観た直後は、いいもん観たー、という気持ちになる。
 が、時間が経てば、やっぱつまらんなー、という気持ちになる。

 だいもんがすごいから、観ているときは誤魔化されちゃうんだけど。
 やっぱり、つまらないわ。『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』

 そして、そうであるゆえに、わたしのだいもん株がにょきにょき上がる。
 こんなつまらない箇条書きあらすじみたいな話で、あそこまで盛り上げるだいもんすげええ。
 なんかいいもん観たー、と思わせるだいもんすげええ。

 はっ、これは劇団の計算? 駄作をわざとあてがって、それをねじ伏せる様を見せてファンを増やそうという? 獅子が我が子を千尋の谷へあえて落とすような?(チガウ)
 そんなどーでもいいことを考えるくらい、作品への評価と、主演への評価が掛け離れています(笑)。

 つっても、実はそれほど嫌いってわけでもない、『アル・カポネ』。
 原田くん作品は好きではないけれど、わたしの地雷には触れないっつーか、植爺ほど嫌じゃないのね。
 植爺は生理的にダメだけど、原田くんはつまらない、程度。マイナス方面にもあまり大きく針が動かない。平坦なの。

 で、平坦だから、勝手に妄想して眺めることは出来るしね。
 役者萌えで乗り切れるっていうか。
 ベン@ひとこのソロが苦手(ひとこに罪はない)なこと以外は、わりに平穏に眺めていられる。

 だいもんが好きで、れいこが好きで、まなはるが好きで、雪組のみんなが好きで。
 それならぜんぜん平気、いい公演だー! てな。

 ……時間が経つと、やっぱつまらんなー、になるんだけど……。なにこのループ。

 けどもとにかく、千秋楽は観ようと思った。

 ええ、これまた、チケット用意してなくてね。
 なんでこう、前もって動かないのかしら、わたし。まっつ以外の人の舞台って、チケ取りすることに気がつかないのね。
 実際に公演はじまってから、それもずいぶん経ってから、ふと気がつくのよ。そうだ、千秋楽観に行こう……あ、チケットない。って。
 『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、初日も千秋楽も観たわ。で、どっちも、千秋楽のチケットは持ってなくて、公演はじまってから探したんだわ。
 だいもん中心の舞台で千秋楽観てないのって、『New Wave! -花-』だけか。や、あれはお芝居ぢゃなかったしなー、贔屓組以外のショー公演の千秋楽はアウェイ感強すぎて手が出なかったっつーかなー……。

 『BUND/NEON 上海』も『Victorian Jazz』も、だいもんのために、千秋楽行ったんじゃん。なにはどうあれ、最後を観よう、見届けよう、って。
 なら、『アル・カポネ』も行くべきじゃね? つか、なんで「行く」という選択肢を思いつかなかったんだ??

 自分でもわからない。
 なんでいつもいつも、こんなにぼんやりしてるんだろう。

 それであわててチケット探して。
 行こう、って思い立ったの、ACT公演はじまってからだし。
 で、チケット入手出来たの、楽の数日前だし。

 言い訳に、東京で仕事関係の人に会う予定入れたりしてな(笑)。お仕事で上京したついでにタカラヅカ観まぁす、テヘ、みたいな? ……誰に言い訳してんだ。

 や、赤坂ACTシアターはじめて行きました……って、大昔、まだ今の建物になる前に行ってるわ、『不滅の棘』千秋楽。記憶が古すぎて、劇場名が同じ、というだけしかわかんねえ。

 ただもう、だいもん体験をする、というだけの意味で行きました。

 で、体験しました。
 ミッション・コンプリート。

 ……て、それだけかい。

 や、DCから間開いた分、作品に対する萎えが大きくなっちゃってて。前述の通り、時間が経つと、つまらない、になっちゃうのよ。
 だから記憶の確認、としてしか作品に入れない。

 それよりも、出演者の熱を浴びに行った、という意識。

 やっぱ雪組好きだあぁぁ。

 出演者ひとりひとりが、愛しい。
 なんだろう、すごく真面目な、まっすぐな熱を感じるの。
 千秋楽だからとハメを外したりしない、愚直に品行方正に、内側にパワーをたぎらせている感じ。
 いいなあ。好きだなあ。

 そして、だいもん。

 『Victorian Jazz』のとき、劇場内を切なそうに眺めているように感じた。次にいつここへ戻って来られるのだろう、と、終わる時間を愛おしむように、噛みしめるように。
 帰っておいで、と思った。
 舞台の真ん中が、君の生きる場所だから。
 ここが、相応しい人だから。
 そう思ったことを、思い出した。

 今回もまた、同じような感じはあった。
 でも、わたしの意識の違いだろうか、それほど切なそうには感じなかった。

 だって。
 だいもん自身も、わかっていると思う。

 彼が、真ん中に立つ人だって。

 『Victorian Jazz』のときはまだ、そんな明確な意識はなかったのだと思う。
 彼の生きるべき場所はここだけど、彼以外のすべてがそう思うか、そうさせるかは別。
 次にいつ、ここに戻って来られるかわからない。二度とないかもしれない。彼が生きるべき場所はここなのに、周囲がそれを許さないかもしれない……そんな、切なさ。儚さ。

 でも今はチガウ。
 ドラマシティという劇場を、そして赤坂ACTシアターという劇場を、完全に掌握し、このハコではまだ足りない、もっと大きな空間を征することができるはず、と意気を上げている今は。
 わかっているはずだ。
 客席にいる者も、だいもん自身も。

 また、戻ってくるって。
 どの劇場であるかは問わない。
 舞台の、真ん中に。

 それが、自然なことだから。

 魚が海に、鳥が空に帰るように。そこでしか生きられないように。
 舞台もまた、彼を欲するだろうから。

 変わっていないのに、変わった。
 それを肌で感じるために、わたしはここまで来たんだなあ、と思った。


 彼はたぶん、一生舞台と関係して生きるんだろうなあ。
 たとえこの花園を卒業しても。
 舞台が彼を欲し、彼も舞台を欲するのだろう。

 うらやましい。

 人生と両思いになれるなんて。

 や、それは、「トップスター」とかの称号とかカタチとかいうもののことではないよ。
 彼がそれを得る・得られない、とは無関係に、彼は舞台の神様に愛された人、求められた人だと思うから。

 自分の切望する世界で生きる、切望するモノに選ばれるなんてな。
 わたしは、わたしの切望する才能は得られなかったよ。自分の至らなさを知りながら、それでも生きていくしかない。
 だからやたらとまぶしいな。
 だいもんさん、今絶頂ぢゃん? や、これからまだまだ上があるにしろ、いつだって現在を切り口にするわけだから、今現在のだいもんは絶頂っすよ。
 役者としてのひとつの旬を迎えていると思う。

 その充実オーラを浴びて、うれしくて、わくわくして、少しさみしい。

 とにかく、もっともっとだいもん。
 彼を眺めていたいと思う。

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