かなとくんが主演している。
 それだけでうれしい、今回の新人公演『Shall we ダンス?』

 かなとくんは学年と経験のわりに、歌えるし芝居の出来る下級生。もっといい役を、ちゃんと「芝居」のできる、「歌」の歌える役を、彼で観てみたかったんだ。
 その望みが叶って、突然新公主演だハラショー!

 ライトを浴びてあの大きな舞台に登場!……することに説得力ある「美形」っぷりに感動。
 背も高いし、派手な顔立ちだし、見栄えするよね。
 スーツはふつーに着こなしているし、芝居もふつーによくやっている。そして、歌だって歌えている。
 研5の初主演でこれなら、十分いい出来だと思う。


 前日欄で、「美形で、背が高くて、歌えている」新公主演スター登場!! ってことに言及して、しつこく感動をくり返しておりますが。

 えーと、歌えている、という微妙な表現なのは、わたし的には満足出来るラインの歌声ではなかったためです(笑)。
 かなとくんは、「もっと歌える」と思っていたから。
 正直今回の歌声は「え、こんなもん?」と思った。

 新公主演ってのはほんとに、大変だったんだろうな。
 今まで彼が演じてきた役は、役としての出演時間は十数分とか、台詞もあんましないようなものだったもんな。
 「やること」の量が、今回とは段違い。
 異端審問官やベルナールなら歌もたっぷり練習出来たけど、今回は同じだけの時間を、他のことにも割かなきゃならなくて、単純に、時間が足りてないんだろうなと、思った。
 歌い込んだなら、もっともっと美しい歌声を披露出来たはず。

 芝居も、それほどいいとは思わなかった。
 や、及第点はある。ちゃんと基本ラインは押さえてある。でも、それ以上ではないというか、「とりあえずやりました」的な感じがした。
 でもそれも、やっぱシンプルに「時間が足りない」んだろうなと思った。これが本役で、ひたすらこの役のお稽古だけしていたら、もっと違ったモノになっただろう……そう思った。
 彼がまだなにか、やりたがっているというか、どこかへ向かう途中に見えたんだ。
 力が足りなくて、表現出来ていないだけで。

 や、ふつーに出来てるんだよ。ヘタじゃないよ。
 芝居も、歌も。
 ふつーにうまい。「研5の新公初主演者」としては、上出来の部類。
 ただわたしには、「どこかへ向かう途中」に見えたってだけ。これはまだ途中の姿、足りていない姿だと。

 もっと時間かけて、じっくりお稽古を積んだ、練り上げた姿を見てみたい。
 そう思った。

 すべての新公出演者が同じ立場で、かなとくんだけが時間を得られていないわけじゃない。みんな少ないお稽古期間でがんばって作り上げているんだ。それはわかっている。
 他の人たちがやっていることなのに、今回とても力足らずに見えたのは、彼自身の責任だろうさ。
 決められた時間でここまでしか出来なかった、それが現実。
 そうわかった上で、「もっと練り上げたモノを観たい」と思った。

 もっと先の、月城かなと。


 美形で、背が高くて、歌が歌える。
 ただそれだけで感動したんだけど。

 そっから先は、「足りてない」「もっと出来るだろうに」というじれったさやトホホ感にハンケチを噛む思いだった。

 ……なんだけどさ。
 その「足りてない」感……「目指すモノはもっと先にあるのに、そこへたどり着けてなくてたたらを踏んでいる」感というか、本人もどうしていいのかわかんなくてピリピリ張りつめてる感じというか。
 やたら緊張感があって、いっぱいいっぱいで、大変そうで。
 その、「ふつうの人間」の感じが、『Shall we ダンス?』という作品の主人公、ヘイリーとクロスオーバーして。

 競技会で失敗したあと、ダンスもやめて、ひとりぼっちで「自分の限界」を決めて殻に閉じこもっていたヘイリーが、妻に、仲間たちにはげまされ、うずくまっていた部屋から出て、新しい扉を開いた……都会のビルの夜景、いつもの光景、いつもの窓に書かれた「Shall we ダンス?」の文字。

 ♪ありがとうの言葉を勇気に変え 明日への道走りだそう

 クライマックスのヘイリーのソロに、大泣きした。

 追い詰められ感が、ハンパなかったからなあ。
 そして、仲間たちとの友情、一体感が、ハンパなかったから。
 ひとりでも立っていられる強さを持つ本役さんとは違い、新公ヘイリーさんってば、マジに仲間の存在が「力」であり、「救い」に見えた。
 仲間たちの間で歌う姿が、ぐーーんと大きく見えて、スクリーンを見ているような、ズームアップされたような錯覚を起こした。

 もっと出来るのかもしれない、今回の出来はまだまだ未熟かもしれない……だけど、クライマックスの爆発感は、新人公演ならではだと思った。
 足りなくて、いっぱいいっぱいで、追い詰められていて。
 その一歩を踏み出す勇気、その扉を開ける力、そこに必要なモノが、どれほど大きかったか。
 本公演では感じられなかった切実感、圧迫感、緊張感。
 それが、一気に爆発するカタルシス。
 ヘイリーひとりの力ではなく。
 かなとくんひとりの力ではなく。

 それゆえの、跳躍。
 跳べ。
 あとはない、だから、跳べ。

 飛ぶ。

 ……そんな感動。

 本役さんの作るクライマックスとは、色が違う。新公ならではだ。
 もちろん、1ヶ月間主役を張るトップスターがこれじゃいかんのだが、1回限りの新公だと、実に気持ちいいんだ、このカタルシスってば。だから新公観劇ってのはやめられないよなと思う。

 かなとくんが実力を遺憾なく発揮していたかはわからない。正直、課題は山積みだと思う。
 だけどいい新公だった。

 終演後の挨拶でボロ泣きしている姿に、「そうだろうなあ」と思う。
 あんだけいっぱいいっぱいで、追い詰められて追い詰められて、それで、飛んだんだもんなあ。
 そりゃ、糸が切れて泣き出すわ。
 挨拶まで仕事なんだから、自分を律するのが舞台人だけど、タカラヅカの新人公演はこの挨拶ダダ泣きまでもが「お約束」の範疇で、守られてるからなー。
 わたしは、それでいいと思う。

 いいもん観た。

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