『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。
むしろジェンヌさんはすごいのですよ。こんだけ嫌い嫌い言ってるのに、それでも観劇出来るのはジェンヌさんが力業で、説得力を持たせて演じてくれているから。
見れば見るほどジェンヌさんを好きになる。
……けど、植爺『ベルばら』もそこのキャラクタも嫌い(笑)。
植爺『ベルばら』でキャラクタ破壊について言及しても仕方ないくらい、すべてのキャラクタが破壊されているけれど。
ナニ気に酷いのはジャルジェ夫人だと思う。
今回のジャルジェ夫人、ひどいね! ありえないね!
原作のジャルジェ夫人は、穏やかで控えめ、たおやかな小さな花のような女性、というイメージ。
決して出しゃばらず、自分の意見を言わず、夫や子どもに従っている。
いわゆる「貴族の強い奥方」ではない。
社交界でぶいぶい言わせるようなタイプじゃない。
きっと芯は強いんだろうけれど、一見地味で目立たない、母性的でやさしく聡明な女性なんだろう。真の「お姫様育ち」って、こういうことをいうんだろうな、ってな。
なのに植爺『ベルばら』のジャルジェ夫人と来たら。
いつも言いたいことをずけずけ言う「大阪のおばちゃん」みたいな人。
こんだけいつでもどこでも前面に出てきて言いたいことを言う人なら、そもそもオスカルを男として育てることを承知しなかったはず。
原作のひかえめでやさしい「理想の女性」「理想の母」像を、見事にぶち壊してくれて、毎回不快だったんだが、今回はいつもにも増して、ひどい。
ジャルジェ将軍が登場しないため、その役割も兼ねている。
おかげで「女将軍」のような押し出しと、貫禄。
どこの女帝陛下だよ……。
みとさんがまた、威厳たっぷりに演じてるからなあ……。原作は丸無視なんだろうなあ。
パリの情勢に興味を持ったり、政治だの革命だのに興味を持つ女性じゃないだろうに、ベルナール相手に政治談義を持ちかけるときたもんだ。
オスカルが女なのに男として育ったことで、広い視野を持てた……のは、この時代の女性たちが政治や国家に興味を持たない、口を出さない、ことも関係していたんじゃないの? 宮廷の権力争いとか、そーゆーレベルのことじゃなく。
なのにジャルジェ家では夫人も長女(結婚して子どももいる)もふつーに、政治や国家を語るんだったら、オスカルが男として生きる意味が薄いじゃん。
オスカルも好きなだけドレスを着てお化粧して、好きな男と恋愛して結婚して、子どもを産んで、さらに政治でも国家でも、身分制度のことでも、考えたり論じたりすればいいんだよ。
わたしはどの『ベルばら』も、ジャルジェ家の人々の場面が嫌い。
だから、出てこなくてかまわないのに、といつも思う。
今回はまだ、大嫌いなマロングラッセが出ていないだけマシ。
植爺『ベルばら』でいちばん嫌いなキャラクタは、まちがいなくマロングラッセ(笑)。
第1幕
第8場 カーテン
ジャルジェ家に、ロザリーとベルナールがやってくる。
ここでもおかしいのは無意味な説明台詞の応酬。
オルタンスのはしたない台詞「ロザリー、赤ちゃんは?」も、「ベルナールは今、最も忙しい新聞記者なんですから!」という説明台詞を言いたいがためでしょ?
しかし、「忙しくて子どもを作る時間がない」って……ナニその下品なやりとり……。
で、またしてもこの舞台には登場しない固有名詞の羅列。
説明台詞が長いだけで、観客にはちっとも状況が伝わらない。
パリの状況を固有名詞羅列して説明するよりも、お前ら、誰だよ?!ってことの方が重要でしょ?
ロザリーとベルナール。
『フェルゼン編』では、ラスト場面に関わってくる大切な役だ。
彼らがどういう人たちなのかをきちんと説明しなきゃ、ラストがぽかーんになるでしょうに。
まず、彼らが「平民」であること。
植爺に言わせるとふたりとも「貴族」なんだけどね。「貴族」に対してナニかしらこだわりか劣等感があるらしい植爺は、ロザリーとベルナールが「半分貴族の血を引いている」ことが最重要であると、油断すると語り出す。
設定上はそうなっているけれど、この短い上演時間では不要な情報だから、ここではきっぱりと「平民」とした方がいい。
平民で、最初貴族を憎んでいたが、オスカルと出会うことによって考え直し、友人となった相手だと。オスカルのことは好きだけど、貴族は嫌い、貴族におもねる気はない。
革命時にはもちろん平民側、ベルナールは革命の闘士として活躍。ロザリーはその妻として内助の功。オスカルはロザリーの初恋のひと。
たぶん今のままの描き方だと、原作知らない人はぽかーんだよなあ。
ベルナールたちは登場するたびに立ち位置が違っていて。
ただ、今回の
ベルナール「彼らは自由、平等、友愛。この三つを旗頭に立ち上がった―」
オスカル「自由、平等、友愛…三色旗か、悪くないな」
という流れは、オスカルの変心を表すのにいい感じだと思う。
ここできちんと語らせ、「第6場 ベルサイユ宮殿」でジェローデルの前で突然愚痴らせるの、やめればいいのに。
むしろジェンヌさんはすごいのですよ。こんだけ嫌い嫌い言ってるのに、それでも観劇出来るのはジェンヌさんが力業で、説得力を持たせて演じてくれているから。
見れば見るほどジェンヌさんを好きになる。
……けど、植爺『ベルばら』もそこのキャラクタも嫌い(笑)。
植爺『ベルばら』でキャラクタ破壊について言及しても仕方ないくらい、すべてのキャラクタが破壊されているけれど。
ナニ気に酷いのはジャルジェ夫人だと思う。
今回のジャルジェ夫人、ひどいね! ありえないね!
原作のジャルジェ夫人は、穏やかで控えめ、たおやかな小さな花のような女性、というイメージ。
決して出しゃばらず、自分の意見を言わず、夫や子どもに従っている。
いわゆる「貴族の強い奥方」ではない。
社交界でぶいぶい言わせるようなタイプじゃない。
きっと芯は強いんだろうけれど、一見地味で目立たない、母性的でやさしく聡明な女性なんだろう。真の「お姫様育ち」って、こういうことをいうんだろうな、ってな。
なのに植爺『ベルばら』のジャルジェ夫人と来たら。
いつも言いたいことをずけずけ言う「大阪のおばちゃん」みたいな人。
こんだけいつでもどこでも前面に出てきて言いたいことを言う人なら、そもそもオスカルを男として育てることを承知しなかったはず。
原作のひかえめでやさしい「理想の女性」「理想の母」像を、見事にぶち壊してくれて、毎回不快だったんだが、今回はいつもにも増して、ひどい。
ジャルジェ将軍が登場しないため、その役割も兼ねている。
おかげで「女将軍」のような押し出しと、貫禄。
どこの女帝陛下だよ……。
みとさんがまた、威厳たっぷりに演じてるからなあ……。原作は丸無視なんだろうなあ。
パリの情勢に興味を持ったり、政治だの革命だのに興味を持つ女性じゃないだろうに、ベルナール相手に政治談義を持ちかけるときたもんだ。
オスカルが女なのに男として育ったことで、広い視野を持てた……のは、この時代の女性たちが政治や国家に興味を持たない、口を出さない、ことも関係していたんじゃないの? 宮廷の権力争いとか、そーゆーレベルのことじゃなく。
なのにジャルジェ家では夫人も長女(結婚して子どももいる)もふつーに、政治や国家を語るんだったら、オスカルが男として生きる意味が薄いじゃん。
オスカルも好きなだけドレスを着てお化粧して、好きな男と恋愛して結婚して、子どもを産んで、さらに政治でも国家でも、身分制度のことでも、考えたり論じたりすればいいんだよ。
わたしはどの『ベルばら』も、ジャルジェ家の人々の場面が嫌い。
だから、出てこなくてかまわないのに、といつも思う。
今回はまだ、大嫌いなマロングラッセが出ていないだけマシ。
植爺『ベルばら』でいちばん嫌いなキャラクタは、まちがいなくマロングラッセ(笑)。
第1幕
第8場 カーテン
ジャルジェ家に、ロザリーとベルナールがやってくる。
ここでもおかしいのは無意味な説明台詞の応酬。
オルタンスのはしたない台詞「ロザリー、赤ちゃんは?」も、「ベルナールは今、最も忙しい新聞記者なんですから!」という説明台詞を言いたいがためでしょ?
しかし、「忙しくて子どもを作る時間がない」って……ナニその下品なやりとり……。
で、またしてもこの舞台には登場しない固有名詞の羅列。
説明台詞が長いだけで、観客にはちっとも状況が伝わらない。
パリの状況を固有名詞羅列して説明するよりも、お前ら、誰だよ?!ってことの方が重要でしょ?
ロザリーとベルナール。
『フェルゼン編』では、ラスト場面に関わってくる大切な役だ。
彼らがどういう人たちなのかをきちんと説明しなきゃ、ラストがぽかーんになるでしょうに。
まず、彼らが「平民」であること。
植爺に言わせるとふたりとも「貴族」なんだけどね。「貴族」に対してナニかしらこだわりか劣等感があるらしい植爺は、ロザリーとベルナールが「半分貴族の血を引いている」ことが最重要であると、油断すると語り出す。
設定上はそうなっているけれど、この短い上演時間では不要な情報だから、ここではきっぱりと「平民」とした方がいい。
平民で、最初貴族を憎んでいたが、オスカルと出会うことによって考え直し、友人となった相手だと。オスカルのことは好きだけど、貴族は嫌い、貴族におもねる気はない。
革命時にはもちろん平民側、ベルナールは革命の闘士として活躍。ロザリーはその妻として内助の功。オスカルはロザリーの初恋のひと。
たぶん今のままの描き方だと、原作知らない人はぽかーんだよなあ。
ベルナールたちは登場するたびに立ち位置が違っていて。
ただ、今回の
ベルナール「彼らは自由、平等、友愛。この三つを旗頭に立ち上がった―」
オスカル「自由、平等、友愛…三色旗か、悪くないな」
という流れは、オスカルの変心を表すのにいい感じだと思う。
ここできちんと語らせ、「第6場 ベルサイユ宮殿」でジェローデルの前で突然愚痴らせるの、やめればいいのに。
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