アイーダは難しい。@王家に捧ぐ歌
2015年6月8日 タカラヅカ アイーダは難しい役だなと思う。
宙組『王家に捧ぐ歌』を観て。
これは初演から思っていたことだけど、アイーダってヤな女だよね?
女子が嫌う女子っていうか。
クラスにこのタイプがいたら、絶対遠巻きにされてるなっていうか。
一昔前の少女マンガのヒロインタイプ?
貧しいけれど一生懸命、横断歩道でおばあさんの手を引いて、いじめっ子には注意して、いつも正しくて、正しいことを隠さなくて、空気関係なく正しいことを言っちゃう。そして身分違いの王子様が、彼女の心の美しさに魅せられてメロメロになっちゃう、てな。
昔ならそれで良かったけれど、現代だとマイナス点ばかりの女の子ですわ。
だからポイントは、このヤな女を、どれだけ「かわいく」演じるか、なんだよなあ。
かわいく、てのは文字通りの「かわいい」ではなく、「かわいげ」のこと。愛嬌というか、「嫌な女だということを気づかせない」「嫌な言動ばかり繰り返すけれど、仕方ない」と思わせるほどの、「フィルター」を発動させなくてはならない。
初演のトウコの場合は、「男役が演じる娘役」ということで、クリアー出来た。
もともとクドく濃ゆい持ち味の男役だから、初の娘役でちょっとした女らしさやけなげさを見せるだけで、アイーダの持つ棘が軽減された。
アイーダの「私は正しいビーム(攻撃的・常時発動)」は「もともと男だしな」で正当化され、時折ちょっと「引く」だけで「私はけなげフィルター(必殺技・ここぞというときに発動)」にて持ち上げられた。
だが、トウコと同じことを娘役がやると……。
きついなー。
キムシンはアテ書き能力の高い人だと思ってるけれど、再演時にキャラを書き換えたりはしないんだ、と、『王家』再演のときに思った。
エチオピアトリオのキャラ立てなんて、毎回自由にいじったって本筋とまったく関係ないと思うんだけど、初演のままだった。綺華れいちゃんのカマンテなら、吉岡清十郎@『巌流』系にしたってよさそーなもんなのになー。初演まんまだと彼の実力だと弱くなっちゃうだけなのに、変更なしだったもん。
てな経験上、『王家』に関しては初演のバランスを変える気はないんだなと、今回も漠然と思っていた。
だからポスターにアムネリスが載ってなくても、アムネリスの比重は同じだろうと思ったし、ウバルドが2番手役でもなんの書き込みもされていないだろうと思った。
で、実際その通りだった。
そして、初演まんまの台詞回しで展開するラダメス@まぁくんとアイーダ@みりおんを観て、いちいち納得した。ああ、再演時に感じたまんまだなあ、と。
ラダメスはいい。
問題は、アイーダ。
やっていることはトウコまんまなのに……なんだろう、この引っかかり。
アイーダの端々に、ざりっとなにかがこすれる。
それは、かわいげのなさだった。
同じ台詞回しなのに、みりおんだとキツく感じる。いやな感じに残る。
「平和」を訴えず「愛」を口にしている分、初演よりも「正義を振りかざして鼻につく」部分は軽減されているはずなのに。
アイーダは「強く」なくてはならない。
アイーダを「ふつうの娘役」として演じてしまうと、きっと目も当てられないウザい勘違い女になる。
なよなよめそめそ、私って可哀想。
そうしないためにも、強く、自我と誇りを持って両の足で立つ! ……を、やりすぎると、自己中価値観押し付け女になる。
難しいな。
みりおんの苦手分野かなと思う。
「かわいげ」という部分。
みりおんがかわいくないと言っているわけではなくて。
『うたかたの恋』のときも思ったんだけど、みりおんって致命的に芸風に、知性があるの。
野生の魂とか無知な天使は、苦手。
知的な意志のある女性は得意。
『うたかたの恋』のヒロイン・マリーは無垢であればあるほどに、観客の涙を誘う。が、みりおんのマリーには知性を感じて、ことさら無邪気な台詞の数々が、空々しかった。知性あったらその台詞は言わんわー。言うとしたら、ナニを考えてるんだろう、言葉の裏で?てな。
もちろん、「無邪気な天使を装いながら、すべてを理解し、あえて相手の求めるまま、共に滅びることを選ぶ女性」というのは魅力的な設定だけど、『うたかたの恋』ってそういう話じゃないし。
みりおんだと、アイーダにも「知性」を感じてしまう。
アイーダがアホキャラだと言ってるわけじゃない。
彼女は「戦いは新たな戦いを生むだけ」という「真理」を説く「賢者」だ。知性はある。
そういう意味じゃなくて、彼女が賢者なのは生まれ持ったスキルであって、後天的に受験勉強とかで詰め込まれたモノじゃないんだ。
みりおんの醸し出す知性は、「野生の獣の賢さ」ではなく、きちんとした家庭で躾と教養を得た、大人の女性の持つ賢さだ。
会社で活躍してくれる分には頼もしいけどね。アイーダに必要される賢さとは、色が違う。
なんつーか、みりおんアイーダはあちこちが、賢しかった。
シロッコの名台詞「賢しいだけの子どもがナニを言うか」的な引っかかり?(笑)
賢さが悪い方向に出ているというか。
知性と理性がある。
それはみりおんの特性。
それを活かせる役をやるととても魅力的。
本能で行動する女の子の役は苦手。
賢く見えるゆえに、言動に裏があるように見えてしまう。
難しいな。
宙組『王家に捧ぐ歌』を観て。
これは初演から思っていたことだけど、アイーダってヤな女だよね?
女子が嫌う女子っていうか。
クラスにこのタイプがいたら、絶対遠巻きにされてるなっていうか。
一昔前の少女マンガのヒロインタイプ?
貧しいけれど一生懸命、横断歩道でおばあさんの手を引いて、いじめっ子には注意して、いつも正しくて、正しいことを隠さなくて、空気関係なく正しいことを言っちゃう。そして身分違いの王子様が、彼女の心の美しさに魅せられてメロメロになっちゃう、てな。
昔ならそれで良かったけれど、現代だとマイナス点ばかりの女の子ですわ。
だからポイントは、このヤな女を、どれだけ「かわいく」演じるか、なんだよなあ。
かわいく、てのは文字通りの「かわいい」ではなく、「かわいげ」のこと。愛嬌というか、「嫌な女だということを気づかせない」「嫌な言動ばかり繰り返すけれど、仕方ない」と思わせるほどの、「フィルター」を発動させなくてはならない。
初演のトウコの場合は、「男役が演じる娘役」ということで、クリアー出来た。
もともとクドく濃ゆい持ち味の男役だから、初の娘役でちょっとした女らしさやけなげさを見せるだけで、アイーダの持つ棘が軽減された。
アイーダの「私は正しいビーム(攻撃的・常時発動)」は「もともと男だしな」で正当化され、時折ちょっと「引く」だけで「私はけなげフィルター(必殺技・ここぞというときに発動)」にて持ち上げられた。
だが、トウコと同じことを娘役がやると……。
きついなー。
キムシンはアテ書き能力の高い人だと思ってるけれど、再演時にキャラを書き換えたりはしないんだ、と、『王家』再演のときに思った。
エチオピアトリオのキャラ立てなんて、毎回自由にいじったって本筋とまったく関係ないと思うんだけど、初演のままだった。綺華れいちゃんのカマンテなら、吉岡清十郎@『巌流』系にしたってよさそーなもんなのになー。初演まんまだと彼の実力だと弱くなっちゃうだけなのに、変更なしだったもん。
てな経験上、『王家』に関しては初演のバランスを変える気はないんだなと、今回も漠然と思っていた。
だからポスターにアムネリスが載ってなくても、アムネリスの比重は同じだろうと思ったし、ウバルドが2番手役でもなんの書き込みもされていないだろうと思った。
で、実際その通りだった。
そして、初演まんまの台詞回しで展開するラダメス@まぁくんとアイーダ@みりおんを観て、いちいち納得した。ああ、再演時に感じたまんまだなあ、と。
ラダメスはいい。
問題は、アイーダ。
やっていることはトウコまんまなのに……なんだろう、この引っかかり。
アイーダの端々に、ざりっとなにかがこすれる。
それは、かわいげのなさだった。
同じ台詞回しなのに、みりおんだとキツく感じる。いやな感じに残る。
「平和」を訴えず「愛」を口にしている分、初演よりも「正義を振りかざして鼻につく」部分は軽減されているはずなのに。
アイーダは「強く」なくてはならない。
アイーダを「ふつうの娘役」として演じてしまうと、きっと目も当てられないウザい勘違い女になる。
なよなよめそめそ、私って可哀想。
そうしないためにも、強く、自我と誇りを持って両の足で立つ! ……を、やりすぎると、自己中価値観押し付け女になる。
難しいな。
みりおんの苦手分野かなと思う。
「かわいげ」という部分。
みりおんがかわいくないと言っているわけではなくて。
『うたかたの恋』のときも思ったんだけど、みりおんって致命的に芸風に、知性があるの。
野生の魂とか無知な天使は、苦手。
知的な意志のある女性は得意。
『うたかたの恋』のヒロイン・マリーは無垢であればあるほどに、観客の涙を誘う。が、みりおんのマリーには知性を感じて、ことさら無邪気な台詞の数々が、空々しかった。知性あったらその台詞は言わんわー。言うとしたら、ナニを考えてるんだろう、言葉の裏で?てな。
もちろん、「無邪気な天使を装いながら、すべてを理解し、あえて相手の求めるまま、共に滅びることを選ぶ女性」というのは魅力的な設定だけど、『うたかたの恋』ってそういう話じゃないし。
みりおんだと、アイーダにも「知性」を感じてしまう。
アイーダがアホキャラだと言ってるわけじゃない。
彼女は「戦いは新たな戦いを生むだけ」という「真理」を説く「賢者」だ。知性はある。
そういう意味じゃなくて、彼女が賢者なのは生まれ持ったスキルであって、後天的に受験勉強とかで詰め込まれたモノじゃないんだ。
みりおんの醸し出す知性は、「野生の獣の賢さ」ではなく、きちんとした家庭で躾と教養を得た、大人の女性の持つ賢さだ。
会社で活躍してくれる分には頼もしいけどね。アイーダに必要される賢さとは、色が違う。
なんつーか、みりおんアイーダはあちこちが、賢しかった。
シロッコの名台詞「賢しいだけの子どもがナニを言うか」的な引っかかり?(笑)
賢さが悪い方向に出ているというか。
知性と理性がある。
それはみりおんの特性。
それを活かせる役をやるととても魅力的。
本能で行動する女の子の役は苦手。
賢く見えるゆえに、言動に裏があるように見えてしまう。
難しいな。
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