受講が義務付けされているレッスン、わたしは今年、木村先生のクラスだった。
 木村先生久しぶり、つかわたし、木村せんせがいちばん好きなのね、よーし今年はいつも以上にがんばるぞと、配布された印刷物に目をやった。いつもの注意事項書類の他に、カードが1枚。
 「歓喜の歌を作詞しよう」かなんか、そんな企画のお知らせ。「第九」のいちばん有名なフレーズを使って替え歌を募集する企画だった。
 あなたの今年1年のいちばんのしあわせを歌にしよう!てな。

 歓喜。
 それを考えると、目の前が真っ暗になって、泣けてきた。
 歓喜することなんて、なんもないわー。つらいわー。どん底だわー。

 せっかくの木村せんせのレッスンなのに、心が浮き立たない。
 ふだんはののほほんと生きているし、なにも毎日泣き暮らしているわけじゃないんだけど、「歓喜」というテーマと向き合うと、自分がどれだけどん底にいるかを突きつけられる。
 歓喜、歓喜、よろこびの歌……一生懸命考える、よろこびってなに、しあわせってなに。
 歓喜を思えば思うほど、絶望ばかりが広がる。
 こんなわたしが「歓喜」を歌って、なんの意味があるだろう。

 答えはないまま、レッスンに通った。

 教え方のうまさなどは、たぶんどの先生も同じくらいなのだと思う。だからあとは自分に合うかどうか。好みの問題。
 わたしは、クラシックなんてカケラもわかっていない無教養な人間で、何年『1万人の第九』に参加したところで、ベートーヴェンも第九もちっとも理解していない。
 ただ。
 木村先生の語るベートーヴェンを、魅力的だと思う。

 人間臭いというか、ツッコミどころいろいろというか……聞いていると、愛しくなる。
 天才だとか偉大な作品云々もさることながら、ただもう、ベートーヴェンという人物に、会いたくなる。

 ベートーヴェンと、彼の作った「第九」を好きになる。

 だから、木村せんせのレッスンが好きなんだよなあ。
 せんせ自身が、ベートーヴェンと第九を大好きなのが伝わってくる。
 ソレを好きな人が「好きだー!」と語るのを聞くのは、気持ちいい。
 プラスの気持ちをプラスの言葉で語る、そのオーラを浴びるのは心地いい。
 マイナスの思いばかりでどよーんとしているわたしを、やわらかく癒してくれる。

「耳も聞こえなくなってるのにね。なのにね、作ってるのが『歓喜の歌』なんですよ……いったい、どんな想いで」

 いったい、どんな想いで。

 「歓喜」を思うと苦しい。
 よろこびってなに。しあわせってなに。
 闇ばかり。苦しみ、哀しみばかり。つらいつらいつらい。

 だけど。

 だから。

 かんきのうた。

 闇の中だからこそ、泥の中だからこそ。
 光が、愛しい。
 光を、乞う。

 光を、恋う。


 レッスン最終日、全部終わって挨拶も済んで、みんなバタバタと席を立つ、その雑音だらけの中で。
 帰り支度に忙しい、もう先生の声なんかろくに聞いてない生徒たちへ、先生が早口に言う……教室を出るまでに、と。

「この星に生まれてよかった。
 ベートーヴェンと出会えて。
 こんなに素晴らしい音楽を知れて。

 どうか存分に、感動を味わってください」

 うん。
 わたしは、うなずいた。広い教室の隅っこにて。

 そして、広い広い大阪城ホールの隅っこにて。

 2014年12月7日、『サントリー1万人の第九』本番。

 絶望は未だわたしを浸食していて、離してくれそうにない。
 「歓喜の歌」は作れそうにない。
 だけどわたしは「歓喜の歌」に感動する。
 この星に生まれてよかったと思う。

 だからわたしは、第九を歌う。


 わたしは、しあわせだ。

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