『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』を観て。
 マカゼのファンだったら、楽しいだろうなあ……!
 と、思う。

 それほどに、ここんとこのマカゼさんが好み過ぎて、はうはうします、胸が痛いです(笑)。

 ジョージ@マカゼの素敵な点。

 まず、ビジュアル最強。

 美しい。とことん美麗なヒゲ男っ。
 こんだけ体格含め美しい男もそうそういない。男装の麗人とか少女マンガのイケメンとかじゃなく、リアルに美丈夫、ヒゲ自前ですね、胸毛常備ですね知ってます、とか、そのレベル。
 はー、姿眺めてるだけで幸せだわ……(笑)。

 次に、黒い役であること。

 毒にも薬にもならない「いい人」ではなく。野心の人ですよ。悪役ってのはフィクションの華です。
 おいしい2番手ってやつです。
 美形は悪役をやるべきです。

 そして、妻が美女であること。

 うらら様の正しい使い方!
 美貌! 大人! ダーク!
 『New Wave! -宙-』でもそうでしたが、うらら様は悪役が似合います。悪の女幹部ってのは本気で美女でなきゃいかんのです。ヒロインはかわいいたぬきちゃんでもいいけど、悪役は美形。コレ鉄板。
 迫力の美女を妻にしている、ってだけで、男の価値上がりまくりです。


 『Shakespeare』の作品としての壊れっぷりとか、足りない部分とか、言いたいことはいろいろあるんだが、それはともかくとして、楽しい。
 マカゼスキーがまったりマカゼを眺める、というだけでも、見どころいっぱい。

 主人公と絡む役、ってのはいいですよ。
 なんかエロく口説いてるしね(笑)。
 美形の仲間がいるのもいい。

 時間がなかったんだろうけど、もう少しこの悪役グループの人間関係を書き込んでくれたらなあ、とは思う。
 ジョージがウィリアム@まぁくんをどう思って、普段どんな風につきあっていたかが、わかんないのね。
 まあそれは、残念美形コンビ@愛ずんにしてもそうなんだけど。
 絶体絶命!な状況で、美形コンビが突然ウィリアムをかばうことに心から驚いたくらい、彼らのナマの関係ってろくに描かれてないのね。
 いちばん生身の親密感があるのが、仲間ってわけじゃなく、接点もあまりなさそうなリチャード@コマのみっつーのが惜しいなと。や、おかげでジョーリチャ萌えしてますけどね(笑)。

 奥さんの尻に敷かれているところも好き。
 ほんっとマカゼってヘタレが似合う。
 ただこれは、今のお笑いオチの中では、であり、お笑いに逃げて欲しくなかった残念さとは別ね。


 最後に、実は最大のステキポイント。
 パパが、すっしー。

 すっしーとマカゼが親子!
 やだなにその美形エロ遺伝子!!
 しかも、マカゼ、ファザコン!!

 ヒゲのダンディのくせに、パパに頭上がらないでやんの。パパの影響力の下であがいてやんの。
 なにそれ滾る!!

 すっしーとマカゼのガチな愛憎モノ観てみたいなー。
 あ、『カラマーゾフの兄弟』とか! ヒロインは誰でもいいけど最低限、あのものすげー高音の見せ場ソロを歌いこなせる人で!(うらら様はアムネリスの悪夢再びになるから無理)
 次男も誰でもいいけど、三男はずんちゃんがいい(笑)。←こだわりポイント
 あと、次男の幻覚は男役な。五峰さん却下。

 いやまあともかく。
 すっしーさんとマカゼって、夢の広がるふたりだわ。
 マカゼが宙組になったおかげで、こんなところでも楽しめるのね。


 わくわく眺めてます、いろいろ。
 えー、うらら様がマカゼ主演DCに出る! ということからの雑談、妄想話。

 ……というのもだ、イシダせんせの『ヴァンパイア・サクセション』 の公式解説がこう、うらら様出るんだ、でもまどかちゃんも出るんだ、それに、うらら様を配して「ヴァンパイアの親近感溢れる姿を、コメディタッチでありながらもハートフルに描き出します」って、それどうなんだろう、てな、いろんな不安を抱えるがゆえ(笑)。

 よーするに。

 マカうらで本気の耽美が見たい。

 宝塚歌劇団屈指の美丈夫マカゼ氏と、史上に輝く美貌のうらら様とで。

 『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』のマカうらが、最初は「お! 悪の美形夫婦♪」でワクテカだったのに、まさかのコメディ落ちで盛大に肩すかし、『HOT EYES!!』だって美女うらら様をマカゼとまぁ様で取り合うのかと思いきや、取り合われる相手が違ってたし(笑)。

 違うのよ、そうじゃないのよ、逃げナシに本気でとことんドシリアスの、マカゼ×うららのラブストーリーを見せろ~~!(じたばた)

 せっかくヴァンパイアものやるならさ、コメディでも現代でもなく、マジにゴシックロマンにしてほしい。
 うらら様はもちろん、美貌の貴婦人でさ。彼女の持つ最強カード「未亡人」使っていいからさ。
 最初マカゼはヴァンパイアだということを隠し、謎の青年貴族としてうらら様の前に現れ、美貌の未亡人の心に波紋を起こすのよ。
 うらら様はまず「人間の青年としてのマカゼ」に惹かれ、いやそれじゃいけない、と自制し、「未亡人は恋してはならない」「でも惹かれてしまう」葛藤、ミステリアス好青年マカゼ堪能パート。
 後半は、いろいろ逆転する。ヴァンパイアハンター(えーと、DC振り分け的に考えると愛ちゃん?)の登場により、マカゼがヴァンパイアだとばれる。
 うらら様はもちろんいったんドン引きするが、今度はヴァンパイアのマカゼに惹かれていく。「バケモノに恋するとかありえない」という、生物的禁忌で葛藤。ここは悪の耽美マカゼ堪能パート。
 そして、クライマックスはさらに逆転する。
 悪のヴァンパイアの悲しい運命とか、「ほんとはいい人」「お涙頂戴話」とか盛り込んで、悪のはずのヴァンパイアを物語的に肯定させる。ハンターの愛ちゃんの方が悪く見えるくらい、徹底的に。そして、すべての葛藤を乗り越え、愛に生きることを決めたうらら様と、マカゼの壮絶耽美な破滅ラストへなだれ込み!

 マカゼビューは「善人貴公子」→「耽美したたる悪」→「悲劇の美青年」と3パターン楽しめる。パートごとに衣装のテイストも変えて、とにかく見た目からして楽しませてくれ。
 うらら様は最強武器の「未亡人」で、「よろめき未亡人の葛藤」→「人間としての葛藤」→「破滅愛上等情熱の未亡人」とこれまた3パターン楽しめる。
 悪役の愛ちゃんは、「正義のヒーロー」→「冷酷な狩人」と2パターンの変化っぷりを楽しめるはず。さらに、うらら様に言い寄ってくれるとベターです。

 ストーリーはどこかで5万回見たよーなよくあるヤツだけど、要は「見たいモノ」が見られればいい。
 耽美ぶっちぎりのマカゼとか、よろめき未亡人のうらら様とか、ヒーロー愛ちゃんとか。

 ナニ気に本気で耽美なマカゼって見たことナイ。

 彼は持ち味に「ゆるい」ところがあるので、どうしてもヘタレキャラ寄りになっちゃうんだよなあ……と、『Shakespeare』を見てハンケチを噛む。
 わかる、わかるよ、マカゼにアテ書きしたら、真の悪にはならず、ついヘタレな愛妻家になっちゃったんでしょ? お笑いに走っちゃうんでしょ?
 わかるけど……!

 せっかく男前なんだから、男前な役が見たいっす……。
 『ランスロット』くらいマジに美しいマカゼが見たいっす……。


 しかしDCはイシダせんせの現代モノコメディ……。
 『50/50』はいろいろ痛かったな……と遠い目をする。
 や、物語として成り立たないモノは書かない人なので、起承転結とクライマックスのある作品を提供してくれるだろうことは、疑ってないけど。
 下ネタとおてもやんと、臓器提供キャンペーンがなければいいなあ、と思う。

 にしてもイシダせんせ、みつる好きやんな……。
 宙組大劇場公演がはじまっているわけですが、5月の宙組公演の振り分けが出ました。
 ……って、いつもなら、贔屓組以外の別箱振り分けにはなんの興味もない……いや、ヅカヲタとしての興味はあるが、ブログに書くことはない……のだけど、今回ばかりは食いつく。

 うらら様が博多座じゃない?!

 博多座公演は『王家に捧ぐ歌』です。
 ラダメス・アイーダ・アムネリス主要3役は絶対に博多座に投入されねばなりません。
 なのに、大劇場本公演でアムネリスを演じたうらら様が、博多座に出ない、DC出演って……。

 アムネリス@うらら様って鉄板じゃなかったの?!
 アムネリスを演じられる美貌のトップ娘役がいないから、10年以上再演出来なかった、うらら様という初演を超える美貌のスターが現れたことでようやく再演出来たのだ……とかなんとか、聞いたよーな気がするんですが。や、うらら様はトップ娘役じゃないけど、トップ娘役同然、未来のトップ娘役ってことで。

 なんか、再演時のあれこれを覆すことになってますなあ。

 いや、英断だと思います。
 たしかにアムネリスには美貌が必要だけど、「声が無い」人がやる必要はないと思う。アムネリスに美貌は必要、だからといって、美人なら誰でもいいわけじゃない。
 最低限、台本にある「声」は出してもらわないと。生の舞台なんだから。放送事故並に声が消える、声が無い、と最初からわかっている人がやるのはおかしい。
 アムネリス@うらら様は、作品のためにも観客のためにも、そして当のうらら様のためにもならない配役だった。

 だけど、そんなうらら様にアムネリスをやらせた劇団だから、絶望していたの。夢華さんにジュリエットをやらせた劇団だもの、誰のためにもならなくても、夢華さんを潰したようにうらら様を潰すことになったとしても関係なく、なんかしらの事情で、うらら様を推し続けるのだと。
 観客のためでもなく、生徒のためでもなく。表には出て来ないなにかのために、そーゆー残酷なことを平気でやるのが宝塚歌劇団だと(笑)、すまん、ふつーに思っている。
 そう思っているから、「そうじゃないよ、まともなことだってするよ」てなことを目にすると、驚くのだわ。

 や、劇団全部に絶望しているわけではなく、この「宝塚歌劇団」というモンスターを形成するひとつの要因に、とても黒くて冷酷なものがあるのだ、ということを、長年の経験から勝手に思い込んでいるだけ。
 夢とロマンにあふれたところだと信じていることも、確か。

 で、うらら様をあえてアムネリス役から降ろしたのならば、英断だと思う。
 これ以上うらら様の「タカラヅカ娘役として弱点」を、さらし続ける必要はない。
 わたしだって、アムネリスの惨状を見るまでは、まだ彼女に期待していた。美貌があるのだから、タカラヅカなんだから、それだけでいいじゃないかと思っていた。
 ……美貌だけでは無理なことがあるのだと、わたしにとって「タカラヅカ」とはなんなのか、「ミュージカル」とはなんなのか、そこまで考えさせられることになるとは思わなかったし、そこまで考えさせるような人を、アムネリス役にする必要はないとしか。

 うらら様がマカゼDCに出るのは、うらら様を守る振り分けだと思った。
 DCヒロインをやるために、博多座には出なかった……って、美しい理由じゃないですか。
 タカラヅカのそういう配慮の仕方はいいと思う。
 アテ書きオリジナルなら、うらら様に歌える歌を書き下ろせばいいんだもの。彼女の欠点をカバーし、魅力を拡大させることが出来る。

 ……ただ、DCヒロインが女子大生というのが気になる……。「学生」「少女」というのは、うらら様の魅力を最大限活かすキーワードじゃないんだけどなあ。
 つか、うらら様がヒロインでない可能性もあるのか。
 イシダせんせがこの作品を書く時点では、うらら様はとーぜん博多でアムネリスやってる予定だった、そのあと実際に本公演でアムネリス演じて、「舞台人なのに声が無い」という類を見ない状況が明るみに出て、あわてて変更になった結果、とか? 音痴程度なら100年の歴史上いくらでもいたからスルーされてたけど、「声が無い」はさすがに問題視された?

 劇団にナニがあったのかはわからないけれど、適材適所の、ジェンヌの魅力を発揮出来る使い方をしてほしいと思う。


 博多座が『王家に捧ぐ歌』だと発表されたときは興味もなかったけれど、アムネリスが誰かで遠征するかどうか再考必至だなー。
 や、単なる『王家』ファンとして!
 いつもてきとーなところに観劇感想メモを書き散らかしているため、いざ見直してからUPしようとすると「書いたはずなのに、どこにあるのかわからない!」となることがある。
 最近はわりと気をつけてきたつもりだったんだけど……『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』のみりおん語りのメモが見当たらない……しかも、前半だけ。
 後半があるから、「ああ、あるある」と気にしてなかったんだけど、今読み返したらコレ、めっちゃ文章途中やん……。これより前はどこいった……。
 いつかどこかで見つけたら、こっそり貼り付けることにして、後半だけUPしておく(笑)。


 『モンテ・クリスト伯』もそうだけど、みりおんって母親になってからの方がきれいだし、かわいいわ。
 母性にあふれたタイプには、ごめん、見えないんだけど、女性として立ち位置が決まったあとの方が魅力を出しやすいのかなと思う。

 まぁくんが「父親」には見えない……ウィリアムが良き父であろうとなかろうと……なんだろ、「青年」の部分が強く出ているからかな。や、男はそれでもいいんだと思う、いくつになっても「若さ・幼さ」を身のうちに持つ、のは。
 ウィルが青年のまま違う方向へ突き進んでいることと、アンが母親であり女であり立ち止まったままでいることが、好みのコントラストなんだと思う、わたしの。

 アンが大人の女性としてかわいいから、息子を失ったあとの彼女側の物語も、もうちょい書いて欲しかったよー。
 ぜんぜん出て来ないんだもんよー。

 歌ひとつでもあればなあ……。


 ところでわたし、なんか今回改めて、まぁみりトップコンビおめでとー!な気持ちになった。
 夫婦役だからかなあ?
 『TOP HAT』や『メランコリック・ジゴロ』は別箱だったこともあり、それほど「トップコンビ」の印象が強くなかった。だって、バウでも主演とヒロインやってたし。別箱はトップコンビでなくても組むからねー。
 大劇場本公演は別だよなー。
 そして前回は再演モノだったし。初演はトップコンビでやった役じゃないし。

 大劇場本公演でまぁみりのための書き下ろしオリジナル作品で、ハッピーエンドの夫婦役で、なんかしみじみと、ああ、まぁくんとみりおんが、ついにトップコンビになったんだなあ、と思った。
 それこそ、『EXCITER!!』初演の銀橋からはじまって、よくぞここまで紆余曲折……。親戚のおばちゃんモードでしみじみ感動したわ……。


 まあ、芝居もショーも「まぁマカ推し」な感じがして、それほどみりおん推してない感じではあるけど……(笑)。


 生田せんせのミューズ(笑)、圭子ねーさまが出演しているけれど、さすがみりおんは圭子バズーカに吹っ飛ばされたりはしないんだな。
 美穂圭子おねーさまは現在のヅカを代表する歌手のひとり。その歌声は至宝だけれど、その素晴らしさゆえに現役スターをぶっ飛ばしてしまい、彼女が通ったあとは草も生えない、なんて事象が多々ある。
 トップ娘役に就任したばかりのかのちゃんが、圭子バズーカに吹っ飛ばされ、「ヒロインどっち?」「歌がうまい方の人よね?」てな状態になっていたのが記憶に新しいだけに。
 みりおんが、圭子ねーさまがどんだけ朗々と歌い、キーとなる大きな役を演じ、「物語」の中で深く君臨したとして、負けることなく「ヒロイン」であったことに、胸を熱くする。
 テル時代は名前だけのトップ娘役で、ヒロインは別の人、てな扱いが続いてたもんなあ……地味で大勢人がいると誰がみりおんかわかんなくなりがちだったのになあ……。
 そんな時代を経て、今みりおんはここまで来てるんだな。
 うおお、なんかすげえ。
 かのちゃんもきっと、経験を重ねれば圭子ねーさまに負けない存在感を会得できるよーになるはず……!

 圭子ねーさまも好きなわたしは、彼女が浮いてしまう舞台より、他のキャストが実力であの破壊力を御し、バランス良く機能している舞台を見たい。バズーカに負けないスターさんがたくさんいてくれれば、それだけ面白い舞台を見られる。
 てことで、今後もわくわく。

 みりおん、いいスターさんだよねー。
 まぁくんとのコンビいいよねー。
 ところで『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』、二重構造がわかりにくいです。

 初日幕間、「あっきーパリスなの? 別の役名ついてなかった?」「劇団員が本役で、パリスはアルバイト?」と、友人たちと話しながらプログラム見て、はじめてわかった。
 プログラムないと初見ではわからんわー。

 『冬物語』にしても、ちゃんと「今書いている途中、まだ出来てない」って台詞あったけどさー……。
 あ、わたしは『冬物語』というと、オサ様が父と娘の二役をやっていた『冬物語』しか知りません……父と娘の二役て……タカラヅカってすごいとこだよな……。


 まあそれはともかく。

 アテ書きオリジナル作品っていいよね!

 ウィリアム@まぁくんの「青年」ぶり、「主人公」ぶりがいい。
 主人公っていろいろ割をくう場合もあってさ、まっすぐでかっこよくて、そして悩める青年であることが、自然に成立するキャラクタって、貴重なのよ。

 まぁくんの「主人公らしさ」って、彼がトップスターたる資質に由来するものだと思う。
 なにをするにしろ、彼が立つところに清浄な光が差す。
 ウィリアムは聖人君子ではなく、パパとの関係こじらせてて、自分も良いパパにはなれなくて、迷いも間違いもするのだけど。
 なにをしたとして、彼は正しい。観客は「正しい」視点として、彼を基点にする。そうさせてしまうのが、まぁくんの力。

 生田せんせの作品は基本ラノベだと思うんだけど、この「主人公」の挫折と復帰、光へ向かうラストなど、ほんとに気持ちよくラノベしてくれるなあ。
 ラノベ……子どもの読み物、ではなく、少年の心を持った、大人のための物語。
 かつて少年だった、今はもう、暗いもの汚いもの哀しいもの……いろんなものを知り、もう二度と戻れない手に入らない失ってしまった歪みを背負い、それでも、「きれいだったころをおぼえている」、大人のための物語。
 だからこそ、ファンタジーなんだよねえ……。大団円を望むし、ソレに涙するんだよねえ。

 まぁくんは正しく間違ってくれるから好きだな。
 正しく間違う……共感を得られる間違い方。ああ、ダメだよソレ、や、気持ちはわかるけど……! てな。
 そして、間違いに気づいたときの傷付き方や、立ち直り方も、正しいの。共感を呼ぶの。

 ウィリアムとアン@みりおんがすれ違っていく様が好き。
 アンの悲しいソロから、家に戻ったウィルが手紙に気づくくだり。
 机の上に、アンの手紙が積み上がっている、アレね。
 父親が怒鳴り込んできて、ウィルの慟哭へ続くあの怒濤の展開ね。
 アレはいいね! すっげー好みだ!!
 短い尺で効果的に悲劇を見せてくれる。

 だからこそ、ダーク・レィディいらね、と思う。
 夫婦のすれ違いの元を、わけわかんないナンチャッテ黒魔術みたいなもののせいにしないでほしかった。
 ありゃ「逃げ」だよなー。ジョージ@マカゼの説得に説得力がない言い訳だよね。「魔女に操られました」てのは。や、操られてないと思うけど。ただあの場限りのネタでしかないと思ってるけど。
 ジョージを理由にするなら、ウィルがおかしくなっても変じゃない理由で、「人が変わった」ことにしてくれないと。

 結局のところ、アンとのすれ違い=息子の死がストーリーに必要だから、ジョージの野心を理由にしたってだけに見える。
 ジョージの野心自体中身がないので、クライマックスでお笑いに走って、ソレを誤魔化している状態。

 物語の都合ではなく、物語が要求する展開を、きちんと構築してほしかったな。……いや、いっくんに構成力がないのは知ってるから、無理な話だとは思うけど……誰か、構成出来る人に監修してもらってだな……!
 もったいないわー。

 構成は残念なんだけど、それでもキャラクタに魅力があれば無問題。
 ウィリアムに感情移入して、彼の挫折と再起に一喜一憂、最後の大団円までをロールプレイングできるから、それでいいの。

 わくわくして、きゅーんと切なくなって、笑って、しあわせな気持ちになる。
 これは正しいエンタメの仕事。

 正しいモノはいいな。好きだな。

 ウィリアムと一緒に、仲間たちと一緒に、ラストはみんなと一緒に、顔上げ、「Will in the World」を熱唱したい気持ちになる。
 『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』、語りたいことはいろいろあるんだが、わたし的にコレを先に言っておかないと、次へ進まないので先に語る。

 腐女子語りです。
 ダメな人はスルーしてください。

 生田作品は萌えの宝庫だから! 腐女子ホイホイだから!
 わたしがいっくんスキーなのはソレもあるから!

 いやあ、観るまで夢にも思わなかった。わたしが期待していたのは、ジョージ×ウィルですよ、マカまぁですよ、基本ですよ。
 なのに、フタを開けてみたら違った。ぜんぜん違った。

 ジョージ×リチャード。

 宮内大臣一座のパトロン、ジョージ@マカゼ。宮内大臣一座の看板俳優リチャード@コマ。

 ここか。
 ここなのか!(笑)

 でもさー、ふつーに『Shakespeare』がラノベで、真夜中のテレ東アニメだとして、ジョージ×リチャードは薄い本が出るカップリングだと思うよ~~。
 そりゃ王道はジョージ×ウィルとか、愉快美形コンビ(愛ずん)とかなんだろうけど、その傍らで確実にはびこり、ジャンルが廃れ王道カプ本がなくなったあとも、地道に本が出続ける……そんなイメージ(笑)。

 ジョージはパトロン様で、お貴族様だ。平民ならば敬語で話すのがあたりまえの相手。ジョージと一蓮托生のウィル@まぁくんですら二人称は「あなた」だ。
 なのに雇われ役者のひとりでしかないリチャードだけは、ちょータメ口で「あんた」呼び。
 しかも、喧噪を抜けてふたりだけで話す。

 この気安さはナニ?
 このふたりの関係って??

 立場はジョージがはるかに上のはずなのに、精神的優位なのはリチャードの方、って、なにソレ……。

 ちょ、おいしすぎるわソレ……。薄い本を作れとばかりのネタだわ……。

 ジョージは男らしい強そうな容姿に反して、人から影響を受けやすいナイーブな子ネコちゃんだし、リチャードは甘い容姿に反して粗野で骨太な野獣タイプだし。
 このふたりのカップリング、コントラストもいいわ。映えるわ。

 一座のパトロンと看板役者である以上、リチャードが手のひらの上でジョージを転がす関係が続きそう。

 ここはやはり、リチャードの誘い受な。
 ジョージバカだから、簡単に罠にはめられる。
 リチャード的には、「パトロンを征しておいた方が、いろいろ都合がいい」ぐらいの打算で。積極的な色仕掛けじゃない。自分の役者としての実力に自信があるから、あくまでも「保険」程度の熱意。
 てゆーか、あまりにあっさり誘いに乗ってくるから、拍子抜け、てな。簡単すぎるよ、単純過ぎるよジョージ、さすが妻の言いなりとかダーク・レィディとかすぐ信じちゃうタイプだよ。
 誘ったのはリチャード、だけど、やっちゃったあとはリチャードの方が後悔してそう。や、ジョージがその後「亭主面」してくるから、うわコイツめんどくせえ、と。

 ナチュラルに「俺たち恋人だよな」という意識でいるジョージと、「はあ? あんなのただの遊びだろ? てかオマエ家帰れ」なリチャードの、凸凹ラブ。
 誘ったのがリチャードだから、ジョージは「リチャードが、私に惚れている。私がソレに応えてやった」と思い込んでる。ジョージからすれば、パトロンだし貴族だし、上の立場からすくい上げてやっているつもり。
 そういう立場だからこそリチャードは、ジョージを利用しようと思ったわけで……こんなにめんどくさい男だとは思わなかった、もっとビジネスライクにクールな愛人関係を築けると思ったのに……この男を篭絡するのに、色仕掛けは間違いだった。
 リチャードが「やべ、失敗だった」と思っていることは、やがてジョージにも伝わって、「私を愛していないのか。利用するつもりで近づいたのか」と、傷付きモード全開で詰め寄ってきて。
 その段になってよーやくリチャードも自覚する、「あ、俺こいつのことけっこう好きかも」……傷つけた、とわかったときに、感じる胸の痛みゆえに。
 だけど打算ゆえにはじまった関係なのは事実だし、強く出られると反発するのがリチャードの悪い癖、売り言葉に買い言葉でジョージを手ひどく罵って、ジョージも悪徳貴族まんまに立場にモノを言わせた返しをして……泥沼。

 もつれているふたりをよそに、ウィルは「新作出来たー!」だし、女王陛下もロンドンっこも「ウィリアム・シェイクスピア♪」ってワクテカ歌ってるし、看板俳優リチャードはプライベートで荒れている場合ではないし、ジョージだってパトロンとして新作興行のバックアップ忙しいし。
 険悪なのに、別れ話途中なのに、それはともかく日常にバタバタして。
 このまま自然消滅? なかったこと?

 あ、ジョージの妻ベス@うらら様は、ジョージと恋愛関係にはなく、「野心のパートナー」認識でヨロシク。ジョージの方は惚れてたけど、ベスは最初から野心ゆえの結婚。……ジョージの周りってこんなんばっかや。てゆーか、こういうタイプが好みなんだよね、ジョージ……。
 ジョージが恋に悩んでいるのを知り、ベスはあの調子でヘタレ夫に発破をかける……「ほんとうに欲しいモノはなに? あなたはソレで満足なの?」……なかったことになんか出来ない!! ジョージは立ち上がる!!

 リチャードはいろいろ後悔中。なんで露悪ぶってひどい態度を取ったんだろう、いやその前にジョージを傷つけてしまったんだろう、いやそもそも、色仕掛けなんかしなければよかった……。
 ナニも知らないウィル相手に芝居の内容について打ち合わせしているうちに、ジョージは悩んでいる自分に疑問を持った。らしくないもんな、そんなの。ということで、極端な方向へ答えを出す。
「もういい、あいつ、襲ってやる」「え、なに? 襲う?」「ウィリアム、手伝ってくれ。向こうの方が俺より、縦にも横にも二回りくらいでかい。小道具係も一緒に、身体の自由を奪う罠を作ってくれ」「熊とでも闘うのか?」「そんなもんだ」
 カラダからはじまったんだ、とりあえずそこからやり直そう。

 なんか大変なことになりそうな予感を孕みつつ、シェークスピアの新作の幕が上がる。
 上演中にアクシデントとしてジョージに乱入してもらうとか、クライマックスらしく派手な道具立てで盛り上げて、ハッピーエンドに着地させたいですな。

 ラストはラブラブ……なんだけど、ジョージが縄でぐるぐる巻きになってたり。「なんだこれは?!」「あ、ウィリアムたちに作ってもらった罠」「なんのための罠? 熊でも捕まえるつもりだったのか?」「ああ。……もう掴まえたけどな」「?」動けないジョージを転がして、またも主導権握ってのしかかるリチャード。これがふたりの正しい力関係、的な?

 マジで同人誌1冊出せそうな、楽しいキャラクタたち。ジョージとリチャードだけでなく、他のキャラクタたちもみんな。
 はー、萌える。
 『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』初日観劇。

 初見であとに残ったのは、煙に巻かれた感。

 たぶんこの話、こんなじゃなかったんだよね?
 他にナニかやりたいことがあって、でも書き切れなくて、途中で路線変更して、でも集束させられなくて、仕方なく最後力技で無理矢理まとめたんだよね?

 最初からコメディ落ちにするつもりじゃなかったんだと思う。
 ジョージ@マカゼとか、最初からお笑い落ちにするつもりじゃなかったんだと思う。
 でも、結果こうなってしまった。
 こうすることしか出来なかった。

 デビュー作『BUND/NEON 上海』から一貫している、生田せんせの構成力のなさが、まんま露呈している。

 起承転結出来ない。1+1=2とかの、ふつーの計算式を作れない。
 純粋に不思議だ。なんでそうなるのか。
 ふつーに考えればおかしいことはわかるし、ふつーならそんな壊れ方はしないだろう。

 原作付きの『春の雪』や『伯爵令嬢』はきちんと起承転結しているので、「自分で出来ない」だけなんだと思う。
 つまり、誰か監修してくれる人、作家に対する編集者みたいな人がいれば、生田くんの欠点はカバーできるんだと思う。
 「ここおかしいですよ」「ここがこうだと、ここと矛盾します」「ここを直すと全体がよくなります」とか、言ってくれる人。それは同じ畑の「演出家の先輩」とか「自分でも創作している者」が口を出す、というカタチではなく、まったく別の「監修者」、「自分で創作は出来ないが、出来上がった他人の作品を客観的に駄目出しできる人」がいい。
 モノを創る才能と、歪みを正す才能はまた別だからねー。もちろん、両方持ち合わせている人もいるだろうけど、いっくんはそうじゃないし。
 タカラヅカには、そういう監修者がいない、いたら植爺作品が垂れ流しになっているはずもないし、『仮面の男』のような事故作品は上演されなかった。

 しかし、デビュー作から一貫して広げた風呂敷をたためない人だなあ……感心する。
 華やかに失敗している部分がいつも、ラストのまとめ方、オチのつけ方なのね。
 せっかくそこまでがんばってきたのに、うまくいかなくなって、癇癪を起こした子どもがおもちゃを投げ出すみたいに、作ってきたものをぶっ壊すみたいに、「うわーーっ!!」って感じに全部ぶち壊す。
 で、代わりに取って付けた別の「ちょっといい話的オチ」を持って来て幕を下ろす。この際、前後の辻褄は無視で。
 『ラスト・タイクーン』の終わり方とか、顕著よね。全部投げだしEND(笑)。

 って、その点についてのみ書くと、ひどい作品みたいだけど。

 どんだけ壊れていても、生田作品は面白い。

 構成的に壊れていても、破綻しまくっていても、ラストが取って付けた感ゆんゆんのパッチワークでも。

 なんだろ。
 ひとの心のあれこれが間違ってないから、乗り越えられる。


 彼の「描きたい」と切望するモノが、ひとの心に沿うものなんだと思う。

 包んである箱がどんだけ壊れていてもいびつでも、あるいは奇妙な多面体で無駄にアニメちっくな失笑系の装飾があったとしても。
 中身がきれいでやさしいハートだから、問題なしっていうか。

 わたしが生田作品を好きなのは、よーするにそういうことなんだと思う。
 描かれている「ひとの心」が、破綻していない。
 や、構成出来ないゆえに、技術的なことでうまく機能できずにいびつになっている箇所もあるけど、んな一部のことではなく、全体的に「まちがってない」のがいい。

 『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』も、そうだ。

 作品的には「残念」な出来だけど、赤ペン採点ではバツ入りまくり、減点されまくりだろうけど、そんな点数とは別の部分で、きゅんきゅん心に響く。

 愛しい物語だ。

 やさしくて、楽しくて、気持ちよく拍手できる。
 幸福な涙を流せる。

 そして、あったいものを胸に抱きながら、劇場を出ることが出来る。

 それって、エンタメの基本なんじゃないの?
 いちばんシンプルに、必要なことじゃないの?

 その、いちばん基本でシンプルに、いちばん大切なことを満たしている、『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』を、好きだと思う。
 生田せんせ最新作、『Shakespeare〜空に満つるは、尽きせぬ言の葉〜』初日観劇。

 まぁくん+生田せんせといえば。
 まぁくん初バウ主演、そして生田せんせのデビュー作『BUND/NEON 上海』-深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)-
 「BUND/NEON 上海」という凝り過ぎたタイトル(上海の外灘「バンド」に楽器のバンドネオンを懸けた多重単語、ゆえに/が入っている)に、「深緋(こきあけ)の嘆きの河(コキュートス)」というクソ恥ずかしいサブタイトルまで付けた新人作家のデビューっすよ、厨二病キターーッ!!ってなるよね?
 あの素晴らしい顔ぶれが再び、ですよ。
 しかも「空に満つるは、尽きせぬ言の葉」という厨二臭ぷんぷんのサブタイ付きですよ。

 期待せずにはいられない!(笑) ……や、(笑)付いちゃうけどな。

 てことで、わくわく初日に駆けつけました。

 えーと。

 生田せんせ、この話の、元の話を見せてください。

 この話、元のプロットから二転三転どころじゃなく、予定通りうまくいってないんだよね?
 そもそも最初のプロットって、
シェイクスピアの劇作家としての創造力を共に育み、影ながら支え続けた妻アン・ハサウェイの「愛」。彼の才能を見出した後援者、ハンズドン卿との「友情」。そして彼にインスピレーションを与えた、ある夫人との秘められた「恋」・・・シェイクスピアが紡ぎ、遺し、今なお輝き続ける「言葉」の源泉を求めて、「言葉」に恋し、魅せられ、そして愛された男の姿を、史実と戯曲とを交錯させつつドラマティックに描き出します。
 ……だったのよね?(演目発表時の作品解説)
 ソレがいつの間にか、
劇作家シェイクスピアの創造力を共に育み、支え続けた妻アン・ハサウェイ。その才能を見出し、創作の場を与えた後援者、ジョージ・ケアリー。インスピレーションを与えたとされるも、正体が謎に包まれた「ダーク・レィディ」・・・  

エリザベス一世統治下のロンドンを中心に繰り広げられる様々な人間模様の中、人の本質を見つめ続けたシェイクスピアが紡ぎ、遺し、今なお輝き続ける「言葉」の源泉を求めて、「言葉」に恋し、魅せられ、そして愛された男の姿を、史実と戯曲とを交錯させつつドラマティックに紐解きます。
 ……になった。(現在の公式HPの作品解説)

 ある夫人との恋、が、謎に包まれた「ダーク・レィディ」になった。
 最初は三角関係ものだった? 支えた妻と不倫相手の夫人。
 それが、夫人から恋愛ネタが削除され、代わりに神秘性を加えて「ダーク・レィディ」とやらに変更。
 タカラヅカには恋愛必須、妻と夫人とふたつに別れていた愛を妻一本に絞って、夫人は創作サイドのみにする。恋愛もなしに天才シェークスピアのミューズとなり得る女ってどんな女よ? ふつーの女だと説得力がない、ってことで仕方なくミステリアスな味付けをするハメになった。
 でももともと恋ありきでミューズ設定だったわけだから、魔女だからシェイクスピアにインスピレーションを与えられた、という設定にしろと言われても「三角関係」で作っていたストーリーやキャラ配置にうまく合わない……。
 仕方なく元の話から三角関係ネタを削ったら、ストーリーの半分が消えてしまった。代わりに「ダーク・レィディと創作意欲」をがんばって書いたら……あれ? 妻の存在意義がなくなってしまった? てゆーか恋愛してないし、タカラヅカなのに恋愛なしとかやばいし!
 創作意欲を与えてくれるのは妻にしよう! 彼女と出会い、言葉が生まれる、ということにすれば「恋愛」と「天才劇作家物語」が融合する。……あれ、それじゃストーリーがなくなった……三角関係も創作にまつわるあれこれも、「妻がいれば解決」でナニも問題ない……。
 テーマを夫婦愛にして、妻とのすれ違い、『冬物語』にすればいいや! 障害となるのがパトロンと政治絡みってことで! ……あれ? ダーク・レィディ、いらなくなった……やべえ、HPに載せちまってるよ、今さら削れない……いらないけど無理矢理出すか……。

 なんて「番狂わせが面白い」的なことがあったのではないかと邪推。

 この物語、地層を感じさせるんだもん。

 地層……「作った時代の差」が、場面ごとにチガウ感じ。
 オープニングのやたら暗くて壮大なロンドン紹介は、いちばん古い地層、三角関係プロットのときに形成された地層。
 『ロミジュリ』パートは「妻がミューズ」プロットのときに形成された地層。
 主人公悩みまくりセンシティヴ場面は「ダーク・レィディ」プロット時代に作成。
 悪だくみパトロン部分は公式解説書き換えたあとに作成。
 そして、かなりギリギリ、にっちもさっちもいかなくなった頃に無理矢理書き換えて出来たのが、後半の「コメディ落ち」部分。
 ……てな風に、つぎはぎ感ひどい。

 小説ならストーリーが完成するまで机上でこねくり回すけど、舞台脚本だとそうもいかないんだろうな。多くの人が関わって作られるから、「ストーリー変わったから、今までに作っていたモノすべてなし、イチから全部作り直して」が通用しないんだろう。
 それで、すでに作りはじめていた場面をそのまま取り入れて使う。

 こんなブログですら、推敲する際に文章入れ替えたり削除したりするし、「加筆したら主題にズレが生じた、この結論に落ち着くためには、この段落があると混乱を招くな、仕方ない、削除しよう。でもこの段落、捨ててしまうには惜しいな……次の章のここに入れたら使えるかも」とかやって、文脈的には合っていても、やっぱりよそからツギハギした段落はうまく収まらなくて、アタマ抱えたりする。
 プロットが二転三転したのに、すでにある場面やネタを切り貼りして使い回したら、そりゃばらばらな印象にもなろうってもん。

 だからわたし、元の話が観たいわ。
 生田せんせは、どんな物語を考えていたんだろう?
 悪いのは、大階段か、それとも演出か。

 全場大階段を使用したセットがウリのひとつだという、『HOT EYES!!』

 話を聞いたときはシンプルに、「へー、どんなんだろ」と思った。
 観たことのナイ演出プランだし、どんなモノを見せてもらえるのだろうかと楽しみにもした。

 フジイくんと大階段、で印象的なのは『EXCITER!!』オープニング。
 フィナーレで得られるだろう興奮を、いきなり最初からぶつけてきて、中毒性ある主題歌と共に情熱的な舞台を形作った。『EXCITER!!』というタイトルに恥じない派手演出。
 『Apasionado!!』にしろ『TAKARAZUKA 花詩集100!!』にしろ、近年のフジイくん作品で評価が高いモノは大階段使いがうまかった記憶がある。

 だからこそフジイくんで「全場大階段」なんて演出を33年ぶりとやらに決行することになったんだろう。

 で。その「全場大階段」。

 ひどかった。

 いやあ……こりゃナイわー。
 ショーは「ショーである」というだけで満足感があり、駄作でも楽しめるモノだし、芝居で佳作を作るのが難しいことあり、「芝居はつまんないけどショーがあるから通える」とかいう言い方をするもんなんだが。
 今回は、芝居の方が面白い、むしろショーが脚引っ張るレベル。
 ひさしぶりにひどいショーを観た! という、ある意味新鮮な驚き……繰り返すが、ショーは駄作でもなんとかなるもんだから、なんともならないほどひどいのって、作るのがかえって難しい。

 ここまでひどい理由はひとつ。

 大階段、邪魔。

 全場大階段が出ているのに、大階段をほとんど使っていない。
 ただの「背景」または「通路」として使用。

 そして、その使わない大階段が出ているため、舞台がせまい。
 階段前の狭いスペースしかない。

 大階段が出ているため、盆が使えない。使えるセリも限られる。

 場面が変わっても結局、大階段前の狭いスペースでちんまりとナニかしているだけ。
 画面が変わらない。
 つまらない……。

 つまりね。

 植爺もビックリ、カーテン前しか使わないショー作品!!なのよ。

 広大な宝塚大劇場の舞台3分の2を使わず、手前の3分の1スペースのみで1時間、なにかしらこちょこちょやってんの。
 近いモノは、『タカラヅカスペシャル』。
 舞台上にオーケストラがいるからセット固定、次々スターで出て来て歌って、ちょろっと踊って引っ込む、そのくり返し。
 『タカスペ』は4~5組のスター競演だから「スターが出て来てちょろっとなんかして引っ込む、のくり返し」でも場が持つのよ。「スターが出る」ことが公演の意義で、「スターの格に合わせた登場」にさえ気を遣っていればいい、誰も「作品自体」に興味はない、モノだから。
 でもこの『HOT EYES!!』は『タカスペ』じゃない。ヅカだからスターありきは前提だけど、スターがただ舞台を歩いているだけでもいいわけなく、ショーとしての「作品自体」に中身が求められる。

 なのに、『タカスペ』に毛の生えたような演出しかナイ、って……。

 そりゃろくなもんにならんわ……。

 全場大階段っていうからには、大階段を使うんだと思ったの。
 大階段をなにかに見立ててストーリー性のある場面があるとか、大階段でなくては成立しない斬新な演出が。
 まさか、「登場するために走り降りてくる通路」「ハリボテと同じ、ただの背景」としてが主な使用用途、とは思わないじゃん……。

 使わないならせめて、陳列台として有効活用すればいいのに。
 下級生をただ並べておくとかさー。
 なんにも使ってない、ただのかさばる電飾背景にしている時間、学年順に下級生並べて顔を売らせればいいのよー。歌いも踊りもしなくていい、ただ並んでるだけ。電飾代わり。
 極端な話、ただの電飾よりいいと思うわ。意味があると思うわ。


 観劇後の誰もが「大階段、いらなくね?」と口にするのは鉄板。
 それで考えちゃうのよ。

 悪いのは、大階段か、それとも演出か。

 大階段を全場出しっ放しにしたら、こういうことになる。33年間誰もやらなかったのは、「んなことしたらろくなもんにならない」から。それが素晴らしいことなら、誰かやってる。
 不要だから、しなかった。
 だけど今回あえてやった……のは、勝算があったから、よね?
 全場大階段を使って、素晴らしいモノを作れる、という。

 結果、大階段は邪魔でしかなかった。
 だがそれは、はたして大階段のせいだろうか?
 大階段出しっ放しでショーを作ると、このようにしか出来ないものなのか?
 全場大階段、という設定で、出来ることは他にないのか?

 わたしは素人ゆえ、大階段の有効な活かし方を思いつかないのだけど。
 ほんとうに悪いのは大階段なのか。
 なにかできないのか……?


 まあ、使えない大階段を全場出す、そんなことをしようとした企画者が全部悪いってことになるんだけどねー。
 できないことはやるな。
 失敗の巻き添えを食わされる生徒が気の毒過ぎる。
 初日だー、元日だー、ヅカはじめだー!
 と、わくわくと出かけました。

 まずは宝塚大劇場2016年新春鏡開き

 ヅカヲタではありますが、家庭もあるので(笑)、毎年1月1日からムラへ駆けつけられるわけではありませぬ。
 生田せんせ新作だし、ぜひ初日の1月1日に行きたかったのは確かだけど、ほんとは無理だったのよ、予定があって。
 でもま、いろいろあって結局、初日からムラに行けたんだけどね。

 元日からムラへ行くぞ。宙初日観劇するぞ。
 となったら、ここはひとつ、鏡開きも観るべきじゃ?
 2014年も元日から初観劇だったけど、鏡開きはスルーした。や、なんか大変そうだったし。
 でも今年は、そんなこと言ってる場合じゃない。
 だってだって、今年の鏡開きは我らが雪組のターン。
 ちぎみゆ出演、とアナウンスされているのだから、雪ヲタとしては見逃せないよね!

 わたしは元日から観劇することも少なくないのだが、鏡開きにはあまり参加したことがナイ。
 参加したのは過去2回だけかな。
 2009年星組、何故かトップコンビが出ずに、しい・とよ・ちえ出演だったとき。真面目に早めに行って並んだ。
 それから、2011年花組、まと蘭出演時。このときは、雪組初日で、まっつ組替えデビュー初日ってことで早めにムラ入りしたついでに観た。

 この2回の経験で、鏡開きの参加の仕方、何時に並べばいいとかは、なんとなく頭に入っている。
 何時に並べばいいか……てゆーか、早朝から並ばなくても、観られることを、知っている。

 そりゃ早くに並べばいい場所を取れて、スターさんを間近で見られるけど。
 ムラの立見と同じで、観覧場所は指定席ではないため、自由競争の場。言葉を換えれば、弱肉強食。……強い人が勝つんです、気の。
 そりゃ徹夜でもしていちばんに並んでれば大丈夫だろうけど、始発参加とかの半端な順番だと、気が弱かったり鈍くさかったりすると、場所取りバトルに敗れる可能性があるのですよ……数時間あとに並んだ人と同じとこで観るハメになったりな。
 オレ、どんくさいから無理や……。

 という自由な場なので、あとから来たって、観るだけなら観られます。
 大劇場内ロビーの階段踊り場を使ってのイベントなので、外からでも見える。
 早く来た人はロビーに入れる、そうでない人は劇場改札のガラスドア越しに観られる。
 ただ「観る」だけが目的なら、がんばる必要はない。ふつーに来ればいい。(100周年記念鏡開きと、ちえねねのときはそうもいかんかったと思うが)

 てなわけで、負け犬なわたしは、ゆるーく眺めに行きました……。

 だいもんが見られれば、ソレでいいし。

 ちぎみゆが見られるのは鉄板、だってHPに書いてある。
 問題はサプライズゲストの雪組メンバーがいつ出るかだよなー。最初にちょろっと出てすぐ退場しちゃったら、見損なっちゃう?
 でも過去の経験からいって、最初ってことはないな、どっちかってーと後半だよなー。

 そう思ってはじまってちょっと経ったあたりに劇場到着。
 うん、目論見通り、鏡開きイベントはまだやってる。
 そしてさらに目論見通り、はじまってからたどり着いたって、ふつーに観られる。人混みの後ろに立てばよし。

 階段踊り場では、ちぎみゆと司会者のおねーさんが話していました。

 あれ、ちぎみゆしかいない? 雪組のみんなは?
 しばらく眺めていたけど、出て来る気配がない。
 ……まさか、もう帰っちゃったあと? えー? でも、最後までいたよね、いつも。

 そう。
 鏡開きはHP上にはトップコンビしか書かれてないけど、実は主立った組子も出演するんだよ……内緒なんだよ、サプライズなんだよ……そして全員ぞろっと最後までいるもんなんだよ……あれ? そのはず、なのに……?

 乾杯だけ観て、尻尾を巻きました。

 顔を見るのが目的なので、とりあえずちぎみゆの顔は見られたわけだし。
 だいもんがすでに退場したあとなら、とってもしょぼんだし。

 ええ。
 わたしは、「主立った組子も出演する」と信じ込んでいたのです。
 だって。
 花組はそうだったもん!!

 2007年元旦、中山連山から大劇場を見下ろしてた(初日の出~はつひので~登山してた)のに、そのまま劇場へ行けば鏡開きに参加できたのに、連れに気を遣って行かなかったことをめちゃくちゃ悔やんだ。
 鏡開き担当は花組、出演するのはトップコンビのみと思ってたのに、花組の主立ったスター勢揃いだった! まっつがいた! 元旦からまっつに会えたのに、すぐそばにいたのに!
 2011年元旦、鏡開き担当の花組は組子勢揃いだった! それどころか「元花組もひとりまざってます」……組替えしてもう花組でない人までもいた! それくらい、みんな登場するのがあたりまえ!!

 ……ソレしか、知らなかったもんで。
 公式にはトップコンビしか載ってなくても、2番手は絶対出ると思い込んでた……だいもん出ると信じてた……。

 それは、間違った認識です。公式発表が正しいです。

 サプライズで組子登場があたりまえ、なのは花組ならではらしいです。
 少なくとも「雪組はトップコンビ以外出ない」とのこと。
 組ごとにルールがチガウとは、知らなんだ……!!

 2016年、1月1日。
 しょっぱなから、しょぼん顔文字付きでつぶやきました。
 こあらさんてば、早とちり、カンチガイ、知ったかぶり。
 元日からこれって……思いやられるわ……。
 ねえねえ、年100回観劇する人が1回チケット忘れちゃうのと、年に1回しか観劇しない人がその1回忘れちゃうのとでは、意味が違うよねえ?

 いやこの間、チケット忘れてムラへ行っちゃってさ。
 お忘れ券で入れてもらったんだけど、ほら、お忘れ券って個人情報記入させられるじゃん? んで、前科(過去にもお忘れ券を使ったことがあるか)を問われるじゃん?
 わたしはもちろん前科持ち(笑)なので、正直にそのことを言うんだけど、ふと、「お忘れ券を使った回数のみカウントされてたらやばいな」と思った。

 わたしが年に一度、チケット忘れをやらかしちゃったとする。
 でもわたしは年100回観てて、99回はちゃんとチケット用意して観劇している。
 が、そんなこと大劇場スタッフにはわからない。
 以前にわたしが書いた「お忘れ券発行してください」書類を見て「あ、こいつ去年もチケット忘れたとか言ってる。毎年忘れるとか、どんだけボケてんの?」と思われるかもしれない、わけだ。
 毎年かもしんないけど、去年の1回と今年の1回の間には、99回の「ふつーに観劇」があってだね……!!
 人間、100回のうち1回くらい失敗するじゃん?!
 100分の1だったら、「人間だもの仕方ない」数値ぢゃね?

 なんてことをね、勝手に考えました(笑)。
 劇場がお忘れ券利用者をどんだけリスト化してるかは知らないし、劇場側が懸念しているのは利用者の「うっかり度」ではなく、不正なチケットとかお忘れ券常習者なんだろうけど。

 てきとーに「年1回」と書いたけど、実際は数年に1回くらい? 年間100回観ても、まあまず忘れることはナイからなー。
 それに、以前はともかく、「ライトなヅカヲタ」になったわたしは、100回も観てないし。

 つーことで、2015年の観劇回数は。
 例年通り、さくっと数字のみメモ取ってるのを記しておく。

1月  7
2月  6
3月  5
4月  4
5月  8
6月  5
7月  7
8月  9
9月  9
10月 6
11月 5
12月 3

 計74回でした。

 贔屓がいない、はじめての年。
 えーと、贔屓のいた2013年の観劇回数と比べようと思ったんだけど、ブログに書いてない? 見つけられない(そもそも書いたかどうかもおぼえてねー)ので、2012年のがあったから、そっちを例に出す。

 2012年の観劇回数 138回。

 わ。
 倍、近い……?

 2014年は途中まで贔屓いたからねー。
 完全にいないのは今年が(ブログ開始以降)はじめて。

 贔屓のいた138回と、贔屓なしの74回。
 その差64回。
 単純に考えれば、その64回は、まっつのための数字なわけだな。

 64回分のチケット代と、時間と。
 まっつに使っていたんだねえ。


 今年は人並みの観劇回数に落ち着いたんじゃないかと思う。
 や、ナニをもって「人並み」とするのか、難しいところではあるけれど。
 この調子で、落ち着いたヅカヲタ生活を送りたいと思う。

 2016年は、元日から観劇だけどな(笑)。
 え、えーと、だから、2015年を振り返るシリーズ、その3。

 2015年に観た公演で、好きだったもの・キライだったもの。

 大好き!! なのはなんつっても、雪組『星逢一夜』、作・演出/上田 久美子。

 タカラヅカで、大劇場公演で、オリジナルで、これほどの作品を上演可能なのだ、という実績を残したことに大きな意味がある、と思う。

 植爺の『ベルばら』レベルのモノしか上演されない劇団だったら、絶望しかないじゃないですか……!
 正反対のモノもこうして、ちゃんとイチから作り上げられるんだ、という感動。

 作品自体もだし、出演者も素晴らしかった。
 そりゃさ、わたしは文句言い体質なので、手放しで持ち上げてないし、好みじゃないとこいろいろあるけど、それを含んでなお、良い作品だと思うし、好きだと思う。

 贔屓組での公演、てのも大きい。
 どんだけ良い作品でも、贔屓組でなかったら耽溺するほどの回数通えないしな。
 ウエクミの『翼ある人びと』(2014年)を良い作品だと思ったけれど、通うことは出来なかった。そこに費やすだけの「時間」と「心」を確保できなかったためだ。
 「好き」と思うベクトルと、「最優先するモノ」のベクトルが重ならない限り、その公演を味わい尽くすことが出来ない。わたしの場合。
 「好き」は「好き」だから、評価は出来る……たしか2014年末に書いたまとめ記事で「2014年ナンバーワンは『翼ある人びと』」って書いていると思う。1回しか観られなかったのにね。『一夢庵風流記 前田慶次』なんか何十回観てるのにね(笑)。

 『星逢一夜』は幸運だった。
 ご贔屓がいなくて時間と心に余裕があり、贔屓組での公演で、ご贔屓なきあといちばん好きなだいもんが主要役をやっている……こんだけ幸運が重なって、わたしは好きな作品を好きなだけ楽しむことができた……うおお、なんて幸運。


 次に好きな作品は、月組『1789-バスティーユの恋人たち-』潤色・演出/小池 修一郎。

 音楽の勝利。各ナンバー聴くだけのために通えるわー。
 贔屓組でなくてもそれなりに通った。大劇場公演は期間が長いからスケジュール調節しやすい。
 やっぱ主要メンバーが歌えるのは大きい。まさおってほんと歌ウマだよなーー!

 スペクタクルな演出とドラマティックな音楽に、単純にわくわくした。

 『星逢一夜』がヅカオリジナルで日本人ならではの心の機微に涙する掌編小説のような作品で、『1789』は輸入物ならではのガツンガツンどわーっ、というテーマパークのアトラクション系。
 このまったくチガウ作品を味わえることが、タカラヅカの醍醐味。
 タカラヅカってほんとすごいね!(笑)

 好きだと思う2作品が、新作だというのも、うれしい。

 「名作」の再演もいいけどさ、1年間にこんだけ公演やってて「いい」と名前が挙がるのが再演ばかりだったら、そりゃもう未来暗いよね、やばいよね。
 ちゃんと「新作」で感動できている。
 そのことがうれしい。

 タカラヅカには、明るい未来がある。


 ……反対に、いちばんキライなのが宙組『相続人の肖像』作・演出/田渕 大輔 、で、それに甲乙付けがたい大駄作、星組『黒豹の如く』作/柴田 侑宏、演出・振付/謝珠栄 ……と、こちらも「新作」「オリジナル」で、こんなモノを堂々と書き下ろして商業作品としているなんて、ヅカの未来は暗いな!!ってなもんだけど(笑)。

 『相続人の肖像』も『黒豹の如く』も、ストーリーとキャラクタが破綻、物語として成り立っていないことが、わたしにとっての看過できないマイナスポイント。
 物語作れない人は、無理に作らなくていいよ……。
 物語が「ない」から、キャラクタを整合性なくむちゃくちゃに動かして、無理矢理「出来事」を捏造する。何故そのキャラがそう言うのか、何故そう行動するのか、理由は「そうしないと話が転がらない」からで、作者の都合でしかない。ゆえにアタマのおかしい言動を、辻褄の合わないまま場面ごとに垂れ流し続けるはめになる。
 それで「物語」を名乗らないで欲しいわ……レベル低すぎ。

 でもまあ、これくらいの駄作は植爺の平均駄作度程度だし、今年の植爺『ベルばら』がまだマシな出来だったってだけで、植爺はこれよりひどい駄作だって平気で垂れ流してきたし、それでもタカラヅカは潰れずに100年続いてるんだし、文句言いつつわたしも四半世紀観ているんだし、駄作ぐらいでヅカもわたしも光を失ったりしない(笑)。


 あー、芝居の駄作もだけど、ひそかにやばいと思うのは、ショーの傑作がナイことかもなー。

 ショーでいちばんよかったのは、花組『宝塚幻想曲』作・演出/稲葉 太地 かな。
 てゆーか他がひどかった、ような……。ゲフンゲフン。
 2015年を振り返るシリーズ。
 いやあ、自分のペースでどの枠にどの記事載せるか調整しながらの更新だと、いろいろ書けていいなあ(笑)。

 2015年のヅカヲタ生活を振り返ってみて、感慨深いのは遠征しなくなったなー、ってこと。

 昔のわたしは遠征なんてとんでもない、手近にあるものだけで満足する、ソレが分相応ってもんです!な、ライトなヅカヲタだったのよ。ご贔屓への愛で、欲望のままに日本中飛び回るのがあたりまえになっちゃってたけど……。
 今、贔屓がいなくなり、再びライトなヅカヲタに戻ったのだから、とーぜん遠征はしていません。

 てことで、観ていない公演がけっこうある。
 ……という書き出しでスタートしようとして、公式HPの「公演バックナンバー」ページ開けて、たたらを踏む。

 バックナンバーの2015年最初に載っている公演、って、花組『Ernest in Love』、東京国際フォーラム ホールC……いかん、しょっぱなからわたし、遠征してるわ……(笑)。

 えーとえーと、書き出しから矛盾してますが、ライトなわたしは基本遠征しない方針で……だからいろいろ観ていない公演があって……。

 まず月組中日『風と共に去りぬ』は観ていない。再演でなく、まさおにとっての新作ならば観に行ったけど、梅芸で観たので追いかける気なし。や、ライトなヅカヲタですから。
 あと、贔屓組ではあるけれど、雪組博多座『星影の人』『ファンシー・ガイ!』は観ていない。だいもんが出演しているか、あるいは別作品なら観に行ったかもだけど……わたし『星影の人』キライなんよ……くわしくは ↓ あたり参照。(水しぇん主演『星影の人』観劇時の作品感想)
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-549.html
http://koalatta.blog48.fc2.com/blog-entry-550.html

 『宝塚舞踊会』はわたしの中では『宝塚巴里祭』と同じ括り、通常公演とカウントしてないので、ご贔屓が出演しない限り観ることはナイ。
 台湾までは行ってないけど、同じ公演を梅芸で観ているから、花組『ベルサイユのばら―フェルゼンとマリー・アントワネット編―』『宝塚幻想曲』は「観た」カウントな。

 あれ? もっと「観てない」気がしてたんだけど、観てない公演って中日と博多座だけか。


 遠征したのは『Ernest in Love』と『アル・カポネ』『星逢一夜』
 げ。「遠征しない」と言いながら、3回もしてるのか……。

 『Ernest in Love』は好きな作品で、久々の再演だったからな~~。当時のしあわせな気持ちの追体験しに、という気持ちも大きい。
 新生花組スタートで、みりかのにもわくわくしてたし。
 つか、ポスターメンバー全員が「……ナニ組?」状態で、彼らがこれからの花組の中枢なら、早いことそれを体験した方がいいだろう、という気持ちもあったし。

 『アル・カポネ』は……(笑)。
 作品つまんないし、大阪で何回も観たし、わざわざ遠征する必要はまったくなかったんだが、えっとその、だいもん目当てに。
 わたしは頭の回転が遅いため、なかなか自覚しないのな。それで同じ失敗を繰り返す。
 『BUND/NEON 上海』のときからずっと、「だいもんを見届けたい」と千秋楽間際にじたばたしてきたのよ……同じこと繰り返すのやめようよ……『Victorian Jazz』『アル・カポネ』とこれで3回目だよ……。はい、結果としては、初日観て千秋楽も観ました、でもそれは最初からそのつもりで用意してたんじゃなくて、ぎりぎりになって「千秋楽観たい、いや、絶対観る!」とあがきだしてのことで……わりと綱渡りで……。
 学習したわ。わたし、次のだいもん主演の『ドン・ジュアン』は、初日も千秋楽も「観る」と腹をくくって、先にチケット用意するわ(笑)。

 『星逢一夜』は、作品が好きだから。
 プラス、だいもんとかなとくん目当てで、新人公演と前後の本公演を観劇。
 作品への熱が沈静したので、千秋楽遠征はしなかった。

 だいもん主演公演は遠征するけれど、だいもんが出ているからといって雪組本公演を、東宝の大千秋楽まで見届けたいとは、特に思わない。
 だいもんは好きだけどご贔屓ではないので、まっつのように「どんな作品でも脇役でも、お茶会遠征、千秋楽遠征もするわ!」てなもんでは、今のところナイ。
 てゆーかだいもんのことは、まっつがいたときから好きなので、自分の中では変化も矛盾もなし。彼がさらに好みに育ってくれたことと、贔屓組にいてくれることで、「追いかけやすく」なった面はある。贔屓組以外だったら、好きの濃度UPも舞台をリピートするのも今ほどスムーズではない。
 今のだいもんを好きなハートって、オサ様を好きなハートに近いなあ。わたしのなかで。
 舞台を異次元へ変える力のある人だから、パワー全開にしていい主演公演は見届けたい、だって絶対面白いもの、面白いモノは観たいもの! という。

 たぶん、次の本公演の『るろ剣』も、ムラでは通うけど東宝遠征はしないだろうなあ。


 えーと。
 「ご贔屓がいなくなって、ライトなヅカヲタに戻ったため、遠征しなくなった」という趣旨で書きはじめた記事なのに……書いている内容は「遠征基準の話」で、つまりそれって、「遠征してる」ってことですがな!!

 お、おかしい……。
 わたしの感覚では、もうすっかり落ち着いたわたしは、遠征もせず、見逃した公演もたくさんあって、「ライトなヅカヲタになったわ……ほほほ」と収束させるつもりだったのよ。

 自分で感じていたことと、現実がチガウ……。(白目)
 さて。
 贔屓がいないまま、2015年が終わろうとしています。
 誰だよ、「半年後には新しい贔屓が出来てるって」とか言ったの、1年以上経つけどぜんぜんじゃん! ……てな愚痴は置いておいて。

 ご贔屓がいなくてもヅカヲタなので、ムラには依然通っていて、生活自体に大きな変化はありません。
 変わったなー、と思うのは、グッズに興味がなくなったこと。

 えー、公式発売グッズあれこれ。
 キャトルレーヴで売っているモノとか、劇団発行の雑誌とか、新聞記事とか。

 まっつがいた頃はね、興味津々だったの。
 キャトルレーヴには毎回寄って、写真を物色したり、ポストカードの発売日を楽しみにしたり。
 「歌劇」や「GRAPH」も毎回目を通す。まっつが載っていたら買う。新聞や雑誌も、小さなコラムでもまっつが載っていたら買う。
 や、基本まっつは露出が少ないので、探さなくてはならないし、全買いしたって金額的には大したことなかった。
 ヅカコーナーのある某雑誌とか、10年位買い続けてたけど、まっつはついに一度も載らなかったしな。新公主演しようがバウ主演しようが、ガン無視された……ま、そんな扱いの人だったから、外部メディアに取り上げられることはかなりレア、宝探し的な楽しみがあった。
 晩年は、舞台写真の発売枚数が増えて、全買いするとそれなりの金額にはなったけど……それでも、他になにもナイんだから、写真だけならたかがしれてる。

 でもまっつがいなくなってからは、グッズを買うことがなくなった。
 数年に一度のパソブ発売! とかなら祭り的にいっちょかみするけど、それ以外の通常商品には興味がない。

 つまんないなー。
 またグッズ買ってわくわくしたいなー。

 グッズで今年盛り上がった……というか、強い意志で「買うぞーー!」と思って動いたのは、『アル・カポネ』ポスターだけだ。
 や、アレは買うでしょ!(笑)
 今も部屋の真ん中にどーんと貼ってあります、カポネ様。
(わたしの部屋はトド様とまっつとだいもんのポスターが貼られているカオスな部屋ですわ)

 まっつのときみたいに、誰かの写真をわくわく買いあさる日が、いつ来るのかしら……。
 いつかご贔屓が出来ても、舞台写真発売してもらえない人にハマる可能性だって大いにあるわけだしなー。
 そもそも、まっつの舞台写真を買いあさるようになったのだって、彼が立場に反して舞台写真を発売してもらってなかったため、遅ればせながらはじめて発売されたときに記念買いしたのが皮切りでだね……あうう。


 とまあ、よーするにだ、キャトルへ行くことがあまりなくなったため、来年のカレンダー購入に、出遅れたのよね(笑)。
 スタカレは同僚からもらうからいいとして(下に企業名入ったヤツな)、パソカレ発売されたのいつか、まったくわかってなかった。

 ほら、去年だいもんのパソカレがすぐ売り切れたじゃん? 今年もそうなったらどうしよう、って、出遅れた分どきどき買いに行ったわ。
 んな心配するまでもなく、山ほど売ってたけどさ(笑)。

 表紙のだいもんが、好み過ぎる!!

 着物! 着物! 着物!
 わーん、もっと早く買って、飾っておけば良かった。もうじき表紙めくっちゃうじゃん。

 パソカレはいいね。
 スターさんのパソカレがどーんと売り場にあると、わくわくするわ。
 昔みたいにひとりで何人ものスターさんのパソカレ買わないけど。あの頃は、部屋がカレンダーだらけで大変だった(笑)。鴨居にずらりと5人とか、頭の上にヒラヒラ、月が変わるとめくるだけでも大仕事だったわ。←
 とりあえず今は、買うのはだいもんだけって決めてるけど。
 どのスターさんのもいいわよね。きれいよね。個性が出ていいよね。

 ……もう来年は、まっつのカレンダーがないんだよなあ。会販のカレンダーを愛用してたんだけどそれも今年分が最後、もう次はない。
 まっつのバカ。←まだ言う。 
 今ごろしつこく『舞音-MANON-』の話。

 ディン・タイ・ソン@としくんかっこいいよねっ!!

 ヴィトー@『Bandito』とか、硬質なとしくんは大好物です。
 相方がトウカさんというのが心から残念なんですが……まあおかげで、新公と違って恋愛要素なさげで、さらに硬質な感じになってるのが、それはそれでいいかと、前向きに(笑)。

 景子タンは革命になにか含むところがあるのかな。
 革命をネタに使うわりに、ど真ん中にはおかず、横からチャチャ入れをするの。
 『ジャン・ルイ・ファージョン』のときは「アンチ植爺『ベルばら』」スタンスだと思って楽しめたんだけど、こう何度も何度も「革命の外側でわしゃわしゃしている」モノばかり書かれるとナニかあるのかと勘ぐるわ。

 革命を本気で真正面から描くことはしないくせに、作品の盛り上がりは革命任せなの。
 そこで革命利用するなら、ふつーに革命の話にすればいいのに。

 わたしが景子作品をお茶の間的と思うのは、そーゆーとこにもある。
 真正面から革命とか戦争とかの男性的世界を描かず、それとは直接関わらない、ご近所さん的小さな精神世界のみに終始する。
 狭い世界の話でもいいのよ。それならその狭い世界に重点を置いて話を作ってくれよ。
 クライマックスは何故か革命で、お茶の間とは関係ない部分に「盛り上がります、感動します」と託してしまって、え、お茶の間の立場は??になる。

 革命に頼らなきゃ派手な画面を作れない・クライマックスの盛り上がりを作れないのなら、最初から革命物やってくれればいいのに。

 としくんの役主役にしてさ。
 ヒロインがトウカさんの役でさ。
 独立運動メインで、国だ民族だ戦争だ、って本気でドラマティックやろうよ。

 なんにもしないシャルルとか舞音とか、ひとり相撲で殺されて終わりのクオンとか、放っておいてさ。

 てゆーか、アテ書きしようよ。
 まさおさんの場合は、ソレ重要(笑)。
 ふつーのトップさんは景子タンの美しい物語はなんでもハマるけど、まさおはふつーじゃないから。まさお節で繊細世界表現は向いてないから。受動態のなよなようじうじ美青年は任じゃないから。
 むしろ彼は、自分が動いて暴れて、喜びも苦悩もどーーん!ばーーん!とした「真ん中」の人だから。スカーレット役者だから。
 革命の英雄に向いているから。

 スカーレットを男にして、『舞音-MANON-』の世界、革命側の物語に放り込めばいいのよ。
 わがままで言いたいこと言って、バカで本能的で、だけどかわいくて憎めなくて魅力的で、嫌う人は嫌うけど好きな人はめっちゃ心酔する、「無視できない」存在。
 そんなスカーレット青年が、ベトナムで革命やっちゃいます!! てな。
「オマエなんか大嫌いだ!!」と言いながらも、男たちがスカーレットに従っていく。
 考えなしでバカだから無茶な作戦決行して、簡単にピンチになって、もうダメだ、てなときに敵対していたチームが助けに来てくれるの、「このバカが、オマエに死なれると困るんだよ!」てな。愛されてる(笑)。
 常識の枠に囚われて足踏みしている人々の頭の上を、ぽーんと軽やかに飛びこえていく。まさお節全開、ふつーでないからこそ面白い。

 シャルルをまさお節でうじうじやってる場合じゃないと思うんだよなあ。
 としくんの役とか、スカーレット@まさおと絡めたら、すっげー萌える役だと思うのに。
 今のままだと、「としくん単体がかっこいい」だけで、萌えに膨らまない。
 もったいない。
 集合日から2日。
 『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』新人公演一部の配役決定。

 剣心@ひとこ、薫@みちるちゃん。

 順当。
 なんのひねりもない配役なんだが、なんで集合日に出なかったんだろう?

 ひとこは本公演の役が池田小三郎という新選組隊士だから、たぶん役としての出番はあまりないんだと思う。新選組なんて最初しか出ないだろうから。そのあとはえんえんアルバイトかな。
 その分、新公主演に集中するんだろう。

 みちるちゃんは本公演の役が弥彦で、けっこう出番ありそうなんだけど、大丈夫か。うまい子だから、新公ヒロインと兼任してもやりこなせると判断されたか。


 主演二人だけの発表だと、他の役の比重が読めないなー。


 95期は卒業しちゃったんだよなあ……。
 わかっちゃいるけど、もう1公演、出て欲しかったなあ……と思うわたしは、単にかなとくんに、華々しい役をやって欲しいってだけだ(笑)。
 かなとくんなあ、油断すると地味な方へ流れるからなあ。
 派手な演目と派手な役で、ばーーん!とドヤる癖を今のうちに付けて欲しい、訓練して欲しい。……そんな、勝手な思いがある(笑)。

 ひとこくんはその点安心というか、華々しい役でなくても明るい持ち味があるからさー。

 ……ん?
 そーいやかなとくん、本役は蒼紫だっけ。
 これって…………ばーーん!とドヤる役じゃ?

 あ。
 なんか楽しみになってきた、『るろ剣』。(単純)


 やっぱなんか、『るろ剣』やるんだ、ってことに、お祭り感がある。
 普段は前もって配役表なんか見ないんだけど、今回は眺めにHP開いたもんな。

 きんぐは桂小五郎かあ。『JIN-仁-』で中岡慎太郎だったよなあ、とかなつかしく思い出す。
 幕末の志士はどーせ出番少ないだろうから、もうひとつの役の方がメインなんだろうけど……ベルクールて……ナニ?

 お庭番衆出るんだ、りーしゃ、まなはる、あす、レオって……俺得過ぎるメンバー。

 翼くんはやっぱり役ナイよなー、うん、知ってたよー、とか。

 『るろ剣』自体読んだのがあまりに昔で、配役表見ても「?」となる名前がけっこうある。かといって、読み返して予習しようとも思わないしな。
 ま、なんとかなるだろー。

 だいもんときんぐで萌えがあるといいなあ。
 同期絡みが見たいんだよー、頼むよイケコ~~。

 ……はあ。
 さみしいなあ、きんぐ……。
 日本物とは意外だった。
2016年 公演ラインアップ【宝塚大劇場、東京宝塚劇場】<8月~11月・星組『桜華に舞え』『ロマンス!!(Romance)』>
2015/12/25
12月25日(金)、2016年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【宝塚大劇場】【東京宝塚劇場】の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   
星組
■主演・・・(星組)北翔 海莉、妃海 風

◆宝塚大劇場:2016年8月26日(金)~10月3日(月)
◆東京宝塚劇場:2016年10月21日(金)~11月20日(日)

グランステージ
『桜華に舞え』

作・演出/齋藤 吉正

幕末の動乱期に雄大な桜島がそびえる薩摩藩の貧しい城下士の家に生まれ、人並みはずれた度胸と剣の腕で、明治維新の立役者の一人ともなった桐野利秋。明治新政府では陸軍少将に任じられながらも、敬愛する西郷隆盛と共に下野し、“避けられぬ宿命”西南戦争へと身を投じて行く。彼が命を賭けて守り抜こうとしたものは果たして何だったのか……。会津藩との戦いの最中に出会った娘との恋や、苦楽を共にしてきた薩摩兵児達との友情、そして対立を交え、“真心”を持ち、己の“義”に真っ直ぐに生きた最後の侍の生き様を描き出します。

ロマンチック・レビュー
『ロマンス!!(Romance)』

作・演出/岡田 敬二

宝塚レビューの伝統である、華やかで美しく香り高い世界を描いた、ロマンチック・レビュー・シリーズ第19作品目。星組トップスター・北翔海莉の定評ある歌唱力を存分に活かし、宝塚歌劇の永遠のテーマでもあるロマンチックな“愛の世界”をバラエティー豊かにお届け致します。
 ショーは岡田せんせかなと思っていたけど、芝居がサイトーくんとは。みっちゃんにとって『風の次郎吉―大江戸夜飛翔―』は大切な作品なんだろうね。

 ついに内堀まで埋められた感あるけど、こうたたみ掛けるようにくり出してこられると、ただもううなずくしかない、いい公演になることを祈るばかり。

 とりあえずわたし、みっちゃんでとびきりのヒーローソングが聴きたいわ!
 サイトーくんならではの、ばばーんと派手であざとくて、かっこいいやつ。みっちゃんの声で! 絶対映えるもの。
 きんぐ……!!
雪組 退団者のお知らせ
2015/12/24
下記の生徒の退団発表がありましたのでお知らせいたします。   
雪組
大湖 せしる
蓮城 まこと
央雅 光希
妃桜 ほのり
璃央 じゅん

2016年5月8日(雪組 東京宝塚劇場公演千秋楽)付で退団
 『るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-』集合日。

 きんぐだけは、ずっといてくれるかと、勝手に思っていたよ……。
 やめるなら、もっと前にやめてるだろ、今の位置になってなおやめてないんだから、このままいてくれるんだろう、てな自分に都合のいい希望ゆえに。

 きんぐはわたしの、癒しジェンヌだったのよ……。


 せしこは充実期の卒業か。せしこと組むと、男が上がって見えるのよ、貴重な人なのよ。稀有なキャラクタなのよ。

 タジィはずっとわたしの萌えジェンヌっす……。なんでー? あなたの旬はこれからでしょー? ステキなおじさま役者なのに。

 ほのりちゃんは谷せんせ作品での印象が強い。『Samourai』が強烈だったからなー。ほんとかわいかった……!
 モブでもわかる、かわいこちゃん。

 璃央くんはごめん、でかいこと以外、個別認識してない……ゆえに、残念。「出会う」前に別れるなんて。


 話題作での卒業は、区切りになっていいのかもしれないけれど、ただもお残念だ。

 ううう、きんぐ~~……。
 クリスマスイヴなのに……なのに……めそめそ。
 『銀二貫』キャスト感想いろいろ。アタマ悪く、ただ叫ぶ(笑)。

 桃ひな美しいーー!!

 お初人形が美しすぎて、涙ぐむレベル。
 かなとくんもきれいだし……てゆーか、こういうかなとくんもふつーに見たいんだがな……谷作品だと丁稚ばっかしでよぅ。

 レオ様がかっこいーー!!

 ちょい役とモブばっかだが、とにかく美しい。いなせ。
 高い声も気にならなくなってきた。きれいっていいよね、華があるっていいよね。

 ありちゃん&まからくん、うまいわー、いい仕事してるわー。

 ありちゃんの声が好き、まろやかで聴きやすい。キツめの喋りでもきれいに耳に入ってくるのがありがたい。
 もう少し痩せてくれるといいのに……と毎回思うが、もうありちゃんはこれでいいのかなあ、とも思う……。ショーさえなければ太めの女役さん自体は需要あるもんな。ただ、ヅカはショーがあるからな……他の娘役と同じデザインの、肩出しドレスやカラダの線の出るドレス着るからな……ありちゃんの体型がやたら目立つよなあ。
 芝居だけなら、しかも日本物なら、さらに町人・人情モノなら、ありちゃんはすごく世界観に合っている。……ので、今回のありちゃんはいつもに増して好き。

 まからくんは万年丁稚役ということで、最後まで高い声のまま。大人の声が聴きたかったなー。もともと高めから、そろそろ本腰入れて男役の声を作っていって欲しいな。
 せっかくうまい人だもんねえ。

 あんこはやっぱり華やかだと思うの。
 モブで踊っていても目立つし。
 うるさい役をさせると必要以上にうるさいところも、いい味だわ。

 まちくん、役少なーーい! もっと活躍してくれるかと期待したのに。
 なんで? 谷せんせ、まちくんもっと使ってくれるかと期待したのに。や、役もないし、なまじまちくん目立つから、脇役使い回ししにくいってのもあるんだろうけど。

 叶くんも、役少なーーい! もっと活躍してくれるかと期待したのに。
 なんで? 谷せんせ、叶くんもっと使ってくれるかと期待したのに。や、役もないし、なまじ叶くん目立つから……以下同文。

 まち&叶、モブでもかっこいいよ、男前だよ!!

 諏訪っち、うまいよねー。このまま役割が増えていけば、もっともっとうまくなりそう。
 モブでも目立つアゴは長所、舞台人としての武器!

 みちるちゃん、子役うまかった! 少年役似合うなあ。
 本役の令嬢役より、主人公の少年時代役の方がイメージが強く残った。もっとお芝居ちゃんと見てみたかったな。『星逢一夜』新公ヒロインが、本役コピーでみちるちゃん本人が見えなかった分、別箱はチャンスだったんだが。
 子役うまかったから、いいか。

 モブの男の子にきれない子がいる……つか、星加くんは顔が好みだ(笑)。

 主演以外路線スターが出てなくて、この出来ですよ。
 下級生たちも有望、雪組厚いわー、磐石だわー。惚れ惚れ!
 うわー……。
2016年 公演ラインアップ【宝塚バウホール】<7月・星組『One Voice』>
2015/12/22
12月22日(火)、2016年宝塚歌劇公演ラインアップにつきまして、【宝塚バウホール】公演の上演作品が決定いたしましたのでお知らせいたします。   
星組
■主演・・・北翔 海莉、妃海 風

◆宝塚バウホール:2016年7月3日(日)~7月12日(火)
※5月12日発表の公演スケジュールから変更(公演を追加)して上演いたします。

歌声をひとつに…
『One Voice』

構成・演出/岡田敬二

一人の歌声が心を震わせ、それらが重なりあってハーモニーを作り出すと、素晴らしい世界が生まれる…。多彩な輝きを放つ北翔海莉の歌声に焦点を当て、その魅力を引き出すと共に、選抜メンバーが各々の歌声を披露するVOCAL中心のステージ。
 なんというか、着実に「進んでいる」なあ。決められたゴールに向かって。
 ここまで「予定通りです」ときれいなカタチで進められるのは、ファンとしては覚悟が決まっていいのかなあ。それとも、つらさの方が勝つんだろうか?
 情報過多の時代にトップスターのファンをやったことがないので、よくわからん。
 トップ以外は、こんな風に外堀から埋められていくようなことはなく、ある日突然答えが出るからねえ……。

 えーと、みっちゃんで岡田せんせは相性がいいので、いいのではないかと。
 この時期にいきなり「トップスターのバウ公演」がスケジュールを変更してまで追加って、DSよりもバウを選んだんだろう、本人の意志が顕著である分、心から、しあわせな公演になりますように、と思うよ。

 チケ難必至。

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