新しい世紀がはじまる。@ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―
2015年1月2日 タカラヅカ
4年ぶりの元旦からタカラヅカ。4年前もまた、雪組でした。
門の外にある巨大看板には、「宝塚歌劇、新世紀始まる。」とある。
100年で1世紀。
そうか、101周年ってことは、新しい世紀に入ったってことだ。今日から2世紀めか。
つくづくすごいなー。
大劇場は立見まで完売の大盛況。数年前には想像もつかない空気。100周年祭り以降、いい風が吹いてるのを肌で感じる。
新年からの盛り上がりは、1ファンとしてうれしい。
プログラムと、だいもんパソカレふたつめを買って座席へ。
なんでふたつめかというと、発売早々に売り切れただいもんカレンダー、重版分は雪組望海風斗、と誤植がこっそり直ってるのよ。グッズスキーとしては買っちゃうでしょ?(笑)
カレンダーなんて売り切り基本なのに、再版かかるなんてどんだけ売れたんだ。
もちろん、スター個々初版部数がチガウだろうけど、重要なのは「再版がかかる」という事実。劇団の予想よりも売れた、ということ。
トップスターと限られた人しか発売されないグッズって、劇団の思惑と現実の人気の差が、良くも悪くも、目に見えるカタチで現れる。
だいもんさんの売れっぷりは新生雪組の華のひとつ、これまた幸先いいねえ。
雪組のだいもんは、違和感ナイです、わたしには。
タカスペでも思ったけど、違和感なさ過ぎてウケる。彼の骨太さと確実な実力は、質実剛健な雪組のカラーと合っている。
だから安心して観劇出来た。
そして……やっぱり、だいもんがいてくれたおかげで、かなり平静に舞台を眺めることが出来た。
いつもの顔ぶれの中、「いない」舞台はつらい。
でも、顔ぶれが変わってしまっていれば、「いない」というより「別モノ」で、心穏やかだ。
もちろんさみしいけれど……危惧していたより、つらくない。
わたしの大好きな人はこの花園から去って行ってしまったけれど、この花園が今もこうして美しく輝いていること、それをうれしく思う。
せつない、だけど、うれしい。
こうして一歩下がって、穏やかに舞台を眺めていけたらいいなあ。
目指せライトなヅカファン。
だがしかーし。
作品的にはどうなのコレ(笑)。
ツッコミどころ満載ですが、キャストのファンなら楽しめる……の、かな?
『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』は、小柳タンの悪いところが出てしまったな、という印象。
や、面白いよ。面白いし、うまくまとめてはいるんだけど。
そうじゃなくてさ。
『Shall we ダンス?』のときも感じた、「タカラヅカ」への愛やこだわりの薄さを、さらに強く感じた。
別ジャンル作品を「ミュージカル化」することは出来ていても、「タカラヅカ化」出来てない印象。タカラヅカらしくないのは、原作に気を遣っている? でも、タカラヅカでやる以上、タカラヅカらしくするのは前提なんじゃ?
アントワネットやフランス革命を出してはいるけど、それだけでは「タカラヅカ化」じゃないんだよなあ。
アントワネットとフランス革命を使っているのは、「タカラヅカ化」ではなく、「タカラヅカファンへの甘え」だと思う。
ヅカファンは『ベルばら』ゆえにアントワネットとフランス革命を熟知している。だから、1から説明しなくていい。だから、説明しない。
って、ソレは制作姿勢としてチガウやろ。
じゃあ完全ヅカファン寄りなのかというと、そうでもない。
『ベルばら』に出て来るジャンヌや首飾り事件とは設定から違っている。
ハンパに史実設定、でもハンパに「『ベルばら』観てればわかるよね」設定。
どこが基板なの? 史実? 原作『ベルばら』? 植爺『ベルばら』?
てきとーにおいしいとこ取り?
『ベルばら』パロディでもいいんだけど、それなら元ネタは『ベルばら』のみにしてくれ。あっちもこっちもつまみ食いで作るのは、制作側の意識の低さに思える。だって、楽だもんね、なんでもありの方が。
ヅカファンに甘えて、ゆるい作り方をし、そのくせヅカを軽んじている。
それが、この作品の落ち着きの悪さ。
どんだけヅカファンに甘えていてもいい。「ヅカファンならわかるでしょ」と基本的な説明義務を放棄していても。
「ファンなら許してくれるでしょ」と隙だらけのゆるい作りでも。
そこに「タカラヅカ、好きだーー!!」という強い情熱があるならば。「タカラヅカでコレがやりたかったんだー!」「タカラヅカでなきゃダメなんだー!」という、こだわりや意気込みがあるなら。
でも小柳タン、そのへん、薄いよね。
結果、「え、タカラヅカでコレ求められてなくね?」という作品になった。
表面的には楽しくサービスたっぷりにまとめてあるから、面白いことは面白い。
キャストもがんばってアニメの台詞回しや動きを踏襲している。
でもコレ、「タカラヅカ」じゃないなー。
『Shall we ダンス?』で苦手だった部分が、またばーんとドヤ顔で差し出された感じ。
小柳タンはヲタクだけど、ヲトメ系じゃなく、ゲーム・アニメ系ヲタっぽいよなと、毎度思う。女子というより、男子ツボ寄り。たぶん、そこがニュートラルでいいところなんだとは思う。ヲトメ系のみだと思考が偏るから、それも含めてゲーム全般っぽいのは。
でも、ツボが男子寄り過ぎてアレレと思うことも、たびたびある。女性向けジャンルであるタカラヅカっぽくないなあ、と。
小柳タン、これ、ヅカでなくても上演可能ですよ? なんのためのタカラヅカですか?
でもまあ、楽しいからいいのかなー。
楽しいのはたしかだからなー。
でもこのまま、こういう作品ばっか続いたら嫌だなー。
宝塚歌劇、新世紀。新しいモノに挑戦していくのはいいのだけど、タカラヅカらしさも守って欲しい。
と、新年早々ちょい不安になる。
門の外にある巨大看板には、「宝塚歌劇、新世紀始まる。」とある。
100年で1世紀。
そうか、101周年ってことは、新しい世紀に入ったってことだ。今日から2世紀めか。
つくづくすごいなー。
大劇場は立見まで完売の大盛況。数年前には想像もつかない空気。100周年祭り以降、いい風が吹いてるのを肌で感じる。
新年からの盛り上がりは、1ファンとしてうれしい。
プログラムと、だいもんパソカレふたつめを買って座席へ。
なんでふたつめかというと、発売早々に売り切れただいもんカレンダー、重版分は雪組望海風斗、と誤植がこっそり直ってるのよ。グッズスキーとしては買っちゃうでしょ?(笑)
カレンダーなんて売り切り基本なのに、再版かかるなんてどんだけ売れたんだ。
もちろん、スター個々初版部数がチガウだろうけど、重要なのは「再版がかかる」という事実。劇団の予想よりも売れた、ということ。
トップスターと限られた人しか発売されないグッズって、劇団の思惑と現実の人気の差が、良くも悪くも、目に見えるカタチで現れる。
だいもんさんの売れっぷりは新生雪組の華のひとつ、これまた幸先いいねえ。
雪組のだいもんは、違和感ナイです、わたしには。
タカスペでも思ったけど、違和感なさ過ぎてウケる。彼の骨太さと確実な実力は、質実剛健な雪組のカラーと合っている。
だから安心して観劇出来た。
そして……やっぱり、だいもんがいてくれたおかげで、かなり平静に舞台を眺めることが出来た。
いつもの顔ぶれの中、「いない」舞台はつらい。
でも、顔ぶれが変わってしまっていれば、「いない」というより「別モノ」で、心穏やかだ。
もちろんさみしいけれど……危惧していたより、つらくない。
わたしの大好きな人はこの花園から去って行ってしまったけれど、この花園が今もこうして美しく輝いていること、それをうれしく思う。
せつない、だけど、うれしい。
こうして一歩下がって、穏やかに舞台を眺めていけたらいいなあ。
目指せライトなヅカファン。
だがしかーし。
作品的にはどうなのコレ(笑)。
ツッコミどころ満載ですが、キャストのファンなら楽しめる……の、かな?
『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』は、小柳タンの悪いところが出てしまったな、という印象。
や、面白いよ。面白いし、うまくまとめてはいるんだけど。
そうじゃなくてさ。
『Shall we ダンス?』のときも感じた、「タカラヅカ」への愛やこだわりの薄さを、さらに強く感じた。
別ジャンル作品を「ミュージカル化」することは出来ていても、「タカラヅカ化」出来てない印象。タカラヅカらしくないのは、原作に気を遣っている? でも、タカラヅカでやる以上、タカラヅカらしくするのは前提なんじゃ?
アントワネットやフランス革命を出してはいるけど、それだけでは「タカラヅカ化」じゃないんだよなあ。
アントワネットとフランス革命を使っているのは、「タカラヅカ化」ではなく、「タカラヅカファンへの甘え」だと思う。
ヅカファンは『ベルばら』ゆえにアントワネットとフランス革命を熟知している。だから、1から説明しなくていい。だから、説明しない。
って、ソレは制作姿勢としてチガウやろ。
じゃあ完全ヅカファン寄りなのかというと、そうでもない。
『ベルばら』に出て来るジャンヌや首飾り事件とは設定から違っている。
ハンパに史実設定、でもハンパに「『ベルばら』観てればわかるよね」設定。
どこが基板なの? 史実? 原作『ベルばら』? 植爺『ベルばら』?
てきとーにおいしいとこ取り?
『ベルばら』パロディでもいいんだけど、それなら元ネタは『ベルばら』のみにしてくれ。あっちもこっちもつまみ食いで作るのは、制作側の意識の低さに思える。だって、楽だもんね、なんでもありの方が。
ヅカファンに甘えて、ゆるい作り方をし、そのくせヅカを軽んじている。
それが、この作品の落ち着きの悪さ。
どんだけヅカファンに甘えていてもいい。「ヅカファンならわかるでしょ」と基本的な説明義務を放棄していても。
「ファンなら許してくれるでしょ」と隙だらけのゆるい作りでも。
そこに「タカラヅカ、好きだーー!!」という強い情熱があるならば。「タカラヅカでコレがやりたかったんだー!」「タカラヅカでなきゃダメなんだー!」という、こだわりや意気込みがあるなら。
でも小柳タン、そのへん、薄いよね。
結果、「え、タカラヅカでコレ求められてなくね?」という作品になった。
表面的には楽しくサービスたっぷりにまとめてあるから、面白いことは面白い。
キャストもがんばってアニメの台詞回しや動きを踏襲している。
でもコレ、「タカラヅカ」じゃないなー。
『Shall we ダンス?』で苦手だった部分が、またばーんとドヤ顔で差し出された感じ。
小柳タンはヲタクだけど、ヲトメ系じゃなく、ゲーム・アニメ系ヲタっぽいよなと、毎度思う。女子というより、男子ツボ寄り。たぶん、そこがニュートラルでいいところなんだとは思う。ヲトメ系のみだと思考が偏るから、それも含めてゲーム全般っぽいのは。
でも、ツボが男子寄り過ぎてアレレと思うことも、たびたびある。女性向けジャンルであるタカラヅカっぽくないなあ、と。
小柳タン、これ、ヅカでなくても上演可能ですよ? なんのためのタカラヅカですか?
でもまあ、楽しいからいいのかなー。
楽しいのはたしかだからなー。
でもこのまま、こういう作品ばっか続いたら嫌だなー。
宝塚歌劇、新世紀。新しいモノに挑戦していくのはいいのだけど、タカラヅカらしさも守って欲しい。
と、新年早々ちょい不安になる。
コメント