君の「声」が聴きたいんだ。@新人公演『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』
2015年1月21日 タカラヅカ 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』新人公演にて、もっともうまかったのは、間違いなく銭形警部@あすくんだ。
他の出演者と、段違いだったと思う。
格が違うというか。
さすが、あすくん。
客席も、もっともあすくんに対してアツく盛り上がっていた。実力正直、観客正直。
でも。
わたし、今回のあすくん、ダメだ。
最後の最後に、こんなにがっかりすることになるとは。
ずっとずっとあすくん好き好き言ってきて、新公主演出来なかったと肩を落とし劇団にぐちぐちこぼし、実はお茶会行ったこともありますテヘ、てな、ゆるいけどいちおーあすくんスキーであるわたしです。
あすくんは、すごかった。うまかった。
見事なまでに、アニメの銭形を、コピーしていた。
下睫毛描いて、顔もアニメに似せて。
声もアニメのだみ声。
動きや演技も、もちろんぬかりなく。
すごいよ。こんなに、アニメになりきるなんて。
でもさー。
アニメまんまになりきることに、なんの意味があるの?
わたしは、タカラヅカでアニメの銭形なんか、観たくなかったよ。
本役のともみんも大概だと思うけど、彼は技術的に高い人ではナイので、そこまでコピーしきることは出来ないのな。
でもあすくんは、やってしまう。出来てしまう。
うまいこと、器用なことはわかった。
でもわたし、そんなの求めてない。
最後の新公なんだよ。
あすくんの立場で、次に銀橋ソロもらえることが、いつあるだろうか。
わたしは、「久城あす」が観たかった。アニメの銭形ではなくて。
あすくんの、きれいな声が聴きたかった。
器用なあすくんは、最初から最後まで、「銭形の声」で喋り、「銭形の声」で歌った。
あすくんの声じゃない。
あすくんの、きれいで聞きやすい、聞き取りやすい男役声じゃない。
彼が7年間培ってきた、美しい芝居声でも、歌声でもなかった。
求められているのが「アニメのコピー」じゃないか、銭形の役割は原作ファンによろこんでもらうことであって、タカラヅカファン向けじゃナイ。むしろ、銭形がアニメまんまであるからこそ、タカラヅカとのコラボが際立つんだ……という意義は、よくわかってる。
わかっていて、なお、ってことだ。
あすくんなら、やってくれると思ってたんだ。
アニメコピーまんまの小柳タンの脚本でも、「タカラヅカ」として料理してくれるんじゃないかって。
だってあすくんには、それだけの実力がある。技術がある。
ビジョンがあったって、やる気があったって、それを実行出来るだけの技術がなけりゃ、空中分解だ。どんだけ素晴らしい演技プランを持ってたって、現実に表現出来なければ「ナイ」のと同じ。
あすくんなら、あのひどい「銭形」を「タカラヅカ」として表現してくれるんじゃないかと、勝手に期待してたんだよ……。
まさか、さらに「タカラヅカ」とは反対方向へ行くとは思ってなかったさ……。
脚本が「アンチ・タカラヅカ」だからなあ。
『ジャン・ルイ・ファージョン』の景子たんもそうだったし、古くは『ワルフザケ』のマサツカとか、『ベルばら』題材にする人って「アンチ」入るよなー。ヅカの『ベルばら』否定っていうかさ。みんなそれだけ植爺の『ベルばら』に疑問持ってるんだろうけど。
「タカラヅカ」を軽んじているというか、愛の薄い作りだから、描かれていることをそのままやると、「タカラヅカ」から離れてしまう。
あすくんが脚本の悪いところを加速させてしまったのが、わたしにはすごく残念。
……なーんてことを言っているのは、偏屈なわたしだけで、きっと世の中的にはあすくんの銭形は絶賛なんだと思う。
うまかったもの。
圧倒的に。
……東宝では役作り変えてくんないかなあ。
「あすくん」の銭形が観たい。
や、チケットないからもう観られないんだけど。
他の出演者と、段違いだったと思う。
格が違うというか。
さすが、あすくん。
客席も、もっともあすくんに対してアツく盛り上がっていた。実力正直、観客正直。
でも。
わたし、今回のあすくん、ダメだ。
最後の最後に、こんなにがっかりすることになるとは。
ずっとずっとあすくん好き好き言ってきて、新公主演出来なかったと肩を落とし劇団にぐちぐちこぼし、実はお茶会行ったこともありますテヘ、てな、ゆるいけどいちおーあすくんスキーであるわたしです。
あすくんは、すごかった。うまかった。
見事なまでに、アニメの銭形を、コピーしていた。
下睫毛描いて、顔もアニメに似せて。
声もアニメのだみ声。
動きや演技も、もちろんぬかりなく。
すごいよ。こんなに、アニメになりきるなんて。
でもさー。
アニメまんまになりきることに、なんの意味があるの?
わたしは、タカラヅカでアニメの銭形なんか、観たくなかったよ。
本役のともみんも大概だと思うけど、彼は技術的に高い人ではナイので、そこまでコピーしきることは出来ないのな。
でもあすくんは、やってしまう。出来てしまう。
うまいこと、器用なことはわかった。
でもわたし、そんなの求めてない。
最後の新公なんだよ。
あすくんの立場で、次に銀橋ソロもらえることが、いつあるだろうか。
わたしは、「久城あす」が観たかった。アニメの銭形ではなくて。
あすくんの、きれいな声が聴きたかった。
器用なあすくんは、最初から最後まで、「銭形の声」で喋り、「銭形の声」で歌った。
あすくんの声じゃない。
あすくんの、きれいで聞きやすい、聞き取りやすい男役声じゃない。
彼が7年間培ってきた、美しい芝居声でも、歌声でもなかった。
求められているのが「アニメのコピー」じゃないか、銭形の役割は原作ファンによろこんでもらうことであって、タカラヅカファン向けじゃナイ。むしろ、銭形がアニメまんまであるからこそ、タカラヅカとのコラボが際立つんだ……という意義は、よくわかってる。
わかっていて、なお、ってことだ。
あすくんなら、やってくれると思ってたんだ。
アニメコピーまんまの小柳タンの脚本でも、「タカラヅカ」として料理してくれるんじゃないかって。
だってあすくんには、それだけの実力がある。技術がある。
ビジョンがあったって、やる気があったって、それを実行出来るだけの技術がなけりゃ、空中分解だ。どんだけ素晴らしい演技プランを持ってたって、現実に表現出来なければ「ナイ」のと同じ。
あすくんなら、あのひどい「銭形」を「タカラヅカ」として表現してくれるんじゃないかと、勝手に期待してたんだよ……。
まさか、さらに「タカラヅカ」とは反対方向へ行くとは思ってなかったさ……。
脚本が「アンチ・タカラヅカ」だからなあ。
『ジャン・ルイ・ファージョン』の景子たんもそうだったし、古くは『ワルフザケ』のマサツカとか、『ベルばら』題材にする人って「アンチ」入るよなー。ヅカの『ベルばら』否定っていうかさ。みんなそれだけ植爺の『ベルばら』に疑問持ってるんだろうけど。
「タカラヅカ」を軽んじているというか、愛の薄い作りだから、描かれていることをそのままやると、「タカラヅカ」から離れてしまう。
あすくんが脚本の悪いところを加速させてしまったのが、わたしにはすごく残念。
……なーんてことを言っているのは、偏屈なわたしだけで、きっと世の中的にはあすくんの銭形は絶賛なんだと思う。
うまかったもの。
圧倒的に。
……東宝では役作り変えてくんないかなあ。
「あすくん」の銭形が観たい。
や、チケットないからもう観られないんだけど。
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