黄金の翼をおぼえてる。@凰稀かなめラストディ
2015年2月15日 タカラヅカ ふつうに食事をしていた母が、突然泣き出した。
「なんであたし、ごはん食べてるんだろう。おとんが食べられないのに。なんでおなかすくんだろう。おとんが食べられないのに」
そんな意味のことをくり返しながら、ぼろぼろ泣き出した。クチからもお茶碗からも、ごはんがぼろぼろこぼれて落ちた。
子どもみたいに、ぼろぼろぼろぼろ、あぐあぐえぐえぐ、泣き出した。
わたしは思わず、母の肩を抱いて、耳元で言った。
「明日、タカラヅカを観に行こう」
えぐえぐ泣き続ける母に、言い続けた。
「タカラヅカを観に行こう。明日はなにもかも忘れて、きれいなものを観に行こう。おいしいもの食べて、一日遊ぼう。ね? おとんも許してくれるよ」
その頃の緑野家は、ぐちゃぐちゃで。
父は余命宣告されてるし、クチからモノを食べられなくなって半年以上経ってるし、仕事と家事と看病とで、母は限界に来ていた。
わたしは人生でいちばん過酷な仕事状況で、父の病院への行き帰りだろうと、自分の入院中だろうと、愛猫の火葬の間すら、PC持ち込みでずっと仕事してた(そのあと、父の葬式の夜も、仕事してたなー……)。肉体的にも精神的にも、かなり限界だった……と、今は思う。当時は自覚してなかった。でも、たまに劇場で会う友人が、わたしの顔を見るなりぎょっとして、「体調大丈夫?」と聞いてきたりしていたから、相当悲惨な顔して生きてたんだろうと思う。
弟は黙々と、自分のなすことをし、経済的に家を支え、職場と父の病院を行き来していた。
なんかもう、いろいろと、無理。
ごはんクチからこぼしながら泣き出す母が、その象徴だろう。
無理。
現実に、押しつぶされる。
崩壊する。
そんなときに。
タカラヅカを観に行った。
わたしはどんだけ忙しくても劇場には通っていたので、タカラヅカは「日常」の範疇だ。
わたしにとっての日常、欠けてはならないモノ。
それでいて、母にとっての「非日常」。なんかトクベツで、キラキラしたもの。
自分のテリトリーで、母をエスコートすることが出来る……だから、今、タカラヅカ。
今の重すぎる日常を離れて。
よそ行きの服を着た母と阪急電車に乗って、宝塚へ。
あちこちに貼ってあるポスター、ほら、今から、これを観に行くのよ。
きれいね。ゴージャスね。
道すがら、テンション上げて。
公演は、『銀河英雄伝説』。
一本モノだしSFだし、母に理解出来るとも思えなかったけれど。
チラシを渡して、説明する。
この人が、トップスター。「おうき・かなめ」さん。この公演から、宙組のトップスターになったのよ。
きれいね。ゴージャスね。
未来を舞台にしたSFだけど、難しく考えなくていいから。こっちが銀河帝国、皇帝とか貴族とかがいる、身分制度のある国。こっちは同盟軍、民主国家で、イメージ的にはアメリカって感じ? このふたつの国が戦争しているの。主人公は帝国側ね、悪い政治をしている皇帝を倒し、自分の力で新しい世界を築こうとしているの……てな、そんなざっくりした説明だけして。
母はふんふん聞いていたけれど、理解していたかどうか。
そんなことより、ひさびさのお出かけ、ひさびさのタカラヅカにワクテカ。
当日券で観劇して。
『銀河英雄伝説』。
かなめくんの、トップお披露目公演。
美貌のトップスターと、選りすぐりの長身イケメンたち。
新しい組、新しい時代。
満を持したビッグタイトル、未来へ飛翔する若き英雄の物語。
それはもう、きらきらきらきら、輝いていて。
「きれいね。きれいね……」
よくわかんなかったけれど、きれいだったわ。
語彙もなく、そんな感想を繰り返す母と食事して、買い物して。
ゆっくりしていくはずが、やっぱり父が心配だからと早めに帰路について。
タカラヅカを観に行こう。
あのとき観に行ったのが、『銀英伝』。そして、凰稀かなめ。
はじまる。
その予感に、まぶしい黄金の翼に、目がくらむ思いだった。
そんなことを、思い出していた。
映画館で『凰稀かなめラストディ』を観ながら。
あれは、ついこの間のことのよう。
あの頃は、まだ父がいた。まっつだっていた。
わたしは奇跡を信じ、毎日無我夢中で生きていた。来年も再来年も、家族と迎える日々を、当たり前にタカラヅカを観てわくわくしていられる日々を信じて、目の前の現実と闘い続けていた。
母の肩を抱いて、「タカラヅカを観に行こう」と言った。言えた。タカラヅカがあって良かった。
かなめくん。
美しいあなたがいて、母が「きれいね」とよろこんだ。
それはどれほど、救いだったろう。
宙組がゴージャスで「タカラヅカ!」って感じで、SFがわかんなくてもショーがなくても羽根がたくさんなくても、それでも「タカラヅカだわ、きれいね、豪華ね、来て良かった」そう思わせてくれることが。
救いだった。
癒しだった。
これからも、ずっとずっと、忘れない。
泣いた母を連れて、すりきれそうな心を抱えて、劇場に行ったこと。
そこで、黄金の髪を輝かせた、かなめくんがいたこと。
あのとき、劇場で感じた光を。
卒業してしまうんだね。いなくなるんだね。終わるんだね。
さみしいな。
お披露目公演の光を、笑顔を、思い出しては切なくなる。
さみしいよ。
ありがとう。
ありがとう。
さみしいよ。
ありがとう。
「なんであたし、ごはん食べてるんだろう。おとんが食べられないのに。なんでおなかすくんだろう。おとんが食べられないのに」
そんな意味のことをくり返しながら、ぼろぼろ泣き出した。クチからもお茶碗からも、ごはんがぼろぼろこぼれて落ちた。
子どもみたいに、ぼろぼろぼろぼろ、あぐあぐえぐえぐ、泣き出した。
わたしは思わず、母の肩を抱いて、耳元で言った。
「明日、タカラヅカを観に行こう」
えぐえぐ泣き続ける母に、言い続けた。
「タカラヅカを観に行こう。明日はなにもかも忘れて、きれいなものを観に行こう。おいしいもの食べて、一日遊ぼう。ね? おとんも許してくれるよ」
その頃の緑野家は、ぐちゃぐちゃで。
父は余命宣告されてるし、クチからモノを食べられなくなって半年以上経ってるし、仕事と家事と看病とで、母は限界に来ていた。
わたしは人生でいちばん過酷な仕事状況で、父の病院への行き帰りだろうと、自分の入院中だろうと、愛猫の火葬の間すら、PC持ち込みでずっと仕事してた(そのあと、父の葬式の夜も、仕事してたなー……)。肉体的にも精神的にも、かなり限界だった……と、今は思う。当時は自覚してなかった。でも、たまに劇場で会う友人が、わたしの顔を見るなりぎょっとして、「体調大丈夫?」と聞いてきたりしていたから、相当悲惨な顔して生きてたんだろうと思う。
弟は黙々と、自分のなすことをし、経済的に家を支え、職場と父の病院を行き来していた。
なんかもう、いろいろと、無理。
ごはんクチからこぼしながら泣き出す母が、その象徴だろう。
無理。
現実に、押しつぶされる。
崩壊する。
そんなときに。
タカラヅカを観に行った。
わたしはどんだけ忙しくても劇場には通っていたので、タカラヅカは「日常」の範疇だ。
わたしにとっての日常、欠けてはならないモノ。
それでいて、母にとっての「非日常」。なんかトクベツで、キラキラしたもの。
自分のテリトリーで、母をエスコートすることが出来る……だから、今、タカラヅカ。
今の重すぎる日常を離れて。
よそ行きの服を着た母と阪急電車に乗って、宝塚へ。
あちこちに貼ってあるポスター、ほら、今から、これを観に行くのよ。
きれいね。ゴージャスね。
道すがら、テンション上げて。
公演は、『銀河英雄伝説』。
一本モノだしSFだし、母に理解出来るとも思えなかったけれど。
チラシを渡して、説明する。
この人が、トップスター。「おうき・かなめ」さん。この公演から、宙組のトップスターになったのよ。
きれいね。ゴージャスね。
未来を舞台にしたSFだけど、難しく考えなくていいから。こっちが銀河帝国、皇帝とか貴族とかがいる、身分制度のある国。こっちは同盟軍、民主国家で、イメージ的にはアメリカって感じ? このふたつの国が戦争しているの。主人公は帝国側ね、悪い政治をしている皇帝を倒し、自分の力で新しい世界を築こうとしているの……てな、そんなざっくりした説明だけして。
母はふんふん聞いていたけれど、理解していたかどうか。
そんなことより、ひさびさのお出かけ、ひさびさのタカラヅカにワクテカ。
当日券で観劇して。
『銀河英雄伝説』。
かなめくんの、トップお披露目公演。
美貌のトップスターと、選りすぐりの長身イケメンたち。
新しい組、新しい時代。
満を持したビッグタイトル、未来へ飛翔する若き英雄の物語。
それはもう、きらきらきらきら、輝いていて。
「きれいね。きれいね……」
よくわかんなかったけれど、きれいだったわ。
語彙もなく、そんな感想を繰り返す母と食事して、買い物して。
ゆっくりしていくはずが、やっぱり父が心配だからと早めに帰路について。
タカラヅカを観に行こう。
あのとき観に行ったのが、『銀英伝』。そして、凰稀かなめ。
はじまる。
その予感に、まぶしい黄金の翼に、目がくらむ思いだった。
そんなことを、思い出していた。
映画館で『凰稀かなめラストディ』を観ながら。
あれは、ついこの間のことのよう。
あの頃は、まだ父がいた。まっつだっていた。
わたしは奇跡を信じ、毎日無我夢中で生きていた。来年も再来年も、家族と迎える日々を、当たり前にタカラヅカを観てわくわくしていられる日々を信じて、目の前の現実と闘い続けていた。
母の肩を抱いて、「タカラヅカを観に行こう」と言った。言えた。タカラヅカがあって良かった。
かなめくん。
美しいあなたがいて、母が「きれいね」とよろこんだ。
それはどれほど、救いだったろう。
宙組がゴージャスで「タカラヅカ!」って感じで、SFがわかんなくてもショーがなくても羽根がたくさんなくても、それでも「タカラヅカだわ、きれいね、豪華ね、来て良かった」そう思わせてくれることが。
救いだった。
癒しだった。
これからも、ずっとずっと、忘れない。
泣いた母を連れて、すりきれそうな心を抱えて、劇場に行ったこと。
そこで、黄金の髪を輝かせた、かなめくんがいたこと。
あのとき、劇場で感じた光を。
卒業してしまうんだね。いなくなるんだね。終わるんだね。
さみしいな。
お披露目公演の光を、笑顔を、思い出しては切なくなる。
さみしいよ。
ありがとう。
ありがとう。
さみしいよ。
ありがとう。
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