絶対に愛させたくないヒロイン、って。@白夜の誓い
2014年11月10日 タカラヅカ いろいろツッコミどころ満載な『白夜の誓い ―グスタフIII世、誇り高き王の戦い―』。
前日欄で、ソフィア@みりおんの役を「いなくても支障のない役」と書いた。
みりおんを「いらない」と言っているわけじゃないので、誤解なきように。
あたしゃ素直に、イザベルをみりおんにして欲しかっただけだ。そしたらふつーにグスタフ@かなめくんと両思いで、きれいなラヴシーンや、愛のソロ歌や、デュエットも聴けただろうと残念に思う。
もしくは、ソフィアをもっと、まともに描く。
今の描き方だと「豪華な衣装」で「たくさん台詞を喋る」「銀橋を歌いながら渡る」から、「いい役」としているだけ。ザ・植爺価値観。
物語の中での、主人公との関係性での「重要さ」は無視。
ソフィアの初登場場面はいいんだ。
美しく大仰に、「敵」あるいは「障害」として登場。
主人公とヒロインは「敵同士」として出会った……ここが「タカラヅカ」である以上、主人公とヒロインは愛し合うことになるはず……敵対するふたりが、これからどんなドラマを経て愛し合うのか……高まる期待!!
で、次の場面で。
ソフィア「グスタフLOVE!!」
…………椅子から転げ落ちるかと。
トップとトップ娘役の愛を描かずに、ナニが「タカラヅカ」だっ。
「そうよ、レットだわ。彼にお金を借りるの。彼は私を愛してるんだから、貸してくれるはず。そうよ、私はレットと結婚します!」……と、意気を上げるスカーレット、「結婚はしない、情婦なら持ってもいい」と公言するバトラーと、彼の愛を拒絶していたスカーレットなのに、こんなことを言ってスカーレット、どうするの?? これからどうなるの?? ふたりは愛を認め合い、結婚することになるの??……高まる期待、で、次の場面で。
「スカーレットとバトラーの結婚&新築披露パーティへようこそ!」
こんな阿呆がまかり通るのは、植爺だけでたくさんだっ。
突然、なんの伏線も脈絡もなくグスタフを愛するソフィア。
一億歩くらい譲って、それをよしとする。「トップスターの役とトップ娘役の役は、愛し合う」というタカラヅカならではのお約束に頼り切って、「そーゆーもん」として観客は納得すべき、とする。
ソフィアはグスタフを愛した。しかしグスタフは愛してない。ソフィアがグスタフに惹かれる場面はなんかしらの事情で描けなかったとしても、ふたりが両思いになる、グスタフがソフィアを愛するようになる話を、これから見られるわけだな?
と、一億歩譲って期待すると。
グスタフとの関係が変化するエピソードは、なんもない。
えええっ??
ソフィアはソフィア単体で、「けなげなこと」をしている。言っている。
グスタフ相手に、直接なにかするわけじゃない。単体で「お祈り」している、そうな。
ろくに休まず、お祈りだって。
それくらいしか出来ることないから、だって。
それははたして「けなげ」なのか……?
「スウェーデンなんて下等国に慣れる気はないわ、母国のスタイルを通しますからね、ツンツン!」って言って、王宮内をモメさせる種を撒いたんだから、ソレを撤回するとか、いくらでもやれることはあるんじゃあ……?
それを、ただ祈るだけ?
ひでー自己満足。
ソフィアの「愛の証」も相当どーでもいいレベルだが、グスタフがソフィアの愛に気づく、というふつーに考えれば「最大級のドラマ」である部分が。
ソフィアがけなげなことしてますよと「人から聞いて」、へーそうなんだ、と納得する。
えええ?!
「フェルゼンLOVE! あなたになじられるのがいちばんつらい」と内股でうじうじ女の腐ったような態度を取るオスカルが、フェルゼンから「アンドレは君を愛している」と手紙をもらい、「そうだったのか! アンドレLOVE!!」と心変わりする……最悪な植爺『ベルばら』を思い出した。
ヒロインは、直接主人公にナニも働きかけない。
主人公は、直接ヒロインにナニも働きかけない。
だけどふたりはLOVE! 他人に気持ちを伝えてLOVE、他人から気持ちを聞いてLOVE。ハッピーだLOVE。
タカラヅカ万歳、愛愛愛、愛は素晴らしい。
すげえな。
主人公とヒロインの話は、これだけ。
ちなみに、ヒロインではない脇役、主人公のエピソードのひとつ、という扱いで描かれているイザベル@うららちゃんの役とは、ちゃんと愛の場面がある。そりゃこっちも薄いけど、いちおー、ふたりでなにかしら育んできたらしいことはわかる。
そしてこれは、原田くんのこだわりなのかな。
グスタフは、最後までソフィアを愛さない。
敵対を解いて、「まあアリだな」と受け入れはするが、愛してはいない。積極的な愛の言葉はない。最大限の歩み寄りが「君は勝利の女神だ」……。
そりゃまあ、人から「こんなにけなげですよ」と聞いただけじゃあ、心が動かないのは道理だけど、それにしてもさあ……。
じゃあなんで、ソフィアをヒロインにしたんだと。
もう、それに尽きるよ。
そんなに「描きたくない」「主人公に愛させたくない」キャラを、なんでヒロインにするんだ。
描きたくない、愛させたくない、言い訳のように、主人公とも本筋とも関係ないところで、エカテリーナと「いい場面」を作ってお茶濁し。「いい場面」があるんだから、これで納得してよねてか。
グスタフとの愛が上記のように「敵!」として登場、次の場面で「グスタフLOVE!」、他人から話を聞いただけ、直接会話もしてないけど「両思い!」……しか描かれてないのに、エカテリーナ様が「ふたりの愛に負けたわ」と言うのには、全わたしが突っ込んだ。んなわけあるかいっ。
ギャグか? 両脚を上げてどんがらがっしゃん、と椅子から落ちればいいのか?
ほんとに、わけわかんないす。
どうしてソフィアがヒロインなのか。
なにがしたかったのか。
ツッコミ待ちをしているとしか、思えない。
前日欄で、ソフィア@みりおんの役を「いなくても支障のない役」と書いた。
みりおんを「いらない」と言っているわけじゃないので、誤解なきように。
あたしゃ素直に、イザベルをみりおんにして欲しかっただけだ。そしたらふつーにグスタフ@かなめくんと両思いで、きれいなラヴシーンや、愛のソロ歌や、デュエットも聴けただろうと残念に思う。
もしくは、ソフィアをもっと、まともに描く。
今の描き方だと「豪華な衣装」で「たくさん台詞を喋る」「銀橋を歌いながら渡る」から、「いい役」としているだけ。ザ・植爺価値観。
物語の中での、主人公との関係性での「重要さ」は無視。
ソフィアの初登場場面はいいんだ。
美しく大仰に、「敵」あるいは「障害」として登場。
主人公とヒロインは「敵同士」として出会った……ここが「タカラヅカ」である以上、主人公とヒロインは愛し合うことになるはず……敵対するふたりが、これからどんなドラマを経て愛し合うのか……高まる期待!!
で、次の場面で。
ソフィア「グスタフLOVE!!」
…………椅子から転げ落ちるかと。
トップとトップ娘役の愛を描かずに、ナニが「タカラヅカ」だっ。
「そうよ、レットだわ。彼にお金を借りるの。彼は私を愛してるんだから、貸してくれるはず。そうよ、私はレットと結婚します!」……と、意気を上げるスカーレット、「結婚はしない、情婦なら持ってもいい」と公言するバトラーと、彼の愛を拒絶していたスカーレットなのに、こんなことを言ってスカーレット、どうするの?? これからどうなるの?? ふたりは愛を認め合い、結婚することになるの??……高まる期待、で、次の場面で。
「スカーレットとバトラーの結婚&新築披露パーティへようこそ!」
こんな阿呆がまかり通るのは、植爺だけでたくさんだっ。
突然、なんの伏線も脈絡もなくグスタフを愛するソフィア。
一億歩くらい譲って、それをよしとする。「トップスターの役とトップ娘役の役は、愛し合う」というタカラヅカならではのお約束に頼り切って、「そーゆーもん」として観客は納得すべき、とする。
ソフィアはグスタフを愛した。しかしグスタフは愛してない。ソフィアがグスタフに惹かれる場面はなんかしらの事情で描けなかったとしても、ふたりが両思いになる、グスタフがソフィアを愛するようになる話を、これから見られるわけだな?
と、一億歩譲って期待すると。
グスタフとの関係が変化するエピソードは、なんもない。
えええっ??
ソフィアはソフィア単体で、「けなげなこと」をしている。言っている。
グスタフ相手に、直接なにかするわけじゃない。単体で「お祈り」している、そうな。
ろくに休まず、お祈りだって。
それくらいしか出来ることないから、だって。
それははたして「けなげ」なのか……?
「スウェーデンなんて下等国に慣れる気はないわ、母国のスタイルを通しますからね、ツンツン!」って言って、王宮内をモメさせる種を撒いたんだから、ソレを撤回するとか、いくらでもやれることはあるんじゃあ……?
それを、ただ祈るだけ?
ひでー自己満足。
ソフィアの「愛の証」も相当どーでもいいレベルだが、グスタフがソフィアの愛に気づく、というふつーに考えれば「最大級のドラマ」である部分が。
ソフィアがけなげなことしてますよと「人から聞いて」、へーそうなんだ、と納得する。
えええ?!
「フェルゼンLOVE! あなたになじられるのがいちばんつらい」と内股でうじうじ女の腐ったような態度を取るオスカルが、フェルゼンから「アンドレは君を愛している」と手紙をもらい、「そうだったのか! アンドレLOVE!!」と心変わりする……最悪な植爺『ベルばら』を思い出した。
ヒロインは、直接主人公にナニも働きかけない。
主人公は、直接ヒロインにナニも働きかけない。
だけどふたりはLOVE! 他人に気持ちを伝えてLOVE、他人から気持ちを聞いてLOVE。ハッピーだLOVE。
タカラヅカ万歳、愛愛愛、愛は素晴らしい。
すげえな。
主人公とヒロインの話は、これだけ。
ちなみに、ヒロインではない脇役、主人公のエピソードのひとつ、という扱いで描かれているイザベル@うららちゃんの役とは、ちゃんと愛の場面がある。そりゃこっちも薄いけど、いちおー、ふたりでなにかしら育んできたらしいことはわかる。
そしてこれは、原田くんのこだわりなのかな。
グスタフは、最後までソフィアを愛さない。
敵対を解いて、「まあアリだな」と受け入れはするが、愛してはいない。積極的な愛の言葉はない。最大限の歩み寄りが「君は勝利の女神だ」……。
そりゃまあ、人から「こんなにけなげですよ」と聞いただけじゃあ、心が動かないのは道理だけど、それにしてもさあ……。
じゃあなんで、ソフィアをヒロインにしたんだと。
もう、それに尽きるよ。
そんなに「描きたくない」「主人公に愛させたくない」キャラを、なんでヒロインにするんだ。
描きたくない、愛させたくない、言い訳のように、主人公とも本筋とも関係ないところで、エカテリーナと「いい場面」を作ってお茶濁し。「いい場面」があるんだから、これで納得してよねてか。
グスタフとの愛が上記のように「敵!」として登場、次の場面で「グスタフLOVE!」、他人から話を聞いただけ、直接会話もしてないけど「両思い!」……しか描かれてないのに、エカテリーナ様が「ふたりの愛に負けたわ」と言うのには、全わたしが突っ込んだ。んなわけあるかいっ。
ギャグか? 両脚を上げてどんがらがっしゃん、と椅子から落ちればいいのか?
ほんとに、わけわかんないす。
どうしてソフィアがヒロインなのか。
なにがしたかったのか。
ツッコミ待ちをしているとしか、思えない。
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