期待の大作、期待の新人、期待の……?@新人公演『ロミオとジュリエット』
2013年6月18日 タカラヅカ 大好きな『ロミジュリ』。
ゆえにどうしても観たかった、星組再演版新人公演『ロミオとジュリエット』。
すげーチケ難で、もう観られないかと思った……声かけていただいて心から感謝です。
主役ロミオが、礼くん。
95期、研5。
群を抜いた歌うまで、ダンサーで。
要所要所で抜擢され続けてきた、期待の新人。
海のものとも山のものともつかぬうちから新公主演させるのが最近のタカラヅカなのに、何故礼くんには主演させないんだろう、とじれったく思っていた。
それがついに、大作『ロミオとジュリエット』で主演。
若いけれど、気分はすでに「満を持して」。
どんだけ素晴らしいものを見せてくれるのかと、期待は目一杯膨らんでました。
「スター誕生!」とか「伝説の新公」とか、そういうドラマみたいなことが起きて欲しい。その方が絶対楽しいもの、わくわくするもの。
「歴史の生き証人」になりたい。
ヅカヲタとして、ナマのドラマに関わりたい。
そんな、期待。
えーと。
期待、しすぎだよね(笑)。
礼くんは、ふつーにうまかったし、ふつーによくやってました。
んな「スター誕生!」でも「伝説の新公」でもなく、ふつうによく出来た新公であり、よくできた初主演でした。
学年からすればもちろん素晴らしい出来なんだけど、彼はこれまでも抜擢されてきているし、中日・台湾公演では芝居でトップスターの相手役ともいえる役を務めている。
まったくのキャリアなしの無名の下級生が大抜擢された、わけじゃない。
彼のキャリア、学年を考えると、「よく出来た新公」だった。その域を出るモノでは、特になかった。
…………「スター」って、「芝居」って、難しいんだな。
これがコンサートで、『ロミジュリ』の楽曲を立ったまま、マイクを持ってただ歌うなら、礼くんはすごいクオリティの歌声を聴かせてくれたのかもしれない。
だけどこれは「芝居」で「ミュージカル」だった。
礼くんのロミオは、若く幼くかわいい、というだけの、素の礼くんまんまのように見えた。
『ロミオとジュリエット』という作品の、ロミオではなく、それを演じている礼くん。
歌声も、ロミオの歌を歌っている、礼くん。
なまじ等身大で出来る役だから、作り込んだ様子はわたしには感じられず、ただナチュラルに役をこなしている礼くんの姿に見えた。
感情の動きが幼くて、ロミオとジュリエットの悲劇が「運命の恋」というより、「大人がちゃんと管理・指導しようよ」と思う、子どもの暴走に思えた。……暴走というほどの強さもないな。もっとナチュラルに悪意も意志もなく、監督者がいないからついブイの外まで出ちゃった海水浴場、って感じ?
『ロミジュリ』はたしかに若さゆえの過ち、少年ならではの性急感があるんだけど、それを実年齢に頼っただけだと……カタルシスがないんだなあ。
やっぱ、「ドラマ」なんだよね。「フィクション」なんだよね。
芝居として作り込んではじめて、「ロミオ」になるんだと思う。
研5のはじめての主演なんだから、脚本通り失敗せずに演じた、歌った、若い役だから初々しさで乗り切った……それで十分なんだと思う。
よくやった、将来が楽しみだ。
礼くん以外の子にだったら、手放しでそう言っていただろう。
だからこれは、わたしの問題。
わたしが、期待しすぎていた。ごめんよぅ、勝手にハードル上げて。
かわいい、だけだとわたしはすぐに飽きてしまって、今までに見たいろんな『ロミオとジュリエット』を思い出していたよ。
咲ちゃんのロミオに似てるかなあ。「本役より若い」「等身大」ということだけでかなり底上げされちゃった新公。や、ふつーにうまかったけど。
ああその「ふつーにうまかったけど」を思い出すなあ。「けど」が付くのは、やはりそれは「新公にしては」ってことで、新公でしかないという意味。
たまきちの「本公といい新公といい、向いてない役ばっかで気の毒だな」な、ロミオよりは「素のままでロミオ」の分、よっぽど心穏やかに観ていられるよなあ。
礼くんはほんと、素質はある。歌える、踊れる、芝居も最低限出来る。
だけど、それらを総合して、「ミュージカル」に、「タカラヅカスター」として表現することを、これから学んでいって欲しい。
舞台って、芝居って、難しいんだなああ。
空気を動かす芝居、って、心を動かす歌声、って、難しいんだなあ。
あんなにうまい礼くんでも、ただ「うまい」だけで終わってしまうんだもの。
や、ほんと、うまかったよ。だって研5だし。初主演だし。ヒロインだって初心者マーク付けてるから、支えてもらえないし。
本公演でも大きな役やって役替わりして、そのうえ新公主演って、どんだけ大変だったことか。
そんな悪状況の中で、ここまでやってのけてしまう、その舞台人としての力、強さに感動するよ。
いつか、礼くんのお芝居で泣ける日が来ることを願っている。
ゆえにどうしても観たかった、星組再演版新人公演『ロミオとジュリエット』。
すげーチケ難で、もう観られないかと思った……声かけていただいて心から感謝です。
主役ロミオが、礼くん。
95期、研5。
群を抜いた歌うまで、ダンサーで。
要所要所で抜擢され続けてきた、期待の新人。
海のものとも山のものともつかぬうちから新公主演させるのが最近のタカラヅカなのに、何故礼くんには主演させないんだろう、とじれったく思っていた。
それがついに、大作『ロミオとジュリエット』で主演。
若いけれど、気分はすでに「満を持して」。
どんだけ素晴らしいものを見せてくれるのかと、期待は目一杯膨らんでました。
「スター誕生!」とか「伝説の新公」とか、そういうドラマみたいなことが起きて欲しい。その方が絶対楽しいもの、わくわくするもの。
「歴史の生き証人」になりたい。
ヅカヲタとして、ナマのドラマに関わりたい。
そんな、期待。
えーと。
期待、しすぎだよね(笑)。
礼くんは、ふつーにうまかったし、ふつーによくやってました。
んな「スター誕生!」でも「伝説の新公」でもなく、ふつうによく出来た新公であり、よくできた初主演でした。
学年からすればもちろん素晴らしい出来なんだけど、彼はこれまでも抜擢されてきているし、中日・台湾公演では芝居でトップスターの相手役ともいえる役を務めている。
まったくのキャリアなしの無名の下級生が大抜擢された、わけじゃない。
彼のキャリア、学年を考えると、「よく出来た新公」だった。その域を出るモノでは、特になかった。
…………「スター」って、「芝居」って、難しいんだな。
これがコンサートで、『ロミジュリ』の楽曲を立ったまま、マイクを持ってただ歌うなら、礼くんはすごいクオリティの歌声を聴かせてくれたのかもしれない。
だけどこれは「芝居」で「ミュージカル」だった。
礼くんのロミオは、若く幼くかわいい、というだけの、素の礼くんまんまのように見えた。
『ロミオとジュリエット』という作品の、ロミオではなく、それを演じている礼くん。
歌声も、ロミオの歌を歌っている、礼くん。
なまじ等身大で出来る役だから、作り込んだ様子はわたしには感じられず、ただナチュラルに役をこなしている礼くんの姿に見えた。
感情の動きが幼くて、ロミオとジュリエットの悲劇が「運命の恋」というより、「大人がちゃんと管理・指導しようよ」と思う、子どもの暴走に思えた。……暴走というほどの強さもないな。もっとナチュラルに悪意も意志もなく、監督者がいないからついブイの外まで出ちゃった海水浴場、って感じ?
『ロミジュリ』はたしかに若さゆえの過ち、少年ならではの性急感があるんだけど、それを実年齢に頼っただけだと……カタルシスがないんだなあ。
やっぱ、「ドラマ」なんだよね。「フィクション」なんだよね。
芝居として作り込んではじめて、「ロミオ」になるんだと思う。
研5のはじめての主演なんだから、脚本通り失敗せずに演じた、歌った、若い役だから初々しさで乗り切った……それで十分なんだと思う。
よくやった、将来が楽しみだ。
礼くん以外の子にだったら、手放しでそう言っていただろう。
だからこれは、わたしの問題。
わたしが、期待しすぎていた。ごめんよぅ、勝手にハードル上げて。
かわいい、だけだとわたしはすぐに飽きてしまって、今までに見たいろんな『ロミオとジュリエット』を思い出していたよ。
咲ちゃんのロミオに似てるかなあ。「本役より若い」「等身大」ということだけでかなり底上げされちゃった新公。や、ふつーにうまかったけど。
ああその「ふつーにうまかったけど」を思い出すなあ。「けど」が付くのは、やはりそれは「新公にしては」ってことで、新公でしかないという意味。
たまきちの「本公といい新公といい、向いてない役ばっかで気の毒だな」な、ロミオよりは「素のままでロミオ」の分、よっぽど心穏やかに観ていられるよなあ。
礼くんはほんと、素質はある。歌える、踊れる、芝居も最低限出来る。
だけど、それらを総合して、「ミュージカル」に、「タカラヅカスター」として表現することを、これから学んでいって欲しい。
舞台って、芝居って、難しいんだなああ。
空気を動かす芝居、って、心を動かす歌声、って、難しいんだなあ。
あんなにうまい礼くんでも、ただ「うまい」だけで終わってしまうんだもの。
や、ほんと、うまかったよ。だって研5だし。初主演だし。ヒロインだって初心者マーク付けてるから、支えてもらえないし。
本公演でも大きな役やって役替わりして、そのうえ新公主演って、どんだけ大変だったことか。
そんな悪状況の中で、ここまでやってのけてしまう、その舞台人としての力、強さに感動するよ。
いつか、礼くんのお芝居で泣ける日が来ることを願っている。
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