君に、夢を見ていた。@テルキタとわたし。
2014年12月17日 タカラヅカ サヨナラショーが観たくて、前楽の当日券抽選に並びに行った。
並んだ人数は500人ほど。
わたしは前楽抽選にだけは強いので、無事アタリを引いて座席に坐ることが出来た。
数日前に観たとき、絶望投げやりになっていたグスタフ@かなめくんも、阿呆度が上がっていたヤコブ@ヲヅキさんも持ち直してた。方向性は変わってないんだけど、前回観たときほど極端じゃなかった。
そこはほっとしたけれど……好みじゃないのは同じ。
それでも、長年楽しませてくれたテルキタを観納める、明日の千秋楽も当日券抽選に並ぼうとは思っているけど、楽はまず当たるとは思えないので(わたしのくじ運は前楽限定ですから!)今日が最後なんだと感慨深く眺めた。
そして、いよいよサヨナラショー。
泣く準備は出来てるぜ、感動する準備は出来てるぜ! てな気分で臨んだ。
『凰稀かなめサヨナラショー』を観て、わたしは考えさせられた。
わたしにとって、テルキタとはなんなのか。
もともと、テルキタは好き。
わたしは雪組ファンで、雪のツインタワーだったテルキタを愛でて来た。美貌のかなめくんと、個性のヲヅキさん。
『ドリーム・キングダム』の黒鳥たち。スレンダー美女かなめくんと、巨乳ボンバーなヲヅキが並んで踊る迫力。単体でもステキだけど、ふたり揃うと破壊力倍増。
わたしはもともとヲヅキ好きだったけど、2006年の『ベルばら』祭りで新公&全ツのアラン役でハートを打ち抜かれ、ときめき対象に。
好きなジェンヌはいっぱいいるけど、ヲトメ心を刺激するときめきをくれる人は数少ない。それまではわりと「いじり甲斐がある」という意味で愛でていたヲヅキさんに、マジに落ちた。
新公主演して欲しい、バウ主演して欲しい、真ん中に立つヲヅキが観たい……そう切望した時期はあったけれど、脇で舞台を支えることに専念する姿を観て、「役者」として彼を好きなのだと再確認。
また、近年の役付の良さ……というか、おかしさに、真ん中に立つ人ではないんだということも、思い知った。彼は助演だから光る人だ。悪い意味じゃない、適材適所の話。
かなめくんには、ダーリン的ときめきを持ったことはない。が、なにしろ彼は美しく、ときどきとてもツボにジャストミートする芝居をしてくれる。ヘタレ男スキーで悲恋スキーなわたしは、かなめくんの持つ「負」の部分に惹かれる。萌えを感じるジェンヌのひとり。
そして、かなめくんにはいつも「もどかしさ」を感じていた。
まだもっと出来るはず、今は足りていないけれど、これ以上の力があるはず……それを期待させる存在。
かなめくんにはずっと、そういう感覚を持っていた。
ポテンシャルに期待出来る、というのも、「生きている夢」=フェアリーであるところのタカラジェンヌの特性か。
さすがに、この学年になり、この立場になれば、見方も違ってくるけれど。
しないんじゃなくて出来なかったのかとか、現実が見えたりもするんだけど。
芝居あんまうまくないよねとか出来る役が限られているよねとか、歌唱力とかダンス力とか以前に、ショーの真ん中で舞台を制する力が弱いよねとか。下級生だからとか経験不足だからとかじゃ、なかったんだ……と。
それでも、長年眺めて来た愛着は積み重なっているわけで、出来なくてもそれはそれ、ないものねだりよりあるものを愛でるからいいよ、という。
まあそんな位置。
愛着あるからいいんだ。不満や愚痴はこぼすけど、それによっての否定はない。不満ごとまるっと「そーゆーもん」と思っている。完璧なものが欲しいわけじゃないから。
テルキタに関しては、そんな感じ。
宙組でもテルキタがテルキタで、仲良く重要な役をやったりしてくれるのは、楽しいしうれしい。
が。
わたしは古いヅカヲタなので、タカラヅカの伝統、ピラミッドにこだわりを持っている。
番手制度に則った上で、テルキタを展開させてくれること。それが望み。
つまり、トップコンビがラブラブで、2番手がおいしくて、若手たちも充実していて、その上で、「おっ、あそこは実はテルキタだなー、おいしいなー」とにやりとさせくれる。あからさまでも押しつけがましくもない、「テルキタスキー」にはわかる、という。
オレだけがわかっている、的な部分をくすぐるような。
そんなニクい使い方。
お披露目の『銀河英雄伝説』は、いい温度感だったんだ。
宿命のライバル同士、てのは。
2番手役はキルヒアイス、トップスター演じるラインハルトとの友情、キルヒの死で終幕。色悪でおいしいオーベルシュタイン、美形揃い踏みの幕僚たち。
その上で、敵パートにいるヤンの存在の大きさ。
このラインをMAXにしておけば、よかったのになあ。あくまでも、ここが上限。
なのにそのあとは、おかしなことになっていった。
芝居でもショーでも、かなめくんの女房役がヲヅキだったり。
トップ娘役無視、2番手と役替わり。「タカラヅカ」の枠組みを無視した配役、立ち位置。
テルキタスキーだけど、これはチガウ、こんなの望んでない。
どうしてこうなった。
「タカラヅカ」のタカラヅカらしさを支持しているため、かなめくん時代の宙組を、とてもいびつだと思う。
でも、テルキタスキーなので、「変だ!」と言いつつ、観るよ、観るともさ。
……てのが、わたしの立ち位置のゆるさ。
タカラヅカのピラミッド重視を言うくせに、テルキタ舞台を観てるんだもの。「もう観ない! ぷん!」とかにはならないんだもの。
好きなコンビがいちゃくらしてるの、楽しいもん。
ダブスタ上等、文句言いつつ楽しみます。『白夜の誓い』も『PHOENIX宝塚!!』も楽しいよー。きれいだよー。
まあそんな感じで、愚痴と言い訳にまみれつつ、観劇していたわけです。
それを。
砕かれたのが、『凰稀かなめサヨナラショー』だった、と。
並んだ人数は500人ほど。
わたしは前楽抽選にだけは強いので、無事アタリを引いて座席に坐ることが出来た。
数日前に観たとき、絶望投げやりになっていたグスタフ@かなめくんも、阿呆度が上がっていたヤコブ@ヲヅキさんも持ち直してた。方向性は変わってないんだけど、前回観たときほど極端じゃなかった。
そこはほっとしたけれど……好みじゃないのは同じ。
それでも、長年楽しませてくれたテルキタを観納める、明日の千秋楽も当日券抽選に並ぼうとは思っているけど、楽はまず当たるとは思えないので(わたしのくじ運は前楽限定ですから!)今日が最後なんだと感慨深く眺めた。
そして、いよいよサヨナラショー。
泣く準備は出来てるぜ、感動する準備は出来てるぜ! てな気分で臨んだ。
『凰稀かなめサヨナラショー』を観て、わたしは考えさせられた。
わたしにとって、テルキタとはなんなのか。
もともと、テルキタは好き。
わたしは雪組ファンで、雪のツインタワーだったテルキタを愛でて来た。美貌のかなめくんと、個性のヲヅキさん。
『ドリーム・キングダム』の黒鳥たち。スレンダー美女かなめくんと、巨乳ボンバーなヲヅキが並んで踊る迫力。単体でもステキだけど、ふたり揃うと破壊力倍増。
わたしはもともとヲヅキ好きだったけど、2006年の『ベルばら』祭りで新公&全ツのアラン役でハートを打ち抜かれ、ときめき対象に。
好きなジェンヌはいっぱいいるけど、ヲトメ心を刺激するときめきをくれる人は数少ない。それまではわりと「いじり甲斐がある」という意味で愛でていたヲヅキさんに、マジに落ちた。
新公主演して欲しい、バウ主演して欲しい、真ん中に立つヲヅキが観たい……そう切望した時期はあったけれど、脇で舞台を支えることに専念する姿を観て、「役者」として彼を好きなのだと再確認。
また、近年の役付の良さ……というか、おかしさに、真ん中に立つ人ではないんだということも、思い知った。彼は助演だから光る人だ。悪い意味じゃない、適材適所の話。
かなめくんには、ダーリン的ときめきを持ったことはない。が、なにしろ彼は美しく、ときどきとてもツボにジャストミートする芝居をしてくれる。ヘタレ男スキーで悲恋スキーなわたしは、かなめくんの持つ「負」の部分に惹かれる。萌えを感じるジェンヌのひとり。
そして、かなめくんにはいつも「もどかしさ」を感じていた。
まだもっと出来るはず、今は足りていないけれど、これ以上の力があるはず……それを期待させる存在。
かなめくんにはずっと、そういう感覚を持っていた。
ポテンシャルに期待出来る、というのも、「生きている夢」=フェアリーであるところのタカラジェンヌの特性か。
さすがに、この学年になり、この立場になれば、見方も違ってくるけれど。
しないんじゃなくて出来なかったのかとか、現実が見えたりもするんだけど。
芝居あんまうまくないよねとか出来る役が限られているよねとか、歌唱力とかダンス力とか以前に、ショーの真ん中で舞台を制する力が弱いよねとか。下級生だからとか経験不足だからとかじゃ、なかったんだ……と。
それでも、長年眺めて来た愛着は積み重なっているわけで、出来なくてもそれはそれ、ないものねだりよりあるものを愛でるからいいよ、という。
まあそんな位置。
愛着あるからいいんだ。不満や愚痴はこぼすけど、それによっての否定はない。不満ごとまるっと「そーゆーもん」と思っている。完璧なものが欲しいわけじゃないから。
テルキタに関しては、そんな感じ。
宙組でもテルキタがテルキタで、仲良く重要な役をやったりしてくれるのは、楽しいしうれしい。
が。
わたしは古いヅカヲタなので、タカラヅカの伝統、ピラミッドにこだわりを持っている。
番手制度に則った上で、テルキタを展開させてくれること。それが望み。
つまり、トップコンビがラブラブで、2番手がおいしくて、若手たちも充実していて、その上で、「おっ、あそこは実はテルキタだなー、おいしいなー」とにやりとさせくれる。あからさまでも押しつけがましくもない、「テルキタスキー」にはわかる、という。
オレだけがわかっている、的な部分をくすぐるような。
そんなニクい使い方。
お披露目の『銀河英雄伝説』は、いい温度感だったんだ。
宿命のライバル同士、てのは。
2番手役はキルヒアイス、トップスター演じるラインハルトとの友情、キルヒの死で終幕。色悪でおいしいオーベルシュタイン、美形揃い踏みの幕僚たち。
その上で、敵パートにいるヤンの存在の大きさ。
このラインをMAXにしておけば、よかったのになあ。あくまでも、ここが上限。
なのにそのあとは、おかしなことになっていった。
芝居でもショーでも、かなめくんの女房役がヲヅキだったり。
トップ娘役無視、2番手と役替わり。「タカラヅカ」の枠組みを無視した配役、立ち位置。
テルキタスキーだけど、これはチガウ、こんなの望んでない。
どうしてこうなった。
「タカラヅカ」のタカラヅカらしさを支持しているため、かなめくん時代の宙組を、とてもいびつだと思う。
でも、テルキタスキーなので、「変だ!」と言いつつ、観るよ、観るともさ。
……てのが、わたしの立ち位置のゆるさ。
タカラヅカのピラミッド重視を言うくせに、テルキタ舞台を観てるんだもの。「もう観ない! ぷん!」とかにはならないんだもの。
好きなコンビがいちゃくらしてるの、楽しいもん。
ダブスタ上等、文句言いつつ楽しみます。『白夜の誓い』も『PHOENIX宝塚!!』も楽しいよー。きれいだよー。
まあそんな感じで、愚痴と言い訳にまみれつつ、観劇していたわけです。
それを。
砕かれたのが、『凰稀かなめサヨナラショー』だった、と。
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