とにかく、疲れる日じゃった……。

 天気が悪いことはわかっていた。全国的に雨マークがある日。

 しかし、朝はまだうっすらと日が射していたのよ。
 なのに。
 突然雨が降り出した。
 出かけがけから、天気雨?!

 とっても嫌な予感。

 家族で1泊2日のミニ旅行。なんで1泊なのかっていうと、弟の休みがそれしかとれなかったから。

 やはりあの天気雨はトラブルの前触れだったのかな。
 とにかく、ろくでもないことの連続。芋蔓式に不幸。
 新大阪の新幹線の自動改札で引っかかった。
 理由は、「指定席の日付ちがい」。
 わたしたちが持っていたのは「昨日の切符」だった……。
 その切符は1週間前に母が買った。わたしも弟も、「母が日にちをまちがえた」と思った。しかし母は「まちがえたのは切符を発行した窓口の駅員だ。わたしは悪くない」と言ってきかない。

 さて、どうするか?

1.指定席をあきらめ、自由席の列に並びに行く
2.新しい指定券を買いに窓口へ並びに行く
3.駅員にクレームをつけ、新しい指定券を発行してもらう 

 わたしと弟は、1か2を選びたかった。しかし母がきかない。
 結局3になった。
 わたしたちが事実を確認する前に、母が改札口で駅員さんになにやら噛みついていた。

 さて、クレームの出し方。

1.昨日の指定券を発行したのはそちらのミスだから、今日のものに替えて欲しい。4人なので、向かい合わせに坐れるようにD・E席で連番、禁煙席で頼む。
2.昨日の指定券を発行したのはそちらのミスだから、今日のものに替えて欲しい。と言うだけで精一杯。
3.事実の確認と、それを踏まえた上での改善要求と、自己弁護と逃避、言い訳をすべてごちゃまぜに感情的にまくしたてる。

 わたしか弟がいれば、1か2だった。しかし、そこにいたのは母。実際に駅員さんになんと言ったのかは、その場にいなかったのでわからないが、
「わたしは知らない、わたしは悪くない、駅員さんはここで待てと言った、待っていたらどうなるのかも知らない、わたしは悪くない、わたしはちゃんと今日の日付で1週間も前に**駅で買ったのに。あの日はとっても忙しかったのに、それでもわざわざ今日のために**駅まで行って買ったのに。日付の確認なんかしなかった、そんなの正しいって信じていた。信じていたのに、まちがっているなんておかしい」
 と、電波かお前、てなことをわめきつづける母にかかっちゃー、なにも通じてなんかいないだろうことは予想できた。
 ええ、ぜんぜん通じてなかったよ。駅員さんは右往左往してた。……気の毒に。
 途中からわたしが交渉して、ようやく今日の指定券を手に入れることができた。
 ごめんね駅員さん。わるいのは、うちの母です。でも成り行きで強引に今日の指定券を発行させちゃったよ……。

 ようやく予定の新幹線に乗ることはできた。
 だけど母のクレームが支離滅裂だったせいで、取れたのは喫煙車両のA・B席連番。つまり、3人掛け席なんだよね。向かい合わせにすると2席、余ることになる。ただ余るだけならいいけど、ここに誰かまったくの他人が来るとなると……おたがい気詰まり。
 連番が取れたのは、わたしが交渉したから。母の言い分だけでは同じ新幹線に乗ることも難しかったよ。とにかく、無茶苦茶だったから。

 精神的にとても疲れて、東京着。
 実は母、行きのチケットだけでなく、帰りのチケットもまちがえて取っていた。行き16日、帰り17日のはずが、行き15日、帰り16日になっていた。つまり、日にちをきれーに1日前で取っていたのね。
 1日だけなら、窓口の駅員さんの入力ミスかもしれない。しかし、もう1日もちがう日付だとしたらそれは、申し込んだ人間が日付をカンチガイしていたとしか思えないだろう。
 だが母は、
「駅員さんだって人間だもの、入力をまちがえることだってあるわ。許してあげなきゃ」
 と寛大なことを言っている。わたしや弟が突っ込んでも聞く耳持ちゃしねー。

 とにかく、帰りのチケットの指定券を変更しなければならないわけだ。
 東京に着くなり、窓口へ行き変更手続き。
 わたしと弟は荷物番をしながら、ぼーっと待っていた。
 ずいぶん待った。
 そしてよーやく窓口をあとにした母は。
「帰りの切符がないの、あんたたち持ってない?」

 はあ?

 どーやら母、新大阪で切符の日にちちがいに気づいて、駅員さんにクレームを付ける際に、帰りのチケットも出してあーだこーだ言ったらしい。
 そしてそのとき、帰りのチケットを落としたそーな。

 さて、どうするか。

1.落としたものはあきらめ、新しく買い直す。
2.さがす。とことん探す。
3.事実の確認と、それを踏まえた上での改善要求と、自己弁護と逃避、言い訳をすべてごちゃまぜに感情的にまくしたてる。

 もちろん、3でした、母。
 まず、自分が落としたことを認めない。
「だって袋はあるのよ! わたし、袋をこうしてちゃんと持ってるんだから! 袋の中に入ってるって信じるじゃない。なんで入ってないの?!」
 ……アンタが落としたんじゃん……。
 チケットを持っていたのもアンタ、チケットに触ったのもアンタ、袋から出したのもアンタ、他の誰も触ってないし、知らない。

 チケットを落とした、という事実を認めるまでに、なんであんなに時間がかかるんだ?
 落としたのは母の分の1枚だけだったのよねえ。母以外に誰が落とすんだよ。

 結局母は「いいわ、わたしが出すわ、切符1枚くらい」ととても寛大なこと言った。……アンタが落としたんじゃん、というわたしや弟のツッコミは以下略。

 じつはまだこの切符騒動は余波があったんだが、書いてて不愉快になってきたので、もうやめておく。
 はー…………。

 せっかく早くに東京に着いたのに、いつまでたっても駅から出られない。
 よーやく駅を出たときには、雨がぱらつきだしていた……。
 切符のトラブルがなかったら、降られなかったはずの雨だった。

 わたしたちの目的地は「鎌倉」だった。
 朝7時半に新幹線で大阪を出たというのに、午後1時の段階でまだ、東京駅にいた。
 東京駅で昼食を取りながら、わたしと弟は鎮痛剤を飲んだ。この旅行のあまりの手際の悪さ、前途多難さに疲れ、偏頭痛を起こしていたのだ……。

          ☆

 旅行を計画したのは父だ。
 父の予定通りにいけば、昼食は鎌倉で取っているはずだ。
 彼は鉄道好きなので、鉄道に関してだけはいろいろ調べていた。
 が、父の計画表はすべておじゃんになった。
 予定していた新幹線が取れなかったせいだ。

 絶対に取れるはずの新幹線が取れなかった。
 仕方なく1本前の便にした。
 そのために、そのあとに乗るつもりでいた列車のタイムテーブルは無意味になった。
 忙しかったからか、父はタイムテーブルを再度組み直すことはしなかった。「ま、なんとかなるだろ」と成り行きに任せた。

 ……何故、「絶対に取れるはずの新幹線が取れなかった」か。
 母が日にちをまちがえていたせいだ。
 15日は3連休の中日。
 16日は3連休の最終日。
 父が指定したのは「16日」。この日なら「絶対に取れるはず」だ。
 だが母がまちがえて「15日」で取った。もちろん15日は売り切れで、仕方なく1本前の便になった。1本前だから、父のタイムテーブルは無効になった。

 すべての不幸は、ここからはじまる……。

          ☆

 「16日」の旅行なのに「15日」の切符だったから、新大阪駅でトラブルになった。
 そのトラブルが原因で、母は帰りの切符を無くした。
 そのトラブルが原因で、東京駅で無意味な時間を過ごした。
 その無意味な時間のために、雨に降られた。
 雨のために移動その他に予定外の時間がかかった。
 予定外の時間がかかったために、鎌倉での神事を見ることができなかった(終了時刻に到着した)。
 予定していた行程の半分も消化できなかった。

 と、とにかく最悪。

 わたしも弟も疲れ切った。
 雨の中を動き回っていたから、傘をさしていても濡れてるしな。
 父はすぐ疲れて不機嫌になるし、母はテンション高くて自分勝手なことばかり言い出すし。

 ホテルの部屋割りは、父母と、わたしと弟。
 わたしたちはとっとと自分たちの部屋に引き上げ、休みました。 
 就寝はなんと午後11時。
 …………普段からは考えられない時間。

 疲れてたんだよ……。


 両親が帰ってきた。
 毎年8月第3週は家族行事(主に旅行)だったんだが、弟の休みが取れないので両親だけで北海道へ行っていた。弟ひとり置いて行くのは可哀想、だからわたしも残れ、というのが彼らの主張。
 いいオトナなので、可哀想もクソもないんだがな……べつにどーでもいいことなので、両親を気持ちよく見送りましたよ。

 彼らがいないからってどーってことはないのだが、面倒なのは庭の水やりだった。
 母が「あたしの孫」と呼んでいる、あの奔放に生えまくった植物ども。
 めんど〜〜!!

 母ときたら、行く前にさんざん含みおきし、さらにわざわざ携帯メールで「水やりたのむ」と言ってくる固執ぶり。
 ほんとに心配事は花壇だけだったのね。

 家の前の花壇と、裏庭の花壇と大小様々な植木鉢。緑に浸食されてるので、どれが育てている植物なのか、勝手に生えているものなのか、わかりゃしねえ。
 わたしは植物に興味ないのよ。
 きれいに整えられた花壇ならともかく、母の性格そのまんまなダイナミックすぎる花壇は、わたしの趣味じゃない。

 裏庭はホースで水やりするけど、家の前の花壇はじょうろを使うしかない。
 ちょろちょろと水をやりながら、郷愁にふけりました。
 そーいや小学校のころは、やってたな、水。夏休みのお手伝いで。あのころはまだ裏庭には花壇を作ってなかったから、この家の前の花壇だけだった。
 ほんとに、大昔のことだよ……。

 北海道は大雨だったらしい。台風の影響で。
 大阪は快晴だったのにね。
 天気が逆なら、わたしも水やりしないですんだのにな。

 
 価値観は、ひとの数だけ存在する。
 自分の価値観は絶対ではない。

 わかっている。
 わかっているともさ。

 だが。
 アタマでは理解していても、どーしても感覚で納得できないことがある。

 電車ビデオってやつだ。

 電車の、運転席にビデオカメラを設置する。
 電車は走る。
 ふつーに走る。
 映るのは線路だ。
 線路だけだ。
 どこまでもつづく。
 線路を中心にして、風景が流れる。
 駅に着く。
 止まる。
 だが相変わらず映っているのは線路だ。
 また走り出す。
 線路はつづく。

 なんの編集もない。
 ただ淡々と、線路だけが映る。
 運転手の独り言(信号ヨシ! などの確認の言葉)だけが小さく聞こえる。
 それだけ。
 あとはただひたすら、コトトンコトトン、電車の走る音だけがする。

 ねえこれ、どこがおもしろいの……?

 ごめんわたし、まったくわからない。
 『電車でGO!』とかの、自分で運転するゲームとかならわかるよ。
 でも、ただのビデオなのよ? 映ってるのは線路だけなのよ?
 車窓ビデオなら、まだわかるよ。『世界の車窓から』って番組あるよね。電車の窓から見える、めずらしかったり美しかったりする風景を、旅行気分でたのしむの。
 でも、運転席からの風景なのよ? 映ってるのは線路だけなのよ?

 こんなビデオが存在すること自体、信じられなかった。
 市販されてるんだ。
 最初に見たのは何年前だ? ほんとに、おどろいた。カルチャーショックってやつ。

 そしてさらにおどろくことに、人気があったらしく、このテのビデオはどんどん増殖し、無数の作品が世に出ている。
 たぶん、日本中の路線すべてが、ビデオ化されているんだと思う。
 なんたって、地下鉄のビデオまで出てるんだもの。
 地下鉄だよ?!
 真っ暗なのよ?
 えんえんえんえん、真っ暗な中を走るのよ。明かりが見えたら、駅なのよ。ギャグかと思ったよ。

 なんで理解できないモノを、よく知っているかって?
 地下鉄御堂筋線のビデオまで、見ているのかって?

 うちの父が、好きだからだ。この電車ビデオを!!

 すべて、父によって問答無用で見せられるんだ。
 夕飯のときにビデオを流すんだもの!
「今日は阪急京都線だ」
 とか言って。
 梅田を出発して、河原町まで。
 えんえんえんえん、線路を見せられるの!!

 ねえ、なにがたのしいのっ?!

 いや、なんでもちょっとだけなら興味深いもんさ。「運転席から線路はこんなふうに見えるのね」って思うことはできるさ。
 でもさ、線路ばっかし何時間も見せられたらたまんないよ。

 売れてるらしいから、父のような趣味を持つ人間たちが大勢いるんだと思う。わたしに理解できない人たちが、きっといっぱいいるんだ。
 いいけどさ。
 いいんだけど父よ、家族からは大ブーイングだ。

 我が家では、お出掛け時にビデオカメラを持っていく。
 父が大好きなんだ。
 彼は電車に乗ると、いそいそと先頭車両に行き、ビデオを撮る。
 えんえんえんえん、線路を撮る。
 自家製電車ビデオだ。
 だけど、運転席にカメラを固定したわけではないので、どーしてもブレる。電車は揺れて、終始手ぶれ状態。
 酔う。
 そんな映像を見せられたら、酔う。
 勘弁してくれよ、父よ。

 ええ。
 今日はビデオ上映会だった。
 今年の夏の家族恒例行事を撮影した、ビデオ上映会。

 六甲山では行きの電車、ケーブル、帰りのロープウェイ、すべてを、乗った瞬間から降りるまで、ずーーーっとビデオ回してやんの、マイ・ファーザー!!
 高野山では電車とケーブル+バスの中でも撮ってやがった!
 そして、墓参りでは車の中で!!
 なに考えてんだよ!!

 つまり、2時間電車に乗って遊びに行ったとする。
 その電車に乗っていた2時間を、そのままビデオで再現されてしまうわけだ。
 会話も音楽もなく、ただただ、線路だけが2時間映る。
 旅行が楽しいのは、目的地に行ってからだろ? そりゃ行くまでの行程もたのしいっちゃーたのしいが、それはみんなでするお喋りとかで、ひとりで席を離れて撮った線路しか映っていないビデオがたのしいわけがないっ。

 墓参りのときの、お墓までの30分、えんえんえんえん道路を撮られ(手ぶれMAX)、家族は総ギレ。
 しかも、目的地に着いてからは、わずか10分ほどしか映ってない。
 しかもっ、人間はほとんど首から下しか映ってない。
 父は自分が喋ったりあそんだりするのに必死で、ビデオカメラのファインダー(および液晶画面)をまったく見ずにただスイッチだけ入れていた模様。

 なにをやってんだ?!

 父はビデオを撮るのがたのしいだけで、ひとをたのしませるためには一切はたらいていないのだ。
 子どもがおもちゃであそんでいるだけ。

 新しいカメラがうれしいのはわかるよ。
 この夏、弟が父にプレゼントしたのさ、新しいカメラを。
 だから父が大喜びで撮影しているのを、家族はなまあたたかく見守っていたさ。いそいそと電車の先頭車両に行くのも、黙認していたさ。
 しかし。
 ここまで自分勝手なものしか撮っていないとわっ。

「父だけにカメラ持たせるの、やめよう」
「ある程度は僕らで撮るしかないな」
 娘と息子はひそひそ話し合う。
 せっかくのお出掛けビデオ。顔がまったく映ってないって、どうよ??

 
 日記のこのページを見たら、カウンターが「801」だった。
 「801」つーと、「やおい」だなー、と、ぼーっと考える。
 いや、そんだけ(笑)。……終わってるな、わたしも。

 昨日も一昨日も、2日つづけて文字数オーバー。エラー出ちゃったよ。
 仕方ないから、部分的に文章消して、無理矢理UPした。ちぇっ。全文残したかったなー、せっかく書いたのに。
 どっちにしろ、テーマが絞り切れていない、散漫な文章だったけど。いーのだ、そんなこともあるさ。

 で、高野山の話題を引っ張っちゃったから、他の話題が押されてる。
 昨日は実は、墓参りの話をするつもりだったんだ。
 緑野家恒例の墓参りDAYだったから。

 両親とわたし、そして叔母と叔母の次男夫婦(つまり、わたしの従兄だな)で、いざ墓参り。

 数珠の話を昨日えんえんしていたが、あらやだわたし、持ってくの忘れちゃったよ、MY数珠。つーか、父も母も「いかん、数珠忘れた!」って、なにやってんだ、緑野家。叔母たち日の出家メンバーは全員ちゃんと用意してたってのに。

 墓参り自体は恒例だし、べつにどーってことはない。
 ただわたし的に「めんどだなー」と思ったのは、従兄夫婦が子どもをつれてきたことだ。

 わたし、子どもはべつに好きじゃないのよ。
 きらいでもない。
 つーかね、はっきりいって、「興味ない」のよ。

 興味ないから、子ども嫌いの人より寛大っていうか、鈍感なんだよね。
 子どもが騒いでも金切り声上げて泣き叫んでても、あんまり気にならない。
 電車やレストランとかで赤ん坊が泣いてたりするのを、ものすごーく不快がる人、いるじゃない。不快な気持ちはわかるけれど、わたしはあんまり気にならないなー。興味ないから、スルーしてしまう。
 過剰反応する人って、好きにしろ嫌いにしろ、興味があるんだよね。

 ま、そんなわたしだからな。子どもがうるさいから嫌いとか、そんなことはまったくないのよ。そうじゃなくて。

 相手が男でも女でも、年寄りでも子どもでも、そんなことは関係ないよ。
 わたしがその人を好きなら、親しくなる。好意的態度を取る。
 それって、ふつーだよな?

 だが子どもっちゅーのはだな、「特別」だと思っている人が多いんだよな。それがこまるんだよな。
 子どもは子どもってだけで特別。だからあなたも特別な態度を取って。
 と、要求されると困る。

 友人たちと会うときに、子どもを連れてこられると、わたしは面倒だと思ってしまう。
 だって何故だか彼らは子どもを「特別扱い」する。
 子どもを中心にして話す。
 わたしは友人たちとは話したいけど、その子どもにはなんの興味もない。だってその子とは友だちじゃない、ただの「まったく知らない人」だもの。知らない人を中心にして話す気になれない。
 年齢に関係なく、わたしがその人を好きになれればいい。好きになるには、共通の趣味とか、尊敬できる部分とかが必要だよね。でも、まだ日本語も喋れない動物状態の人に、人間としての興味も好意も生じないよ。
 なんの興味もない、まったく知らない人を中心にして、時間を潰すのは苦痛だ。
 もちろん、友人への好意ゆえに、「好きな人が好きな人なんだから、わたしも好きになろう」と努力はするけどな。
 いちいち努力が必要な時間は、つらいよ。

 従兄夫婦が来る、と聞いたとき、「じゃガキつきだな」と、わたしは腹をくくった。
 彼らの子どもはまだおしめをしている、直立歩行をおぼえたところの動物状態だ。
 小さな生き物はそれだけで愛らしいし、その子はひとなつこくて笑顔のかわいい、とてもいい子だった。
 母親と同世代(つってもわたしの方がはるかに年上だが)のわたしのことを、最初から気になるらしくなにかと好意全開で接してくれた。
 だからわたしも、それなりの好意は返した。初対面の人に通常返すだけの態度を心がけた。

 でもそれは、あくまで社交辞令。
 人として、人に対する礼儀。
 赤ちゃんだから、といって特別扱いする気はない。
 いつかこの子が大きくなって、ひとりの人間としてわたしが好意を持てる存在になれば、わたしも義理を超えた好意を示そう。

 されど。
 うちの両親、とくに父はその子にメロメロ(死語)。
 ひとんちの子だってのに、うれしそーにビデオを撮っている。おいおい。
 その子がどんな人格であろうと関係ない、ただ「赤ちゃん」だから愛しいというのだ。小さきものだから、愛らしいというのだ。まあ、血がつながっている、というのもポイントのひとつなのかもしんないけどさ。

 従兄夫婦は自分の子どもだから当然、叔母は初孫だから当然、その子中心にいつも「あばばばば。いい子でちゅね〜〜」をやっている。
 そしてわたしの父も母も「なつかしいねえ。うちにも昔、こんな子がいたねえ」と思い出に浸って一緒に「あばばばば」をやっている。
 赤ちゃん万歳、赤ちゃん特別主義。
 
 親が自分の子どもに夢中なのは、べつにいいんだよ。わたしだって親になれば、そうやって子どもを育てるさ。
 でもわたしは今、その子の親ではなく、親戚のひとり、いわば血のつながった他人なわけさ。

 はー、つかれたよ。
 まだ人間以前のユウくん。君が一個の人間としてわたしの目の前に立つ日まで、わたしは君への判断はしないよ。
 君だって「赤ん坊だから」なんていう、君自身とは別の部分で評価されるだけの存在ではいたくないだろ。

 わたしは友人になる人を、自分で選ぶよ。
 わたしにとっての「特別」な人は、わたしが選ぶ。
 押しつけられても、こまる。

 とまー、そんな日だったのだわ。
 んでもって今日は今日で…………ああでも、1から書くには文字数が足りないわ。
 これもまた明日送りかー。

 毎日毎日出歩いてて、いったいわたしはいつ仕事するんだ?!

 あ、でもこれだけは叫んでおく。

 トド様コンサートのチケットGETぉおおおっっ。
 1階A列ぅぅぅ!!

 うれしーよー、うれしーよー。
 ありがとうCANちゃん!!

 
 昨日からのつづきね。

 
 数珠職人になりたいと、その日わたしは心から思った。

 数珠の専門店があってだね。
 わたしと弟は数珠を見ていたのさ。

 わたしもいちおー、数珠は持っている。祖母の形見だ。翡翠でできていて、きれいで手触りもいい。
 自分の数珠を気に入っているだけに、これ以上数珠を買うつもりなんかなかったんだけど。
 ふつーに生きてる若者(……と言ったらマズいか? でも独身だからまだ気分は青春)だから、数珠のことなんかなんにも知らないし、まともに見ることもない。
 が、あらためて数珠という文化に触れてみるとだ。

 なかなかどーして、奥が深い。

 デザインが豊富だ。
 ババ臭い、いかにも年寄り以外よろこびそうにないものも、そりゃあるにはある。
 だが、美しいものも、たくさんあるのだ。
 や、マジ、きれいだよ。びっくり。
 アクセサリー・ショップと変わんないよー。
 水晶、珊瑚、翡翠、ウッドビーズ、装身具に使われているものと変わらない。デザインだって、そりゃカタチは数珠だけど、そのビーズを使った色合わせは独立したアートだったよ。
 そっか、数珠って芸術のひとつなんだ。
 ネックレスが宝石やらをつないでデザインされているのと、同じ感覚。
 いくらでも美を追究できるものだったんだ。
 そして。
 もひとつアートだと思ったのは、「値段」ですわな。
 …………高い。
 店頭には数百円から数千円レベルの、どーってことないものが並べられていたけれど。
 店の中には万円単位のモノがあった。
 このへん、なかなかにきれい。
「これ、2万円かあ」
「きれーだねー。このカラーリングはおしゃれだよー」
 てな会話をしているわたしと弟は、商売柄、あることが気になってしまう。

「2万円の商品を、こんなふーに無造作に陳列するのか……」

 壁一面にフックがとりつけられており、そこに数万円の数珠たちが、むき出しでぶらさげられているのね。

 包装もなにもなし。いくらでも手に取れる。店員も近くにはいない。

 これ、小売店勤務経験者としては、相当こわい状況です。
 いつでもポケットに入れられるよ? つーか、手のひらに握りこむことだってできちゃうよ。
 万引きし放題。
 縁起物だから、盗む人はそうそういないとは思うけどさ。
 こんなふうに無防備に陳列していいのは、せいぜい数千円の商品までだよー。いや、わたしの働いていた店では、数千円の商品でも万引きされないように店ぐるみで必死にガードしてたぞ。
 それくらい、万引きってのは深刻な問題だ。店側が努力しないとなくならない犯罪だ。
 小さくて高価なモノは、絶対にショーケースの中。コレ常識。
 なのにこの珠数屋さん。5万円とかでもあったりまえにむき出しでぶらさげられてるよ……。
 これ盗んで、質屋に行ったらいくらかにはなるんだろーなー。
「棚卸し、大変だろうな」
 と、現役販売員の弟はつぶやいていた。うん、基本が手作りっぽいから、ひとつひとつ微妙にデザインちがうもんね。バーコードもPOSシステムもなさそーな、この店の棚卸し作業は、考えただけでも目眩がするよ……。
 数万円の商品でもむき出し、の店だ。いちばん奥にショーケースがあったから、期待したさ。いったいいくらの商品様が、栄えあるショーケースに鎮座できるのであろうかと。

 はい、もちろん10万円以上、でした。平均50万かなあ。100万OVERもあったよ。

「ひゃくまんえん……」
「それでも、この扱いかー」

 ショーケースったって、宝石店のやうなものではなく、田舎の駄菓子屋程度です。そこに無数の数珠がぎっちり詰め込まれている。
 とても100万様の居場所には見えません。

 でもさすがに、きれーだよ。
 宝飾品だ。
 わたしは48万円のラピスラズリの数珠が、特に気に入った。傷ひとつない大粒のラピスをこれだけ使ってあるんだもん、そりゃ値段も張るだろーさ。ブレスレットにしたい感じだよー。

「恐ろしい世界だな。ブランド名とかなくて、この値段なわけだろ」
 弟はしきりに感心している。
 まあブランド名だって実はあると思うけどね。巨匠の**作、とか、老舗の**工房作、とか。でもこの無造作な売り方は、とても名前で売っているようには見えない。
 深い世界だ。

 わたしは手作りアクセとか好きだからさ。
 数珠にも思わず萌えてしまった。
 美しい数珠が作りたい!
 持つ人をしあわせにするような、癒すような、そんな静かな美しさ。
 いいなあ、数珠職人。数珠デザイナー。
 なってみたい職業のひとつだ(笑)。


 さて、珠数屋さんをあとにして、向かうは奥の院、弘法大師御廟。
 書きたい話題はあとふたつなんだが、また文字数エラー出ちゃうかな。


 奥の院へ向かう道は、巨大な墓場。
 石塔、墓石がニョッキニョキ。
 これがもう、感動的。まさにテーマパークだよ。現実の世界ではありえない。
 夜はひとりで歩けないね。こわすぎる。
 天高くそびえる杉の木。その大きさが、まっすぐさが、感覚を失わせる。見上げるとそのまま後ろに倒れてしまいそう。それが何百本と連なる。
 太陽はたしかにあるのに、光が足りない。ここは暗い。
 わたしたち人間が知り得ない時間を過ごしてきた巨木たち。
 その間に鎮座する、苔生した墓石たち。
 ここが別世界なのは、時間の流れがチガウからだ。
 戦国武将の墓がつづく。明治以後の大戦での戦没者たちの墓がつづく。
 巨大な卒塔婆、石に刻まれた梵字。あざやかな布で包まれた地蔵菩薩。
 並ぶ石像、ひとつだけ首がない。
 木々の緑、地球の表面、遠い遠い宙。

 どこか他の空間につながっていても変じゃない。
 キツネ面をつけた和服の子どもが走り出してきても、白い着物を引きずった顔の見えない女がよろよろ歩いていてもぜんぜんOK違和感なし。落武者や僧兵もOKね。
 この雰囲気は、他で出せるモノじゃない。
 そうしていたら、お坊さんの行列がやってきた。袈裟を着たお坊さんたちが20名ほど?合掌しながら歩いてくる。
 石畳みの下駄の音。夏の色濃い緑と青い空、灰色の巨大な墓石群、そして目にいたいほどの、あざやかな袈裟の黄色。
 きれいに2列になって、通り過ぎる。
 …………こわいっす。
「パレードだな」
「さすがテーマパーク」
 わたしたちはささやき合う。うむ、なんてこわいパレードだ。

 奥の院のすみっこにあった「納骨堂」には、とどめをさされたな。

 なんて名前の建物だったか、調べずに入ったんだけど。
 建物すべてに燈籠が飾ってあった。見渡す限り、燈籠。壁も天井も隙間なくびっしり燈籠。黄色い灯がともっている。きれいなのか、こわいのか、とっても微妙。
 その建物の外にあったのよ、納骨堂。小さな祠。
 納骨堂だとは知らずに近寄った。仏像でもあるのかな、てな気持ちで。
 扉は閉ざされていて、中は見えない。だから回りを一周して、順路にもどろうとした。そのとき。
 ふと、文字が目に入った。
 その祠には、びっしりと字がかかれてるんだ。
『また会いに来るね』
 そう黒いマジックで書かれていた。あとは日付と名前。
 会いに来る?
 わたしは他の文字も読んでみた。
『今日は**とふたりで会いに来ました。』
『ずっと見守っていてね。』
『また来ます。』
 なんなんだ、これは。
 わたしは祠の正面に戻り、古い看板を読んだ。
 納骨堂、と書いてあった。

 会いに。

 もう、今は亡い人に、会いに来たのか。

 納骨堂ったってね、めちゃ小さな祠だから、ほんとうに遺骨が入っているかどうかは、あやしいと思うよ。だけど人々は、ここにやってくるの。
 愛しい人に会いたくて。
 忘れられなくて。

 死んじゃった人には、会えないよ。そんなの常識。
 ここに書かれたメッセージだって、ほんとうに死者に会えた人のものなんか、ないだろうさ。みんなただ、この祠で手を合わせて、「会った」気分になってるだけだろう。
 自己満足よね。
 でもさ。

 無機物でしかない祠に手を合わせて、亡き人に語りかけずにはいられない、人間の情の深さに哀しさに、わたしは涙が出るよ。
 人間てさあ、愛さずにはいられない生き物なんだねえ。
 祠に『また会いに来るね』なんて語る生き物が、他にあるかっつーの。この宇宙にどれだけの生き物がいるか、知らないけどさ。

 「心」があるってのは、痛いことだねえ。

 今はもう存在しない人を、想っているなんてさ。
 生存することに、関係ない想いでしょ、そんなの。
 食べて寝て安全に暮らす、それ以外のことじゃん。
 そんな、「生存に不必要」なことに一生懸命な、「人間」という生き物がわたしは好きだ。

『ずっと見守っていてね。またいつか会おうね。』

 うん。もう今はいない、愛する人たち。
 またいつか、きっと、会えるね。わたしは100まで生きるつもりだから、ずっとあとのことだけど。
 わたしが大好きな人とも、ついに好きにはなれなかった人も、いつかきっと、また会おうね。


 なにから語ればいいのやら。

 おもしろすぎだよ、高野山!!

 今日は家族恒例の、夏休みPART.2。
 家族4人そろって行楽地へ遊びに行く日。
 本日の目的地は真言宗の総本山、和歌山県の高野山だ。

 コミケ旅行の疲れも取れないままだから、体力的にはキツかったんだけどね。我が家の遊びは歩くのが基本。体力勝負。さすがに最後の方は膝がイカレてきて(痛くて曲がらないのよー)、片足を引きずるハメになりましたが。
 でも、たのしかった。
 我が家族はわたしの膝に同情したり労ったりはしませんから、手加減なしで最後まで遊び優先。そしてわたしも、多少の痛みは無視してついていく(笑)。

 高野山に行くのは、おぼえている限りでは2回目。ほんとは3回目らしいが、ガキのころに連れて行かれたのは、おぼえてないんだ。
 前回は母とふたりだった。なんで母とふたりで高野山に行ったのかは不明。行ったことはおぼえちゃいるが、理由はわたしも母もおぼえていない。

 えーと、我が家の連中は全員が寺や神社の類が大好きだ。父と母はどこぞの寺へ行く途中に出会い、はじめてのデートは東大寺と二月堂だったというくらい、若いころからナチュラルに日本文化が好きな人たちだった。
 わたしも学生時代は文芸部と歴史部に所属し、顧問の歴史学教授にくっついて寺などを巡っていた。弟は史学科卒で日本史オタクだ。
 家族でお出掛け、というと、高確率で史跡や寺社巡りになる。

 だから、高野山行きはまぎれもない「行楽」だ。
 我が家は真言宗なので、高野山は馴染み深い。が、宗教云々以前に、好きなんだよね、お寺って。

 ロマンだもん。

 高野山でいちばん最初に感動したのは、お寺の多さ。
 どこを見ても、お寺がある。
 寺だけじゃなくて、神社だとか、辻々の祠やお地蔵様、いわくありげな石碑。
 ここでは日常に、あったりまえに「神秘」がある。

 高野山は、いわばテーマパークだ。

 おもしろさが詰まっている。
 わたしがここを好きにプロデュースしていいのなら、ほんとーに「テーマパーク」にしちゃうよ。
 お寺とか、すべて今のままで保存。宗教的なことはわからないが、そのまま信仰し、生活していてくれ。
 ただ、もっともっと、ここをたくさんの人にたのしんでもらえるようにする。
 まず、拝観料は廃止。そのかわり、ディズニーランドみたいに、パスポートを販売する。5500円で、1日どこのお寺にも入れるようにするの。
 100以上あるっていうお寺の「売り」を調べて、「うわ、どこから回ろうか」とわくわくするようなカタログを作って入口で配布。スタンプラリーもやるぞ。
 パーク内は別世界、一般自動車は一切禁止。「時が止まったような」中世時代のロマンあふれる空間なの。
 一般自動車の代わりに、無料で乗れるエコ系の車は必要だけどね。お年寄りが気軽に移動できるように。
 初心者はまず、金剛峰寺などわっかりやすいところから攻めていこう。スタンプラリーも「初心者コース」ならすぐに集められるようになっている。
 だけどスキルが上がってきたら、ぜひ小さめの寺社をアタック。クイズを解きながら、スタンプを集めるのだ。
 上級コースになれば、町角のお地蔵さんや道から外れたところにある小さな祠までもチェックしなければいけなくなる。
 宗教の善し悪しだとか、優劣は問わないこと。信じる信じないもナシ。
 それよりも、「それを信じていた・信じている」日本人たちの文化、として受け入れ、愛してみよう。
 「仏なんてナンセンス。祈れば救われるなんて、バカじゃないの?」と笑うのではなく、それを信じて美しい仏像を作った人々の真摯さを、荘厳な建築物の美しさを、堪能するんだ。
 うん、正直わたし、宗教ってぜんぜんわかんないからねえ。
 ただ、「信じる」ことによってなにかを為し得る、「人間」という生き物が好きなんだ。

 わたしは宗教都市・高野山をとてもたのしいところだと思った。
 わくわくした。
 だから、テーマパーク化なんてものを、弟とふたりで考えてたのしく談笑した。
 …………や、悪気はないです。愛ゆえです。でも、真面目な宗教関係者がこんな文章読んだら激怒しちゃうのかしら。

 まー、そーゆー与太話はともかく。

 金剛峰寺。ここがもー、素晴らしかった。
 わたし、建築物って好きなのね。自然よりも人間が造ったものが好き。
 だから本殿つーんですか、メインの建物にとても感動しましたですよ。
 おもしろいんだもん、造りが。生活の知恵がいっぱい。しかも複雑怪奇。ここの上がこうなりますか、ここにこうつながりますか、ほえー、すげーなー。
 あきることなくくるくると、あちこち見て回りました。
 特に台所に感動したわ。

 それからあの派手派手な大塔。正気ぢゃねーな、と苦笑したくなるカラーリングに乾杯。

 あと、弟のオススメNo.1だった刈萱堂。
 弟は春ごろに友人と来たばかりだったから、記憶も新しいということでいろいろ案内してくれたのね。
 彼がぜひわたしに見せたいと言った、刈萱堂。

 …………大ウケ。

 爆笑してしまいました、はい。

 えーと、もちろんそこは、お寺関係の建物です。ありがたーい場所です。
 しかし。

 ええ、なにも予備知識のないわたしは、弟に先導されるままに入りました。
 どうやら仏教、高野山のお坊さんにまつわる物語が、いかにもありがたそうな押絵で表現されているのです。
 絵が並べられているだけで、物語は書いてありません。話を知らないと、ちっともわかりません。
 でもまー、出家のシーンがあったり涙に暮れるシーンがあったり、なにかしら感動的な物語なんだろうなあ、と想像します。
 何十枚かあったかな。連作の絵です。
 それらを見終わった後に、よーやく物語を教えてもらえます。
 出口のところに、絵本が置いてあるの。
 わたしが手に取ったのは、「2歳〜6歳向け」のオールひらがなで書かれた「文字をおぼえようね」てな意図で作られたぬりえ絵本でした。
 とってもシンプルでかわいらしい絵で、ひとめで好感。あら、いいわね、これ。と読みはじめる。
 そしたら。

 …………ものすげー内容だった。

 妻のある男が若い娘を愛人にして、妻のいる本宅に一緒に住まわせるのよー。で、妻と愛人はバトル開始、憎み合うふたりを見て男は反省、出家してしまう。
 妻は愛人を殺そうとするんだが失敗、愛人は身を隠した先で子どもを産む。愛人と子どもは、元凶であるところの助平男が高野山にいると聞き、会いにやってくるが、高野山は女人禁制、幼い子どもひとりが父をたずねて三千里。
 僧になった助平男と子どもは再会するんだが、男はもう俗世とは関われないっちゅーんで親子の名乗りをせず、子どもの父は死んだと嘘を教える。
 傷心の子どもは母の元へ一旦帰るが、なんてこったい、母はもう亡き人に。天涯孤独な子どもは、高野山で会ったやさしい僧を頼って再び男の元へやってくる。そして子どもも僧になり、男とふたりで仏教三昧。生涯親子の名乗りをあげずに、清く正しく美しく暮らしましたとさ。

 って、こんな物語を、オールひらがなで、かわいいイラストで、書いてあるのよ。
 をい。こんなもん、幼児に見せていいのか??
「どーしてこのおとこのひとのおくさんは、おとこのひとのつれてきたおんなのひとのことを、いじめたの?」
 とか、無邪気に聞いてきたら、なんて答えるんだ?

「これって、美談なの?(笑)」とわたし。
「美談なんちゃうん?(笑)」と弟。

 女房持ちの男が、若い娘に手を出して家庭を崩壊させた、って、そーゆー話だよね……。
 そしてその女房も愛人も子どもも誰ひとりしあわせにせず、償いもせず、勝手に逃げ出して仏様にすがって自分ひとり救われよーとした話、だよねえ。
 そりゃまあ、時代がちがうから。倫理観もちがうわけで。この助平男のしたことは、罪でもなんでもないのかもしれんし、どんな罪だろうと出家したからノープロブレム! なのかもしれんが。
 今の感覚で言うと、相当ひどい話だぞ……。
 なのにそれを、力業で美談にしている。
 すっげえ。
 「名乗れぬ親子」ってことで、ものすごい美しいシーンとして描かれているのよ。
 いやそもそも、今ここで子どもを不幸にしているのは逃げ出したアンタやん……。それを棚上げして「なんてかわいそうなわたし」って酔われてもな。

 意識のギャップに、笑うしかなくて。
 しかも、これもやはり時代でしょうな。そのかわいらしい絵本の他に、いかにも古くさい劇画やカラー絵本が置いてありまして。
 ええ、その物語を『ゴルゴ13』に梅図かずおの恐怖マンガを足して2で割ったようなタッチの劇画(コミックじゃないっす。劇画っす)にしてあったり、戦前のかほりのする児童絵本にしてあったりするのだわ。
 もー、こわいっつーか、おかしいっつーか。
 物語をわかったうえで、あのありがたい数十枚の絵ももう一度見て回りました。
 笑いが止まらなかったよ……。
 ごめんね。感動物語なのに。つっこみしか出てこなかったよ。(某谷先生や植田巨匠の作品を観たときのやうだ)

 文字数エラー出ちゃったよ。
 まだ書きたいことがあったんだが。


 家族4人で遅い夕食をとっているとき。
 わたしは「それ」に気が付いた。

 居間の隅には洗濯物が干してあった。
 洗濯バサミがいっぱいついたサークル状のハンガーに、靴下とかハンカチとかの小物が吊してあったんだが。

 そこに、妙なものが一緒に吊されていた。

 「新聞」。

 …………洗濯物と、新聞?

 とてもシュールな光景だ。
 新聞が1部、丸々吊されている。朝刊だ。第1面がちょうど見えている。

 言うまでもなく、新聞とは洗うものではないし、濡れたらそれでOUTなものである以上、乾かすという行為もあまり意味は持たない。てゆーかその新聞、べつに濡れた形跡もないし。

「それ、なに?」
 あきれたわたしが問うと、母は大声で叫んだ。

「そうそう、あんたに見せようと思ってたの」

 わたしに見せたい記事があったそうだ。
 だが、忘れっぽい母はそのことをおぼえている自信がなかった。どこか、目に付くところに新聞を置いておく必要があった。

「それで、洗濯ハンガー……?」

 ホワイトボードに切り抜きを貼っておけば、すむことじゃないのか?

「そんなんじゃあ、気づくまでに時間がかかったり、たまたま目に入らなかったりするでしょ。誰の目にも付いて、ものすごくおかしな光景だったら、誰かが『あれなに?』って聞くから、そのときに絶対思い出せるもの!」
 母は自分の素晴らしいアイディアにうっとり。

 つまりこれからも、珍妙なところにとんでもないものを放置し、他人を驚かせることによって自分の記憶を呼び起こすつもりか???

 脱力しながら、母から問題の新聞を受け取る。

 タカラヅカの、中国公演のことが載っていた。
 ありがとね、母。
 でもわたし、この写真のスターさんには興味がないのだよ……。

 
 我が家では、家族行事が最優先される。

 あれはいくつのときだったか。ある夜、父が言った。
「明日は家族で**へ遊びに行く」
 えっ、でも明日、わたしバイトだよ?
「バイトなんか休め。家族行事の方が大切だ」
 いやしかし、わたしが休むと他の人に迷惑が……。第一、前日の夜に休ませてくれなんて言っても、許可してもらえないよ。
「それなら僕が店長に電話をして話してやる」
 やめてよ、恥ずかしい。

 父を説き伏せ、友人に電話をして、バイトのシフトを代わってもらった。そのうえではじめて、店長に休むことと代理を伝達。
 大変だったなぁ。

 家族行事はいつだって最優先。子どものころからずっと。
 学校休んで家族で遊びに行く、とか、平気な家だった。
 学校の勉強より、大切なことがある。わたしの両親はそう言っていた。

 そのせいか、うちの家族は仲がいい。
 わたしは小学生のころから祖父母の家で育ったけれど、両親と弟が住む家には毎日顔を出しに行っていたし、弟も毎日わたしの家に遊びに来ていた。
 距離感がよかったのかもしれない。
 わたしは大人になるまで両親と一緒に家で食事をしたことがほとんどなかったし、会いに行くのを怠れば会わないままで過ぎる、という関係。そのためか、「家族4人で過ごすこと」には新鮮さと感動があった。

「家族で出掛けるの? 家族って、お父さんも? まさか、弟さんは一緒じゃないよね」

 なんて驚きの声をよく耳にする。
 高校生くらいのころから、ずっと言われてきた。
 みんな大きくなると、家族と一緒に出かけるの、嫌になるんだって?
「お父さんとなんか、ろくに口きいたことない」
 とか、言う子もいたなあ。
 わたしは父とよくデートするし、弟も母と山登りに出かけたりしている。姉弟で映画や買い物にも行くし、どんな組み合わせもアリで、とにかく仲良くやってるなぁ。子どものころも思春期のころも、大人になってからも、ずっと。

 こんな家庭に育ってしまったから、いいトシになってもまだ、家族行事優先しているのよ。

 今日は家族恒例の、夏休みPART.1。
 昔から、夏は家族で行楽地に遊びに行くことに決まっているの。第3週は旅行、とこれまたずっと決まっていて、それ以外の月曜日は日帰りで遊ぶ。

 朝一番から、お坊さんに来てもらって一足早いお盆の供養を済ませる。
 そのあとから、神戸に向かって出発。
 目的地は六甲山。
 ケーブルカーに乗って山上へ。そこからはハイキング。展望台やら植物園やら、太陽の黒点やコロナを見られる天文館やらを半日かかって見学。
 帰りはロープウェイで有馬温泉へ降りる。
 みんな、着替えは持ってきたな? とゆーことて、温泉で汗を流し、服を着替えて次はハーバーランドへ。
 港の夜景を見ながらディナー。
 帰宅したときは、日付変更まであとわずか。

 いやー、なんて元気な家族なんだ。
 今回のお出掛けのコーディネイトは父。なんか、ずいぶん前からうだうだと予定をたてていたぞ。

 友人知人から、「家族で出掛けるの?!」といちいちおどろかれる意味も、最近ではわかっているさ。
 見回せばわかるもん。
 今日だってそうだ。
 夏休みの六甲も有馬もハーバーランドも、家族連れであふれている。
 しかし、わたしたちのような年代の家族連れは、まったくいない。
 老人(と言ったら怒られるな。両親とも年齢よりはるかに若く見えるし、元気)と、大人(中年、と言うべきなのか? しかしわたしも弟も年齢通りに見られたことはまずない)の姉弟。
 老人のいるファミリーなら、孫がいるのが定番。中年なら夫婦行動、若ければ小さな子どもと一緒。
 30を過ぎた子どもたちとその親、というのは、まず見かけないなあ。まあ、わしらは30過ぎてるよーには見えんかもしれんが、20代としたって、妙だよなあ。なんで親と出歩いてるの? 恋人いないの? 友だちいないの?
 答え。恋人がいよーが友だちがいよーが、家族行事が優先なのだ。

 いつか、家族はばらばらになる。

 母はわたしが子どものころからそう言っていた。

 いつか、家族はばらばらになる。
 いつか、あんたたちは自分の家庭を持ち、巣立っていく。自分の家庭を第一とし、守り愛することになる。
 だから、「家族」でいられる間は、家族をやっていよう。
 わたしたち親が、親としてあんたたち子どもと遊んだりできるのは、長い一生の間の、ほんのわずかな間なんだ。
 あんたたちが「べつの家族」になってしまう時間の方が長いんだ。
 だから、「家族」でいられる間は、家族をやっていよう。

 つーことで、未だに家族行動。

 ひとから見りゃ、異様で気持ち悪いのかしらねえ。
 さすがに、植物園の広場にて竹馬で遊ぶ姉弟(30ちょい過ぎ。ちなみに姉は身長170近く、弟は180以上)と母(還暦)、それをうれしそーに
ビデオで撮る父(70まであとちょっと)の図には、客観的に見て「……どうよ?」とは思ったけどな。
 母は竹馬で歩けなくなっていたことに、ショックを受けていたよ。「昔はできたのに!」って、あんた自分のトシ考えなよ……。

 
 恒例の、淀川花火大会へ。

 いつの間にやら恒例。しかも面子は母とわたしと叔母。
 昔は他の人と行ってたんだが、最近はこのメンバーだ。なんて色気のない。

 6時に集合ね、って言ってたのに、叔母は4時に現れた。早すぎるよー。急き立てられて、5時過ぎに出発。早く行きすぎても、待つのが大変なだけじゃんよ。

 叔母はわたしの顔を見るたびに「膝は大丈夫なの?」と聞いてくる。
 わたしはそのたびに、そっかわたし膝悪かったんだったな、と思い出す。
 膝に違和感があるのも軽い痛みがあるのも日常だから、本人的にはすっかり忘れているんだ。痛くてあたりまえ、だから、気にならない。
 わたしは歩くのが好きだし、実際よく歩いている。現在のダイエット方法は踏み台昇降だしな。膝に悪いこといっぱいしてるわ。
 そーだ、わたし膝悪かったんだ。いつもちょっぴり痛いけど、そんなのいつものことだから忘れてた。
 本人が忘れているくらいなのに、何故叔母はいつも同じことを聞いてくるのか。
 ……叔母の前で一度、歩けなくなったからだ。
 いつだっけ、花見に行ったとき、突然膝が抜けたんだわ。
 わたしの意志とは関係なく、膝が機能しなくなって、ぺたんと坐り込んだ。たしか哲学の道でだ。あれにはわたしもおどろいた。
 叔母もおどろいただろう。その日わたしが足をひきずっていたのは知っていたろーけど、まさか突然歩けなくなるなんて。
 一緒にいた母は激怒するし。母は体調不良は本人の責任だという信念を持っているので、わたしが歩けなくなったことに対して怒っていた。「歩けないなら、ついて来なくてよかったのに」と。「ひとりがそんなふうだと、みんなが迷惑するわ」と。
 悪かったってば。たしかに体調最悪だったわ。仕事が佳境で、何日もまともに休んでいない状態だったんだ。だから参加するのを、一度は断ったよ。しかし、家族揃ってのお出掛けをとてもたのしみにしていた父が、当日の朝にわざわざわたしの家まで「一緒に行こうよ」って迎えに来たんだもの。腹をくくって、無理して出掛けたさ。
 そしたら途中から膝が痛み出して、片足を引きずることになった。普段ならわたしは、ふつーに歩けるんだけどな。
 で、ついに坐り込み。みんなもびっくりしただろーけど、わたしもおどろいた。せめて家までは保つと思ったんだ。
 そーゆー醜態を見せてしまったから、叔母はわたしの顔を見るたびに膝のコンディションを聞く。
 あの、ぜんぜん大丈夫です、叔母さん。わたし元気に歩いてるし、美容と健康のために階段で大汗かいて昇降運動なんぞしてます。チケットのために、毎週がんがん並んでます!(笑)

 そうして女3人で、LET’S 花火見物。北大阪最大規模の淀川花火大会へ。
 近いのは十三だけど、十三は混み方がえげつないので、あえて塚本へ。
 予定外の早い時間に出発したから、わたし完全にすっぴんです。だって6時出発だって信じてたんだもん。叔母は両親の家で6時まで待ってるんだと思ってたんだもん。
 なのに5時にはわたしの家の前に、準備を済ませた母と叔母が並んでて「さあ出発!」。待ってくれ、わたしまだ外に出ていい格好してない。外出のときでなきゃ、コンタクトレンズ入れてないのよう。
 鼻息の荒い彼らは、わたしにコンタクトを入れる時間しかくれなかったわ。

 人出は去年より多い。しかも、年々若者率が高くなる。わたしたち一行は、参加者の平均年齢を引き上げているよな。
 毎年参加の慣れで、いい場所をGET。ビールを開け、お弁当を食べ、時を待つ。

 たのしみはやはり、「今年の新作」だ。
 花火は進化している。毎年確実に。如実に。
 わたしは花火についてなんの知識もないシロウトだが、新作だけはわかる。
 見たことがないもの=「新作」だ(単純)。
 猫と魚、蝶が大進化。ハートだってさらに洗練されてきた。丸い花火の中で星(五角形のあの星)がちかちか瞬くやつなんか、すごい。ファンタジーだよ。たんぽぽの中で星が瞬いてるみたい。
 そして。

 花が、咲いた。
 デイジーみたいな、花弁の細い可憐な花。

「あ、お花だ」
 子どもの声があがる。
「お花だ」
「お花だ」

 花火。
 そーゆー名前だってことは、アタマではわかっている。
 だけどわたしも、心の中でつぶやいていた。子どもたちと一緒に。
「あ、お花だ」

 ほんとに、お花なんだもん。
 花火で、花を作る。
 花のようだから花火、ではなく、花火で花を作って夜空に咲かせる。
 なんか、言葉にするとみょーな感じだが、そうとしか言いようがない。
 花火の、花。

 よく考えついたよね。花火で花を作ろうなんて。

 とても、きれいだ。
 夜空に咲く花。
 一瞬だけたしかに咲いて、そして消える。

 人々は、花火を見るために集まる。
 いったいどれほどの人数だろう。行動は制限され、危険も増し、それぞれなにかしら不愉快な想いをしているだろう。暑さだったり混雑だったり場所取りだったり。
 行きはともかく、帰りの不快さ不便さは覚悟のうえだろう。
 それでも、人々は花火を見るために集まる。
 美しいものを見るために、やってくる。
 感動するために、やってくる。

 人々は、拍手をする。
 相手は花火だ、喝采をあびてもなにも感じない。河川敷何キロにも広がった人々の拍手が、花火師に届くわけでも見えるわけでもないだろう。
 だけど人々は拍手をする。
 感動するから。
 声を上げ、手を叩く。
 それはなにか見返りを求めた行動ではなく、純粋に心から出た行動だ。

 昨日かねすきさんは、「大変な想いまでして、花火なんか見たくない」と言った。
 花火ごときで、不快な想いを我慢したくない、と。
 たしかに、それはその通りだ。わたしも今日淀川に来る予定だったから、宝塚はスルーした。規模が段違いだから、まったく惜しくないさ。

 花火大会の不快さは、「過剰な混雑」がすべてだろう。
 混みすぎるから暑いし、空気悪いし、トラブルが発生するし、待たされるし、と、すべての引き金になっている。
 わたしも混雑はいやだ。つらい。
 だけど。

 わたしはやはり、花火を見るためにたくさんの人が集まるということもが、愛しいのだと思う。

 声があがるのよ。歓声だよ。
 素直な、魂の声だよ。
 拍手が起こるのよ。
 感動で身体が勝手に動くのよ。
 あちこちの話し声。感想。赤ちゃんの泣き声。見渡す限りの人波。遠く輝く屋台の明かり。はぐれた連れを探す人。両手いっぱいに食べ物のお皿を持って歩く人。女の子たちの色とりどりの浴衣。
 そして空には華。

 音が突き抜けるのがわかる。
 響いている。
 ガイチのことを思い出した。ガイチのコンサートで体験した、ゴム風船を抱きしめることによって、音を振動として身体で感じるってやつ。
 風船を買ってくればよかった。おなかを震わせるようなこの音は、どんなふうに抱きしめられるのだろう?

 純粋に美しいものを見て、こころもふるえた。
 行って良かったよ。ビバ恒例行事。

 帰りを想定して見る場所を決めていたので、帰りもとてもスムーズ。
 花火終了から30分後には電車の中(座席確保)、1時間後には帰宅してました。

 
 ケロ兄貴の言葉遣いが悪くなってしまった……!!

 つい昨日まで、「ですます調」で喋ってたのよ?!
 「到着しました。次はどうしましょうか?」が「着いたぜ。次はどうすんだい?」に、「勝手ながら、休息をとらせていただきます」が、「悪いな。ちょっと休ませてもらうぜ」に、「キャンプを終了します」が「よっしゃ。そろそろいくか」に。
 言葉が悪く、というか、人格変わってないか、ケロ兄貴?!

 ゲームの話です。
 『オウガバトル64』。
 今ケロ兄貴のクラスは、「フェンサー」。侍でしょうな、この姿は。
 でもクラスは関係ないの。アラインメントがいつの間にか「カオス」になっていたせいね。
 うわーん、ですます調の兄貴萌えだったのにぃ。
 兄貴はいちばん危険な場所にいるので、いつも他のメンバーの分も攻撃を受けて、ボコボコになってます。もしもケロが倒れてしまったときは、ゆうひが彼の代わりにリーダーになり、ケロを治すために奔走します。……萌え(笑)。

 名前はかなりいーかげんにつけているし、メンバーが増えたため、月組だけではまかなえなくなったので、もー組関係なくいろんな名前をつけてますの。
 「月組騎士団」じゃなく、「宝塚騎士団」にすればよかったわ、騎士団名。
 5人以下でチームを組んで行動するわけなんだが、やっぱチームには特徴を持たせないと、おぼえるのが面倒。
 だからケロ&ゆーひでコンビ組ませたり、リカ&エミクラでラブラブチームを作ったりする。ひとえに、おぼえやすくするためだ。萌えだけが目的じゃないぞ(笑)。
 今作成中なのは、「野郎チーム」。リーダーがトドで、構成メンバーはワタル、ちはる、萬ケイさんで固めたいなと。まだ成長がいまいちで、人数そろわないんだけど。それに、リーダーはもともとワタルだったんだが、こいつめちゃ弱くて、すぐ死んじゃうからトドに変更。トドは何気に強い。
 あと、「お耽美チーム」とか作りたいな。カシゲ、ゆうか、かよこあたり? さえちゃんもここかなあ。
 ちなみに現在の最強チームは、主人公チームを除けば、何故かのぞみちゃん率いる「血と砂チーム」だ。メンバーはえりさんとミエちゃん、そしてブラックドラゴンのプルミタス。つーか、のぞみちゃんが、めちゃくちゃ強い。

 叔母がやってきて、どーゆー話の流れになったのか、昔のホームビデオを見ることになった。昼間っから、父・母・叔母とわたしの4人で上映会。

 我が家のホームビデオは1期と2期があって、1期はまだビデオカメラの普及前、8ミリカメラ時代(1本のフィルムで2分しか撮れない。音声ナシ。しかし高価ナリ。専用の映写機でスクリーンに映す。父がマニアだったために、そんなものがあった。一般家庭にあるよーなものではない)、2期がビデオカメラが一般的に普及しだしたころに撮ったものだ。
 本日の上映は、第2期のもの。
 それでも、今から13年前だった。

 いやあ、若いわ、わたし!
 ぱつんぱつんだねー。

 体重は変わってないはずだが、張りがちがうわー。
 13年だからねえ。わたしも母もトシをとったよ、まったく。特に変わったのが、父。うわ、トシのとり方のスピードがちがう感じ。
 そして不思議なのが弟。
 なんでこいつ、トシとらないの……? 今も13年前もほとんど変化ナシ。今でも学生で通るんだよな、化け物め。

 わたしたちのことはさておき。

 せつないのは、今はもう亡い人たちだ。

 祖母と、祖父。
 13年前の大阪城公園で、にこやかに笑っている。喋っている。動いている。
 彼らが亡くなってから、はじめて見たビデオだ。
 このころはまだ、元気だったね。
 おばーちゃんが死んで、わたしはおじーちゃんとふたり暮らしになった。
 そのおじーちゃんが死んで、ついにわたしはひとりになった。

 知り合って間もない人に、「どーして両親と暮らさないの?」と聞かれた。
 そうか、ふつー、親とは一緒に暮らすものだよな。
 でも、親とは9歳のときからすでに、別れて暮らしていたのよ。だからなんか今さら、一緒に寝起きするのは、チガウっていうか、見当もつかない感覚なのだわ。
 親は親だと思っているし、毎日会いに行ってるけどね。でも……あの人たちは、「一緒に暮らす人」ではないの。

 もう10年くらい、家族ビデオは見ていなかった。カメラを買ったときに、うれしがって撮りまくっていただけだから、最近では使ってないし。
「次にこのビデオを見るのは、きっと10年後だろうね」
 と、母が言う。
 うん。きっと、そうだね。

 そのときわたしは、どうしているだろう。
 今、わたしの隣にいるこの人たちは、そのときも元気に想い出を口にして笑っているのだろうか。

 と、書いてるうちに、母が呼んでいる。携帯の専用の着メロが、鳴ってすぐに切れた(呼び出し音だけなら、電話代はかからないから。母はこーゆー呼び出し方をしやがるのだ・笑)。

 んで、追記。
 いったん日記UPしたんだけど。

 母に呼ばれて、親の家に行ったら。
 ああ、予感的中。今度は第1期のビデオ上映会だよ。叔母は帰宅してもういないので、父・母・わたし・弟の4人で上映会。
 ビデオの中のわたしの年齢は、4歳から6歳くらいまで。弟は0歳から3歳くらいかな。
 とーぜん、一緒に映っている家族も、みんな若い。

「このビデオに映ってるころのおばーちゃんって、今のアンタより、若いんだねえ」
 と、母が言う。

 なんですとぅ?!
 わたしが幼児のときのおばーちゃんより、今のわたしがトシを食っているだと?!
 そんなはずはないっ。
 わたしは反論する。が、父も母も聞く耳持たない。
 たしかに、わたしを育ててくれた祖母は若かったさ。父と9つしか年が違わないわけだからな。(つーか、なんでそんな若い女と再婚したんだ、じーちゃん)
 だが、断じてチガウ。わたしは、ビデオの中の祖母よりはるかに若いし、父よりも若いし、母よりも年下だっ。
 いちいちトシを読み上げ、計算してみせないと、父も母も信じないんだ。わたしが、ビデオの中の彼らより若いことを。

 ちくしょー、わたしのことババアだと思ってやがるなっ。
 そして、ビデオの中の自分たちを、はてしなく若く美しく妄想してやがるなっ。

 

by『山月記』

2002年6月29日 家族
 今日は髪を切って、ブリーチして。
 茶髪が流行の世の中になってよかった。
 その昔、まだ今ほど髪の色が自由でなかったころ、うっかり失敗して金髪になっちゃったことがあったんだよね……。金髪ってゆーか、「10円玉」みたいな色……。
 「緑野がヤンキーになった!」って、さんざんはやされたなー。遠い目。今なら、あそこまで浮かないし、派手な女だと誤解されることもなかったよな。時代は変わるのだ。
 友人たちに、悪い例としてよく使われたな。「髪の色をちょっと明るくしたいんです。友だちで金髪っていうか、10円玉みたいな色になっちゃった子がいて、あれはやりすぎで嫌だなーと思いました。ああはならない程度でお願いします」と、美容師さんに言ったとか。
 ふっ、人間はね、失敗を繰り返して成長するものなのよ。
 今はもう失敗しないわ。自然な茶髪よ。
 今でも、「10円玉」時代を知っている子は、「もう金髪にはしないの?」と聞いてきやがるが。しないわよっ。つーか、いつまでおぼえてるのよ、大昔のことじゃない。
 よっぽどインパクト強かったのね……あの色……。

 今日の母との会話。
 わたしが見ていたユニクロのちらしを見て、母は言った。
「そういえばサッカーの日本代表のユニフォーム、あれって2重になってるんだって。2重なんて暑そうだけど、汗を吸って熱を発散する構造になっていて、とても快適なんだそうよ。それで近所のAさんの知人のBさんっていう人がね……」
 ユニフォームの話だな、ふむふむ、とわたしは聞いている。
 が。
「大阪ドームで試合が見れるようにスクリーンがあって、それに先着何名かで入れるようになってるのね(以後大阪ドームの話になるが省略)、それでBさんはインターネットで申し込んで、その先着何名の中に入ってね(インターネットで申し込むってなんのことかしら、という話になるがそれも省略)、Bさんっていう人は、独身なのかしらね、それは聞かなかったわ、歳はあんたぐらいで……」
 はいー?
 なんの話だ? ユニフォームが2重になっている話はどーなったんだ?
 いい加減わたしは面倒になって、彼女の話を遮る。

「で、いったいなにが言いたいの?」

 母はきょとんとして、
「ユニクロのちらしを見たから、ユニフォームの話を思い出したの」
「大阪ドームとユニフォームがなんの関係があるの? インターネットとユニフォームの関係は?」
「だから、Bさんはユニフォームを着て、大阪ドームへ行ったのよ」
 だったら大阪ドームのライブ中継を一から説明する必要はないし(んなもん知ってる)、そのチケットの購入方法まで説明する必要はもっとない。そしてそもそも、「Bさんがユニフォームを着てライブ中継を観に行った」というのが話題の主旨なら、ユニフォームの構造も説明する必要はない。

 ユニフォームが2重構造になっている、ということを主題に話すならば、実際にそれを着てみたBさんが「たしかに涼しくて着心地が良かった」と言っていた。という文脈になるのなら、わかる。
 1万円もするユニフォームをあえて買って、ライブ中継を観に行く人がいる、すごいわね、という主旨ならば、話題の導入がまちがっている。
 チケットの購入方法の説明なんぞ、どの道不要だ。しかも母はインターネットを知らない。知らない人が「なんかそういうものがあるんだって?」と解説しても、まだるっこしいだけだ。

 思いついたままに話し、話しているうちにまたなにか思いだし、結局なにを言いたいのかわからなくなってしまった明白な例。

 そりゃ、日常会話にはありがちだけど、母の場合脱線のひとつひとつが長すぎて「この話はどこへつながるんだろう」と思う時間が長すぎる。しかもその脱線がおもしろくもない。
 脱線するなら、一度ひとつの話題を終わらせたうえで、あとから話せ。ひとつの文章を、「、」でだけどんどんつないで、主語述語が破壊された文章のようだよ、それは。一度「。」で終わらせてから、別の文章で次の話をするのよ。
 脊髄反射で喋るのはやめようよ。
 なんか、昨日の児玉先生のビデオレターを見たあとだから余計に、「とほほ」な気持ちになった。
 なんでああも、壊れた喋り方するかなあ。喋る前に、「起承転結」考えればすむことじゃない。細密に設定することはないよ。ものすごーく大ざっぱに、「このことをこの筋道で話す。オチというか結論はコレ」と決めていれば、いくらでもできることじゃん。いや、筋道を決めなくても、最低限オチだけ決めていれば、いいんじゃん。
 訓練でいくらでも、できるようになると思うんだがなあ。
 訓練てのは、なにも講習に通うとかじゃないよ。日常生活だよ。
 会話している相手の反応をしっかり見ていれば、できることだ。
 自分の心情ばかりに気がいっていたら、できないよ。相手のことを見ない人は、ひとりで勝手に喋ってしまう。
 会話ってのは相手があって成り立つことだから、喋りたいのが自分でも、相手を見て、相手に伝えるために頭使って、喋るでしょう。整理もするし、表現も工夫する。反応を見て、結論を急いだり解説を増やしたりするでしょう。
 言いたいように勝手に垂れ流すんじゃ、幼児と一緒じゃん。

 …………とゆーのは、独りよがりな、ひどい意見なのかしら。
 わたしは少なくとも、会話するとき最大限の努力をする。相手に伝えるために。

 わたしはたぶん、口の立つ方だと思う。たとえば人前でなにか喋れと言われても、平気で喋る。壇上に立つ。舞台もマイクもこわくない。挨拶とか司会とか、得意だよ。
 でもそれは、「喋る」以上に考えているし、観客や会話相手を「見ている」からだ。
 披露宴では高確率でスピーチ役を仰せつかるが、いつも原稿は作らずに行く。だってお祝いの席で下を向いて原稿を読み上げるなんて野暮だと思うし、また、他の人のスピーチとネタがかぶったら嫌だもの。
 実際に行ってみて、場の空気を見て、人の話を聞いたうえで、その場で即興でなにか話す。聞いてくれる人の反応を見て、「よし、オトシどころはここだな」とか計算する。ピタリと決まると、うれしいねえ。狙ったところで爆笑が起こり、拍手で終わる。よっしゃ! てなもんだ。
 わたしはこーゆーヤツだから、喋るのがヘタな人の気持ちはわからないのかもしれない。
 でもな、スピーチじゃなく、日常会話ならできるでしょう。「相手に伝えるために、相手の反応を見て話す」ことぐらい。

 昨日の児玉せんせーが痛かったのは、「この人、他人のこと考えて喋ってないな」ということ。
 ビデオレターなのに、相手のことなんか考えてないの。自分のことだけ考えて、自分の中でぐるぐるしちゃってる。
 一般人ならともかく、表現者なのにさ。しかも、「仕事」としてカメラに向かって話しているのに。
 他人を必要としない表現者は、天才でもない限り、器は見えてしまうよ。
 そして児玉せんせーは、どう見ても天才ではない。
 …………年末のDCが不安だ。

 と、好きに書いておいて。
 小心者なわたしは、こんなこと書いたら「なんてひどい人なの!」と思われちゃうのかな、とびくびくしている(笑)。
 今さら、じゃないわ。いつも思っているわ。
 匿名っていいなあ。すごく傲慢だぞ、緑野こあら! そんなにお前は頭が良くて大人物なのか、緑野こあら!

 「臆病な自尊心」と「尊大な羞恥心」が、わたしのすべてだ。
 ……なさけないけどな。

 

言論の自由。

2002年6月13日 家族
 アンチなんかきらいだ。

 アンチ**、という言い方があるよね。アンチっつーのは、「**でない」とか「反対」とかいう意味のはずだが。
 よーするに、「**が嫌いな人」って感じで通ってる言葉よね。

 最近この、アンチと戦うことが多くて。

 理屈じゃないのよ、わたしが今、毎日のように戦っているアンチは。
 **とゆーものが、世間的にどう思われているとか、どんな意義があるとか、それを愛している人がいるとか、日々努力している人がいるとか、まったく関係ないの。
 言うべきことは、ひとつ。

 「わたしは**が嫌いだ」。

 だから、「世間が**を持ち上げるのはおかしい」。

 「**をよいと言うものはすべて、まちがっている」

 「正しいのは、わたしだけ」

 理屈もなにもない。**の欠点ばかりあげるけれど、それが正しいも間違っているもなく、「**はくだらない」という結果に導くためだけに、事実も常識も湾曲する。
 ダブルスタンダードはあったりまえ。言ってることは支離滅裂。議論になんか、なりゃしねえ。とにかく、「**はくだらない。**なんてなくなってしまえ。**をよいというものすべてまちがっている」と言いたいだけ。

 ああまったく、なんでそんなに狭量なの、父よ?!

 争点は、ワールドカップ。
 父はワールドカップが、というよりも、自分が理解できない、自分の若いころに存在していなかった文化すべてが嫌い。
 毎日毎日、ワールドカップの話で言い争うはめに。
 なまじわたし、口がたつっていうか、議論好きだしさ。理詰めで武装しちゃうからさ。

 ああでも、同じスタンスに立たない、ただの駄々っ子相手にしても、疲れるだけだわ。

 べつにわたし、サッカー好きなわけでもないし、詳しいわけでもない。
 ただ、アンチの間違いまくった悪意の垂れ流し意見が、耳障りなのよーっ。
 がるがる。鼻息。

 ああそして。
 父なんぞと本気で議論してて、『ビッグマネー!』の最初を見逃してしまったことが、悔しいのよ、腹が立つのよーー!!

 その足でWHITEちゃんに連絡取って、ダビングさせてもらったけどさ。

 **の存在や、**を応援する人がいることさえゆるせない、正しいのは自分だけだと毒を吐くアンチへ、贈る言葉。

「私は君の意見には反対だが、君がそれを述べる自由は死んでも守る」−−ボルテール

 言論の自由。言いたいことは言ってくれ。だが、わたしも負けてないぞ。
 ほんの数年前のことだ。
 わたしは今の家に、家族3人で暮らしていた。
 祖父母とわたし。あと、猫1匹。
 1階が祖父母の部屋で、2階がわたしの部屋だった。
 だけど祖父母が相次いで亡くなり、猫も後を追うようにして逝き、家に残されたのはわたしと、新しく飼った猫1匹。

 気がつくと、1階の時計は止まっていた。

 祖父母の部屋であり、家族の団らんの場所であった1階の部屋には、振り子時計がひとつだけあった。おそらく、わたしの年齢よりも古い時計だ。
 まだわたしが幼く、祖父母が元気だったころには、毎時チャイムを鳴らしていた。それが、時が経つにつれチャイムはなくなり、時を刻む音も小さくなっていった。
 そして、祖父が亡くなり、1階に誰もいなくなったころ、時計もまた動かなくなっていた。

 おばーちゃんが逝き、おじーちゃんが逝った、誰もいない部屋で、振り子時計も、その役目を終えたんだ。

 電池を替えればまた、動くのかもしれない。新しい時計を置けばすむことかもしれない。
 だけどわたしはあえてそれをせず、止まったままの時計を置いている。
 昔、この家にはわたしの他に2人、家族がいたんだよ。この部屋で暮らしていたの。
 震災の朝には、おばーちゃんの布団にもぐりこんだよ。わたしの部屋は家具がすべて倒れてきて、「よく生きてたねアンタ」な状態だったから。
 おじーちゃんの布団には猫がいて、当たり前の顔で丸くなっていたよ。
 布団にはいると、よく見えた。天井に近い壁にかけられた、古い振り子時計。

 この家で、動いている時計があるのは、2階のわたしの部屋だけだ。
 あとの部屋には、どこにも時計は置いてない。

 ひとりぼっちになってしまった、結果のように。

 で。
 なにが言いたいかというとだ。

 1階で喋りこんでいたBe-Puちゃん、「ところで今何時?」「さー?」
 「あたし時計持ってないし」「あたしも今日携帯忘れたから、時計ないの。あそこの時計はずっと10時半だし」
 …………数日前に、6時間喋りまくって、午前様だったわたしたち。
 今回はわたしの家でまた、長っ尻。
 ちょっとぉ、もう11時じゃん! Be-Puちゃん、あれほど「今日は早く帰るからね!」と言い切っていたのに……。

 ごめんね、あの時計はもうずっと止まっているのよ。
 そして、2階のわたしの部屋は今、足の踏み場がなくて立入禁止なのよぉ。ほほほ。

 でもおかげで、『十二国記』をダビングできました。ありがとーBe-Puちゃん!

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