観ながらいろいろ考えた。@Bandito
2015年1月31日 タカラヅカ 『Bandito-義賊 サルヴァトーレ・ジュリアーノ-』を観ながら『NEVER SLEEP』を思い出したのは、ヴィトー@としくんの役が、『NEVER SLEEP』の七帆にオーバーラップしたためだ。
ああ、これが大野くんの萌えなんだなあ、と。
そしたらするするとわたしののーみそは、『ロシアン・ブルー』のヲヅキさんを引っ張り出す。
ああはいはい、ユーリさんですね、「革命が俺を裏切っても、俺は革命を裏切らない」ですねーー!!
過去に友人絡みの傷を持ち、スーツをびしりと隙なく着こなす無表情基本のクールガイ。
大野せんせの萌えの凝縮。何度も何度も何度も、同じシチュエーションのキャラを書き続ける。
ほんとのとこ、この役をじっくり書き込みたいんじゃないかなと思ってみたり。いやいや、あまり尺を割かないからこそのクールさなのかも、あえてそうしているのかも、と思ってみたり。
でも、思い入れのある役は、比重を大きくしていい場合の方が、作品的によくなるというか、萌えが大きくなっていいんじゃないかい?
タカラヅカには番手制度がある。大野くんが「萌えクール男をやらせたい」と思う生徒が2番手だったら問題はないんだけどね。
『NEVER SLEEP』の七帆、『Bandito』のとしくんは、この公演の2番手だから存分に「クールだぜ! 美形だぜ!! もうひとりの主人公だぜ!」とやれる。
でも、『ロシアン・ブルー』も『一夢庵風流記 前田慶次』も、萌え役をさせたい生徒は2番手じゃない、2番手は親友をさせたいキャラだから、萌え役は比重落とそう。
比重落としても、もともと思い入れのある役だから、出番少なくてもインパクト大、てな感じにはなる。それはそれで楽しいけれど、今回の『Bandito』みたいに、素直に2番手が萌え役やってる方が収まりがいいな。
と、いろいろ考えてしまうのは、大野せんせの嗜好のひとつのど真ん中を行く作品だなあ、と思ったせい。
主人公と、彼に惚れ込んでる親友、そしてもうひとりの主人公たる黒い役。この3つが基本設計。
んで、真の敵は別にいる。3人がそれぞれの立場で、最終的に真の敵と対峙することになる、てな。
直近だから『一夢庵風流記 前田慶次』を思い出すんだけど、せっかくの2番手が演じる親友役だったのに、ちぎくんはともみんとひとつの役割を分け合ってしまったから、いまいちおいしくなかったんだよなあ。
と、『Bandito』のまゆぽんを見て思う。
二枚目寄りなら『ロシアン・ブルー』のゆみこの役だし、三枚目寄りなら『Bandito』のまゆぽんの役。だけどちぎくんは、三枚目的なおいしさをともみんに取られ、その分比重が下がってゆみこにもなれず、ああいう役に落ち着いたんだなあ。
せっかく原作があるのに、オリキャラのともみん(親友)、まっつ(黒い役)に自分の萌えを託し、原作キャラの活躍を減らしたのはどうかと思うよ、創作姿勢として。
で、そのあと、自分のオリジナルで、『前田慶次』のフラストレーションを発散するべく、同じラインの話を、さらに欲望に忠実に爆発させてるのを見ると(笑)。
大野くん、ほんとヲタクだなあ、と。
まあそれはともかく。
たまきちが男っぽい持ち味のスターだから、より男っぽい物語を与えたくなるのはわかる。たまきちだから、というのもわかる。
でも。
わたしは今回、改めて思った。
大野せんせの男子ハートで書かれた作品ってさ、真ん中は、タカラヅカ的キラキラを持つスターでなくてはならないんじゃないかって。
本物の銃とか刀とかに凝るマジヲタ男の書く、「男が萌える男の話」っすよ。
これをそのままやってしまったら、タカラヅカ度が下がる。それこそ、公演ポスターが物語っているように。どこの石原裕次郎っていう。
今回と同じ物語、同じキャラクタを、たとえばあさこ様がやったらどうよ? 同じ衣装と髪型と小道具とポーズで同じポスター撮っても、「これこそタカラヅカだわ! かっこいい!」になったろう。
本編だって、どんだけ泥臭いモノを描いていたって、キラキラしたモノになったろう。
『NEVER SLEEP』だって、らんとむだったから、小洒落た作品になった。無骨にやられたらいくらでもハードさが上がったろうに、タカラヅカらしい甘さが前面に出た。
大野せんせの作品には、タカラヅカタカラヅカしたスターが真ん中に必要なんだと思う。
プロットの面白さとか骨太な演出とかは、真ん中がキラキラすることで化学反応を起こし、佳作へと発展するんだと思う。
『記者と皇帝』 が面白いプロットなのに、いまいちいい方向へ発展しなかったのも、真ん中の持ち味ゆえか。と、今頃気づく。
あんときは反対に、「座付きなら、みっちゃんをかっこよく見せる脚本を書くべき」と、主役目線で思ってたけど。
大野作品が、真ん中を選ぶんだわ。ヅカのど真ん中持ち味スターなら面白いことになる、そうでないと、作品の泥臭さに足を取られる。
や、作品自体は繊細なんだけど……でも、その繊細さって、戦車の設計図が細かいとか姫路城の設計図が細かいとか、そういう繊細さで。ガラス細工の繊細さとかクリームで出来たお花の繊細さじゃないっしょ。
男っぽいたまきちはいいんだけど……物語も硬質でいいんだけど……全体として感じるコレジャナイ感。
たまきちを真ん中にしてやるなら、コレジャナイ。この物語をやるなら、たまきちじゃない。
恋愛脳のキラキラ持ち味スターなら、これっぽっちの恋愛要素でも十分「大恋愛モノ!」の雰囲気を醸し出したろうし、骨太ストーリーでも石原裕次郎ではなく、少女マンガ的にまとまっただろう。
たまきちなら反対に、もっと真正面から恋愛やって、ロマンチックにした方が良かったと思う。そんだけやっても、彼の肉厚かつ誠実な持ち味は、甘ったるいだけの物語にはせず、地に足の付いた骨のある男の物語になったろうから。
面白い話だけれど、いろいろもったいないなあ、と思った。『Bandito』。
ああ、これが大野くんの萌えなんだなあ、と。
そしたらするするとわたしののーみそは、『ロシアン・ブルー』のヲヅキさんを引っ張り出す。
ああはいはい、ユーリさんですね、「革命が俺を裏切っても、俺は革命を裏切らない」ですねーー!!
過去に友人絡みの傷を持ち、スーツをびしりと隙なく着こなす無表情基本のクールガイ。
大野せんせの萌えの凝縮。何度も何度も何度も、同じシチュエーションのキャラを書き続ける。
ほんとのとこ、この役をじっくり書き込みたいんじゃないかなと思ってみたり。いやいや、あまり尺を割かないからこそのクールさなのかも、あえてそうしているのかも、と思ってみたり。
でも、思い入れのある役は、比重を大きくしていい場合の方が、作品的によくなるというか、萌えが大きくなっていいんじゃないかい?
タカラヅカには番手制度がある。大野くんが「萌えクール男をやらせたい」と思う生徒が2番手だったら問題はないんだけどね。
『NEVER SLEEP』の七帆、『Bandito』のとしくんは、この公演の2番手だから存分に「クールだぜ! 美形だぜ!! もうひとりの主人公だぜ!」とやれる。
でも、『ロシアン・ブルー』も『一夢庵風流記 前田慶次』も、萌え役をさせたい生徒は2番手じゃない、2番手は親友をさせたいキャラだから、萌え役は比重落とそう。
比重落としても、もともと思い入れのある役だから、出番少なくてもインパクト大、てな感じにはなる。それはそれで楽しいけれど、今回の『Bandito』みたいに、素直に2番手が萌え役やってる方が収まりがいいな。
と、いろいろ考えてしまうのは、大野せんせの嗜好のひとつのど真ん中を行く作品だなあ、と思ったせい。
主人公と、彼に惚れ込んでる親友、そしてもうひとりの主人公たる黒い役。この3つが基本設計。
んで、真の敵は別にいる。3人がそれぞれの立場で、最終的に真の敵と対峙することになる、てな。
直近だから『一夢庵風流記 前田慶次』を思い出すんだけど、せっかくの2番手が演じる親友役だったのに、ちぎくんはともみんとひとつの役割を分け合ってしまったから、いまいちおいしくなかったんだよなあ。
と、『Bandito』のまゆぽんを見て思う。
二枚目寄りなら『ロシアン・ブルー』のゆみこの役だし、三枚目寄りなら『Bandito』のまゆぽんの役。だけどちぎくんは、三枚目的なおいしさをともみんに取られ、その分比重が下がってゆみこにもなれず、ああいう役に落ち着いたんだなあ。
せっかく原作があるのに、オリキャラのともみん(親友)、まっつ(黒い役)に自分の萌えを託し、原作キャラの活躍を減らしたのはどうかと思うよ、創作姿勢として。
で、そのあと、自分のオリジナルで、『前田慶次』のフラストレーションを発散するべく、同じラインの話を、さらに欲望に忠実に爆発させてるのを見ると(笑)。
大野くん、ほんとヲタクだなあ、と。
まあそれはともかく。
たまきちが男っぽい持ち味のスターだから、より男っぽい物語を与えたくなるのはわかる。たまきちだから、というのもわかる。
でも。
わたしは今回、改めて思った。
大野せんせの男子ハートで書かれた作品ってさ、真ん中は、タカラヅカ的キラキラを持つスターでなくてはならないんじゃないかって。
本物の銃とか刀とかに凝るマジヲタ男の書く、「男が萌える男の話」っすよ。
これをそのままやってしまったら、タカラヅカ度が下がる。それこそ、公演ポスターが物語っているように。どこの石原裕次郎っていう。
今回と同じ物語、同じキャラクタを、たとえばあさこ様がやったらどうよ? 同じ衣装と髪型と小道具とポーズで同じポスター撮っても、「これこそタカラヅカだわ! かっこいい!」になったろう。
本編だって、どんだけ泥臭いモノを描いていたって、キラキラしたモノになったろう。
『NEVER SLEEP』だって、らんとむだったから、小洒落た作品になった。無骨にやられたらいくらでもハードさが上がったろうに、タカラヅカらしい甘さが前面に出た。
大野せんせの作品には、タカラヅカタカラヅカしたスターが真ん中に必要なんだと思う。
プロットの面白さとか骨太な演出とかは、真ん中がキラキラすることで化学反応を起こし、佳作へと発展するんだと思う。
『記者と皇帝』 が面白いプロットなのに、いまいちいい方向へ発展しなかったのも、真ん中の持ち味ゆえか。と、今頃気づく。
あんときは反対に、「座付きなら、みっちゃんをかっこよく見せる脚本を書くべき」と、主役目線で思ってたけど。
大野作品が、真ん中を選ぶんだわ。ヅカのど真ん中持ち味スターなら面白いことになる、そうでないと、作品の泥臭さに足を取られる。
や、作品自体は繊細なんだけど……でも、その繊細さって、戦車の設計図が細かいとか姫路城の設計図が細かいとか、そういう繊細さで。ガラス細工の繊細さとかクリームで出来たお花の繊細さじゃないっしょ。
男っぽいたまきちはいいんだけど……物語も硬質でいいんだけど……全体として感じるコレジャナイ感。
たまきちを真ん中にしてやるなら、コレジャナイ。この物語をやるなら、たまきちじゃない。
恋愛脳のキラキラ持ち味スターなら、これっぽっちの恋愛要素でも十分「大恋愛モノ!」の雰囲気を醸し出したろうし、骨太ストーリーでも石原裕次郎ではなく、少女マンガ的にまとまっただろう。
たまきちなら反対に、もっと真正面から恋愛やって、ロマンチックにした方が良かったと思う。そんだけやっても、彼の肉厚かつ誠実な持ち味は、甘ったるいだけの物語にはせず、地に足の付いた骨のある男の物語になったろうから。
面白い話だけれど、いろいろもったいないなあ、と思った。『Bandito』。
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