人は変わるし、それ以外でも印象や考え方なども変わっていく。
 そしてわたしの海馬はポンコツなので、記憶はすぐに薄れていく。や、年寄りなので昔話するの好きだけど、それは「今の時点で思い込んでいる昔の話」であって、脚色が加えられているはず。
 想いはその都度変わり、カタチとして残すことはできない。それが切ない。
 所詮「今」の時点で振り返ることしか出来ないのだけど、それでもなお、時折振り返る。もう遠くなった当時の記憶を掘り起こしては感慨にふける。
 年取った今、過去ばかりが積み上がって、未来はすでに先が見えている。
 ああまったく、生きるというのは切なく、愛しいモノだ。

 てな自分語りからはじまってるけど、れおんくんの話。
 5月10日、柚希礼音卒業の日です。

 退団公演のれおんくんを観ながら、わたしは昔の彼の姿を思い出していた。
 「トップスターという宿命」を科せられた若者の姿を。

 劇団は、「将来のトップスター」を入団時に決めている。すべてがそうではないとしても、「トップスター」枠で入団してくる生徒は確実にいる。
 れおんくんもそのひとりで。
 彼は入団時から……いや、音校生時代から、「将来のトップスター」として噂になっていた。
 トップにするのだと、劇団が決めている。
 で、わたしはミーハーだから、「すごい逸材がいる。将来のトップスター間違いなし」と噂されるスターを、わくわくと眺めた。
 ほほお、あれが噂の柚希礼音かぁ。
 当時研4か。はじめて観るれおんくんは、若くてかわいい男の子で、抜擢されてキラキラしていた。
 若くて新鮮でキラキラ。大器の予感にわくわく。
 そこからスタートしたけれど。
 彼は、伸び悩んだ。
 歌も芝居もいまひとつ。ダンスは得意だけど、男役としての魅力に直結しない。
 だけど劇団はおかまいなしで、彼を特別扱いし続ける。えんえん新公主演、えんえん大きな役、メディア露出、機関誌での扱い、えんえん、えんえん。
 扱いの大きさに比べ、人気も実力も向上しない。
 他組の「無名の若手」が主演する「ワークショップ」に、新公主演5回、バウ(WS)主演2回、本公演『ベルばら』のアンドレ役をやっているような身でまぜられてしまったのなんかは、なんとも痛々しい状態。ドラマシティ主演くらい任されるべき重鎮スターが、新公主演すらしてない子と同じ土俵に上げられたのよ、人気と実力が足りないために。

 そのWS上演時に、思ったんだ。
 れおんくんは、なにがしたいんだろう? と。
 こんな、小学生の草野球に、高校生の身でまぜられて、「すごーい、ひとりだけうまーい」と拍手されてるような持ち上げられ方をしている現状で。
 「トップスターになる」、それはわかっている。決まっていることだからだ。
 だが、わかっている、決まっていることと、れおんくん自身が「トップスターになりたいのか」「どんなトップスターになりたいのか」は別だ。
 わたしには、彼がどこを目指しているのかわからなかった。
 れおんくんから感じるのは、義務感だった。
 「将来のトップスター」という宿命を背負っているから。決められたことだから、そのための仕事をしている。

 当時のブログにこう書いている。

> 医者の家に生まれた跡取り息子れおんは、よい医者になるのは義
>務だからと黙々と勉強をしている。もともとの素質に加え、幼い頃
>から英才教育を受けてきたので、とりあえずの実力はある。ただ義
>務感の方が先に立って、彼自身がほんとーに医者になりたいのか、
>どんな医者になりたいのかはよくわからない。

 それから時は流れ、どんなことがあろうと「柚希礼音をトップにする」という劇団の固い決意は揺らがず。
 彼が転ばずに歩けるように、道なき荒野に大工事を施し立派な手すり付きの道を作り、邪魔になるモノは排除して、足元を照らし誘導灯を点し、素晴らしい衣装で飾り立てることに余念がなかった。
 そして劇団の長年に亘る気の長い投資は報われ、れおんくんは人気トップスターになった。

 トップスターのれおんくんはとても魅力的で、観ていてわくわくした。
 王道を歩いてきたモノだけが持つ、浮き世離れした輝きがあった。

 や、彼は努力家なのだと思う。劇団の過保護ぶりはともかく、れおんくん自身はいかなるときも努力してきたのだろう。それは疑ってない。
 だから、彼が華やかに才能を開花させたのは、本人の努力あってのことだと思っている。

 だからこそ、ストイックに努力し続けているのに、結果を伴わない日々を、彼はどんな思いで過ごしていたのだろう?


 続く。

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