で、メラニーさんは。@風と共に去りぬ
2013年10月2日 タカラヅカ 『風と共に去りぬ』の感想を書きながら、そーいやわたし、全ツの感想書いてないよなと思い出す。
メラニー@みりおんは、みりおんの苦手分野が詰まった役なんだなあ、と。
『モンテ・クリスト伯』のみりおんは良かった。彼女に泣かされた。しかし、全ツ『うたかたの恋』はみりおんが苦手で、かなりつらかった。わたしには。
マリー@『うたかたの恋』にわたしが求めるモノは、母性か白痴性か、どちらかだ。はくち、という言葉が現代語として適切でないとしても、医学的な意味じゃなく、文学的な意味で使う。
わたしが求めるのは、すべてを許容する聖母のような大きさか、なにもわかっていない無垢さゆえの痛々しさ。
みりおんにはそのどちらも感じられなかった。ルドルフを許し、包み込むような母性はなく、かといってなにも知らない少女ゆえの無邪気さと天使性も、感じられない。
なんつーか、ふつーに知性があり、計算があるように見えた。
計算を感じてしまうと、萎える。それはマリーじゃない。
あくまでも、わたし個人の好みの話だ。
『モンテ・クリスト伯』は、母として剣を取るメルセデス@みりおんに泣かされた。彼女の苦悩や覚悟に素直に同調した。
母親役だったけれど、母性というよりは、「ひとりの女性」としての生き方に心が揺れたんだなあ。
作品舞台は時代劇でも、メルセデスの描かれ方は、知性と教養のある現代女性と遜色なかった。だから違和感なく感情移入できた。
みりおんの演じるキャラクタには、知性と意志がある。だから、自分の意志で人生を切り開くキャラだと魅力的になる。『モンテ・クリスト伯』しかり、『カナリア』しかり。
彼女が特別強いからそういうキャラを得意としているのではなく、現代女性がふつーに持っているものが、そのまま出ているためだと思う。十代半ばで人生を決めて、すげー倍率の中から音楽学校に入り、宝塚歌劇団で舞台人やってるんだもの、「人生を自分で決めて切り開く」のは、もともと備わったキャラクタだろう。
そのままのみりおん、で演じられない役は、なかなかどーして大変そうだ。
さが@『近松・恋の道行』とか、今回のメラニーとか。
『うたかたの恋』で、みりおんって母性弱いんだ、と思い知った。で、『風と共に去りぬ』のメラニーってのがまた、母性なくして、演じられない役なんだわ。
ひたすらやさしく、ひろく、包み込む海のような女性。
マリーのような無垢な少女ではなく、大人の知性を持ち、そのうえでやさしく寛大な女性。
キャラの根幹に母性が必須、なのに、みりおんはそれが苦手。
というだけでも相当痛いのに。
それに加え、みりおんの、いちばんの弱点が遺憾なく発揮される役だったりするので、えらいことになってる。
わたしは、みりおんのいちばんの弱点は「どこにいるのかわからない」「顔がおぼえられない」ことだと思っている。
ふつうにきれいだし、かわいい。実力も破綻がない。
研1から抜擢され、まぁくんと銀橋を渡っていたことも納得のかわいい娘役さん。
しかし彼女のかわいさは、ひとりだけ特別扱いをしないと、発揮されない。
大勢のなかに混ざると、見分けられなくなる。
バウホールですらそうだった。ヒロインのさがが、遊女たちの間に入るとどれがさがだかわからなくて困った。
わたしの記憶力の問題かもしれんが、わたしの周囲では程度の差こそあれ同意見だった。
かわいいしうまいし、意志があるから、主人公として特別扱いされて、物語が彼女中心に動くと、とても魅力的だ。
でも、そうでない場合はモブに埋もれてしまう。
で、今回のメラニーって……出番も比重も、かなり少ない。
少ない出番で観客の目をさらう華々しさは、みりおんにはない。脇の奥様方、令嬢たちと、混ざって見分けが付かなくなる。
包み込むような母性を出すことができず、モブに混ざっちゃう扱いの役、って、みりおんには苦手の二乗キャラですよ。
バトラー編のメラニーって、こんなにてきとーな扱いなんだ、日生編はいい役だったのに、とは思ったけれど、役の話だけではなく、演じている人にも問題はあるなと。
トップ娘役にこの役、この扱いはないなと思うけど、それとは別に、「こんな役」にしてしまってる面もあるんじゃないかと。
新公主演経験者が、次の新公であえて脇役になり、下級生の初主演を支えたりすることがあるよね? 雪組なんかよくこのパターンで、「新公主演者は、次の公演でハマコの役をやる」と言われていたもんだ。真ん中を経験したあと、脇に立つことで勉強する部分が大いにあるんだろう。
また、主演経験者が、あえて脇役を演じると、なるほどの巧さでその実力と貫禄を示すことになったりする。さすがは新公主演経験者だ、と。
今回のみりおんは、そうあってしかるべき。さすがトップ娘役だ、脇に回ってなおこんなに華やかで実力があるんだ、舞台を支えているんだ、と。
メラニーは控えめで地味な役だから派手にできない、とか、そーゆーことじゃない。控えめな役でも、登場するなり「主要人物キターーッ!」と思わせる力は必要。
みりおんは今、苦手分野を磨いている最中なのかもしれない。
弱点をここで克服し、次の公演では蝶に孵るように、華やかさを得ているのかも。
それを期待する。
この地味で心の奥の見えないメラニーと、みょーーなキモチ悪さのあるアシュレが夫婦だってのが、よくわかんない。
すでに異次元。
とは思ったけれど。
2幕のパーティで、ともちんとみりおんが寄り添っている姿は萌え。身長差も映えて、実に美しいっす。
もっとふつうの芝居で、このふたりのカップリングも見てみたかったな。
メラニー@みりおんは、みりおんの苦手分野が詰まった役なんだなあ、と。
『モンテ・クリスト伯』のみりおんは良かった。彼女に泣かされた。しかし、全ツ『うたかたの恋』はみりおんが苦手で、かなりつらかった。わたしには。
マリー@『うたかたの恋』にわたしが求めるモノは、母性か白痴性か、どちらかだ。はくち、という言葉が現代語として適切でないとしても、医学的な意味じゃなく、文学的な意味で使う。
わたしが求めるのは、すべてを許容する聖母のような大きさか、なにもわかっていない無垢さゆえの痛々しさ。
みりおんにはそのどちらも感じられなかった。ルドルフを許し、包み込むような母性はなく、かといってなにも知らない少女ゆえの無邪気さと天使性も、感じられない。
なんつーか、ふつーに知性があり、計算があるように見えた。
計算を感じてしまうと、萎える。それはマリーじゃない。
あくまでも、わたし個人の好みの話だ。
『モンテ・クリスト伯』は、母として剣を取るメルセデス@みりおんに泣かされた。彼女の苦悩や覚悟に素直に同調した。
母親役だったけれど、母性というよりは、「ひとりの女性」としての生き方に心が揺れたんだなあ。
作品舞台は時代劇でも、メルセデスの描かれ方は、知性と教養のある現代女性と遜色なかった。だから違和感なく感情移入できた。
みりおんの演じるキャラクタには、知性と意志がある。だから、自分の意志で人生を切り開くキャラだと魅力的になる。『モンテ・クリスト伯』しかり、『カナリア』しかり。
彼女が特別強いからそういうキャラを得意としているのではなく、現代女性がふつーに持っているものが、そのまま出ているためだと思う。十代半ばで人生を決めて、すげー倍率の中から音楽学校に入り、宝塚歌劇団で舞台人やってるんだもの、「人生を自分で決めて切り開く」のは、もともと備わったキャラクタだろう。
そのままのみりおん、で演じられない役は、なかなかどーして大変そうだ。
さが@『近松・恋の道行』とか、今回のメラニーとか。
『うたかたの恋』で、みりおんって母性弱いんだ、と思い知った。で、『風と共に去りぬ』のメラニーってのがまた、母性なくして、演じられない役なんだわ。
ひたすらやさしく、ひろく、包み込む海のような女性。
マリーのような無垢な少女ではなく、大人の知性を持ち、そのうえでやさしく寛大な女性。
キャラの根幹に母性が必須、なのに、みりおんはそれが苦手。
というだけでも相当痛いのに。
それに加え、みりおんの、いちばんの弱点が遺憾なく発揮される役だったりするので、えらいことになってる。
わたしは、みりおんのいちばんの弱点は「どこにいるのかわからない」「顔がおぼえられない」ことだと思っている。
ふつうにきれいだし、かわいい。実力も破綻がない。
研1から抜擢され、まぁくんと銀橋を渡っていたことも納得のかわいい娘役さん。
しかし彼女のかわいさは、ひとりだけ特別扱いをしないと、発揮されない。
大勢のなかに混ざると、見分けられなくなる。
バウホールですらそうだった。ヒロインのさがが、遊女たちの間に入るとどれがさがだかわからなくて困った。
わたしの記憶力の問題かもしれんが、わたしの周囲では程度の差こそあれ同意見だった。
かわいいしうまいし、意志があるから、主人公として特別扱いされて、物語が彼女中心に動くと、とても魅力的だ。
でも、そうでない場合はモブに埋もれてしまう。
で、今回のメラニーって……出番も比重も、かなり少ない。
少ない出番で観客の目をさらう華々しさは、みりおんにはない。脇の奥様方、令嬢たちと、混ざって見分けが付かなくなる。
包み込むような母性を出すことができず、モブに混ざっちゃう扱いの役、って、みりおんには苦手の二乗キャラですよ。
バトラー編のメラニーって、こんなにてきとーな扱いなんだ、日生編はいい役だったのに、とは思ったけれど、役の話だけではなく、演じている人にも問題はあるなと。
トップ娘役にこの役、この扱いはないなと思うけど、それとは別に、「こんな役」にしてしまってる面もあるんじゃないかと。
新公主演経験者が、次の新公であえて脇役になり、下級生の初主演を支えたりすることがあるよね? 雪組なんかよくこのパターンで、「新公主演者は、次の公演でハマコの役をやる」と言われていたもんだ。真ん中を経験したあと、脇に立つことで勉強する部分が大いにあるんだろう。
また、主演経験者が、あえて脇役を演じると、なるほどの巧さでその実力と貫禄を示すことになったりする。さすがは新公主演経験者だ、と。
今回のみりおんは、そうあってしかるべき。さすがトップ娘役だ、脇に回ってなおこんなに華やかで実力があるんだ、舞台を支えているんだ、と。
メラニーは控えめで地味な役だから派手にできない、とか、そーゆーことじゃない。控えめな役でも、登場するなり「主要人物キターーッ!」と思わせる力は必要。
みりおんは今、苦手分野を磨いている最中なのかもしれない。
弱点をここで克服し、次の公演では蝶に孵るように、華やかさを得ているのかも。
それを期待する。
この地味で心の奥の見えないメラニーと、みょーーなキモチ悪さのあるアシュレが夫婦だってのが、よくわかんない。
すでに異次元。
とは思ったけれど。
2幕のパーティで、ともちんとみりおんが寄り添っている姿は萌え。身長差も映えて、実に美しいっす。
もっとふつうの芝居で、このふたりのカップリングも見てみたかったな。
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