『黒豹の如く』を観終わって……というか、観ている最中からずっと感じていた、いちばんの感想は演出が中村Aでなくてよかった!!だった。

 これで演出が中村Aだったら、どうなっていたか。

 物語として成り立ってない基本からおかしい、おかしいけど破天荒ではなくひたすら地味で盛り上がらない脚本を、書いてあるままに忠実に、さらに平板で暗転てんこ盛りで退屈極まりない作品に仕上げたんだろうなあ。
 謝先生は柴田先生の意識の向かう先とはチガウ方向を見てる人だとは思うけど、同じとこ見て一緒に自滅する可能性大なんだから、別方向に盛り上げる意欲があるのは救いじゃないかな。
 とりあえず謝せんせのダンスはきれいで、ドラマチックだった。脚本にドラマがないので、ダンスや演出で盛り上げようと渾身の努力をしてくれたんだろうなあ。

 植爺もそうだけど、名前ばかりの巨匠様の作品に異を唱えられる人はいないのか。「ここ、おかしいですよ」と進言できる人はいないのか。
 先生様の玉稿には一切手出し無用畏れ多い!!……てなもんなのかな。

 や、柴田せんせの昔の作品は良いモノが多いし、わたしも大好きなモノがたくさんあるんだけど……今現在、駄作メーカーなのはたしか。謝せんせとのコンビ復活だからマシになるかと期待したんだけど無理だったか。

 中村Aと組んだ『霧のミラノ』よりはマシかなあ? 演出がひどいのは言うまでもないが、まず脚本自体ありえない出来だったもんな。駄作をそのまんま演出しました、そしたら目も当てられない駄作になりました、てな。
 でも『霧ミラ』は退団公演じゃなかったしな。ご贔屓が『霧ミラ』退団だったら成仏できんかったやろなあ。

 わたしはちえねねのガチファンではないので、ファンの気持ちはわからないけれど、『黒豹の如く』のちえねねって、ファンが見たいちえねねなのかな?
 作品が駄作でも話がぶっ壊れていても、退団するトップコンビのファンが「こんな〇〇さんが見たかった! 〇〇さんを眺めているだけでしあわせなので、話が壊れてるとかどうでもいい」と満足しているなら、いいのか。
 れおんくんはもちろんナニやってもカッコイイんだけど、「ナニをやってもカッコイイから、この役もカッコイイ」だけで、「この役だから、さらにカッコイイ」わけじゃない。
 どうせなら、「れおんくんだからこそカッコイイ」役とか、「今までよりさらにカッコイイ」役を、見たかったな。
 ストーリーがおかしいから、単体でカッコ良くても、結局カッコ良く見えないんだけど……わたしには。アホしか出て来ない物語じゃ、どうしようもないもんよ……。

 以前わたしは、「ある「クリエイター」の終焉。」という観劇感想を書いた。
 そのときは、パートナーさえ変わればあるいはまだ……、と思っていたけれど。
 もう、そんなレベルじゃないな。寂しいけどね。

 それでも未だに、「柴田先生は神、『黒豹の如く』がつまらないとしたら、それは神作品を表現しきれない出演者が悪い」「神作品をぶち壊す演出をした演出家が悪い」「高尚な作品を理解出来ない、低脳な観客が悪い」「真の名作を受け入れない、時代が悪い」ってことになるのかなー。
 柴田せんせ以外のすべてが悪い、ってことになるかしら。うふふあはは。

 ……ありそうでこわい(笑)。

コメント

日記内を検索