退団公演は、何故に駄作が多いのか?
2015年2月19日 タカラヅカ 退団公演には、駄作が多い。
と、ヅカでは至極当然のように語られる。
退団公演はただそれだけでチケットが売れるので、手を抜いてイイからだ、と言われる。
限られた経費は有効に使わねばならない。
「売れる」とわかっている商品には金は使わず、「売れない」と危惧する商品のフォローに回す。
……経営としてはもちろんアリな話だけど、ちょっと待って。
お金の掛かる原作やスタッフとか衣装代その他や宣伝費を削る、というのはあるかもしれない。最低予算で作るのが退団公演なのかもしれない。
だが。
「制作費を削る」と、「意志を持って駄作を作る」ことは、イコールじゃない。
放っておいても売れるれおんくんの退団公演だから、手を抜こう。どんなつまらない作品でも、チケットは即日完売間違いなしだ、経費を下げれば下げるほど利益が上がる。
そう思って、ぎりぎりの制作費やスタッフ数で臨んだ公演だとする。
だとしても、「よーし、渾身の駄作を作るぞ!!」とは、思っていないはずだ。
あと、今回の『黒豹の如く』があまりに良作だったりしたら、ただでさえ多いれおんファンが「何度でも観たい!」と駆けつけるし、「素晴らしい作品だから何度でも観たい!」とれおんファン以外の人も駆けつけて、大変なことになる。
人気トップの退団公演は、駄作の方が熱狂が過ぎず、事故が起こらなくていいのだ。
……という考え方もある、らしい。
たしかにそうなのかもしれない。スター個人のファンとしては、チケット争奪戦に作品目当ての客まで加わられたらたまったもんじゃない、と思うかもしれない。
だがそれは、結果論だろう。
裏事情は知らないが、柴田先生も謝先生も、舞台スタッフもみんなみんな、「駄作を作るぞ!」と狙って作ったわけじゃないよね?
みんなひとりひとり、「いい作品を作る」つもりで、がんばってるんだよね。
だから、「退団公演は手抜きでイイ」というのは経営側の観点。
現場は、どんなときでも、たとえどんな横やりや大人の事情があろうとも、「いい作品を作ろう」としているはず。
だからさー、そうやって「いい作品を作ろう」として、ちょー駄作になっている現実が、悲しいんだわ。
退団公演に駄作が多い、にはもうひとつ、「演出家が気負い過ぎて失敗する」というのも、よく聞く。
大切な公演だからと考えすぎて、あれもこれもと欲張りすぎて、あっちこっちに気を遣いすぎて……から回るパターン。
「退団公演は手を抜いてイイ」の観点から、経営側が新人演出家に任せたりするのも、そうだよね。コケても大丈夫、退団公演は放っておいても客が入る、からと。新人さんが気負い過ぎて自滅する、てな。
新人でなくても、長らく共に作品を創り上げてきたスターのためにと、ベテラン先生が腕をふるったところで、スターへの思い入れと出来映えは比例しない。むしろ、強い強い思い入れゆえに転覆することも。
新人だろうとベテランや巨匠だろうと、愛情や意気込みゆえに失敗すること自体は、同じよーなもんさね。
みんなみんな、「いい作品を作ろう」としているんだ。
そのことは、カケラも疑ってない。
「てきとーでいいや」と「わざと駄作を作る」ことなんかない。
誠心誠意がんばった結果が、駄作である、というだけで。
こればっかしは、どうしようもないけどねえ。
でもさでもさ、最低限のチェック体制は欲しいと思うのよ。
「先生、この脚本、おかしいですよ」と言える……そんな、当たり前のシステム。
そうすれば、ここまでひどいことにはならなかったと思うの。
プロット段階で、誰かダメ出ししようよ。頼むよ。
植爺が現役の劇団で、ナニ言っても無駄なのはわかってるけどさあ。
こだまっちの『仮面の男』がノーチェックで1ヶ月も公演されてしまった劇団に、ナニ言っても無駄なのはわかってるけどさあ。
退団公演は、何故に駄作が多いのか?
退団公演だから、じゃないっす。
ただもうふつーに、「タカラヅカ」だからです。
と、しか。
しくしく。
と、ヅカでは至極当然のように語られる。
退団公演はただそれだけでチケットが売れるので、手を抜いてイイからだ、と言われる。
限られた経費は有効に使わねばならない。
「売れる」とわかっている商品には金は使わず、「売れない」と危惧する商品のフォローに回す。
……経営としてはもちろんアリな話だけど、ちょっと待って。
お金の掛かる原作やスタッフとか衣装代その他や宣伝費を削る、というのはあるかもしれない。最低予算で作るのが退団公演なのかもしれない。
だが。
「制作費を削る」と、「意志を持って駄作を作る」ことは、イコールじゃない。
放っておいても売れるれおんくんの退団公演だから、手を抜こう。どんなつまらない作品でも、チケットは即日完売間違いなしだ、経費を下げれば下げるほど利益が上がる。
そう思って、ぎりぎりの制作費やスタッフ数で臨んだ公演だとする。
だとしても、「よーし、渾身の駄作を作るぞ!!」とは、思っていないはずだ。
あと、今回の『黒豹の如く』があまりに良作だったりしたら、ただでさえ多いれおんファンが「何度でも観たい!」と駆けつけるし、「素晴らしい作品だから何度でも観たい!」とれおんファン以外の人も駆けつけて、大変なことになる。
人気トップの退団公演は、駄作の方が熱狂が過ぎず、事故が起こらなくていいのだ。
……という考え方もある、らしい。
たしかにそうなのかもしれない。スター個人のファンとしては、チケット争奪戦に作品目当ての客まで加わられたらたまったもんじゃない、と思うかもしれない。
だがそれは、結果論だろう。
裏事情は知らないが、柴田先生も謝先生も、舞台スタッフもみんなみんな、「駄作を作るぞ!」と狙って作ったわけじゃないよね?
みんなひとりひとり、「いい作品を作る」つもりで、がんばってるんだよね。
だから、「退団公演は手抜きでイイ」というのは経営側の観点。
現場は、どんなときでも、たとえどんな横やりや大人の事情があろうとも、「いい作品を作ろう」としているはず。
だからさー、そうやって「いい作品を作ろう」として、ちょー駄作になっている現実が、悲しいんだわ。
退団公演に駄作が多い、にはもうひとつ、「演出家が気負い過ぎて失敗する」というのも、よく聞く。
大切な公演だからと考えすぎて、あれもこれもと欲張りすぎて、あっちこっちに気を遣いすぎて……から回るパターン。
「退団公演は手を抜いてイイ」の観点から、経営側が新人演出家に任せたりするのも、そうだよね。コケても大丈夫、退団公演は放っておいても客が入る、からと。新人さんが気負い過ぎて自滅する、てな。
新人でなくても、長らく共に作品を創り上げてきたスターのためにと、ベテラン先生が腕をふるったところで、スターへの思い入れと出来映えは比例しない。むしろ、強い強い思い入れゆえに転覆することも。
新人だろうとベテランや巨匠だろうと、愛情や意気込みゆえに失敗すること自体は、同じよーなもんさね。
みんなみんな、「いい作品を作ろう」としているんだ。
そのことは、カケラも疑ってない。
「てきとーでいいや」と「わざと駄作を作る」ことなんかない。
誠心誠意がんばった結果が、駄作である、というだけで。
こればっかしは、どうしようもないけどねえ。
でもさでもさ、最低限のチェック体制は欲しいと思うのよ。
「先生、この脚本、おかしいですよ」と言える……そんな、当たり前のシステム。
そうすれば、ここまでひどいことにはならなかったと思うの。
プロット段階で、誰かダメ出ししようよ。頼むよ。
植爺が現役の劇団で、ナニ言っても無駄なのはわかってるけどさあ。
こだまっちの『仮面の男』がノーチェックで1ヶ月も公演されてしまった劇団に、ナニ言っても無駄なのはわかってるけどさあ。
退団公演は、何故に駄作が多いのか?
退団公演だから、じゃないっす。
ただもうふつーに、「タカラヅカ」だからです。
と、しか。
しくしく。
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