いびつさの疑問。@ベルサイユのばら-フェルゼン編-
2013年4月22日 タカラヅカ 『ベルサイユのばら-フェルゼン編-』のオープニングには、「スター」が登場しない。
出るのは主役のフェルゼン@壮くんのみ。
ヒロインのアントワネット@あゆっちすら、登場しない。
『ベルばら』の最大有名キャラ、オスカル@ちぎくんも登場しない。
みんな、舞台にはいる。
あゆっちもちぎくんも。
ただし彼らは「名前のない脇役」だ。その他大勢として扱われている。
『ベルばら』は宝塚歌劇最大の祭りであり、初心者・一見さん・往年のファンなど、現在のヅカヲタ以外をも動員できるタイトルだ。
なのに、その一般客の喜ぶ「『ベルばら』のスター」をオープニングに登場させない。
フェルゼンとアントワネット、そしてオスカルの出会いである仮面舞踏会を、パペットダンスで表現するのはいい。
ただ、それをやったあとに本役たちが登場し、派手なオープニングにつなげれば、場が沸くだろうにそれがない。
植爺が耄碌したとか手抜きしたという事だけでなく、もうひとつ今回は、いびつな「大人の事情」を感じる。
つまり、他組トップスター特出だ。
『ベルばら』はお祭りであり、役代わりや他組スターの特出はお約束だ。お披露目公演に他組トップスターが特出することだって、過去に例がないわけじゃない。
ただ……さすがに、トップスターふたりが特出し、主役と関係ない場面を繰り広げるというのは、聞いたことがない。
特出スターが組のスターと絡むのを楽しむものてあって、特出スターだけで完結するならば、それはもう組公演ではなくタカスペなどの組単位を超えたイベントでしかない。
大切なお披露目公演を、イベント扱いにされてしまったためか、なんかやたらめったら主演のえりたんに配慮されている、気がする。
雪組トップスターの顔をつぶさないよう、極力努力している。
で、その努力ってのが、作品や公演を盛り上げ、その結果主役のえりたんを盛り立てるのではなく、他の扱いを下げ、物語を地味にして、結果主役を目立たせるというもの。
マイナスしてどうする!!
だからオープニングは、アントワネットすら出ない。
パペットの歌手という謎な役で登場するあゆっちは、彼女が娘役トップともアントワネットとも一般客にわからないので、拍手もろくにもらえない。
オスカルもアンドレもいないので、個別の拍手は起こらない。
ただひとり、フェルゼン登場にのみ、拍手が起こる。
次から次へとスターが登場し、拍手がその都度起こり、これからはじまる物語への期待、「祭りだ!」という気持ちに沸き立つ……そんなオープニングを過去の『ベルばら』で知っているだけに、今回の幕開きの盛り上がらなさは、寂しい。
『ベルばら』なんて、盛り上がってナンボ、祭りでナンボだろうに……。
や、これはわたしの勝手な感想ですよ。
もっと盛り上げられるのに、過去にそうしていたものがあるのに、今回はやたら抑えてある。
わざわざマイナスにするどんな理由があるだろう、と考えて、今回限りのいびつな特出事情のせいかな、と思ったわけです。
で、もひとつ特出事情に懸念しているのは、この「オスカルもアンドレも出ないオープニング」に、特出スターが出演する場合。
彼らはやはり、「オスカル」として「アンドレ」として、オープニングに華やかに登場するんだろう。
他組からのお客様を「その他大勢」扱いには出来ないから。
となると、同じ料金を支払って観劇しているお客としては、特出日だけは「『ベルばら』のオープニング」を観られるってわけだ。
本来の雪組バージョンでは「フェルゼン以外、『ベルばら』キャラなし」なのに。
なんでそんなことをするかなあ。
たとえばこの間の月組では、特出がいようといまいとアンドレはアンドレとしてオープニングに出ていたのに。
アンドレはタイトルロールのひとりだし、特出なしでも演じているのがトップスターと準トップスターだから、ということだろうか。
でもそれは劇団側の都合で、特出のあるなしで「祭り」感の差があるのはおかしいだろう。
ふつーに雪組版でも「『ベルばら』のスター」を登場させ、銀橋に並ばせればいいのに。
特出さんがいらっしゃったときは、それぞれ交代すればいいだけのこと。特出さんは衣装とかライトとかチガウんだから、組子の役との差別化はできるだろうになあ。
「交代させる」手間がめんどくさくて、ちぎまつは最初から「その他」にしてあるとか。
……植爺だとありそうでこわい。
1ファンとしては、贔屓の別役・別衣装で踊る姿を見られるのだから、それはそれで楽しんでいるんだが、それと『ベルばら』オープニングの意義は、別。
過去もスター特出はあった。
特出するスターさんの、そして組トップスターの、格を守るための差別化はあった。
だとしても、今回はいろいろといびつすぎる。
大人の事情があるんだかないんだか知らないが、要するに。
問答無用で面白ければ、なんの疑問もなかったんだ。
面白くないから、疑問ばっかわくんだわ……。
主人公に共感できないのはもうあきらめているとして、ストーリーが壊れているのもあきらめているとして、「祭りだ!」というわくわく感すらないなんて……。
それでも、タカラヅカが好きで雪組が好きだから、組子のがんばりを見ているだけで楽しめるのだけど。
えりたんのパワーと、まつちぎのラヴっぷりを見るためだけに、十分通えるのだけど。
ストーリーや各種設定が『外伝』よりはるかにマシなので、耐えられるのだけど。
てゆーか、「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルールが正しく発動し、オスカルとアンドレが比較的まともな人になっているので、わたし的にはとても見やすい(笑)。
出るのは主役のフェルゼン@壮くんのみ。
ヒロインのアントワネット@あゆっちすら、登場しない。
『ベルばら』の最大有名キャラ、オスカル@ちぎくんも登場しない。
みんな、舞台にはいる。
あゆっちもちぎくんも。
ただし彼らは「名前のない脇役」だ。その他大勢として扱われている。
『ベルばら』は宝塚歌劇最大の祭りであり、初心者・一見さん・往年のファンなど、現在のヅカヲタ以外をも動員できるタイトルだ。
なのに、その一般客の喜ぶ「『ベルばら』のスター」をオープニングに登場させない。
フェルゼンとアントワネット、そしてオスカルの出会いである仮面舞踏会を、パペットダンスで表現するのはいい。
ただ、それをやったあとに本役たちが登場し、派手なオープニングにつなげれば、場が沸くだろうにそれがない。
植爺が耄碌したとか手抜きしたという事だけでなく、もうひとつ今回は、いびつな「大人の事情」を感じる。
つまり、他組トップスター特出だ。
『ベルばら』はお祭りであり、役代わりや他組スターの特出はお約束だ。お披露目公演に他組トップスターが特出することだって、過去に例がないわけじゃない。
ただ……さすがに、トップスターふたりが特出し、主役と関係ない場面を繰り広げるというのは、聞いたことがない。
特出スターが組のスターと絡むのを楽しむものてあって、特出スターだけで完結するならば、それはもう組公演ではなくタカスペなどの組単位を超えたイベントでしかない。
大切なお披露目公演を、イベント扱いにされてしまったためか、なんかやたらめったら主演のえりたんに配慮されている、気がする。
雪組トップスターの顔をつぶさないよう、極力努力している。
で、その努力ってのが、作品や公演を盛り上げ、その結果主役のえりたんを盛り立てるのではなく、他の扱いを下げ、物語を地味にして、結果主役を目立たせるというもの。
マイナスしてどうする!!
だからオープニングは、アントワネットすら出ない。
パペットの歌手という謎な役で登場するあゆっちは、彼女が娘役トップともアントワネットとも一般客にわからないので、拍手もろくにもらえない。
オスカルもアンドレもいないので、個別の拍手は起こらない。
ただひとり、フェルゼン登場にのみ、拍手が起こる。
次から次へとスターが登場し、拍手がその都度起こり、これからはじまる物語への期待、「祭りだ!」という気持ちに沸き立つ……そんなオープニングを過去の『ベルばら』で知っているだけに、今回の幕開きの盛り上がらなさは、寂しい。
『ベルばら』なんて、盛り上がってナンボ、祭りでナンボだろうに……。
や、これはわたしの勝手な感想ですよ。
もっと盛り上げられるのに、過去にそうしていたものがあるのに、今回はやたら抑えてある。
わざわざマイナスにするどんな理由があるだろう、と考えて、今回限りのいびつな特出事情のせいかな、と思ったわけです。
で、もひとつ特出事情に懸念しているのは、この「オスカルもアンドレも出ないオープニング」に、特出スターが出演する場合。
彼らはやはり、「オスカル」として「アンドレ」として、オープニングに華やかに登場するんだろう。
他組からのお客様を「その他大勢」扱いには出来ないから。
となると、同じ料金を支払って観劇しているお客としては、特出日だけは「『ベルばら』のオープニング」を観られるってわけだ。
本来の雪組バージョンでは「フェルゼン以外、『ベルばら』キャラなし」なのに。
なんでそんなことをするかなあ。
たとえばこの間の月組では、特出がいようといまいとアンドレはアンドレとしてオープニングに出ていたのに。
アンドレはタイトルロールのひとりだし、特出なしでも演じているのがトップスターと準トップスターだから、ということだろうか。
でもそれは劇団側の都合で、特出のあるなしで「祭り」感の差があるのはおかしいだろう。
ふつーに雪組版でも「『ベルばら』のスター」を登場させ、銀橋に並ばせればいいのに。
特出さんがいらっしゃったときは、それぞれ交代すればいいだけのこと。特出さんは衣装とかライトとかチガウんだから、組子の役との差別化はできるだろうになあ。
「交代させる」手間がめんどくさくて、ちぎまつは最初から「その他」にしてあるとか。
……植爺だとありそうでこわい。
1ファンとしては、贔屓の別役・別衣装で踊る姿を見られるのだから、それはそれで楽しんでいるんだが、それと『ベルばら』オープニングの意義は、別。
過去もスター特出はあった。
特出するスターさんの、そして組トップスターの、格を守るための差別化はあった。
だとしても、今回はいろいろといびつすぎる。
大人の事情があるんだかないんだか知らないが、要するに。
問答無用で面白ければ、なんの疑問もなかったんだ。
面白くないから、疑問ばっかわくんだわ……。
主人公に共感できないのはもうあきらめているとして、ストーリーが壊れているのもあきらめているとして、「祭りだ!」というわくわく感すらないなんて……。
それでも、タカラヅカが好きで雪組が好きだから、組子のがんばりを見ているだけで楽しめるのだけど。
えりたんのパワーと、まつちぎのラヴっぷりを見るためだけに、十分通えるのだけど。
ストーリーや各種設定が『外伝』よりはるかにマシなので、耐えられるのだけど。
てゆーか、「出番や台詞が少ない方が人格破綻を逃れられる」という植爺ルールが正しく発動し、オスカルとアンドレが比較的まともな人になっているので、わたし的にはとても見やすい(笑)。
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