彼女が、世界の中心。@風と共に去りぬ
2014年1月11日 タカラヅカ 面白かった!!
月組『風と共に去りぬ』初日観劇。
なんかもー、「観たかった『風共』」を差し出された感じで、とにかく楽しかった。
わたしにとっての「レット・バトラー」は、コレなのよー。この重さ、クドさなのよー。
そして、脚本。
スカーレットとバトラーがはじめて出会う、「樫の木屋敷」の場面も、タラの税金を支払うためにバトラーを口説きに行くスカーレットの場面も、ふたり目の夫フランクも登場するし、KKクラン団は出てくるし、それらすべてを超えてスカーレットを求めるバトラーの格好良さも出ているし!
宙組版でストレスだったところが、解消されている!
なんといっても、スカーレット@まさおが、かわいい。
いやもお、すげーパワフル。
いつも大騒ぎ。生命力のかたまり。
こんなのがそばにいたら、良くも悪くも薄い人たちは、巻き込まれてしまうんだと思う。
彼女を嫌うにしろ崇拝するにしろ、巻き込まれる。
っていうかさ。
スカーレットってさ、バカだよね?
今まで観たどのスカーレットより、「おバカさん」感強し。女はかわいいおバカさんがいい、とデイジー@ 『華麗なるギャツビー』が言っているように、スカーレット最強。
バカで子どもで。
だから最初っから、泣けた。
アシュレ@コマつんに言い寄って相手にされなくて、盛大に空回りしてみっともない姿を、みっともないと気づきもせずに晒しまくって。
彼女のその、「世界は私を中心に回っている」感が、切ない。
子どもってさ、自分と世界の区別ついてないじゃん? 泣いたらおっぱいもらえるし。ただひたすら与えられ、生理現象垂れ流して、守られ続ける。だから世界は私のもの、思い通りにならないことが在るなんてわからないし、そもそも「他人」という存在が理解できない。
成長するにつれ、子どもはいろんなことを学習する。世界が思いのままにならないこと、「他人」の存在、距離の取り方やつきあい方。
なのにまさおスカーレットは、それがない。
子どものまま、大人になった。
いや、冒頭の樫の木屋敷では、スカーレットは17歳。驕りの春の真っ只中。
世界がまだ、彼女のモノである、そんな年齢。
なにもかもが自分の思うままだと、「欲しい」と言いさえすれば手に入ると、まったく疑っていないスカーレットの幼さ、純粋さに、泣ける。
そしてそんな彼女を、バトラー@トドが快く思うのも、納得できる。
えー、開始15分。
すでに泣いていたわたしは、そこでかなりガツンと気分をぶった切られるわけです。
植爺作品だけどこの『風共』、盆がよく回り、セリも上下するんだわ。
樫の木屋敷の図書室から、盆が回って次の場面になる。
庭園で愛を語り合うアシュレとメラニー@ちゃぴの場面。
……なんだけど、図書室が、セリ下がらない。なんか半端なところで止まったまま。
そして、裏方さんらしい人々の声も聞こえる。
たったひとりで坐っているメラニーが「素敵な樫の木並木」と庭園をうっとり眺めながら話し出す……んだけど、舞台にいるのは、彼女ひとり。
メラニーが話しかけているはずのアシュレは、どこにもいない。
庭園のセットも降りてきてないし、セリはハンパに止まったままだし、アシュレはいないし。
そして、スタッフらしき男の人の声に応えるように、コマつんの声だけがした……「大丈夫です」と。
大丈夫ぢゃないだろ?! ナニがあったんだ!!
そこで緞帳が下り、放置されること、2分間。
なんのアナウンスもないまま、客席は2分間放っておかれた。
ナニか事故が起こったことはわかる。しかし、舞台にいるはずの人がいなくて、「大丈夫です」という声だけがして、幕が下りる、って……。
芝居に感情移入して泣いていたわたしは、冷水をぶっかけられたようになってた。
こわかった。
コマくん、ケガとかしてない、よね……?
ダメだよ、わたし今、ケガとか休演とか、すげーナーバスなんだから!!
どうかどうか、みんな無事でありますように。
幕が下りて2分後(こわくて、時計ばっか見てた)、よーやくアナウンスがあった。舞台装置の不良とかなんとか。でも、それだけ。
さらにまた放置されて。
装置の点検のために15分くらい待って、という放送がかかった。
や、それより、ケガ人がいないのかを教えてよおおっ。
…………こわかったよーー。
しかし日本はいい国だよな。こんな放置のされ方しても、誰ひとり文句も言わず、おとなしく坐って待ち続けてるんだもん。お隣と喋る程度で、声を荒らげる人は皆無。
結局、20分中断し、ナニゴトもなかったかのように、庭園の場面から再開された。
庭園のセットの前で、アシュレとメラニーが愛を語る。幕が開くなりふたりがすでにいたので、そしてメラニーはさっきと同じ台詞を言っていたので、アシュレ抜きでその台詞を言っていたさっきが相当大変な状況だったとわかる。
てゆーかちゃぴ、コマがいなくてもひとりで芝居するつもりだったんかい。Show must go on、役者だね、ちゃぴ。
こわくて不安で仕方なかった……ため、また物語に戻るのが大変だった(笑)。
この事故がほんっとーに、残念。
こんなアクシデントなしで、作品を味わいたかったよ。
それでも、途中からはまたどっぷり世界にハマリ、泣きまくりで観た。
まさおスカーレットは、スカーレット的に盛り上がる場面で「まさお節」がどーんと出るので、そのたびに笑いが込み上げて来て、それを振り切る必要があって個人的に大変だったんだけど、そのまさお節さえなんとかなれば、ほんとにいいスカーレットだった。
彼女の愚かさは、愛しい。
そして、レット・バトラー。
2幕はもお、彼の独壇場でしょう。
フランクの死からスカーレットへのプロポーズ、ここから泣けて泣けて。
スカーレットの愚かしさ、歪み、すべてわかった上で、彼女を愛し、求めている。
バトラーの、壮絶な、孤独。
このバトラーには、このスカーレットが必要なんだ。
この生まれたままの魂みたいな、ずるくて弱くて自分勝手で、強くて逞しい野生児が。
世界で最も強く孤独な男には、世界の中心が自分だと信じている女が、必要なんだ。
これほど、スカーレットを必要としているバトラーを、見たことがナイ。
わたしは。
これまでのバトラーもそうだったのかもしれないけれど、わたしは今回、そう思った。
だからこそ、彼の嫉妬や絶望が痛くて。
最後の別れに至るまで、泣き通しました。ああもう、消耗した。
ナニが切ない、ってさ、まさおスカーレットが、学習しないこと、どんだけ泣きわめいても、明日にはころっとしてそうなとこだよね!
スカーレットは、変わらない。
バトラーの愛すら、彼女には届かなかった。
だからこそ、スカーレットでなくてはダメだったんだ。
バトラーはすべてわかった上で、彼女を残して出て行ったんだ。
なんかすげー楽しかったよ、『風共』。
帰りにはリピーターチケット買ったよ! また観に行くよ!
月組『風と共に去りぬ』初日観劇。
なんかもー、「観たかった『風共』」を差し出された感じで、とにかく楽しかった。
わたしにとっての「レット・バトラー」は、コレなのよー。この重さ、クドさなのよー。
そして、脚本。
スカーレットとバトラーがはじめて出会う、「樫の木屋敷」の場面も、タラの税金を支払うためにバトラーを口説きに行くスカーレットの場面も、ふたり目の夫フランクも登場するし、KKクラン団は出てくるし、それらすべてを超えてスカーレットを求めるバトラーの格好良さも出ているし!
宙組版でストレスだったところが、解消されている!
なんといっても、スカーレット@まさおが、かわいい。
いやもお、すげーパワフル。
いつも大騒ぎ。生命力のかたまり。
こんなのがそばにいたら、良くも悪くも薄い人たちは、巻き込まれてしまうんだと思う。
彼女を嫌うにしろ崇拝するにしろ、巻き込まれる。
っていうかさ。
スカーレットってさ、バカだよね?
今まで観たどのスカーレットより、「おバカさん」感強し。女はかわいいおバカさんがいい、とデイジー@ 『華麗なるギャツビー』が言っているように、スカーレット最強。
バカで子どもで。
だから最初っから、泣けた。
アシュレ@コマつんに言い寄って相手にされなくて、盛大に空回りしてみっともない姿を、みっともないと気づきもせずに晒しまくって。
彼女のその、「世界は私を中心に回っている」感が、切ない。
子どもってさ、自分と世界の区別ついてないじゃん? 泣いたらおっぱいもらえるし。ただひたすら与えられ、生理現象垂れ流して、守られ続ける。だから世界は私のもの、思い通りにならないことが在るなんてわからないし、そもそも「他人」という存在が理解できない。
成長するにつれ、子どもはいろんなことを学習する。世界が思いのままにならないこと、「他人」の存在、距離の取り方やつきあい方。
なのにまさおスカーレットは、それがない。
子どものまま、大人になった。
いや、冒頭の樫の木屋敷では、スカーレットは17歳。驕りの春の真っ只中。
世界がまだ、彼女のモノである、そんな年齢。
なにもかもが自分の思うままだと、「欲しい」と言いさえすれば手に入ると、まったく疑っていないスカーレットの幼さ、純粋さに、泣ける。
そしてそんな彼女を、バトラー@トドが快く思うのも、納得できる。
えー、開始15分。
すでに泣いていたわたしは、そこでかなりガツンと気分をぶった切られるわけです。
植爺作品だけどこの『風共』、盆がよく回り、セリも上下するんだわ。
樫の木屋敷の図書室から、盆が回って次の場面になる。
庭園で愛を語り合うアシュレとメラニー@ちゃぴの場面。
……なんだけど、図書室が、セリ下がらない。なんか半端なところで止まったまま。
そして、裏方さんらしい人々の声も聞こえる。
たったひとりで坐っているメラニーが「素敵な樫の木並木」と庭園をうっとり眺めながら話し出す……んだけど、舞台にいるのは、彼女ひとり。
メラニーが話しかけているはずのアシュレは、どこにもいない。
庭園のセットも降りてきてないし、セリはハンパに止まったままだし、アシュレはいないし。
そして、スタッフらしき男の人の声に応えるように、コマつんの声だけがした……「大丈夫です」と。
大丈夫ぢゃないだろ?! ナニがあったんだ!!
そこで緞帳が下り、放置されること、2分間。
なんのアナウンスもないまま、客席は2分間放っておかれた。
ナニか事故が起こったことはわかる。しかし、舞台にいるはずの人がいなくて、「大丈夫です」という声だけがして、幕が下りる、って……。
芝居に感情移入して泣いていたわたしは、冷水をぶっかけられたようになってた。
こわかった。
コマくん、ケガとかしてない、よね……?
ダメだよ、わたし今、ケガとか休演とか、すげーナーバスなんだから!!
どうかどうか、みんな無事でありますように。
幕が下りて2分後(こわくて、時計ばっか見てた)、よーやくアナウンスがあった。舞台装置の不良とかなんとか。でも、それだけ。
さらにまた放置されて。
装置の点検のために15分くらい待って、という放送がかかった。
や、それより、ケガ人がいないのかを教えてよおおっ。
…………こわかったよーー。
しかし日本はいい国だよな。こんな放置のされ方しても、誰ひとり文句も言わず、おとなしく坐って待ち続けてるんだもん。お隣と喋る程度で、声を荒らげる人は皆無。
結局、20分中断し、ナニゴトもなかったかのように、庭園の場面から再開された。
庭園のセットの前で、アシュレとメラニーが愛を語る。幕が開くなりふたりがすでにいたので、そしてメラニーはさっきと同じ台詞を言っていたので、アシュレ抜きでその台詞を言っていたさっきが相当大変な状況だったとわかる。
てゆーかちゃぴ、コマがいなくてもひとりで芝居するつもりだったんかい。Show must go on、役者だね、ちゃぴ。
こわくて不安で仕方なかった……ため、また物語に戻るのが大変だった(笑)。
この事故がほんっとーに、残念。
こんなアクシデントなしで、作品を味わいたかったよ。
それでも、途中からはまたどっぷり世界にハマリ、泣きまくりで観た。
まさおスカーレットは、スカーレット的に盛り上がる場面で「まさお節」がどーんと出るので、そのたびに笑いが込み上げて来て、それを振り切る必要があって個人的に大変だったんだけど、そのまさお節さえなんとかなれば、ほんとにいいスカーレットだった。
彼女の愚かさは、愛しい。
そして、レット・バトラー。
2幕はもお、彼の独壇場でしょう。
フランクの死からスカーレットへのプロポーズ、ここから泣けて泣けて。
スカーレットの愚かしさ、歪み、すべてわかった上で、彼女を愛し、求めている。
バトラーの、壮絶な、孤独。
このバトラーには、このスカーレットが必要なんだ。
この生まれたままの魂みたいな、ずるくて弱くて自分勝手で、強くて逞しい野生児が。
世界で最も強く孤独な男には、世界の中心が自分だと信じている女が、必要なんだ。
これほど、スカーレットを必要としているバトラーを、見たことがナイ。
わたしは。
これまでのバトラーもそうだったのかもしれないけれど、わたしは今回、そう思った。
だからこそ、彼の嫉妬や絶望が痛くて。
最後の別れに至るまで、泣き通しました。ああもう、消耗した。
ナニが切ない、ってさ、まさおスカーレットが、学習しないこと、どんだけ泣きわめいても、明日にはころっとしてそうなとこだよね!
スカーレットは、変わらない。
バトラーの愛すら、彼女には届かなかった。
だからこそ、スカーレットでなくてはダメだったんだ。
バトラーはすべてわかった上で、彼女を残して出て行ったんだ。
なんかすげー楽しかったよ、『風共』。
帰りにはリピーターチケット買ったよ! また観に行くよ!
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