『星逢一夜』の感想を書くに当たって、わたしの脳内にあるのはムラ版だ。
 文章化するのが遅れてしまったために部分的に東宝版観劇後に書いたものもあるのだが、観たからといって、東宝版はムラ版の感想と無関係だ。

 なんというんだろう、東宝版は「答え合わせ」でしかなく、わたしにとっての思考意欲、感動意欲にはつながっていない。
 問題を出され、自分で試行錯誤して解くつもりで大きな白紙を用意して、この紙いっぱいに自分なりに計算したり連想や想像など真っ黒になるまでいろいろ他愛ないことも大切なこともありったけ書き出すぞ、と意気込んでいたのに、「答えはコレです。計算式はこうです」とすっきり数行にまとめられた解答を渡されてしまった感じ。国語ドリルだと、「このとき作者はどう思っていたのか、30文字でまとめましょう」の模範解答をきっちり30文字で見せられた感じ。
 んなもん見せられてもなあ。
 「ああ、そうなんだ」と思っただけで、思考停止した。

 てなことはわたしだけの感じ方で、世の中的にどうかは知らないけれど、わたしと東宝版は相性がよくなかったらしい。
 でも、せっかく『星逢一夜』という素晴らしい作品があるのだから、思考停止はもったいない。
 東宝版を観てしまったけれど、そっちのことは棚の上にでもしまい込んで、楽しい楽しいムラ版でのみ思考したいと思う。


 ということで、わたしの『星逢一夜』語りは基本ムラ版ベースです、はい。


 幕間にトイレの列に並んでいると、周囲の人たちのお喋りが聞こえるよね。
「泉は晴興と逃げればよかったのに」
 とか、
「晴興が泉を側室にすれば済んだことじゃないの?」
 とか、いろんな「if」を話している声が聞こえる。

 うんうん、そうだねー。それもアリだよねー。
 と、こっそり心の中でうなずいてたり。

 この物語、どこで選択肢を替えれば、ハッピーエンドになったんだろう?

 ゲームみたいにさ。
 分岐点まで戻ってやり直すの。

 わたしはゲーム好きだし、物語の別視点展開とか再構築とか考えるのが大好き。
 最近流行りの(?)リプレイもの作品(『僕だけがいない街』とか『Re:ゼロから始める異世界生活』とか)みたいに、晴興がセーブポイントから何度でも人生やり直す物語、を考える。

 『星逢一夜』は、バッドエンドだ。
 では、晴興はどこで間違えた?
 どこからやり直せばいい? なにをどう選べばいい?

 一揆のあと、晴興が泉と駆け落ちしていたら?
 一揆で源太と一騎打ちしていなければ?
 泉を側室にしていれば?
 青年時代に蛍村に帰り、泉と再会していなければ?

 「if」は山ほどある。
 分岐点と選択肢。

 その都度、新しい物語が生まれる……わけだけど、どれを選んでも結局はバッドエンドにたどり着く感じ。

 ゲームのお約束というか、リプレイもののお約束というか、「歴史的事実は変わらない」というのがある。
 たとえばマリー・アントワネットがフェルゼンと出会わないようにしたとしても、結局別の誰かと不倫して悪名を上げることになり、結果フランス革命は起こる、みたいな。些末なエピソードを変えたところで、歴史上の大きな事件は変わらない。

 つまり、三日月藩の一揆は起こる。
 泉が晴興の側室であったとしても、源太が子ども時代に死んでいたとしても、晴興が藩主にならなかったとしても。
 この事件は変わらない。
 個人レベルの因果律でどうこうなる問題じゃないからだ。

 そして、一揆が起こる以上、晴興が傷つくことは「避けられない」んだ。

 晴興は傷つく。
 コレ前提。覆せない事実。

 問題は、それでもなお、「ハッピーエンド」にするには、どうすればいいか?

 いちばんいいのは、作品の「歪み」を修正することだと思う。
 以前にさんざん文字数かけて書いた。
 源太と晴興を「親友」にする、吉宗との物語を逃げずに誤魔化さずに描く、晴興を「責任放棄して自分だけ逃げ出した卑怯者」にしない……そうすることで、「物語」としていちばんきれいに落ち着くと思う。

 てな、物語の根本から変えるのは、「リプレイ」の趣旨から外れるので、その次の層、「今現在の『星逢一夜』のなかにあるもの」だけで「最善のエンディング」を探す。

 今ある『星逢一夜』の、どこの選択肢を変えるか。
 マッチ棒パズルみたいなもん。次の図から、マッチ1本だけ動かして、別の図を作れ。

 晴興が積み重ねてきた選択肢、選び続けた分岐点。
 致命的なミスは、どこか。

 その答えを、ムラの中盤辺りでわたしは痛感した。

 ムラ中盤。
 ええ、源太が暴走しだした辺り。

 源太が「こわっ」という感じになっているがゆえに、わかったんだ。
 ここだ。晴興、ここで間違えてる!! 最低限ここさえ正しく行動していたら、最悪のENDにはならなかったのに!
 ……てな。

 それが、一揆直前に源太と再会する場面だ。

 もちろん、作者は周到に「晴興が間違えても仕方ないお膳立て」をしている。
 まず先に泉に「偶然」出会わせる。晴興は「昔なじみ」モードで泉に接しようとするけれど、泉はそれを拒絶する。立場の違いを突きつける。これじゃあ、次に会った源太に「昔なじみ」モードになりようがない。
 源太は立場的に晴興への反感がある上に、泉のことで負い目や劣等感を抱えている。泉が晴興を愛し続けていること、妻であり母であってなお、少女のままの泉が、女としての泉が、晴興を愛し、求め続けていること……を、無意識であろうと日々感じて生きている。そこへ、泉と晴興の「密会」だ。そりゃ敵意剥き出しになるわ。
 晴興は泉に突き放されたままの冷酷な「藩主」の顔で源太に接するし、源太は「藩主」様に敵意剥き出しだし……そりゃ、ふたりの「話し合い」が建設的なモノになるはずがない。

 「そうなっても仕方ない」という舞台は揃っているわけなんだが、それでもあえて、晴興の最大の「間違い」はここだと思う。


 続く!

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