だから、「彼の真実」は。@アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―
2015年5月31日 タカラヅカ それで結局、「スカーフェイスに秘められた真実」ってなんだったんだろう?
『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』について、どういう答えが出たのかは知らない。
や、世の中では。
原田くんがどんな「真実」を思い描いてこの作品を書いたのかは、わからない。
そして、わたし以外の人が、どんな「真実」を受け取ったのかは知らない。
まあぶっちゃけ、それはどうでもいいんだ。
わたしがものすごく気になること、これだけは受け入れられない、という部分は、そこじゃないから。
アル@だいもんは、脚本家のベン@ひとこを拉致監禁して、わざわざ自分語りをする。
世の中的にアル・カポネは大悪人、ゆえにベンは、彼を悪党とした映画脚本を書いている。
アルはそれゆえにベンを拉致した。
「真実を知って欲しい」と。
アルは言うんだ。
「フィクションだから自由にしていい」と。
実在の人物をモデルにしているからって、本当のことのみしか書いてはならない、ということはない。伝記じゃないんだ、教科書じゃないんだ、盛り上げるために史実を変えてもかまわない。
ただ、嘘を書くなら、それが正しくないこと、ほんとうはどうだったかを理解した上で、盛り上げるための嘘を書いて欲しい。
真実を知って欲しい。
その上で、好きに書くのはかまわない、と。
アルが語る「真実」は、ベンが「常識」として知るものとは、ずいぶん違っていた。
「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」
だから、作家は好きに書いていいのだと、アルは言う。
わたしはこのくだりにいたく共感した。
フィクションというものの本質。
どんな出来事も、人の数だけ捉え方がある。だから物語は無限の可能性を持つ。
なんだ、原田くんもクリエイターなんだな、想像すること・創造することに意義を見いだしているんだ……そう共感した次の瞬間。
ベンは喜々として歌い出す。
「♪彼は言った。真実はひとつではないと」
ちょ……っ!!
ベンさん? あなた、人の話聞いてました?
アル・カポネさんは言ったんですよ、「真実はひとつだ」と。
その会話の直後に、なに正反対のこと言ってんのおおおっ?!
でもって、さらにベンは歌う。
「♪彼は言った。俺は悪なのか?と」
言ってねえええっ!!
アルは自分にとっての真実を語ったのみで、「だから俺は悪じゃない」とは言ってない。
アルが言ったのは、自分にとっては真摯に生きた結果だが、それを悪だと判断する者がいることはわかる、ということだよな?
それが「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」だよな?
アルの語ったこと、全否定。
てゆーか、ベンは、カケラも理解してない。
またね、ひとこのキラキラ笑顔がね、この「カケラも理解してませ~~ん♪」「つか、真逆の意味に受け取ってま~~す♪」を加速させていてね……。
ギャグかと思ったよ……。
「いい場面ね」と盛り上げておいて、どっしゃーーん!と落とすんだもん。
笑うとこ?
「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」
といった直後に、同じ意味として、
「真実はひとつではない」
と言わせるいい加減さに絶望した。
捉え方は人の数だけある、を、「その人にとっての真実」ということで、「真実はひとつではない」とした、のかもしれない。
ならば、そう説明しなければならない。
真実はひとつだ=真実はひとつではない、という方程式が成り立つための過程が必要だ。
今のままだと「答えは〇だ」と書かれた参考書を見たひとこが、「わかった、答えは×だとここに書いてある!」と叫んでるようなもの。や、〇でしょうが、なんでこれが×なの、×に見えるの、正反対ですがな、あなたバカなの、目が見えないの?! てことになる。
真実はひとつではないから、なんでも好きに書いていいんだ、と、真実はひとつだが、その捉え方は人の数だけあるからなんでも好きに書いていいんだ、は、まったく違うんだよ……。
これを「同じ」だと思っている人がクリエイターだなんて、ありえないっす……感性が雑すぎるっす……。
そして、ベンが「彼は言った、俺は悪なのか?と」と歌うことで、「その捉え方は人の数だけある」すら、否定した。
アルは断定していない。
かまってちゃんの誘い受ばりに、「俺は悪くない」とチラッチラッと「真実」を語ってはいるが、限定はしていない。
あくまでも、「その捉え方は人の数だけある」というスタンスでいる。
それは、ここまでの『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』という作品のカラーだった。
この作品を見て、「アル・カポネ」をどう捉えるかは、観客ひとりひとりにゆだねられていた……はず。
が、ここでベンが「カポネは悪じゃない」と歌ってしまうことで、答えを解説してしまった。
『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』……その「真実」とは、「カポネはいい人」。
ベンひとりの偏った捉え方、という描き方ではなく、「作品テーマ」として歌われてしまうんだ。
だからこそ、ラストシーンでベンの映画が締めに使われる。
原田くんがどんな「真実」を思い描いてこの作品を書いたのかは、わからない。
そして、わたし以外の人が、どんな「真実」を受け取ったのかは知らない。
でも。
方法的に、構造的に、ここで決めつけちゃってるのよ!
原田ェ……。
ほんとに、雑な意識で作家やってんだなあ。
この作品がうすっぺらいのは、ベンの歌うテーマ曲に集約されていると思うよ。
『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』について、どういう答えが出たのかは知らない。
や、世の中では。
原田くんがどんな「真実」を思い描いてこの作品を書いたのかは、わからない。
そして、わたし以外の人が、どんな「真実」を受け取ったのかは知らない。
まあぶっちゃけ、それはどうでもいいんだ。
わたしがものすごく気になること、これだけは受け入れられない、という部分は、そこじゃないから。
アル@だいもんは、脚本家のベン@ひとこを拉致監禁して、わざわざ自分語りをする。
世の中的にアル・カポネは大悪人、ゆえにベンは、彼を悪党とした映画脚本を書いている。
アルはそれゆえにベンを拉致した。
「真実を知って欲しい」と。
アルは言うんだ。
「フィクションだから自由にしていい」と。
実在の人物をモデルにしているからって、本当のことのみしか書いてはならない、ということはない。伝記じゃないんだ、教科書じゃないんだ、盛り上げるために史実を変えてもかまわない。
ただ、嘘を書くなら、それが正しくないこと、ほんとうはどうだったかを理解した上で、盛り上げるための嘘を書いて欲しい。
真実を知って欲しい。
その上で、好きに書くのはかまわない、と。
アルが語る「真実」は、ベンが「常識」として知るものとは、ずいぶん違っていた。
「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」
だから、作家は好きに書いていいのだと、アルは言う。
わたしはこのくだりにいたく共感した。
フィクションというものの本質。
どんな出来事も、人の数だけ捉え方がある。だから物語は無限の可能性を持つ。
なんだ、原田くんもクリエイターなんだな、想像すること・創造することに意義を見いだしているんだ……そう共感した次の瞬間。
ベンは喜々として歌い出す。
「♪彼は言った。真実はひとつではないと」
ちょ……っ!!
ベンさん? あなた、人の話聞いてました?
アル・カポネさんは言ったんですよ、「真実はひとつだ」と。
その会話の直後に、なに正反対のこと言ってんのおおおっ?!
でもって、さらにベンは歌う。
「♪彼は言った。俺は悪なのか?と」
言ってねえええっ!!
アルは自分にとっての真実を語ったのみで、「だから俺は悪じゃない」とは言ってない。
アルが言ったのは、自分にとっては真摯に生きた結果だが、それを悪だと判断する者がいることはわかる、ということだよな?
それが「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」だよな?
アルの語ったこと、全否定。
てゆーか、ベンは、カケラも理解してない。
またね、ひとこのキラキラ笑顔がね、この「カケラも理解してませ~~ん♪」「つか、真逆の意味に受け取ってま~~す♪」を加速させていてね……。
ギャグかと思ったよ……。
「いい場面ね」と盛り上げておいて、どっしゃーーん!と落とすんだもん。
笑うとこ?
「真実はひとつだ。だが、その捉え方は人の数だけある」
といった直後に、同じ意味として、
「真実はひとつではない」
と言わせるいい加減さに絶望した。
捉え方は人の数だけある、を、「その人にとっての真実」ということで、「真実はひとつではない」とした、のかもしれない。
ならば、そう説明しなければならない。
真実はひとつだ=真実はひとつではない、という方程式が成り立つための過程が必要だ。
今のままだと「答えは〇だ」と書かれた参考書を見たひとこが、「わかった、答えは×だとここに書いてある!」と叫んでるようなもの。や、〇でしょうが、なんでこれが×なの、×に見えるの、正反対ですがな、あなたバカなの、目が見えないの?! てことになる。
真実はひとつではないから、なんでも好きに書いていいんだ、と、真実はひとつだが、その捉え方は人の数だけあるからなんでも好きに書いていいんだ、は、まったく違うんだよ……。
これを「同じ」だと思っている人がクリエイターだなんて、ありえないっす……感性が雑すぎるっす……。
そして、ベンが「彼は言った、俺は悪なのか?と」と歌うことで、「その捉え方は人の数だけある」すら、否定した。
アルは断定していない。
かまってちゃんの誘い受ばりに、「俺は悪くない」とチラッチラッと「真実」を語ってはいるが、限定はしていない。
あくまでも、「その捉え方は人の数だけある」というスタンスでいる。
それは、ここまでの『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』という作品のカラーだった。
この作品を見て、「アル・カポネ」をどう捉えるかは、観客ひとりひとりにゆだねられていた……はず。
が、ここでベンが「カポネは悪じゃない」と歌ってしまうことで、答えを解説してしまった。
『アル・カポネ―スカーフェイスに秘められた真実―』……その「真実」とは、「カポネはいい人」。
ベンひとりの偏った捉え方、という描き方ではなく、「作品テーマ」として歌われてしまうんだ。
だからこそ、ラストシーンでベンの映画が締めに使われる。
原田くんがどんな「真実」を思い描いてこの作品を書いたのかは、わからない。
そして、わたし以外の人が、どんな「真実」を受け取ったのかは知らない。
でも。
方法的に、構造的に、ここで決めつけちゃってるのよ!
原田ェ……。
ほんとに、雑な意識で作家やってんだなあ。
この作品がうすっぺらいのは、ベンの歌うテーマ曲に集約されていると思うよ。
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