよ。
 これは映画であり、「フィクション」だ。倫理観でどうこう言ってるわけじゃない。現実のテロがどうじゃなくて、この映画の中で「納得させてくれる理由」さえあれば、わたしはちゃんとテロリスト主役の物語としてたのしんだよ。
 でも、理由は描かれず「社会が悪い。だからテロなんだ」ってことで、戦争されても理解できない。なまじ前作で「本人の責任とは関係なく、無造作に殺される生命の理不尽さ」に憤慨していた秋也を見ているだけにな。
 彼は何故、『1』で憎んでいた「悪い大人たち」と同じことをするようになったの? 理由を教えて。

 全体的に感じたのは、物語としての方法論のまちがい。
 ストーリーがあって、それによって物語が進んでるというより、「言いたいこと」があって、それを言うためにストーリーを無理矢理ねつ造している感じ。
 Aくんがどれだけ善人であるかを言いたいために、隣にいるBくんの悪いところを書き立てているような。いや、Bくんが悪い人だってのはわかったから、Aくんがどうすばらしい人なのかを語ってくれよ。いくらBくんの悪口を書いたって、Aくんがすばらしいってことにはならないよ、それは別の問題だってば。
 「言いたいこと」を観客に押しつけるために、ストーリーはかなり変。なんでそうなるの? どうしてそこでそうハナシが曲がるの? の連続。
 わからないことだらけで、途方に暮れる。

 結局やりたかったのは「アメリカなんか大嫌い!!」と「銃撃戦」?

 なんで空爆しないのか、不思議でしょーがなかったんだが。
 中学生たちを兵士として送り込むのは、わざとだってわかるけど(しかし無理矢理すぎるよなこの新BR法。やめときゃいいのに)、そのあとの大人のプロ兵士たちがわざわざ徒歩で攻撃に行くのは何故? 味方に被害を出す意味がわからん。
 ミサイル一発で終わりじゃん。

 てなふーに、「言いたいこと」「やりたいこと」が最初にあって、あとは全部こじつけ? ストーリーなんかどーでもいいじゃーん、てか?
 とにかく人を殺せば観客は泣くし、自由とか愛とか言わせておけば感動するしってか?
 ひでーなー。

 アメリカ嫌いでもテロOKでもなんでもいいから、壊れていないおもしろいものを見せてくれよー。
 「映画」だから「フィクション」だから、おもしろければそれでかまわないんだからさ。
 そのうえで、好き嫌いがあって、「その考え方はわたしはどうかと思う」とか「その意見に同意だわ!」とかってのが出てくるんだよ。
 いくら「言いたいこと」ばっか鼻息荒く説教されても、作品が壊れてるんじゃ、評価対象にすらならないよ。

 ところで藤原竜也くんがずーっとずーっと、ゆーひくんに見えてしょーがなかった……(笑)。

 だってさー、テロリストくんたちってば全員、国籍無視のアラブ系ゲリラみたいな格好してるんだもん。わたしたちが「ゲリラ」というと想像する、あのまんまの格好。ここ、日本だよねえ? 彼ら日本人だよねえ?(笑)
 んで竜也くんは白のロングドレスのよーな、「カリスマ・リーダー」らしいファッションでキメてますのよ。さらに、ゲリラらしく髪はロン毛。

 プルミタス……。

 丸いフェイスラインとあらいぐま系の顔立ち。長身でスタイルよくて、そして黒い長めの髪。

 あー、ゆーひだー。
 やたら苦悩してて、美しいですなあ。
 いや、ゆーひより演技力はあると思いますが(失礼な)。

 プルミタス藤原竜也を見るぶんにはいいか。


 台風近付く中、CANちゃんの会社でバイト。そしてその帰りに、ついにピギーケースを買う。もちろんコミケ用にだ。ああ、オタク一直線(笑)。

 それはさておき、水曜日にきんどーさんとデートしたときの映画の感想いってみよー。

 『バトロワ2』を見るつもりだったのに、『バトロワ2』は夕方とレイトショーしかやってなかったのよ。きんどーさんとはランチの約束なのに。つーことで急遽『パイレーツ・オブ・カリビアン−呪われた海賊たち−』鑑賞。

 見終わったあと、長い長いスタッフロールの最中、きんどーさんがつぶやいた。
「思ってたのとちがった……こんなにおもしろくないなんて」
 えっ、ダメでした? わたし、けっこーたのしんで見たんだけど。

「でもま、所詮ディズニーだし」
 と、わたし。
「えっ、ディズニーなの?」
「ディズニーランドの『カリブの海賊』だよね? アトラクションと同じシーンがいろいろあって、笑えたよ」
 そう言っているうちに、「ディズニー」ブランドのロゴが流れていく。ね、ディズニーでしょ?

 監督ジェリー・ブラッカイマー、出演ジョニー・デップ、オーランド・ブルーム。

 海賊にさらわれた、愛するお姫様を救え!な話。
 お姫様エリザベス@キーラ・ナイトレイが海賊バルボッサ@ジェフリー・ラッシュ一味にさらわれた。海軍なんかに任せておけない!てことで、彼女をひそかに愛する鍛冶屋の若者ウィル・ターナー@オーランド・ブルームは独自に救出作戦GO! うさんくさい海賊(なんせ船もなければ部下もいない)ジャック・スパロウ船長@ジョニー・デップと組んで愛と戦いの航海へ!
 そこに10年前の出来事だとか、ウィルの父親の秘密だとかが加わってきてさあ大変。最後に笑うのは誰だ?!

 えーと、たのしい冒険活劇。深く考える必要なし、気軽に見て気軽に笑え。なんで吹き替えがなかったんだろ、いつもの映画館。これこそ吹き替えがあってしかるべき。子どもが見てもいい映画じゃん。てっきり吹き替えがあると思ってたよ(それなら夏休みをはずして吹き替えで見たよ)。

 ストーリーについては、感想らしい感想がない。「どうだった?」と聞かれれば「おもしろかった」と答えるし、「キャストはどう?」と聞かれれば「ジョニー・デップすてき」と答えるし、「ホモはあった?」と聞かれれば(笑)「ジャック船長とウィルくんはずーっとラヴラヴだったよ(笑)」と答えるさ。
 でも、「絶対見に行くべき?」と聞かれれば、「べつに」と 答えるだろう。
 ひとことで言うと、萌えがなかった。たのしいけれど、見終わった瞬間内容を忘れているよーな。エンタメとしての出来映えを考察できるほど気力がわかないというか。
 おもしろかったんだけどなー。
 ジャックかっこいー、ジャックすてきー、しか言うことがない……。あ、あとキーラ・ナイトレイきれい、と(『ベッカムに恋して』の彼女だよね? レズにまちがえられたり、男の子にまちがえられたりしていた、あのハンサム・ガール)。

 ディズニーランドの『カリブの海賊』は大好きだ。
 特別なアトラクションだ。
 18の夏、はじめて友だちとふたりで旅行をした。行き先は東京ディズニーランド。なにもかもがはじめて尽くし。びんぼーなガキだったので、ずっと旅行ができるほど金がなかったのだ。アルバイトも禁止されていたし。で、18になってバイト解禁、自分で稼いだお金で、自分で計画して自分で旅行に出た。わくわく。
 そしてはじめてのディズニーランドで、最初に入ったアトラクションが『カリブの海賊』だった。そこがなんなのか、自分がどーゆーアトラクションに入ったのかも、わかってなかった。ただ手近だったから飛び込んだ。

 感動だった。

 そこにある「別世界」に酔いしれた。
 穴蔵をボートで進む高揚、光と闇、ブラックな世界観とかなり大味なユーモア。それらが微笑ましかった。
 海賊たちの豊かな表情と動きに、「人間」を感じた。
 一緒に歌いたくなるようなたのしさがあった。

 あれからそりゃーもーはてしなく時は流れ、『カリブの海賊』にも軽くフタ桁は入ったけれど、感動は忘れられない。
 やっぱり好きだと思う。

 その感覚をくすぐられる気はした。
 あーわたし、好きだったなあ、『カリブの海賊』。
 ボートに乗って最初に、水路に面したレストランの明かりを見たときのどきどきは格別だったなあ。アトラクションが本格的にはじまる前に、まずレストランの横を通るんだよね。だからまず、レストランにどきどきしたんだった(笑)。
 あの、幼いときめきがよみがえってくる。

 テーマパークのアトラクションのイメージを、裏切ることなく映画にしてくれたのはうれしい。
 だからわたしは、ちょっとせつなくて、たのしかった。

 それで十分、1000円の価値はあったよ。

 
 なんか久しぶりな気がする、水曜日だ映画だレディースデーだ。
 空はいい具合に曇り、自転車に乗っていつもの映画館へGO!

 水曜日は映画の日であると同時に、欲望と戦う日でもある。
 映画館は映画館だけ単体であるわけじゃなく、ショッピング・ゾーンも充実してるんだよなあ。
 よせばいいのに、好きなブランドを必ずのぞき、「欲しい。欲しいけど金がないっ」というジレンマに身もだえる。無職なんだから自重しなさい……ああ、でも、欲しいなー。
 ウインドウ・ショッピングをして、おのれの欲望と戦う日、それが水曜日。

 さて、今日の映画は『ターミネーター3』。
 がんばって吹替の時間に合わせて映画館に行きました。吹替の方が上映数少ないからね。
 画面命のアクションものは、字幕を読むのが面倒なので、わたしは吹替で十分です。どーせ英語のヒヤリングできないし。字幕は情報量少ないから、意味が伝わりにくいし。
 座席も足を投げ出して坐れる通路の上が好き。足癖悪いのよ。通路上センターをGETして、意気揚々と映画館に入ったあとで。
 …………まちがいに気づきました。

 今、夏休みじゃん!!

 吹替でテーマパークのアトラクションな映画を見ようとするのは、子ども連れのファミリーばっかだってば!!
 うわーん。大失敗。
 吹替は「映画好き」を名乗る人たちが嫌悪するから、空いててイイのに、ふつーは。
 なんてこったい、夏休み。
 映画館のマナーなんかカケラも知らない大人と、映画館以前にマナーの存在を知らない子どもたちでいっぱいだー。

 まあな、言っちゃ悪いが所詮『T3』だ。わたしもあきらめがついたよ……。全編通して、最初から最後まで私語の嵐でもな。
「ねえアレ、なにしてんの?」
「**するつもりなんだよー」
「さっき**してたのは、**するからなんだよね」
「ねー、シュワちゃんいつ出るのー?」
「あの人誰? さっきの人と同じ人?」
 なんでスクリーンでの出来事を、全部口に出して説明しながら見るのかな、ふつーの人たちって。
 お茶の間でバラエティ見てるのと同じ感覚なんだよねえ。
 喋り続ける子どもたち、それと一緒になって喋る大人たち。
 そっかー、注意はしないんだね、世の親たちよ。映画館でお喋りしない、ということを、実地でしつけるチャンスだろうに。
 わたし? 注意なんかしませんよ。注意しておとなしくなるわけないし、「このおばさんがうるさいから、静かにしなきゃだめみたいよ? イヤなおばさんが横にいて不運だったね」とか、わたしが悪者になる可能性が高いからな(経験談)。

 夏休みを実感するのは、「パパと子どもたち」という図式であること。
 子連れの母親はめずらしくないが、こうも見渡す限り子連れの父親ってのは、新鮮な光景。
 うれしそーに小学生の娘とデートしている父親とかな。微笑ましいよ。
 しかし、なんで大人ひとりに対し、子どもは複数が多いんだろ。少子化問題は、結婚しない人や子どもを作らない人が多いせいだけかな。
 映画館や劇場にやってくる親子連れは、大人ひとりに子どもが3人以上、とか、当たり前だもんなー。大人の数が少ないから、子どもたちは野放しだしな。

 さて、そんな子どもたちにも大人気の『T3』。 監督ジョナサン・モストウ、出演アーノルド・シュワルツェネッガー、クリスタナ・ローケン、ニック・スタール。

 「審判の日」は無事スルーしたはずなのに、なんてこったい、またしても未来からジョン・コナー殺害のために超絶無敵な美女ターミネーターがやってきた。そして、前回と同じにジョン・コナーを守るため、シュワちゃんターミネーターもやってきた。
 さて、人類の未来と、コナーさん一家の運命は?

 おもしろかった。
 いやー、派手なアクションですなあ。そこまで派手になるのは展開としてどうよ、と首を傾げても、ま、相手は機械だからなにも考えてないんだ、それくらいやるか、とか思って納得したり。
 もしも殺戮者が人間だったら、この展開はありえない。人間なら、あれほど無意味に大袈裟に戦わないから。関係ない人たちを巻き込むマイナスもわかっているはずだし。
 ロボットだから、仕方ない。
 なにも考えてないんだから、仕方ない。
 アクションが売りだから大袈裟なんじゃなく、敵がロボットだというリアリティの表れなんだよね?

 とまあ、いつものように大味なんだけど、ストーリーは大味ながらもいろいろがんばっている。
 ツボはあちこちにあるぞ?
 やはり、「同じ顔をしたロボット」ってのは、萌えよね。
 昔愛した男と、同じ姿の男が現れた。なにひとつ変わらず同じ、しかし、彼はあのときの彼ではない。同じ型番のロボットだってだけ。
 しかも、未来でジョン・コナーを殺してるっていうし。あの、その未来の話を見たいです、わたし。それって萌えなんですけど。

 シュワちゃんはさすがにもう、見ていてつらい。
 別の人がやってくれていいんだけどなあ。もうこの型番は廃棄されたってことで、別のロボットが出てOKだよ。ロボットなのにトシ取ってるのが、すごく変だよー。
 あと、ロボットのくせにこの型、アレまでついてんですか。男性ストリップに群がる淑女のみなさんが、シュワちゃんターミネーターのオールヌードを堪能なさっていたようですが。
 セクサロイドならわかるけど、この型は完全戦闘用でしょ? ロボットと人間が戦っている未来に、人間とセックスするための機能を備えたロボットが作られているのか? 謀略のために? でも大量生産型じゃ、謀略にならんだろ? 謎だ。

 ジョン・コナー役には、とてもとても静かな悲しみが広がりました。
 だって、14歳のジョン・コナーは、マジ美少年だったじゃないですか。
 あの美しい少年が、こんなしょぼくれたおっさんに……。時の流れって、むごい。
 もう少し、少年時代の面影のある俳優にしてくれてもよかったのにさ……。
 ニック・スタールが悪いのではなく、わたしの中のジョン・コナーとの差異に悲しみが広がったのですよ。
 ところでジョン・コナーの吹替。素人くさい声だな、と思って聞いてました。わたしは声優にうといから、わたしの知らない若手さんなのかなと思ってたんだけど。
 物語が進むと、「素人くさい」から「へたくそ」に評価が変わりました。いやあ、ひょっとして声優未経験者とかがやってる?
 最後のスタッフ・ロール見て肩を落とした。
 辺土名一茶、って……ひょっとしてISSAかいっ?!
 エンディングで拍子抜けなISSAの歌が流れたあたり、かなりヘタレ感漂っていたんだけど……そーゆーことなのか。
 わたし、映画の情報は映画館で見る予告編だけの人間なんで、話題作りのためにアイドルとかが一枚かんだりするの、知らないのよ。
 ISSAはべつに、きらいじゃない。声も歌も顔も。
 でもな、声優はやめとけ。やるならもっとうまくなってからにしろ。ついでに、この歌は『T3』に合ってないよ……腰砕けた……。
 こうしてわたしのISSA株が少し下がった(笑)。

 ジョン・コナーの運命の恋人、ケイト@クレア・デーンズは、いいキャラですな。彼女の気の強さが、見ていて気持ちいい。
 罵倒慣れしていない日本人なんで、吹替で彼女が汚い言葉を吐くたびに「ああ、文化の差だわ」と痛感してました。字幕で見る分には気にならないけど、吹替で、日本語で言われるとびっくりする。日本語は悪口の語彙の少ない言語ですから。
 でもま、キャラが立っててイイ感じ。ジョンが彼女に一目惚れする(友人から恋へ変わる瞬間の)出来事ってのは、やはりアレなんでしょうな。雄々しく戦う彼女を見たとき。
「ママみたいだ」
 の一言に、くらくらしました。そうかジョン・コナー……あんたはやっぱり、こーゆー女が好きなんだな。シュワちゃんターミネーターもそうだけど、強い相手に守られるとときめくんだな……。
 クレア・デーンズのスタイルは好き。服装も似合っている。……が。この人、胴長くない……? それだけが気になった。

 女ターミネーター@クリスタナ・ローケンは、ほんとうに美しい。彼女が痛がったり傷ついたりしない、完璧に美しいままでいてくれるので、この映画は成功している。
 彼女に少しでも弱いところや欠けた部分があれば、見ていられなかったからね。大男と戦う女性の話なんて。
 シュワちゃんは血のよーなものを流して傷つき、観客の同情を誘い、敵の女ターミネーターは一切傷つかない。ダメージを受けたときは液体金属になるという徹底ぶり。これなら感情移入せずにすむ。
 勧善懲悪。悪に感情移入を許さないアメリカ映画だからこその、たのしさ。(日本映画じゃ、こうはいかない)

 とてもたのしかったっすよ、『T3』。
 主演がシュワちゃんでなく、もっと旬な美しい筋肉ぴちぴち俳優がやっていたら、もっとたのしめただろうなあ、なんて思っているフトドキ者ですが。


 これは好みの問題でしょうか。
 ……やっぱりわたし、アメコミって、ダメだ……。

 『ハルク』を見ました。
 監督アン・リー、出演エリック・バナ、ジェニファー・コネリー。

 40年も前に発表されたアメコミで、そのあまりのスケールの大きさに映像化不可能とされていたのが、21世紀になってようやく映画化。まさに、時代がようやく『ハルク』に追いついたということです!

 てな、司会のおねーさんの演説を聞きながら、首を傾げていたんだが。
 見終わった後に、そのときの疑問が確信になったよ。

 時代は追いついてないよ。つーか、置き去りにされてるって。

 センスが古すぎて、見ていてつらかったっす……。

 素直に40年前に映画化していればよかったのに。
 現代でやると、脱力系の笑いしか出てこないよ。

 ストーリーは、悲劇のヒーロー系。
 自分の意志とは関係なく、超人になってしまった男の慟哭。
 よくあるヤツね。
 40年前なら新しかったかもしれんが、今だと食傷ぎみ。
 しかも、その変身した姿がすごい。緑色のゴムでできた、つるつるマッチョゴリラ。
 まちがってもかっこよくないし、いっそ醜ければまだマシなんだが、それすらなく、ただただ、かっこわるい。

 そのマッチョゴリラを、天下のアメリカ様が最新兵器で攻撃するの。マッチョゴリラ、大暴れ。どっかーん、ばっこーん。
 大統領の許可を受け、最終兵器投下! てなな。

 そんななか、わたしが気になって仕方がないのは、超人ハルクなんぞより、最終兵器で攻撃されてもまったく無傷の、

 ぱんつ

 のことです。
 ハルクはそりゃ超人なんでしょ、モンスターなんでしょ、それはいいよ、わかったよ。
 でもさ、彼が穿いてるあのパンツ、あれはふつーの服だったはずよね? ハルクが人間ブルースだったときから穿いていたわけだから。
 ミサイルでも破れない布の存在に、わたしは目眩がしました。
 アメリカ大統領、あなたはまちがってます。ハルクなんかに税金を使わないで、彼が穿いているあのパンツこそに、国家の威信を懸けて着目すべきです!!

 ……とゆー、脱力加減。
 ねえ、いくらマンガでもさー、こーゆー子どものツッコミはかわして欲しいよー。
 なまじ、他の部分が真面目に作られているだけに、しょぼしょぼだわ。

 古すぎるセンスと、現代の技術とがうまく噛み合わずに痙攣している感じ。
 WHITEちゃんとふたり、苦い笑いと疲労を載せて、会場を後にしました。

 いやたぶん、好みの問題だよね……?
 ツボが合う人には、名作、なのかもしれん。

 でもさ……。
 あの予告編のあざとい作り方からは、日本のプロモーターも、わかっててやってるんじゃないかなあ……?

 
 『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(……長い……)見ました。
 とりあえず、他から感想を聞く前に見ておきたかったんで。

 なにしろわたしは『踊る…』を愛しすぎているので、ふつーに見、感じることはできません。
 親が自分の子どもの発表会を冷静に見られないよーなものでしょうか。わたしはべつに、『踊る…』の親じゃないけれど。
 第三者の目を持つことができないんですね。
 ここをイイ!と思っても「それはわたしがファンだからじゃないのか」と思うし、ここがイヤ!と思っても「それはわたしがファンだからじゃないのか」と、とにかくエンドレス。

 端的に言うならば、たのしかったです。
 おもしろい映画でした。

 いろんな角度から語れる映画だし、わたし自身多面的な見方をたのしむ方なので、なにを語ればいいやら。えーと。

 「シリーズ」というものの存在意義について。

 今回『踊る2』を見ながら、再確認していた。
 シリーズってのは「同じことを繰り返す」ことなんだなあ、と。
 『水戸黄門』と同じ。『必殺仕事人』と同じ(今たのしく再放送を見ている・笑)。
 『踊る2』もまた、とどのつまりは「同じことを繰り返し」ていただけだ。
 テレビシリーズでやったことを、何本かのSPでやったことを、映画の1本目でやったことを、またしても、もう一度繰り返しただけ。
 『踊る』はテレビシリーズで正しく完結していた。だから、それよりあとに作られたモノはすべて「同じことの繰り返し」でしかない。

 物語は、動いていてなんぼだと、わたしは思う。
 恋愛モノでいうならば、ふたりの男女が出会い、両思いになるまでが花。
 一度ハッピーエンドになってしまったカップルの物語を、人気があったからって続きを作ると確実につまらなくなる。
 そこに「動き」がなくなるからだ。
 ラブラブのふたりにすれちがいが生じ、このままでは別れてしまう?てなことになる。が、結局は誤解が解け、元通りのラブラブに。
 その繰り返し。毎回ちがう当て馬が出てくるだけ。
 『必殺』シリーズのように、物語の定型を理解した上で、その多彩さを楽しむ、という種類のモノでない以上、毎回当て馬が変わるだけのラブラブものは失速するだけだろう。

 『踊る』は「パターンもの」ではなく「ストーリーもの」だった。ストーリーが「動く」ことが前提で作られたのだから、そのストーリーに動きがなくなれば、そりゃあ魅力は落ちていくだろう。
 「同じことを繰り返す」だけ。「全部同じ」。
 シリーズ化してしまった『踊る』は、必然的にそうなってしまった。

 『踊る2』を見ながら、痛感した。
 ああ、結局「同じことを繰り返す」だけなんだ。「みんな同じ」なんだ。テレビシリーズを見た者は、わざわざ映画なんか見る必要ないんだ。だって同じことをやっているだけだもの。
 同じことをやっているのに、さも「ちがうことをしているふり」をしているような、奇妙な恥ずかしさ。
 おじいちゃんそれ、昨日も同じこと言ってたよ。……ああでも、おじーちゃんボケてるから仕方ないか。今日もまた、はじめて聞くふりで聞いてあげよう。
 真実を知っていて、知らないふりをする落ち着きの悪さ。
 ……そんなものを、感じてしまった。

 だからといって。

 わたしは、シリーズ化や今回の映画を否定しているわけじゃない。

 終わったモノ、ENDマークのついたものをまた続ける、という行為の是非は、制作者はハナから承知の上でしょう。
 清も濁も超えたところで、それでもなお、「おもしろいものを作る」意欲と行為に拍手する。

 ワンパターン上等。
 全部同じ上等。
 同じことを繰り返しながらも、それでも客をよろこばせる技術こそを、褒め称えたい。

 ひとりではとても作れないものだと思った。
 これだけの要因を満たす作品というのは。
 パターンである以上、はずすことができない要因がものすごーくあるんだよね。
 多すぎるキャラに全部見せ場を与えることだとか、テーマを使い回すことだとか、とにかく細部に至るまでクリアしなきゃいけないポイントが山積み。
 それらを正しく消化しながらも、以前よりさらに大きな事件を起こし、現代という流動性のある世界を舞台に最低限のリアリティを崩さずに全力疾走しなければならない。
 これは、ひとりでは無理でしょう。チームで、人間たちひとりひとりの力で、そしてそれを結集して、超えていくべきものだ。

 「シリーズ」であることの、是と非。
 作品のクオリティだけを追求するならば、続編なんてものはいらない。あってはならない。
 だけど、至高の芸術だけて世の中成り立っちゃいないのだから、俗にまみれても、続編は存在していいのだ。

 テレビシリーズ以降の作品はすべて、蛇足にすぎないと思っているけれど、それでもわたしは、それらをとても愛している。
 たのしんでいる。
 大好きだ。

 たのしかったぞ、『踊る2』。
 ワンパターンで、いつもとまったく同じ話、同じ展開、同じテーマで、やっぱり泣いたぞ。
 同じ話を繰り返す以上、とんどん「ずるく」なるし、「反則」もするし、そういう部分を嫌悪する気持ちもたしかにあるが。
 それでも、ゆるしたいと思う自分がいる。

 『踊る』を許せないと思うのも、そしてそれでも愛しいと思うのも、全部全部、愛のせい。
 まったくもって、第三者的な視点を確立できません。こまったこまった。

             ☆

 ところで、雪組の発売日だったねえ。
 並びの人数の少ないこと。はずれ券ナシ、つまり並ばなかった人も夕方からはふつうに買えますよ状態。
 なのに、わたしたちの人数の多いこと。
 ねえなんで、たかが雪組(失礼)の並びに8人も集まるわけ?
 いや、友だちにいっぱい会えて、喋れて、たのしかったんだけどさ(笑)。

 
 うわっ、日記が一週間遅れている。
 毎日書くのが基本なんだけど、追いつけるかなー。
 体調不良でパソの前に坐るのがうざかったんだよ……。

             ☆

 えーと、12日は、映画『白い馬』を見ました。
 椎名誠監督の、ちょいと昔に作られた映画。翌日に荻田浩一演出のバレエを見る下準備として。

 現代のモンゴルを生きる、とある遊牧民家族の一夏の物語。
 少年ナランが他の兄弟たちとともに、寄宿舎をあとにして古ぼけたバスで帰ってくるところから、物語はスタート。
 なんせ遊牧民なので、地に着いた「家」はない。彼らは一族で組立移動簡単なテント型の家で過ごし、羊や馬の群れを飼い、草原を移動する。素朴な素朴な世界。
 その生活の中で、少年ナランは一夏分成長する。ずっとあこがれていたナーダムのレースに、愛する白い馬と出場することができた。
 ナランたちがまた寄宿舎のバスへ乗るところで、この物語は幕を閉じる。

 なんつーか……この映画が「日本産」だということに違和感を持ちますな。
 日本人ってほんと、金と感性が余ってるんだなあ。
 他の国のひとたちなら、よその国の「ただ日常であること」を、こんなに愛を持って描かないでしょう、莫大な資金をかけて。
 わたしはモンゴルの生活を知らないし、知りようがないので(暮らす気はない)、この映画がどこまで真実に近いのかはわからない。だがおそらく、かーなーりー、リアルに描いてあるのだと思う。
 これをわざわざ日本人が作るのか……当のモンゴル人じゃなくて。
 当のモンゴル人は、日本人の酔狂さをどう思うのかなあ。
 彼らは、日本人のそーゆー湿った感性をぽーんと突き放しているんじゃないかと思う。

 いい映画でした。
 見て良かったよ。
 だが、いい映画であっても、おもしろい映画ではなかった。
 この映画を自らの意志で見たいと思う人たちが極少なのも、いざ見に来ても爆睡する人たちが多いのも、仕方ないことだと思う。
 エンタメじゃないから。
 客をたのしませようとして作っていないから。

 全編に漂う、教科書に載っていそうな純文学の香り。
 モンゴルが舞台で、モンゴル人の生活を淡々と描きながらも、そこにあるのは日本人の湿った感性なんだよねえ。
 懐古主義というか。
 昔は良かった……というよーな。
 現代の日本人が失ってしまったモノが、そこにはある。って感じですか。
 『となりのトトロ』とかでさ、昭和30年代の田舎の生活が事細かに書き込まれ、再現されていたでしょ。あれと同じ臭い。いや、『トトロ』はべつに純文でも教科書的でもないけど。
 『白い馬』は、作者の思い入れの強さが世界観に出ている、自己完結した物語だと思った。

 それでもわたしは、たのしかった。
 現代の日本人が失ってしまったモノを、そこに見ることができて、せつなかったよ。
 たとえば、家庭というもっとも小さな社会で、己れの役割を当たり前に果たしている子ども。みんな幼いなりに自分の役目を持ち、働いている。親に養ってもらうのが当然だとは思っていない。子どもだから遊んでいていいとは思っていない。
 たとえば、父親を尊敬している息子。働く父の背中を見て、「父さんのようになりたい」と素直に思う少年。
 たとえば、家族のつながり。複数の世代が共に寝起きし、親族が支え合って生きる。
 たとえば、自給自足の生活。必要なモノは自分たちでまかなう。生きるというシンプルな事象に必要なモノ以外は欲しがらず、足ることを知る。
 たとえば、自分たちが自分たちであるという誇り。何百年、あるいは何千年かもしれない大昔の祖先がしていたのと同じ生活を守り続ける。便利だからといって、西洋文明におもねったりしないし、自分たちの文化を放棄しない。
 ……日本も、少し前はそーゆーもんだったんじゃないのかな? だからこんなに、ウエットな目線でこの映画は作られているんじゃないのか?
 わたしは所詮日本人だから、草原の乾いた空気は実感できず、日本人としての郷愁をこめて見ておりました。や、どっから見ても日本映画だったよ。いい意味でも悪い意味でも。

 癒し系だから、癒されたい人にはいいかもな。
 しあわせな家族が愛し合い、手を取り合い、しあわせによりそって生きている。……そんな、ごくごくふつーの、なにも起こらない日常にほっこりしんみり涙するよーな。
 ジブリ的だなー。

 しかし……。
 なんで、よりによってコレをバレエ化するんだろう?
 企画はどちらが先だったのだろう?
 つくづく謎だ。

 
 そういや書いてなかったな、と、土曜日に見た映画の話。

 『めぐりあう時間たち』2回目を見ました。

 ストーリーがわかっている分、せつなさ倍増って感じですか。
 全編だーだー、泣きながら見ました。

 痛くてこわくてせつなくて、息苦しくなる映画。
 呼吸することや、まばたきすることを忘れていて、ときおり「はーっ、はーっ」と胸を押さえて深呼吸してしまうような。

 理屈を並べる映画ではないし、解説する映画でもないでしょう。
 感性だけでOK、てか。

 ただわたしは、死ぬときは愛を語ろうと思いました。
 どんなかたちで、いつ死ぬかわからないけど、それが自分の意志で得る死なのか、不可抗力で訪れる死なのかわからないけど、それでも、わたしは死ぬとき、愛を語ろう。
 誰への愛か、どんな愛か、わからないけれど。
 そのときに、わたしのなかにある愛を語ろう。

          ☆

 それにしてもこの日記のカウンターって、よく壊れるねえ。

 
 壊れたパソコンを放り出して、映画館へ。

 
 『メラニーは行く!』鑑賞。

 見るつもりはまったくなかったタイトルだが、消去法にて選択。
 だってさ、10個もあるスクリーンのうち6個が『マトリロ』と『チャリエン』なのよ? なんて迷惑な話題作たち。
 『マトリロ』はまだ見る気ないし、『チャリエン』はお金を出してまで見たくない。
 『スパイ・ゾルゲ』が見たいんだけど、3時間もある映画は時間が合わなくて見られないんだよなー。『戦場のピアニスト』も『指輪物語』も上映時間のせいで見るのが困難だったよ。
 他のタイトルを見回して、いちばんマシなのが『メラニー』だった。
 『ビッグファット・ウエディング』が、わたし的にとほほだったから、も一丁ラヴコメでも見て口直しするか、という気にもなっていたし。
 よけいにとほほ気分になる可能性もあるがな。

 監督アンディ・テナント、出演リース・ウィザースプーン、ジョシュ・ルーカス、パトリック・デンプシー。

 メラニー@リース・ウィザースプーンは今や人生の春。デザイナーとして成功し、大富豪のニューヨーク市長の息子アンドリュー@パトリック・デンプシーと婚約! いや、なんといってもすげーのは「ティファニー」での求婚シーンでしょう。ティファニーを借り切って求婚って……う、うらやましすぎ。現実離れしたシンデレラ・ストーリーもここまでやってくれると爽快(笑)。
 しかしメラニーには秘密があった。
 実は彼女、夫がいるのだ。
 大富豪アンドリューに告げていたプロフィールは全部嘘。
 過去を清算するために、メラニーはあわてて故郷のアラバマに戻る。そこで相も変わらずイケてない夫ジェイク@ジョシュ・ルーカスに離婚届を突きつけるが、拒否されてしまう。
 それからメラニーの「離婚届にサインさせるぜ大作戦」開始。強引に突っ走る。
 田舎町でどたばたやっているうちに、大富豪アンドリューの母(ニューヨーク市長でしたたかな政治家だ!)が放ったスパイが身上調査に現れるし、アンドリュー自身ものこのこと「メラニーのご両親にご挨拶をば」とやってくるし……。
 メラニーは嘘を突き通すことができるのか。つーか、彼女がほんとうに愛しているのは大富豪か、びんぼーな元夫か。そもそも、彼女のほんとうのしあわせはどこにあるのか。
 大騒ぎなラブコメ。
 

 いちばんに思うことは、この邦題、どうよ?ってことかな。
 原題は『SWEETHOME ALABAMA』っていうそうじゃないの。なにも知らずに映画館にいて、タイトルが出たときに「えっ、スクリーンまちがえた?!」ってアセっちゃったよ。
 『メラニーは行く!』と『SWEETHOME ALABAMA』じゃあ、あまりにかけ離れたタイトルじゃん。つーか、テーマがまったくちがってるよ。
 もちろん、『メラニーは行く!』の方が売れるタイトルだとは思うけどさ。主演女優のリース・ウィザースプーンに対する世間のイメージ的にもさ。
 でもなんか、せちがらさにせつなくなるんだよなあ。
 たとえば『追憶の横顔』とかなんとか、叙情的で、作品の内容に合ったタイトルを提出したのに、
「こんな地味なタイトルじゃ売れません。もっとベタに行きましょう。『温泉美女3人旅、全裸殺人事件!! 〜女の過去になにがあったのか? 不幸な偶然が事件を呼ぶ!!〜』とかがいいですね!」
 ってことになっちゃったよーな、そーゆー臭いがぷんぷんしてねぇ。ああ、せつないなあ。
 『SWEETHOME ALABAMA』っつータイトルだと思って見てたら、感じ方が変わってるはずなんだがなー。
 『メラニーは行く!』っていうと、自己チューなバカ女が大騒ぎするバカコメディだと思うじゃん。いや、たしかにその通りなんだけどな、でもな。
 タイトルのせいで、バカコメディを見たい人しか見ないよ……わたしはそれで、敬遠してたもん。

 たしかに、ヒロインのメラニーはバカ女だ。やってることは犯罪すれすれ。彼女のめちゃくちゃぶりを描くのが、この作品のテーマのひとつだろう。
 しかし。
 自分のしあわせのために他人を踏みつけても平気、で、暴走するメラニーを見ながら、そこにある「青春の輝き」に、わたしは気がついた。んで、気がついちゃったから、それに気をとられた。

 メラニーはアラバマの田舎町で育った。小さな町だから、プライバシーはあまりない、みんな知り合い状態。
 そこで彼女は、若干10歳で求婚される。はじめてのキスをする。
 相手はジェイク。10歳からつきあって、高校生で結婚。
 つまりメラニーにとって「青春」とは、夫ジェイクが切っても切れないモノなのよね。
 ジェイクと、仲間たちと。
 田舎町と夫を嫌ってニューヨークへ行き、そこで成功したメラニー。離婚するために7年ぶりで帰郷した彼女も夫をはじめとする町の仲間たちも、みんなもう「あのころ」のままじゃない。
 いろんな意味で「大人」になってしまったメラニーの目に、「現在」が映り、それゆえに「失ってしまったあのころ」がちらちらと見え隠れする。
 変わってしまったメラニー、変わったけれど本質は変わらず、だからこそメラニーを苛つかせるアラバマの人たち。
 メラニーの青春と、それがもう「過去」になってしまった今現在が、とくに台詞やエピソードとして語られるわけじゃないけど、画面の端々から見えるのよ。
 愛する故郷、アラバマ。
 失ってしまったからこそ、その鈍い輝きが愛しい、わが青春。
 ……そーゆー感じに見えたの。わたしには。
 だからこそ、『メラニーは行く!』というアホアホなタイトルがせつないのよ。

 わたしがこの映画を「売る」立場なら、こんな邦題はつけないし、アホアホぶりを際だたせたあんな予告編は作らないなあ。
 テーマは「青春の輝き」ってことで、せつない本質があるのよ、でも表面にある物語は爆笑コメディなの。……という切り口で宣伝を考える。
 メラニーと仲間たちのふれあいを中心に予告編を作るな。大人になった仲間たちを描くことで、彼らの青春時代が垣間見えるのだ、と。
 宣伝次第で、イメージなんかある程度自由に作れるじゃん。せつないのよ、ってイメージを植え付けておけば、ちゃんとくみ取ってくれる人も増えると思うけどなあ。

 邦題と宣伝で、バカ女の暴走コメディというレッテルが貼られてるもんなあ。原題を見て「スクリーンまちがえた?!」と思うくらいに。

 繰り返すが、たしかに「バカ女の暴走コメディ」なのよ。あからさまなせつない系ではない。
 女の妄想系、でもある。
 王子様と貧乏な初恋の人、どっちを選ぶ? という、5万回見た話。
 どちらを選ぶかも、ええ、みなさんのご想像通り。
 どちらを選ぶのかが想像通りなだけに、よけいに原題通りの売り方をしてほしかった。
 タイトルが『SWEETHOME ALABAMA』なら、想像するまでもなく、ヒロインがどちらを選ぶか、タイトルだけでわかっているでしょ?
 どの男に行き着くのかを最初に提示した上で、彼女の心の彷徨をたのしむ、っていう見方が確立するじゃない。愛しているのは終始一貫彼ひとり、だけど「イケてない田舎町」「カントリーガールだった自分」を否定したくて、あがいて回り道して、大暴走の大迷惑をかけるヒロインの行動に、親近感を持てるじゃん。
 ヒロインのめちゃくちゃぶりだけをクローズアップする売り方だと、ヒロインに感情移入する前に反感持つよ? メラニー、恵まれすぎ。わがまますぎ。って。
 せっかくあんなに、アラバマの仲間たちのことを描いてるのに。この邦題じゃ、仲間たちのことは無視してるよなあ。

 特別出来のいい映画じゃなかった。
 だけど、いろいろ引っかかるのだ。
 ここをこうしたら、もっと好みになるのにー。じたばた。
 って感じ。
 メラニーの青春時代を回想シーンとかでベタに描かず、現在の会話だけで表現した、その技術力を評価したってことかな。
 繰り返される意味のない会話のキャッチボールで、メラニーがとんでもねー悪ガキだったことがわかるのね(笑)。
 その悪ガキが、そのまんまのどん欲さで暴走してるんだなって。
 ガキのくせに半端に大人になって、ガキの自分を否定したくてあがいているのが、見ていてツボだったのよ。

 
 それにしても、彼女を愛するふたりの男、王子様と貧乏な初恋の男、どっちもいい男過ぎ(笑)。
 もちろん初恋の男(元夫)に感情移入しまくったけどさ。いやあ、泣かせるよ、彼は! 報われない愛に生きるあたり、受資質抜群だねえ。


 ミナミで買い物したり、キタで買い物したり、多忙な1日。いろんなとこでバーゲンがスタートしてるねえ。

 さて、今日は『マイ・ビッグファット・ウエディング』を見てきました。
 『ロッキー』以来のアメリカン・ドリームだと、試写会場の司会のおねーさんが言ってました。無名の役者が実体験を元に脚本を書き、自分で演じ、それが『ハリポタ』に迫る興行成績を残したとか。いいねえ、そーゆードリームは大好きだ。

 監督ジョエル・ズウィック、脚本主演ニア・ヴァルダロス。

 デブでブスで行き遅れのギリシャ系アメリカ人トゥーラ@ニア・ヴァルダロスは、素敵な男性イアン@ジョン・コーベットに出会ったことから、人生を変えるべく努力をはじめる。ひきこもり人生とおさらばして大学へ通い、眼鏡をコンタクトに替え、メイクもファッションも前向きに挑戦、イケてるキャリアウーマンに大変身!
 あこがれのイアンを振り向かせ、彼からプロポーズ。幸福絶頂!
 しかし問題は、彼女の家族。トゥーラの父は完全無欠のギリシャ人至上主義で、ギリシャ人以外との結婚は認めないと息巻いているヒトなのだ……。

 二言目には、「30才」「行き遅れ」「バア様くさい」が飛び交い、なかなかキツい映画です(笑)。
 30才はべつに行き遅れではないし、スクリーンのトゥーラはどう見ても30才には見えない。
 数年前、泉ピン子がそれくらいの役をテレビドラマで演じていたが、アレもキツかったなあ、どうみても40過ぎなのに一回りも年下の役はなあ……てな記憶を蘇らせてくれたよ。
 主演女優のニア・ヴァルダロスはすでに40過ぎてるんだってね。うん、どう見ても40過ぎのおばさんなんで、「30才」を連呼されるとキツかった。デブスのときも、美女に変身したあとも、やっぱり40過ぎは40過ぎだよ。30には見えねー。
 素直に「40才」って設定にすればいいのに。なんで30じゃなきゃダメだったの?

 わたしはラブストーリーが大好きだし、ハッピーエンドが約束されているかわいい物語も大好きだ。
 だから、予告編を見た段階ですべて想像が付く話でも、この映画はたのしみにしていたんだ。

 実際、愉快でかわいい映画で、場内は笑いに包まれていた。ただの笑いだけじゃなく、ツッコミも入るのね。観客がスクリーンに向かって思わずひとことつぶやいちゃうよーな、そんな楽しい映画。
 とくに頑固なパパは人気者。いちばんウケてた。
 わたしも終始たのしんで見た。

 が。
 かなり期待はずれだったのだわ。

 なーんだ、こんなもんか。
 って感じ。

 なんでコレ、そんな大ヒットしたの? そんなに名作か??
 そりゃ、たのしいよ。たのしいけどさ……それだけじゃん。がっかり。

 なんとも平坦なプロット。小ネタだけで笑いを取り、場をつないでいく感じ。
 クライマックスと呼べるよーな山場はない。同じテンションで全部が流れていく。

 しかも、ストーリーはおとぎ話系。
 美人になったヒロインにベタ惚れのハンサムが、なにもかも彼女に捧げてしまう話。ほんとに、なにもかも。人生すべて、ヒロインに捧げるの。アメリカ人のはずが、宗教まで変えてギリシャ人になるのよ。
 え、えーと?
 彼女の側に問題が起こり、彼がにっこり笑って自分を犠牲にし、解決する。
 彼女の側に問題が起こり、彼がにっこり笑って自分を犠牲にし、解決する。
 彼女の側に問題が起こり、彼がにっこり笑って自分を犠牲にし、解決する。
 ……この繰り返し。
 なんなんだ、これ。
 彼女はなにひとつ失わず、彼だけがなにもかも犠牲にして、それでハッピーエンド。女の側だけ100%都合のいい結婚。だって愛があるから。……てか。
 おとぎ話にしたってわたし、こんな物語、たのしめないよ。

 バカ売れするラブストーリーの典型のひとつとして、「ヒロインに都合がいい話」ってのがあるんだよね。
 ラブストーリーの客は、女性が圧倒的に多い。その女性が気持ちよくなる物語は、売れる。
 つまり、ヒロイン万歳、世界がヒロイン中心に回る物語。ヒロインの恋人は善、ヒロインの敵は悪、ヒロインはどんなに理不尽なことをしてもけなげってことで善。常識も倫理も関係ない。
 客はヒロインに感情移入して、自分が「神」の世界で快感に浸る。

 この『マイ・ビッグファット・ウエディング』が売れたのも、コレが理由ではないだろうか。

 とにかく、1から10まで、ヒロインが気持ちいいだけの物語。ヒロインに感情移入したら、そりゃ天国だよ。世界が自分のために回っている感覚を味わえる。
 それを、「家族愛」とか「ユーモア」とかの外聞のいいラッピングで飾り立ててあるの。
 う・わー。

 あと、見ていてやたらと思ったのは、『ベッカムに恋して』に似てるなあ、ってこと。
 どちらも「異文化婚」がテーマなんだよね。
 『ベッカム…』はインド。『ビッグファット・ウエディング』はギリシャ。
 どっちも民族主義で大家族主義。血筋に誇りを持ち、習慣と宗教を大切にしており、考え方が古風。「女はこうあるべき」が固く守られており、ヒロインはそれを破り、自分の意志で『ベッカム…』はサッカーを、『ビッグファット・ウエディング』は結婚相手を選ぶ。
 しかも、クライマックスはどちらも民族色全開の結婚式。
 異文化婚を現代に描こうとしたら、似てしまうのは仕方ないと思うよ。思うけど……似すぎだー。
 そして、『ベッカム…』の出来がよかったぶん、『ビッグファット・ウエディング』のつまらなさが目立ってしまった。わたし的に。
 『ビッグ…』は盛り上がりがないんだもん。とにかくずーっとヒロインが気持ちいいだけだから、危機にも陥らないし、障害もない。ハラハラもドキドキもなく、ただ愉快な人たちを見て「あはは」と笑う。ずーっと同じことの繰り返しでハッピーエンド。

 ああ……『ベッカム…』がもう一度見たいなあ。かわいくてよくできた映画だったよ。ちゃんと起承転結があって、クライマックスがあって、家族や親戚たちがかわいくてさあ。

 『マイ・ビッグファット・ウエディング』が売れる現代社会を、ちょっと嘆きたい気分っす(笑)。
 わたしはほら、「痛い」話が好きだからさ。「気持ちいいだけ」の物語(ボーイズではこーゆーのを「アホアホ系」とか言うよね)だけが支持される世の中は、ちょっと生きにくいです。

 
 あまりにこわくて最後まで見ることができない人が続出。……という新聞記事を読んだ。
 ので、WHITEちゃんとふたり、いそいそと出かけたレイトショー。

 なんでも、本物の幽霊も映り込んでいるんだって? セル&レンタルメディアなどに編集するときには、それら「あってはならない影」は全部修正するんだって? だから、生の霊が見たい人は映画館へGO! てな口コミ情報。
 ……残念ながらわたしには、映画館で見てもどれが本物なのか、ちっともわからなかったんですけど。

 香港・タイ合作映画『the EYE【アイ】』。
 監督オキサイド&ダニー・パン兄弟、出演アンジェリカ・リー、ローレンス・チョウ。

 角膜移植をした少女マン@アンジェリカ・リーは、それ以来「ふつうなら見えないもの」が見えるようになった。霊・霊・霊! そこにもここにも霊!
 マンはカウンセラーのワ・ロー@ローレンス・チョウと共に角膜提供者の情報を求めてタイへ旅立つ。

 ……こわかったっす。
 わたしは笑いのツボが他人より少ないらしいんだが、ホラーのツボもあまり持ち合わせていないようで、なにを見てもそれほどこわがらないのね。
 でも、こわかったわ、コレ。
 途中退場するほどでもないし、『リング』ほどでもないが、そーだな、『リング』の次ぐらいにこわかったかな。1位と2位の間はかなり空いてるけど。
 ホラーはやはり、映画館で見なきゃだめよねー、という、音の怖さが満載。追いつめてくれるよー。いちばんこわかったのは、エレベータのシーンかなあ。いやあ、やっぱ老人ってこわいよー。

 『呪怨』が疲労系だったせいもあり、ホラーにおけるストーリーの重要さをひしひしと感じているところだからさ。
 『the EYE【アイ】』がよかったのは、ストーリーなんだとわたしは思う。
 ヒロインにどれだけ感情移入できるか、で、こわさってぜんぜんちがうもの。
 わたし、ホラーであることをのぞいても、この映画、好き。
 ヒロインにバリ感情移入して見てたよ。
 マンと、もうひとりのヒロインともいえるリン、ふたりの少女に入り込んで見ていた。

 幽霊が見える。死ぬ運命の人を迎えに来る「影」が見える。
 ……なんて言ったら、引かれるよね。電波扱い必至。
 だから、自分を守りたかったら、そんなことは口に出さず、自分だけ危険から逃げればいいじゃん。せっかく死の危険を予知できるんだからさ。
 だけど、マンもリンも、走り出す。自分だけ逃げるんじゃなくて、走り出す。前へ。ここは危険なの、ここにいたら死んじゃうの。お願い、逃げて。
 そんなこと言っても、誰も信じてくれないよ。キチガイ扱いされるだけ。それでも、走り出さずにはいられない。
 死なせたくないんだもの!
 無力でも、バカでも、石を投げられても、叫び続ける。
 わたしを理解しない人たち、だけど死なないで!

 クライマックスは、あざといくらいだ。いやだ死なないで!って、わたしも思ったよ。マンと同じに。
 マンのかなしみが痛切で、それゆえにリンのかなしみも胸に迫り、それらが一気に爆発する。
 かなしくておそろしくて、そしてどこか美しいとさえ言える、クライマックスの最後のシーン。

 ……だから、見終わったあとに多少「いいのか?」って割り切れないものは残るんだが。つーか、そのオチは予想がついてたよ、っていうか。もうひとつくらい、どんでん返しが欲しかったな、とか。
 ちょっと消化不良なところが、よけいにツボかもしれない。ものすごーく、刺激されるんだもの。わたしならこうする、とか、真面目に考えたくなる。

 とりあえず、とってもおもしろかった。収穫だわ。
 ヒロインのアンジェリカ・リー、わたしの目には「南国生まれの中谷美紀」に見えたんだけど(笑)。ホラーの似合う美女だわ。

 あ、あざといといえば、入院患者の少女インイン。この子もどうなるのか、最初から予想はついたけど……泣かせてくれたよー。
「世界はきれいよ」……インインが繰り返すこの言葉を胸に、強く生きていきたいっす。

 
 ひょっとしてコレ、夢オチかなあ?
 最後はおデブでおっかない奥さんが出てきて、「アンタ、なにぼーっとしてんのよ、さっさと掃除してよっ」とか怒鳴りつけて終わるんじゃ……?

 と、途中から危惧してしまいました。

 『ソラリス』。
 監督・脚本スティーヴン・ソダーバーグ、出演ジョージ・クルーニー、ナターシャ・マケルホーン。

 惑星ソラリスを探査中の宇宙ステーションでトラブル発生。なにが起こったのか、当局はお手上げ状態。そこでジョージ・クルーニーが調査に送り込まれた。
 ステーションでは、とんでもないことが起こっていた。クルーは何人も死んでるし、生きてる人たちもなんか変だし……。説明不要、クルーニーも異変を経験することになった。死んだはずの妻、ナターシャ・マケルホーンが現れたのだ。
 どうやら、惑星ソラリスの力で、「記憶」の中にある人の姿が「本物そのままの姿」で再生されるらしい。ナターシャに未練タラタラのクルーニーは、ニセモノと知りつつも……。

 えーと。
 なんか、想像していたのとはまったくちがう映画でした。つーか……周り、寝てる人けっこーいたような。たしかに、寝るかも……。

 予告編とかテレビCMとか見ると、壮大で派手なスペオペ系に見えるんだけど、実際はお茶の間系でした。4畳半でOKっていうか。
 小さな宇宙ステーションの中だけで、話は完結。1幕ものの舞台みたい。お金、かかってなさそう。

 SFのふりをしていますが、SFでなくてもいい話でした。
 愛と過ちと後悔の物語。
 ベタ惚れだった妻を、自分の過失(と本人は思っている)で死なせてしまった男が、その愛の傷から立ち直れずにうだうだやっていたところ、幽霊だか宇宙人だかわからないけど妻がもう一度現れた。まさかのラストチャンス、トライアゲイン?!
 てな話。
 惑星ソラリスでなくても、幽霊でも麻薬でも、天使が出てきても、このテの話は作られるよね。
 だから途中から、話はSFというより観念の世界へGO! ……SFを見るつもりで来ていた人は、そりゃ寝るわ……。
 まあ、SFが観念の世界へ入ってしまうのは、小説ではありがちなので「うわっ、こうきたか」ぐらいの気持ちで見ていましたが。

 観念の世界へ入り過ぎて、凡人のわたしは蚊帳の外。ほけーっと眺めておりました。
 そして、夢オチもアリかなあ、とか、チガウこと考えてたよ……。
 美しい妻との情熱的な恋愛も、悲劇の別れも、そしてソラリスでの再会も、みんなみんな、クルーニーの妄想だったら愉快だなあ、って。現実の彼はさえない3流サラリーマンで、ぶさいくでおっかない奥さんに尻に敷かれていて……と。
 実際は、最後まできれーに突っ走って終わったけど。きれーすぎて、わたし的には「それだけかい」だったわ。

          ☆

 昼間は大阪歴史博物館に行ってました。『ソラリス』より、こっちの方がおもしろかったよ。

 父が行きたがったので、家族みんなでおつきあい。……つーかうちの家族、歴史系のイベントは大好きなんだ。
 障害者手帳があれば本人と付き添いひとりが無料。父は先日の入院以後、障害者認定を受けているので、無料……のはずが。
「手帳の交付は、来月からなんだ」
 ええっ、そうなの? ……まあ、退院してすぐ、遊び歩く方が変だよなあ、父よ。

 入場料は600円。
 値段分はたのしめる場所だったわ、博物館。
 弟は2回目だと言っていたが「1回だけじゃ、とても全部は見られない」とのこと。……まったくもってその通りだった。

 平成時代に建てられたとは思えない、超バブリーな造り。一見の価値ありだ。

「最初の映像がすごいぞ。とにかく、笑える」
 と、弟。
 なにが笑えるんだろう、と思いつつ順路に従う。

 ……ほんとに、笑えたよ。

 「難波宮大極殿」の大スクリーンの映像。NHKが全面協力したんだろーな、と思わせる壮大すぎるCG映像と、もったいつけた演出!!
 クライマックスでは、吹き出してしまった。
 ここまでやるか。……ここまでやるのか!
 考えた人、えらい。
 ベッタベタの感動がそこに。

 単純なうちの母なんか、素直に感動していたよ。
 わたしや弟は、感動する前に爆笑してたけどな。

 このベタさは、見習いたいわ。

 歴史が好きで、大阪に興味がある人はGO。
 全館あげて「大阪万歳」の姿勢を貫いていて、すげー愉快。
 歴史的価値はほとんどないが(模造品ばかりの陳列)、金のかけ方はハンパぢゃない。金さえあれば、重要文化財や国宝がなくても博物館は運営可能なんだってことを体現してくれているよ。……せちがらい話だ(笑)。

 1回では完全に見ることができなかったので、是非もう一度行きたい。

 
「自由席です」
 と言われ、「は?」と思った。
 というのもわたし、この映画館は全席指定なんだと思っていたのよ。オープンからこっち、当たり前に利用してきたけれど、指定がなかったことなんて、ただの一度もなかったから。
 はじめての「自由席」。存在すら知らなかったよ、そのシステム。

 映画館に入って、納得した。

 わたしを含め、「4人」しかいなかったのことよ、お客。
 ははは。
 そりゃ、座席指定する意味ねーや。

 これなら『トゥー・ウィークス・ノーティス』を見たあとこっそりこちらのシアターに紛れ込んでても、バレなかったなと思ってみたり。いや、不正はしませんけれど。

 台湾映画『ダブル・ビジョン』。
 監督・脚本チェン・クォフー、出演レオン・カーファイ、デビッド・モース、レネ・リュウ。

 わたし、すっかりホラー映画ファンですかね。「こわい映画」と聞くといそいそ出かけているような気が。
 といって、ほんとうに「こわい」(おもしろい、という意味)映画にはあまりお目にかかっておりませんなあ(笑)。

 台湾映画を見るのははじめてで、過去に見たいくつかの中国映画、香港映画、韓国映画で、「あたし、中国系苦手」と思っていたんで、今回も苦手だという先入観がありました。
 ところがどっこい。
 この映画は、わたしの「苦手意識」にはまったく引っかかりませんでした。
 つーか、中国系とは思えない。ふつーに洋画だわ。ハリウッド映画でも違和感ない作り。「台湾映画」ってことで、損してないか? アメリカ産ならもっと売れているだろうに……。

 と思うくらいに、ふつうにたのしんできました。

 大都会台北市で、謎の猟奇殺人事件が起こる。真夏のオフィスビルで、会社社長が「凍死」。焦げひとつない部屋で、議員の愛人が「焼死」。教会の中でアメリカ人神父が「生きながら腸を抜き取られる」。
 連続猟奇殺人事件として、台湾警察はFBIに協力を要請した。
 FBI捜査官のデビット・モースと、「英語堪能」ということで彼の相棒にされた、暗い過去のあるやさぐれ台湾警察刑事レオン・カーファイ。ふたりは「出会いは最悪、しかし次第に惹かれ合い……」というお約束を踏襲して捜査をする。
 これらの事件には、道教と、あるカルト宗教集団がかかわっているらしい……。

 科学では説明できない猟奇殺人事件。道教の「5つの地獄」を元にした「見立て殺人」ですよ。そして文化と立ち位置の異なる「ふたりの男」の「友情もの」ですよ。主人公の台湾刑事は「暗い過去」があって「家庭崩壊」しているんですよ。警察でも「孤立」しているんですよ。でも、ハンサムな警部が「友だち」で彼を「特別にいつも見守っている」んですよ。
 ……いろんな意味で、たのしかったっすよ。

 なんか、真面目に作られた作品だなあ、と思った。
 テーマの重さとか、作品へのアプローチや演出などが、とにかく「真面目」。もうちょっと軽薄な方が売れるかもな、ってくらい、片意地張って真面目にホラーして、真面目にドラマしてる。
 でもその真面目さが、好印象。

 どーして『ボイス』なんてお笑いホラーが売れて、この映画はわたしをいれてたった4人なんだ?
 資本力のちがいって、せつないね。『ボイス』の宣伝費はものすごかったもんね……。あんな映画だったのにね……。それでも映画館は女子高生たちでいっぱいだったもんね。
 そして『ダブル・ビジョン』は水曜日の夕方に、たった4人だよ、客数。せちがらい世の中だよね……。

 今回つくづく「漢字っていいなあ」と再認識しました。
 「道教」って、いいぞ。ロマンだわ。古い漢字を見ていると、ぞくぞくします。
 ……クーロンっぽくて(笑)。
 ええ、わたしのフェイバリットなゲームソフト、クソゲーと名高い『クーロンズ・ゲート』の香りがするんですよ。
 それで勝手に盛り上がってました。ストーリーとも世界観とも別のところで。
 クーロンっぽい雰囲気が部分的にあった、というのはわたしだけのツボですから。一般の人には意味ないでしょう。
 漢字が乱数的に配置された文字盤なんか、ただそれだけでぞくぞくするくらい、「すき」と思えるんだもの(笑)。

 それにしても、「神秘的な美少女」というのは「白いワンピース」を着なければならないんですかね。地球のルールですかね。
 わたしの友人のオレンジは、「白いワンピースの少女萌え」という病気を持っていて、コレを語り出すと止まらないヤツなんだが。
 ……『ダブル・ビジョン』の白ワンピ少女について、意見を聞きたいところだ……。オレンジが映画を映画館で見るはずもないが。ついでにこわがりだから、たとえ自宅のテレビででも、ホラー映画を見るはずがないが。

 たのしく深く見ていたのだけど、あのラストはどうなのかしらねえ。
 わたしは思わず「をい」と突っ込んじゃったけど。世間的にはアレ、「感動のラストシーン」なのかしら。
 わたし的には「膝カックン」された感じだったんだけど……。

 あ、カップリングは警部×主人公で! 警部の片想いねー。
 誰にも心を開かなかった主人公が、FBI捜査官と仲良くなっていくのを、きっと警部はやきもき見守っていたことでしょう。釘を刺したりもしていたしな、警部(笑)。

 

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