『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。


 フェルゼンに別れを告げられたアントワネットは、そこに現れたオスカルを一方的に罵る。
 オスカルはただ、「ここにいると人目につく。建物の中に入ってくれ」と、アントワネットのために言っている。なのにアントワネットは、その道理もわからずその場でわめき立てる。「なぐさてくれないなんて冷血漢! お前の血は何色だ?!」てなことを。
 ぽかーんとなるような、最悪の言動。何故そんな「人間としておかしい」ことを、わざわざヒロインにさせるのか、本気でわからない……。


 また、アントワネットの長台詞は、無理な説明台詞であるにもかかわらず、情報が、間違っている。
 オスカルがアントワネットの守護をするようになったのは、アントワネットが王太子妃として嫁いできた14歳のとき。そして、オスカルとアントワネットは同い年。ゆえに、「十一才の時から近衛兵としていつも私を守ってくれた」は間違い。
 オスカルは11歳で近衛隊に入隊した、14歳の時から王太子妃付きになった、このふたつの事象を混同して喋っている。
 オスカルがいくつで近衛隊に入ったという情報は、「オスカルに冷たくされた! うわあああん!!」となっているアントワネットが今ここで、解説しなくてはならないようなことなのか?
 アントワネットが14歳で嫁入りしたってのは、それまでにえんえん聞かされていたので、この台詞だけ聞くと「オスカルってアントワネットより3歳以上年下なんだ」と思うよね? 11歳のオスカルが14歳でフランスに来たアントワネットを守りはじめるわけだから。
 「近衛兵のあなたは、14歳の時からいつも私を守ってくれた」でいいんじゃないの?

 無駄な説明台詞。
 今ここで、その解説は必要なのか。いや、どう考えたっていらんだろ。
 観客を混乱させるだけだろ。
 説明になっていない、理解を損なう害となっている。

 いつもの植爺クオリティ。彼の説明台詞はいつもそう。
 それを表現するために適切な事柄を選べない。
 あるのは独善的な感情のみ、数学的な組み立てが出来ない。

 ちなみに、2006年の『フェルゼンとアントワネット編』に、この「逆ギレするアントワネット」の場面はない。
アントワネット「フェルゼン…、ああ、私の生命の悦び、生きる希望。私の魂はフェルゼンと共に遠く飛び去ってしまった…」
 という台詞のあと、退場している。
 だから素直に、彼女の恋の終局に感情移入することも、涙することも出来た。

 わざわざアントワネットのもっとも最低な場面を復活させる(全ツ版にはあったよな?)のは、何故だ。

 植爺の、あゆっちへの配慮かな、とは思う。
 植爺はナニしろ、「役者の格は、豪華衣装と台詞の行数」だと信じている人だ。
 出番の少ないあゆっちに、思いやりで「アントワネットの長台詞場面」を付け加えたのではないかと思う。
 台詞の意味も内容も関係ない、どんだけぐたぐたに無意味な説明台詞をくり返しているだけでもいい、人として間違っていてもいい、とにかく長ければいい。行数が稼げればいい。
 「ル・サンク」で9行にも渡る長台詞は、役者の格としては最高峰のひとつ。それゆえに、わざわざ2006年版にはなかった台詞を、今回は引っ張り出してきたのかも。
 ……だしたら、ほんと救いようのないバカだけど。


 そもそも、アントワネットは何故オスカルを罵るのか。

 原作にあるからだ、と植爺は考えていそうだ。
 たしかに、それに似た場面はある。「フェルゼンと別れてください」と進言するオスカルに、アントワネットが14歳で恋も知らずに嫁いできたことから半生を語り、「あなたに女の心を求めるのは、無理なことだったのでしょうか」と言う。植爺は、この場面を踏襲しているつもりなんだと思う。

 しかし、植爺が思っているようなこととは、まったく違う。ぜんぜん違う。カケラも合ってない、むしろ正反対。

 「フェルゼンと別れてくれ」と言うオスカルに対し、アントワネットは相手を責めたり、罵ったりはしない。絶対しない。
 処分を恐れず、真に自分のために言ってくれているのだと理解した上で、まず、礼を言う。
 オスカルの真心に礼を言い、そのあとで抱えてきた孤独を口にし、「フェルゼンを求めることは、神でさえ止めることは出来ない」と告げる。

 「あなたに女の心を求めるのは、無理なことだったのでしょうか」と言う場面は、アントワネットがオスカルを責めて罵る場面ではなく、感謝して、礼を言う場面なんだよ!!
 正反対ですがな!

 そしてオスカルは、アントワネットに罵られたから傷つくのではなく、アントワネットの抱えてきた孤独に気づいてやれなかった、そんな至らぬ自分を責めるんだ。

 植爺は言葉だけ拾ってキャラクタの心情も場面の意味も理解せず、真逆の意味で使っているんだ。

 植爺は、他人を恨んだり攻撃したりすることしか、人間の感情を理解出来ないのかな。それしかないと思っているのかな。
 だから孤独に悲しく微笑むアントワネットは「逆ギレして罵倒三昧」、自分を責めるオスカルは「罵られたから辛い」、そんな超絶「安い」キャラクタに成り下がっている。
 こんな乏しい感性の人がクリエイターとして、モノ作りをしているのかと思うと、薄ら寒くなる。

 ほんとに、最悪。
 大嫌い。
 原作を読むことも理解することも出来ないなら、作劇に関わらないでくれ。

 植爺の描くアントワネットは、フェルゼンと同じくらい、邪悪で最低な人間だ。

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