だから、かんきのうた。@1万人の第九
2014年12月7日 その他 受講が義務付けされているレッスン、わたしは今年、木村先生のクラスだった。
木村先生久しぶり、つかわたし、木村せんせがいちばん好きなのね、よーし今年はいつも以上にがんばるぞと、配布された印刷物に目をやった。いつもの注意事項書類の他に、カードが1枚。
「歓喜の歌を作詞しよう」かなんか、そんな企画のお知らせ。「第九」のいちばん有名なフレーズを使って替え歌を募集する企画だった。
あなたの今年1年のいちばんのしあわせを歌にしよう!てな。
歓喜。
それを考えると、目の前が真っ暗になって、泣けてきた。
歓喜することなんて、なんもないわー。つらいわー。どん底だわー。
せっかくの木村せんせのレッスンなのに、心が浮き立たない。
ふだんはののほほんと生きているし、なにも毎日泣き暮らしているわけじゃないんだけど、「歓喜」というテーマと向き合うと、自分がどれだけどん底にいるかを突きつけられる。
歓喜、歓喜、よろこびの歌……一生懸命考える、よろこびってなに、しあわせってなに。
歓喜を思えば思うほど、絶望ばかりが広がる。
こんなわたしが「歓喜」を歌って、なんの意味があるだろう。
答えはないまま、レッスンに通った。
教え方のうまさなどは、たぶんどの先生も同じくらいなのだと思う。だからあとは自分に合うかどうか。好みの問題。
わたしは、クラシックなんてカケラもわかっていない無教養な人間で、何年『1万人の第九』に参加したところで、ベートーヴェンも第九もちっとも理解していない。
ただ。
木村先生の語るベートーヴェンを、魅力的だと思う。
人間臭いというか、ツッコミどころいろいろというか……聞いていると、愛しくなる。
天才だとか偉大な作品云々もさることながら、ただもう、ベートーヴェンという人物に、会いたくなる。
ベートーヴェンと、彼の作った「第九」を好きになる。
だから、木村せんせのレッスンが好きなんだよなあ。
せんせ自身が、ベートーヴェンと第九を大好きなのが伝わってくる。
ソレを好きな人が「好きだー!」と語るのを聞くのは、気持ちいい。
プラスの気持ちをプラスの言葉で語る、そのオーラを浴びるのは心地いい。
マイナスの思いばかりでどよーんとしているわたしを、やわらかく癒してくれる。
「耳も聞こえなくなってるのにね。なのにね、作ってるのが『歓喜の歌』なんですよ……いったい、どんな想いで」
いったい、どんな想いで。
「歓喜」を思うと苦しい。
よろこびってなに。しあわせってなに。
闇ばかり。苦しみ、哀しみばかり。つらいつらいつらい。
だけど。
だから。
かんきのうた。
闇の中だからこそ、泥の中だからこそ。
光が、愛しい。
光を、乞う。
光を、恋う。
レッスン最終日、全部終わって挨拶も済んで、みんなバタバタと席を立つ、その雑音だらけの中で。
帰り支度に忙しい、もう先生の声なんかろくに聞いてない生徒たちへ、先生が早口に言う……教室を出るまでに、と。
「この星に生まれてよかった。
ベートーヴェンと出会えて。
こんなに素晴らしい音楽を知れて。
どうか存分に、感動を味わってください」
うん。
わたしは、うなずいた。広い教室の隅っこにて。
そして、広い広い大阪城ホールの隅っこにて。
2014年12月7日、『サントリー1万人の第九』本番。
絶望は未だわたしを浸食していて、離してくれそうにない。
「歓喜の歌」は作れそうにない。
だけどわたしは「歓喜の歌」に感動する。
この星に生まれてよかったと思う。
だからわたしは、第九を歌う。
わたしは、しあわせだ。
木村先生久しぶり、つかわたし、木村せんせがいちばん好きなのね、よーし今年はいつも以上にがんばるぞと、配布された印刷物に目をやった。いつもの注意事項書類の他に、カードが1枚。
「歓喜の歌を作詞しよう」かなんか、そんな企画のお知らせ。「第九」のいちばん有名なフレーズを使って替え歌を募集する企画だった。
あなたの今年1年のいちばんのしあわせを歌にしよう!てな。
歓喜。
それを考えると、目の前が真っ暗になって、泣けてきた。
歓喜することなんて、なんもないわー。つらいわー。どん底だわー。
せっかくの木村せんせのレッスンなのに、心が浮き立たない。
ふだんはののほほんと生きているし、なにも毎日泣き暮らしているわけじゃないんだけど、「歓喜」というテーマと向き合うと、自分がどれだけどん底にいるかを突きつけられる。
歓喜、歓喜、よろこびの歌……一生懸命考える、よろこびってなに、しあわせってなに。
歓喜を思えば思うほど、絶望ばかりが広がる。
こんなわたしが「歓喜」を歌って、なんの意味があるだろう。
答えはないまま、レッスンに通った。
教え方のうまさなどは、たぶんどの先生も同じくらいなのだと思う。だからあとは自分に合うかどうか。好みの問題。
わたしは、クラシックなんてカケラもわかっていない無教養な人間で、何年『1万人の第九』に参加したところで、ベートーヴェンも第九もちっとも理解していない。
ただ。
木村先生の語るベートーヴェンを、魅力的だと思う。
人間臭いというか、ツッコミどころいろいろというか……聞いていると、愛しくなる。
天才だとか偉大な作品云々もさることながら、ただもう、ベートーヴェンという人物に、会いたくなる。
ベートーヴェンと、彼の作った「第九」を好きになる。
だから、木村せんせのレッスンが好きなんだよなあ。
せんせ自身が、ベートーヴェンと第九を大好きなのが伝わってくる。
ソレを好きな人が「好きだー!」と語るのを聞くのは、気持ちいい。
プラスの気持ちをプラスの言葉で語る、そのオーラを浴びるのは心地いい。
マイナスの思いばかりでどよーんとしているわたしを、やわらかく癒してくれる。
「耳も聞こえなくなってるのにね。なのにね、作ってるのが『歓喜の歌』なんですよ……いったい、どんな想いで」
いったい、どんな想いで。
「歓喜」を思うと苦しい。
よろこびってなに。しあわせってなに。
闇ばかり。苦しみ、哀しみばかり。つらいつらいつらい。
だけど。
だから。
かんきのうた。
闇の中だからこそ、泥の中だからこそ。
光が、愛しい。
光を、乞う。
光を、恋う。
レッスン最終日、全部終わって挨拶も済んで、みんなバタバタと席を立つ、その雑音だらけの中で。
帰り支度に忙しい、もう先生の声なんかろくに聞いてない生徒たちへ、先生が早口に言う……教室を出るまでに、と。
「この星に生まれてよかった。
ベートーヴェンと出会えて。
こんなに素晴らしい音楽を知れて。
どうか存分に、感動を味わってください」
うん。
わたしは、うなずいた。広い教室の隅っこにて。
そして、広い広い大阪城ホールの隅っこにて。
2014年12月7日、『サントリー1万人の第九』本番。
絶望は未だわたしを浸食していて、離してくれそうにない。
「歓喜の歌」は作れそうにない。
だけどわたしは「歓喜の歌」に感動する。
この星に生まれてよかったと思う。
だからわたしは、第九を歌う。
わたしは、しあわせだ。
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