わたしが観たことのある『風と共に去りぬ』ってええっと、いつのかわかんないバトラー編と、80周年の雪組スカーレット編、そのあと轟主演全ツのバトラー編(タータンがスカーレット!!)、そしてやはりトド様主演の日生編……よね。
 あ、それと天海の月組バトラー編だ!

 最初に観た『風共』は、ヅカヲタになる前、母に連れられて行った公演なので、出演者もなにもおぼえてない。スカーレットがふたり出てきてびっくりした記憶がある。いくつのときに観たのかも、思い出せないわー。
 大阪に生息する女子として、「母娘でちょっと特別なおでかけ」として、ヅカ観劇があったのな。母もわたしもヅカに興味もなんもなかったけど、ちょっとおしゃれしてちょっとかしこまって出掛ける、手軽なイベント的な意味で、子どもの頃から宝塚歌劇に親しんできた。
 それで観たのが最初。

 なんにもわかってない少女でも、「しまった、これは続き物の、後編かなんかだ」ということは、わかった。
 タイトルに「2」とは書いてないけど、きっとそうだ。タカラヅカってよくわかんないから知らなかったけど、続きモノも上演してるんだ。「1」から観なきゃいけなかったんだ。
 そう思った。

 幕が開いてから、最後の最後まで、ずーーっと、主要登場人物たちが出会い、人生の岐路となった「樫の木屋敷」の話ばかりが出る。バトラーとスカーレットが出会い、スカーレットがアシュレに振られ、アシュレとメラニーが婚約し、南北戦争がはじまった……そんな大事件が、えんえんえんえん繰り返し話題に上る。しかも、そのときのことが、今の彼らの行動や立場の原因である。
 樫の木屋敷の場面は、「1」にあったんだ。わたしは「2」から観てしまったからわからないんだ。……そう、思ったのよ。

 タカラヅカの『風と共に去りぬ』に「1」も「2」ない、この「どっから見ても続編」でしかない作品単体で成立していたなんて!!
 夢にも思わないわ。


 いやあ、そんなことすっかり忘れてたねー。
 そうだったそうだった、『風共』ってそうだったわー。

 起承転結の「起」の部分なしに、いきなりダラダラ「承」ばっかやってたんだった。

 宙組公演『風と共に去りぬ』初日観劇。
 『風共』というと「つまらない」「長い」「役がない」という先入観のみで観劇し、自分の記憶がいろいろとごっちゃになっていることは、わかっていなかった。

 生まれてはじめて観た『風共』は、そりゃすんなり心に入る。わたしの脳細胞も若くて柔軟だったろうし。(そのわりにいつ観たのかもおぼえてないのは、「物語」にしか興味がなかったせいだと思う。アニメを見てストーリーはおぼえていても、声優の名前や放送年をおぼえてないよーなもん)
 まずインプットされたのが、通常のバトラー編と呼ばれるバージョン。
 次に観たのも月組80周年のバトラー編だし。チケ難で2回か3回しか観られなかったけど、同じバージョンだから素直に初見時の記憶の輪郭をなぞった。

 でも、いちばん濃く脳細胞に刷り込まれたのが、80周年のスカーレット編だ。
 なにしろ前夜祭から役替わりから、全部観たもんなー。東宝遠征までしたもんなー。当時のわたしにしては例を見ない行動力。

 えんえんえんえん、同じ芝居を見た。
 や、リピートしたといっても、今の数分の一の回数だったと思うけど、当時のわたしには金銭的にも社会的にも、すげー冒険だったはず。

 そして。
 雪組全ツ版の『風共』はイロモノというか、語り出すとちょっと別方向にズレるので(バトラー@トドロキ、スカーレット@タータン、アシュレ@トウコよ? チラシにはバトラー@トドロキとスーツでリーゼントのタータンと、ドレス姿のグンちゃんが載ってるのよ? いろんな意味ですごすぎた・笑)置いておいて。
 イロモノというと、石田ショーのパロディ、TCAスペシャルのバロディも、記憶に焼き付いてるけど、それも置いておいて。

 今とほぼ同じ感覚のヅカヲタになってから観たのが、日生版。
 チケ難公演だったゆえに、回数は観られなかったけれど、記憶に新しいこともあり、過去が全部ここに上書きされた感。


 『ベルばら』に関しては、あとになればなるほど植爺脚本はひどいことになっていたけれど、『風共』はそうでもないんだ?
 『風共』のいいところは、植爺が勝手な改悪をしないこと、昔のままの状態での再演を期待出来ること、だと思っていた。

 それ、認識違いだったのか。

 わたしが観た順番はバトラー編→スカーレット編→日生編で、スカーレット編だって一番最初に上演されたスカーレット編まんまじゃなく、80周年当時に改編されたバージョンよね?
 改編された作品の方が、良くなってる。
 『ベルばら』と逆!!
 『ベルばら』は植爺が余計なことしない、昔の作品の方がいいのに、『風共』は改訂後の方がいいや!

 スカーレット編を観たときに、「バトラー編よりいい」と思った。
 そもそも『風と共に去りぬ』自体が、「主人公」はスカーレット。なのに無理矢理バトラー主役にするから、収まりが悪い。
 主人公でない人を主人公にしたため冗長な流れになり、そうしてもまだ、主人公でないはずのヒロインが主人公のように見える。
 しかも、「後編」としか思えない作りだし。
 これ以前に「1」があった、これは「2」で、連続ドラマを途中から見たんだとしか思えない、雑な作り。
 それが、スカーレット編では解消されていた。バトラー編で「変だ!」「キモチ悪い!」と思ったところが、解消されていた。
 ちゃんと「1」から物語がはじまっているし、主人公のスカーレット中心の物語が進む。もちろん、「ヲイヲイ」なところも多々あるが、バトラー編よりマシ。
 つか、スカーレットIIなんてキャラ、いらないし。

 でも、タカラヅカは男役がトップスター、男役が主役。
 女性が主人公の作品を上演するのはやっぱり、ちがってる。

 それを解消するのが、日生版だった。
 バトラー主人公だけど、ストーリーの流れは、まともだったスカーレット編をベースに展開する。
 スカーレット編にバトラー視点と見せ場を追加するから、単純に「上演時間が長い」っていう、作家の腕でもなんでもない改編っぷりなんだけど、上演時間にこだわって壊れたモノを見せられるより、長くなってもマシなモノを見せられた方がずーーっといい。

 いちばん新しいバージョンである日生版が、いちばん良いバージョンだったんだなあ。
 昔のまんまのバトラー編は、わたしにとってイライラする部分が大きいなあ、ストレスだなあ。

 そんなことに気づいた、宙組初日。
 年寄りなのでまず、昔語りから。

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