挽歌、という言葉で思い出すのは、ひとつのフレーズ。
倭建(ヤマトタケル)に、挽歌を。
氷室冴子作『ヤマトタケル』の、最後の1行。
やすみしし、倭の大王よ。
高光る、日の御子よ。
わたしの大王よ。
あなたに、いや栄かの誉れを。
すべての功を。
すべての恵みを。
すべての幸を。
倭建に、挽歌を。
無教養なガキだったので、「ヤマトタケル」というとゆうきまさみぐらいしか知らなくて(所詮アウシタン)、大した知識もなく読みはじめ、ちょっとびっくりするくらい大泣きしたもんだ。
あー、氷室冴子の『ヤマトタケル』、雪組でやってくんないかなー。ちぎくんとか、ヤマトタケルOKぢゃね? や、単に大王@まっつを見たいだけだが(笑)。ちぎまつでなら、オスアンよりよっぽど見たいわ……。
間違った父親役のまっつ、って、ハマりすぎる……。
それゆえ、わたしにとって「挽歌」ってのは、相当重い単語だった。
胸が引き裂かれるような悲しさや切なさをもって、「挽歌」が在る。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』というタイトルが発表になったとき、まず脳裏に浮かぶのは「ヤマトタケルに、挽歌を。」ですよ。
死者を悼む歌、だから、誰か死ぬんだなと。
BJは天才外科医、誰をも救ってしまう腕を持つけれど、それでもなお、誰か罪びとが死ぬんだなと。
神の手を持つ男がいてなお、死せる者がいる。そして、死者を悼む歌。
……なんかすごく、切ない、痛いモノを想像するぢゃないですか。心がひりひりするよーな、ハードなものが差し出されるかと思うじゃないですか。
まさかなー。
ハートウォーミングなホームコメディだと、誰が思うんだよ(笑)。
BJ@まっつ自身が、毎回カーテンコールで言ってます、「『BJ』を観て、あったまってください」……心がほっとあったかくなる物語だからって。
いやいやいや、「挽歌」だから! 「許されざる者」だから!!(笑)
初日を観たとき「これってどうよ」と言っていたまっつメイトが、翌日には「回数増やす。楽しい」と言っていた。
あらすじ紹介の出来ない、困った物語だから、初見ではとまどう。
でも、それをわかった上で観ると、まったく違ってくる。
「よーするに、ふつーの人の話ですね」
うん、そう。
ふつーの人の、ふつーの話。
ツートンカラーのつぎはぎ男で神の手を持つ天才外科医だったり、不死身の化け物だったり、こぶの中から生まれてアッチョンブリケだったり、負け犬で銃振り回してたりするけど。
ふつーでない人たちばっか出てくるけど。
そのふつーでない人たち……この世界で、存在を許されていない人たちが、わたしたちとなんら変わることなく、ふつーに生きている、生きていこうとしている、物語。
なんのために生きるのか。
どこへ行けばいいのか。
すべての人々が抱いている、普遍的な問い。
千年生きるバケモノだろーと神の手だろーと負け犬不良少年だろうと、ヅカヲタのこあらだろうと、なんら変わりはしない。
「普通じゃない」と、台詞でくり返される。
バイロン侯爵@ともみんもそうだし、ピノコ@ももちゃんもそうだ。
それに対して、BJが答えにたどり着く。
「悪いことじゃないよ」
わたしがあなたとちがうこと、それぞれがみんな、なにかしら別の存在であること。
それは、悪いことじゃない。
……いいことばっかじゃない、それによっても傷つきもする。
だけど、悪いことじゃない。それだけは、チガウ。
だから怯えないで。
今、ひとりぼっちでふるえている、すべての命よ。
あなたがあなたとして生まれてきたのは、悪いことじゃない。
わたしがわたしとして生まれてきたのは、傷つきながら泣きながら、それでも生きているのは、悪いことじゃない。
許されているよ。
それだけは、たしか。
観劇していちばんキたのは、初日翌日の昼公演、つまり2回目のときだった。
1幕序盤から泣きすぎて、消耗しまくった。
いろんなもの絞り出しすぎて、ふらふらになったわ……。
名作かどうかはわかんない。
問題点というか、「ここをなんとかしてくれたら、だいぶ変わるのに」がてんこ盛り。
それでも、なんかいちいち「響く」。わたしには。
サブタイトルの意味は、よくわかんない。
「許されざる者」って誰よ。「挽歌」ってなによ。
「許されざる者」は、いろいろと想像することは出来る。
メインの人たちはみんな、「存在を許されなかった」人たちだし。
そしてそれは、もっと広い意味で、すべての人たちにもあてはまるし。
ただなあ、なにしろ「挽歌」だしなあ。
初日翌日の昼公演、これ以上なく大泣きしながら、消耗しまくりながら、うわあああん、大好きだーー!!と思いながら。
考えていたのはさー。
この話ってさー、「挽歌」だから引っかかるんだよなー。
いちばん、誰もがすんなり納得できるサブタイトルってさー。
「許されざる者への応援歌」なんぢゃないのー?
ってことだったり、した(笑)。
笑いあり涙あり、心があったまるホームドラマなわけだしさー。
応援歌だよねえ、挽歌じゃなく。
しかし。
『ブラック・ジャック 許されざる者への応援歌』だと、ポスターのBJ先生もあんなにハードでクールな美形様としてキメキメではなくなるだろうし。
「挽歌」というカッコイイ単語のおかげで、なんか、なんとなーくカッコイイ作品っぽく見えるので、いいか。
そして、「許されざる者」というのが発音しにくい音の連なりで、カテコの挨拶でまっつ先生が盛大に噛みまくるので、なお素敵!(笑)
まつださん、カミカミになるとテヘペロするんですよ……舌出すの……ナニあのかわいすぎるイキモノ!!
ナニよ、ちょっとかわいいと思って! かわいいけど!!(笑)
倭建(ヤマトタケル)に、挽歌を。
氷室冴子作『ヤマトタケル』の、最後の1行。
やすみしし、倭の大王よ。
高光る、日の御子よ。
わたしの大王よ。
あなたに、いや栄かの誉れを。
すべての功を。
すべての恵みを。
すべての幸を。
倭建に、挽歌を。
無教養なガキだったので、「ヤマトタケル」というとゆうきまさみぐらいしか知らなくて(所詮アウシタン)、大した知識もなく読みはじめ、ちょっとびっくりするくらい大泣きしたもんだ。
あー、氷室冴子の『ヤマトタケル』、雪組でやってくんないかなー。ちぎくんとか、ヤマトタケルOKぢゃね? や、単に大王@まっつを見たいだけだが(笑)。ちぎまつでなら、オスアンよりよっぽど見たいわ……。
間違った父親役のまっつ、って、ハマりすぎる……。
それゆえ、わたしにとって「挽歌」ってのは、相当重い単語だった。
胸が引き裂かれるような悲しさや切なさをもって、「挽歌」が在る。
『ブラック・ジャック 許されざる者への挽歌』というタイトルが発表になったとき、まず脳裏に浮かぶのは「ヤマトタケルに、挽歌を。」ですよ。
死者を悼む歌、だから、誰か死ぬんだなと。
BJは天才外科医、誰をも救ってしまう腕を持つけれど、それでもなお、誰か罪びとが死ぬんだなと。
神の手を持つ男がいてなお、死せる者がいる。そして、死者を悼む歌。
……なんかすごく、切ない、痛いモノを想像するぢゃないですか。心がひりひりするよーな、ハードなものが差し出されるかと思うじゃないですか。
まさかなー。
ハートウォーミングなホームコメディだと、誰が思うんだよ(笑)。
BJ@まっつ自身が、毎回カーテンコールで言ってます、「『BJ』を観て、あったまってください」……心がほっとあったかくなる物語だからって。
いやいやいや、「挽歌」だから! 「許されざる者」だから!!(笑)
初日を観たとき「これってどうよ」と言っていたまっつメイトが、翌日には「回数増やす。楽しい」と言っていた。
あらすじ紹介の出来ない、困った物語だから、初見ではとまどう。
でも、それをわかった上で観ると、まったく違ってくる。
「よーするに、ふつーの人の話ですね」
うん、そう。
ふつーの人の、ふつーの話。
ツートンカラーのつぎはぎ男で神の手を持つ天才外科医だったり、不死身の化け物だったり、こぶの中から生まれてアッチョンブリケだったり、負け犬で銃振り回してたりするけど。
ふつーでない人たちばっか出てくるけど。
そのふつーでない人たち……この世界で、存在を許されていない人たちが、わたしたちとなんら変わることなく、ふつーに生きている、生きていこうとしている、物語。
なんのために生きるのか。
どこへ行けばいいのか。
すべての人々が抱いている、普遍的な問い。
千年生きるバケモノだろーと神の手だろーと負け犬不良少年だろうと、ヅカヲタのこあらだろうと、なんら変わりはしない。
「普通じゃない」と、台詞でくり返される。
バイロン侯爵@ともみんもそうだし、ピノコ@ももちゃんもそうだ。
それに対して、BJが答えにたどり着く。
「悪いことじゃないよ」
わたしがあなたとちがうこと、それぞれがみんな、なにかしら別の存在であること。
それは、悪いことじゃない。
……いいことばっかじゃない、それによっても傷つきもする。
だけど、悪いことじゃない。それだけは、チガウ。
だから怯えないで。
今、ひとりぼっちでふるえている、すべての命よ。
あなたがあなたとして生まれてきたのは、悪いことじゃない。
わたしがわたしとして生まれてきたのは、傷つきながら泣きながら、それでも生きているのは、悪いことじゃない。
許されているよ。
それだけは、たしか。
観劇していちばんキたのは、初日翌日の昼公演、つまり2回目のときだった。
1幕序盤から泣きすぎて、消耗しまくった。
いろんなもの絞り出しすぎて、ふらふらになったわ……。
名作かどうかはわかんない。
問題点というか、「ここをなんとかしてくれたら、だいぶ変わるのに」がてんこ盛り。
それでも、なんかいちいち「響く」。わたしには。
サブタイトルの意味は、よくわかんない。
「許されざる者」って誰よ。「挽歌」ってなによ。
「許されざる者」は、いろいろと想像することは出来る。
メインの人たちはみんな、「存在を許されなかった」人たちだし。
そしてそれは、もっと広い意味で、すべての人たちにもあてはまるし。
ただなあ、なにしろ「挽歌」だしなあ。
初日翌日の昼公演、これ以上なく大泣きしながら、消耗しまくりながら、うわあああん、大好きだーー!!と思いながら。
考えていたのはさー。
この話ってさー、「挽歌」だから引っかかるんだよなー。
いちばん、誰もがすんなり納得できるサブタイトルってさー。
「許されざる者への応援歌」なんぢゃないのー?
ってことだったり、した(笑)。
笑いあり涙あり、心があったまるホームドラマなわけだしさー。
応援歌だよねえ、挽歌じゃなく。
しかし。
『ブラック・ジャック 許されざる者への応援歌』だと、ポスターのBJ先生もあんなにハードでクールな美形様としてキメキメではなくなるだろうし。
「挽歌」というカッコイイ単語のおかげで、なんか、なんとなーくカッコイイ作品っぽく見えるので、いいか。
そして、「許されざる者」というのが発音しにくい音の連なりで、カテコの挨拶でまっつ先生が盛大に噛みまくるので、なお素敵!(笑)
まつださん、カミカミになるとテヘペロするんですよ……舌出すの……ナニあのかわいすぎるイキモノ!!
ナニよ、ちょっとかわいいと思って! かわいいけど!!(笑)
コメント