すみません、『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』の基本的な疑問をひとつ。

 グスタフさんっていい人ですか? 悪い人ですか?

 史実は関係ないです。宝塚歌劇『白夜の誓い』のグスタフ三世限定。

 わたしは最初、「いい人」だと思っていたの。
 理由はただひとつ、「主人公だから」。
 タカラヅカの主人公、大劇場でトップスターが演じる役なんだから、正しい設定の役なんだろう、と。
 で、そう思って観ていたら、よくわかんないことばかりで。
 観終わってから思ったの。わたし、考え違いをしていたんじゃないかって。グスタフを「正しい人」だと思って観ていたから混乱したんであって、ひょっとして最初から「グスタフは悪人。正義の鉄槌によって滅ぼされるべき男」という設定だったんじゃないの? 『エル・アルコン』みたいなアンチ・ヒーローの活躍を描いたピカレスクロマンなんじゃないの?

 そうわかれば、すっきりする部分は多くある。
 でも『エル・アルコン』以上にグスタフさんの「悪い男」ぶりはタカラヅカらしくない。
 タカラヅカで許される「悪い男」っていうのは、絶対に「知性がある」ことが前提。悪を行うにしても、その頭の良さと強い意志で困難を成し遂げる。ついこの間の『The Lost Glory―美しき幻影― 』のれおんくんの役みたいに。
 グスタフさんの「悪さ」って、切れ者ゆえではなく、その反対、「頭の出来が残念だから」結果として悪いことをしてしまう、というもの。あと、「無神経だから」結果として悪いことをしてしまう、という。
 ……ピカレスクロマンだとしたら、疑問の残るキャラ設定だな。あえて前人未踏の難しい題材にチャレンジしたのかしら、原田くん。

 でもさ、悪人設定の方がいいよね? アホの子で無神経です、でも正義です、という設定よりは。

 グスタフを正しい人だと思って観ていたから混乱した。これはわたしの間違いで、世の中の人は「悪役のテルを楽しむ作品」だと思っていたのかしら。だとしたらごめん、勝手に思い込んでた。

 知性と意志で悪を成すれおんくんとちがい、かなめくんは成り行きと意固地さで悪になる。
 ふたりのトップスターの個性の違いが愛しい。

 グスタフさんが悪役で、彼の破滅を楽しむ作品だとわかって観れば、いろいろ合点がゆくし面白くもある。タカラヅカ的ではないが、誰よりも「タカラヅカ」なビジュアルの凰稀さんだからこそ出来る、というのもわかる。

 少年グスティは、心優しくピュアだった。「みんなを守る優しい王になる」と誓うような。
 この純粋な少年が、このとき見た無垢な理想が、どんどんゆがんで汚れてゆき、最後は親友の手に掛かって絶命するに至るのだ……そう思うと切ない。
 アホの子かもしれないけど、本人はよかれと思ってやってるんだし、滅びるのは可哀想だなあ。と、同情し、あわれさに観客は涙する。

 ……って、そういう話であってる?

 グスタフがアホの子で、このままのさばらせておいたら国が傾くってことで、最初から最後まで常識と正義の人であるヤコブが、親友である責任感もあって、最後手を下すことに至る……ヤコブ可哀想、まともだからいろいろ背負わされて、と、同情し、あわれさに観客は涙する。

 ……って、そういう話であってる?

 でもこれだとほんと、トップスターの演じる役としては、難しいなあ。カッコ良くないんだもん。
 反面、ヤコブさんはかっこいいけど、彼の書き込みは少ないから、わかりにくいしねえ。

 ふつーにグスタフを正しくてカッコいい人にすればいいのに。
 原田くんは、ヒロインの設定の仕方といい、わざと難しいことにチャレンジするんだなあ。

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