タカラジェンヌの芸名について、あれこれ語る。
2015年4月18日 タカラヅカ 毎年、初舞台生の芸名が発表になるわけですが。
そして毎年、キラキラネーム化が進んでいる気がしてびっくりするわけですが。
最初「正気か?」てな斬新な芸名すら、見慣れるとなんとも思わなくなるのも毎年のこと。
てことで、芸名について雑談。
昔わたしは、「いかにもタカラヅカ」な芸名は好きじゃなかった。
女性なのに嘘くさい男名前で、女優になったときどうするんだろう、テレビドラマのテロップに、他のテレビ俳優たちと並んでこんな名前が流れたら嫌だわ、と思っていた。
娘役にしても、いかにもキラキラした、現実にありえない名前は嫌だった。特に「夢」という漢字の入った名前は好きじゃなかった。
10代の頃かなー。
イラストだのマンガだの小説だの書いて、ひとり悦に入っていた頃。仲間うちで「マンガ家ごっこ」「作家ごっこ」をしていた頃。や、マンガや小説を書いて互いに回し読みして「マンガ家気取り」「作家気取り」だったわけですね。
よーするに、厨二病たけなわ。
当時はヅカファンではなかったが、大阪生息女子の常識としてヅカは2年に1回くらいは観るし、電車や街中でポスター見かけるしで、ジェンヌの名前はふつーに目にしていた。
ヅカに限らず、当時のわたしは「いかにもペンネーム」という、キラキラした名前を嫌っていた。難解な漢字を連ねた凝りまくって誰にも読めないような名前を付ける人を上から目線でプゲラしていた。
……なにしろ、当時のわたしのペンネーム「長谷川加代」だもん……。ナニその本名より本名っぽい名前……。
や、「マンガ家ごっこ」をしているから、ペンネームがあるのよ。仲間うちで、ペンネームで呼び合ったりするのよ。いたたた……。
本名だと思われるほど地味でありふれた名前をペンネームにしている、というところに、こだわりを持っていた。
「他の『私は他の子とは違うのよ!』と思ってマンガや小説を書いている子たちは、みんなキラキラした現実にあり得ない名前を付けている。わたしはそんな子たちともチガウのよ!」……という、一周回ってさらにこじらせた厨二病ですな。
その頃は、タカラヅカのヅカヅカしい芸名が嫌だった。
で、実際自分がヅカヲタになって。
ライトなファンだったころは、やっぱり「あまりヅカヅカしいのはNG」だと思っていた。
ヅカだと一目でわかるような名前は恥ずかしい。そう思っていた。
いい芸名は、「テレビのテロップに出て『元タカラヅカ』とわからない、だけどきれいな名前」という認識。
意識が「テレビ芸能人>タカラジェンヌ」だったんだと思う。
まずテレビ受けを考え、そこからタカラヅカの芸名を考える、感じ。
ヅカを知らない一般視聴者が「きれいな名前の女優さんね」と思うような芸名が、いちばんいい。「げっ、タカラヅカくせー名前」と思われるのは嫌。
「黒木瞳」なんかふつーに本名でありそうだし、「紺野まひる」は本名? 芸名? と迷う感じが、いいバランスだなと思う。
ヲタ度が上がるにつれ、「テレビ受け」は気にしなくなっていった。
とはいえ、「春野寿美礼」という名前を最初に見たときはヲタじゃない頃のように失笑したし、「愛音羽麗」には「夜露死苦」をカッコイイと思って使う人たちのような、感性の隔たりを強く感じた。
そして、立派なヅカヲタになり果てた今は。
昔と、正反対の好みになっている。
つまり。
ヅカヅカしい、ヅカでしかあり得ない芸名こそよし!!
テレビ受けだ? 退団後のことを考えて日和って芸名付けるとかあり得ないし!! タカラジェンヌは、タカラヅカでだけ通用する芸名を付けるべきなのよ!
一般人が名前を見たり聞いたりしたとき「げっっ」と思うような芸名こそタカラヅカ!!
だからキラキラネームもアリですよ、現実にはあり得ない、嘘くさいほどの愛だの夢だの名前にしてよし!!
男役は、むしろ「男!!」だとわかる芸名を付けるべし!
「出演者」として名前だけが並んだとき、芸名で性別がわかるのが望ましい。「男役? 娘役?」と迷うような名前や、「娘役だと思った」と言われるような名前はつまらない。
タカラヅカは架空の世界。ルールを守って楽しむゲームのようなもの。
「芸名」も、ルールのひとつだ。ゲームを楽しむために必要。
それならとびきり楽しもうじゃないか。
いやあ、人の意識って変わるもんですなああ。
ただ、昔から一貫して変わらないことはある。
「読みにくい名前はキライ」、という。
名前だけでなく、あらゆる文章、文字表現に対してもそうなんだけど。
凝りまくった難しい漢字や、あり得ない当て字、読み方、どこで切るのかわからない字の連なり、日本語以外の言語を使うこと……。
どれも「読みやすい」ものではないよね?
他者に対して発する文章、文字表現なら、まず「読みやすい」こと、「読んで欲しい」と思っていることが伝わること、それが大切だと思う。
わたしはアタマが悪いので、難しい字面や誌面を見ただけで拒絶反応出ちゃうのよね。うわ、難しい、わたしには無理だ、つまりわたしには関わるなと向こうから拒絶されている、てな。
だから反対に、やさしい、わかりやすい文字表現で構成されたモノには「どうぞ!」と両手を広げられているような気がするの。
商売として使う「芸名」なら、「どう読むの? つかこれ名前??」と思わせるより、「どうぞ!」と開放的な方がいいと思うなー。
もちろん商売で使う「商品名」なんだから、地味でありきたりだと「おぼえてもらえない」という危険性があるのはわかる。
だからあとは感性の問題よね。
地味でありきたり、を避けるための手段が、難解で読みにくい、しかないわけではない、と思うから。
まあジェンヌの名前は、100年の歴史があるがゆえに制約がいろいろあって、その意味でも大変だと思うけど。
そして毎年、キラキラネーム化が進んでいる気がしてびっくりするわけですが。
最初「正気か?」てな斬新な芸名すら、見慣れるとなんとも思わなくなるのも毎年のこと。
てことで、芸名について雑談。
昔わたしは、「いかにもタカラヅカ」な芸名は好きじゃなかった。
女性なのに嘘くさい男名前で、女優になったときどうするんだろう、テレビドラマのテロップに、他のテレビ俳優たちと並んでこんな名前が流れたら嫌だわ、と思っていた。
娘役にしても、いかにもキラキラした、現実にありえない名前は嫌だった。特に「夢」という漢字の入った名前は好きじゃなかった。
10代の頃かなー。
イラストだのマンガだの小説だの書いて、ひとり悦に入っていた頃。仲間うちで「マンガ家ごっこ」「作家ごっこ」をしていた頃。や、マンガや小説を書いて互いに回し読みして「マンガ家気取り」「作家気取り」だったわけですね。
よーするに、厨二病たけなわ。
当時はヅカファンではなかったが、大阪生息女子の常識としてヅカは2年に1回くらいは観るし、電車や街中でポスター見かけるしで、ジェンヌの名前はふつーに目にしていた。
ヅカに限らず、当時のわたしは「いかにもペンネーム」という、キラキラした名前を嫌っていた。難解な漢字を連ねた凝りまくって誰にも読めないような名前を付ける人を上から目線でプゲラしていた。
……なにしろ、当時のわたしのペンネーム「長谷川加代」だもん……。ナニその本名より本名っぽい名前……。
や、「マンガ家ごっこ」をしているから、ペンネームがあるのよ。仲間うちで、ペンネームで呼び合ったりするのよ。いたたた……。
本名だと思われるほど地味でありふれた名前をペンネームにしている、というところに、こだわりを持っていた。
「他の『私は他の子とは違うのよ!』と思ってマンガや小説を書いている子たちは、みんなキラキラした現実にあり得ない名前を付けている。わたしはそんな子たちともチガウのよ!」……という、一周回ってさらにこじらせた厨二病ですな。
その頃は、タカラヅカのヅカヅカしい芸名が嫌だった。
で、実際自分がヅカヲタになって。
ライトなファンだったころは、やっぱり「あまりヅカヅカしいのはNG」だと思っていた。
ヅカだと一目でわかるような名前は恥ずかしい。そう思っていた。
いい芸名は、「テレビのテロップに出て『元タカラヅカ』とわからない、だけどきれいな名前」という認識。
意識が「テレビ芸能人>タカラジェンヌ」だったんだと思う。
まずテレビ受けを考え、そこからタカラヅカの芸名を考える、感じ。
ヅカを知らない一般視聴者が「きれいな名前の女優さんね」と思うような芸名が、いちばんいい。「げっ、タカラヅカくせー名前」と思われるのは嫌。
「黒木瞳」なんかふつーに本名でありそうだし、「紺野まひる」は本名? 芸名? と迷う感じが、いいバランスだなと思う。
ヲタ度が上がるにつれ、「テレビ受け」は気にしなくなっていった。
とはいえ、「春野寿美礼」という名前を最初に見たときはヲタじゃない頃のように失笑したし、「愛音羽麗」には「夜露死苦」をカッコイイと思って使う人たちのような、感性の隔たりを強く感じた。
そして、立派なヅカヲタになり果てた今は。
昔と、正反対の好みになっている。
つまり。
ヅカヅカしい、ヅカでしかあり得ない芸名こそよし!!
テレビ受けだ? 退団後のことを考えて日和って芸名付けるとかあり得ないし!! タカラジェンヌは、タカラヅカでだけ通用する芸名を付けるべきなのよ!
一般人が名前を見たり聞いたりしたとき「げっっ」と思うような芸名こそタカラヅカ!!
だからキラキラネームもアリですよ、現実にはあり得ない、嘘くさいほどの愛だの夢だの名前にしてよし!!
男役は、むしろ「男!!」だとわかる芸名を付けるべし!
「出演者」として名前だけが並んだとき、芸名で性別がわかるのが望ましい。「男役? 娘役?」と迷うような名前や、「娘役だと思った」と言われるような名前はつまらない。
タカラヅカは架空の世界。ルールを守って楽しむゲームのようなもの。
「芸名」も、ルールのひとつだ。ゲームを楽しむために必要。
それならとびきり楽しもうじゃないか。
いやあ、人の意識って変わるもんですなああ。
ただ、昔から一貫して変わらないことはある。
「読みにくい名前はキライ」、という。
名前だけでなく、あらゆる文章、文字表現に対してもそうなんだけど。
凝りまくった難しい漢字や、あり得ない当て字、読み方、どこで切るのかわからない字の連なり、日本語以外の言語を使うこと……。
どれも「読みやすい」ものではないよね?
他者に対して発する文章、文字表現なら、まず「読みやすい」こと、「読んで欲しい」と思っていることが伝わること、それが大切だと思う。
わたしはアタマが悪いので、難しい字面や誌面を見ただけで拒絶反応出ちゃうのよね。うわ、難しい、わたしには無理だ、つまりわたしには関わるなと向こうから拒絶されている、てな。
だから反対に、やさしい、わかりやすい文字表現で構成されたモノには「どうぞ!」と両手を広げられているような気がするの。
商売として使う「芸名」なら、「どう読むの? つかこれ名前??」と思わせるより、「どうぞ!」と開放的な方がいいと思うなー。
もちろん商売で使う「商品名」なんだから、地味でありきたりだと「おぼえてもらえない」という危険性があるのはわかる。
だからあとは感性の問題よね。
地味でありきたり、を避けるための手段が、難解で読みにくい、しかないわけではない、と思うから。
まあジェンヌの名前は、100年の歴史があるがゆえに制約がいろいろあって、その意味でも大変だと思うけど。
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