『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』を楽しく遊ぼう!
 ってことで、わたしなら「フェルゼン」を主役にこう物語を作る、という自己満足ネタです。


 フェルゼンを主人公に1本書くなら、彼の「成長」を丁寧に追わなくてはならない。
 彼自身にアクションが少なくても、メンタル面で大きく変化してくれるなら、それは十分ドラマになる。

 てことでまず、1幕は三角関係、2幕を革命と位置づける。

 1幕はフェルゼン、アントワネット、オスカルのメロドラマ。華やかなフランス宮廷モノ。
 タカラヅカなんだから、エンタメなんだから、美しく華やかに、楽しいものでなければ。
 そして主人公は、カッコ良くなくては。
 フェルゼンはフランスでの人間関係を通して成長するのよ。自分の生き方を見つめ直すのよ。

 で、覚悟の出来たフェルゼンが、2幕では革命と闘うのよ。
 誰もが沈む船から逃げ出してゆくのに、フェルゼンひとりアントワネットのもとへ行くのよ。
 愛する女性とその夫、その子どものために、命を懸けるのよ。

 『若き日の唄は忘れじ』でも思ったけど、男子のドリームだよねえ、「初恋の人(今は人妻)とその子どもを守って闘う」って。決して自分のモノにはならないひとのために、命を懸けるハードボイルド。

 もちろん悲劇エンド。断頭台へ上るアントワネット、遠い異国の地で自殺しようとするフェルゼン、それを止める従者。処刑の朝に牢獄にフェルゼンが現れるなんて無理のありすぎる設定にはしませんとも。
 アントワネット本舞台奥、フェルゼン銀橋で、別の場所でリンクさせりゃー済む。


 と、ストーリーラインは決まったので、あとはエピソード。

 1幕は三角関係、メロドラマ。
 だから必要なのは、「出会い」「恋が深まる過程」「障害」「別れ」ですな。
 「両思い」と「成就」は2幕でやるので、1幕は別れるまで。

 タカラヅカにおいて「出会い」って軽んじられがちだけど、1本物ならちゃんと描きたいよなー。
 てことで、ストーリーの最初は、仮面舞踏会。
 前述の派手派手オープニングのあと、一旦スクリーン下ろして、舞台左右にピンスポ。
 アントワネットとオスカル。
 ちょっとコミカルに、かわいらしく、「お忍びでパリへ仮面舞踏会へ行くの♪」「とんでもないことです!」「仮面を付ければ王太子妃だとわからないわ」
 アントワネットは無邪気な少女。

 スクリーン上がって、仮面舞踏会。オープニングの人々が仮面付けただけだったりしてなー。
 そこに、さっき銀橋を従者と歩いていたフェルゼンもやって来る。
 留学の一貫、パリで社交の勉強ですから。

 仮面舞踏会で出会い、共に踊って恋に落ちるフェルゼンとアントワネット。どこの『ロミジュリ』? みたいな感じで(笑)。

 そこへ割って入るオスカルのキメ台詞は原作まんまヨロシク。

 はい、運命のふたりフラグ、わかりやすくフェルゼンとアントワネットだけ舞台に残り、愛の予感を独白したり歌ったり。

 ふたりだけの場面の次は、にぎやかな宮廷シーン。
 ベルサイユ宮殿にて、フェルゼンは堂々とアントワネットのもとに行く。ふたりとも下心がないから「友人」として会う。
 モブの人々に、どんだけフェルゼンがステキかは語らせておいて、そのざわめきのなか、オスカルだけがフェルゼンとアントワネットの関係に危惧を抱く。

 で、このまま「恋が深まる過程」として、アントワネット落馬事件をやる。

 馬でなくてもいい。舞台で落馬は描くのが難しいというなら、舞台ならではの出来事に置き換える。テーマさえブレなければ、出来事自体は変更OKのはず。
 アントワネットが他愛ないわがままを言い、それによって不慮の事故が起こる。そしてオスカルがアントワネットを助けてケガをする。事故なんだけど、きっかけはアンドレだから、アンドレが死刑になる……ところを、オスカル、フェルゼン、アントワネットの嘆願で命拾い、事なきを得る。
 という流れさえ同じなら。
 たとえば、アントワネットがお気に入りの侍女たちとお芝居をすると言い出した。アンドレも裏方として借り出されるが、つまずいてセットを倒してしまう。
 それでアントワネットがあわや下敷きに……!というところを、オスカルが身を挺して救い、……で、あとは原作通りの流れ。

 アントワネット落馬事件は、大きな意味がある。
 第一に、アンドレがオスカルを愛するきっかけになった出来事。それまでは「気の置けない親友」だったのに、一気にメーターが動いた。
 そして、オスカルもフェルゼンに惹かれるようになった出来事として、展開させていいと思う。
 ここでフェルゼン、自分はまーったく無関係なのに「わたしも正義のために死ねるぞ」と命懸けでアンドレの嘆願に名乗り出ている。小さなコマでさらっと流されてるけど、すげー格好いいエピソードなんだよ、フェルゼン的に!

 「はじめて出会ったときから」連呼は植爺だけでいい。つかわたしは、植爺の「一目惚れ神話」が大嫌い。
 運命の恋=一目惚れ。
 理由はいらない、だって一目惚れだから、だって運命だから。
 それ、ただの手抜きじゃん?

 出会ったときはなんとも思ってなかった。
 でも、その人となりを知るに従って、惹かれていった。
 その過程だって、大切な「運命の恋」だ。何故否定するんだ、植爺。

 フェルゼンとアントワネットは「運命の恋=一目惚れ」でいい。
 ならば他はそれ以外であるべき。
 登場人物全員が「はじめて出会ったときから」と一目惚ればかり語る、植爺恋愛が嫌。
 はじめて会ったときに「種」はあったとしても、花開くのは先の話。
 それを否定する価値観が嫌。

 てことで、アンドレはここではじめてオスカルに、オスカルもまたここではじめてフェルゼンに惹かれる。
 アントワネットもまた、フェルゼンの男らしさに恋愛メーター上昇。

 で、ひそかに重要なこと。
 ケガをしたオスカルを手当てしようと駆け寄ったフェルゼンが、アンドレはじめ、他の者たちに阻まれる。
「男同士でもからだは見せられないというわけか、王族でもあるまいに!」
「オスカルは女だ!」

 そう、フェルゼンが、オスカルが女だということを、はじめて知る。

 オスカルはふつーに「男」。知らない人が見れば、美青年。なよなよしてない、内股で歩かない、膝を揃えて女子坐りしないっ。
 だからフェルゼンは、あったりまえにオスカルを男だと思っていた。

 はい、にぎやかなシーンのあとは少人数シーンです、それまで意識していなかった相手にときめくアンドレとオスカル。
 アンドレはここで「おまえが今日このおれのために命を懸けてくれたように、いつかおまえのためにアンドレはこの命をかけるぞ」のキー台詞。
 オスカルは原作にはんなもんないからてきとーに「フェルゼン、なんと高潔な男だ。あんな男にはじめて会った」とかつぶやいていて。
 アントワネットは定例の「フェルゼン素敵、ドキドキ」をやっていて。
 フェルゼンひとり、「あ、あいつ……女だったのか!」と愕然(笑)。
 いやいや、それだけではなく、フェルゼンはアントワネットの優しさ、宮廷人にあるまじき正直さ、素直さにめろめろなんだぜ、と独白。なんせ、平民のアンドレの命乞いのために、ルイ15世にひざまずいて懇願するんだもん。

 四人模様の心が揺れる。
 なにしろ1幕は三角関係メロドラマですから。掛け合いソングでもなんでも。


 「出会い」と「恋が深まる過程」はクリア、次は「障害」です、続きます。

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