わたしにとっての、フェアリー。@Dear DIAMOND!!
2015年2月10日 タカラヅカ とまあ、うだうだ言ってはおりますが。
とどのつまり、『Dear DIAMOND!!』は楽しい。
いろんな意味で、これはグランドフィナーレなんだなと思う。
次期トップも決まっており、良くも悪くもこのカラー、このお祭り状態はここで終わり、今限定の盛り上がり。
理屈は置いておいて、盛大に楽しめばいいんだ!
そしてれおんくんは、その期待に応え、もっとさらに上を見せてくれるビッグスター!!
なんかね、もうね、「これでもか!」とくり出される「柚希礼音」に唸らされる。
もっともっと、貪欲に求める観客に、ただ与えるだけでなく、悠々軽々と、「もっと求めていいんだよ」と言ってくれてる感じ。
いいんですか?
まだいいの? もっといいの? どこまでいいの?
れおんくんの超人ぶりというかサービス精神というか、こちらの遠慮を吹き飛ばしてくれる器の大きさに、フェアリーを感じる。
タカラジェンヌは、フェアリーである。
そう言われるけれど、この「フェアリー」の定義って?
フェアリータイプ、と呼ばれる男役さんは、女装もOKな中性タイプのことだ。
れおんくんのような「漢!!」というタイプは、中性的な意味での「フェアリー」 という言葉にはそぐわない……ように思えるかもしれない。
でも、わたしが思う「フェアリー」は、フェアリータイプとは関係ない。
2.5次元の存在。
マンガやアニメという2次元世界のヒーローたち。
わたしたちの生きる現実、3次元世界。
その中間に存在する、生身の人間だけど、意志を持って「夢の存在」であり続ける人。
夢と現実を混同する気はない。
現実は現実だと、痛いほど知っている。
だからこそ、「夢」を見る。愉しむ。
現実を理解していなければ、夢なんか見ない。
夢を愉しめるのは、意志と知性あってこそだ。
舞台の上で、縦横無尽に活躍するれおんくんに、わたしは「夢」を見る。
現実の足枷など吹き飛ばす、彼の存在に心躍る。
そんなに動いて踊って歌って走り回って、しんどいだろうな、大変だろうな、そこまでがんばらなくていいよ、サービスしてくれなくていいよ、十分だよ……そんな心配を「なんでもないこと」だとさらりと飛びこえてくれる……だって彼は、ふつうじゃないもの、「トップスター」だもの「柚希礼音」だもの……そう思わせてくれる、快感。
わたしの立つ地平から、さらりと彼が、持ち上げるの。
わたしがこだわり、しがみついているいろんなものから、彼がふわりと抱き上げてしまうの。
それだけが、すべてじゃないよと。
ほら、こんなに自由になれるんだよと。
わたしの身体は客席にいるけれど、心が、魂が、れおんくんによって、解き放たれる。
持ち上げて、放たれる。
宙に。
その、快感。
やっぱすげえ、柚希礼音!
彼をフェアリーだと思う。
そうやって、重い身体を地面に這わせているわたしを、飛ばせてしまうのだから。
飛んで見せてくれることによって。
わたしも気がついたら、飛んでるの。
一緒に。
ちくしょう、フェアリーめ。
すごいじゃないか。
たまらないじゃないか。
どこまで行くんだ。どこまでいくんだよ、ちえちゃん。
初日、2階席にいたわたしは、突然のれおんくん登場に、心から感動した。
よろこんだ。
上がった。
本公演なのに、ここまで来てくれた!
2階最前列にいたもんで、中央通路を通るれおんくんはとても遠かったけれど(笑)、振り返って彼の笑顔を眺め、めちゃくちゃしあわせだった。
ステージの上で神輿にまで乗っちゃうれおんくんに、「そこまでやるか!」と膝を打った。拍手した。
神輿を支え、うちわを振る、舞台の上の星組っこたちと気持ちをひとつに、心の中で歓声を上げた。
いや、もお、楽しかったよ。
鼻白む気持ちもある、だけど、一緒に盛り上がる気持ちも間違いなくある。
相反する感覚が、同時に存在する。それはほんとう。
楽しい。終わってしまう。今だけ。楽しい。寂しいけど、楽しい。
それを胸に刻みながら、「今」に酔う。
れおんくんに、星組に酔う。
ああ、おもしろいなあ。
タカラヅカ100年、1世紀かあ。
楽しいよ。
いろんな思いを抱きながら、今もまた、歴史の一部になる。
とどのつまり、『Dear DIAMOND!!』は楽しい。
いろんな意味で、これはグランドフィナーレなんだなと思う。
次期トップも決まっており、良くも悪くもこのカラー、このお祭り状態はここで終わり、今限定の盛り上がり。
理屈は置いておいて、盛大に楽しめばいいんだ!
そしてれおんくんは、その期待に応え、もっとさらに上を見せてくれるビッグスター!!
なんかね、もうね、「これでもか!」とくり出される「柚希礼音」に唸らされる。
もっともっと、貪欲に求める観客に、ただ与えるだけでなく、悠々軽々と、「もっと求めていいんだよ」と言ってくれてる感じ。
いいんですか?
まだいいの? もっといいの? どこまでいいの?
れおんくんの超人ぶりというかサービス精神というか、こちらの遠慮を吹き飛ばしてくれる器の大きさに、フェアリーを感じる。
タカラジェンヌは、フェアリーである。
そう言われるけれど、この「フェアリー」の定義って?
フェアリータイプ、と呼ばれる男役さんは、女装もOKな中性タイプのことだ。
れおんくんのような「漢!!」というタイプは、中性的な意味での「フェアリー」 という言葉にはそぐわない……ように思えるかもしれない。
でも、わたしが思う「フェアリー」は、フェアリータイプとは関係ない。
2.5次元の存在。
マンガやアニメという2次元世界のヒーローたち。
わたしたちの生きる現実、3次元世界。
その中間に存在する、生身の人間だけど、意志を持って「夢の存在」であり続ける人。
夢と現実を混同する気はない。
現実は現実だと、痛いほど知っている。
だからこそ、「夢」を見る。愉しむ。
現実を理解していなければ、夢なんか見ない。
夢を愉しめるのは、意志と知性あってこそだ。
舞台の上で、縦横無尽に活躍するれおんくんに、わたしは「夢」を見る。
現実の足枷など吹き飛ばす、彼の存在に心躍る。
そんなに動いて踊って歌って走り回って、しんどいだろうな、大変だろうな、そこまでがんばらなくていいよ、サービスしてくれなくていいよ、十分だよ……そんな心配を「なんでもないこと」だとさらりと飛びこえてくれる……だって彼は、ふつうじゃないもの、「トップスター」だもの「柚希礼音」だもの……そう思わせてくれる、快感。
わたしの立つ地平から、さらりと彼が、持ち上げるの。
わたしがこだわり、しがみついているいろんなものから、彼がふわりと抱き上げてしまうの。
それだけが、すべてじゃないよと。
ほら、こんなに自由になれるんだよと。
わたしの身体は客席にいるけれど、心が、魂が、れおんくんによって、解き放たれる。
持ち上げて、放たれる。
宙に。
その、快感。
やっぱすげえ、柚希礼音!
彼をフェアリーだと思う。
そうやって、重い身体を地面に這わせているわたしを、飛ばせてしまうのだから。
飛んで見せてくれることによって。
わたしも気がついたら、飛んでるの。
一緒に。
ちくしょう、フェアリーめ。
すごいじゃないか。
たまらないじゃないか。
どこまで行くんだ。どこまでいくんだよ、ちえちゃん。
初日、2階席にいたわたしは、突然のれおんくん登場に、心から感動した。
よろこんだ。
上がった。
本公演なのに、ここまで来てくれた!
2階最前列にいたもんで、中央通路を通るれおんくんはとても遠かったけれど(笑)、振り返って彼の笑顔を眺め、めちゃくちゃしあわせだった。
ステージの上で神輿にまで乗っちゃうれおんくんに、「そこまでやるか!」と膝を打った。拍手した。
神輿を支え、うちわを振る、舞台の上の星組っこたちと気持ちをひとつに、心の中で歓声を上げた。
いや、もお、楽しかったよ。
鼻白む気持ちもある、だけど、一緒に盛り上がる気持ちも間違いなくある。
相反する感覚が、同時に存在する。それはほんとう。
楽しい。終わってしまう。今だけ。楽しい。寂しいけど、楽しい。
それを胸に刻みながら、「今」に酔う。
れおんくんに、星組に酔う。
ああ、おもしろいなあ。
タカラヅカ100年、1世紀かあ。
楽しいよ。
いろんな思いを抱きながら、今もまた、歴史の一部になる。
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