『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』という作品・脚本の嫌いなところだけを記すシリーズです、はい。演じているジェンヌには無関係、植爺だけの話。
「第1幕 第7場 フェルゼンの屋敷」……いわゆる、フェルゼンとメルシー伯爵のお説教場面を、わたしは不要だと思っている。
理由は、「第5場 王家の紋章」と同じだ。
無意味な説明台詞をただ垂れ流し続ける。しかも、話の内容に整合性がない。
無意味なのは、同じ会話を別の場面で別の者たちが語るからだ。同じ説明台詞はいらない。
だらだらアントワネットの状況を説明したわりに、フェルゼンは説明内容とは関係ないことを言うし、会話のキャッチボールが成立しない。
さらに、キャラクタの人格を破壊している。どう考えても正しいのはメルシー伯爵なのに、それに対してフェルゼンは逆ギレしてメルシー伯爵を罵る。主人公としてあるまじき最低行為。
画面にいるのはフェルゼンとメルシー伯爵だけ。フェルゼンは美しいけれど、演出的に動きがなくて美しくない。
話の内容に「意味がある」か「簡潔でわかりやすい」か、あるいは、まーーったく意味もなくナニ言ってんのかすらわからない外国語を流しているのであったとしても、最低限「美しい」なら許されるが、この3つの要員をなにひとつ満たしていない。
よってわたしは、この場面の存在を全否定する。
また、第5場で語っているけれど、この場面がさらにさらに過去作品よりつらくつまらなくなっているのは、不要な台詞が加えられているためだ。
客観的な目を持たないまま「出来上がった作品」に加筆を続けると、それは大抵「不要」なものを加えて自己満足に陥いる、魔のスパイラル。
植爺作品が再演されるたびに改悪されているのは、ここに原因のひとつがあると思う。もともとあるモノに、チガウ時点から加筆するので、悪い方向にしか進まない。
てゆーかこの長くてつまらなくて無意味なメルシー伯爵の場面、台詞、増えてるし!!
まだ増やすのか! 加えるのか!
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』で110行ある場面が、今回の『フェルゼン編』では130行。
植爺渾身のお気に入り場面なんだろう、台詞はほとんど変わっていない。わたし的なトピックは「いたいけない」をやめたくらいかな。
2006年のときは、くり返される「いたいけない」が耳触りだった。「いたいけな」では何故いけないんだろう。あまり使わない用法なのに、わざわざ「~い」を付けて形容詞にして使うのは何故だ。
そう疑問だったんだが、今回はあっさりと「いたいけな」になっていた。なんだ、意味なんかなかったのか。じゃ、耳障りなだけだったんだなほんと。
メルシー伯爵「(毅然として) フェルゼン伯爵。お聞き下さい。女王陛下は私にこう仰云ったのでございます… メルシー伯爵、お願いしましたよ、あの娘はまだ十四歳、あのいたいけない娘のことは全ておまかせします。どうか、立派なフランスの人間として、ブルボン王家の人々、いやフランス全土の人々に愛され、尊敬される女王
に育ててください…と。その約束を私はお引き受けしたのです。しかし、十四歳のまだまだいたいけないお姫様、おやさしいお母様と別れ、仲睦まじかったご兄弟とも別れ、そして今まで朝晩かしずいていた人々とも別れ、私とたった二人、どんなに心細く、お淋しかったことでございましよう。そう、こんなこともありました。お姫様が一番大切になさっていつもお側においていらっしゃった、ステファンというお人形さえも、もうあなた様は今日から子供ではありませんと、無情にも取り上げてしまったのでございます…その時のアントワネット様の悲しそうなお顔…目に一杯涙をためて…なにも仰云らずに私にお渡し下さいました」
下線部は2006年にあって、今回はない部分。
で、今回はこのクソ長い説明台詞に、
メルシー伯爵「その時のことを思い出しますと、今でも涙が…フェルゼンさま…お笑いください… (思わず泣く)」
が加わっている。
そしてさらに、
メルシー伯爵「そんなアントワネットさまがフランスの王妃になられてもう十一年…それなのに私は女王さまとのお約束も守れず。とうとう尊敬されるフランスの王妃にお育てすることも出来ませんでした」
フェルゼン「それはあなただけの責任でも、アントワネットさまの責任でもありません」
メルシー伯爵「しかし、結局はすべて王妃さまの責任になっていることは、あなたもご承知ではありませんか! 今のこのフランスの騒然たる有り様は全て王妃の責任だと、誰もが、誰もが…」
フェルゼン「メルシー伯爵…」
というくだりが、今回のオリジナル部分。
尊敬される王妃になれなかったのは、王妃の責任だろう。
もちろん、教育係のメルシー伯爵の責任でもある。
なのにナニを、堂々と責任逃れをしている?
アントワネットが怠惰で、王妃としての義務を放棄してきた結果なのに。
罪は明白なのに「誰も悪くない」。罪を犯した理由は「可哀想」だから、「仕方なかった」、従って、「誰も悪くない」。
「アントワネットちゃんは万引きをしました-、悪い子でーす!」
「アントワネットちゃんはパパもママもいなくて寂しかったんだよ! だからアントワネットちゃんは悪くないよ!」
「そうだそうだ、可哀想なんだから、万引きくらいしてもいいと思いまーす」
という、素敵学級会。
わざわざ「可哀想なアントワネットちゃん」とメルシー伯爵を泣かせて、「可哀想だから、ナニをしても悪くない」「悪くないのに、アントワネットちゃんのせいにされている」って。
ナニこのぽかーんな理由……。
まだ終わりじゃないです、今回の加筆部分について、次項へ続く。
「第1幕 第7場 フェルゼンの屋敷」……いわゆる、フェルゼンとメルシー伯爵のお説教場面を、わたしは不要だと思っている。
理由は、「第5場 王家の紋章」と同じだ。
無意味な説明台詞をただ垂れ流し続ける。しかも、話の内容に整合性がない。
無意味なのは、同じ会話を別の場面で別の者たちが語るからだ。同じ説明台詞はいらない。
だらだらアントワネットの状況を説明したわりに、フェルゼンは説明内容とは関係ないことを言うし、会話のキャッチボールが成立しない。
さらに、キャラクタの人格を破壊している。どう考えても正しいのはメルシー伯爵なのに、それに対してフェルゼンは逆ギレしてメルシー伯爵を罵る。主人公としてあるまじき最低行為。
画面にいるのはフェルゼンとメルシー伯爵だけ。フェルゼンは美しいけれど、演出的に動きがなくて美しくない。
話の内容に「意味がある」か「簡潔でわかりやすい」か、あるいは、まーーったく意味もなくナニ言ってんのかすらわからない外国語を流しているのであったとしても、最低限「美しい」なら許されるが、この3つの要員をなにひとつ満たしていない。
よってわたしは、この場面の存在を全否定する。
また、第5場で語っているけれど、この場面がさらにさらに過去作品よりつらくつまらなくなっているのは、不要な台詞が加えられているためだ。
客観的な目を持たないまま「出来上がった作品」に加筆を続けると、それは大抵「不要」なものを加えて自己満足に陥いる、魔のスパイラル。
植爺作品が再演されるたびに改悪されているのは、ここに原因のひとつがあると思う。もともとあるモノに、チガウ時点から加筆するので、悪い方向にしか進まない。
てゆーかこの長くてつまらなくて無意味なメルシー伯爵の場面、台詞、増えてるし!!
まだ増やすのか! 加えるのか!
2006年の『フェルゼンとアントワネット編』で110行ある場面が、今回の『フェルゼン編』では130行。
植爺渾身のお気に入り場面なんだろう、台詞はほとんど変わっていない。わたし的なトピックは「いたいけない」をやめたくらいかな。
2006年のときは、くり返される「いたいけない」が耳触りだった。「いたいけな」では何故いけないんだろう。あまり使わない用法なのに、わざわざ「~い」を付けて形容詞にして使うのは何故だ。
そう疑問だったんだが、今回はあっさりと「いたいけな」になっていた。なんだ、意味なんかなかったのか。じゃ、耳障りなだけだったんだなほんと。
メルシー伯爵「(毅然として) フェルゼン伯爵。お聞き下さい。女王陛下は私にこう仰云ったのでございます… メルシー伯爵、お願いしましたよ、あの娘はまだ十四歳、あのいたいけない娘のことは全ておまかせします。どうか、立派なフランスの人間として、ブルボン王家の人々、いやフランス全土の人々に愛され、尊敬される女王
に育ててください…と。その約束を私はお引き受けしたのです。しかし、十四歳のまだまだいたいけないお姫様、おやさしいお母様と別れ、仲睦まじかったご兄弟とも別れ、そして今まで朝晩かしずいていた人々とも別れ、私とたった二人、どんなに心細く、お淋しかったことでございましよう。そう、こんなこともありました。お姫様が一番大切になさっていつもお側においていらっしゃった、ステファンというお人形さえも、もうあなた様は今日から子供ではありませんと、無情にも取り上げてしまったのでございます…その時のアントワネット様の悲しそうなお顔…目に一杯涙をためて…なにも仰云らずに私にお渡し下さいました」
下線部は2006年にあって、今回はない部分。
で、今回はこのクソ長い説明台詞に、
メルシー伯爵「その時のことを思い出しますと、今でも涙が…フェルゼンさま…お笑いください… (思わず泣く)」
が加わっている。
そしてさらに、
メルシー伯爵「そんなアントワネットさまがフランスの王妃になられてもう十一年…それなのに私は女王さまとのお約束も守れず。とうとう尊敬されるフランスの王妃にお育てすることも出来ませんでした」
フェルゼン「それはあなただけの責任でも、アントワネットさまの責任でもありません」
メルシー伯爵「しかし、結局はすべて王妃さまの責任になっていることは、あなたもご承知ではありませんか! 今のこのフランスの騒然たる有り様は全て王妃の責任だと、誰もが、誰もが…」
フェルゼン「メルシー伯爵…」
というくだりが、今回のオリジナル部分。
尊敬される王妃になれなかったのは、王妃の責任だろう。
もちろん、教育係のメルシー伯爵の責任でもある。
なのにナニを、堂々と責任逃れをしている?
アントワネットが怠惰で、王妃としての義務を放棄してきた結果なのに。
罪は明白なのに「誰も悪くない」。罪を犯した理由は「可哀想」だから、「仕方なかった」、従って、「誰も悪くない」。
「アントワネットちゃんは万引きをしました-、悪い子でーす!」
「アントワネットちゃんはパパもママもいなくて寂しかったんだよ! だからアントワネットちゃんは悪くないよ!」
「そうだそうだ、可哀想なんだから、万引きくらいしてもいいと思いまーす」
という、素敵学級会。
わざわざ「可哀想なアントワネットちゃん」とメルシー伯爵を泣かせて、「可哀想だから、ナニをしても悪くない」「悪くないのに、アントワネットちゃんのせいにされている」って。
ナニこのぽかーんな理由……。
まだ終わりじゃないです、今回の加筆部分について、次項へ続く。
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