『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』新人公演に行ってきました。ずんちゃん新公初主演おめでとー。

 真ん中がみんなうまい・安定している新公だなあ。
 主演、2番手、3番手と実力安定。
 そして、そのなかでいちばん美形が主演さん、という、まことに正しい図。

 今回、主演ひとりがどうというより、周囲との関係性を考えさせられた。
 主演のグスタフ@ずんちゃんは学年相応にうまい人ではあるし、ちゃんときれいな人である。
 本公演より明確に2番手役に見えたヤコブ@そらくん、3番手に見えたリリホルン@パッションくんはとてもうまくて……そしてビジュアルよりも実力、の人たちだと、わたしの目には映る。
 この布陣で臨んだ新公は、手堅くまとまった公演に思えた。
 本公演が技術よりキラキラ優先、話の辻褄よりビジュアル勝負、よくわかんないけど、なんかきれいなもの観た~~、という感想になるのに、新公はふつうに芝居を観た感じ。
 もちろん本役さんたちの方が実力があるのだから、ビジュアルだけで技術なしと言っているわけじゃない。
 たがら、相対的なモノなんだ。
 本公演は、技術も高いけれど、それよりさらにビジュアルや華を強く感じた。
 かなめくんもまぁくんも、これでもかとビジュアルキラキラ、特にまぁくんの「脚本の粗はすべてオレの力でぶっ飛ばすぜ!」という気合いっぷり……これでもかと王子様度を上げてるし。
 それに対して新公は、ビジュアル重視は主役のみ、2番手3番手はがっつり芝居しますぜ、と。
 これがちょうどいい安定感。
 主役はきれいで当たり前、そこに地道にうまい人たちが絡み、支えている……という図は、タカラヅカのみに留まらない、エンタメ系の黄金律、作品がどっしり安定する。
 おかげで、作品の内容がすっきり伝わった、気がする。

 グスタフとヤコブの芝居力が等しく作用しているので、ふたりの言い争いが一方的にならない。
 グスタフは言わされている台詞がアホアホなのでどうしても分が悪いけど、台詞が軽くないので健闘。

 本役さんがどうしてああまで一方的な印象になるかって、やっぱヤコブが正しくなりすぎてるんだよなあ。
 ヤコブがヲヅキでなければ、あそこまでにはならんだろう……という答えを、新公で得た。
 グスタフとヤコブが、対等だ。身分のことではなく、芝居力が均衡しているから、どちらの言い分にも一理ある、くらいには感じることが出来る。本当ならグスタフが正しくて、ヤコブが間違っている、としたいんだろうけど、なにしろ脚本がアホアホだから、それを対等にまで持って来たのはえらい。

 言い争いが対等だと、ここがタカラヅカである以上、美しいモノが正義だ(笑)。
 ずんちゃんは主役らしい美しさを持っているので、ここで勝つのは主役のグスタフ、と素直に思えた。

 グスタフとヤコブがきれいにはまっているからか、リリホルンはもっと第三者的に見えた。
 外側にいる人、というか。ナレーション担当でもいいなってくらい。

 本公演は、三者三様というか、グスタフさんはひとり孤立していて、ヤコブは彼に関わってはいるが異質で、リリホルンさんはそこへ必死に絡みに行って自爆……というか、盛大に空回りしている印象。
 バランス悪い……というか、個性的? かなめくんは不思議な空気感で芝居をしている。

 新公ではそういった独特の空気はなく、ただもうふつーに、脚本通りの芝居が繰り広げられていた。
 ずんちゃんひとりの問題ではなく、周囲との関係性で、本公演とは別モノ。
 あー、こういう芝居だったんだなあ。
 グスタフさんがんばれー。と、素直に思えた。

 そして新公だと、その他の人々の動く大道具感もひどいな。
 本役さんたちはそれでも、なにかしら血肉を通わせていたんだね。下級生たちになると、個別認識できそうにない背景っぷり……。
 植爺作品ってほんと、下級生泣かせだなあ。これじゃ成長しろと言っても難しいよ……ってコレ、植爺作品ぢゃなかったっけ。
 原田せんせはいつも「主要人物以外は全員ただのモブ」が基本。このへん彼は正しく植爺の弟子なんだろうな。や、師弟制度のことはぜんぜん知らないけど。


 本公演に比べ、新公は色が薄く、その分まとまり感があった。
 新公の方が正統派な印象、ってのもすごい(笑)。でも、個性・個人技勝負、キラキラ勝負の本公演は、さすが「タカラヅカ」って感じで、それこそがかなめくんらしさかも、と思う。
 かなめくんの色はかなめくんにしか出せないモノだから、ずんちゃんはじめ新公メンバーが、独自の新公を創り上げていることに感心する。
 タカラヅカって面白い。

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