『モンテ・クリスト伯』『Amour de 99!!-99年の愛-』初日観劇。
ポスターの素敵さにくらくらしてました。ヒゲテル様麗しすぎ。
キャッチコピーも素敵じゃないですか、「わたしから憎しみを奪うな。たったひとつの生きる証なのだ。」。
無教養ゆえ、原作は未読です。でも、なんとなくあらすじは知っている。
ポスター通りの重厚な話になることを期待。
間違っても、『殉情』や『猛き黄金の国』にはなってくれるなよと。
つまり、「『モンテ・クリスト伯』なんてつまんなーい。わかんなーい」と言っているイマドキのカップルのところへ、人生経験豊かな老人が現れて、「バカもん、『モンテ・クリスト伯』というのはだな……」と解説をはじめる。
実際の『モンテ・クリスト伯』の話の合間合間に、現代の若者たちが出てきて「このとき彼はどう思ったから、どうしたのね」「こういう事情があったんだ」と解説しまくる。
……という。
これさえなければ、多少未消化でもぶった切りのあらすじ状態でも、なんでもいいや。
なにしろイシダ先生、『復活』がよかったからなー。あの路線で行ってくれたらありがたい。
そう思っていた、だけに。
現代の学生たちが出てきて、椅子から落ちそうになった。
またコレか。
また、コレをやるのか。
イシダは死ぬまでコレをやり続けるの?
しかも、人数増えてる。カップルと老人ではなく、学生たちと先生。うわー……。
と、軽く絶望しましたが。
ぜんぜん、大丈夫だった。
学生たちの扱いが、『猛き黄金の国』はもとより、最悪だった『殉情』とはまったくチガウ。
学生たちは「ただの、ナレーション」だった。
そこに人生も人格もない。
だから、『殉情』のときのように、邪魔にならない。
『猛き黄金の国』と『殉情』が最悪なのは、解説者である若者カップルたちに、「解説に都合のいい」人生と人格があること。
ヘラヘラチャラい若者が、年寄りに説教され、偉人とか文学とかの教えを受けて改心し、「就職しようと思うんだ。いつまでもチャラチャラしてらんないなと思って」と最後は衣装も改めて現れる。
彼らに人格があるばかりに、彼らの語る「岩崎弥太郎」や『春琴抄』は、彼らのフィルターを通した、つまりは作者の意図した「岩崎弥太郎」や『春琴抄』になる。
観客に、想像の自由はない。「このとき主人公はどう思ったか」を、全部台詞で解説して回るのだから。
そして最後には、「つまり『春琴抄』って、こういうことを伝えたい話なんですね」と作品テーマまで台詞で解説する。
あらすじ解説までは許容範囲だが、テーマをどう受け取るのか、なんと感じるのは観客の自由だ。楽しみだ。それを奪うな。クリエイターとして、最低最悪。
……それが、今回は人格ナシ。
キャラクタとしての雰囲気があるだけで、人格や人生についての場面はないし、思想を語らない。
ただの、ナレーター。
それなら、なんで現代の学生である必要があるんだ、いちいち現代の文化や言葉に置き換えて喋らなくてはならないんだとか、劇中人物にやらせれば済む話じゃないのかとか、言いたいことはあるけれど。
なんにせよ、『殉情』ほど最悪じゃない、ってだけで、オールOKです。基準値低いです、『殉情』はトラウマレベル(笑)。
てことで、『モンテ・クリスト伯』はふつーに楽しかったです。
かなめくんのファンなら楽しめるでしょー。とにかく彼が七変化するから。
ヒゲの小汚いおっさん姿も、ヒゲのダンディも、ヒゲなしキラキラ美青年も、ヒゲなし端正な大人の男も、ぜーんぶ有り。
ポスターのビジュアルだけなのかと思ってたら、ぜんぜん違ったよ……なんでもありだよ。
むしろ、周りだ。
ヒゲ祭りキターーッ!!
男たち、ヒゲヒゲヒゲ。
まぁくんまでヒゲつけてるー! 永遠の青年キャラなのに~~(笑)。
悪のともちんに、わたしとしては新鮮味はないのですが、彼の場合、思わぬところで萌えがありました。
妻のタラちゃんが最後、高笑いするところがもお、ともちんスキーとしてはハート鷲掴みです。
そっかぁ、妻のことは愛してたんだよねえ……。
でもってオチがコレ……男としてはたぶん、致命的なショックなんだろうなあ。
ここで「この*無し!!」と、イシダが大好きな下品台詞をタラちゃんに言わせるのではないか、それをともちんにリピートさせるのではないかと、ハラハラしたことはナイショです。他の演出家なら、絶対にあり得ないけど、なにしろイシダだし。
なくてよかった。
ヲヅキさんは、どっちかってーと愉快ヒゲ。
……たぶんあれは、自重ヒゲなんだろうな。
かなめさんの親友、唯一の心からの味方という役、「あんたを守ると決めたんだ」等、たぶんここでヲヅキさんが本気で色男キャラを作ったら、それこそディアギレフみたいな造形にしたら、シャレにならん。
話の筋が変わってしまう。テルキタは醸すぐらいがいいのであって、ガチにホモ話やられても困る、大劇場では。(バウならいいです、やってください・笑)
わざと愉快なビジュアルにして「抜き」を作ってる。
あのビジュアルと温度だから、ホモな台詞を吐いてもホモにならない。
ヲヅキさん、いい役者だ。
ちーちゃんがカッコ良くて、ハクハクします。大劇場でこんなに大きな役を演じるちーちゃんを観る日が来るなんて……。
髪型不思議だけど、ほんっとにカッコイイ。つか、顔好き。
せーこちゃんの悪女っぷりもまたかっこいいんだ。悪女メイク似合うなあ。
……ともちんとせーこちゃんの絡みを、もっとじっくり観たい派です。
どっちも生々しくて、肉厚で、ときめきます(笑)。
ショーも楽しかった。
演出家紹介はいらんと思うけどなー。あんなのただの自己満足、はじめて観に来た団体さんには「??」でしかないだろーに。
それ以外は楽しかった。
正しいパイナップルの女王を観た。
歓声上がったし。
や、あれは声出るって。
なにしろその昔、トドロキ様が同じ役をやりましてね、あの人、ぜんっぜん脱ぎませんでしたから。
「下半身見せたら男だってバレるから、ダルマにはなれないんだよ」って当時、みんなで話してたなあ。
その点、かなめ様は美しい女性ですから! 美しさは見せてナンボ、誇ってナンボ!
いやあ、素晴らしいです。寿命伸びます。
ヲヅキさんのガチ女装もありましたが……。
えーと。
あれって、誰得?
敗因は、露出度の低さだと思う。
ただスカート履くだけじゃ女に見えない。肩だの脚だのを出してはじめて、女性だとわかるレベルだと思うの、ヲヅキさん。
せっかく巨乳なんだから、武器にすればいいと思うの。
『ドリキン』の黒鳥さんで、でかいチチ揺らして踊ってたのに……同じ衣装のかなめ様がぺたんこだったのに。
今のままじゃ、ただの分厚い胸板……。
ポスターの素敵さにくらくらしてました。ヒゲテル様麗しすぎ。
キャッチコピーも素敵じゃないですか、「わたしから憎しみを奪うな。たったひとつの生きる証なのだ。」。
無教養ゆえ、原作は未読です。でも、なんとなくあらすじは知っている。
ポスター通りの重厚な話になることを期待。
間違っても、『殉情』や『猛き黄金の国』にはなってくれるなよと。
つまり、「『モンテ・クリスト伯』なんてつまんなーい。わかんなーい」と言っているイマドキのカップルのところへ、人生経験豊かな老人が現れて、「バカもん、『モンテ・クリスト伯』というのはだな……」と解説をはじめる。
実際の『モンテ・クリスト伯』の話の合間合間に、現代の若者たちが出てきて「このとき彼はどう思ったから、どうしたのね」「こういう事情があったんだ」と解説しまくる。
……という。
これさえなければ、多少未消化でもぶった切りのあらすじ状態でも、なんでもいいや。
なにしろイシダ先生、『復活』がよかったからなー。あの路線で行ってくれたらありがたい。
そう思っていた、だけに。
現代の学生たちが出てきて、椅子から落ちそうになった。
またコレか。
また、コレをやるのか。
イシダは死ぬまでコレをやり続けるの?
しかも、人数増えてる。カップルと老人ではなく、学生たちと先生。うわー……。
と、軽く絶望しましたが。
ぜんぜん、大丈夫だった。
学生たちの扱いが、『猛き黄金の国』はもとより、最悪だった『殉情』とはまったくチガウ。
学生たちは「ただの、ナレーション」だった。
そこに人生も人格もない。
だから、『殉情』のときのように、邪魔にならない。
『猛き黄金の国』と『殉情』が最悪なのは、解説者である若者カップルたちに、「解説に都合のいい」人生と人格があること。
ヘラヘラチャラい若者が、年寄りに説教され、偉人とか文学とかの教えを受けて改心し、「就職しようと思うんだ。いつまでもチャラチャラしてらんないなと思って」と最後は衣装も改めて現れる。
彼らに人格があるばかりに、彼らの語る「岩崎弥太郎」や『春琴抄』は、彼らのフィルターを通した、つまりは作者の意図した「岩崎弥太郎」や『春琴抄』になる。
観客に、想像の自由はない。「このとき主人公はどう思ったか」を、全部台詞で解説して回るのだから。
そして最後には、「つまり『春琴抄』って、こういうことを伝えたい話なんですね」と作品テーマまで台詞で解説する。
あらすじ解説までは許容範囲だが、テーマをどう受け取るのか、なんと感じるのは観客の自由だ。楽しみだ。それを奪うな。クリエイターとして、最低最悪。
……それが、今回は人格ナシ。
キャラクタとしての雰囲気があるだけで、人格や人生についての場面はないし、思想を語らない。
ただの、ナレーター。
それなら、なんで現代の学生である必要があるんだ、いちいち現代の文化や言葉に置き換えて喋らなくてはならないんだとか、劇中人物にやらせれば済む話じゃないのかとか、言いたいことはあるけれど。
なんにせよ、『殉情』ほど最悪じゃない、ってだけで、オールOKです。基準値低いです、『殉情』はトラウマレベル(笑)。
てことで、『モンテ・クリスト伯』はふつーに楽しかったです。
かなめくんのファンなら楽しめるでしょー。とにかく彼が七変化するから。
ヒゲの小汚いおっさん姿も、ヒゲのダンディも、ヒゲなしキラキラ美青年も、ヒゲなし端正な大人の男も、ぜーんぶ有り。
ポスターのビジュアルだけなのかと思ってたら、ぜんぜん違ったよ……なんでもありだよ。
むしろ、周りだ。
ヒゲ祭りキターーッ!!
男たち、ヒゲヒゲヒゲ。
まぁくんまでヒゲつけてるー! 永遠の青年キャラなのに~~(笑)。
悪のともちんに、わたしとしては新鮮味はないのですが、彼の場合、思わぬところで萌えがありました。
妻のタラちゃんが最後、高笑いするところがもお、ともちんスキーとしてはハート鷲掴みです。
そっかぁ、妻のことは愛してたんだよねえ……。
でもってオチがコレ……男としてはたぶん、致命的なショックなんだろうなあ。
ここで「この*無し!!」と、イシダが大好きな下品台詞をタラちゃんに言わせるのではないか、それをともちんにリピートさせるのではないかと、ハラハラしたことはナイショです。他の演出家なら、絶対にあり得ないけど、なにしろイシダだし。
なくてよかった。
ヲヅキさんは、どっちかってーと愉快ヒゲ。
……たぶんあれは、自重ヒゲなんだろうな。
かなめさんの親友、唯一の心からの味方という役、「あんたを守ると決めたんだ」等、たぶんここでヲヅキさんが本気で色男キャラを作ったら、それこそディアギレフみたいな造形にしたら、シャレにならん。
話の筋が変わってしまう。テルキタは醸すぐらいがいいのであって、ガチにホモ話やられても困る、大劇場では。(バウならいいです、やってください・笑)
わざと愉快なビジュアルにして「抜き」を作ってる。
あのビジュアルと温度だから、ホモな台詞を吐いてもホモにならない。
ヲヅキさん、いい役者だ。
ちーちゃんがカッコ良くて、ハクハクします。大劇場でこんなに大きな役を演じるちーちゃんを観る日が来るなんて……。
髪型不思議だけど、ほんっとにカッコイイ。つか、顔好き。
せーこちゃんの悪女っぷりもまたかっこいいんだ。悪女メイク似合うなあ。
……ともちんとせーこちゃんの絡みを、もっとじっくり観たい派です。
どっちも生々しくて、肉厚で、ときめきます(笑)。
ショーも楽しかった。
演出家紹介はいらんと思うけどなー。あんなのただの自己満足、はじめて観に来た団体さんには「??」でしかないだろーに。
それ以外は楽しかった。
正しいパイナップルの女王を観た。
歓声上がったし。
や、あれは声出るって。
なにしろその昔、トドロキ様が同じ役をやりましてね、あの人、ぜんっぜん脱ぎませんでしたから。
「下半身見せたら男だってバレるから、ダルマにはなれないんだよ」って当時、みんなで話してたなあ。
その点、かなめ様は美しい女性ですから! 美しさは見せてナンボ、誇ってナンボ!
いやあ、素晴らしいです。寿命伸びます。
ヲヅキさんのガチ女装もありましたが……。
えーと。
あれって、誰得?
敗因は、露出度の低さだと思う。
ただスカート履くだけじゃ女に見えない。肩だの脚だのを出してはじめて、女性だとわかるレベルだと思うの、ヲヅキさん。
せっかく巨乳なんだから、武器にすればいいと思うの。
『ドリキン』の黒鳥さんで、でかいチチ揺らして踊ってたのに……同じ衣装のかなめ様がぺたんこだったのに。
今のままじゃ、ただの分厚い胸板……。
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