記憶だけで語る、『王家に捧ぐ歌』・その1。
2015年4月13日 タカラヅカ 年寄りは過去を懐かしむモノです。
『王家に捧ぐ歌』への思い入れを語る。
『王家』ってとどのつまりはただの恋愛モノ、ひとりの男とふたりの女が三角関係やってるだけ。三角関係といってもよろめきモノではなく、主人公とヒロインは最初から互いだけを思い、脇目よそ見ナシ。そこに権力のある女が横恋慕してきたから大変、という骨組み。
やっていること事態はお茶の間感あふれるというか、とてもとても小さなことなの。
高校の教室ひとつではじまり終わっていそうな、会社の事務所ひとつで完結していそうな、ありがちな、どーってことない話。
だがそれを、生きるの死ぬのとやって、地球規模の壮大な話にでっち上げる。……それが、当時のキムシンのすごいところ(笑)。
ラダメスとアイーダが愛し合い、アムネリスが横恋慕したけど結局相手にされず、振られました。
これだけの話が、ただの男女間の話が、世界平和へつながる。地球規模の歴史が変わる。って、すげえよ。
戦いは正義、正義だからナニをしてもいい、他国を征服しても敵を殺しても奴隷にしても、なんでもOK! 正義ヒャッハーー!!
……だったエジプトの武将ラダメスは、もちろんその考えで生きてきたけれど、「戦いは新たな戦いを生むだけ」という未知の思想を持つアイーダと出会い、新たな思想に目覚める。もともと彼は、「正義万歳! 強者至上主義万歳!」というエジプトの思想に疑問を持っていた……それしか知らないから従っていただけで。
「なんだ、他の考え方もあるんじゃん! オレの疑問、孤立無援とチガウやん!」……同じハートを持ったラダメスとアイーダが惹かれ合うのは必定。
「エジプトは勝ち続けなければならないのです」という、エジプトの姿勢まんまの意識で生きているアムネリスには、ラダメスが理解出来ない。彼女は自分こそが正義と信じ、「ものごとはいつもあるべき道を辿る」のだから、ラダメスがナニを言おうとスルーして、父ファラオの力で結婚にこぎ着けようとした。
でも、ラダメスは揺るがない。彼はアイーダを愛し、アムネリスを……エジプトを、否定する。
そして、ラダメスが歌った歌……タイトルでもある「王家に捧ぐ歌」は、最初ラダメスの独唱、それがアイーダの賛同を得てデュエットになり。
最後の最後は、アムネリスも歌うようになる。ラダメスからはじまった歌は、アイーダ、アムネリスを経て、全員のコーラスへつながっていく。
アムネリスは言う。「戦いはしない」と。ファラオとなった彼女は、自分の代では戦争をしないと宣言する。
世界最強の軍事国家、常時戦争国家が、戦争をやめる……つまり、世界から、戦争が消える、ということ。
アイーダという、ひとりの少女の小さな信念が、ひとりの男の胸に届き、男が愛に目覚めたことでより強い信念を築き、ついには世の支配者の意識まで変えた。
ひとりの少女の思いが、世界を変えた。
お茶の間的小さな物語。だけど、その、わたしたちの誰もが持つ、経験する、あたりまえの物語は、世界を変える力をも持つ。
それが、すごい。
ささやかな話を、地球規模の感動巨編まで持ち上げるキムシンすごい。
彼のこーゆーエンタメ感が好きだなー。
物語なんて、エンタメなんて、盛り上げてなんほですよ。爆発させてなんぼですよ。
書きたいテーマがあって、叫びたいナニか、訴えかけたいナニかがあって、それを世に問いたいそれだけで、フィクションのカタチを借りて叫ぶ。「これを言いたいっ」という強い動機があるもんだから、ソレがいちばんになりすぎてて、あちこち強引というか雑になっているのはご愛敬。
クリエイターたるもの、それくらいの自己愛と厚顔さが必要ですよ。
『王家』はほんと、キムシンのキムシンらしい作品だと思う。
でもって、音楽がいいんだなー。
キムシン作品の基礎力が薄かったり破綻している部分を、甲斐先生のドラマティックな曲がどーんっとカバーしちゃうんだなー。音楽の良さで、細かい粗は見えなくなるんだよなー。
だから反対に、キムシンが甲斐先生と決別したあとの作品は、粗隠しが出来ず悲惨なことに。
キムシン&甲斐せんせ時代はよかったよ……このコンビで新作が観たいよ……。
『王家に捧ぐ歌』への思い入れを語る。
『王家』ってとどのつまりはただの恋愛モノ、ひとりの男とふたりの女が三角関係やってるだけ。三角関係といってもよろめきモノではなく、主人公とヒロインは最初から互いだけを思い、脇目よそ見ナシ。そこに権力のある女が横恋慕してきたから大変、という骨組み。
やっていること事態はお茶の間感あふれるというか、とてもとても小さなことなの。
高校の教室ひとつではじまり終わっていそうな、会社の事務所ひとつで完結していそうな、ありがちな、どーってことない話。
だがそれを、生きるの死ぬのとやって、地球規模の壮大な話にでっち上げる。……それが、当時のキムシンのすごいところ(笑)。
ラダメスとアイーダが愛し合い、アムネリスが横恋慕したけど結局相手にされず、振られました。
これだけの話が、ただの男女間の話が、世界平和へつながる。地球規模の歴史が変わる。って、すげえよ。
戦いは正義、正義だからナニをしてもいい、他国を征服しても敵を殺しても奴隷にしても、なんでもOK! 正義ヒャッハーー!!
……だったエジプトの武将ラダメスは、もちろんその考えで生きてきたけれど、「戦いは新たな戦いを生むだけ」という未知の思想を持つアイーダと出会い、新たな思想に目覚める。もともと彼は、「正義万歳! 強者至上主義万歳!」というエジプトの思想に疑問を持っていた……それしか知らないから従っていただけで。
「なんだ、他の考え方もあるんじゃん! オレの疑問、孤立無援とチガウやん!」……同じハートを持ったラダメスとアイーダが惹かれ合うのは必定。
「エジプトは勝ち続けなければならないのです」という、エジプトの姿勢まんまの意識で生きているアムネリスには、ラダメスが理解出来ない。彼女は自分こそが正義と信じ、「ものごとはいつもあるべき道を辿る」のだから、ラダメスがナニを言おうとスルーして、父ファラオの力で結婚にこぎ着けようとした。
でも、ラダメスは揺るがない。彼はアイーダを愛し、アムネリスを……エジプトを、否定する。
そして、ラダメスが歌った歌……タイトルでもある「王家に捧ぐ歌」は、最初ラダメスの独唱、それがアイーダの賛同を得てデュエットになり。
最後の最後は、アムネリスも歌うようになる。ラダメスからはじまった歌は、アイーダ、アムネリスを経て、全員のコーラスへつながっていく。
アムネリスは言う。「戦いはしない」と。ファラオとなった彼女は、自分の代では戦争をしないと宣言する。
世界最強の軍事国家、常時戦争国家が、戦争をやめる……つまり、世界から、戦争が消える、ということ。
アイーダという、ひとりの少女の小さな信念が、ひとりの男の胸に届き、男が愛に目覚めたことでより強い信念を築き、ついには世の支配者の意識まで変えた。
ひとりの少女の思いが、世界を変えた。
お茶の間的小さな物語。だけど、その、わたしたちの誰もが持つ、経験する、あたりまえの物語は、世界を変える力をも持つ。
それが、すごい。
ささやかな話を、地球規模の感動巨編まで持ち上げるキムシンすごい。
彼のこーゆーエンタメ感が好きだなー。
物語なんて、エンタメなんて、盛り上げてなんほですよ。爆発させてなんぼですよ。
書きたいテーマがあって、叫びたいナニか、訴えかけたいナニかがあって、それを世に問いたいそれだけで、フィクションのカタチを借りて叫ぶ。「これを言いたいっ」という強い動機があるもんだから、ソレがいちばんになりすぎてて、あちこち強引というか雑になっているのはご愛敬。
クリエイターたるもの、それくらいの自己愛と厚顔さが必要ですよ。
『王家』はほんと、キムシンのキムシンらしい作品だと思う。
でもって、音楽がいいんだなー。
キムシン作品の基礎力が薄かったり破綻している部分を、甲斐先生のドラマティックな曲がどーんっとカバーしちゃうんだなー。音楽の良さで、細かい粗は見えなくなるんだよなー。
だから反対に、キムシンが甲斐先生と決別したあとの作品は、粗隠しが出来ず悲惨なことに。
キムシン&甲斐せんせ時代はよかったよ……このコンビで新作が観たいよ……。
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