物語り甲斐。@星逢一夜
2015年8月18日 タカラヅカ 『星逢一夜』が好き。主人公・晴興@ちぎくんのことも大好き。泉@みゆちゃん、源太@だいもんはもちろん、他のキャラも好き。
でも。
わたし、「藩主・晴興」のしたことは、納得出来ないの。
キャラとしてではなく、「物語」として。
物語ってのは、なにかしら答えを出すべきだと思っているの。キャラクタがいて、出来事があって、なにかしら変化する。物理的ななにかかもしれないし、精神的なことかもしれない。ぐるっとまわって元に戻る、なにも変わっていない、というのは、「物語」の甲斐がない。
物語るからには、別のところへ着地したい。
なのに晴興のしたことって、なんの意味もないのよね。
貧しい三日月藩は、貧しいまま。
みんな傷ついて、みんなつらい思いをした。それだけ。
晴興が途中で投げ出してしまったから、未来も暗い。晴興に代わって三日月藩を任された細川さん@れいこはアンチ三日月藩なわけだし。悪意を持った藩主に治められるとか、お先真っ暗。
エピローグで蛍村の人々がのんきに祭りをしていたけれど、かなり無理あるよね、あれ。それまで語られてきた村の困窮ぶりと、一揆の爪痕でさらに生活は苦しくなっているはず。
それでも祭りだけはと楽しげにしているとしても、「晴興はナニやってたんだ」ということは、変わらない。
物語一本費やして、なにもよくならないなんて。
そんなの、物語の甲斐がない。
や、そういう物語もありだということはわかっている。現実なんてそんなもん、個人がどうあがいたところで、歴史の歯車の前では無にも等しい。そういうところにこそ意義を持つ作品だってあるだろう。
ただわたしは、そーゆーのは好きじゃない。
可哀想、からはじまったなら、最後はよかったね、でなきゃ嫌だ。
可哀想な主人公が可哀想なまま終わったとしても、主人公と関わったナニかが変わり、他の人がよかったね、になっていた、主人公は知らないけど、とか、ナニかしら「別のところ」へ着地させる。
現実なんか知るか、わたしはファンタジーが好きなんだ。
晴興がすべての責任を負って罪人となる、恋も友も失って去って行く、それでももちろんかまわない。
だがそれなら、三日月藩は、救う。
晴興の苦しみや哀しみを、無駄にはしない。それと引き替えに、みんなを救う。
たとえ、藩の者たちが、それを知らなくても。晴興を誤解したままであっても。
晴興の存在が、彼の努力や苦悩が、無駄ではなかった、という終わらせ方にする。
『星逢一夜』は、一見晴興がみんなを救ったように見えるけど。
救ってないから。
投げ出して、晴興が楽になっただけだから。
誰ひとり、救われてない。
友を殺し、主君を裏切り、愛した女を残し、自分ひとり「なにもしなくて済む」檻の中に逃げ出した晴興も。
夫を殺した男に想いを残したままの泉も。
家族や健康を失い、貧しい土地で冷酷な支配者のもとで暮らしていかなければならない、蛍村の人たちも。
共に歩むと誓った愛する者に裏切られ、なおも荒野にて闘い続けなくてはならない、吉宗や貴姫も。
90分もかけて物語っておいて、誰ひとり救われないなんて、アリか。
こうして、みんなみんな不幸で終わりました。みんな等しく不幸だから、痛み分けですね。悲劇って美しいですね。美しく終わったから、めでたしめでたし。……てか。
いや、そんなのしあわせチガウ、目を覚ませ~~。
ほんとうなら晴興は、そのあとも「みんなのしあわせ」のために、傷だらけになりながら政治改革を進めなきゃならないのよ。
でないと源太たちは犬死にじゃん?
今回限り、一揆に関わった者たちは延命したかももしんないけど、翌年餓死してるかもしれないのよ?
結局晴興、なにもしないのかよ!
彼の生き様に、そうすることが精一杯の優しさと悲しさに涙するけれど、わたしなら、こんな物語は書かない。そう強く思う。
こんなの片手落ちだ、と思う。
晴興と泉の恋を美しくまとめた。晴興たち、櫓の上の子どもたちで美しくまとめた。
その「美しさ」を書くことを最優先して、肝心の「物語り甲斐」を犠牲にした。
そこが、わたしの好みと大きくはずれている。
悲しさも切なさも悲劇も、大好物だけど、「ぐるっと回ってナニも変わらない」物語は、わたしの好みじゃない。
だから手放しで、この作品を好きだとは思えないんだろう。
や、好きだよ? 好きだけど。
でなきゃこんだけ考えないし、語ってない。
すすり泣きに満ちる初日の客席で、どんな作品でも大抵泣いてるわたしが周囲の温度に取り残されつつ、あまり盛り上がらなかったのは、たぶんそのせい。
情報を自分の中で処理しきれなかった。
うまいと思う、好みの部分もすごくある、でも「物語」の根本が、わたしの好みから大きく外れている。
これで晴興が最後逃げ出さずに、誰かを救っていたら、わたしも救われるのに。
感動して終わるのに、心に割り切れなさが残る。そのもやもやは、わたしが求める「余韻」じゃない。
こんなに好きなのに、こんな大事なとこが好みじゃない、というのが、くやしいんだ。
別にわたしのために書かれた物語じゃないから、そんなの作者からすれば「知らんがな」なことであっても(笑)。
なんで晴興を、あんなにしちゃったのかなあ。
無責任すぎるよなあ。
ラダメスが「武勲の褒美に、エチオピアの開放を」と願い出たように、晴興も三日月藩の嘆願をすればよかったのに。
極刑ではないものの、それなりに重い罰をくらった藩のみんなからは恨まれたまま、晴興は江戸に戻ることになる。そこでは、さらに過酷な日々が待っている。三日月藩を守る代償に、なにかしらのペナルティを受けるから。それでも晴興は逃げずに、務めを果たす覚悟だ。
櫓の上での泉との場面は同じ。泉だけは、晴興の真意を知る。修羅の世界に身を置く晴興に、泉は「逃げて」と言う。晴興は「一緒に行くか?」と返し、泉は……。ここのやりとりも、すべてそのままに。
それなら、エピローグの星逢祭りがのんきでもいいのになあ。だって晴興が、江戸でしっかり三日月藩を守っているんだもの。民たちからは誤解され、憎まれたままだけど。それでも彼は、決して逃げ出さず、「未来」のために尽力している。
晴興の血涙は、苦しみは、無駄ではなかった……そう思える結末に着地する。
ラストの子どもたちの場面もそのまま。
本筋はナニも変わらない。
ただ、晴興を無責任な弱虫にしない、源太を犬死にさせない、三日月藩の人々を救う。
それでも、今と同じモノを描けるのに。
江戸城で、晴興の一人称が揺らいだところと併せて、納得出来ない部分だ。
でも。
わたし、「藩主・晴興」のしたことは、納得出来ないの。
キャラとしてではなく、「物語」として。
物語ってのは、なにかしら答えを出すべきだと思っているの。キャラクタがいて、出来事があって、なにかしら変化する。物理的ななにかかもしれないし、精神的なことかもしれない。ぐるっとまわって元に戻る、なにも変わっていない、というのは、「物語」の甲斐がない。
物語るからには、別のところへ着地したい。
なのに晴興のしたことって、なんの意味もないのよね。
貧しい三日月藩は、貧しいまま。
みんな傷ついて、みんなつらい思いをした。それだけ。
晴興が途中で投げ出してしまったから、未来も暗い。晴興に代わって三日月藩を任された細川さん@れいこはアンチ三日月藩なわけだし。悪意を持った藩主に治められるとか、お先真っ暗。
エピローグで蛍村の人々がのんきに祭りをしていたけれど、かなり無理あるよね、あれ。それまで語られてきた村の困窮ぶりと、一揆の爪痕でさらに生活は苦しくなっているはず。
それでも祭りだけはと楽しげにしているとしても、「晴興はナニやってたんだ」ということは、変わらない。
物語一本費やして、なにもよくならないなんて。
そんなの、物語の甲斐がない。
や、そういう物語もありだということはわかっている。現実なんてそんなもん、個人がどうあがいたところで、歴史の歯車の前では無にも等しい。そういうところにこそ意義を持つ作品だってあるだろう。
ただわたしは、そーゆーのは好きじゃない。
可哀想、からはじまったなら、最後はよかったね、でなきゃ嫌だ。
可哀想な主人公が可哀想なまま終わったとしても、主人公と関わったナニかが変わり、他の人がよかったね、になっていた、主人公は知らないけど、とか、ナニかしら「別のところ」へ着地させる。
現実なんか知るか、わたしはファンタジーが好きなんだ。
晴興がすべての責任を負って罪人となる、恋も友も失って去って行く、それでももちろんかまわない。
だがそれなら、三日月藩は、救う。
晴興の苦しみや哀しみを、無駄にはしない。それと引き替えに、みんなを救う。
たとえ、藩の者たちが、それを知らなくても。晴興を誤解したままであっても。
晴興の存在が、彼の努力や苦悩が、無駄ではなかった、という終わらせ方にする。
『星逢一夜』は、一見晴興がみんなを救ったように見えるけど。
救ってないから。
投げ出して、晴興が楽になっただけだから。
誰ひとり、救われてない。
友を殺し、主君を裏切り、愛した女を残し、自分ひとり「なにもしなくて済む」檻の中に逃げ出した晴興も。
夫を殺した男に想いを残したままの泉も。
家族や健康を失い、貧しい土地で冷酷な支配者のもとで暮らしていかなければならない、蛍村の人たちも。
共に歩むと誓った愛する者に裏切られ、なおも荒野にて闘い続けなくてはならない、吉宗や貴姫も。
90分もかけて物語っておいて、誰ひとり救われないなんて、アリか。
こうして、みんなみんな不幸で終わりました。みんな等しく不幸だから、痛み分けですね。悲劇って美しいですね。美しく終わったから、めでたしめでたし。……てか。
いや、そんなのしあわせチガウ、目を覚ませ~~。
ほんとうなら晴興は、そのあとも「みんなのしあわせ」のために、傷だらけになりながら政治改革を進めなきゃならないのよ。
でないと源太たちは犬死にじゃん?
今回限り、一揆に関わった者たちは延命したかももしんないけど、翌年餓死してるかもしれないのよ?
結局晴興、なにもしないのかよ!
彼の生き様に、そうすることが精一杯の優しさと悲しさに涙するけれど、わたしなら、こんな物語は書かない。そう強く思う。
こんなの片手落ちだ、と思う。
晴興と泉の恋を美しくまとめた。晴興たち、櫓の上の子どもたちで美しくまとめた。
その「美しさ」を書くことを最優先して、肝心の「物語り甲斐」を犠牲にした。
そこが、わたしの好みと大きくはずれている。
悲しさも切なさも悲劇も、大好物だけど、「ぐるっと回ってナニも変わらない」物語は、わたしの好みじゃない。
だから手放しで、この作品を好きだとは思えないんだろう。
や、好きだよ? 好きだけど。
でなきゃこんだけ考えないし、語ってない。
すすり泣きに満ちる初日の客席で、どんな作品でも大抵泣いてるわたしが周囲の温度に取り残されつつ、あまり盛り上がらなかったのは、たぶんそのせい。
情報を自分の中で処理しきれなかった。
うまいと思う、好みの部分もすごくある、でも「物語」の根本が、わたしの好みから大きく外れている。
これで晴興が最後逃げ出さずに、誰かを救っていたら、わたしも救われるのに。
感動して終わるのに、心に割り切れなさが残る。そのもやもやは、わたしが求める「余韻」じゃない。
こんなに好きなのに、こんな大事なとこが好みじゃない、というのが、くやしいんだ。
別にわたしのために書かれた物語じゃないから、そんなの作者からすれば「知らんがな」なことであっても(笑)。
なんで晴興を、あんなにしちゃったのかなあ。
無責任すぎるよなあ。
ラダメスが「武勲の褒美に、エチオピアの開放を」と願い出たように、晴興も三日月藩の嘆願をすればよかったのに。
極刑ではないものの、それなりに重い罰をくらった藩のみんなからは恨まれたまま、晴興は江戸に戻ることになる。そこでは、さらに過酷な日々が待っている。三日月藩を守る代償に、なにかしらのペナルティを受けるから。それでも晴興は逃げずに、務めを果たす覚悟だ。
櫓の上での泉との場面は同じ。泉だけは、晴興の真意を知る。修羅の世界に身を置く晴興に、泉は「逃げて」と言う。晴興は「一緒に行くか?」と返し、泉は……。ここのやりとりも、すべてそのままに。
それなら、エピローグの星逢祭りがのんきでもいいのになあ。だって晴興が、江戸でしっかり三日月藩を守っているんだもの。民たちからは誤解され、憎まれたままだけど。それでも彼は、決して逃げ出さず、「未来」のために尽力している。
晴興の血涙は、苦しみは、無駄ではなかった……そう思える結末に着地する。
ラストの子どもたちの場面もそのまま。
本筋はナニも変わらない。
ただ、晴興を無責任な弱虫にしない、源太を犬死にさせない、三日月藩の人々を救う。
それでも、今と同じモノを描けるのに。
江戸城で、晴興の一人称が揺らいだところと併せて、納得出来ない部分だ。
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