『風と共に去りぬ』を観るのは、久しぶりです。

 最後に観たのは、日生版。
 すげーチケ難で、チケットがマジで手に入らなかった。だから観られたのは、花組版と雪組版、それぞれ1~2回ずつくらい。何回観たのか、おぼえてないや。とりあえず、どっちも観た。
 雪組贔屓ってこともあるのかもしんないが、雪組版の方が好きだった。フランク@しいちゃんがツボでさ。コム姫のスカーレットがめちゃ美しくてさ。

 日生版の脚本がいちばん好きで、バトラー編は正直つまらんなと思う。
 大切な場面・盛り上がる場面がなくて、どーでもいい場面を説明台詞でつないでいってるだけ。

 不満はいろいろとある。

 しかし。

 泣きました。

 1幕後半、どえりゃー泣いたわー。
 メラニーが倒れてから、アトランタ脱出、バトラーの戦い、タラの大地。
 畳みかける名シーンに、泣いたわー。

 『ベルばら』と同じ。
 どんだけ『ベルばら』が嫌いで植爺脚本が嫌いでも、バスティーユ場面はスイッチ入ってどわーーっと泣ける。
 なんかもう、そういう風にできてるみたい。条件反射?

 戦場場面って、『ベルばら』でいうところのバスティーユだもんねええ。方法論同じで作られてるもんねええ。
 なんか細胞レベルに刻み込まれてる感じで、泣きスイッチ入るわー。

 てことで、幕間はぼろぼろの顔が恥ずかしい、どうしたもんかと焦りました。すっかり油断してて、ハンカチ用意してなかったの。鞄の中だったの。観劇中に鞄ごそごそできないし、しかし泣けて泣けてしょーがないし。
 ちくしょー、植爺め。泣かせやがって。

 やっぱり『風共』は好きじゃないけど、それでも、力のある作品だと思う。
 残念演出を直して、もっともっと盛り上げて欲しい。大切にして欲しい。
 『ベルばら』ほど見る影もなく壊れているわけじゃない、まだ手の打ちようがあると思う。

 バトラーとスカーレットの恋愛モノである以上、絶対に書かなければならないのは、「ふたりの出会い」と「ふたりの結婚」。
 なのにこのバトラー編では、両方ない。
 他の場面を縮小してでも、とにかくこの2場面書こうよ……。
 出会い場面は、スカーレットがアシュレに振られて当て付け結婚をする、アシュレとメラニーの婚約、南北戦争勃発と、物語に必要な要素が詰まっている。この場面を書かない意味がわからない。
 また、バトラーを袖にし続けていたスカーレットが、2幕では突然結婚している。1幕でバトラーは「結婚する気はない、情婦になれ」と言っていたこともあり、唐突すぎる。
 主人公とヒロインが結ばれる場面は、出会いと同じくらい大切、てゆーかふつーに考えてめっちゃ盛り上がるオイシイ場面だろうに。
 なんで書かないのか、意味がわからない。

 出会いもなければ、結ばれる場面もない。
 なのにクライマックスはふたりが「別れる」場面。

 それまでもぶつ切りだが、特に後半のバトラーの嫉妬からスカーレットの気づき、それから別れまで、場面ごとがまったくつながってない。

 だから2幕が盛り下がる。
 バスティーユ(戦場)は盛り上がるし、死刑台の階段を上るアントワネット(出て行くバトラー)は盛り上がる。でも、それだけ。
 植爺お得意の「そこだけの場面」が盛り上がるだけで、それ以外はぐたぐた。
 基本的な作劇能力とか、そもそも「人の気持ち」を理解出来ない人が脚本を書くと、こんだけひどいことになるのか、という。


 ところで2幕冒頭のショー場面は、書き下ろしですか? わたしははじめて観ました。

 正直、微妙……。
 2幕本編内でやってることを、わざわざ時間取ってやらんでヨシ……。演出も曲もダサくて盛り上がらないしさー。
 しかも、2幕の幕開きにやると、かえってストーリーをわかりにくくしているよね?

 1幕ラストが、戦争によって焼け落ちたアトランタ、タラ。
 なにもかもなくし、ボロボロの姿で、それでも立ち上がるスカーレット。

 なのに次に幕が開いたとき、舞台にいるのはきれーな衣装の若者たち、以前と変わらぬ様子の街の人たち。
 あれ? 戦争はどうなったの? もうみんな、こんなに日常生活で、のんきに「戦争の話」ができるくらい、時代が変わったの?
 戦争を嘆くことも、新しい時代を夢見ることも、「次の時代に入った」からできることよね。
 今現在、戦後の混乱の只中だと、それどころじゃないよね。

 時代がどーんと飛んだんだわー、と思ったら。
 次の場面で出てくるのは、戦後の混乱まっただ中、びんぼーで大変!なスカーレットとアシュレ。
 ……あれ?

 そのあとから、「戦争は終わった、新しい時代だ」と言う若者たち、「時代が変わり、伝統が汚された」と嘆く大人たちの場面になる。

 感覚が、行きつ戻りつして、わたしにはうざく思える。
 1幕ラストと2幕のスカーレットとアシュレの場面は、ちゃんと続いている。
 なのに、いらんオープニングショーを付けて、せっかくの継続感を、ぶっ千切っている。

 1・戦争ですべて焼け落ちた
 2・「新しい時代だ」と歌い踊る2幕オープニング
 3・戦後の困窮真っ只中のスカーレット
 4・「新しい時代だ」と歌い踊る若者たちと、それを嘆く人々
 と番号を振ると、気持ちの流れ的には、1→3→2→4で、行きつ戻りつするのよ。
 2さえなければ、ふつーに進むのにさ。2と4は同じことを言っているだけだから、ふたつもいらないのにさ。
 あとから加えた2のおかげで、ちゃんと機能していた1、3、4までもが泥を付けられた感じ。

 2幕最初をショーアップするのも、役も出番もない多くの組子たちの救済意味でも、アリだと思う。
 ただ、今の場面は「センス悪っ」としか、思えない。

 上記の1と3をつなぐのなら、「戦争の恐ろしさ」や「悲しさ」、「戦後の混乱」をショーとして描けば良かったのに。
 幕開きは「明るく楽しくなくてはならない」というなら、「在りし日の南部」とでもして、その直後に登場する、過去の幻影に囚われたアシュレの銀橋ソロにつなげれば良かったのよ。

 『ベルばら』が再演されるたび改悪されていく、それと同じことがこの「書き下ろし場面」に現れてるってことかしら。
 「それ、さっきも聞いた」「また同じことを喋ってる」の連続だったもんなあ、『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』。あとから付け加えた場面、台詞、ネタ、すべて不要、害悪でしかなかった。


 来年の月組梅芸公演は、日生編だといいな。

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