『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』を観ての、素朴な疑問。

 原田くんってさー、自分の作品、好きじゃないのかな。

 『白夜の誓い』から感じられるのは、「作品」に対しての不実さ。

 興味も愛情もなく、ただ「豪華な衣装」を着せて「ストーリーとは無関係ないい場面」だけ単体で与えて、「はい、これがヒロインです」。

 事情があってヒロインだけそんな描き方になってしまった、でもその他の部分は、渾身の情熱を注いで表現しているぜ!!
 てなこともなく。
 ただツギハギで薄っぺらいだけ。
 箇条書きに「やること」を説明して原稿用紙を埋めました、さあこれで提出できるぞ、な夏休みの課題作文みたいに。

 という作り方が、わたしには理解できない。
 自分の作品を愛しているなら、こんな不誠実な姿勢は無理。

 なんのためにクリエイターやってるんだろう?
 昔のキムシンや、いつも絶好調に自分作品大好き!な景子せんせを見習って欲しいわ(笑)。
 わたしに見えないだけで、作品への愛や自尊心はあるのかな?


 でさ。
 ヒロインのソフィア@みりおんが「いなくてもいい役」で、2番手娘役演じるもうひとりのヒロイン・イザベル@うららちゃんだって、言い訳程度の扱いで。

 結局のところグスタフ@かなめくんの愛憎はすべて、ヤコブ@ヲヅキに集約されているのですよ。

 これも、よくわかんないことのひとつ。

 だって、原田くんがホモスキーだとは思えないんだもん。
 ウケるからやってる、という作為は感じるけどさ。

 好きなら、もっと描き方や姿勢に情熱を感じると思うんだ。
 やらされてる感というか、規定演技だから得意でもないし興味もないけどジャンプは種類と回数入れときます、てな温度感。

 これって、テルキタ配慮ですか?
 裏トップ娘役(……)のヲヅキさんを、かなめサマの相手役として、大劇場でラブストーリーさせろ、という指示があったの?

 腐女子視点でいうと、余計な配慮だ! か、もしくはわかってねーよ! ですわ。


 トップと2番手の「腐女子萌え」の最高峰は、『マリポーサの花』だと思います。
 作品としては相当アレだけどねー。クオリティはいびつだけどねー。萌えだけはすごいことになってるわねー(笑)。

 や、マサツカ作品はほんとひどいからねー。←誉めてます。
 ヅカを知らない腐女子属性の友人をヅカにハメるためには、ナニをさておきマサツカ作品を見せて転ばせたわね。『Crossroad』はバイブルですよ……(笑)。

 マサツカ作品のように粗のない、良作で萌えのある作品というと、なんつっても柴田せんせの『黒い瞳』っすよ。

 これらの作品には、トップと2番手に深い愛と、濃い陰影がある。
 それをただ「台詞だけで」言い合ったり、説明しているのではなく、ドラマの中で発展させている。

 原田くんの描き方は、「見よう見まねでやってみた」って感じで、うすらかゆい。
 かゆさすら、薄い。

 どうせやるなら、観ている側が赤面するくらい濃くやるとか、めちゃくちゃに盛り上げるとか、なんとかしてくれえ。
 なにもかも中途半端で、扱いに困る。

 ……そう、「困る」というのが、正直なところかな。
 腐女子としては、「こんな感じかなあ? これでいい? どう? チラッチラッ」と顔色をうかがった描き方をされると、すごく「困る」。
 萌えることも出来ない。
 いや、そんなに無理してサービスしてくれなくていいっすよ……と、言いたくなる。
 ぶっちゃけサービスになってないしー? と。
 ツボぢゃないとこえんえん押されてもさー。かえって肩凝るからさー。

 や、これはわたしが枯れたヲタ女だからそう思うだけで、世のお嬢さん方は「萌えるー!!」と大喜びしているのかもしんないけど。

 女キャラをあんだけ「どーでもいい」扱いにするならば、せめて、本気で、真正面から、ガチで、男ふたりの愛憎を描いてくれ。
 そこには、BLとか腐女子とか、テルキタ萌えとか、そんなもんは一切なく、ただ物語として、人間同士、愛憎にもつれまくってくれ。
 マサツカも柴田せんせも、腐女子におもねって上記作品を書いてはいないはずだ。彼らは本気で「人間同士のもつれあう、濃い物語」を書いたはずだ。
 その結果、男ふたりが「ちょっと待て、それはもう友情じゃなくて愛だろう!!」という関係になっているだけで。


 でもって、ここが重要なんだが。
 「男同士の濃ゆい物語には、女性のヒロインが必須」だ。

 わたしは腐女子ですが、ヅカでガチホモはいらん、と思ってます。
 トップスター演じる主人公には、ちゃんと女の恋人や妻がいるべきです。愛する女性は不可欠です。
 その上で、行きすぎた友情なり憎しみや執着なりを、男同士で展開して欲しいのです。
 男の友情って、もともと行きすぎたモノが多いし。

 男性向けのマンガでも映画やドラマでも、親友のために人生懸けたりとか、兄貴のために弟分が命を捨てたりとか、当たり前にあるし、男たちはそーゆーのが大好き。「ここは俺に任せてお前は先へ行け!」とか、男の大好物のシチュエーションだよなー。恥ずかしいなー。
 それを「友情」とするのが男で、「いやソレ友情超えとるがな恋愛やがな」と捉えるのが女子(腐女子?)。
 男が言うところの「友情」をガチでやってくれていいです。兄貴のために死ぬ弟分にだって、ふつーに女の恋人や女房がいるんだから、彼らの世界では「セーフ」なんでしょ? ヅカもソレでいいよ、女の恋人がいれば、あとはどんだけ男同士で愛憎しててもヨシ。

 だから、グスタフとヤコブが愛し合ってる分には、いいんです。そこがメインテーマで、物語の中枢、クライマックスで。
 ただ、ヒロインはちゃんと作れ。たまたまやってきた団体のおばあちゃまとかが混乱しないように、たとえ公演時間の大半がトップスターとその同期がいちゃついているだけの話であったとしても、「主人公さんはあの女の子と結ばれなくて可哀想だったわねえ」と思えるだけの「わかりやすい相手役」は提示してくれ。
 トップ娘役の役を愛してないし大した関心もないまま終わらせるとか、勘弁してくれ。

 しかしほんと、原田くんはナニがしたくてこんな作品にしちゃったのかな。
 なにがしたかったのか、作品に愛はあるのか。

 わからなくてとまどうし、腐女子としては、困る。

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