『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。


 アントワネットの初登場場面が、「第10場」ってどうなの。
 ちなみに1幕は15場までしかないんですが。

 突然出てきて別れ話。
 まったくもって感情移入出来ない構成。

 いらない3つの場面を削って、フェルゼンとアントワネットのラブラブデート場面を描けば良いのに。
 いわゆる「小舟」のシーン、わたしは嫌いだけど。仮面舞踏会でフェルゼンがみっともなく立ち往生していたとか、そこでやさしく声を掛けたからアントワネットに恋したとか、原作レイプのひどい台詞オンパレードだもん。
 原作のフェルゼンはモテモテの貴公子で、舞踏会で誰にも相手にされず恥を掻いているよーな情けない男じゃないもん。アントワネットもそんな「劣った姿」に「同病相憐れむ」で声を掛けるわけじゃないもん。
 目が合った瞬間の、運命の恋なんだもん。

 だからそんなひどい場面をやって欲しいわけじゃないけど、そんなひどい場面すらないのは、もっとひどい。

 まあ、それはともかく。

 許せないのは、フェルゼン絡みではなく、オスカルに対して。

第1幕
第10場 宮殿の庭園B

アントワネット「オスカル! あなたをだと思い込んでいた私が間違っていたようね…あなたは十一才の時から近衛兵としていつも私を守ってくれた。そして、誰よりもの私の気持ちを理解してくれると信じていた…それはあなたも私と同じだからと心を許していたのに‥あなたはいつの間にかの気持ちを失ってしまったのね。私は馬鹿だった。その軍服の下には私と同じの血が流れていると思い込んでいたなんて…」

 ひとつの台詞の中で、「女」って5回も言ってますよ?!

 えーと。
 素朴な疑問なんだが、アントワネットがこの台詞をオスカルに言う意味、メリットは、どこにあるんだ?

 どう考えても、間違っているのはアントワネットだ。
 フェルゼンに振られたことが悲しくて、手近にいたオスカルに逆ギレして罵っているだけ。オスカルは(言葉は足りないと思うが)悪くない。

 絶対に逆らえない立場の罪なき人間を、一方的に罵り嬲り、被害者ヅラして去って行く、って、こんな言動取るキャラクタに、いったい誰が好意や同情を抱くんだ?
 主人公の相手役、この作品のヒロインを徹底的に貶めて、誰が得をする? なんの意味がある?

 メルシー伯爵に暴言を吐くフェルゼン、を、植爺はひょっとしたら「カッコイイ」と思って書いているのかもしれない。逆ギレして罪なき者を罵り嬲る、それが植爺的には「うっとりするほどカッコイイ、ファンサービス場面!」と思っているのかもしれない。
 だから同じことをするアントワネットも「ヒロインの魅力爆発! 誰もがアントワネットに同情して涙を流す最高場面!」と思って書いているのかもしれない。

 わたしには理解出来ないけれど、そうでも思わないと、ほんっとーに、わけわかんない。
 フェルゼンやアントワネットが「キチ〇イ」にしか見えない台詞や場面を、わざわざ入れるのは。

 上記のアントワネットの長台詞の気持ち悪さ。
 「女」「女」と5回も連呼。
 単純に、文章として、おかしい。無駄な説明台詞。もっと短く簡潔に、この台詞で言いたかったことをまとめることは出来る。同じ内容を言うのでも、「女」を5回も言う必要はまったくない。

 そして、言っている内容もおかしい。
 「私と同じ女だから、信頼していた」……バカ? あ、自分でバカだって言ってるか。

 アントワネットがオスカルを信頼して好意を持っていたのは、オスカルだからではなく、「女」だからだそうだ。「女」であれば、誰でもよかったらしい。
 そんな人間関係しか築けない、と、ものすげー情けないことを「わたしって可哀想!」と被害者意識ゆんゆんでがなり立てていく、阿呆で下品な女。


 このアントワネットの台詞について、まだ続きますよ。

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