水槽や大自然ビデオのような。@黒豹の如く
2015年2月17日 タカラヅカ 星組『黒豹の如く』、2回目。
2回目なら面白くなるかしら。見方や感じ方が変わったりするかしら。
と、淡い期待を……まあぶっちゃけ大して抱いてもいなかったんだけど。
2回目も、つまらなかった。
いや……つまらないだけでなく、苦手度が上がった。
というのも、オチを知っているのと知らないのでは、不快さがチガウのね。
初見時は「なにコレわけわかんない。でも、実はナニか深い意味があるのかも?」「なにコレくだらない。でも、最後にナニか意味のあることにつながるのかも?」と、引っかかる部分を全部好意的に受け止め、期待して観ていたから。
その引っかかる部分が全部、ひとつひとつ「なんの意味もない」「ただ、壊れているだけ」とわかって観る2回目は……ムカつく(笑)。
『黒豹の如く』が不快な点は、いろいろある。枚挙に暇がない、ってやつ。
でも、わたしにとっていちばん大きな苦手ポイントは、ストーリーがないということだ。
わたし、ダメなの。
ストーリーない話、ちょーー苦手なの! 腹が立つの!
わたしは「物語」が好きなの。フィクションが好きなの。起承転結する話が好きなの。
キャラクタがいて、出来事があって、それを乗り越えたり解決したりする話が好きなの。細かいところにほころびがあっても、軸となる大筋がちゃんと歯車回って起承転結するなら、それでOK。
重要なのは出来事の起承転結に、感情の起承転結が、きれいにリンクしていること。出来事があったゆえに感情が動き、新たな答えを得る。感情があったゆえに出来事が動き、新たな出来事につながる。
それがない、ただだらだらナニも起こらない「きれいなだけ」の話は、キライなの。
『花舞う長安』が大嫌いだったのと同じ。「キレイ」しか作れず「場面」しか作れないなら、ショー作ってればよし。
『花舞う長安』のときも思ったわ、「キレイなだけ」なら、熱帯魚の水槽や、大自然環境ビデオ見てるのと同じじゃん。
『黒豹の如く』にあるのは、設定だけ。物語はない。
「黒豹と呼ばれる英雄」「その恋人の美女」「悪役」とか、それぞれ設定だけあって、それ以上はない。
主人公は結局ナニもしていない。もともと英雄で、ナニもしてないまま物語の最後には、やはり英雄として仕事をしに行く。恋人とはもともと両思いで、物語スタート時点でふたりにはなんの障害もなく、物語の最後にもなにひとつ変わらず両思いであるし、気持ちも変わっていなければ結婚などカタチの上でもなにも動きはなし。
なにもしない主人公とヒロインの脇で、「悪役」というラベルを貼られた2番手が、整合性のない行動を取り、誰にもなんの影響も与えず、勝手に自滅する。悪役自滅のために、彼を取り巻くキャラは全員展開の都合優先で構成。
退団するトップスターと縁が深い、というだけで、叔父だとか親友だとかいう役を与えられた人に、とってつけた場面や台詞を与え、「イイ場面」を作る。→ サービスシーン
ヒロインは人格不要。「ヒロイン」という記号があり、主人公とラブシーンをすればよし。→ サービスシーン
ストーリーはないから、無意味にコスプレダンスシーン挿入。無関係でいいので、なんでもあり。→ サービスシーン
英雄、美女、悪役。
これだけの設定と、あとはサービスシーンのみで出来上がった作品。
それはそれで、アリだと思う。
タカラヅカはスターの魅力で見せるカンパニーだ。スターを魅力的に見せる、という命題の前には、他のことは些細なことだ。
だがそれは、「スターを魅力的に見せる」ことが、出来ていれば、だ。
『黒豹の如く』は、ちえねねを魅力的に見せているか??
かっこつけるだけでナニもしない黒豹先輩は、魅力的なのか?
彼が巻き込まれ、「大事件だ」と振り回されている事件が、どう考えてもくだらない、ありえないレベルの、アホアホな事件なんですが。
彼が所属する組織も、彼が生きる時代も、彼の思考回路も言動も、アタマ悪すぎて不安になるレベルなんですが。
それでも彼はかっこいいの? 素敵なの?
ただきれいな服を着て、主役とラヴシーンして、悪役にセクハラされるだけの、「お色気担当」としてしか描かれていないヒロインは、魅力的なんですか?
悪い意味での、「タカラヅカ」満載。
「ヅカヲタなんて、贔屓のスターがきれいな衣装で歯の浮くようなキザ台詞言って、濃厚なラブシーンしてれば、それで満足なんだろ」「ヅカヲタなんて、退団者の同期や関係のある生徒と絡ませたり、旅立ち場面を最後にして、現実のサヨナラとリンクさせる台詞を言わせれば、感動して泣くんだろ」……お手軽にお約束だけ盛り込んで、あとはめちゃくちゃ、「でもこれがタカラヅカでしょ、なんか文句あんの?」という。
他愛なくていいから、まともに「ストーリー」があって、その上で前述の「お約束」を入れてくれたなら、それだけでいいのに。
他愛ないストーリーに、ファンがよろこぶ「お約束」だけで構成された『風の次郎吉』が、ファンから絶賛されたように。
最低限、ストーリー。
物語がない話は、わたしには「存在意義」がわからないの。
主人公もヒロインも最初からラストシーンまで、なんの変化も発見もないなら、90分無駄じゃん? 両思いの独身同士として再会して、あとは90分「こいつめぇ」とかだけ、やってりゃいいじゃん。
植爺はとっくにそうなっていたけれど、柴田先生まで、物語を作れなくなったのだと、見せつけられたのが悲しいわ。
2回目なら面白くなるかしら。見方や感じ方が変わったりするかしら。
と、淡い期待を……まあぶっちゃけ大して抱いてもいなかったんだけど。
2回目も、つまらなかった。
いや……つまらないだけでなく、苦手度が上がった。
というのも、オチを知っているのと知らないのでは、不快さがチガウのね。
初見時は「なにコレわけわかんない。でも、実はナニか深い意味があるのかも?」「なにコレくだらない。でも、最後にナニか意味のあることにつながるのかも?」と、引っかかる部分を全部好意的に受け止め、期待して観ていたから。
その引っかかる部分が全部、ひとつひとつ「なんの意味もない」「ただ、壊れているだけ」とわかって観る2回目は……ムカつく(笑)。
『黒豹の如く』が不快な点は、いろいろある。枚挙に暇がない、ってやつ。
でも、わたしにとっていちばん大きな苦手ポイントは、ストーリーがないということだ。
わたし、ダメなの。
ストーリーない話、ちょーー苦手なの! 腹が立つの!
わたしは「物語」が好きなの。フィクションが好きなの。起承転結する話が好きなの。
キャラクタがいて、出来事があって、それを乗り越えたり解決したりする話が好きなの。細かいところにほころびがあっても、軸となる大筋がちゃんと歯車回って起承転結するなら、それでOK。
重要なのは出来事の起承転結に、感情の起承転結が、きれいにリンクしていること。出来事があったゆえに感情が動き、新たな答えを得る。感情があったゆえに出来事が動き、新たな出来事につながる。
それがない、ただだらだらナニも起こらない「きれいなだけ」の話は、キライなの。
『花舞う長安』が大嫌いだったのと同じ。「キレイ」しか作れず「場面」しか作れないなら、ショー作ってればよし。
『花舞う長安』のときも思ったわ、「キレイなだけ」なら、熱帯魚の水槽や、大自然環境ビデオ見てるのと同じじゃん。
『黒豹の如く』にあるのは、設定だけ。物語はない。
「黒豹と呼ばれる英雄」「その恋人の美女」「悪役」とか、それぞれ設定だけあって、それ以上はない。
主人公は結局ナニもしていない。もともと英雄で、ナニもしてないまま物語の最後には、やはり英雄として仕事をしに行く。恋人とはもともと両思いで、物語スタート時点でふたりにはなんの障害もなく、物語の最後にもなにひとつ変わらず両思いであるし、気持ちも変わっていなければ結婚などカタチの上でもなにも動きはなし。
なにもしない主人公とヒロインの脇で、「悪役」というラベルを貼られた2番手が、整合性のない行動を取り、誰にもなんの影響も与えず、勝手に自滅する。悪役自滅のために、彼を取り巻くキャラは全員展開の都合優先で構成。
退団するトップスターと縁が深い、というだけで、叔父だとか親友だとかいう役を与えられた人に、とってつけた場面や台詞を与え、「イイ場面」を作る。→ サービスシーン
ヒロインは人格不要。「ヒロイン」という記号があり、主人公とラブシーンをすればよし。→ サービスシーン
ストーリーはないから、無意味にコスプレダンスシーン挿入。無関係でいいので、なんでもあり。→ サービスシーン
英雄、美女、悪役。
これだけの設定と、あとはサービスシーンのみで出来上がった作品。
それはそれで、アリだと思う。
タカラヅカはスターの魅力で見せるカンパニーだ。スターを魅力的に見せる、という命題の前には、他のことは些細なことだ。
だがそれは、「スターを魅力的に見せる」ことが、出来ていれば、だ。
『黒豹の如く』は、ちえねねを魅力的に見せているか??
かっこつけるだけでナニもしない黒豹先輩は、魅力的なのか?
彼が巻き込まれ、「大事件だ」と振り回されている事件が、どう考えてもくだらない、ありえないレベルの、アホアホな事件なんですが。
彼が所属する組織も、彼が生きる時代も、彼の思考回路も言動も、アタマ悪すぎて不安になるレベルなんですが。
それでも彼はかっこいいの? 素敵なの?
ただきれいな服を着て、主役とラヴシーンして、悪役にセクハラされるだけの、「お色気担当」としてしか描かれていないヒロインは、魅力的なんですか?
悪い意味での、「タカラヅカ」満載。
「ヅカヲタなんて、贔屓のスターがきれいな衣装で歯の浮くようなキザ台詞言って、濃厚なラブシーンしてれば、それで満足なんだろ」「ヅカヲタなんて、退団者の同期や関係のある生徒と絡ませたり、旅立ち場面を最後にして、現実のサヨナラとリンクさせる台詞を言わせれば、感動して泣くんだろ」……お手軽にお約束だけ盛り込んで、あとはめちゃくちゃ、「でもこれがタカラヅカでしょ、なんか文句あんの?」という。
他愛なくていいから、まともに「ストーリー」があって、その上で前述の「お約束」を入れてくれたなら、それだけでいいのに。
他愛ないストーリーに、ファンがよろこぶ「お約束」だけで構成された『風の次郎吉』が、ファンから絶賛されたように。
最低限、ストーリー。
物語がない話は、わたしには「存在意義」がわからないの。
主人公もヒロインも最初からラストシーンまで、なんの変化も発見もないなら、90分無駄じゃん? 両思いの独身同士として再会して、あとは90分「こいつめぇ」とかだけ、やってりゃいいじゃん。
植爺はとっくにそうなっていたけれど、柴田先生まで、物語を作れなくなったのだと、見せつけられたのが悲しいわ。
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