『ロミジュリ』大好き。

 ってことで、わくわく星組『ロミオとジュリエット』初日に駆けつけました。
 役替わりは、実はよくわかってません。誰がなにをやるかはわかってるんたけど、その組み合わせが。
 ベニーがティボルトやるときって、マーキューシオ誰だっけ?
 どうせリピートするので予備知識不要、ただわくわくしした気持ちのまま客席へ。

 愛@どいちゃんの美しさと強さ、死@真風の「これだよな」感からはじまり、ナレーション@エマさんの安定ぶりに記憶をくすぐられ個人的にツボり、そうこうしているうちにカーテンが開き、オープニングが本格的にはじまる。

 いつも思うことだけど、『ロミジュリ』のオープニングは秀逸。曲も振り付けもビジュアルも、最初からテンションあがる。

 どの組の再演でも、いつも心の底から思う。
 『ロミジュリ』大好き。
 だからもちろん、今回の星組再演『ロミジュリ』も楽しんだ。

 いやあ、やっぱ『ロミジュリ』っていいなあ! 楽しいなあ!
 かなう限り、何度も観に行きたいなあ。

 と、思っていることは真実。
 その上で、再演初日の感想。


 星組が初演で成功を収め、そこからすべてがはじまった。
 梅芸初日、全編泣きっぱなしで感動しまくったこと、物語もキャラクタも愛しくて愛しくてしょうがなかった、あの興奮をよくおぼえている。
 同じ組、ほぼ同じメンバーでの再演はタカラヅカでもめずらしく、あの大成功した「初演を超える!」という意気込みをもって誰もが役割と向き合っていることが、びんびん伝わってくる。

 ……が、正直なとこ、初演を超えるのは難しいんだな、と思った。

 人数が増え、劇場も大きくなり、その点ではスケールアップしていたけれど。
 ……そーだよなあ、あのお花様だって、初演エリザベートを超えることはできなかったんだものな。

 とくに、ジュリエット@ねねちゃんは、ごめん、「なにも知らない16の乙女」には見えなかった……。
 初演から「16歳の処女」に見えたかというとたしかに首を傾げるところで、それなら今回だけ言及するのはおかしい、てなもんかもしれないが、それでも初演はアリだと思ったのよ、ちゃんとキラキラの美少女だったもの!
 でも今回はさらに貫禄があって、「バーーン!」「どーーん!!」(『ONE PIECE』的な書き文字イメージ)な感じに満ち満ちていて、「海外舞台の女優さんみたい」な肉厚感があった。や、太ってるとかいう意味じゃなくて。
 フランス招聘版『ロミジュリ』も観に行ったけどさ……数列前にしろたんとキムちぎがいたわ、なつかしい思い出……あの舞台のジュリエットさんくらいの迫力だわ……でもあのジュリエットさんは周囲の女優さんたちも同じ肉厚感だったし、なにより筋肉ばりばりの男優さんたちの間にいるからアリなわけでだな……タカラヅカの世界観ではねねちゃんのジュリエットはなんつーかこー、違和感が大きくて……。

 同じ「16歳の処女」でも、シルヴィア@『めぐり会いは再び』はねねちゃんの魅力を最大限に発揮する役だと思うけど、ジュリエットは……うーん。

 わたしの目にそう映っただけで、世の中の人がどう思うのかは知らない。
 ただほんと、今のねねちゃんが演じるジュリエットは、ジュリエットというキャラの「欠点」が浮き彫りになるなあと。なんつーんだ、「女」というイキモノのヤな部分っちゅーか。
 ジュリエットが「少女」だから許される部分が、「女」が見えることによっていやらしさに変わるというか。
 うーん、ねね様好きだけど、ちえねね好きだけど、今回はちょっとチガウ……わたし的に。

 そんなだったからもお、フィナーレで、大喝采した。

 大階段に現れた、セクシードレスのねね様!!
 きゃ~~っ、ねね様! ねね様!!
 そうなの、これこそねね様よ! アダルトでセクシー。そしてキュート!
 「16のコムスメ」なんてしょっぱいもんぢゃない、ゴージャスかつコケティッシュな美女!

 フィナーレのデュエンダンで、もやもやを吹き飛ばしてくれました。
 やっぱこれがねね姫の魅力だって、演出家もわかってるんだよなあ。それでもジュリエットをやらせるしかなかったんだよなあ。


 初演初日を観たとき、ねねちゃんの美少女ぶりはOKだったけど、男たちが「少年」役だということにびびり、違和感を持った。
 タカラヅカの性質として、「大人の男」の物語が基本だから。ヒロインがナニも知らない少女であることはあっても、10代の少年がガチで主役のことは、まずないから。
 「大人は汚い!」「あんな大人にはならないもんね!」と意気を上げる少年たちに、まずびびった。
 大人の男役たちが、「悪いのは大人だ!」とか、中学生みたいなことをわめく役をやっている、ということになにより衝撃を受けた。……『ロミジュリ』ってのがそもそもそーゆーもんだってのは、置いておいて。

 しかし……。
 慣れということなのか、時間の流れは男女平等ではないということなのか。

 ねねちゃんの「少女」には違和感があったのに、れおんくんの「少年」には疑問を持たなかった。

 ねねちゃんはたった3年ですっかり大人になり、れおんくんは時を止めたままだった。
 や、もちろんれおんくんも3年分経験を重ね、年を経ている。大人になっている。でも、舞台の上で「少年」を形作ることが出来る。
 もともとの少年性がどうこうより、「技術」だと思った。芝居の技術でもあるんだろうけど、なによりも「妖精」の技術だと思った。
 タカラヅカのトップスターであるということ。つまり、誰よりも卓越した「妖精力」を持たなければならないということ。
 れおんくんは、真のトップスターであり、真のタカラジェンヌだ。何故なら彼は、とてつもなく、妖精だ。

 ねねちゃんに妖精力が足りないのではなく、男女の差かなと思う。
 娘役は男役よりもさらに寿命が短い。猫が1年で大人になるみたいに、娘役は入団後数年で花開き、次のステップへ進む。新公学年であっても「女役」にジョブチェンジしたりすることが、めずらしくない。開花に10年以上かかる男役とはチガウ。

 初演のとき「そっか、少年役なんだ」と知っていたのに驚いた、そこからはじまっていくつもの再演を経て、「みんな中二病の少年たち」という認識から来る慣れで、男たちに関しては違和感がないのかもしんないけどさ。
 そうだとしてもやっぱ、れおんは少年で、ねねちゃんは少女ではなく「女」なんだよなあ。

 少年のままのれおんくんと、大人になってしまったねねちゃん。
 この特性を活かして、『ロミジュリ』でなく、別の物語を観たいなあ……。若く美しい青年のままのアンドロイドれおんと、少女のときに出会って愛し合い、今は大人になってしまった人間の女性ねねちゃんとの物語とかさ……。

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