んじゃ、『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』を語るのに、いちばん相応しかったのは誰だろう?
かっこ悪いのは、「俺は悪くない」という自分語り。
それが真実であろうとなかろうと、自分で「こんないいことをした(自慢)」「仕方なかったんだ(言い訳)」を語るのはかっこ悪い。
真実はひとつでも、それをどう受け取るかは自由だ。
だから、フィクションが存在する。
実在の人物をネタにした創作が後を絶たない。「真実」しか書いていけないのなら、フィクションは絶滅する。
アル・カポネの人生は史実にある通りだとしても、それをどう語るか、どこに焦点を当てるか、どの角度で語るか。それによって、いくらでもチガウ物語が作れる。
同じ出来事が、悪意を持ったモノの目には醜く映るし、好意を持ったモノの目には美しく映る。
アントワネットとフェルゼンの恋物語を「所詮不倫でしょ。バカみたい」と言う人もいれば、「運命の恋……ドラマチック!」と言う人もいる。
苦手ジェンヌの芝居は心に届かないし、ご贔屓ジェンヌの芝居は大感動大絶賛だったりする。
人によって、「見方」は違うんだ。
だから、カポネさんを「世間的には大悪人だけど、実はいい人」と描きたいならば、語り部は、カポネに好意を持っている人にするべきだ。
フィルターを通す、ってやつ。
同じ出来事でも、その人のフィルターを通して語られるから、全部美化される、ってやつ。
カポネの悪の部分を描きつつも、「実はいい人」とするならば、語り部に相応しいのは、ジャックだ。
妻のメアリーでは、家庭のカポネしか描けないので不適任。
ギャング世界の住人でないといかん。
だからジャック。カポネに惚れ込んでる弟分。
ということで、『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』をやるなら、語り部はベン@ひとこではなくジャック@まなはるにすべきだった説を語る(笑)。役者に含みはナイ。作品の話。
妄想構成、かな。わたしが好きにいじっていいのなら……という。
オープニングはアル・カポネ@だいもんひとり登場から、黒スーツ男たちの超クールダンス。
顔には傷、全盛期のドン・カポネ。いちばんカッコイイ、いちばんセクシーなだいもん全開!!
カポネグループと、対峙する形でがおりさんたち敵対チーム、捜査官エリオット@かなとたちグループのダンス、途中セクシー美女たちのターンもあり、派手にカッコイイオープニングからスタート。
そこからカポネチーム単体にカメラが移り、ドラマスタート。
現在のカポネさんたちの状況がわかる短い芝居。マフィアのドンであること、こわいぞー、悪いぞー、的な。だいもんの悪い顔全力で(笑)。
そこから、ジャック@まなはるの語りへ。
彼の目を通して語られる、アル・カポネの真実。オープニングからのギャップ大事。
ジャックの目を通して、だから、語れるのはシカゴ時代から。
ブルックリン場面は全カット。
カポネはシカゴのギャングの顔役のひとり。クラブを任されていて、ぶいぶい言わせてる。ギャングだけど、人を殺したこともないし、商才のある気っ風のいいにーちゃんだ。部下からは慕われ、女にもモテモテだけど、本人は妻一筋の真面目くん。
びんぼーな新聞配達少年だったジャックに、ただひとりやさしかった大人。
つまり、カットされたブルックリン時代に描かれていた要素を、まるっとシカゴ時代で描くのな。原田くん脚本がめんどくせーのは、ブルックリン→シカゴと、同じことを2回やってるのな。いい人カポネくんが、他人のために仕方なく罪を犯す、つーの。全50話の大河ドラマじゃないんだから、同じことは1回でいいよ。
仲間のために仕方なく人を殺すカポネ。それでも、変わらずジャック(弱者)には優しいカポネ。身重の妻とラブラブなカポネ。ギャング同士の抗争に一般人を巻き込んではならないと、見ず知らずの通行人を身を楯にしてかばうカポネ……。
ジャックの目を通して、語られるカポネは、等身大の愛すべき若者で。
1幕の半分で、エリオット登場。だからかなとくんはアルバイトで酒場の客なんかやってる場合じゃない。オープニングのあとは彼女@さらさちゃんとラブラブな学生としてはじめてドラマの中に現れる。
まだカポネが大ボスではない時代。
それがのちのドン・カポネだとは知らずに出会う。
語り部はジャック。
だが、ここでもうひとつの「視点」が加わる。
カポネたちを「追う者」、客観的な「世間で語られる事実」を述べる者が。
カポネに起こるエピソードひとつひとつを、ジャックが愛を持って「内情はこうだった」と語り、エリオットが冷たく「外側に現れた事実・評価」を語る。さっきの学生姿ではなく、ちゃんとスーツ着用の大人バージョンかなとくん。
エリオットが実際に捜査に加わるのはもっと先のことなので、ここで次元が混ざっている。エリオットはあくまでも「捜査官として登場した時代」に、彼が調べた「過去の事実」を語っているだけ。ジャックとは同じ次元にはいない。だからこそ、淡々と冷たい。あくまでも、資料を読み上げている感じでヨロシク。
ギャングの抗争とか、メアリーさらわれちゃって大変!とか、派手なドラマ展開、それを語るふたつの視点。
「仕方なかったんだ」「当然のことだ」
「非道だ」「あり得ないことだ」
で、資料を読み上げていた冷徹エリオットと長官@はっちさんの場面になり、「アル・カポネの敵登場ですよ」とやったのちに。
ここまで資料を音読した最後に、エリオットさん、はじめてカポネの写真を見る(笑)。強引だけど、原田くん脚本だってカポネの悪評知りつつ顔知らないわけだから、OKよね。
「あのとき、自分を助けてくれた(素敵な)人だ!!」
ここで、語り部と視点の混同・交差。
「外側に現れた事実・評価」しか知らず、それをすべてだと思っていたエリオットに、疑問が生じる。「はたしてそれは、真実なのか?」
ジャックは揺らがずいつも「兄貴LOVE」。ゆえに「内情はこうだった」、世間の奴ら(=エリオット)は知らない。
誰も知らない「スカーフェイスに秘められた真実」を語るジャック、ゆえに「知らない者」を敵視・見下すジャック、「知らない」ゆえに「表面的事実」のみを語るエリオット、ゆえに「スカーフェイスに秘められた真実」を知りたいと考えるエリオット。
カポネに都合いい語り部ジャックと、カポネの都合関係なく事実のみを語る視点エリオット。
あくまでもふたりは「カポネを語る」だけ。カポネ自身の物語は、ただあるがままに観客に差し出されている。
そして。
語り部と視点は、このときを境に立場を入れ替える。
その過渡期を盛り上げて1幕終了。
翌日欄へ続く。
かっこ悪いのは、「俺は悪くない」という自分語り。
それが真実であろうとなかろうと、自分で「こんないいことをした(自慢)」「仕方なかったんだ(言い訳)」を語るのはかっこ悪い。
真実はひとつでも、それをどう受け取るかは自由だ。
だから、フィクションが存在する。
実在の人物をネタにした創作が後を絶たない。「真実」しか書いていけないのなら、フィクションは絶滅する。
アル・カポネの人生は史実にある通りだとしても、それをどう語るか、どこに焦点を当てるか、どの角度で語るか。それによって、いくらでもチガウ物語が作れる。
同じ出来事が、悪意を持ったモノの目には醜く映るし、好意を持ったモノの目には美しく映る。
アントワネットとフェルゼンの恋物語を「所詮不倫でしょ。バカみたい」と言う人もいれば、「運命の恋……ドラマチック!」と言う人もいる。
苦手ジェンヌの芝居は心に届かないし、ご贔屓ジェンヌの芝居は大感動大絶賛だったりする。
人によって、「見方」は違うんだ。
だから、カポネさんを「世間的には大悪人だけど、実はいい人」と描きたいならば、語り部は、カポネに好意を持っている人にするべきだ。
フィルターを通す、ってやつ。
同じ出来事でも、その人のフィルターを通して語られるから、全部美化される、ってやつ。
カポネの悪の部分を描きつつも、「実はいい人」とするならば、語り部に相応しいのは、ジャックだ。
妻のメアリーでは、家庭のカポネしか描けないので不適任。
ギャング世界の住人でないといかん。
だからジャック。カポネに惚れ込んでる弟分。
ということで、『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』をやるなら、語り部はベン@ひとこではなくジャック@まなはるにすべきだった説を語る(笑)。役者に含みはナイ。作品の話。
妄想構成、かな。わたしが好きにいじっていいのなら……という。
オープニングはアル・カポネ@だいもんひとり登場から、黒スーツ男たちの超クールダンス。
顔には傷、全盛期のドン・カポネ。いちばんカッコイイ、いちばんセクシーなだいもん全開!!
カポネグループと、対峙する形でがおりさんたち敵対チーム、捜査官エリオット@かなとたちグループのダンス、途中セクシー美女たちのターンもあり、派手にカッコイイオープニングからスタート。
そこからカポネチーム単体にカメラが移り、ドラマスタート。
現在のカポネさんたちの状況がわかる短い芝居。マフィアのドンであること、こわいぞー、悪いぞー、的な。だいもんの悪い顔全力で(笑)。
そこから、ジャック@まなはるの語りへ。
彼の目を通して語られる、アル・カポネの真実。オープニングからのギャップ大事。
ジャックの目を通して、だから、語れるのはシカゴ時代から。
ブルックリン場面は全カット。
カポネはシカゴのギャングの顔役のひとり。クラブを任されていて、ぶいぶい言わせてる。ギャングだけど、人を殺したこともないし、商才のある気っ風のいいにーちゃんだ。部下からは慕われ、女にもモテモテだけど、本人は妻一筋の真面目くん。
びんぼーな新聞配達少年だったジャックに、ただひとりやさしかった大人。
つまり、カットされたブルックリン時代に描かれていた要素を、まるっとシカゴ時代で描くのな。原田くん脚本がめんどくせーのは、ブルックリン→シカゴと、同じことを2回やってるのな。いい人カポネくんが、他人のために仕方なく罪を犯す、つーの。全50話の大河ドラマじゃないんだから、同じことは1回でいいよ。
仲間のために仕方なく人を殺すカポネ。それでも、変わらずジャック(弱者)には優しいカポネ。身重の妻とラブラブなカポネ。ギャング同士の抗争に一般人を巻き込んではならないと、見ず知らずの通行人を身を楯にしてかばうカポネ……。
ジャックの目を通して、語られるカポネは、等身大の愛すべき若者で。
1幕の半分で、エリオット登場。だからかなとくんはアルバイトで酒場の客なんかやってる場合じゃない。オープニングのあとは彼女@さらさちゃんとラブラブな学生としてはじめてドラマの中に現れる。
まだカポネが大ボスではない時代。
それがのちのドン・カポネだとは知らずに出会う。
語り部はジャック。
だが、ここでもうひとつの「視点」が加わる。
カポネたちを「追う者」、客観的な「世間で語られる事実」を述べる者が。
カポネに起こるエピソードひとつひとつを、ジャックが愛を持って「内情はこうだった」と語り、エリオットが冷たく「外側に現れた事実・評価」を語る。さっきの学生姿ではなく、ちゃんとスーツ着用の大人バージョンかなとくん。
エリオットが実際に捜査に加わるのはもっと先のことなので、ここで次元が混ざっている。エリオットはあくまでも「捜査官として登場した時代」に、彼が調べた「過去の事実」を語っているだけ。ジャックとは同じ次元にはいない。だからこそ、淡々と冷たい。あくまでも、資料を読み上げている感じでヨロシク。
ギャングの抗争とか、メアリーさらわれちゃって大変!とか、派手なドラマ展開、それを語るふたつの視点。
「仕方なかったんだ」「当然のことだ」
「非道だ」「あり得ないことだ」
で、資料を読み上げていた冷徹エリオットと長官@はっちさんの場面になり、「アル・カポネの敵登場ですよ」とやったのちに。
ここまで資料を音読した最後に、エリオットさん、はじめてカポネの写真を見る(笑)。強引だけど、原田くん脚本だってカポネの悪評知りつつ顔知らないわけだから、OKよね。
「あのとき、自分を助けてくれた(素敵な)人だ!!」
ここで、語り部と視点の混同・交差。
「外側に現れた事実・評価」しか知らず、それをすべてだと思っていたエリオットに、疑問が生じる。「はたしてそれは、真実なのか?」
ジャックは揺らがずいつも「兄貴LOVE」。ゆえに「内情はこうだった」、世間の奴ら(=エリオット)は知らない。
誰も知らない「スカーフェイスに秘められた真実」を語るジャック、ゆえに「知らない者」を敵視・見下すジャック、「知らない」ゆえに「表面的事実」のみを語るエリオット、ゆえに「スカーフェイスに秘められた真実」を知りたいと考えるエリオット。
カポネに都合いい語り部ジャックと、カポネの都合関係なく事実のみを語る視点エリオット。
あくまでもふたりは「カポネを語る」だけ。カポネ自身の物語は、ただあるがままに観客に差し出されている。
そして。
語り部と視点は、このときを境に立場を入れ替える。
その過渡期を盛り上げて1幕終了。
翌日欄へ続く。
コメント