『1789-バスティーユの恋人たち-』初日観劇後、友人から「結局、2番手誰なの?」と聞かれて、「わかんない(´・ω・`) 」と返した。

 月組さんは2番手をぼかしているだけに留まらず、今回はトップ娘役までぼかしているので、ほんとわけわかんないニャ。

 人事上のことはともかく、この作品で「じゃあ誰がオイシイんだろう?」と考えたんだ。

 オイシイ、と感じるのは、演じている人が誰かにもよる。大したことない役を実力ゆえに「あの役オイシイ」と思わせる場合がある……ということではなくて。
 たとえば、ソロが1曲ある役を、2~3番手男役スターが演じれば「ふつう」だけど、番手も付かない超下級生がやったら「オイシイ」になる。
 その生徒のポジション、普段の扱いにより、「オイシイ役」は変わるんだよなー。

 だからそういう番手的なことではなくて。

 ごく私的に、「『1789』という作品の中で」のオイシイ役を考える。

 わかりやすくオイシイのは、見せ場がどーんとある、アルトワ@みやるりだと思う。
 イケコ定番の、「世界征服を歌う悪役」。マッドサイエンティストをそばに置いているか、あるいは本人がマッドサイエンティスト。
 今回はサイエンスの代わりに「媚薬」。

 ……なんだけど、歴代のイケコ悪役に比べて、いまいち。
 それは、どんだけ素敵に悪役でも、主人公に絡まない役は、重要ではないからだ。

 ぶっちゃけ、アルトワがいなくても、主人公ロナン@まさおの物語は成立するのですよ。

 悪い権力者の見本みたいなキャラで、すべての不幸はこーゆー男がのさばる社会構造にある、と思わせる上で、重要なのかもしれんが。
 ロナンという一市民が主人公である場合、関係ない人なのよね。
 ロナンの恋人オランプに横恋慕しているけれど、本気の恋ではなく、単にちょっかいかけてるだけだし。オランプは一切相手にしてないし。
 主人公にもヒロインにも相手にされていない役は、重要じゃない。

 神ソングを歌う場面がなかったら、ただのカーテン前要員だ。
 そして神ソングは、なくてもぜんぜんかまわない場面だし。


 ただ、その「いなくて問題ない」キャラで、「なくてかまわない」場面を、わざわざぶっこんでいることに、意味は感じる。
 耽美でぶっ飛んだ悪役は、エンタメ的に「オイシイ」し、神ソングはいいアクセントになっている。
 似合わない人・出来ない人がやったら悲惨だけど、みやちゃんはその美貌で素敵にインパクトを刻んでいるし。
 こういうイロモノキャラって「わかりやすい」んだよね。わかりやすさは重要。ファン獲得にいちばんつながる役。派手な見せ場は、ファンなら観ていて楽しいはず。

 ……でもわたしはやっぱり、「物語的にいなくても支障ない役」はオイシイと心から思えないなあ。
 ベネディクト@『オーシャンズ11』がオイシイのは、「悪役は彼ひとり」、唯一無二の物語に必要な役だから。
 悪役、という意味でもアルトワは、代わりが他にいっぱいいて、彼ひとり欠けても問題ないんだよね。

 で、個人的にいちばん問題だと思うことは、主人公や主要キャラクタと精神的つながり、やりとりのない役だってこと。唯一無二の悪役でなくても、いなくてもかまわない役でも。
 精神的なつながり(愛でも憎でも)があれば、それはいい役だと、わたしは思う。物語の構成についての数学的価値ではなく、ひとの心においての価値。
 アルトワが本気でオランプを愛しているとか、ロナンに個別認識の上執着されるとか、部下でも肉親でも友人でも、誰かときちんと心の交流を描かれている・生身の人間としてのエピソードがあるとか……今のキャラと見せ場に加えて、誰かと精神的に濃いつながりがあれば、名実ともにオイシイ役……確立された2番手役になると思う。

 ……逆説的に考えると、「2番手役にしたくない」から、わざと「見せ場はあるけど、中身はないよ」てな作りにしたということに?
 なんて、ひねた見方をしてしまいますわね。

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