世界に選ばれる。@アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―
2015年6月1日 タカラヅカ 観た直後は、いいもん観たー、という気持ちになる。
が、時間が経てば、やっぱつまらんなー、という気持ちになる。
だいもんがすごいから、観ているときは誤魔化されちゃうんだけど。
やっぱり、つまらないわ。『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』。
そして、そうであるゆえに、わたしのだいもん株がにょきにょき上がる。
こんなつまらない箇条書きあらすじみたいな話で、あそこまで盛り上げるだいもんすげええ。
なんかいいもん観たー、と思わせるだいもんすげええ。
はっ、これは劇団の計算? 駄作をわざとあてがって、それをねじ伏せる様を見せてファンを増やそうという? 獅子が我が子を千尋の谷へあえて落とすような?(チガウ)
そんなどーでもいいことを考えるくらい、作品への評価と、主演への評価が掛け離れています(笑)。
つっても、実はそれほど嫌いってわけでもない、『アル・カポネ』。
原田くん作品は好きではないけれど、わたしの地雷には触れないっつーか、植爺ほど嫌じゃないのね。
植爺は生理的にダメだけど、原田くんはつまらない、程度。マイナス方面にもあまり大きく針が動かない。平坦なの。
で、平坦だから、勝手に妄想して眺めることは出来るしね。
役者萌えで乗り切れるっていうか。
ベン@ひとこのソロが苦手(ひとこに罪はない)なこと以外は、わりに平穏に眺めていられる。
だいもんが好きで、れいこが好きで、まなはるが好きで、雪組のみんなが好きで。
それならぜんぜん平気、いい公演だー! てな。
……時間が経つと、やっぱつまらんなー、になるんだけど……。なにこのループ。
けどもとにかく、千秋楽は観ようと思った。
ええ、これまた、チケット用意してなくてね。
なんでこう、前もって動かないのかしら、わたし。まっつ以外の人の舞台って、チケ取りすることに気がつかないのね。
実際に公演はじまってから、それもずいぶん経ってから、ふと気がつくのよ。そうだ、千秋楽観に行こう……あ、チケットない。って。
『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、初日も千秋楽も観たわ。で、どっちも、千秋楽のチケットは持ってなくて、公演はじまってから探したんだわ。
だいもん中心の舞台で千秋楽観てないのって、『New Wave! -花-』だけか。や、あれはお芝居ぢゃなかったしなー、贔屓組以外のショー公演の千秋楽はアウェイ感強すぎて手が出なかったっつーかなー……。
『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、だいもんのために、千秋楽行ったんじゃん。なにはどうあれ、最後を観よう、見届けよう、って。
なら、『アル・カポネ』も行くべきじゃね? つか、なんで「行く」という選択肢を思いつかなかったんだ??
自分でもわからない。
なんでいつもいつも、こんなにぼんやりしてるんだろう。
それであわててチケット探して。
行こう、って思い立ったの、ACT公演はじまってからだし。
で、チケット入手出来たの、楽の数日前だし。
言い訳に、東京で仕事関係の人に会う予定入れたりしてな(笑)。お仕事で上京したついでにタカラヅカ観まぁす、テヘ、みたいな? ……誰に言い訳してんだ。
や、赤坂ACTシアターはじめて行きました……って、大昔、まだ今の建物になる前に行ってるわ、『不滅の棘』千秋楽。記憶が古すぎて、劇場名が同じ、というだけしかわかんねえ。
ただもう、だいもん体験をする、というだけの意味で行きました。
で、体験しました。
ミッション・コンプリート。
……て、それだけかい。
や、DCから間開いた分、作品に対する萎えが大きくなっちゃってて。前述の通り、時間が経つと、つまらない、になっちゃうのよ。
だから記憶の確認、としてしか作品に入れない。
それよりも、出演者の熱を浴びに行った、という意識。
やっぱ雪組好きだあぁぁ。
出演者ひとりひとりが、愛しい。
なんだろう、すごく真面目な、まっすぐな熱を感じるの。
千秋楽だからとハメを外したりしない、愚直に品行方正に、内側にパワーをたぎらせている感じ。
いいなあ。好きだなあ。
そして、だいもん。
『Victorian Jazz』のとき、劇場内を切なそうに眺めているように感じた。次にいつここへ戻って来られるのだろう、と、終わる時間を愛おしむように、噛みしめるように。
帰っておいで、と思った。
舞台の真ん中が、君の生きる場所だから。
ここが、相応しい人だから。
そう思ったことを、思い出した。
今回もまた、同じような感じはあった。
でも、わたしの意識の違いだろうか、それほど切なそうには感じなかった。
だって。
だいもん自身も、わかっていると思う。
彼が、真ん中に立つ人だって。
『Victorian Jazz』のときはまだ、そんな明確な意識はなかったのだと思う。
彼の生きるべき場所はここだけど、彼以外のすべてがそう思うか、そうさせるかは別。
次にいつ、ここに戻って来られるかわからない。二度とないかもしれない。彼が生きるべき場所はここなのに、周囲がそれを許さないかもしれない……そんな、切なさ。儚さ。
でも今はチガウ。
ドラマシティという劇場を、そして赤坂ACTシアターという劇場を、完全に掌握し、このハコではまだ足りない、もっと大きな空間を征することができるはず、と意気を上げている今は。
わかっているはずだ。
客席にいる者も、だいもん自身も。
また、戻ってくるって。
どの劇場であるかは問わない。
舞台の、真ん中に。
それが、自然なことだから。
魚が海に、鳥が空に帰るように。そこでしか生きられないように。
舞台もまた、彼を欲するだろうから。
変わっていないのに、変わった。
それを肌で感じるために、わたしはここまで来たんだなあ、と思った。
彼はたぶん、一生舞台と関係して生きるんだろうなあ。
たとえこの花園を卒業しても。
舞台が彼を欲し、彼も舞台を欲するのだろう。
うらやましい。
人生と両思いになれるなんて。
や、それは、「トップスター」とかの称号とかカタチとかいうもののことではないよ。
彼がそれを得る・得られない、とは無関係に、彼は舞台の神様に愛された人、求められた人だと思うから。
自分の切望する世界で生きる、切望するモノに選ばれるなんてな。
わたしは、わたしの切望する才能は得られなかったよ。自分の至らなさを知りながら、それでも生きていくしかない。
だからやたらとまぶしいな。
だいもんさん、今絶頂ぢゃん? や、これからまだまだ上があるにしろ、いつだって現在を切り口にするわけだから、今現在のだいもんは絶頂っすよ。
役者としてのひとつの旬を迎えていると思う。
その充実オーラを浴びて、うれしくて、わくわくして、少しさみしい。
とにかく、もっともっとだいもん。
彼を眺めていたいと思う。
が、時間が経てば、やっぱつまらんなー、という気持ちになる。
だいもんがすごいから、観ているときは誤魔化されちゃうんだけど。
やっぱり、つまらないわ。『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』。
そして、そうであるゆえに、わたしのだいもん株がにょきにょき上がる。
こんなつまらない箇条書きあらすじみたいな話で、あそこまで盛り上げるだいもんすげええ。
なんかいいもん観たー、と思わせるだいもんすげええ。
はっ、これは劇団の計算? 駄作をわざとあてがって、それをねじ伏せる様を見せてファンを増やそうという? 獅子が我が子を千尋の谷へあえて落とすような?(チガウ)
そんなどーでもいいことを考えるくらい、作品への評価と、主演への評価が掛け離れています(笑)。
つっても、実はそれほど嫌いってわけでもない、『アル・カポネ』。
原田くん作品は好きではないけれど、わたしの地雷には触れないっつーか、植爺ほど嫌じゃないのね。
植爺は生理的にダメだけど、原田くんはつまらない、程度。マイナス方面にもあまり大きく針が動かない。平坦なの。
で、平坦だから、勝手に妄想して眺めることは出来るしね。
役者萌えで乗り切れるっていうか。
ベン@ひとこのソロが苦手(ひとこに罪はない)なこと以外は、わりに平穏に眺めていられる。
だいもんが好きで、れいこが好きで、まなはるが好きで、雪組のみんなが好きで。
それならぜんぜん平気、いい公演だー! てな。
……時間が経つと、やっぱつまらんなー、になるんだけど……。なにこのループ。
けどもとにかく、千秋楽は観ようと思った。
ええ、これまた、チケット用意してなくてね。
なんでこう、前もって動かないのかしら、わたし。まっつ以外の人の舞台って、チケ取りすることに気がつかないのね。
実際に公演はじまってから、それもずいぶん経ってから、ふと気がつくのよ。そうだ、千秋楽観に行こう……あ、チケットない。って。
『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、初日も千秋楽も観たわ。で、どっちも、千秋楽のチケットは持ってなくて、公演はじまってから探したんだわ。
だいもん中心の舞台で千秋楽観てないのって、『New Wave! -花-』だけか。や、あれはお芝居ぢゃなかったしなー、贔屓組以外のショー公演の千秋楽はアウェイ感強すぎて手が出なかったっつーかなー……。
『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、だいもんのために、千秋楽行ったんじゃん。なにはどうあれ、最後を観よう、見届けよう、って。
なら、『アル・カポネ』も行くべきじゃね? つか、なんで「行く」という選択肢を思いつかなかったんだ??
自分でもわからない。
なんでいつもいつも、こんなにぼんやりしてるんだろう。
それであわててチケット探して。
行こう、って思い立ったの、ACT公演はじまってからだし。
で、チケット入手出来たの、楽の数日前だし。
言い訳に、東京で仕事関係の人に会う予定入れたりしてな(笑)。お仕事で上京したついでにタカラヅカ観まぁす、テヘ、みたいな? ……誰に言い訳してんだ。
や、赤坂ACTシアターはじめて行きました……って、大昔、まだ今の建物になる前に行ってるわ、『不滅の棘』千秋楽。記憶が古すぎて、劇場名が同じ、というだけしかわかんねえ。
ただもう、だいもん体験をする、というだけの意味で行きました。
で、体験しました。
ミッション・コンプリート。
……て、それだけかい。
や、DCから間開いた分、作品に対する萎えが大きくなっちゃってて。前述の通り、時間が経つと、つまらない、になっちゃうのよ。
だから記憶の確認、としてしか作品に入れない。
それよりも、出演者の熱を浴びに行った、という意識。
やっぱ雪組好きだあぁぁ。
出演者ひとりひとりが、愛しい。
なんだろう、すごく真面目な、まっすぐな熱を感じるの。
千秋楽だからとハメを外したりしない、愚直に品行方正に、内側にパワーをたぎらせている感じ。
いいなあ。好きだなあ。
そして、だいもん。
『Victorian Jazz』のとき、劇場内を切なそうに眺めているように感じた。次にいつここへ戻って来られるのだろう、と、終わる時間を愛おしむように、噛みしめるように。
帰っておいで、と思った。
舞台の真ん中が、君の生きる場所だから。
ここが、相応しい人だから。
そう思ったことを、思い出した。
今回もまた、同じような感じはあった。
でも、わたしの意識の違いだろうか、それほど切なそうには感じなかった。
だって。
だいもん自身も、わかっていると思う。
彼が、真ん中に立つ人だって。
『Victorian Jazz』のときはまだ、そんな明確な意識はなかったのだと思う。
彼の生きるべき場所はここだけど、彼以外のすべてがそう思うか、そうさせるかは別。
次にいつ、ここに戻って来られるかわからない。二度とないかもしれない。彼が生きるべき場所はここなのに、周囲がそれを許さないかもしれない……そんな、切なさ。儚さ。
でも今はチガウ。
ドラマシティという劇場を、そして赤坂ACTシアターという劇場を、完全に掌握し、このハコではまだ足りない、もっと大きな空間を征することができるはず、と意気を上げている今は。
わかっているはずだ。
客席にいる者も、だいもん自身も。
また、戻ってくるって。
どの劇場であるかは問わない。
舞台の、真ん中に。
それが、自然なことだから。
魚が海に、鳥が空に帰るように。そこでしか生きられないように。
舞台もまた、彼を欲するだろうから。
変わっていないのに、変わった。
それを肌で感じるために、わたしはここまで来たんだなあ、と思った。
彼はたぶん、一生舞台と関係して生きるんだろうなあ。
たとえこの花園を卒業しても。
舞台が彼を欲し、彼も舞台を欲するのだろう。
うらやましい。
人生と両思いになれるなんて。
や、それは、「トップスター」とかの称号とかカタチとかいうもののことではないよ。
彼がそれを得る・得られない、とは無関係に、彼は舞台の神様に愛された人、求められた人だと思うから。
自分の切望する世界で生きる、切望するモノに選ばれるなんてな。
わたしは、わたしの切望する才能は得られなかったよ。自分の至らなさを知りながら、それでも生きていくしかない。
だからやたらとまぶしいな。
だいもんさん、今絶頂ぢゃん? や、これからまだまだ上があるにしろ、いつだって現在を切り口にするわけだから、今現在のだいもんは絶頂っすよ。
役者としてのひとつの旬を迎えていると思う。
その充実オーラを浴びて、うれしくて、わくわくして、少しさみしい。
とにかく、もっともっとだいもん。
彼を眺めていたいと思う。
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