えー、10日ほど欄がズレてますが、宝塚音楽学校第101期生文化祭の感想。
 といっても、舞台の感想ではナイ(笑)。
 わたしの話。

 文化祭の幕が上がり、いつものように娘役さんの「清く正しく美しく」ソロと日本舞踊がはじまる。
 そのとき。

 あたし、こんなところでナニやってんだろ。
 的な思いが、突然わき上がった。

 わたしののーみそは勝手に考えるのだ。
 なにか経験するたびに、「前にここに来たときは」「前に行ったときは」。
 「去年の文化祭を観たときは」……

 まっつが、いた。

 去年の2月後半って、まっつ退団を知らずにいた最後のときか。
 前に文化祭を観たときは、わたしはまだ未来に夢を描いていられたんだ。
 劇団推しのスターじゃないから、扱い的に順風満帆な未来はまったく想像してなかったが、本人の実力には全面の信頼を置いていたので、劇団にいる限り、それがどんな役どんな扱いであっても、きっちり魅了させてくれるという、信頼。
 劇団にいる、いてくれる……それだけが、わたしのヅカヲタとしてのしあわせだった。

 しあわせでいられた、最後のとき、か。
 3月アタマには奈落の底だったもんな。
 と、今現在の文化祭を観ることで、のーみそが勝手に動き出すんだ。これはもう反射的なモノだから、止められないんだ。

 で、去年の文化祭が最後のとき、なら、今はなんなの。今はどうなの。
 ええ、しあわせではありません。
 未来がない。夢なんかない。
 タカラヅカは好きだけど、距離感がチガウ。
 まっつがいたときみたいに、アホみたくリピートしたり、多大な時間とお金をつぎ込んだりしないし、もっと離れた、乾いたファンになる……。
 ご贔屓なしの、全組まったり愛でる、ライトなファンになる。遠征しないし、全公演観劇にこだわらないし、観られない公演は無理して観ない。
 身の丈に合った生活をする。
 それでだんだんヅカから離れて、いずれ観なくなったとしても、それはそれ。

 というライトなファンが、ここにいるのはおかしいんじゃないの?

 文化祭は、所詮文化祭だ。
 チケットを発売して、一般人にも開放しているとはいえ、出ている子たちは素人の学生さんだ。プログラムには、本名の女の子のまま掲載されている……まだ、キラキラしい芸名のフェアリーじゃない。
 なんでわたし、ここにいるんだろう。学生たちの発表会を観るのは、濃いヅカヲタのすることじゃん。
 おとなしく、本物のタカラヅカだけ観てればいいじゃん。

 突然の、疑問。否定。
 予期せず広がった、闇。

 マイナスの思考ってやつは、どんどん加速するのね。冷静に考えれば、どうしてそこまで?!って思うくらいに、雪だるま式にとんでもない方向へふくらんでいくの。

 も、ヅカヲタやめろよ。

 てな風に。

 なんで文化祭観て、「ヅカヲタやめよう。もう、二度とムラには来ない」とまで思考が飛躍するのか。

 未来に羽ばたくキラキラした学生さんたちの、こんなにフレッシュで一生懸命な姿を見ながら、過去に囚われて暗いこと考えてるようじゃ、ヲタ失格、ヅカを観る資格なし、もうヲタやめろ、お前なんか二度とムラへ来るな。
 的な?
 思考がどんどん、自分を責める方向へ働くのね。自分を否定する方向に走るのね。

 「清く正しく美しく」という、ヅカの代表ソング聴きながら、ヅカとの決別を決めるなんて、運命的じゃないですか。

 で。

 文化祭プログラムは、第1部が日本舞踊、予科生コーラス、クラシック・ヴォーカル、ポピュラー・ヴォーカル。一気にこんだけやっちゃうのな。
 絶望的な思いで客席にいて、日舞は基本性別なし、全員同じ格好だし、日舞のうまいヘタはわたしにはわかんないからともかく、それ以降は男役娘役に分かれての芸披露になるのね。
 ぶっちゃけ、びみょーです。
 歌の技術とか以前に、タカラヅカという特殊な造形を会得していない、髪型やお化粧だけ真似ましたレベルで「男役です」「娘役です」と現れるわけですよ。
 当然だって、まだ素人の学生さんなんだもん。入団前からトップスターレベルに出来上がってたら、そっちの方が気持ち悪い。
 彼らはこれから初舞台を踏み、長い時間をかけて研鑽していくんだ。だから今はまだ、真似っこレベルの、こんな微妙な姿なんだ。
 いやほんと、だから所詮は文化祭。劇団の何組の公演じゃないんだよ。ちゃんとした興行じゃないんだよ。
 こんなの観て楽しいのって、学生さんの身内か、ヅカヲタだけっしょ。

 そう。
 そしてわたしは、楽しいのだった。

 ポピュラー・ヴォーカルってねえ、ヅカソング・メドレーなのよー。
 世間的な有名曲でもなければ、名曲でもない。
 古いしダサいし、現代社会で耳にしない独特の曲調多しだし、ヅカヲタ以外が聴いたら笑っちゃうんじゃないの?
 それを、男役にも娘役にもなりきれてない、ぷくぷくしたまるいほっぺとお尻の女の子たちが「女子校の文化祭です!」って感じに父兄の前で披露しているのよ。
 身の置きどころナイって、ふつーなら。

 でも。
 楽しいの。

 次から次へと流れるヅカソング。ヅカの有名曲、名曲オンパレード!
 闇に沈んでいたはずなのに、ヅカ曲はわたしを楽しませる。
 うつむいていた心を、アゲさせる。

 うわああああ、「タカラヅカ」だ!!

 そこには、「タカラヅカ」があった。
 「タカラヅカ」が持つものが、ぎゅーーっと濃縮されていた。

 楽しい。
 楽しい。
 なんか、叫びたいくらい、楽しい。
 うれしい。

 「タカラヅカ」って、いい。「タカラヅカ」が、好き。

 そう思った。

 ヅカの名曲メドレーであることや、男役娘役に分かれてのパフォーマンスであることなど、そこに「タカラヅカ」的なものがコンパクトに詰め込まれていた……ことも、もちろんある。
 でもさ、それだけではなくて。

 前へ。
 ただ前へ、掛け値なしの情熱で、一途さで、訴えかける生徒たちの姿。
 その剥き出しの誠実さ。

 それを、「タカラヅカ」だと思う。

 いろいろあると思う。舞台に立つことには。
 この子たちにもこれから、いろんなことが起こるのだと思う。舞台に立つ、それだけではなくて。
 そんなことも全部含めて、まるっと舞台は在る。なにもかも飲み込むし、なにもかも、出る。
 それでも、タカラヅカの舞台から感じるのは、情熱と誠実さだ。
 舞台上の彼らはいつも、舞台に対して誠実だ。そうあれない人は、淘汰されてしまう。そんな冷徹さを当たり前に持つ……それが、舞台。

 だからわたしは、タカラヅカからはただ、誠実さを受け取る。情熱を受け取る。
 それがタカラヅカの魅力。素晴らしいところ。

 愛しいところ。

 ただ、誠実で在ることなんて。


 101期生たちのポピュラー・ヴォーカルは、泣けて仕方なかった。
 つか、泣きすぎて大変だった。
 ちょっとなにソレ、絶望したり感激したり、忙しいな。
 いやでもほんと。

 タカラヅカが好きで。

 名曲過ぎて。
 名曲が、たくさんあり過ぎて。
 ヅカっていいな。ヅカってすごいな。

 文化祭で、拍手も手拍子も少なめなのが残念。もっともっと、感動を表したかったよ。

 わたしの横とか父兄っぽくて、とても静かにプログラム片手の観劇姿勢で。ヅカの名曲も、たぶんぜんぜん知らないんだろうな、ぽかーんとした雰囲気。
 でもわたしの斜め前の席の人、あの人絶対ヅカヲタ。
 ひとり、「楽しくて仕方ないっ」って感じに手拍子したり、夢中で拍手したりしてるの。
 楽しそうなのが、背中だけでわかる(笑)。
 うんうん、楽しいよね、感動するよね。
 勝手に「同志!!」気分。

 「タカラヅカ」は、楽しいね。
 好きでよかったね。うれしいね。楽しいね。

 しあわせだね。

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