グスタフ@かなめくんがアホの子に見える……のは、たぶん、意図したモノではないんだろう。
 原田くんは、グスタフを聡明な青年、文武に秀でた素晴らしい王と描くつもりだったのだろう。
 なのに、アホの子に見えてしまう。聡明で誠実なはずのグスタフを理解せず、暴挙に走るヤコブ@ヲヅキの方が正しく見えてしまう。
 悪いのは脚本、だけど、役者たちはその足りない脚本でもなんとか正しい方向へ物語を軌道修正しようと努力する。
 アホの子グスタフ。常識人ヤコブ。
 コレをひっくり返すには、どうすればいい?

 グスタフがアタマ弱いのは脚本に書かれているため、動かしようがない。
 ならば、ヤコブを、グスタフよりさらにアホにすればいい。

 グスタフを賢くカッコ良くするのではなく、周囲を彼よりアホにかっこ悪くする。
 そうすることで、「**よりは、グスタフの方がマシ」にする。

 方法としては、合っている。

 100点満点のテストで5点しか取れない学力の子を、なんとか「いちばん賢い」ということにしなきゃいけなかったら、他全員が4点以下を取るしかないよね? みんなでがんばって4点以下になるように示し合わせて「**ちゃんすごーい、5点も取るなんてアタマいいー」「かっこいー、ステキー」と持ち上げる。
 うん、間違ってない、正しい。みんなが4点以下なら、5点の子がいちばん賢いよね、1位だよね。

 グスタフがアホなのは単なる事実。アホゆえに、ちっともかっこよく見えない。
 それなら、他のキャラを全員アホにしよう! そうすれば、グスタフを「マシ」と思ってもらえる!!

 あってる。
 間違ってない。
 でも。

 それ、誰もしあわせにならない解決法!!


 脚本を超えて、板の上の役者たちが物語を深める、走らせる、進化させていくのは、生の舞台のおもしろいところ。
 『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』もまた、脚本がアレレにも関わらず、あるいはアレレだからこそ、キャストがきっといっぱいがんばって、変化させているのだと思う。
 最終週に観たときは、グスタフとヤコブの芝居が変わっていた。

 グスタフは絶望しているのか投げやりな人になっていて、「え、王様がソレじゃいかんやろ??」とわたしを混乱させた。
 それに対するヤコブも芝居を変えてきていて。
 そのヤコブの芝居は、かなしいかなわたしの好みとは掛け離れていた……。

 ヤコブさんが、浅慮で暴力的な男になってた……。


 ヲヅキが誠実に心の動きを表現していたヤコブさん。信念を持って生きているのがわかるため、彼がグスタフの考えを否定するのも、とても説得力があった。
 ヤコブの助言にお花畑な感情論や理想論で返すグスタフこそが、間違っているように見えた。

 ……んですよ、当初は。
 なのに。
 ヤコブがキレやすい暴力男になっている!
 まともなことを言ってるんじゃない、考えがあって言ってるんじゃない、ただの暴力男、自分の領域を侵されるのが嫌なだけの自己中な男、かっこ悪い男……そういう演技になってる!!

 ひーどーいー……。

 他に方法がないのはわかるれど。
 前述の通り、5点の子を1位にするためには、いっそ0点取ってあげるしかないんだ。わかるよ。わかるけど。

 誠実な常識人ヤコブが好きだっただけに、この変更は悲しい。

 ヤコブがひどい男になった分だけ、グスタフもマシに見えるけど……主人公(トップスター)とその親友(作品内での2番手スター)が、どちらもみっともない人(役)って、どうなの。

 タカラヅカはカッコ良くてナンボっす。
 なんで主役をマシにするために、周囲を下げて焼け野原にしなきゃなんないの?
 主役をかっこよくする、ただそれだけでいいのに。
 周りもみんなステキ、カッコイイ、そんな素晴らしい人たちの中で、さらにいちばん輝いているからこそ主役は名実ともにステキ。……そーゆーもんじゃないの?

 見せ場であるはずのグスタフとヤコブの言い争いなんか、「え、両方ともバカ過ぎるんだけど??」と、アタマ抱えますよ? こんなのが国を動かす中枢にいる国もうダメっしょ。

 なんか、負の連鎖に陥ってないか……?

 すっごくしょぼーんだ……。
 テルさんはやさぐれて投げやりだし、ヲヅキさんは勝手にキレてるし。
 なんかもう……。
 この芝居、どうなんの? どうするの?


 脚本がアレだから、なんとかしようとジェンヌががんばった結果なわけで、方法論としては間違ってないんだけど。

 納得いかねーーー。

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