『群盗』を観て、とても中途半端な印象を持った。

 なにがやりたかったんだろう? と。

 兄弟の愛憎、父との葛藤、ヒロインとの恋愛、仲間たちとの友情、理想と現実、みんなちょっと手を出して、なにも得られないまま手を引っ込めた感。
 なんか、「よさそうなネタをいいとこ取り」しようとした挙げ句、ネタ自体の良さをすり潰してしまったような?

 あれだ、ケーキバイキング。
 一口サイズのケーキがずらりと並んでて、いろんな味を楽しめたけど、全種類制覇することに必死になって、結局どのケーキも印象残ってない、てな経験。一口サイズだから、どのケーキも美しさはいまいちだし、カタチ同じになってるし。満足感は「ケーキバイキングに行った」ことで、「とびきりおいしいケーキを食べた」ではない、つーか。
 それならふつーにカフェでお茶して、よりすぐりのひとつをじっくり食べた方が満足感あったんじゃ? てな。
 え、わたしが貧乏性なだけ? ケーキバイキングで全種類制覇とかしない??

 ともかく、『群盗』から受けたバラバラ感、おいしいとこ取りしてるけど、満足感につながらないところが、残念だなと。


 カール@キキちゃんと仲間たちのくだりは、スカピン団的な良さがある。
 義侠心で立ち上がる若者たち、てのはいいネタだし、個々のキャラクタの描き方でいくらでも膨らませることが出来る。

 だけど、描き切れてないし。

 もっと群盗メンバーメインに書き起こし、彼らの理想と挫折で盛り上げてもよかったのかも。

 カールとヴァールハイト@こってぃの関係性なども、もっと面白く出来るのにな。


 3番手ポジションのこってぃは、おいしいと思った。

 狂言回しとして解説しまくるので、純粋に出番が多い。
 それだけでなく、「主人公と絡む」「主人公に対して思い入れる」から、おいしい。

 おいしくない狂言回しは、「ただのナレーター」で、主人公と物理的にも精神的にも絡まないこと。
 短編作品では、とにかく主人公と絡むことが重要。

 もえこが設定だけ盛り盛りで、じつはおいしくない役なので、こってぃがうらやましかったっす。

 ……とはいえ、もえこが今さらナレーターしてもおいしくはないしなあ。
 おいしく感じるかどうかは、そのスターの普段の立ち位置による。
 名もなき下級生たちだから群盗メンバーはおいしいし、狂言回しのこってぃはおいしい。

 だからほんと、フランツ役をもっとなんとかしてほしかった……。


 『群盗』を観ながら「どこに腰を落ち着けて観ればいいんだろう」ととまどいまくった。
 感情移入する先がない。
 キャラクタと同一感情を抱く、自己を投影する、のみが感情移入じゃない。
 世界観を見極められずにいたんだ。
 地面が揺れていたら、視点が定まらないじゃん? どこを観て、足を着けて世界を眺めればいいのか、感情の置き場がなくてな。

 ヒロインは存在忘れるくらい薄いし、主人公なにをどうしたいのか見えてこないし、悪役はひとり相撲だし。仲間たちは広げた風呂敷をたためずにいるし。
 パパひとり、突然別世界の濃い話をはじめるし(笑)。


 全体を観るからいけないのか。
 群盗メンバーがかわいいとか、個々を観て楽しめばいいのかな。
 キキちゃんかっこいー、もえこ歌うまーい、とか。りんきらさすがやわー、とか。
 ひとりずつの魅力を楽しめと。1×2とか2×3とかじゃなく、独立した1をそれぞれ楽しめと。

 1に1を掛けても1な作りの作品。

 ……でも、小柳タンらしい?
 小柳タンって、情感部分はあまり求められてない演出家だよねえ?

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