新しい世紀がはじまる。@ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―
新しい世紀がはじまる。@ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―
 4年ぶりの元旦からタカラヅカ。4年前もまた、雪組でした。

 門の外にある巨大看板には、「宝塚歌劇、新世紀始まる。」とある。

 100年で1世紀。
 そうか、101周年ってことは、新しい世紀に入ったってことだ。今日から2世紀めか。
 つくづくすごいなー。

 大劇場は立見まで完売の大盛況。数年前には想像もつかない空気。100周年祭り以降、いい風が吹いてるのを肌で感じる。
 新年からの盛り上がりは、1ファンとしてうれしい。

 プログラムと、だいもんパソカレふたつめを買って座席へ。
 なんでふたつめかというと、発売早々に売り切れただいもんカレンダー、重版分は雪組望海風斗、と誤植がこっそり直ってるのよ。グッズスキーとしては買っちゃうでしょ?(笑)
 カレンダーなんて売り切り基本なのに、再版かかるなんてどんだけ売れたんだ。
 もちろん、スター個々初版部数がチガウだろうけど、重要なのは「再版がかかる」という事実。劇団の予想よりも売れた、ということ。
 トップスターと限られた人しか発売されないグッズって、劇団の思惑と現実の人気の差が、良くも悪くも、目に見えるカタチで現れる。
 だいもんさんの売れっぷりは新生雪組の華のひとつ、これまた幸先いいねえ。

 雪組のだいもんは、違和感ナイです、わたしには。
 タカスペでも思ったけど、違和感なさ過ぎてウケる。彼の骨太さと確実な実力は、質実剛健な雪組のカラーと合っている。
 だから安心して観劇出来た。
 そして……やっぱり、だいもんがいてくれたおかげで、かなり平静に舞台を眺めることが出来た。

 いつもの顔ぶれの中、「いない」舞台はつらい。
 でも、顔ぶれが変わってしまっていれば、「いない」というより「別モノ」で、心穏やかだ。
 もちろんさみしいけれど……危惧していたより、つらくない。
 わたしの大好きな人はこの花園から去って行ってしまったけれど、この花園が今もこうして美しく輝いていること、それをうれしく思う。

 せつない、だけど、うれしい。

 こうして一歩下がって、穏やかに舞台を眺めていけたらいいなあ。
 目指せライトなヅカファン。

 だがしかーし。
 作品的にはどうなのコレ(笑)。
 ツッコミどころ満載ですが、キャストのファンなら楽しめる……の、かな?

 『ルパン三世―王妃の首飾りを追え!―』は、小柳タンの悪いところが出てしまったな、という印象。
 や、面白いよ。面白いし、うまくまとめてはいるんだけど。
 そうじゃなくてさ。
 『Shall we ダンス?』のときも感じた、「タカラヅカ」への愛やこだわりの薄さを、さらに強く感じた。
 別ジャンル作品を「ミュージカル化」することは出来ていても、「タカラヅカ化」出来てない印象。タカラヅカらしくないのは、原作に気を遣っている? でも、タカラヅカでやる以上、タカラヅカらしくするのは前提なんじゃ?
 アントワネットやフランス革命を出してはいるけど、それだけでは「タカラヅカ化」じゃないんだよなあ。

 アントワネットとフランス革命を使っているのは、「タカラヅカ化」ではなく、「タカラヅカファンへの甘え」だと思う。

 ヅカファンは『ベルばら』ゆえにアントワネットとフランス革命を熟知している。だから、1から説明しなくていい。だから、説明しない。
 って、ソレは制作姿勢としてチガウやろ。
 じゃあ完全ヅカファン寄りなのかというと、そうでもない。
 『ベルばら』に出て来るジャンヌや首飾り事件とは設定から違っている。
 ハンパに史実設定、でもハンパに「『ベルばら』観てればわかるよね」設定。
 どこが基板なの? 史実? 原作『ベルばら』? 植爺『ベルばら』?
 てきとーにおいしいとこ取り?
 『ベルばら』パロディでもいいんだけど、それなら元ネタは『ベルばら』のみにしてくれ。あっちもこっちもつまみ食いで作るのは、制作側の意識の低さに思える。だって、楽だもんね、なんでもありの方が。
 ヅカファンに甘えて、ゆるい作り方をし、そのくせヅカを軽んじている。
 それが、この作品の落ち着きの悪さ。

 どんだけヅカファンに甘えていてもいい。「ヅカファンならわかるでしょ」と基本的な説明義務を放棄していても。
 「ファンなら許してくれるでしょ」と隙だらけのゆるい作りでも。
 そこに「タカラヅカ、好きだーー!!」という強い情熱があるならば。「タカラヅカでコレがやりたかったんだー!」「タカラヅカでなきゃダメなんだー!」という、こだわりや意気込みがあるなら。
 でも小柳タン、そのへん、薄いよね。

 結果、「え、タカラヅカでコレ求められてなくね?」という作品になった。

 表面的には楽しくサービスたっぷりにまとめてあるから、面白いことは面白い。
 キャストもがんばってアニメの台詞回しや動きを踏襲している。
 でもコレ、「タカラヅカ」じゃないなー。
 『Shall we ダンス?』で苦手だった部分が、またばーんとドヤ顔で差し出された感じ。

 小柳タンはヲタクだけど、ヲトメ系じゃなく、ゲーム・アニメ系ヲタっぽいよなと、毎度思う。女子というより、男子ツボ寄り。たぶん、そこがニュートラルでいいところなんだとは思う。ヲトメ系のみだと思考が偏るから、それも含めてゲーム全般っぽいのは。
 でも、ツボが男子寄り過ぎてアレレと思うことも、たびたびある。女性向けジャンルであるタカラヅカっぽくないなあ、と。

 小柳タン、これ、ヅカでなくても上演可能ですよ? なんのためのタカラヅカですか?

 でもまあ、楽しいからいいのかなー。
 楽しいのはたしかだからなー。

 でもこのまま、こういう作品ばっか続いたら嫌だなー。
 宝塚歌劇、新世紀。新しいモノに挑戦していくのはいいのだけど、タカラヅカらしさも守って欲しい。

 と、新年早々ちょい不安になる。

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