とまあ、うだうだ言ってはおりますが。

 とどのつまり、『Dear DIAMOND!!』は楽しい。

 いろんな意味で、これはグランドフィナーレなんだなと思う。
 次期トップも決まっており、良くも悪くもこのカラー、このお祭り状態はここで終わり、今限定の盛り上がり。
 理屈は置いておいて、盛大に楽しめばいいんだ!

 そしてれおんくんは、その期待に応え、もっとさらに上を見せてくれるビッグスター!!

 なんかね、もうね、「これでもか!」とくり出される「柚希礼音」に唸らされる。
 もっともっと、貪欲に求める観客に、ただ与えるだけでなく、悠々軽々と、「もっと求めていいんだよ」と言ってくれてる感じ。

 いいんですか?
 まだいいの? もっといいの? どこまでいいの?

 れおんくんの超人ぶりというかサービス精神というか、こちらの遠慮を吹き飛ばしてくれる器の大きさに、フェアリーを感じる。


 タカラジェンヌは、フェアリーである。
 そう言われるけれど、この「フェアリー」の定義って?

 フェアリータイプ、と呼ばれる男役さんは、女装もOKな中性タイプのことだ。
 れおんくんのような「漢!!」というタイプは、中性的な意味での「フェアリー」 という言葉にはそぐわない……ように思えるかもしれない。

 でも、わたしが思う「フェアリー」は、フェアリータイプとは関係ない。

 2.5次元の存在。
 マンガやアニメという2次元世界のヒーローたち。
 わたしたちの生きる現実、3次元世界。
 その中間に存在する、生身の人間だけど、意志を持って「夢の存在」であり続ける人。

 夢と現実を混同する気はない。
 現実は現実だと、痛いほど知っている。
 だからこそ、「夢」を見る。愉しむ。
 現実を理解していなければ、夢なんか見ない。
 夢を愉しめるのは、意志と知性あってこそだ。

 舞台の上で、縦横無尽に活躍するれおんくんに、わたしは「夢」を見る。
 現実の足枷など吹き飛ばす、彼の存在に心躍る。
 そんなに動いて踊って歌って走り回って、しんどいだろうな、大変だろうな、そこまでがんばらなくていいよ、サービスしてくれなくていいよ、十分だよ……そんな心配を「なんでもないこと」だとさらりと飛びこえてくれる……だって彼は、ふつうじゃないもの、「トップスター」だもの「柚希礼音」だもの……そう思わせてくれる、快感。

 わたしの立つ地平から、さらりと彼が、持ち上げるの。
 わたしがこだわり、しがみついているいろんなものから、彼がふわりと抱き上げてしまうの。
 それだけが、すべてじゃないよと。
 ほら、こんなに自由になれるんだよと。

 わたしの身体は客席にいるけれど、心が、魂が、れおんくんによって、解き放たれる。
 持ち上げて、放たれる。
 宙に。

 その、快感。

 やっぱすげえ、柚希礼音!

 彼をフェアリーだと思う。
 そうやって、重い身体を地面に這わせているわたしを、飛ばせてしまうのだから。
 飛んで見せてくれることによって。
 わたしも気がついたら、飛んでるの。
 一緒に。
 ちくしょう、フェアリーめ。
 すごいじゃないか。
 たまらないじゃないか。
 どこまで行くんだ。どこまでいくんだよ、ちえちゃん。

 初日、2階席にいたわたしは、突然のれおんくん登場に、心から感動した。
 よろこんだ。
 上がった。

 本公演なのに、ここまで来てくれた!
 2階最前列にいたもんで、中央通路を通るれおんくんはとても遠かったけれど(笑)、振り返って彼の笑顔を眺め、めちゃくちゃしあわせだった。

 ステージの上で神輿にまで乗っちゃうれおんくんに、「そこまでやるか!」と膝を打った。拍手した。
 神輿を支え、うちわを振る、舞台の上の星組っこたちと気持ちをひとつに、心の中で歓声を上げた。

 いや、もお、楽しかったよ。
 鼻白む気持ちもある、だけど、一緒に盛り上がる気持ちも間違いなくある。
 相反する感覚が、同時に存在する。それはほんとう。

 楽しい。終わってしまう。今だけ。楽しい。寂しいけど、楽しい。
 それを胸に刻みながら、「今」に酔う。
 れおんくんに、星組に酔う。

 ああ、おもしろいなあ。
 タカラヅカ100年、1世紀かあ。
 楽しいよ。
 いろんな思いを抱きながら、今もまた、歴史の一部になる。

コメント

日記内を検索