新公配役によって、ヒロインはトップ娘役であるあゆっちが演じるジョセリン役ではなく、男役のちぎくんが演じるエラだとわかった。
 や、HPの先行画像がヘイリーとエラだったから、そうなんだろうとは思っても、先行画像は一時しのぎでしかなく、ポスターが発表になったあとは消されるものだから。(公演が終わると、公演ページはバックナンバーに移動され、先行画像は見られなくなる)
 公の場で立場を明かすのは新公だよなあ。
 新人公演『Shall we ダンス?』プログラムでインタビューが載っているのは、ヘイリー@かなとくんと、エラ@あんりちゃん。

 雪組だけでなく、トップ娘役軽視はどこまで加速するのか。

 てなことはともかく、トップ娘役の役だけれどヒロインではない、主人公の奥さん役、夢華さん。
 相変わらず、うまかった。
 何度もいうが、「100年に一度の逸材」として大劇場ヒロインを務め、新人公演ヒロイン、バウヒロインと総ナメした天才様だ、うまくて当たり前。
 しかも、これだけ未曾有の扱いを受けたのに、なんの結果も残さずこの公演で退団する。
 なにしに宝塚歌劇団にやって来たのか、よくわからない。

 ……という結果になったのが、とても悲しいし、虚しい。

 主演のかなとくんもそうだが、1観客として、1ヅカヲタとしてわたしは、そのときの公演単体ではなく、「自分が今まで観てきた公演全部」をバックボーンにして観てしまう。
 わたしが生まれてはじめてタカラヅカを観る通りすがりの人なら、あるいはタカラヅカになんの興味も思い入れもナイ人なら、ただ座席に坐って観劇した90分の公演のみを評価するだろう。や、そんな人ならそもそも、つたない新人による芸を観ずに、本公演のみしか観ないし存在も知らないだろうけど。

 単発の短編ドラマではなく、連続ドラマのなかの1話として捉える、ってことだ。

 単発の短編ドラマなら、その話だけがすべて。物語もキャラクタも。
 だけど連続ドラマの中の一部分だと、そうはいかない。たまたまその回は出番が少ないキャラクタだっているし、たまたま悪い顔をしているキャラクタだっている。
 全100話の大河ドラマの78話だけを観て「Aというキャラは意地悪だわ、Bは可哀想なキャラなのね」と判断しても、意味がない。それまでの物語でAがどれだけいい人で、たまたま負の部分を吐露するエピソードが78話にあっただけかもしれない。Bはそれまでずーっと幸せで、たまたま78話で弱さを見せていただけかもしれない。
 ドラマをずっと見てきた人と、78話だけ見た人では、感じ方がチガウだろう。

 今回、主演のかなとくんはよくやっていたと思う。きれいだし、歌えているし、ちゃんと男役だし。
 でもそれは、彼が初抜擢の新人下級生だからだ。
 彼がもしも過去5年間主演をくり返してきた「逸材」で今回の出来なら、わたしは今ほどわくわくしていないし、うれしくもない。
 助演のホタテマンだって、彼がいろんな公演でその演技力を見せ、彼の実力と将来に期待しているからこそ、今回は「こんなもん?」と首をかしげた。彼が最後の新公ではじめて抜擢された脇の苦労人なら、手放しで「よくやった!」と思っただろう。

 タカラヅカは、単発ドラマではなく、「タカラヅカ」という長い長い大河ロマンだ。オムニバス形式だから1話完結の短編として楽しめるけれど、背後のつながりを知ればさらに面白くなるという。

 それゆえに、夢華さんには評価が辛くなる。

 もしも彼女が、今回の新公ではじめて抜擢された無名の研4の女の子だとしたら。
 わたしの評価は、変わってくる。
 基本の「うまい・へた」に対しての感じ方は変わらないけれど、それに対する受け止め方が。

 もしも夢華さんが、無名の新人だとしたら。

 主人公の奥さん役の子、うまかった!! 声もきれいだし、歌もうまい。ちょっとした仕草も娘役らしくてかわいかった。
 顔はえーっとその、「お化粧がんばれ!」って感じだけど、まだ研4だから、これからきれいになっていくんだと思う。
 研4で、子持ちの奥さん役がこれだけ自然にできるなんてすごい。このまま育てば、いい脇の女役さんになりそう。いや、きれいになってくれれば、ヒロインコースもあるかも?

 こんな感じの感想になるかな。
 研4の新人にしはてうまい、でももちろん研4だしまだまだ未熟、技術はあってもきれいじゃないのでヒロインタイプではない、これから娘役修行を続ければ、垢抜けてきれいになるかも?(今の段階では未知数)
 てな。

 問題は、研4でこの感想の娘役を、研1の素人同然の段階で「100年に一度の逸材」として、本公演のヒロインとして正規料金を取って見せられたことですわ。

 大河ロマン「タカラヅカ」の大ファンとして、それまで培ってきた設定もキャラクタの性格付けも、全部ぶちこわしにされたんだもの。
 「タカラヅカ」の娘役トップって、素人でもできるんだー、へー。という。
 すでに芸能経験があり、歌や芝居の技術がある、というだけの初舞台生をトップスターにしていいなら、それこそAKBでもテレビタレントでも連れてきてトップにすればいい。「タカラヅカ」として研鑽する意味なんかないってことだ。
 宝塚歌劇団が100年近く懸けて培ってきたことを、研1ヒロインですべて無に帰した。
 そして、その研1ヒロインが、抜擢に相応しい天才なら、「それもアリだ、仕方ない」と思えたけれど、実際は研4で上記のような感想でしかない子だ。
 それでも「100年に一度の逸材だから」と押し通してトップにするならともかく、「ごめん、それはなかったことにして」というようなよくわからない扱いをして、挙げ句の果てに研4で退団だ。
 なにをしたかったんだ。

 わたしは本公演の舞台で夢華さんをほとんど見つけられないので、新公が彼女をちゃんと見ることの出来る最後の機会だと思う。
 そう思って意識して眺めていた。
 大きな役だとそりゃ目に入るけど、そうでない場合、好みでない人は視界に入らないのな。他意も悪意もない、ほんとに、好きな人たちを眺めるだけで精一杯だから。この公演だけでなく、いつも。
 本公演では、夢華さんがどこにいるのかマジでわからないままだった。複数回観て、あるときふと「あ、この役って夢華さんだったんだ」と気づいたくらい。ふつーにうまいから、悪目立ちもしないもんね。
 ショーでも咲ちゃんとツーショの銀橋くらいしか、わかんないし。


 夢華さんはふつーの研4娘役としてのビジュアルを持った、研4娘役にしてはうまい子として、最後の新人公演の舞台にいた。
 ビジュアルは学年を重ねれば変わるかもしれない。
 うまい子は貴重。声がきれいで芝居が出来るのは重要。
 夢華さんをちゃんと認識できるのは新公だけだった、わたしには。だから感慨深く眺めた。

 もっと別の出会い方をしていれば、よかったのに。

 彼女に対しては、悔しさと虚しさばかりが募る。

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