『嗤う伊右衛門』鑑賞。
 監督・蜷川幸雄、出演・唐沢寿明、小雪、椎名桔平、香川照之。

 原作は読んでない。
 てゆーか、京極作品を読まなくなって、ずいぶん経つなあ。読まない理由はべつにないよ。たんに縁がないだけ。
 京極がものすげーブームになったときがあったよね。あれは前世紀のことですか。あのころに読んだままだなあ。

 えーと、物語のベースは、『四谷怪談』。だから、見に行こうと思ったわけなんだが。オギーの『四谷怪談』にハマりまくったからなあ。

 暗い過去なんぞを背負って人生斜めな浪人・伊右衛門@唐沢寿明は、御行乞食・又市@香川照之の計らいで、民谷家の娘・岩@小雪と縁組みし、その家督を継ぐ。岩は病のせいで美しい顔に醜い傷を負っていたが、卑屈さなど微塵もない気丈な女だった。家督目当ての政略結婚ってことで、最初はぎこちないふたりだったが、どうやらいつの間にかラヴラヴになっていたらしい。しかし、そこへ伸びる魔の手。岩に執心していた筆頭与力・伊東喜兵衛@椎名桔平がふたりを引き裂こうと画策する……。

 まず、役者の好みの話をしておこう。
 映像作品を見る場合、好みの役者が出ている場合はそれだけで興味が湧くし、好意的にもなる。逆もしかり。
 わたしには苦手俳優が何人かいる。生理的にダメで、見ることもできない人だって、いる。これはもー、好みの問題だから、その俳優のすばらしさには関係がない。
 そこまで拒絶反応は出なくても、「あー、主役がこの俳優かぁ。んじゃ無理してまで見なくてもいいかな」ぐらいには萎える人がいる。「生理的嫌悪感はないから、見ることはできるけど、作品がつまんなかったら速攻視聴中止して悔いはないな」というよーな。

 唐沢寿明は、わたしにとっての「主役だと萎える俳優」のひとりだ。
 理由はわからない。昔からそうだった。92年ごろだっけ、彼がブレイクしてドラマに出まくってたのって。あのころからすでに、苦手だったんだよなあ。
 脇役なら別に気にならない。主役だとダメなんだわ……。
 いちばんダメだったのが、『ホームワーク』かな。ドラマの。あ、チガウ、『ラブコンプレックス』だ。主役が唐沢でなければっ、と歯がみしたなあ。

 とまあ、萎え俳優主演なので、この映画はわたしにとってかなり分が悪かった。アウェー戦みたいなもんだな。
 さて、不利な条件の下で、ちゃんと映画を愉しむことができるだろうか……。

 映画を見ていちばん引っかかったのは、「お岩と伊右衛門は、いつの間にそんなにラヴラヴになっていたのか」だった。

 純愛モノだってのは予告からすでにわかってるんで、「そーゆーもんだ」と思って見てはいるけど、あまりに「ふたりの物語」が描かれていなくてびっくりだ。

 主役であるはずの男と女が、どーやって歩み寄り、心をつないでいくかを、きちんと描写して欲しかった。
 ふたりの心の機微がわからないと、そのあと「引き裂かれる」意味がないじゃん。
 ふたりのラヴをこれでもかと書き込んであればあるほど、物語が効果的になるのに……何故だ? 何故肝心の部分は端折られてるんだ?
 突然「半年後」とかに話が飛ぶんだ?
 わたしが見たかったのは、その飛ばされてしまった「半年の間のふたり」なんだけど。いくら台詞で「あれから半年、結婚できてしあわせだわ」って言われても、「はあ?」としか思えない。

 ふたりが愛し合う過程は端折られて、そのままストーリーは怒濤のよーに進む。
 「愛し合っている」という設定を、仕方なく自分の脳内で補完してついていくしかない。けっこう大変。

 プロットはさあ、BL系メロドラマで好みなのよ。
 「愛のない関係」ってことでお互いかたくなだったのが、徐々に心を開き、愛し合い、だけどハンデがあると思い込んでいる受が「相手のために身を引き」、受に愛されていないと誤解した攻が自暴自棄になり……てな。
 オイシイ部分はやっぱり、受と攻の心の葛藤部分なのよ。
 「愛されていない」と思ってかたくなになっているふたりが、「なんだオレたち、両想いなんじゃん」と気づく第一段階までが、たのしいのよ。
 誤解してすれ違ったり、傷つけ合ったりさー。
 恋愛モノは、両想いになるまでがいちばんたのしいんだからさ。

 なのに、その過程はすっ飛ばし。
 そのあとの悲劇ばっかりがんばって描いちゃってさ。
 エロスもいいけど、ハートも大事にしてほしいわ……。

 というあたりは、好みからはずれておりました。
 後半の悲劇ぶっちぎりが悪いと言ってるわけじゃなくて、ソレをやるならどーして前半のラヴをちゃんと描かないんだ、と不満なわけですな。
 手抜きな気がして残念。
 ドラマとして派手な部分ばかりを描いて、面倒くさいところはすっ飛ばした印象だったから。

 時間がばこばこすっ飛んでいって、「半年後」「そのまた半年後」と、心がぶつ切りになっているのも、手抜きテイスト。
 いちいち盛り上がりに水を差されるんだが、あとはそれを観客がどれだけ脳内補完できるかですな。

 わたしは、BL系メロドラマプロットが好みだったので、補完しまくって見ました。
 ので、たのしく号泣しました。
 やはりお岩さんの「うらめしや」はいいですな。
 究極の愛の言葉。
 愛して愛して、壊れてしまうくらい愛したから、だからこそ彼女は繰り返す。「恨めしや」と。

 桔平の悪役は、とーっても気持ち悪かったっす。
 もう少し美しくしても罰は当たらないんじゃないか……? ひたすらキモいぞ。

 小雪にしろ桔平にしろ、時代劇には合わないな、と、最初の登場で思った。本人の資質ではなくて、サイズの問題。

 とくに桔平なんか、鴨居より背が高いんだもん……(笑)。

 あと、全編通してホモくさいのは、わざとなんでしょうか。ホンモノくさいというか。

 同じプロットで、他の話を書いてみたいと思う映画でした。
 かゆいところに手が届いてなくてさー。おしいなー。

 これって、苦手俳優が主役だったせい?
 わたしが悪いのかもな。

 
 2週連続、デンマーク映画。
 2週連続眼鏡っこ萌え。
 『幸せになるためのイタリア語講座』
 監督・脚本ロネ・シェルフィグ、出演アンダース・W・ベアテルセン、アネッテ・ストゥーベルベック、ピーター・ガンツェラー。

 とある街で生活する、6人の男女。
 妻を失ったばかりの新米牧師アンドレアス@アンダース・W・ベアテルセン、恋愛下手かつカラダの悩み(笑)を抱える心優しきホテルマン・ヨーゲン@ピーター・ガンツェラー、ヨーゲンの親友で気の荒い元サッカー選手ハル・フィン@ラース・コールンド、救いがたい不器用女オリンピア@アネッテ・ストゥーベルベック、アル中の母を抱えているカーレン@アン・エレオノーラ・ヨーゲンセン、デンマーク語わかりません、のイタリア美人娘ジュリア@サラ・インドリオ・イェンセン。
 あー、みんな名前長いなあ。
 それぞれなにかしら事情を抱え、悲しみだの失望だのを背負いながらも、週に1回のイタリア語講座へ通い、それによってほんの少し、平凡な日々を変えていくのだった……。

 よくある、大人のハートウォーミング・ラヴストーリー。
 中年男女も人生これから、明日新しい恋ができるかも? てな話。

 登場人物の年齢層高いぞ……みんないい年だぞ……。

 複数主人公、複数カップルのラヴストーリーだから、『ラブ・アクチュアリー』みたいなやつかなと期待して見に行ったんだが。

 そーでもなかったなー。

 印象としては、クリスマスなんかにある2時間スペシャルのドラマって感じ。
 コレ、邦画だったらまちがいなく「テレビでいいじゃん、わざわざ映画にしなくても」と思ってたわ……。

 かわいらしく他愛なく、あったかいラヴストーリーなんだけど、それ以上のものはなにもなかった。
 プロットが巧みなわけでもなし、派手に盛り上がるわけでなし、とびきりオシャレなわけでなし。
 ずいぶん素朴に、ふつーに恋愛。
 カップルが複数なぶん、薄くなってるし。

 まあ、このいかにもふつーな、地味な感じがいいのかな?
 わたしにはかなり物足りなかった。
 わくわく感も、ときめきも、せつなさも。

 ツッコミどころは満載(笑)。
 とりあえず、ハル・フィンとカーレンのカップル。気持ちが通じたらいつでもどこでもヤるのはよせ(笑)。
 てか、あんな美容室やだよー。
 客の髪を洗うだけで欲情されちゃうのもやだよー。
 デンマークの美容室に疑問を持ってしまうわ(笑)。

 ヨーゲンのプロポーズの言葉は感動的だった。
 月並みだけど、あーゆーことを言ってくれる男はいいねえ。ほろり。

 個人的に、この映画でいちばんたのしかったのは、牧師のアンドレアス@アンダース・W・ベアテルセンの、眼鏡だ(笑)。

 デンマークでは、眼鏡っこ萌えがあるんですかい? 日本と同じように?

 2本見たデンマーク映画の主人公ふたりがふたりとも、眼鏡男だってのは、そーゆーことなんですか?(笑)

 『しあわせな孤独』のマッツ・ミケルセンは医者で眼鏡のおいしい中年男でした。
 そしてこの『イタリア語講座』のアンダース・W・ベアテルセンは、牧師で眼鏡のおいしい中年男。
 医者に牧師。
 コスチューム萌えのうえに、眼鏡萌え。
 なんてはずさないの、デンマーク映画、おそるべし。

 不器用でやさしい眼鏡牧師は、目にたのしい存在でした。
 ストーリーには関係ないけど、レストランに入ったとき、眼鏡がくもっちゃったのがいい。画面のすみっこで、はずして拭いてるの。かわいい(笑)。

 それにしても、『しあわせな孤独』に引き続きこの『幸せになるためのイタリア語講座』、邦題のセンスの良さに脱帽。
 タイトル勝ちだわ。

 
 先日、弟に頼まれ、WOWOW放送の『呪怨』をビデオ録画した。
 姉弟そろってホラー好きなもんでな。

 わたしの『呪怨』という映画への評価はとても低いので(笑)、早く弟にも感想を聞きたかったんだが。

「ねーちゃん、あのビデオ、見れないんだけど」

 今日になって弟がそんなことを言う。

 見れない? なんで? わたしいちおー、確認したよ? 冒頭部分と、後半部分をちらりと再生して、「よし、録画できてる」と確認してから渡したよ?

「でも、見てたら10分くらいで画面が揺れだして、ブルーアウトする」

 10分? それじゃあ、まだなんにもはじまってないってことか。

「いや、トシオくんが出てきたところ」

 ……そこで画面が揺れて、消えるの? それ、こわいじゃない。

「うん、こわい」

 弟のビデオデッキで試してその症状で、親のビデオデッキで試しても同じ症状だったらしい。
 ちなみに、テープは新品、ヴァージンテープ。
 古いテープを使ったなら、画像が悪くてもわかるけど……さらなのに……。標準録画なのに……。

 それじゃ、念のためにわたしのビデオデッキでも試してみるか……。

 ということで、姉弟そろってわたしの部屋。
 生憎わたしのDVDレコーダは24時間フル稼働中(笑)なので使えない。『呪怨』を録画したビデオデッキもDVDレコーダにつないであるので使用不可。
 てことで、もう1台の独立したビデオデッキ(何台持ってるんだ・笑)にテープを挿入。再生開始。

 布団に横になった老婆に、女の影がおおいかぶさっていく……。

 あー、たしかに映り悪いねー。白い線が入る……。
 で、どこが映らないって?

「いや、映らないのはここだ。このシーン、ぼくは見てない」

 そうなの?
 映り悪いけど、とりあえず見られるよ。
 そのあとはふつうに映ってるみたいだし。

 でもま、とりあえず問題のシーンはふたりで鑑賞。

 虚空に向かってぶつぶつつぶやく老婆、それを寝かしつける奥菜恵、白いノイズ、布団に横たわる老婆、白いノイズと揺れる画面、老婆におおいかぶさる、あるはずのない女の影……ノイズノイズノイズ揺れる画面。
 恐怖に引きつる奥菜のアップ、ノイズ、一瞬消える画面、ノイズ、倒れる奥菜、ノイズノイズ、俊雄くん、ノイズノイズ……だんだん収まる画面……。

 こわいっす……(笑)。

 映画館で見たときより、みょーな効果のある分(笑)。

「まあ、とりあえず最後まで見てみるよ」

 と、弟。残りは自分の部屋で見るそうな。
 うん、がんばって見てくれ。
 ホラーシーンで画面が揺れるビデオテープ。
 いやあ、すばらしい。

 
 もし、
 あなたが孤独を感じているなら、
 すでに
 しあわせも知っているはず。


 とゆーコピーにつられて、はるばるミニシアターまで行って来ました、『しあわせな孤独』
 監督・原案スザンネ・ピエール、出演ソニア・リクター、マッツ・ミケルセン、ニコライ・リー・カース。えーと、デンマーク映画っす。

 結婚間近のしあわせカップル、セシリ@ソニア・リクターとヨアヒム@ニコライ・リー・カース。ところがある日突然、ヨアヒムが交通事故で全身不随になってしまった。絶望したヨアヒムは心を閉ざし、セシリをも拒絶する。
 どん底のセシリは、事故の加害者の夫、ニルス@マッツ・ミケルセンに心のよりどころを求める……。

 某映画祭に行ったときに、5回連続で予告編を見せられ、刷り込みされてしまった作品(笑)。
 誰が悪いわけでもない、日常に起こりえる悲劇と、リアルゆえにせつない愛の物語。

 とりあえず、眼鏡男萌えで見に行きました。
 ニルス@マッツ・ミケルセンの眼鏡っこぶりがヨシ。洋画の主人公格で眼鏡かけた男って、ほとんどいないんだもの。外国には眼鏡萌えがないのかしらね。

 なにしろ数ヶ月も前に、連続5回予告を見せられたもので、わたしのなかでイメージが先にできあがってしまってました。
 この予告編がまた、よくできてるんだわ。わたしの好きな痛い系のにおいがぷんぷんして。

 あんなに愛してあっていたのに、突然恋人が、全身不随になってしまった。一生寝たきり。しかも彼は、ヒロイン・セシリに「病室を出て行け。二度と来るな」と言う。
 苦しくて、寂しくて仕方ないセシリは、「できることがあれば、なんでも言ってくれ」と言ってくれた、加害者の夫ニルスに連絡する。
 夜中の電話。「今すぐ来て。そしてわたしを抱きしめて」
 ニルスは同衾している妻に「セシリのところへ行く」と言う。妻も、「気の毒なセシリを支えてあげて」と言う。奥さんにしてみれば、ただなぐさめてあげて、ぐらいの気持ちなんだけど。
 セシリとニルスは、一線を越えてしまう。
 被害者の恋人と、加害者の夫。
 そして、その事実を知り取り乱す妻。

 ……という設定を説明しきってくれた予告を見て、わたしはより痛い方へ想像していたわけだ。

 つまり、ニルスは妻と家庭を愛している。
 だけど罪を償うために仕方なくセシリを抱く。罪悪感と、葛藤と。もちろん、セシリを魅力的だと思うし、同情もしているけれど、あくまでも、妻への愛が強い。
 妻は、夫の不倫を知り、夫を責めると同時に自分をも責める。わたしが罪を犯したから……!と。
 セシリは今でもヨアヒムを愛している。だけど、どうしたらいいのかわからない。ひとりでは立っていられなくて、ニルスとの愛欲におぼれる。ニルスが自分を愛していないことを知りながら。

 てな話をな。

 真ん中にあるのは、「罪」。
 過失による、取り返しのつかないもの。

 罪を中心に、贖罪と苦しみと悲しみが、身動き取れず絡まっている感じ。

 そーゆーものを、勝手に期待していたからさー。

 ちょっと、拍子抜け。

 もちろん、痛くてせつない愛の物語だったけどさ。
 微妙にツボをはずしてたんだよねえ。
 てか、「罪」が存在しなかった。
 すごいよなあ、たしかに仕方のない事故であったにしろ、警察も裁判所も太鼓判押すくらい、妻に責任がなかったにしろ、妻の運転していた車が若いヨアヒムの人生を奪ったのに、誰もそのことを責めないの。
 てっきりわたし、ヨアヒムにしろセシリにしろ、妻を責めると思ったのね。恨むと思ったの。
 そりゃ飛び出したヨアヒムが悪いけど、轢いたのはそっちじゃん。そっちが気をつけていれば、こんなことにはならなかったのでは? って、逆恨みしちゃうと思うのよ、わたしなんかは心が弱いから。
 警察がなんと言おうが、あんたのせいでヨアヒムはなにもかも失ったのよ! って、泣いて責めると思う。
 なのにソレ、誰も言わないし。
 ヨアヒムを轢いたその夜に、妻たちはパーティやってるし。
 このへん、国民性のちがい? 日本人って、ウエットだから? たとえ自分が悪くなくても、自分のせいで誰かひどい目に遭っていたら、とてもパーティなんかできないよねえ。予定されていても、中止にするよねえ。
 だからセシリがニルスを呼び出してセックスしちゃうのも、べつに彼が加害者の夫だから、てわけじゃないのよね。そのときやさしくしてくれる男なら、誰でもよかった感じ。
 ニルスも、妻の罪を償っている、というより、若い女の子にすがりつかれてよろめいたよーに見えるし、夫の浮気を責める妻も、自分の罪なんかきれーに忘れてるっぽい。

 映画の中の男女はたしかに、突然の不幸に翻弄され、よるべない愛の名の下に悩み苦しみ、人生を泳いでいるんだけど。泣きながら見たけれど。
 ニルスの白衣(医者なのだ!)と眼鏡は美しかったけど!!

 わたしには、かなり消化不良。
 もっともっと、痛いものを見せてくれ〜〜!!
 これじゃもの足りーん!!

 それにしても、この邦題とコピー、すばらしいわ。
 全編通してかなしくてせつない愛の物語に、「しあわせ」という言葉を使いますか。
 邦題つけた人のセンスに脱帽。

 予告の方が、おもしろかったっす……。

 
 世界は愛に満ちている。
 そう信じさせてくれる物語。

 『ラブ・アクチュアリー』

 この映画を好きなことは、わかっていた。『ノッティングヒルの恋人』も好きだし、『ブリジット・ジョーンズの日記』も大好きだ。リチャード・カーティスの描くラヴストーリーはツボにはまる。
 特別なんかじゃない、ふつーの人が、ふつーの人生の中で、恋に走り出す瞬間。その輝き。それをせつないくらい「特別に」描いてくれる。
 そして、複数の主人公の物語が同時進行し、最後にひとつに重なる物語、ってのも、大好きなんだよね。プロットの緻密さを必要とするから。

 監督・脚本リチャード・カーティス、出演ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン、アラン・リックマン。


 就任早々、ちよっと太めな秘書(つっても雑用係)の女の子に恋してしまう独身のハンサム首相@ヒュー・グラント。
 最愛の妻を亡くした男ダニエル@リーアム・ニーソン。妻の死もショックだが、義理の息子とのつきあい方でも困惑の日々。
 高嶺の花への片恋に悩むダニエルの妻の連れ子のサム@トーマス・サングスター、多感な11歳。
 弟に恋人を取られ、南仏へ傷心旅行に出かける作家ジェイミー@コリン・ファース。
 南仏のコテージでジェイミーのメイドをするオーレリア@ルシア・モニス。英語はまったく理解不能。
 会社社長のハリー@アラン・リックマンは部下の美女にモーションをかけられどきどき。
 しっかり者の主婦カレン@エマ・トンプソンは、夫ハリーの浮気心に気づき、ひとり号泣する。
 入社以来2年7ヶ月同僚カール@ロドリゴ・サントロに片想いしているOLサラ@ローラ・リニー。
 親友の新妻ジュリエット@キーラ・ナイトレイに片想いしているマーク@アンドリュー・リンカーン。

 てな具合に、複数の人々の「愛」を取り巻く問題が動き出す。全部で19人だよ、メインキャラ。……多い(笑)。

 ……残念ながら、プロットが緻密だとはあまり思えなかった(笑)。かなり力技な感じ。
 それぞれのストーリーも、浅いというか、全体をきちんと描ききっていない印象を受けた。

 だけどわたし、オープニングからエンディングまで、ほぼ泣きっぱなしだったんですが(笑)。

 かなり、ツボに合う作品なんだよねえ。

 19人の主人公たちの抱える「愛の問題」はどれも、アイディア一発勝負に思える。制作者側のね。
 ふつーなら、このネタひとつでは映画にはならないから、もっとたくさんネタを出して、味付けして仕掛けをして、エピソード作って、いろいろやったうえではじめてまともな「ストーリー」になりえるよーな、いちばん最初の「ささやかなネタ」でしかない。
 その最初の「ささやかなネタ」ひとつだけをたくさん集めて、力技で1本の映画にしてしまった。

 あるじゃん、主人公と相手役だけ考えて、「このシーンのこの台詞だけ」思いつくっての。
 でも、1シーンと1台詞だけじゃあ、「物語」にならない。同人誌ならそれだけで4ページだけの雰囲気マンガになったりするけど、商業出版物ではそれは通らない。
 キャラクタの背景を作って書き込んで、主役以外の人たちにも全員人生を考えて、起承転結のある物語を作って、そのなかにはじめて、「このシーンのこの台詞だけ」を盛り込むことができる。1行の台詞を言わせるためだけに、5000行の「物語」を書かなきゃいけない。

 この映画に感じたのは、「このシーンのこの台詞だけ」を山ほど集めたんだなってこと。
 主人公たちひとりひとりの話は、それだけでは「1本の映画」にはなりえない。ネタ一発勝負だからだ。
 だけど、そのネタ一発、「このシーンのこの台詞だけ」をよくこれだけ魅力的にひとつの映画にまとめたな、と感心する。……力技だけど。
 てゆーか、そのネタ一発に、とても破壊力があるものが多いんだ。そのネタだけで、「勝った」って感じの。

 親友の妻を愛した男。
 親友のために「最高の結婚式」をプロデュースし、周囲がお祭り気分のときもずっと裏方の顔でビデオカメラを回し続ける。心から、ふたりの幸福を祈る。
 そうしながらも。
 彼がファインダー越しに追い続けるのは、花嫁ただひとり。
 愛した女が最も美しい瞬間の笑顔を撮り続ける。最も幸福な日の笑顔を撮り続ける。
 愛した女が最も美しく、最も幸福なときは、彼女が永久に彼を愛さなくなる日。
 彼が彼女を失うその日、彼女はまぶしいほどに美しい。

 身内と恋人に裏切られた男。
 男は小説家。「言葉」を使うプロ。だけど愛に傷ついた彼はあえて、「言葉の通じない」外国の別荘でひとり執筆に没頭する。
 そして彼は、言葉の通じない異国の女性を愛する。「言葉」を持たない男と女は、それぞれの母国語で愛を口にする。相手に通じないことを知りながら。
 帰国した男は、女の国の言葉を学びはじめる。……馬鹿げてる。だって彼女とは、愛の言葉ひとつ、かわさなかった。確かなものなんて、なにもない。
 自嘲しながらも男は探すんだ。彼女と自分をつなぐ「言葉」を。

 ネタ一発勝負。
 でも、このネタひとつで、十分泣けるんですけど。
 きちんと1本の物語に作ってみたくなるくらい。

 登場人物すべての物語は、クリスマスの夜にひとつの昇華を遂げる。

 クリスマスは、愛するひとと過ごしたい。
 素直になりたい。
 伝えたい。

 マライア・キャリーの「恋人たちのクリスマス」が流れるなか、愛することのよろこびも、しあわせも、いたみもかなしみもくるしみも、わたしかもしれないあなたの姿になって、両手を広げている。
 抱きしめるために。

 すべてを。

 もう少し作り込んであったら、もっと好きなんだけど。力技感があるし。
 だけど今のままでも、わたしは十分大好き。

 ヒュー様の話がいちばん、どーでもよかったよーな。いちばん、薄っぺらいというか。
 でも、一目惚れしちゃった女の子が「ちょっと太め」だと、わかっていない男、っての、いいなあ。
 彼の中では、彼女は絶世の美女なんだよね(笑)。だから、他の人に「太めの女の子」だと言われると「……そうだったかな?」てことになる。
 日本ではあり得ない「首相」。若くてハンサムで独身だよ。恋しちゃうんだよ。官邸で腰振って踊っちゃうんだよ。
 あの演説も好きです(笑)。

 父と息子ネタに弱いわたしは、ダニエルとサムの物語も好きだー。
 父と子というより、祖父と孫に近い年齢差で、真剣に親子を……ある意味対等な男同士の友人として、先輩と後輩として、向かい合うふたりが愛しい。
 愛を語る、不器用な男たち。じじいに近いおっさんと、11歳の少年。

 ハリーにしろカレンにしろサラにしろ、みんなみんな、不器用で、それでも精一杯にその手をのばしていて、愛しい。
 決してひとつなんかではない、愛のかたち。愛のすがた。

 大丈夫。
 世界は愛であふれている。

 
 あれ?
 「レビュー選択」したところ、『ゴシカ』の解説文には

>『チョコレート』でアカデミー賞主演女優賞に輝いたハル・ベリーが挑むサイコ・サスペンス。

 とあった。

 変だな?
 試写会の招待ハガキにも、会場でもらったちらしにも、「サスペンス」だなんてまったく書いてないよ?

 この映画のあおり(ジャンル)は、ホラーじゃないんですか?

 なんせ宣伝文句が、

『リング』『呪怨』…怨念のD.N.A.は世界で増殖する

 だよ?

>『リング』『呪怨』が産み落とした日本型恐怖のD.N.A.を併せもつ、初めてのハリウッド・オリジナル脚本作

 だよ?

 配給会社は、この作品をホラー映画として売る気満々ですが。

 わたしも、ホラーだと思ったから見に行きました。
 監督マシュー・カソビッツ、主演ハル・ベリー、ペネロペ・クルス、ロバート・ダウニーJr.

 タイトルの『ゴシカ』は、Gothicからきています。
 あの中世ゴシック様式、ダークでデコラティブな素敵世界、Gothic。

 舞台は「森の奥深く、古城のようにそびえたつ女子刑務所の精神科病棟」。
 精神科医ミランダ博士@ハル・ベリーは、職場であるその刑務所からの帰り道、謎の少女に出会う。そこで彼女の意識はブラックアウト。
 気がついたときは、彼女自身が「精神科の囚人」になっていた。記憶の混乱。ミランダは「夫殺しの凶悪犯」「分裂症」として収容されていた。
 彼女に取り憑いて夫を殺させたのはあのときの少女、つまり悪霊の仕業だ……しかし、精神異常者として扱われる彼女の言葉を信じる者はいない。
 霊からのメッセージ、「Not Alone−ひとりではない−」の意味は?
 夫殺しの真相は? そして浮かび上がってくるもうひとつの事件とは……?

 えーと。

 ゴシック・ホラー、っていうんで、期待したんですよ、わたし。
 おお、舞台は「古城」ですかー。いいですなー。ゴシック・ホラーはそうでなくちゃねえ。ってな具合にさ。

 弟と見に行ったんですが、終わるなりふたりして、

「なんか、『バイオハザード』見てるみたいだった……」

 と、つぶやいてしまったよ。
 映画の『バイオハザード』じゃなく、ゲームね。

「どこがゴシック・ホラー? ホラーじゃなくてただのアクション映画だろコレ」
「舞台はアンブレラ(『バイオ』に出てくる巨大企業)の研究所にしか見えなかったねえ」
「あちこちデジャヴが……ゲームのバイオをプレイしてるみたい」
「あんなに必死になって病院を脱出する必要があったのか? ていうか、作品のいちばん必死に作られているシーンが、ホラーじゃなくアクションシーンだってのはどうよ」
「アクションにカーチェイスときたもんだー」

 はい。
 ホラーじゃなかったっす。

 たしかに悪霊は出てきたけどな。
 そんなの、小道具のひとつにしか過ぎず、話は別物だったよ。

 簡単に言うと、

 冤罪を着せられたヒロインが刑務所を脱出し、自分で謎を解き、真犯人を捕まえる物語。

 という、お約束のアクション映画でした。恐怖よりもスリルに満ちておりました。

 「ホラー」ということにした方が売れるから、ホラーだって嘘ついてんだな……溜息。
 しかも、ゴシック・ホラー……。

 舞台は超近代的な、コンピュータ管理された場所。SFと言っても通る。なんせ、ゲームの研究所だとか秘密基地にクリソツなわけだからな。
 どこがゴシックなんだか。せっかくの古城を、ここまで役立たずな使い方をしなくても……。

 ま、「気味の悪い暴力的な事件を扱ったフィクション」を、「ゴシック」と呼ぶそうだから、それでいいのかね。
 わたし的には「それだけ」をわざわざ「ゴシック」とは呼びたくないですが。
 んなこといったら猟奇血まみれバカアクションは全部ゴシックになるわ。

 「ゴシック・ホラー」でないとわかって見るならば、それなりにおもしろい映画です。
 ヒロインがどうやって冤罪をはらすのか、真犯人は誰かを推理する、つー意味でな。まあ、わりとわかりやすいオチなんで、推理するまでもないけどさー。理詰めで考えたら、他の答えはないもんなあ。

 ただ、つっこみたいことがありすぎて、うずうずするぞ(笑)。

 いちばんの疑問は、アメリカっちゅー国では、悪人ならば殺してもぜんぜんOKなんすかね? てことだわ。

 えーと、逮捕されれば死刑確実の超悪人がいたとする。
 そいつはとにかく悪人だからってことで、たとえばわたしがそいつを殺しても、わたしは無実なの?
 わたしのしたことは「殺人」にはならないの?

 少なくとも日本では、指名手配中の凶悪犯だからって、わたしがそいつを殺した場合、わたしは殺人犯になりますなあ。
 悪人だからって、殺していいわけじゃないから。
 動機も関係もナニもないし、正当防衛でもなんでもなく、「あ、悪人だ、殺しちゃえ」てな感じに殺した場合、それは罪だよねえ。
 わたしには、そいつを裁く権利なんぞありませんから。

 悪人だから殺してヨシ! 正義の名前さえあればなにやってもヨシ!

 という感覚に、違和感ありまくり。

 もちろん、これが変身ヒーローものだとかアニメだとかなら、そんな無粋なことは言わないよ。「正義は勝つ」でいいさ。
 しかし、なまじリアルに映画やってるだけにねー。
 ずさんな正義感には納得できないわ。

 あともう少しがんばればおもしろくなるのに、いろんなところで感覚のズレを感じ、もどかしさに終始した。
 わたしならこうする、が山積み(笑)。
 うん、勉強になったよ、いろいろと。

 なんにせよ、カテゴリは元通り

>『チョコレート』でアカデミー賞主演女優賞に輝いたハル・ベリーが挑むサイコ・サスペンス。

 にしておいた方がいいよ、映画会社の宣伝の人。

 コレ、ホラーちゃうし(笑)。

 
 この日記サイトに「映画批評」というカテゴリができたわけだが、これって、ふつーの映画好きにはまったく使えないシステムなのでは……?
 だってこれ、「過去に発売された映画ソフト」についてしか、言及できないんですけど?
 今現在公開されている映画は、検索できない。
 映画は映画館で見るものでしょう?
 家でビデオを見て、「映画批評」ってそんなバカな……。
 しかも、昔書いた映画の感想を、後付けで「映画批評」カテゴリに直すこともできない。つまり、わたしはこのカテゴリは使えないってことですわねえ。
 まあ、いいけど。

 つーことで、変なカテゴリにとらわれることなく、映画の感想です。
 今年になってよーやく2本目。そりゃ、ビデオでなら何本か見てるけど、それは「映画を見た」うちには数えてないから、ここでも書かない。

 『ニューオーリンズ・トライアル』。監督ゲイリー・フレダー、出演ジーン・ハックマン、ダスティン・ホフマン、ジョン・キューザック、レイチェル・ワイズ。

 アクションよりも心理サスペンス、派手な力業より緻密なプロットが好きなわたしは、「よくわかんないけど、法廷サスペンスなんだよね?」くらいの予備知識で見に行きました。

 銃社会アメリカ。訴訟社会アメリカ。
 アメリカでないとありえない物語。

 ニューオーリンズで銃の乱射事件が起こった。犯人は2桁ものなんの罪もない人々を殺し、自殺。
 そして2年後、1被害者の妻が、自殺した犯人ではなく、その犯人に銃を売った銃製造会社を訴えた。それは銃社会への宣戦布告。全米が注目する中、裁判がスタートする。
 ふつーの法廷サスペンスとチガウのは、組織の暗躍。
 銃会社はこのテの裁判で一度も負けたことがない。てゆーか、負けてはならない。一度でも負ければ、全米で同じよーな訴訟が起こることがわかっているからだ。
 絶対に負けないために、彼らは共同でひとつの組織に資金援助をしている。それがフィッチ@ジーン・ハックマン率いる陪審コンサルタント・チームだ。
 裁判は、陪審員たちが決める。だから銃メーカー側は自分たちに有利な陪審員をピックアップしなければならない。盗聴、盗撮、なんでもござれ、陪審候補者の私生活を金と技術力にあかせて調べつくし、「勝てる」布陣を敷く。手段は選ばないし、そこには倫理も道徳もない。ただ、「勝つ」ことだけが目的。彼らは冷徹なプロだ。
 法廷で弁護士が戦う、それ以前の水面下の戦い。
 陪審員の心情を、どう動かすか。どう操るか。
 フィッチたちの仕事は完璧なはずだったのに、原告被告両陣営に「陪審員、売ります」という怪文書が届けられた。何者かが陪審員たちを操り、自在に判決を動かそうとしている。
 陪審員のひとりニック@ジョン・キューザックとその相棒マーリー@レイチェル・ワイズは、他の陪審員たちを操り、原告被告どちらか、自分たちに金を出した方に勝たせると言うのだ。裁判の判決を金で売ると。
 銃メーカー側フィッチ、原告側の庶民派弁護士ローア@ダスティン・ホフマン、そして謎の仕掛け人ニック&マーリーの三つ巴の戦いが進行する。

 陪審員制度というものを、あまりよく知らないので。
 陪審裁判というと、『はみだしっ子』を思い出すぐらいかなあ。
 最初のウチは、それほどたのしんで見ていたわけじゃない。「知ってて当然」という感じで進められる「前提」を知らずに見ているわけだから、アタマを整理するのに必死。
 されど。

 途中から、めちゃくちゃおもしろくなった。

 戦う理由はなに?

 なんのために、戦うの?
 お金? 名誉?

 彼と彼女が戦う理由。
 それがわかったときには、声をあげそうになった。

 とくに、彼が戦う理由。

 すぐそこに、いたのに。腕を伸ばせば、届くところ。
 なのに、なにもできなかった。
 救えなかった。
 ただ、見ているだけだった。

 や、そんなの、当たり前だけど。
 彼がなにもできなかったことを、責める者なんていない。
 だけど彼は、ゆるせないんだ。
 なにもできなかった自分が。

 あの日、戦うことができなかった自分が、ゆるせない。

 だから彼は、戦うんだ。
 気の遠くなるよーな時間をかけて。努力して、積み重ねて。
 巨大な敵に、ちっぽけな自分の力で。

 なにが正しいのか、いけないことなのか。
 正義も道徳も揺らぐなか、物語はすばらしいカタルシスを紡ぐ。

 気持ちいい。
 ものすげえ、気持ちいい物語だよ。
 映画を見て、物語を見て、こんなに気持ちいいのはひさしぶりだ。

 人間を、信じたくなる。
 生きていることが、うれしくなる。
 他人を、信じたくなる。
 こころを、ひらきたくなる。

 あきらめちゃダメだ、わたしたちは、わかりあうことだってきっと、できるはずだ。
 そう思わせてくれる。

 ジーン・ハックマンの存在感。うおー、敵役はこうでなきゃだわ。
 ダスティン・ホフマンの存在感の薄さ……えーと、こんな人だっけ? 名俳優共演が話題だったはずだが、こちらはあまりにも目立たないというか……。
 ジョン・キューザックは得体が知れなくていい感じ。感情移入しにくい演技が、最後までかき回してくれる。(『眠りの森』とか『空から降る一億の星』のキムタクは、本来こうあるべきだったんだよなあ)
 レイチェル・ワイズの意志のきらめきのある瞳、思わず見とれるわー。

 ああ、思いがけずたのしかった。

 
 ちなみに今日の産経新聞の1面コラムに、日本の陪審員制度導入について載っていた。(ちょーど『ニューオーリンズ・トライアル』を見に行くつもりでいたので、よい偶然、興味深く読んださ)
 ……日本人向きのシステムぢゃねーよ、絶対。

 
 またしても、医者からコンタクト禁止令が出た。
 コンタクトレンズを入れられない、ということは、視界が悪い状態で生きるということ。眼鏡はコンタクトほど視力の矯正ができないからねえ。

 つーことで、洋画は見られないな、邦画だ邦画。字幕を読まずに済む邦画を見るべ。
 なににしようか。

 てことで、『ジョゼと虎と魚たち』。
 監督・犬童一心、出演・妻夫木聡、池脇千鶴。

 公開からもうずいぶん経ったし、そろそろ空いているころだろうと思って出かけたんだけど、甘かったよ。

 なんですか、この満員具合は。
 上演1時間も前に行ったのに、手に入った整理券はかなり後ろの番号。そして実際、わたしの少し後に来た人たちは「お立ち見になりますが、よろしいですか?」だった。
 はじまって見れば、もちろん満席、立ち見ぎっしりの盛況ぶり。映画館内、空気薄っ。
 終わったあとも、次回の上演を待つ人(座席列だけでなく、立ち見列も)、でロビーはいっぱい。

 梅田だからかな? いつも自転車で行くあの映画館なら、ここまで混むことはないんだろうな、田舎だから。

 てゆーか、若者しかいないよ、映画館。
 おばさん、肩身狭いわ。こーゆー映画は、若者のモノなんだろーなー、とも思うよ。
 でもおばさんも、昔は若者だったから、こーゆー映画が好きなのさ。

 ひとことで言うなら、恋の物語。

 一昔前のフォークソングみたいな。
 若いふたりが出会って恋に落ちて、若さゆえに恋におぼれ、若さゆえに傷ついて別れる。
 振り返ると、その傷跡さえもが愛しいような、恥ずかしくてもどかしい、あたたかくてやさしい、せつない記憶。

 ふつーの大学生・恒夫@妻夫木聡が出会った脚の不自由な少女ジョゼ@池脇千鶴。
 古い感覚の老婆に育てられたジョゼは、現実社会を知らない。だっておばーちゃん、「足が不自由な孫」は「外聞が悪いから世間に知られてはいけない」と思いこみ、家に閉じこめて育てたんだもの。福祉制度も知らないしね。
 とーぜんジョゼは学校にも行っていない。おばーちゃんがゴミ捨て場から拾ってくる本だけが、彼女の知識の泉。教科書もエロ本も主婦マンガも、純文学も同じように読み、吸収する柔軟な知性を持つジョゼ。
 そんなジョゼに、恒夫は「外の世界」を教える。
 光の届かない海の底にいたジョゼに、美しい地球を見せる。教える。
 太陽を、空を、波を、砂浜を。
 そして、恋を。セックスを。
 幸福を。
 生きる、ということを。
 そして。

 そして、別れを。

 ジョゼはエキセントリックだし、身体障害者というネタを使ってはいるけれど、そこにあるのはふつーの恋物語。
 たぶん、この世の誰もがあたりまえに経験するだろう、出会いと別れ。
 だからこんなに、痛い。
 せつない。

 誰もが、「永遠」が存在しないことを知っている。
 ……知っている、よね?
 でもさ、若いうちはソレ、意識にのぼってこないんだよね。目の前の現実がめまぐるしくて、活気に満ちているから。
 永遠なんかないよ。
 あなたはいつか彼を愛さなくなる、ぼくもまた、いつかあなたを愛さなくなる……サガンの小説にあるように。
 だけど今、つないだ手が永遠であるって、信じたい。信じたいんだ。

 渇望が、破片になってきらきら光る。

 恒夫は漠然と有限であることを感じながら、ジョゼは事実として覚悟しながら。

 明日には存在しないかもしれない束の間のしあわせが、いくつかの言葉をあえて飲み込んだうえでの微笑みが、波のように寄せては返し、きらめいて消える。

「ぼくが、逃げたからだ」−−これが、最後の台詞。
 こんな台詞で終わる、美しくせつない物語。

 ハッピーエンドでしょ? このラスト。
 わたしはそう思っているよ。
 
 クリスマスも近いというのに、弟とデート。……他に相手おらんのかい……。お互い、寂しい人生だな……。

 『ラスト・サムライ』を見に行きました。
 ええ、あの大作です、話題作です。
 月曜日の昼間だっちゅーのに、お目当ての回は全席売り切れで、3時間後のチケットしか買えませんでした。みんな金持ちだなっ、映画って1800円もするのよ?! あたしはそんな大金出せないよっ?! あー、世の中は金持ちばかりさ……(もらったタダ券を握りしめている、びんぼーおばさんの図。タダでなきゃどーしてふつーの日に映画館になんか行くもんか)

 どこかで見たような、でも知らないどこかの国が舞台。監督・脚本・製作エドワード・ズウィック、出演トム・クルーズ、渡辺謙、真田広之、小雪。
 今いる自分の場所に疑問を感じ、鬱屈としている主人公ネイサン・オールグレン大尉@トム・クルーズがある日異世界へ迷い込んだ。
 なんせ異世界だから、とまどうことの連続。
 異世界へまぎれこんだ主人公は歴史の波に翻弄されなくちゃね。異世界の将、勝元@渡辺謙と彼の治める国で恋をし子どもたちとふれあい男の友情なんかもしちゃいつつ、その世界での戦争に参加。ありがちエピソードは全網羅。
 オールグレンは、自分の世界では見つけられなかったモノを見つけ、成長していく。最後は強引ハッピーエンド。
 ライトノベルの定番ストーリー。

 弟とは趣味も好みも似ているので、なにを一緒に見ても不快な思いをすることはない。俳優や女優の好みも似ているらしく、わたしの好きな人をたいてい弟も好きだったりする。だから今回は、
「渡辺謙を見に行こう」
 というので意見一致。
 好みが似ている相手と、見終わった後に感想を話し合うのもたのしい。たのしいんだが……。
 弟よ。どーして君は、女じゃないんだ? 君が妹なら、わたしはもっとたのしかったのに!

 『ラスト・サムライ』でのいちばんの萌えは、真田広之の渡辺謙への呼びかけの言葉が「MY LOAD」であるということ。
 だったんだよ!!

 まいろーど、だよ、まいろーど。
 英語字幕万歳。
 勝元@渡辺謙の忠実な部下、寡黙で苛烈でストイックな武士、氏尾@真田広之。
 氏尾はもちろん、勝元を「殿」と呼ぶ。
 この「殿」が、英語字幕では「MY LOAD」なんだよ。

 うきゃ〜〜。
 真田が口にする「MY LOAD」!! ももも萌え〜〜。

 英語っていちいち「わたしの」ってつけてくれるからいいよねえ。
 我が主君、我が君、私の閣下、ああ、すばらしいわ。

 てなことを、弟には言えない……言えないよ……。しくしく。
 弟とはふつーに、ふつーな感想を話しました。
「勝元が結局『なにをしたかったのか』が見えてこない」
「それにしても金のかかった映画だった」
「日本では作れないよねえ」
「しかし何故あそこで忍者?!」
「土下座はねーよなー」
「しかしあのラストは蛇足だろう」
「だってほら、『人魚姫』をハッピーエンドにしちゃうお国柄だから」
「それにしても渡辺謙かっこいー」
「かっこいいよなー」
 てな。

 おどろいたのは、弟が「主役」と「視点」のちがいを理解していたこと。

「主役は勝元だろ? オールグレンは視点。異世界を描くためには視点が必要だから、オールグレンを中心に描かれるけれど、作者が描きたかったのは勝元だから、勝元が主役だろ?」

 エンドロールで渡辺謙がいちばん上だったことを指摘したわたしに、弟はあったりまえの顔してそう答えた。
 ふつーの人は主役と視点を混同する……つーかそもそもそのふたつの概念を知らない・気づかないもんなんだが……弟よ、どこでそんな知識を??

 舞台が日本で日本人が演じていて、描かれているのがサムライだったり武士道だったりするから混乱するけど、よーするにコレ、ほんとにありがちなふつーの異世界ファンタジーなんだよね。王道の巻き込まれ型ファンタジー。
 ふつーの高校生が、剣と魔法の国で英雄になりました、系の話。少女系ではなく、あくまでも少年系ね。女の子読者にはキャラが死ぬ話はNGだから(美形キャラがひとり、美しく死ぬのはOK。でも全滅とか玉砕とかは女の子は大嫌い。それに美学を感じるのは男の子)。
 王道なので、細かいことは気にせず、素直にたのしみました。
 これでもー少し勝元がなにをしたかったのかがわかると、いいんだけどなあ。それと、ラストは蛇足すぎ。
 全体として「かっこいいから、いいか」という、ラノベや少年ジャンプ、あるいはタカラヅカのノリだわ(笑)。

 とりあえず、ツッコミどころ満載でたのしい。
 勝元とオールグレンはどっちが受ですか? とか、氏尾はどっちですかとか、チャーミングなボブ@斬られ役の先生はどうですかとか、同人誌作れるぞこりゃ、てなもん。

 ああああ、一緒に行ったのが弟でなければ〜〜っっ(笑)。

 
 わたしとWHITEちゃんには、「見なければならない」俳優が何人かいる。
 椎名桔平がそうだし、渡辺謙がそうだ。
 そしてもうひとり、「田辺誠一」がいる。

 わたしとWHITEちゃんは、田辺誠一を「王子」と呼んでいる。
 そりゃ、及川光博や藤木直人も「王子」と呼んでるけれど、それとはまったく別の意味で田辺誠一は「王子」なのだ。

 だって、ファンなんだもん(笑)。

 田辺誠一は、好きだから「王子様」なの。
 ミッチー王子はミッチー王子、藤木直人は(笑)付きで王子なの。
 ただひとり、田辺誠一だけは、心から「王子様」なのよ。
 反論はいらないわ。趣味の問題だから。田辺誠一は、わたしの大好きな王子様キャラなのー(目に星)。
 だってだって、マンガのキャラをまんま演じることのできる人よ?
 『ガラスの仮面』の真澄様よ? 紫の薔薇の人よ? 毎回笑いに悶絶しながら見たわよ。
 『月下の棋士』の滝川さんよ? この眼鏡クール総受男のコスプレだけで、このドラマの価値が天までのぼったわ。
 田辺誠一は、ヅカのフリルブラウスを素で着られる希有なリアル男性(しかも三十路)よ。

 てことで、わたしは田辺誠一ファン。
 今はまた二枚目キャラが定着してきたけど、一時期は佐野史郎系一直線だったもんなあ。脇役として出てきても、「あ、こいつ絶対犯人(もしくは変質者)」とわかってしまう系俳優(笑)。

 とまあ、前置きが長いが、仕方がない。
 WHITEちゃんが、
「田辺誠一の映画、見に行く?」
 ってメールしてきたのがはじまりなんだもの。

 映画『半落ち』。
 監督・佐々部清。出演・寺尾聡、柴田恭兵、原田美枝子。

 現役の警部が殺人を犯した。
 「妻を殺した」と自首してきた梶@寺尾聡に、県警は震撼する。とんでもないスキャンダルだ。取り調べに当たった刑事の志木@柴田恭兵は上からの命令で、梶の供述をねつ造するための誘導尋問をする。アルツハイマーの妻から乞われた嘱託殺人、お涙頂戴系に持っていって、市民の不信をかわそうというたくらみ。
 県警と検察の慣れ合い、体面を最重要視する警察に葬り去られようとする梶の真実とはなにか? 「守ろうとするもの」とはなにか? 一度は死を決意した男が思いとどまったのは何故か。
 志木の他に、検事の佐瀬@伊原剛志、新聞記者の中尾@鶴田真由、弁護士の植村@國村隼はそれぞれの立場で、沈黙を守る梶の真実を追いはじめる。

 田辺誠一、端役です。つーか、田辺誠一でなくてもいいし、いなくてもいいような役だったよーな。
 むさくるしい画面だから、お花が必要だったってこと?(笑) きれい系の男は彼ひとりだもんよ。
 てか、主演が寺尾聡って段階で、キャストの美しさなんか求めていない作品だってことがわかるよな。
 しかし。

 大泣きしました。

 こーゆー作品に弱いのよ。
 生きる痛みに充ちた物語。
 梶を中心に、彼の真実を探す人々の心の傷が浮かび上がってくるの。
 誰もが痛いものを心に秘めている。誰もが生きるかなしみや、つらさを知っている。そして、よろこびや愛しさを知っている。
 だからみんな、痛い痛いとつぶやきながら、涙をこぼしながら、懸命に生きている。

 彼は何故、最愛の妻を殺したのか?

 その謎をめぐるミステリ。
 アルツハイマーを嘆く妻に「殺して」と懇願されたから、殺した。
 事実はたしかに、その通り。
 誠実な梶は、嘘をつけない。真実のみを口にする。
 それでは、妻を殺し自首するまでの間、2日間もどこでなにをしていたのか。
 梶は口をつぐむ。沈黙する。
 嘘のつけない男は、ただ黙る。
 その2日間の謎を解くことで、梶の人生と事件の真実が浮かび上がってくる……。

「あなたは、わたしが殺してって頼んだら、殺してくれる?」
 記者の中尾は恋人に問う。恋人(田辺誠一だ)は一笑に付して、取り合わない。

 わたしには、わたしを殺してくれる人がいるだろうか?

 わたしのために、殺人犯になってくれる人が、いるだろうか?

「わたしを殺してください」
 と言うのは、「わたしと死んでください」と言うことと同じだ。
 殺人を犯せば、社会的に未来を失う。ある意味一度死ぬようなもの。
 あるいは、責任を取って自殺するか。
 どちらにせよそれは、心中だ。
 愛のために死ねるのか。
 そーゆーことだろう?

 壊れていく愛する者を、ただ見守るしかできない者たち。その慟哭。
 妻を殺した梶に、妻の姉@樹木希林は泣きながら叫ぶ。
「わたしは妹を殺してやることができなかった」
 と。「ごめんなさい」と。
 愛していたのに、殺してやれなかった。

 そして、彼女をいちばん愛していた梶が、彼女の望みを叶えた。
 彼女を、殺した。

「私は、妻を殺しました」

 梶の言葉は、とてつもない愛の言葉だ。
 愛の告白だ。

 もちろんそれは、殺人だ。罪だ。
 病気だからって、本人の望みだからって、人間が人間の命を奪うのは傲慢だ。
 まちがってるさ。
 神様じゃ、ないんだから。

 でもさ。
 神様じゃないからこそ、人間はこんなに美しいんだよね?

 文字数足りないので、次の欄につづく。

           
「桔平を見に行こう」
 というのが、わたしとWHITEちゃんの合い言葉だった。
 映画『g@me』。
 監督・井坂聡、出演・藤木直人、仲間由紀恵。

 なんでも予告編で、ちらりと椎名桔平の顔を見たんだって。
 でも、どの宣伝を見ても桔平の名はない。桔平クラスの俳優なら、出演していれば名前は出て当然だろうに、何故どこにも載ってない?
 先に見たというWHITEちゃんの友人は言った。「まあ、見てみるといいわ」と。
 桔平ファンなら見てもいいような役だってこと? なのに名前も出てこないと? 
 その謎を解くためにも、わたしとWHITEちゃんは映画館に向かった。

 桔平はたしかに出ていました。
 なんと、椎名桔平役で。

 まあ、それはさておき。
 映画『g@me』。
 見終わるなり、わたしはWHITEちゃんに聞きました。

「藤木直人と石橋凌、どっちが受?」

 WHITEちゃんは少し考えたあと、

「石橋凌?」

 と、答えました。
 やっぱり? やっぱり石橋凌が受だよね?(笑)

 なにがおどろいたって。
 この映画が、藤木直人と石橋凌のラブストーリーだったことよ(笑)。

 凄腕クリエイターの佐久間@藤木直人は、クライアントの葛城@石橋凌のために突然仕事から降ろされた。プライドを傷つけられた佐久間は復讐を企てる。家出してきた葛城の娘・樹理@仲間由紀恵と共謀して、狂言誘拐をでっちあげ、3億円を奪ったのだ。
 金を山分けし、なにもかもうまくいったはずなのに、樹理の他殺死体が発見され、警察は誘拐殺人事件として捜査をはじめた……。
 騙し騙され、物語はどこへ行くのか。

 いちおー表向きは、共犯関係にある佐久間と樹理が恋に落ちることになっている。ラブ・サスペンスってとこ?
 しかし……。

 佐久間、樹理を愛しているよーにはかけらも見えなかったぞ??
 藤木直人の問題なのかもしれんが。とりあえず、佐久間が樹理を愛しているとは思えなかった。

 樹理を愛していないのに、彼女を愛しているような言動をとっているとすれば、他に理由があると考えるしかないだろう。
 つまり、彼女の父親、葛城。

 そもそもこの物語は、佐久間と葛城が出会うことからはじまる。
 ふたりの男が運命の出会いをし、戦うことを目的としている。
 相手に勝ち、自分の力を認めさせる。それが男たちの原動力だ。
 佐久間は、葛城に自分の能力を否定された。それがゆるせなかった。葛城をぎゃふんと言わせたかった。
 金が欲しかったわけじゃない。彼が欲しかったのは、あくまでも葛城なんだ。
 その証拠に、せっかく手に入れた3億円は、使う気もなく樹理にくれやっている。樹理に興味を持ったのも、彼女を抱いたのも、葛城の娘だからでしょ? ただの小娘なら、なんの興味もなかったよねえ?
 葛城も、負けていない。完全勝利を目指すしかないゲームの「コマ」として、佐久間を選んだ。佐久間が優秀な男であること、しかし自分が御せることを前提として選んだ。他の誰でもなく、佐久間を。わざわざ会いに来たりして。

 仲間由紀恵の存在は、ほんと言い訳でしかないねえ。
 この女がまた、うざいバカ女だったりするからさあ。
 いい男ふたりの戦いの真ん中で「わたしのために争わないでぇ♪」と勘違いして歌っているバカ女。
 男たちが戦っているのは、自分たちのためだってば。戦うことで、愛情を確かめあってるんだってば。あんたのためじゃないよ。

 石橋凌のねっとりとしたいやらしさと、藤木王子(わたしとWHITEちゃんはこう呼んでいる)の焦点のあっていないかのよーな白痴美がいい感じですな。王子は王子たるゆえんで、なにをやってもアタマよさそうには見えないんだけど、まあそこはそれ、気にしないで見ました(笑)。
 あまりにヒロインの仲間由紀恵を無視して男ふたりでラブラブだから、あせっちゃったよ。いやあ、えらい映画でした。
 王子×石橋でもOKな強者は、ぜひごらんあれ。

 仲間由紀恵は……とりあえず、服のセンスがものすごいです。
 似合わねえ……。
 やっぱジャージとかカーディガンにロンスカとかの方が似合うよなあ。
 広末がやっていたらハマっただろうな、というよーな、エキセントリックな美少女役。男が描く物語に5万回くらい出てくるタイプの女。

 最後に、椎名桔平。
 椎名桔平役の椎名桔平。
 たぶんこれ、「隠しキャラ」ってやつよね。桔平の名をわざと宣伝に使っていないわけだから。
 狂言誘拐のシミュレーションをするとき、「警視庁から誘拐専門の凄腕の捜査官が派遣される……たとえば、椎名桔平みたいな」ということで、椎名桔平が登場するのさ。いかにも「切れ者!」って感じで。
 あくまでも、佐久間と樹理の想像の中だけの役。
 だから、これでもかッ、とかっこいいのだ、椎名桔平(笑)。いやあ、いい感じだー。
 しかしWHITEちゃん、よくぞこんなちょい役の特別出演を見つけたねえ。さすがファンはちがうわ。

 
 映画祭で5本映画を見たことはいい。
 IMPホールは椅子が悪いからお尻が痛くなるほかは、1日中見ていたって問題はない。

 つらかったのは、「同じモノを5回見せられた」こと。

 毎回、映画の前にICOCAの同じCMが入り、同じ司会者が現れ、ICOCAの同じ解説をえんえん語る。
 そして、同じ予告編が同じ数だけ流れる。

 あきる……。

 また、昨今の予告編って、長いんだよね。
 本編を見る必要がないくらい、予告で起承転結全部見せてくれるんだわ。
 おかげで、『コール』も『MUSA』も『タイムライン』も『しあわせな孤独』も『スティール』も、本編を見たわけじゃないのにおなかいっぱい全部見たよーな気になった。
 唯一、お金を出して本編を見に行ってもいいかなと思ったのは、デンマーク映画の『しあわせな孤独』のみ。

 24日は、ツイてない日でねえ。
 チケ取りもうまくいかず、ふたりにひとりは当たるだろうICOCAのトートバッグでさえ、わたしもWHITEちゃんも2回連続はずれた。
 なんで? ふたりにひとりの確率なら、わたしかWHITEちゃんどっちかは当たるべきでしょう? でもって、それが2回続くってどういうこと? それって確率的にかなり低くない?

 3回目でよーやくふたりとも当たり、胸をなで下ろした。
 もちろん、トートバッグが欲しかったわけじゃない。前にも書いたとおり、いらねえ、使えねえ。
 ただ、あまりにハズレ続きで、かえって不安になっちゃったのよ。
 こんなどーでもいい抽選にまではずれるようじゃあ、あまりにもお先真っ暗って気がして。

 さて、映画祭最後の1本、フランスのアクション映画『スティール』。監督ジェラール・ピレス、出演スティーヴン・ドーフ、ナターシャ・ヘンストリッジ、スティーブン・バーコフ。

 なにしろ、それまでえんえん予告を見せられていたからなあ。見ても見なくてもどーでもいいくらい、気分は萎えていたんだが。

 ふつーにアクションで、ふつーにたのしかった。
 だからこそ、お金を出してまでは見る必要がない。試写会でなきゃ、絶対見てない作品だわ。

 さて、予告編をえんえん見せられていたわけだが、本編の内容は予告編とは微妙に?ちがっていた。

 予告編で強調されていたのは、「ゲーム感覚」。
 今どきの若者たちが、ゲーム感覚で銀行強盗を繰り返す。
 とてつもなくクールでかっこいい。
 彼らが欲しいモノは、スリル。お金はその副産物。
 彼らを追うのは、知的な美人刑事。
 銀行強盗チームと美人刑事の、ゲーム的な駆け引き。
 そのうちのひとつとして、銀行強盗チームのリーダーと、美人刑事はゲーム感覚でセックスを愉しむ。
 リーダーは、「婦警とセックスしたのははじめてだ」とおどけて見せ、美人刑事は「刺激的でしょ?」と不敵に笑う。
「わたしがいちばん興奮するのは、追いつめられた銀行強盗の顔よ」と、美人刑事。
 なるほど、追う側も追われる側も、すべてがゲームなんだな。だからこうやって、「快感」を得るために犯罪も犯すし、刑事と犯人が寝ちゃったりもするんだ。
 まー、新感覚っていうの? ひたすらカッコイイことにこだわってるんでしょうね。
 実際、これでもかと映る銀行強盗チームのインラインスケート・アクションはカッコイイもの。パトカーなんてなんぼのもの、彼らはスケートで街を自在に走り抜けるのよ。あー、若いっていいわねー。こーゆー新世代の犯罪に、頭の古いおやぢ警官たちはついていけずにパトカーで右往左往してるのねー。

 と、わたしは予告を読み解いていた。

 しかし、実際は。
 ……微妙に、チガウ。

 あれほど繰り返されていた「彼らが求めているモノは、刺激!」という、ゲーム感覚は、ほとんどなかった。
 たしかに最初はそうだった。
 主人公のスリム@スティーヴン・ドーフと3人の仲間たちは、ゲーム感覚で銀行強盗をする。予告編で映っていた、スケートを使ったアクション、追走劇。
 若い彼らは、「セックスより刺激的!」とか、「もっと大きなことをやろうよ!」などとたのしそーに話している。
 だが、すぐに物語はチガウ方向へ流れ出す。
 彼らが犯罪者だということを知る何者かが、脅迫してきたんだ。
「私の命令通りに銀行強盗をしろ。でないとお前たちが強盗チームだということを警察に通報する」
 ゲーム感覚は、最初の1回だけで終わり。
 次からは全部、脅迫されて仕方なく行う、悲壮な銀行強盗ばかり。
 あ、あれ?
 「彼らが求めているモノは、刺激!」じゃなかったの? 予告ではさんざんそう繰り返してたじゃない。
 彼らはちっとも刺激をたのしんでませんよ? 見えない敵に脅迫され、ぴりぴりしながらアクションしてます。イライラしたりべそかいたりしながら、強盗してますが……。仲間もひとり死ぬし。
 予告で意味ありげに流れていた、美人刑事とのゲームのようなセックスも、お互い刑事と犯罪者だとは知らず、偶然出会って寝ただけだし。

 なんか、誇大広告を見せられたよーな……。

 ファッショナブルかつ、ゲーム感覚でクールなアクション映画とちがったんかい。

 現代の日本でウケる方向へ、テーマをスライドさせた予告編だったのね。
 新世代の若者による、ゲーム感覚の犯罪。
 そう謳った方が、日本ではウケると判断したんだろう。

 べつに、新しくもなんともない、ふつーのアクション映画だったわ。
 敵を見つけ、罠にかけ、美人刑事も出し抜き、最後は逃げ切ってハッピーエンド。
 気をつけて描いているのはアクションのみ。ひとの心なんてものは、描く気まったくなし。

 脅迫されていやいややった強盗で、仲間のひとりが殺された。
 死んだのはチームの紅一点のアレックス@カレン・クリシェ。主人公スリムとはどうやら恋人同士らしい。もっとも、スリムの方は浮気性らしく、美人刑事カレン@ナターシャ・ヘンストリッジの方に傾いている。
 にしても、死んだのはてめえの女だろ? なんでなにも感じないんだ、スリム?
 死んだときだけは泣くけれど、その次の瞬間もう、忘却してるだろ?
 他の仲間たちは「アレックスが殺されたんだ、仇を討たなきゃ!」と言うけれど、スリムは言わない。考えがあって心に秘めているのではなく、ただなんとも思っていないっぽい。
 映画の最後、アレックスを死に至らしめた脅迫者を罠にかけて破滅させるときには、スリムも仲間たちもアレックスのことなんかきれいに忘れているし。
 自分たちがひどい目にあったから、復讐しているだけで、アレックスが殺された敵討ちではないらしい。
 カレン刑事とも、べつに恋でもなんでもなかったようだし。

 ひとの心なんか、どーでもいいんだねー。
 カーチェイスだの銃撃戦だのを描くのに忙しいんだねー。
 予告ではスケートしか映ってなかったから、彼らはいつもスケートで戦うんだと思ってたけど、そうじゃなかったし。ふつーに車とか銃じゃ、他のアクション映画と変わらないじゃん。インラインスケートだからかっこよかったのに。

 ひとの心は存在していなかったが、とりあえずアクション(物理的な出来事)は起承転結、追いつめられたあとにあざやかにひっくり返してハッピーエンド、だからまあ、「ふつーのアクション映画」になってるよ。

 見終わったあとの感想は、
「アレックス可哀想……」
 だけだった。

「『やさしい孤独』って映画は、見てもいいかなって気がした」
 と、WHITEちゃんも言う。
「うん、じつはわたし、あの眼鏡の旦那、けっこー好みなんだけど」
「あたしもあたしも。あの旦那はいいよねっ。泣いてるし」
 24日の映画2本目が、『きょうのできごと』。
 監督・行定勲、出演・田中麗奈、妻夫木聡、伊藤歩。

 5本見た試写会のなかで、いちばん客席が埋まっていたのが、このタイトル。
 田中麗奈だから? 妻夫木聡だから? 『GO』の監督だから?

 軸になるのは、ひと組の仲間たち。
 京都に引っ越した仲間のひとりの、お祝いに集まった6人の大学生たち。
 彼らのなんてことのない日常と、テレビニュースになっているクジラの座礁事件と、壁の間に落ちた男の物語がリンクしていく。

 いやあ、最初、登場人物たちの「サムい関西弁」に盛大に引いたよ。
 うわ、さぶっ。
 なんやのそのイントネーション。ありえないくらい、大袈裟になまっている。何十年前だ? テレビの普及する前か?ってくらい。
 今どき、「買って」のことを「こうて」と言う若い女がいるのか? 良くも悪くも21世紀。関西弁と標準語のちがいは、イントネーションと「だ」→「や」の変換程度。(例・そうだ→そうや) 言葉自体がチガウことは、それほどない。
 自分のことを「ワイ」という若い男がいないように、「ウチ」という女の子はまずいない。んなもん、テレビの中だけだ。アニメキャラが区別のために現実ではあり得ない色の髪(ピンクとか緑とか)になってるのと同じ、キャラを立たせるためにありえない関西弁を喋らせているだけ。
 そんな違和感だな。

 それもまあ、見ているウチに慣れた。

 引越祝いでのどたばたと、その帰りの麗奈&妻夫木カップル+伊藤歩のドライブ、クジラの座礁とそれを見守る女子高生、壁の間にはさまった大倉孝二と、4つの物語が時系列めちゃくちゃにオムニバスのよーにぽんぽんと流れていく。
 最初はなんのつながりもなく、「なんやこれ?」なのが、最後にはきれーにリンクし、収束していくのが気持ちいい。

 なにかものすごい事件が起こるわけではなく、特異なわけでもない、ほんとにただの「日常」。
 テレビに映っているクジラと壁男はそりゃ、ちょっと特異かもしれないけど、軸になる学生たちは、ほんとに「ふつー」。
 彼らのなんてことのない「日常」が、おかしくて、せつない。

 なんの解説もないまま、青年たちの日常を切り取ってあるだけなんだが、のほほんとしている彼らが、彼らなりに悩みや飢えを抱え、切実に誠実に生きていることがわかる。
 そりゃ、飢餓やら戦争やらで苦しんでいる地球上の人々の苦しみの前では吹っ飛んでしまうよーな苦しみだけど。でもソレ、比べるもんでもないしな。

 とにかく、性格のチガウ男の子が5人も出てくるからさー。
「あなたは、どの子がいちばん好き?」
 と、聞きたくなる感じ。

 裏表なく天真爛漫、ちと口は悪いが好青年、の妻夫木。田中麗奈とは天下無敵のバカップル状態。大学でも平気でカノジョのことをノロケている。
 気の弱い美青年、松尾敏伸。とにかく顔がいいもんだから、女の子には一方的に迫られ、だけどあまりに不器用なので結局フラれるヘタレ男。顔のいいことが、すべてマイナスにしか働かない負け犬人生。どっかで見た顔だが、誰だっけ? と思っていたら、WHITEちゃんが「種彦さんだよ!」と耳打ちしてくれた。そうか、種彦さん@真珠夫人か!!(笑)
 料理ができてやさしくて、気配り完璧、だけど外見はイケてないです、眼鏡にどてらに中途半端な髪型、外見だけならコミケにいそうなオタク男、の柏原収史。
 大きな身体とワイルド系の風貌、つーかはっきり言ってむさくるしいだろ、のモテないくん。名前チェックしそこねた、誰だ? お笑いの人かな?
 いちばん出番の少なかったシニカルなツッコミ役の眼鏡くん。この子も名前知らないや。お笑いの人かな。

 わたしは柏原収史演じるマサミチくんが、いちばん好きだったなあ。見た目かなりイケてないけど。つーかどーしたんだ柏原くん、あんなに汚くなっちゃって。兄はあんなに美形のままなのに。
 縁の下の力持ちというか、いちばん報われない役割を、気負うことなく淡々とこなしているのが、いい。キレたモテないくんをなだめるシーンとか、うわ、この子やさしい! と感動。いちばんいい男なんじゃないの?
 でも、女の子からは一切恋愛対象にはされていないっぽい。外見アレだし。そしてマサミチ自身も、そんなことを気にしていない風。
 好きな女の子はたったひとり、たとえ片思いでもちゃんといるから、他の女の子にちやほやされることが一切なくても気にしないんだねえ。

 性格を解説するようよな台詞はまったくないのに、脇役にまでしっかりキャラが書き込まれているのが、うまいと思ったのよね。
 誰かひとりの行動に対するリアクションで、キャラの性格が全部わかるようになっている。
 あー、これはうまいなー。見習いたい。

 てゆーか、キャラの描き方に自信がなかったら、できないタイプの作品だよね。
 大きな事件が矢継ぎ早に起こって、わけがわかんないまま転がっていくタイプの話じゃないから。キャラの味だけで持っていくわけだから。

 なんにせよ、おもしろかった。
 今回の映画祭で見た5作の中で、いちばん。

 この計算されたプロットが、好みなんだよねえ。
 べつべつの物語がリンクしていく気持ちよさ。
 ひとつひとつは地味な「ふつー」の「日常」を、時系列を壊してリンクさせることで、なんと効果的に再構成してあることか。
 こーゆーの、好きー。

「泣いてない、ヘタレじゃない妻夫木をひさしぶりに見たよ」
 と、WHITEちゃん。
 まったくだ(笑)。
 妻夫木くんは、ほんとに等身大の「ふつー」の男の子でした。あー、こんな子いるなー、こんな子好きだなー、と思えるような。

 ラブラブモードの妻夫木くんを見たい人には、おすすめかな。

「そして、北村一輝……。出てたね……」

 わたしとWHITEちゃんの、注目の俳優、北村一輝。
 なにが注目かって、その「濃さ」によ。
 売れているのか、しょっちゅードラマに出てくるが、出るなり雰囲気を破壊するその異様な濃さ。嘘くさい存在感。
 たのむから、わたしの好きなドラマには出ないでくれ、ドラマが壊れる。
 ……という注目(笑)。
 ヅカでいうなら、月組のマチオさんみたいな感じ。見る気はないのに、いつも視界に入ってくる、一度見たら最後、気になって気になってしょーがない、という奇妙なキャラクター。
 いやあ、北村一輝はいいよなあ。無視できない力を持っているよ。わたしとWHITEちゃんはしょっちゅー北村一輝の話をしているよ。ま、ありていに言えばファンなんでしょう。……ただ、好きなドラマには出て欲しくない。オカマだとかサイコだとか犯罪者だとかの役以外では。
 ふつーの役は、存在が嘘くさくて見てられないのよ……。

「でもさ、なんか北村一輝、薄くなかった?」
「薄かったよ、北村一輝なのに!」
「薄かったよねえ? まるで、ふつーの俳優みたいだった!」
「はじめ、北村一輝だって信じられなかったもん! あの舌っ足らずな外国人みたいな声も、気にならなかったし」
「テレビだとなにをやっても嘘くさい変な人になるのに、映画だとふつーの人もできるんだ?」
「テレビではおさまりきらない人だったのね!」
「スクリーン俳優ってやつ?」

 そうなのか、北村一輝?
 テレビではおさまりきらないスクリーン俳優って、なんかかっこいい響きだぞ、北村一輝。
 あの滑舌の悪さでよく俳優業をやっているな、北村一輝。
 やっぱり注目の人だぞ、北村一輝。

 つーことで、「濃すぎない北村一輝」を拝むためにもおすすめの作品(笑)。

 
 「よみうりテレビ開局45年記念 ICOCAスペシャル CINEMA DAISUKI 映画祭2003」……という、やたらめったら長いタイトルのイベントに行って来ました。
 よーするに、映画がいっぱい見られるのだ。3日間で21本上映。つっても、全部見るのは時間的に不可能。いくつかの会場で一気に上映しているからな。
 希望者は前もってネットやハガキで応募しておく。抽選で招待券をGETして、さあ会場へ。

 ……もちろん、応募したのはわたしじゃない。わたしにそんなマメさはない。
 マメさNo.1のWHITEちゃんが応募していたのだ。
 全部で何タイトル当たったのかな? アニメとかは当たっても行く気はなく、そのまま招待券捨ててたもんなあ。
 とりあえず、わたしが「一緒に行こうね」と誘われたのが、5タイトル。

 22日 『アカルイミライ』『ラスト・ライフ・イン・ザ・ユニバース』
 24日 『私立探偵濱マイク』『きょうのできごと』『スティール』

 間の23日は宙東宝の発売日だし(笑)、24日は星青年館の発売日だし(笑)、と、とっても多忙な3連休。

 ICOCAが協賛だとかなんだとかで、会場にICOCAカードを持っていくとプレゼントに応募できるというので、わたしもまず最寄り駅でICOCAカードを買いました。ICOCAデビウっすよ。ICOCAはなんの割引もないから、回数券愛用者のわたしは、あまり使うことがないんだが。

 あー、ICOCAというのは、東京で言うところのSuicaカードのことです。チャージすることによっていつまでも使える、改札機にタッチするだけで通れるICカード。

 ICOCAを持って、いざ会場へ。

 1本目の映画。
 『アカルイミライ〜カンヌ映画祭バージョン〜』
 監督、脚本、編集・黒沢清、出演・オダギリジョー、浅野忠信、藤竜也。

 日本劇場公開は、2002年だから、去年ですな。
 それを23分短縮して字幕をつけた、カンヌ国際映画祭正式出品作品、だそうだ。

 わたしはその日本公開バージョンを見てません。
 今回が初見。

 イライラ青年オダギリジョーと、彼を見守る穏やかな大人青年浅野忠信。すぐにキレてなにもかもぶちこわすイライラ青年のことを、大人青年がとてもやさしく見守っている。
 が。
 実際に殺人犯になったのは、やさしく穏やかで大人っぽかった青年の方だった。
 判決を待たずに自殺した大人青年から譲り受けたクラゲを飼うイライラ青年は、大人青年の父、藤竜也と出会う。
 超えられない壁を有したままも、イライラ青年と死んだ青年の父は共に生活をはじめるが……。

 こーゆー純文学作家の頭の中ってのは、わたしとはいろいろチガウんだろうなあ、というのが正直なところ。

 考える、というより、感じるための映画。
 答えを出すのではなく、聞くのではなく、ひとりずつが自分の中で「感じ」ればそれでいいのだと思う。

 それは、いい。
 いいんだが、わたしはこの映画を見ながら、とってももどかしくなったんだ。
 この映画に限らず、このテの純文系作品を見るたびに、いつも感じること。

 わたしなら、もっとおもしろくするのに。

 とりあえず、映画館の半数が爆睡するよーな映画は作らない(笑)。

 ミニシアター系の作品なんだから、客を選ぶのが前提。客が映画を選ぶのではなく、映画が客を選ぶ。
 わかる人だけわかればいい。わからない人はイラナイ、見なくていいよ。
 そういうスタンスで作られた映画。
 だからこそ、「わかる」人にはとてつもなくウレシイ作品。

 そーゆージャンルであり、スタンスであるのはわかる。
 わかるけど、わたしならそーゆーモノは創らない。
 誰が見てもふつーにおもしろくて、なにも知らずにタダだからって試写会にやってきたおじさんおばさんにもある程度たのしく見られて、だけどなおかつ、「わかる人にだけはわかる」サインもちりばめる。
 力不足でどれかが欠けたとしても、目標はそこに置く。

 まず、ふつーの人たちをたのしませたい。
 「わかる」一部の人たちだけを、たのしませるのではなくて。

 エンタメが好きなんだよなあ。

 純文を低く考えるのではなくて、純文で扱うようなテーマも、エンタメのなかで表現したいと思うんだ。
 ただ、自分がその方が好きだから。

 だから、もどかしい。
 ふつーの意味で「おもしろくする」なんて、この映画がはじめから目指していないことは承知の上で。
 純文系だからこそのせつなさや美しさがあることを承知で。
 それでも、もっとおもしろくする可能性を、はじめから捨てていることが、もどかしい。

 いやあ、寒い会場でした。
 もともと人が少ない上に(そりゃそーだ。このタイトルじゃ、タダでも人は集まらないよ)、みなさん気持ちよく爆睡(そりゃそーだ。この内容じゃ、タダだから、ってやってきた人たちの多くにはつまんないよ)。

 でもとりあえず、浅野くんファンのわたしには、とってもたのしかったっす。
 いーよなー、浅野くん。
 こういう役、ハマりすぎ。彼ならではの透明感がツボ。

 わたしは腐女子ですが、このいかにも「ホモ萌えしてください」と差し出された男3人の愛情物語にはいっさい萌えていません(笑)。
 せつないものが好きだから。
 恋愛より、このカタチや名前のない関係や距離が、なおいっそうせつないから。
 ホモになんかしませんとも(笑)。

 海でしか生きられないはずのクラゲたち。
 少しずつ真水に慣れて、下水や川で、それでも生きて。
 それでも、生きて。
 すべての川は、海に続いている。

「日本公開バージョンは、もっと浅野くんとオダジョーがいちゃいちゃしてたのに」
 と、WHITEちゃん。
 カットされていたシーンの多くは、ふたりのデートシーン(笑)だとかだったらしい。
 あと、血まみれ惨殺現場とか。
 いい男ふたりのいちゃいちゃシーンは見たかった気もするが、本質に関係ないなら別にいいや。
 ことさらに残虐なシーンも見たくないし。

「クラゲって、ほんとに刺すもんなの?」
 と、WHITEちゃん。
「刺すよ。つーか、刺されたことあるし」
 お盆を過ぎた海で泳ぐと、刺される可能性大。
「海なんか行かないから知らない」
「あたし、クラゲさわったことある、子どものとき。網ですくったの」
「ええ、どうよソレ?」
「気持ちいいもんでも、かわいいものでもなかったなあ。こう、べしゃっと平たいゴミ袋みたいになってて……」
 お昼ごはん食べながら、何故かクラゲ談義(笑)。

 つーこで、1本目終了。
 わずか1時間おいて、2本目の試写会に参加したわけなんだが。

 しかし、行数が足りないので明日へつづく。

 
 ひさしぶりに、おもしろくない映画を見た。

 映画ってのはまあ、大抵ある程度はおもしろいもんなんだが。
 とくに洋画は、わざわざいろんな人の手とお金を使って、輸入されてくるわけだからな。邦画の駄作よりは、いくらかマシだったりする可能性が高い。

 「アンバランスなハートが絡み合う、衝撃のラブ・サスペンス」というコピーのつけられた『ケイティ』という映画を見てきた。
 監督・脚本スティーブン・ギャガン、出演ケイティ・ホルムズ、ベンジャミン・ブラッド、チャーリー・ハナム。

 女子大生ケイティ@ケイティ・ホルムズの恋人エンブリー@チャーリー・ハナムは2年前に失踪した。そのことについて、ハンドラー刑事@ベンジャミン・ブラッドが調査にやってきた。
 それをきっかけにするかのように、ケイティの周りにエンブリーらしき人影がつきまとうようになった。そこへ、新たな失踪事件が起こる。ケイティをずっと愛していた友人が、彼女に愛を告白した日から行方を絶ったのだ。
 エンブリーは果たして生きているのか? 行方不明になった友人は、エンブリーの手にかかったのか?
 緊張の続く毎日のなか、ケイティはいつしか、ハンドラー刑事に惹かれていくが……。

 いやあ、長かった。
 2時間半くらいある?
 ……と思ったら実際は、1時間半くらいしかなかった。

 あまりにつまらなくて、時間の感覚が狂っちゃったよ。

 けっこう早いウチから、オチが読めてしまうのに、いつまでたってもスクリーンの中では同じよーなことをちんたらやっている。
 なんなんだろうなあ、このタルさは。

 ネタ自体はべつに、悪くない。
 オチは読めたが、それでももっとサスペンスらしく盛り上げることはできただろう。
 だからすべては、演出が悪いってことだろうな。
 見ている者を退屈させるよーな演出は、勘弁してくれよ。
 わたしは退屈で退屈で、仕方なかった。
 なまじ青春映画風の繊細物語を意識しているよーな感じだから、サスペンス部分との相性の悪いこと。どっちも中途半端。

 オチが読めすぎてしまうのは、ズルをしていないからなんだろうな。
 ヒロイン・ケイティは、正しくサイコ女だった。……はっ、いかんコレはネタバレか? タイトルにネタバレ注意出しておかなきゃだな。

 エンブリーはハンサムでお金持ちで、しかも天才劇作家ときたもんだ。そんな彼に、才能を見いだされ、愛されたケイティ。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
 ……平凡な女の子があこがれる最高峰。まあ、わたしって実は天才だったんだわ。天才であるわたしは、天才であるうえにハンサムでお金持ちのダーリンに愛されて当然なんだわ。

 そのハンサムな天才が行方不明になり。

 気がつくと、ケイティの周りには、彼女を愛する男たちばかり。
 友人として彼女を見守ってきたやさしい彼、超一流企業の人事権を持つ彼、繊細な彼女のセラピーをする精神科医の彼、心に傷を持ったセクシーな刑事の彼。
 彼女に出会う男たちは、みーんな彼女の虜。

 当然よね、だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。
 この世のすべての男が、わたしを求めて争っても仕方のないことだわ。

 失踪したはずの天才ハンサムのエンブリーが、ストーカーと化してわたしを監視している。わたしに近づく男を許さないと言う。
 ああ、当然だわ! だってわたしは、天才で美人でエレガントなんですもの。天才のエンブリーは、わたしを独り占めしたがっているんだわ!

 ……えーと。
 これって彼女の、妄想だよね?
 と、オチがわかりきってしまうんだよなあ。

 もちろん、男たちは彼らなりにちゃんとケイティを愛してはいるけど、彼女が思う「だってわたしは天才で……以下略」とはちがっているだろう。いくらでも代わりのきく、ふつーレベルの恋愛感情だろう。
 つまり、ふられたらあきらめられる、ケイティがいなくてもふつーに生きて生活していける、ふつーの好意。
 それが、ケイティ視点になると「わたしを愛するゆえに犯罪者になる」「わたしを愛するゆえに死んでしまう」とかになる。

 ケイティがゆがみまくってるからなあ。
 彼女視点でどんなに「何者かにねらわれているわたし!」をやられても、しらけるだけ。それ、君の妄想でしょ? ちっともこわくないです。

 オチに気づかなければ、おびえるケイティに感情移入して、一緒にこわがることができたのかなあ。

 エンブリーはとっくに死んでいて、その犯人がケイティだった、てのがどうやら最大のどんでん返しらしいのだが、とにかく、早い段階からその「最大のどんでん返し」がバレちゃってるもんだから、そこにたどりつくまでが退屈で退屈で。
「君は他の凡人どもとはチガウ。愛しているよ。さあ、ボクと天才だけの世界を共有しよう」
 という、才能と愛と二本立ての欲を満たしていてくれたダーリンが、
「君はダサいだけで才能なんかないし、もちろん愛してもいないよ。もうボクにつきまとわないでくれ!」
 てなことを言って捨ててくれたら、そりゃ逆ギレするしかないよなあ。
 どっちかひとつならまだ、救われたかもしれないが、両方だからな。
 才能と愛、両方を否定されたら、存在意義が崩壊してしまう。
 天才のわたしってすてき! 天才に愛されてるわたしってすてき! と、舞い上がってたんだもんなあ。

 とまあ、ズルなしで、ヒロインのキャラクタ造形も、ストーリー展開も伏線も、正しく造られています。

 しかし。
 いくらズルなしでも、つまらなかったらなんの意味もない。

 という見本のような話。

 いくらフェアでも、犯人も動機もトリックもまるわかりのミステリは、読むに値しない。

 とゆー見本のような話、でしたよ。

 ほんと、これほどつまらない映画は、ある意味見る価値があったかもしれない(矛盾・笑)。

 
「ねえ、『えびボクサー』って、どうよ?」

 それはたしか、『呪怨2』を見に行ったときでした。その映画館のロビーには、小さな水槽が置いてあり、「えびボクサー」と手書きポップが添えてあった。中には、ザリガニ?らしき甲殻類が隅っこでうずくまっている。わたしたちが見た『呪怨2』は最終上映。そのあとに控えているのはレイトショーのみ。レイトショーは『えびボクサー』。
 『えびボクサー』って、なんだろう? ポスターは1匹の赤いえびのアップ。赤いボクシンググローブつき。“もう海には帰れない!”
 そのよくわからない映画のために、列ができている。今どきのおしゃれな若者たちが、赤いグローブをつけた赤いえびの写真の型抜きになったパンフレットを持って、たのしそうに並んでいる。
 内容がぜんぜん想像できない。どーゆー映画なんだ? 『えびボクサー』って。
 でもまあ、こんな小さな映画館の、しかもレイトショー限定だし。きっとただのB級映画よね。
 わたしとWHITEちゃんは、なまぬるくスルーした。

 しかし。
 日々は過ぎ、季節は秋になった。
「ねえ、『えびボクサー』って、どうよ?」
 WHITEちゃんが、ふたたび言う。
「まだレイトショーやってんだけど」
 は? まだ、やってる? って、なにそれ。『呪怨2』のときにやってた映画だよね? あの映画館のレイトショーなんて、通常2週間、下手したら1週間で終わるよねえ?
「かれこれ3ヶ月もレイトショーやってんのよ。それってどうよ?」
 さ、3ヶ月? それって、めちゃくちゃ大ヒットじゃん。てことは、おもしろいの?
「さあ……なにしろ、周りに見たって人がひとりもいないからねえ。でも、どうなんだろ、『えびボクサー』」

 『えびボクサー』って、どうなのよ?
 たしかに、一度見たら忘れられないポスターだし、タイトルだけど。

 あの映画館で、3ヶ月のロングラン。
 そんなにおもしろいなら、見るしかないよなあ。

 ということで。
 WHITEちゃんとふたりで行って来ました、レイトショー。

 ……どんな話だと思う?
 『えびボクサー』だよ?

 答え。
 タイトルまんま。
 えびがボクシングをする話。

 監督・脚本マーク・ロック、出演ケヴィン・マクナリー、ペリー・フィッツパトリック、ルイーズ・マーデンボロー。

 若いころはそこそこ活躍したボクサーだったけど、今は人生終わってるデブ中年男ビル@ケヴィン・マクナリーは、何でも屋のアミッド@マドハヴ・シャルマから儲け話を持ちかけられる。それはなんと、「体長2m10cm」の巨大えびに人間相手にボクシングをさせる、というものだった。
 全財産をつぎこんで、その巨大えびを買ったビルは、後輩のアマチュア・ボクサー、スティーブ@ペリー・フィッツパトリックと、スティーブの恋人シャズ@ルイーズ・マーデンボローの3人で、いざロンドンへ!!
 テレビ局に企画を売り込むのだけど、相手にされない。色仕掛けに奇襲、なんでもござれ。ついにあるプロデューサーに認められ……。

 なんというか。

 映画って、すごいなあ。

 視覚のおもしろさっていうのは、理屈じゃないんだよね。
 安ホテルのベッドに、イケてない中年男と、もっさりした表情の若者が、だるそーに横たわっている。
 彼らの間には、えぴ。
 1匹の、えび。
 体長2m10cmの、巨大なえび。

 安ホテルと男たちという「日常」のなかに、あったりまえの顔して巨大えびがいる! てゆーか、テレビ見てる!

 それが、おかしい。
 スクリーンの中ではそれがふつうで、なんの疑問もツッコミもなく流れていくんだけど、見ているこっちはそれだけで爆笑。

 視覚のおもしろさ。
 文章だといろいろ解説しなきゃいけないけど、映像だと、なんの解説もなく、観客を突き放したまま妙ちくりんな世界がすすんでいく。
 それが、おかしい。
 あー、映像っていいなあ。このおかしさは、文章では表現できないもんなあ。

 この『えびボクサー』には、ほんとに巨大えびが出てくるんだよね。
 それがもう、怪獣映画のノリ。今どき、実にうそくさいロボット以前のような人形を使って撮影している。その巨大えびのうさんくささが、余計に画面をおかしくしているのね。

 巨大えびという、変な小道具を使っているが、プロットとしては平凡。5万回は見たような話。
 人生終わってる、あきらめてひねくれている中年男が、「もう一度、夢を見たいんだ」と一念発起。夢のために滑稽な努力をし、そうすることで人間として成長し、新たな生き方を見つけていく。
 巨大えびというシュールなネタと構図を使いながらも、それを取り巻き右往左往する人間たちは、とことん平凡で常識的。えびのうそっぽさと、人間たちのリアルさが、このよくあるプロットを、よくあるからこそ魅力的なものにしている。
 よくあるってのは、5万回見たってのは、それがそれだけ支持を受けているってこと。みんなが大好きで、みんなが「見たい!」と思う物語だってこと。

 はじめはたしかに、金儲けだとか有名になりたいだとか、そーゆー野心のためにがんばっていたオヤジたち。
 しかし、夢中になって努力しているうちに、なにかチガウものに、到達する。

 プロモーションを行う会場として、廃倉庫を手作りでリメイクするビルとその仲間。
 そりゃ金は欲しいよ。成功したいよ。だけど。

 いちばん欲しかったモノは、今この瞬間じゃないのか?

 なにもかも捨てて、夢のために仲間たちとひとつになって、ひとつのものを創り上げる。
 夢中な自分自身。
 負け犬な自分やうまくいかない世の中を嘆き、すねて田舎の隅で愚痴だけをこぼしていた、あのころ。
 本当に欲しかったのは。
 夢中な自分自身。

 自分を、好きになりたかった。

 いやあ、5万回は見たプロット。
 だからこそ、こんなにきらきらしている。

 それにしても、あの作り物丸出しのえびはいいキャラだなあ。
 その破壊力は鉄球付きのクレーン並み。壁なんかぶち破るし、殴られた人間は宙を飛ぶ。
 つくりものめいているぶん、ちょっと動くだけでものすごーく、おかしい。動くわけない人形が動くあぶなっかしさがある(笑)。
 走る姿なんてもお。

 ついにテレビ局が動き、えぴボクサーVS人間の試合がオンエアされたとき……あのえびの動きってば!!
 コロシアムを走るえびに、爆笑!!
 走ってるよ、走ってるよえび!!
 つーか、走れるんだ?!
 うひゃひゃひゃひゃ。

 わたしとWHITEちゃんは、大ウケ。
 ふたりして腹を抱えて笑った。

 そして、感動のクライマックスへ。

 欲しかったモノは、金や成功じゃないんだよね。
 それは、あくまでも副産物。

 自分自身に、胸を張りたかったんだよ。
 一瞬でもいいからさ。

 いやあ、数年ぶりに洋画のパンフレット買っちゃったぁ。
 赤いグローブをはめた赤いえぴの、型抜きになったパンフレット。見ているだけでかわいい。かわい……。
「げっ」
 買ったあとで、裏を見ておどろく。
 表紙はその、かわいいえび。たしかに、えび。
 裏表紙は……その、裏側だった。
 えびの、裏側。
 つまり、腹と足。
 うぎゃぎゃぎゃぎゃ。
「気色悪い〜〜っ」
「裏までリアルにしなくていいのにー!!」
 ちなみに、わたしもWHITEちゃんも、えびがキライです(食べられません)。

 姿がかわいいだけで、まったく使えねえパンフだしな。中は一色刷でわずか6ページ、キャストの顔写真すらない。
 肝心のテキストは、HPと一言…
 一足先に、『KILL BILL VOL.1』を見てきました。

 監督・脚本クエンティン・タランティーノ、出演ユマ・サーマン、デビット・キャラダイン、ダリル・ハンナ、ルーシー・リュー。

 わっはっはっ。

 コレ、ギャグ映画だよね? マジにやってないよね?
 ……という内容でした。

 予告編を見たときから、それらしきニオイはあったけれど。
 いやあ、見事なまでのバカ映画でした。

 ひとことでいうと、復讐モノ。
 つーか、ひとことで言い終わるだけの内容しかない。
 タイトルまんまだ、「ビルを殺せ!!」。

 毒ヘビ暗殺団の女刺客、暗号名ザ・ブライド@ユマ・サーマンは、結婚式の日に元ボスのビルとその手下たちに襲われ、夫もおなかの子どもも殺された。そして、自分も大ケガをして4年間昏睡状態となった。
 目覚めた彼女は、復讐の旅に出る。
 
 ……旅に出た先が、すばらしい。
 日本の沖縄。
 そこでザ・ブライドは、服部半蔵@千葉真一に出会い、人間100人斬れるカナ?のすばらしい銘刀と、「サムライの心得」を伝授される。
 彼女が狙うのは、ヤクザの女親分となった毒ヘビ暗殺団のオーレン・イシイ@ルーシー・リュー。

 いやあ、言語センスがいちいちすばらしいんだよ。「毒ヘビ暗殺段」だよ(記憶ちがってたらすまん。だが、こんな字面のこんな名前だった)。なんて悪そうな組織なんだっ。
 そして、服部半蔵だよ。なんてサムライらしい名前なんだっ。
 ボス・タナカとかボス・マツモトだよ。なんて脇役らしいヤクザの名前なんだっ。
 そして、女親分オーレン・イシイの部下、女子高校生殺し屋・GOGO夕張@栗山千明だよ……。
 GOGO夕張にはほんと、ノックアウトされた。この言語センスには脱帽。真似できないよ。
 しかもこのGOGO夕張、女子高校生の制服姿で、「鉄球」で戦うし……。

 固有名詞が出てくるたび、客席から失笑がもれる。
 たしかに史上類を見ない作品だ。

 まったくもって、ストーリーはないに等しい。
 えんえんえんえん、チャンバラ。
 戦う戦う戦う、飛び散る手足、身体の一部、頭も飛ぶし、デコも飛ぶ。血は飛び散るというより、吹き出してますっていうか濁流ですな。スクリーンで見る数年分の血を一気に見た感じ。

 なるほど、どーして舞台がわざわざ日本なのかわかったよ。
 他の国だったら、銃でばきゅんばきゅんやっておしまいだもんな。
 日本だから、チャンバラができるんだわ。銃文化のない国だから。
 ……でも、刀文化もすでに消滅しているハズなんだけど……ま、そこはそれ。
 チャンバラがやりたかったんだなあ。よーーーーっく、わかったよ。

 チャプター仕立てなので、いちいちタイトルが出るんだけど、最後の「ナントカ屋の死闘」(固有名詞忘れちゃった)を見た瞬間、「池田屋」を連想したわたし。チャンバラで「死闘」とかゆーと、つい、な。
 そしたらやっぱり出ましたよ、階段。タカラヅカと言えば大階段、池田屋と言えば階段落ちですよねえ?
 いや、池田屋とはなんの関係もないんだと思うけどな。チャンバラのお約束なのかしらね、料亭の階段ってのは。
 それにしても長かったなあ、この「死闘」。

 わたしは映画ファンを名乗れるほど古今の名作を見ていないし、深作欣二監督作品なんか、『バトロワ』しかまともに見たことがない。冒頭から「深作欣二に捧ぐ」とやられたって、はあそーなんすか、としか思えない。
 だから、この映画がどの映画のどのパロディをやっているのかなんて、さっぱりわからないよ。
 さすがに、GOGO夕張が『バトロワ』パロらしいのはわかったけど。
 もっと知識のあるひとなら、ウエットにとんだたのしみ方ができるのかもしれない。
 が、わたしには無理だ。
 この映画は、とてつもないギャグ映画。

 そんな看護婦いねーよっ。
 そんな寿司屋はいやだっ。
 刀持って飛行機乗るなっ。
 そのアニメはどうよっ。
 ロリコンかよっ。
 そんでもって11歳でセーラー服ってのは、ボスの趣味なのかよっ。
 どーゆー店だよ、それはっ。
 そのコスチュームはどうよっ。
 なんで仮面してんのよっ。
 演歌かよっ。

 と、つっこみだけ羅列。解説ナシ。

 謎なのは、ルーシー・リューだわ。
 日本のヤクザの大親分になるわけよ。
 そして司会のおねーさんは試写の前に語ったわ。ルーシー・リューがどれほど努力をして、流暢な日本語を喋れるようになったかを。
 そうよね、日本のヤクザの親分なら、日本語喋れなきゃダメよね。ルーシー・リュー、顔だけ見たら日本人だけど、ガイジンさんだから、日本語は努力して会得しなきゃなんないのよね。

 映画を見て愕然。

 どこが流暢なのよ、どこをもって流暢っていうのよ、司会のおねーさん!

 てゆーか、なんでルーシー・リューなの?
 オーレン・イシイは、台詞はほとんど日本語なのよ。日本語を喋れないガイジンさんを使う理由はどこ?
 ヘタレ感を増すのが狙い?

 教師のすすめる学習時間の何倍もの訓練をしてなお、この発音なのかルーシー・リュー……。会話をするわけじゃなく、決まった台詞を言うだけなのに、ここまでヘタなままなのか……。

 そして、主役のユマ・サーマンもあちこちで日本語なんだよね。
 ルーシーと、ガイジンふたりでものすげえ下手な日本語で会話するのよ……いちばんの「決めシーン」で。
 あんたらアメリカ人なんやから、ふたりで話すときは英語でええやん。なんでわざわざ喋れもしない日本語で話す必要があるのよ?

 これはアレかな。
 日本の作品でもあるよね。
 日本人のヒーローが、決め台詞をわざわざかっこつけて英語で言ったりするヤツ。
 アレをやっているわけか。
 アメリカ人は日本語なんてわからないから、日本刀でチャンバラするふたりの美女が、日本語で決め台詞を言うのを見て「COOL!!」とか思うわけか。

 ああ……。
 とにかく、期待を裏切らないすごさ。
 どこをとってもヘボ満載。脱力系の笑いがちりばめられている。

 タランティーノ監督、どこまでマジなのかなあ……。

 『北斗の拳』をたのしめる人なら、たのしめると思うよ。
 血の量も人間の細切れぶりも、アクションのとんでもなさとかっこつけぶりも、いちばん近いと思う。ヘタレが笑えるところもな。

 あー、おもしろかった。
 後編ですか? ええ、見に行くと思いますよ(笑)。

 あ、スタッフロールになっても席を立たずにいましょうね。
 最後にすごい歌が聴けるぞっ。

 
 水曜日に見た映画。
 『マッチスティック・メン』。監督リドリー・スコット、出演ニコラス・ケイジ、サム・ロックウェル、アリソン・ローマン。

 またしてもニコラス・ケイジ?!

 わたし、この人苦手なんだってば。
 中井貴一が主役だと見に行く気がそがれるのと同じで、ニコラス・ケイジが主役だと見に行く気がそがれるのよー。

 ああだけど、わたしの好きそうな映画にばっか出るんだもんよー。
 うまい俳優だってことは知ってるのよー。ただ、理屈ではなく顔が苦手なのよー。

 えーと、詐欺師映画。
 騙し騙されモノ、って、好きなのよ。プロット緻密だから。アクションより、心理戦の方が好き。

 映画館で予告編を見たWHITEちゃんが、怒ってたの。
「あの予告編、ひどい。本編の内容を全部映してる」
 彼女はすでに試写会で見たそうな。
 だからこそ、映画館で流れている予告編のひどさがわかる、と。

 たしかに最近の映画の予告編はひどい。

「ここまで見せてくれるんだったら、もう映画本編を見る必要ないな」ってとこまで、長々だらだらと予告編で見せてくれる。
 起承転結まで全部、見せてくれるの、解説付きで。ある意味、本編より親切。

 たとえばコメディタッチの恋愛映画ならば、ラストがハッピーエンドだってのはわかったうえで、ふたりのやりとりや恋がどうやって盛り上がっていくかをたのしみで見るよね。
 なのに、そのいちばんのおたのしみ部分を、ハイライトで解説までつけて、予告編で全部流してしまう。あとは「ハッピーエンドでおしまい」の一瞬前まで。
 バカじゃないんだから、そのシーンのあとはハッピーエンドだってわかるよ……みたいな。

 世の中の人はそこまでやられても起承転結が理解できないバカなのか、それとも宣伝をする人がバカなのか、あるいは世間の人をバカだと思っているのか。
 予告編ではなく「本編のダイジェスト版」を作って映画館で流して、映画を見る気をなくさせている。
 やれやれ。

 この『マッチスティック・メン』の予告編も、そりゃーもー、やたらめったら長い。
 しかも親切丁寧。
 とりあえず予告を見た人は、映画本編で騙されることはないだろう。
 ……せっかくの、最後で大どんでん返しのある映画なのに。

 WHITEちゃんが怒る通り、たしかにあの予告編はひどいわ。
 作品のいちばんキモになるオチを、先に教えてしまうよーなものだもの。
 読む前のミステリ本の帯に、犯人の名前が書いてあるよーなものさ。

 予告を見てから本編を見たわたしは、はじめにトリックがわかってしまいました……。わーん。
 騙されたかったのにー。
 どんでん返しですかっとしたかったのにー。

 詐欺師ロイ@ニコラス・ケイジは潔癖性。症状がひどくなると、社会生活が送れなくなるほど重傷。相棒のフランク@サム・ロックウェルの紹介で、精神科医にみてもらうことにした。
 診察を受けるうちにロイは、会ったことのない我が子のことが気になりだした。離婚した妻は、彼の子どもを妊娠していた……もしもあの子が生まれていれば、今は14歳になるはずだ。
 ロイは医者を通して前妻に連絡を取った。それがはじまり。やがてひとりの少女が、ロイの前に現れる。娘のアンジェラ@アリソン・ローマンだ。そりゃたしかに子どものことは気になったけど、いきなり14歳の娘の父親なんかやれるわけないって!
 双方とまどいながらも、新米の父と娘は生活をはじめる。だがある日、アンジェラがロイの仕事を知ってしまい……。

 父と娘は、ある意味プラトニックな恋人同士なんだよね。
 ……と思わせる、かわいい親子ぶり。
 ちくしょー、予告編もこのあたりをメインに作れよー。
 ロイとアンジェラの親子ぶりは、とてもハート・ウォーミング。重度の潔癖症が、アンジェラと暮らすことで治っていくさまや、詐欺師を廃業しようかと考えるに至るあたりも、お約束ですが見ていて気持ちいい。
 アンジェラがまた、かわいいからなあ。リアルな女子中学生。シングル・ママのもと、生意気に利口に孤独に育った女の子。……てのが、よくわかる。

 最後の大仕事に、なしくずしにアンジェラを巻き込んでしまい、悲劇がはじまる……。

 最初からひっかかっていたから、騙されることはなかったのだけど。
 うーん、騙されていたら、この映画はどんなふうに心に残ったのかしら。

 ところで、ふたり組の詐欺師、ロイとフランク。
 こいつらって、ホモ?
 ……アメリカ人ってば、日本人と感覚チガウからなあ。
 なにかっちゃー「愛してるよ」と言い合う男ふたりは、日本ではまちがいなくホモです。
 ボーイズラブのなかの男たち以外では、恋人に言うようなことを言わないし、それらしきことを匂わせてたのしんだりしません。

 なんだよ、こいつらホモかようざってーなー、と思って見ていたので、見終わったあとに「結局ホモの痴話ゲンカかい」とか思ってしまったのです……。
 いや、チガウことはわかってるんだけどね。

 ニコラス・ケイジはうまい俳優です。
 役者とは、イメージ通りに肉体を動かすことができる人間のこと、というのをどっかで聞いた。
 ニコラス・ケイジを見ていると、ほんとーにその通りだと思う。
 自分の肉体(表情などもすべて含めて)を、自在に操ることができる人だと思う。
 だからこそ、わたしの好きなタイプの作品に出るのでしょう。

 惜しむらくは、わたしが彼の「顔」が苦手なことだよ……ほんと……。

 
 貧血を起こしたリカコンののち。
 すぐさま電車に乗るのは気分的に不可能だったので、へたりこむこと1時間。
 胃袋に入れられるだけ入れて、体力回復につとめた。

 へんだなあ、わたしちゃんと、食事してから出かけたのよ?
 なのに、幕間にかねすきさんに菓子パンもらって、終演後にお菓子もらって、別れたのちにひとりでごはん食べて。
 これだけ栄養取ってなお、どーして貧血なのよ。
 やっぱ心因性かな……。

 とにかく、貧血は時間さえ経てば治ります。
 いつものことなので、本人は慣れている。治るまでの時間と症状の重さは、そのときでないとわかんないから不安だけど。

 ま、とにかく。
 明るいところでへたるのもかっこ悪いので、そののち映画館へ逃げ込んだ。
 映画館なら、背もたれにどてーっともたれていても、変じゃないから(喫茶店などでそんな坐り方はできないもんよー)。

 ということで、『陰陽師2』。

 監督・滝田洋二郎、出演・野村萬斎、伊藤英明、中井貴一。

 鬼が出る。鬼が都の貴人を食らう。人々は戦々恐々。……ひとつめの要因。
 貴族社会とは別に、市井の人々の間で「神」とあがめられている男、幻角@中井貴一。彼は貧しい人々に「奇跡」を起こして見せていた。……ふたつめの要因。
 右大臣の一人娘、日美子@深田恭子は、鬼の襲来と呼応するように夢遊病になっていた。……みっつめの要因。
 都の宝物、聖剣アメノムラクモに異変が起こる。安倍晴明@野村萬斎はそれについて調べはじめる。……よっつめの要因。
 笛の名手、源博雅@伊藤英明はある夜、彼好みの琵琶を奏でる少年、須佐@市原隼人に出会い、口説く。……いつつめの要因。
 とまあ、とっかかりはこんなもんかな。これらの出来事が、全部ひとつの物語に結びついていく。
 壮大な、神話の戦い。スサノオとヤマタノオロチですよ、アマテラスですよ。コム姫、来年コレやるんだなあ、と関係ないこと考えながら見ちゃったよ。

 よーするに、晴明と博雅のふたりが「あいらびゅ〜ん」「じゅて〜むん」といちゃくらしているついでに、日本を救う話。
 ラヴストーリーとしては、前回ほど派手じゃない。やっぱり恋愛は最初の1回が盛り上がるもんね。「出会い→反発→惹かれ合う→告白→障害→結ばれる」のセオリーは、第1作ならではよねえ。
 2作目だと、「両思い→事件(当て馬登場)→両思い」と、盛り上がりに欠けるんだよなあ。
 そのぶん、女装してみたりなんだりと、変化をつけてるけど。
 こういう恋愛モノって、第1作ですべてやり尽くしていて、続編は全部ただの蛇足と同じことの繰り返しなんだよねえ。

 と、恋愛モノとして語ってみました。
 あながちまちがいでもないしな(笑)。
 晴明と博雅は相変わらずラヴラヴバカップル状態。互いに好き好きオーラ出しまくり。
 だけどそれを自覚していないバカ博雅が、他の人間にふらついたので、晴明が本腰入れて事件に介入って感じ?
 博雅は自分では日美子にのぼせあがっているつもりらしいが、これはほんとにただの一過性の風邪みたいなもんなんだろう。晴明も重くは受け止めず、からかいのネタにしたりしている。
 問題は、須佐の方。日美子のことは笑って流している晴明なのに、博雅と須佐には反応がチガウのね。そっかー、男の子の方に反応するのか……奥さん、大変だなあ、気の多い旦那だと。
 でも、それはあくまで表面的なことで、夫が自分にべた惚れなのをちゃんと理解している奥さんは、余裕で事件を解決していく。ああ、奥さん男前。

 やはりこの映画は、主役ふたりのキャラをたのしんでナンボだと思うのよ。
 奥さんに惚れきってる旦那、奥さんを崇拝の目で見る旦那、を、かわいいと思わなきゃ、やってらんないよねえ。
 崇拝だよ、崇拝。
 自分より高見にいて、自分のことをいつもからかって笑う相手に、惚れきってんだよ。女王様と下僕だよ。
 そんな関係をなんの疑問もなく、屈託なく受け入れてひょうひょうとしているのよ、旦那。晴れ渡った空のようにバカな男だよ。
 そのくせ、このバカ旦那は奥さんの生きる支えであり、その実奥さんの方がより深く旦那に惚れてるのよ。
 この微妙な力関係が、いいよねー。
 そして、野村萬斎と伊藤英明は、ソレを見事に表現しているよねえ。

 晴明を野村萬斎にやらせた段階で、「勝ち」は決定だと思った。
 夢枕獏の安倍晴明は、顔だけのアイドル俳優なんかではできない役だから。
 姿が美しく、存在感のある人でなきゃならないのよねえ。
 あの恥ずかしい夢枕おぢさんが、萬斎晴明を絶賛しているのが、よくわかるよ。いやあ、そりゃアンタ、好きでしょうよ、こーゆー男!(笑)
 『陰陽師』のエンドロールの野村萬斎の舞を見て、「もっと踊ってほしい」というところから『陰陽師2』のストーリーができたってあたり……恥ずかしい……。そこで自然に「女装」に行きつくところも……。そーだよなー、夢枕おぢさん、そーゆーの好きだったよなー。
 夢枕が小説で描いてきた「耽美な美青年」の現実版が、野村萬斎なんだよね。
 わかるわかる(笑)。
 彼は顔だけ見るとべつに美形ではないし、女装したって気持ち悪いだけだ。
 しかし、ときおりゾクッとするような妖艶な顔をする。これがすごい。
 この映画の最後、目覚めるときの晴明の表情にはくらくらきた。顔の作りとは関係なく、彼は美貌の男だと思う。耽美っちゅーのは彼のためにある言葉だと思う。

 一方、いとーちゃん。
 最初、このキャスティングは不満だったんだよねえ。
 原作ファン(マンガは読んでないんで、あくまでも原作)としては、イメージがちがいすぎたから。
 もっとごつくて不細工な、横幅のある岩のような男を想像していたんだわ。武人だから。武骨な男だから。無邪気な男だから。そのくせ、笛の名手で繊細な心を持つところが、ツボだったのよ。
 まだ、NHK制作の駄ドラマの杉本哲太の方が、イメージに合っていた。
 いとーちゃんじゃ、優男過ぎる。二枚目過ぎる。若過ぎる。
 とまあ、不安材料だらけ。
 それでもフタを開けてみれば、許容範囲だった。いとーちゃんが二枚目に作ってないのが、いい感じ。
 そして彼は、この間の『ぼくの魔法使い』で名をあげたからねえ。ただの二枚目俳優でしかなかっただけに、あの「みったん」役は、見直させてもらったよ。
 今回の映画では、その点安心して見たよー。二枚目俳優の看板は下ろしっぱなしの潔いバカ男ぶり。いとーちゃん、いい役者ぶりだー。

 と。
 主役ふたりのことしか、語る気はなし。
 映画の内容?
 それはねー、ははは。
 やっぱ日本映画はショボいですなっ。の、ひとことで終わってしまいます。
 CGや特殊メイクの貧相さ。ああ、お金かかってないのねー。セットのちゃちさ。ああ、お金かかってないのねー。
 ストーリーは、他のメディアでならもっと盛り上げることができた内容だと思う。だが、日本映画でやるには悪い面ばかり目立った感じ。
 小説やマンガ、アニメでやったら、きっとすごかったろうなあ。もしくは、ハリウッド映画なら。
 日本映画は、コレが限界か……。
 都のショボさ、人口の少なさは、『HERO』を見たばかりだとキビシイわ……当時の人口はどんなもんだったの? 史実なんか無視して壮大にした方が盛り上がったんじゃないの?
 宮廷と個人の屋敷の差が、ほとんどなかったよ……あれが帝都だなんて、かなしすぎる。
 背景のちゃちさを、役者が必死に埋めている感じ。

 その昔、NHKで『壬生の恋歌』という新撰組の連続ドラマがあってな。
 最終回で主役の三田村邦彦が、「ど…
 水曜日と映画の日は、ずらしてほしいなあ。
 水曜日はレディースデー。1日は映画の日。
 そのうえ何故か、梅田ブルクってば同時刻から複数のタイトルを上映、入場はその10分前っていうもんだから、とてもめんどー。
 改札開始から映画館に入るための長蛇の列、もちろんたった10分では3つのスクリーン分の客が全員入りきれるわけがない。
 上映開始時間になっても、まだ行列さ。

 同じ時刻にはじまったのだから、とーぜん終わる時刻もほぼ同じ。
 帰りは帰りで、エスカレータに渋滞発生。エスカレータの速度は一定だから、わずか1.5m四方のエスカレータのとエスカレータの踊り場に、やばいくらいの人口密度。
 エスカレータしか出口ないんだよねえ?
 だったら、スタッフが人員整理しないと、大事故になっても知らないよ?
 映画の日以外は、ここまで混むことがないんで、こんなシステムになってるんだろうけど。

 とにかく、めちゃくちゃ混んでて大変。
 映画の日に映画なんて、見るもんぢゃねえ。

 昼間はダイエーの優勝セールに行っていたので(笑)、映画は1本だけ。
 『閉ざされた森』、監督ジョン・マクティアナン、出演ジョン・トラボルタ、コニー・ニールセン、サミュエル・L・ジャクソン。
 サミュエルおぢさんファンのわたしとWHITEちゃんは、いそいそ見に行ったわけです。
 いや、おもしろそうな映画だしな!

 サミュエルおぢさんはいい。しかし。
 わたし、主演が誰なのか、失念してました。
 トラボルタかよ……。
 ニコラス・ケイジと並ぶ、苦手俳優だったよ。
 スクリーンに大映しになる彼を見て、溜息。ああ、やっぱり好みぢゃない……。

 物語は、難解複雑。
 ジャングルという「密室」で起きた殺人事件。メンバーは7人、発見されたのは3人。そのうち、死亡が1人、負傷が1人、あとの1人は黙秘中。
 生き残った2人がそれぞれ証言をするのだけど、彼らが語る話は、それぞれ別モノ。どちらかが嘘をついている? それとも両方?
 「密室」の中でなにが起こったのか。事件の真相は?

 『HERO』に続く「藪の中」モノだよ。
 人間の「証言」だけを頼りに矛盾を探し、真実を探るの。
 なんせ「密室」の中の出来事だから、当事者たち以外に真実は知りようがない。しかも、生き残ったのはふたりだけだし。
 そしてこの「証言」が、『HERO』と同じで二転三転するのさ。
 もちろん、『HERO』とはぜんぜんちがい、こちらはまっとーなミステリだけどね。映画のジャンルは「サスペンス」と表記されてるね。

 アメリカ軍の中で起こったことなので、出てくるのは軍人たち。
 トラボルタは捜査官だし。コニー・ニールセンは尋問官だし。
 軍服好きの人にはいいかも?(笑)
 わたし的には、コニー・ニールセンの軍服姿がいちばんかっこよかった。端正な美貌の女将校すてき。
 トラボルタひとりが、むちむちなカラダをふつーのシャツとジーンズに包んでます。……イケてねえ。

 噂で聞くほど、わけわかんない話じゃなかった。
 『HERO』も「わかんない」と言う人が多くいるわけだから、世の人たちは「藪の中」系の話が苦手なのかな。
 事実だと思って見ていたことが、次の瞬間には「それは嘘で、こっちが真実」と二転三転するのがダメなのかも。
 ちゃんと見ていれば大丈夫だと思うんだけど……みんな、「映像」には無防備なのね。「映像」で見せられたことは「真実」だと思い込んじゃって、修正が咄嗟にきかないのかしら。

 こみいったプロットの話は大好きなので、とてもたのしく鑑賞。
 だけど、ラストのどんでん返しはそれほど爽快感がなかった。
 今まで積み上げてきたものを全部ひっくり返すラストのどんでん返しで、スカッとさせてくれた最高峰は、最近では『カンパニーマン』だ。
 『閉ざされた森』はそこまでは至らず。ちょっと肩すかしっていうか、「ヲイヲイ」的。
 まあ、気持ちいい方だからいいけど。

 こーゆーネタバレ一切禁止系の映画は、感想書きにくいなあ。
 見終わったあと、わたしとWHITEちゃんは、
「コレってつまり、****モノってことよね」
 と、ひとことで評したんだけど。コレ、言えないしなあ。

 とりあえず、もう一度見たい映画。
 真相を知った上でリピートすると、さらにたのしい映画だと思う。
 「ソレ、変よね?」的な納得いかない点もいろいろあるしな。誰か説明してくれよー。
 最大の疑問は、スタイルズがハーディを呼ばなかったら、どーなっていたのかということだ。結果オーライらしいけど、この最前提がない場合、このミッションはどーオチつける予定だったのよ?

 いちばん笑わせてもらったのが、凄腕の尋問官であるハーディ@トラボルタの「尋問官としての腕を、最初に見せる」ところ。
 ハーディを快く思っていない前任の尋問官オズボーン大尉@コニー・ニールセンに、いきなり聞く。

「彼はキュートか?」

 密室から生き残ってきた兵士ダンバー@ブライアン・ヴァン・ホルトの外見のことを、オズボーン大尉に聞くの。

「答えるんだ、今から俺が尋問する男は、キュートか?」

 このおやぢ、なに言い出すんだ?!
 という、オズボーン大尉の顔も愉快です。

 相手がキュートな男でないと、尋問しないとか言うつもり?! てゆーか、ジャングルで訓練している肉体派軍人相手に「キュート」? ダンバーくんもとーぜん、分厚い体格のにーちゃんなんですが。
 日本とは言葉の感覚がちがうせいでしょう。日本語で「キュートな男」と言うと、ジャニーズ系とかを想像しちゃいますがねー。
 相手の顔立ちなどから性格を読むために、まず聞いたらしいんだが、前置きナシで「キュートか?」とくるもんだから、ややこしい(笑)。
 オズボーン大尉は半信半疑なまま、その質問を肯定する。

 彼は、キュート。

 そっかー、ダンバーくんはキュートな男の子なんだー。
 めちゃごついにーちゃんだけどなー。

 トラボルタがあの油膜の浮いてそーな顔で言うと、とてつもなく濃い台詞だ。
「彼はキュートか?」

 

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